過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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のどぐろ

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容子の置手紙



米子での滞在は渡部邸、とこれは何十年もの間に自然と確立された習慣になってしまった。
ほかに泊まるところがないわけじゃない。 境港の叔母の家だとか、米子市内のコータローの所だとか。
それがよそに泊まっても明くる日にはすぐ容子の家へ帰ってくるのは、やはり渡部邸の居心地がこの上もなく良いからである。
今は叔母も友人のコータローも地上から消えてしまったあとは、もう容子の家へしか行くところが無くなってしまった。

容子の家では客扱いされないところがいい。完全な家族扱いなのだ。
近所のマーケットまで卵を買いに行けとか、ゴミを出してこいとか、重い家具を部屋から部屋へ移せとか、遠慮なく人使いをするところがいい。
今回はさらに自分専用の車を持っていたので、最近少し運転を敬遠するようになった容子のお抱え運転手もやるようになった。「アイツがいるといろいろと便利でいいわ」 と言われたい、と僕なりに努めているわけだ。


ある日、外から帰ってくると家は留守になっていて台所の食台に容子の置手紙があった。
その夜は久しぶりに洋食を食べに出ようと言っていた予定の変更である。
手に入れた魚とは
今回の帰郷で何を食べたいと最初に訊かれた時に 「のどぐろの煮付」 と即座に答えた、そののどぐろなのだった。





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のどぐろの煮付



子供の頃から食べ慣れたのどぐろだが、この魚は煮て食べるのがだんぜん美味い。
たいていの魚は焼き魚で食べるのが好きな僕にとって例外と言える。
のどぐろは昔は安い魚だったような記憶があるが最近では高級魚の仲間入りをしてしまったそうで、手に入りにくい時がある。というのはどこか他所の話で、すぐ隣に日本有数の漁港(境港)を持つ米子の町では、最高に新鮮なのどぐろがまずいつでも買える。しかも安い。
この町に住みたい僕の理由を挙げるとすれば、まずそのトップにくるのが、「魚がうまい」。
魚介なら何を買ってもそのまま刺し身で食べられるほど新鮮、というのはすばらしいことだ。若い頃と違って肉類は2度続けて食べるともうたくさん、という気が今はするのに、魚介なら毎日食べても飽きることがない。芥川龍之介の 『芋粥』 は貧乏侍が好物の芋粥をいつか飽きるほど食べてみたいと思い続け、いざそのチャンスが到来して食べきれないほどの量の芋粥を目の前にした時、食欲がまったく失せてしまい、芋粥を夢見ていた以前の自分が懐かしい、という話だが、僕も米子へ帰って毎日好きな魚が食せるような生活になれば、飽きが来ることがあるのだろうか?
ないと思う。

今回の2週間の滞在でもほとんど毎日、時には日に何度も魚を食べた。 




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