過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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思い出を食べに帰る旅 (2)

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サントリー


日本に滞在中はそれがホテルであれ友人宅であれ、サントリーの角瓶をそばに置くのが習慣となってしまった。
あの独特の形をした瓶に刻まれた、亀甲模様のギザギザを手のひらに感じる時、そこには遠い昔の自分の青春があった。
20代のあの頃、ふだんオールド(だるま)を飲むほどの贅沢は許されず、といって安いトリスとの味の差に屈服するには誇りが高すぎて、『角』 をちびちびと飲むのが何よりも喜びだった時代があった

今回はアメリカへ数本持ち帰ろうと考えている。






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〆鯖


アメリカ人が食べる魚にはタラとかカレイとか白身の魚が多くて、味がおとなしすぎて物足らないと思う僕はほとんど買ったことがない。 そのかわり、鮭(サケ)ならしょっちゅう食べている。 これなら新鮮なものがどこでも簡単に手に入るし、いつ食べても美味しいと思う。
鮭は焼いたり煮たり揚げたり、といろいろやってみてあげく、魚はやっぱり焼くのが一番という結論に達した。 もちろん皮をつけたままで。 そのかわり、タレとか付け汁をいろいろと変えてみる。 大根おろしに味の素に醤油、というのは忙しくて時間がない時で、そうでなければ生姜をおろしたものにレモンの汁を多めに入れ、さらに醤油と砂糖を少々、ネギの小口切りをたっぷりと入れて最後に赤唐辛子を1本これも小口切りにする。 全体を水で薄めてできあがり。 自分でも気に入っているだけじゃなく女房も喜んで食べる。

そうそう鮭の話じゃなくて鯖(サバ)の話だった。
鯖がこんなに好きになったのはいつごろからだったろう。 すべての魚の中で1番好き、と言い切れる。 ところがこれが手に入れ難いのだ。 マーケットの魚売り場で見ることはなく、日本食材店までわざわざ買いに行くしかない。 そこでも冷凍とか干物でしか置いてなくて新鮮な鯖はまず手に入らない。 だから何年に1度か日本旅館に泊まって朝食に焼き魚で鯖が出たりするとついにっこりしてしまう。

そして〆鯖にはこれも昔の思い出がある。
学生時代に下宿のすぐそばの安い定食屋でさんざん食べたのが、〆鯖に豚汁それに冷やっこという取り合わせで、これとご飯の大盛でお腹を満たしたものだった。 いつも同じものしか頼まないので飯屋のおばさんが呆れて、注文しないのに半端な焼き魚とかお新香とか生卵なんかを出してくれた。 おふくろみたいな優しいおばさんだった。 毎年秋口になると郷里の父から二十世紀梨が箱で届いたものだが、それを袋に詰めて持っていくとおばさんはことさら喜んで、自分の家族用に作ったお汁粉を食べさせてくれたりした。

〆鯖も日本では必ず食してみたいものの一つ。






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天津飯


卵が大好きな僕にとって 「蟹たま」 とも呼ばれるこの天津飯は日本に帰ると中華料理屋で必ず注文するものの一つ。
自分が幼年の頃の数年を天津で過ごしたせいかなどと思っていたら、この料理は日本独自の発明品で中国には無いという。 にもかかわらずこんな美味しいものはないと思って食べる。

アメリカの中華料理屋にもこれに似た料理はあって、エッグ・フー・ヤングの名で必ずメニューに出ているけど、そして僕はこれを時々食べるけど、日本の天津飯とは高貴な中国美人と安淫売宿の醜女(しこめ)ぐらいの違いがある。 もちろん蟹など入っているはずがなくポークとかチキンを卵にからめてカリカリに近く揚げてある。 天津飯のようなとろりと柔らかい色気のある風情は皆無で、これは文字通りハードボイルドの世界の産物だ。 だけど僕みたいに卵の好きな人なら、奇形のオムレツと思えばこれはこれで食べられる。 最近亡くなった義母の好きな料理だった。






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鰻重


鰻も日本に帰ると忘れずに毎回一度は必ず食べる。 代々続くという古い暖簾の店へ連れて行ってもらったこともあれば、一人でデパートの地下の食料品街で買って食べたこともある。
子供の頃は郷里の町の西念寺の門前に鰻屋があったのを思い出す。 入り口の格子戸の横に置かれた大きな石の槽に、何十匹もの鰻が、理科室の壁に架けられた脳の解剖図みたいに絡まりあって、気味悪くうごめいているのを恐る恐る見に行った覚えがある。 あれを食べると口がとろけるほど美味しいと大人が言うのをどうしても信じられなかった。

初めて鰻を食べたのがいつだったのかまったく記憶にないが、ずっとあとになって10代の終りに東京へ出てからだと思う。 大学の周りには古くから続く寿司屋や蕎麦屋それに鰻屋があり、そこへ入るとどの店も一様に明治大正を通り越して江戸の時代までさかのぼったような 雰囲気があった。 落語の 『鰻屋』 をラジオで聴いたのもその頃である。






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鯛焼き


「鯛焼き」、「今川焼き」、「大判焼き」 「回転焼き」 など、材料も製造方法も皆同じなのになぜ鯛焼きに惹かれるかと考えると、やはりその可愛い魚の形と、明治の世界へのノスタルジアなのだろうか。
ふだん、ああ食べたいと思うものや、ああ美味しかったと感激するもの(ここに載せた他の食べ物は皆そうだ) じゃないくせに、日本の街を歩いていて鯛焼き屋の前へ通りかかると、つい買ってしまう。
やはりこれも、思い出を買っているのだ思う。
子供の頃、父が勤めの帰りによく持って帰ってくれたから。






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汁粉


何が好きと言って小豆餡にはまったく目がない僕は、このシリーズでも 「桜餅」 に始まって 「鯛焼き」 を挙げれば次はもう汁粉しかないようだ。 というのは選別無しで書いていけばそれこそ長いリストになってしまう。 たとえば 「きんつば」 「饅頭」 「羊羹」 「お萩」 等などなど。

両刀使いと友人たちに言われるように、僕にはお汁粉で酒を飲むという特技があって、これは正常な人には信じられない奇癖と映るらしい。
今は他市へ移ってしまったが、以前デイトンには10年以上も足繁く通った日本レストランがあった。 そこのオーナーであるシンちゃんは、従業員用に時々お汁粉を作る。 そうするとわざわざ僕に電話をくれて食べにおいでよと言ってくれた。 店のカウンターに座ってメニューにはないお汁粉を啜りながら酒を飲む。 酒はビールでもスコッチでもだめで、なぜか日本酒がよく合う。
隣席にいた二人連れの日本からの駐在員がその僕に 「見てるだけで気持が悪くなりそうですよ」 と笑った。 そしてカウンターを離れてテーブル席へ移ってしまった。 少しばかり気分を害した僕だったが、あとで考えるとあれは席を待つ間カウンターで飲んでいただけで、席が空いたから移ったのだろうと善意に解釈することにした。






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雲丹


鮨屋で食べる握りの中で自分なりの好みの順序を付ければ、文句なしに雲丹がトップにくる。 その次がイクラとなるから、貧乏人のくせに値の最も高い双璧とも言うべきこの両ネタを好むとは、何たる不幸の星の下に産まれたのか、と秘かに嘆いたものだ。
前述した芥川の 『芋粥』 ではないけど、いつか雲丹を飽きるほど食べてみたいと思いながら今だに果たせないでいたところへ、ある時サロンの仲間である川越さんのブログを読んで目を剥いたこがある。
知人から大量の殻付きの雲丹を貰い受けて、奥方とふたりで朝昼晩と何日も雲丹だけを食べて暮らしたと言う。 最後にはもうたくさん、雲丹は見たくない、という心境だったというような事を彼が書いていた。
なんという贅沢! なんという傲慢!
他人を羨むということのあまりない僕が、この時は胸が痛くなるような嫉妬を覚えた。

雲丹にも少年時代の夏の思い出がある。
砂浜よりも岩だらけの海岸が多い日本海で、荒い波に岩へ叩きつけられないように気を配りながら、海に潜って雲丹を採った。 ちゃんと水泳パンツを着けて水中メガネを顔にピッチリと装填し、雲丹の棘に刺されないように軍手をはめ、足袋を穿いて潜るのは僕ら町っ子と決まっていて、地元の漁師の子どもたちはそんな装備を一切着けずにフンドシだけではるか深くまで潜ることができた。
収穫した雲丹は自分が食べるのではなくて、家に持って帰ると近所のおじさん連中が酒の肴にいつも喜んで買ってくれるのである。 あの頃は家の前を流れる小川で捕るどじょうと、この日本海の雲丹はわれわれ少年達にとっては重要な財政源だった。

自分が採った雲丹を食べてみたことがあるが、まるでナメクジを口に入れるような嫌悪感があって、その場で吐き出してしまった。 こんな不味いものを金を出して子供から買う酒飲みの大人が理解できなかった。
今はその酒飲みの大人に自分が成って、あの不味い雲丹を何よりも好きになるなどとは思いもしなかったことである。


(終)




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