過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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怠け者にお洒落は無理という話

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大鴉
By Green Eyes


何年も先延ばしになっていた日本行きが、とうとう来月に決まってから、少しずつその準備を始める。
まずは衣類。
下着や靴下はいとも簡単に買い揃えることができ、シャツは選ぶのにちょっと時間をかけて色や柄の違うもの3枚、あとは歩き回るための靴を1足手に入れようとしている。 幾つかの靴屋を廻ったけど適当なのがなくてこれはもうしばらく時間がかかりそうだ。

そして先日はジーンズを買いに行った。
昨年の引っ越しの際に大整理した古い衣類の中にジーンズは7本もありながら、どれも今ではブカブカになってしまいちゃんと身体に合うのがただの1本しかなかった。 マーシャルズのメンズウェア試着室であれこれ試したあと、 ストレートレッグで尻の部分がブカブカじゃなくてわりとぴったり合うもの(アメリカの男は尻がバカでかい)をようやく見つけて、それを2本買うことにする。
その時試着した一抱えの衣類の中に、女房が誤って選択したスリムストレートのジーンズがあった。 今流行のあの細くて脚にピッタリとしたやつである。 何気なしにそれを試着した僕を見て、女房が 「他のよりスタイリッシュね。 あなた脚が真っ直ぐだからカッコイイよ」 と言う。 それでついその気になって、これもまたカートに入れてしまった。

そしてこのスリムストレートのジーンズが実は大変な代物だと、後日気がつくことになる。
まず、穿く時はそうでもないけど脱ぐのが一筋縄でいかないのだ。 椅子とかベッドに腰掛けて片足ずつ手を伸ばして裾を引っ張るわけだけど、履く時にするりと入ったのが脱ぐ時には裾が踵に引っかかりなかなか出てくれない。 あれこれ苦闘するうちに無理に折り曲げた老体の腰が痛くなるわ、腕は疲れるわ、ふくらはぎが引きつるわ、で脱ぐだけで20分はかかる。 脱いだあとはもうぐったりとして屈伸運動をやったあとみたいに全身が疲れている。

大変なのはそれだけじゃない。
全体がピッチリした上に股上が浅いせいか、尻の割れ目にグイと食い込んで上に突き上げるので、前部に位置する男のモノを圧迫して、歩くたびにそこを擦るからそれが快感なのか不快感なのか何とも妙な気分である。 それに椅子に腰掛けても両足を曲げることができない。 これじゃ日本に帰っても床や畳には絶対に座れないと確信する。
その上まだある。
裾が極端に細いから足首の高いブーツなどはそこでつかえてしまい下まで降りない。 雪の日には履けないジーンズなのだ。

まだある。
両側にポケットがあるとは言え、財布とか携帯電話とかはまず入らない。 女性ならハンドバッグという武器があるから問題は無いだろうが、男は上着でも着ない限りシャツだけの外出は不可能ということになるわけだ。
それでも僕の頭の中には 「カッコイイよ」 という女房の言葉が呪文のようにこびりついているから、人との集まりの席に1度このジーンズで出かけたことがある。 パーティの最中に一刻も早く帰宅して着替えたい、とそればかりを思い続けた。 そして帰宅すると、ジーンズを脱ぐのにそこでまた20分かけて格闘した。 もう懲り懲りである。

お洒落をするというの超人的な努力が要求されるんだなあ、と今更この歳になって学んだと思っている。


先日、読者の一人と今回の東京でのオフ会のことで交信中にこのジーンズのことをちょっと書いたら、その返事を読んで思わず吹き出してしまった。 彼女が書いている。

むかし、ストレッチジーンズなんかないころ、物凄く細―いデニムのパツんパツんのスリムジーンズを穿いてたことがあって、足首をバレリーナのように真っ直ぐしないと入らない裾巾の細さー。 腰骨の所はファスナーが三角に開いてしまいしまらないから、穿くときはそこらへんに寝ます。 寝ながらだと、あらふしぎ(笑)ファスナーがあがるのです。
で、立ち上がる時は生まれたての鹿の赤ちゃんのように突っ張りながら立ち上がりました。 脱ぐときは大分緩くなってるから普通に脱げたわ。
あんなのはもう無理です。
何故ならウエストが苦しくて(太くなったもん)。







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帰国のお知らせ

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雪のカーディナル
By Green Eyes



4月に日本に帰ることに決めたあと、スケジュールを作成した。
飛行機の切符もすでに取った。
おおまかに言えば、まず郷里の米子に1週間、大学の同期会で新潟市と佐渡島に数日、そのあと東京に数日という日程なんだけど、その東京での短い滞在期間にブログでふだんコメントをやりとりしている人達と一晩会えるチャンスを作ることにした。

場所は渋谷のハチ公前のビルの中にある 『ぷん楽』 にしようと思う。
数年前の帰国の時に、仲間が数人でミニ同期会をここでやってくれて、畳の座敷のある個室を借りてくれた。 その時の悪くない印象が記憶に残っているのである。 出てきた料理もなかなか良かったような気がするけど、正直に言って料理なんてどうでもいいというのが本音だ。 静かで落ち着いて話ができて安ければ、どこでも構わないと思っている。

ところがはてさて
早めに予約を入れたいの思うのだけれど、誰が何人来てくれるのか、あるいは誰も来てくれないのか、そのへんがまったく見当がつかない。
そこで皆さんへのお願い。
よし出席してやろう、という奇特な人はその意思を表示してください。
皆さんの中にはそんな4月なんてずっと先のことなんかわからない。 第一、それまで生きているかどうかも定かじゃないのに。 なんて言い出す人もいるかもしれないが、それは僕もまったく同じだから、少なくとも 「会いたい」 というその気持だけでも知っておきたい、とまあそういうわけです。

だから、お互いにそれまで生きているということを前提として、出席できる人は非公開コメントで知らせて欲しい。
なぜ非公開コメントかだって?
それはね、いったい誰が来るかわからないところにスリルとサスペンスがあるじゃない?

あ、そうだ。
期日は4月の15,16,17あたりだと思ってください。 (16日はイースターサンデー)

ああとうとう皆さんに会えると思うと、若者のように胸がうち震えてる。
ほんとだよ。
こういうのを 「千載一遇」 というのだろうなあ。




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寒くない日は街を歩こう (最終回)

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コーヒーショップ
Ohio Coffee Company


街を歩き廻っていてコーヒーが飲みたくなる。
ここのダウンタウンには酒の飲めるところは無数にあるが、コーヒーショップはうちから歩いて行ける距離には2軒あるだけで、そのどちらもフレンチプレスのちゃんとした旨いコーヒーを飲ませる。
今日足を止めたのはそのうちの1軒で、僕の行く銀行の1階のロビーに入っていた。 ここではサンドイッチやキッシュやサラダなどの軽食も出しているので、ランチ時間には周りのオフィスの社員たちでけっこう混むのが、午後の遅い時間になるといつ行ってもほとんど人が居ない。 ひっそりとしている。 自分だけのこの静かな空間は、本を読んだりラップトップを開いて店のワイファイでブログの編集などをするには最適の場所となる。 以前は同じことを、引っ越す前の家のすぐ近くのスターバックスでやろうとしたが、あそこは人の出入りが多くガヤガヤと音もうるさく、まったく落ち着かないのでそのうちに行くのを止めてしまった。

今日ここに来てみると店の表にアンティークの自転車が2台置かれてある。
誰かが乗ってきたのじゃなくてこれは店内のデコレーションだろう。 訊いてみるとやはりそうで、店のオーナーの髭面のおじさんが、よくぞ訊いてくれましたとばかり説明してくれる。



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見ての通り赤い方が紳士用、青い方が婦人用というわけだが、両車とも製造されたのが1800年代の終り頃だという。 ピカピカに磨かれて完璧に手入れがされていて、タイヤに空気さえ入れればちゃんと乗り回せるそうだ。
このミスター髭面のように自転車のコレクションをやる人はこのデイトンの町にはけっこういる。 それというのは、この町で生まれたあのライト兄弟は最初は自転車屋をやっていたからだ。 この兄弟がそのうち自転車の製造では飽きたらなくなって、空を飛べる機械に手を出したのが、世界の航空史の始まりとなったからである。 この町の住民は飛行機の歴史はデイトンから始まったと胸を張って世界に誇ってきた。 それと同時に自転車に対しても並々ならぬ親しみを感じているのに違いなかった。
そのライト兄弟の自転車屋はこのコーヒーショップからは歩いてもそう遠くない所にあった。 建物はもう無くなってしまったけれどその跡にはちゃんと石碑が建っている。 そして自転車屋そのものはそっくりそのまま町外れ(といっても車でほんの10分ほどの所)のカリロン博物館へ移された。





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寒くない日は街を歩こう 5

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町裏のアブストラクト


廃墟の壁だとか、打ち捨てられた古工場の何百という壊れた窓ガラスとか、路面に車が押しつぶした空きカンだとか、そのままで面白い絵になっているのを見るとつい撮らずにはいられない。 誰でもやるクリシェだと知りながら。
これもその1つ。
カメラのファインダーを覗きながらどこでどう切り取るかをあれこれ考えることで、抽象絵画の創作に参加しているという楽しさが湧く。 こんな画像を思いきり大きく伸ばして、それも生半可なサイズじゃなく室内の壁一面を占めるようなミューラルにしたらインテリアとして悪くないなあと思う。

ミューラルのインテリアと言えば、僕らのアパートメントの分厚いメタル製のドアを開けて室内に1歩足を踏み入れた人は、そのままわが家のリビングルーム立っていることになるのだが、まず正面の窓と窓との間の壁に架かっている大きなモディリアーニの婦人像が目に入るだろう。 それから回れ左をして今入ってきたドアを閉めようとすれば、左側の白壁一面に架かっている抽象画が嫌でも眼に飛び込んでくる。 アクリリック・ペイントで描かれたその絵はミューラルと呼ぶほど巨大ではないにしてもそれでも 2.5m x 4.5m ほどのサイズである。
それを見ると大抵の人が 「ええっ? これってジャクソン・ポロックのオリジナル?」 と驚く。
「そうだよ」 と僕はニヤニヤしながら答えることにしている。
モディリアーニはもちろん良質のコピー。 でもこの抽象画の方はれっきとしたオリジナルである。 ただし作者は友人のディックで彼が若い画学生の時に描いた試作の1つを、ある時仲間内のポーカーで僕がバカ勝ちした時に彼のスタジオから略奪してきたものである。






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By Dick Stacey (1967)







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寒くない日は街を歩こう 4

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The Neon Cinema



巨大で殺風景な駐車ビルに囲まれて、申し訳無さそうにひっそりと生存するこの小さな建物が、デイトンのダウンタウンでたった1軒の映画館だと言えば、誰もが驚く。
一昔前まではそうじゃなかった。 大きな映画館が3軒もあった。 サイズとしてそれほど大きいとはいえないデイトンのダウンタウンの、お互いに歩いてすぐの距離にこの3軒があった。 その中の1軒が前に紹介したヴィクトリアで、これは舞台芸術のシアターに変身することでちゃんと生き残り、あとの2軒は郊外のモールへと逃げていったのだ。

このネオン・シネマは数人の映画オタクの若者たちがパートナーを組んで営業しているそうで、中へ入るとさらに2つのシアターに分かれていて、右が140の座席を持つ大(?)シアター、左が座席70の小シアターとなっている。 上演フィルムは最新のアート系の作品からインディーズ自主映画や古い名画がほとんどで、ハリウッド製の大衆向けヒット映画などはまずここには来ない。 だからいつ行っても観客はまばらで、これで商売になるのかとつい余計な心配をしてしまう。 観客層は当然ながら学生やシニアの知識人らしき人たちで占められていて家族連れとか若いミーハーなどはまず見られない。
ところが先日ここで観た今話題の Manchester By The Sea は大小両シアターで上演時間をずらしてやっていたが、僕らが行った遅い時間にも珍しく席は1つ残らず占められていた。 開演前にパートナーの1人が壇上に現れて挨拶をした所によると、この2週間は両シアターが完全に満員だったそうだ。 客席から大きな拍手が湧く。 常連だけが行くバーやカフェがあるように、ここはそういう人達のための映画館なのだろう。

僕がこの映画館を好きな理由はもうひとつあって、それはリクライニングの座席のクッションが他のどこの劇場よりも実に座り心地がいいのである。 それだけじゃなく、太った人でも楽に座れるように贅沢に幅が取られているから、両隣りの観客と肩やヒジがぶつかることもない。 前後のスペースもゆったりしていて座席を後ろに倒せばウーンと言いながら両足を前に伸ばせる。 飛行機で言えばエコノミーとファーストクラスの違いである。
上記の Manchester By The Sea は上演時間が2時間20分と長かったが、ちっとも苦にならなかった。 苦にならなかったのは良い座席のせいだけじゃなくて、映画自体が秀逸でまったく時間を忘れてしまったせいもあるけど。







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マーサが逝く

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90歳の誕生日に孫のマットと談笑するマーサ (2017)


今日1月21日(土)、午後10時半。 義母のマーサが逝った。
彼女の最後の誕生日に家族が集って午後のひと時を過ごしたのはつい今週の日曜日で、それから6日しか経っていなかった。 マーサに乞われて珍しく僕がそこにあったピアノで数曲を弾いたら、彼女は目に涙を浮かべて喜んだ。 ピアノから立ち上がる僕に手を差し伸べて引き寄せると僕の唇にキスをした。 それは母親が息子にするキスだった。

3人の息子と5人の娘婿を持つマーサだったが、その娘婿の中でも彼女が誰よりも僕を気にかけてくれたのは、日本人の僕が遠い異国から来てずっと昔に両親を亡くしていたことを、ことさら憐れと思ってくれたからだった。 「自分の息子だと思ってるからね」 と言っていた。 初めて会ってからこの35年間、僕の誕生日には毎年必ず送ってくれたバースデーカードには、「マーサより」 ではなくていつも 「母より」 と書かれていたのを思い出す。



マーサの様態が悪くなったこの数日間に、フロリダの三男を始め家族が続々と彼女のアパートへ詰めかけていた。 僕の息子の太郎も昨日から帰省している。 僕らも今日の午後までそこに居て、夕方にいったん帰宅したばかりだった。 そして夜になって義妹からの携帯メッセージでマーサがたった今逝ったことを知った。
マーサがこの数年住んだアシスタントリビングの施設はうちからは車でほんの10分の距離だったが、女房は今はそこへは行きたくないと言い張る。 妹達からの誘いを頑なに拒むと電話を切り、それからしばらくのあいだ声を上げて激しく泣いた。 自分だけの悲しみに浸りたい、今は誰ともこの悲しみをシェアしたくない、という女房の気持が僕には痛いほどよくわかった。 僕自身も同じだったから…


お母さん、さようなら。



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マーサと太郎 (1984)





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寒くない日は街を歩こう 3

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ネッド・ペッパー


ダウンタウンにオフィスがあった頃はこのバーによく来たものだった。 古い大きなバーである。
中には木製のテーブルと椅子が乱雑に並んでいるだけで、洒落た内装だとか品の良いデコレーションなどどこを探しても見当たらない。 意図的にそんなハイクラスの雰囲気を抹殺することで独特のスタイルを狙ったのではないかと思わせるほど大衆的でそっけない。 ここでは気取ったワインやカクテールなど注文する者はまずいなくて、例外なく全員がビールを注文する。 それ以外のドリンクが飲みたければ他の店へ行け、というわけだ。 そして他の店とはこの周りに10軒以上もある。 そのかわりビールの種類はやたらと多く、世界中のビールが壁にズラリと並んでいたものだ。 最後にここで飲んだのはもう10年ほど前のことで、今でも内部はまったく変わっていないだろうことは中に入らなくてもわかる。

ただ、今日僕の目を引いたのは表の窓に貼られたモノクロ写真だった。(これは以前にはなかった。) 写されているのはおそらく1900年代の初め頃のこの町の町並みで、よく見るとついさっき通ってきたメインストリートの建物などがそこにあった。





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ハッピー・パレス


これは何かのファーストフードの店に違いないが、いったい何を食べさせるのかはまったくわからない。 というのはすっと以前に店が閉められたまま窓もドアも釘付けにされている。 ハッピー・パレスとはアメリカの中華料理店ではもっともポピュラーな店名の1つだが、念入りに描かれた絵のデザインだとか、レンガの1枚1枚が違う色で塗られたところなど、チャイニーズの仕業とは思えない。 たぶん、メキシカンかトロピカルの料理を出していたのかもしれない。 数少ないメニューを年老いた夫婦がゆっくりとやっているようなこんな店は、意外と美味しくて常連客を持っているものだ。 メインストリート沿いの店はレントの高騰に悲鳴を上げて軒並みに廃業してしまった。


(続)




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寒くない日は街を歩こう 2

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彫刻?


これはたぶんストリート スカルプチャと呼ぶべきものだろう。
鮮やかな黄色と背後のアービーズの赤い屋根との対比が、くすんだ風景の中でおもしろい効果をあげている。

アービーズといえばローストビーフのサンドイッチを食べさせるファーストフードの老舗なのは誰でも知っているが、ローストビーフを美味しいと思わない僕はついぞ入ったことがない。 だいたい僕はジャンクフードを断固として拒否する健康オタクでもなんでもないから、バーガーキングの分厚いハンバーガーなど時々無性に食べたくなると、女房の軽蔑のまなざしを背に受けながらつい食べに入ってしまう。 時々食べるとあれは美味しい。

ところでこのアービーズの発祥地はオハイオ州だと知る人は少ない。
1980年ごろ、日本へ進出したアービーズは全国主要都市に店舗を構えたにもかかわらず、その後なぜかすべてを撤退している。 ローストビーフという料理は日本人の舌には合わないのだろうか?
発祥地がオハイオと言えばコンビニのローソンがそうで、小さな牛乳屋から始まったこの店は現在では日本中を制覇しているらしい。 それなのに何故なのか? アメリカではあの懐かしい Lawson の店舗は町から完全に姿を消してしまった。





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ひと夏の情事


あてどなく歩いていてこのバーの前を通りかかる。 そしてハッとする。
ひと昔もふた昔も前、人妻との短い情事。 人目を逃れた逢引の場所がここだったのを思い出した。
裏の駐車場に停めた車の中での窮屈でぎこちない、そして激しい性の交わり。
あの時はお互いを必要としたと思っていたのに、あれは何だったのだろう…


(続)






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寒くない日は街を歩こう 1

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路地裏


この数日気温が上がって、今日など 17℃ と嘘みたいに暖かい。
人一倍寒がり屋の僕でさえこれは外に出なければ、という気になった。 それで珍しくセーターもスパッツも着けずにシャツとジーンズの上にそのままコートを羽織って外に出る。 ただし靴だけは寒い時と同じく最近買ったばかりのブーツを履いたのは、これが非常に具合がよろしくて気に入ったからだった。 足元をしっかりとサポートしてくれるという感があり、それでいて重くなく、長く歩いても足がぜんぜん疲れないということをすでに雪の中で経験していた。 この調子だと春が来ても夏になっても履き続けそうな予感がする。

商店街を抜けて裏の路地へ廻ったところでこの壁画に出会った。
落書き(グラフィッテ)にしては秀逸でアーチストの作品と呼ぶべきだろう。 マリファナやハシシを吸った時のあのサイケデリックな感覚を表現したものだと思われる。





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ヴィクトリア劇場


この劇場でつい先月のクリスマス前に、バレーの 『ドラキュラ』 を観たばかりだった。
デイトンのバレーなんてとあまり期待しないで行ってみたら、これがなかなか良かったのだ。 良かったというのは、ワールドプレミアと謳った演し物の 『ドラキュラ』 ではなくて(これは完全な失敗作)、それを踊ったプリマのダンサーのことである。 地方の中都市の小さなバレー団でも若くて才能のあるダンサーはやはりいるものだ、と感心した。 こういう場所でキャリアを積んでどんどん才能を伸ばしてから、やがてはチャンスを掴んで中央のバレー界へとデビューしていくのだろう。

このヴィクトリア劇場は1900年頃の古い建物を、ほとんどそのままに残して内部を新しく改装している。 筋向かいの巨大なシュースター劇場よりずっと小さいが、建物自体に味があり内部の雰囲気もずっといい。 僕の好きな劇場である。

(続)





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眠りについて

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零下15度の朝



この数年眠りが浅くなった。
ももともと寝付きが悪い方で、夜ベッドに入っても眠りに落ちるまで時間がかかったが、それでも一度眠ってしまうと朝までぐっすりという習慣だったのが、最近は夜中に何度か目が覚める。 それで仕方なくお手洗いに立ったりしたあとはそのまま又いつのまにか眠ってしまう。 そして数時間後にまた目が覚める。 それを毎晩何度も繰り返すのだけれど、不思議にも朝起きて寝が足らなかったという感覚がないのは、眠りそのものはけっこう深いのだろうかと思う。

夜中に何度か目を覚ますのはあまり気にならないが、ベッドに入ってからなかなか寝に落ちないというのは困りもので、定期健診の時に医者に相談した。 それで薬を処方してくれた。
その薬は、就寝前に飲んでからベッドに入って本を読んでいるうちに、10分か15分ですぐ眠気がやって来る。 それまでは1時間も2時間も眠りに落ちなかったことがしょっちゅうだったから、これは嬉しかった。 そしていったん眠ってしまうと朝までそのまま、ということはないにしても目の覚める度数が1度とか2度に減ったが、これは年齢からくる放尿要求だからしかたがないのだろう。

ただしこの薬には、朝起きたあとしばらくの間は頭がぼんやりしている、という短所がある。
起き抜けにコーヒーを飲んでもそのぼんやりには効き目がないようだし、屈伸とかストレッチなどの軽いエクササイズをしてもだめだ。 そのままもう1度ベッドに帰りたいというかなり強い欲望が身体に残っている。 その欲望を振り切るようにして着替えをし、厚いコートを着込んで外に出ると早朝の川べりを散歩する。 冷たい川風を顔に受けて煙草に火を点ける。 朝日の射す遠くの風景を見回しながらゆっくりと歩くうちに、頭の中がしだいにスッキリとしていくのを感じる。
それが日課になってしまった。



昨夜のこと。
東京の友人とスカイプで会話をした時に、どう、そちらは寒いでしょう? と彼女が訊いた。
「寒いよおー、今朝なんて川べりを散歩した時の気温が4度だったよ。」 と答えたら
「あら、そんなものなの。 とっくに氷点下になってると思ってた。」
それで気がついたのは、ついこちらの習慣で華氏で温度を言ってしまったようだ。 華氏4度といえば摂氏では零下15度以下なんだよと訂正する。
「うわっ 聞いただけで寒くなった。」 とスカイプの中で彼女が身震いをするのが画面に写っている。 その背後の白い障子には綺麗な花柄のちゃんちゃんこが架かっているのが見えた。


そういえばきのうは零下15度の冷気の中を裏の川へ出てみると、川面に薄氷がびっしりと張っていた。
ずっと川下の何処かで凍ったところへ、ゆっくりと流れる水が薄氷を運んで来て次々と積み重ねていた。 重なって静止した氷の領土と緩く流れる川水の境界線がその時ちょうどわれわれの住居の裏側まで来ていた。 そしてその境界線は見ているうちにどんどんと川上へと動いている。
薄氷はまるで上空から俯瞰する大地の地図のような模様を作って、朝日の中で輝いていた。









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新年おめでとう

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年明け前のわが家のコートヤードで





                           何となく 
                           今年はよい事 あるごとし 
                           元日の朝 晴れて風無し


2017年の元旦の朝
川べりの小道を新年の最初の煙草に火をつけて散歩しながら、この啄木の歌が自然と口に出てくる。 歌そのままの穏やかで平和な新年の始まりだった。

今朝起きて珍しく軽い二日酔いで頭がぼんやりしているのは、大晦日に友人家族を招いて大人4人でシャンペンを3本空にしたせいだろう。
テレビでニューヨークのタイムズスクエアの乱痴気騒ぎを見ながら、年が変わる直前に最初のボトルを開けたのだが、もちろんその前にワインやビールですでに誰もが十分にできあがっている。 夕方から窓の外のコートヤードにキャンドルを置いていたので、それぞれコートを着込んでグラスを抱えて外に出た。 友人夫妻が連れてきた二人の小学生姉妹は、年に1度だけ親から夜更かしを公認されるこの夜に興奮気味だった。

この子供達の父親のトムは空軍基地に勤めるエンジニアで、昨年の秋にパリの企業での仕事に応募して多数の候補者の中から最後の二人にまで残りながら落とされてしまい、ヨーロッパで暮らしたいというこの夫妻の念願がかなわなかった。 パリでのインタビューには細君同伴で招待されて、初めてのパリを1週間満喫してきたばかりなので、ヨーロッパそのままのこのコートヤードに出た時にまたそれが思い出されたのだろう。 今はベルギーの会社での選考が進んでいるというが、パリの仕事ほど惚れ込んではいない、あれは一生に1度あるかないかの理想的なチャンスだった、とトムは悔しそうに語った。 パリでもベルギーでもベルリンでもフィレンツェでもどこでもかまわない、僕らが気軽に遊びに行ける場所をヨーロッパに確保してくれよ。そう言って僕はトムのグラスにシャンペンを満たした。

僕はといえばヨーロッパに行きたいのは無論だけどけど、今年はまず日本に帰るのが先決だ。
昨年はどうしても帰りたいと思いながら引っ越しとか周りの家族の事情とかでついに果たせなかった。
今年は絶対に帰るぜえ。




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聖母子像

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キャサリンとマックス (2016)







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マリアとイエス (1658)
フランシスコ・デ・ズーバラン (スペイン)






このクリスマスの5日前、12月20日に姪のキャサリンに男の子が生まれた。
多勢の親族が集まって賑やかなクリスマスパーティが進行するその片隅で、ひっそりと生後5日目の赤ん坊に乳を与えるキャサリンを目にした時、はてどこかでよく見たことのある図だと思った。

そうだ…
これはかつてヨーローッパのいたる所の寺院で目にしたあの聖母子像そのものだった。
自分の分身である乳児を項(うなじ)を垂れて見つめる母親の表情の、はっとするような優しさと慈愛深さが僕の胸を打つ。 これから先何十年と続いていく母と子の関係にはさまざまの紆余曲折が待っているに違いないが、今この瞬間ここにあるのは、まだ年月の汚れにも人生の醜さにも染まらない、清らかで純粋な愛情そのもののように思える。

美しいと思った。





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恋をするマヤ

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マヤとアール 




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後ろ姿のマヤとアール





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マヤと叔父夫婦






娘のマヤに恋人ができたらしい。
長いあいだ男を寄せつけなかったこの子が、今年の8月にシンシナティでの甥の結婚式に出席した時に、ピッツバーグからボーイフレンドを連れてくると予告した。 珍しいことだ。 過去に付き合っていた男性をこんな形で両親に紹介したことは今までなかったからだ。 第一、身内の結婚式に同伴すること自体が、この子にとって彼が友達以上の意味を持つことは明らかなように思えた。 仕事場の同僚というわけではなく仕事を通して知り合ったというこの青年の名はアールといった。 フェイスブックで彼の優しそうな髭面の顔を見て、われわれ両親は理由もなくほっとする。

8月といえば僕らは新しい住居に引っ越したばかりで、まだ家具類も置くべき場所に納まらず部屋中に箱が積まれている中に、とりあえず寝る場所だけを確保していたような状態だった。
そんな乱雑な住まいに、ピッツバーグから5時間をかけて車を駆ってきたマヤとアールが姿を現す。
こちらの眼をまっすぐに見てミスター付で僕の名を呼ぶアールに、僕のことはトシオと呼び捨てにしてくれればいい、と言いながら握手をする。 彼のしっかりと固い握手に好感を覚える。
すでに到着していた息子の太郎を交えてとりとめのない会話が始まったが、初対面のぎこちなさをまったく感じさせないアールの雰囲気に女房はその場で好感を抱いたようなのは、彼女の饒舌さからも読み取れる。 マヤよりも二つ年下だというアールと同年輩の太郎とはその場で気が合ってしまったようだった。 父親の僕はといえば、彼が常にマヤに対して見せる優しい気づかいに好感を持ちながら、いやまだまだ騙されんぞという意地悪な意識を拭い去ることができないでいる。
夜更けまで飲んで食べて話をしたあと、僕らのアパートからはほんの2ブロックのところにあるグランドホテルに宿を取った二人は帰って行った。 酔っ払った太郎はもうソファで眠っている。
「いいひとよねえ。 大好きよ。 あのふたり完璧なカップルだわ」 とベタ褒めムードの女房に、僕は何となく同意をしたくなくて
「うん、だけどちょっと調子よくてしゃべり過ぎるんじゃないか」 などと言ってみるが、その反抗はいかにも弱々しく響いたのに自分でも気がついていた。


その翌日。
結婚式のあるシンシナティは僕の住むデイトンの町からは車で1時間足らずの距離である。
5人を乗せた車の中では次から次へと話が弾んでいる。 といっても運転に専念する僕と、いつものように口数の少ないマヤは時々口をはさむだけで、女房、太郎、アールの3人の会話のもっぱら聞き役だった。 その会話を聞いていて、この30数年を真っ直ぐな人生を送ってきた訳ではないらしいアールの人柄が次第に浮かび上がってくる。 彼の見かけの優しさの裏に、太い芯が通っていることを認めないわけにはいかなかった。


式のあとの披露宴。
どっとバーに押し寄せる人の群れに気を削がれて、名札の置かれたテーブルにポツンと座っている僕の眼の前にそっとマテニーが置かれた。 アールが自分のドリンクよりも先に僕にマテニーを持ってきてくれたのだ。 うーんなかなか憎いことをする、と僕はうなってしまった。 そういえば、昨夜自宅で僕がマテニーをすすっているのを見て 「ジンですか? それともウォッカ?」 と彼が訊いたのを思い出す。 それにしても憎いことをする奴だ。   


披露宴を終えてまたまた車でデイトンのわが家まで帰ってきたのは夜中を過ぎていたが、そこでまた飲み直すことになった。
煙草を吸いに外に出ようとした僕に、アールが自分も行くといっていっしょに裏の川辺りに出る。 彼も喫煙者だとわかって何となく嬉しい。 建物の裏側が公園か何かだと思っていたらしい彼は、いきなり目の前に広がる大きな川を見て子供のように驚き、喜んだ。

男同士の会話は自然とマヤが話題となった。
マヤを知れば知るほどご両親がいかに良い育て方をされたのかがよくわかります、と当の両親にとっては最大級の賛辞が彼の口から出るのを聞いて、僕は年甲斐もなく嬉しくなる。 彼の言い方にお世辞とは思えない誠実さを感じたからである。 そこで僕が
「いや、正直に言うと母親はともかく、僕が子供達に良い父親だったという自信はまったく無いんだよね。むしろ世間並みには父親として落第だったと思ってる。」 と正直に本心を告白する。
「いえ、それはないと思います。 彼女がお父さんのことを話す時、言葉の端々に尊敬とか畏敬といった感じがいつも出てる。」 と彼は驚くようなことを言う。 そこで僕は言った。
「うちの子供達は息子が母親似、娘は父親の僕に性格が近いような気が長い間してきたんだけど、こんなことを言うと本人のマヤは不本意かもしれない。」
するとアールは微笑して言った。  
「実は彼女も同じことを僕に言ったことがあります。」 これも驚きだった。 こんな会話は家族同士でもやったことがなかったからである。 アールという男が媒体になってくれたお陰で、知らなかったマヤの一面が覗けたことが僕にはとても嬉しかった。

川面を渡ってくる生暖かい真夏の風に、ふたりで2本目の煙草の煙を吹き出しながらの短い会話の最後に、アールが言った。
「マヤのことは安心してください。 過去にあったいろいろなことは全部聞いているけど、もう誰にも彼女を悲しませるようなことはさせません。 約束します。」
とまたまた実に憎いことをいう。 この男、女を口説くのと同じくらいに親を口説くのがうまい、そう思いながらも僕はすでに彼を信頼してもいいという気持ちになっていた。



あれから3か月半、ふだんマヤと僕とのあいだにはメールも電話もほとんど無いのは前と変わらないが、母親とはけっこう交信しているようだ。
今夜女房が言った。
「マヤは以前とくらべて見違えるように元気になってる。 電話の声に張りがあるし、メールの文面もすごく明るいしね。 サンクスギビングはパーティにも行かずふたりだけでひっそり過ごしたみたいよ。 私は以前のようにあれこれ心配する必要がなくなって、うんと楽になった。」


以前の悲しいマヤのことは数年前に 『娘への手紙』 に書いている。





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アメリカのいびつなデモクラシー

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マリリンのブロンズ像
Downtown Dayton, Ohio



大統領選挙の結果に世界中が衝撃を受けている中で、どうしても納得がいかないという気持ちが僕の内部でくすぶり始めて、それが次第に怒りへと変わっている。
その怒りは、僕が毛嫌いしていた男が大統領になってしまったことへではなくて、その男を選んだアメリカのいびつなデモクラシーへ対して向けられている。 アメリカの国民が選んだ男ならいかに嫌な奴でもしかたが無い。それに従うのが民主主義の原理だとは僕にもよくわかっている。 それなら諦めがつく。 ところがこのトランプという男、アメリカ国民が選んだ男ではないからである。 下の数字を見て欲しい。

ヒラリー・クリントンの投票獲得数 60,339,165
ドナルド・トランプの投票獲得数  59,988,438

圧倒的な大差ではないとはいえクリントンに投票した国民の方が多かったのは歴然とした事実なのだ。
僕らが子供の頃から叩きこまれてきた素朴単純な民主主義の原理に習うなら、クリントンが大統領になるべきだったのだ。 それがそうはいかず、世界中の人々をショックに打ちのめしたのは、アメリカの選挙制度で決められたエレクトラル・カレッジ (electoral college) と呼ばれるバカげた選挙法以外の何物でもない。
エレクトラル・カレッジとは簡単に言うと、各州ごとに一定のポイントが設定されていて、その州で最多数の投票を得た候補者がポイントを全部獲得する。 両候補への投票数が大差であれ小差であれ関係ない。 勝ちは勝ち、負けは負け。 というわけだ。 その結果今回の選挙ではこんな数字が出てしまった。

トランプ  290
クリントン 228
 
ところが僕にまったく納得がいかないのはこの各州のポイントの設定であった。
たとえば例を挙げれば

ワイオミング州(人口 580,000) エレクトラル・カレッジ → 3点
ノースダコタ州 (757,000)   エレクトラル・カレッジ → 3点
サウスダコタ州 (858,000)   エレクトラル・カレッジ → 3点
カリフォルニア州 (39,000,000) エレクトラル・カレッジ → 55点

州人口に比例してポイント数が設定されたとなっているが実はそうでもないところが実に杜撰(ずさん)と言わなければならない。 なぜならもしワイオミングに3点を与えるなら、その67倍の人口を有するカリフォルニアのエレクトラル・カレッジの点数は55点どころか200点以上になってもよいはずだ。 (そしてこのカリフォルニア州ではクリントンが60%対30%で大勝している)

だいたいこのエレクトラル・カレッジそのものが大昔の遺物で、1700年代にマディスンとハミルトンの二人の政治家によって設立された。 黒人の奴隷はもちろん白人女性にも選挙権がなく、地所を所有する裕福な白人男性だけが参政していた時代の話である。 このエレクトラル・カレッジの制度はその後たびたび改定されたとはいえ、全国民が平等に選挙権を持つ現代、こんな旧弊な不完全なシステムにいまだに固執するアメリカという国が理解できないのは僕だけではなく、国民の直接投票で代表を決めるヨーロッパの国々からも大きな疑問が投げかけられている。 もちろんアメリカ国内でも同じで、今回の大統領選挙後にあらためて論争の的(まと)になりそうだ。 いやすでになっている。
なぜ国民の直接投票で決めないのか?
そうであるべきだと僕は信じている。 国民にしてみても自分の1票が直接そのまま結果にひびくと思えば、今よりもっと積極的に投票に参加するのはまちがいなく、選挙に関心の薄い貧困層をはじめ全体の投票率もずっと上がるはずだ。

そういえば、かつて2000年のアル・ゴア(民主党)対ジョージ・ブッシュ(共和党)の大統領戦でも同じことが起こったのを思い出す。
エレクトラル・カレッジの点数でブッシュが小差で勝って大統領となったが、国民の投票数ではゴア候補がブッシュを上回っていた。
今回の選挙とまったく同じだ。


世界でも民主義国家の代表と自他共に認めているアメリカが、こんなわけのわからない反民主主義的なやり方で大統領を選ぶのは、実に不思議で不可解なことだと僕は思っている。 このことをアメリカは世界に恥ずべきである。

それにしても
あーあ、これからの4年間が思いやられる。 
むしゃくしゃするから酒だ酒だ!






 
   

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ハロウィーンのころ

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冬がすぐそこまできている気配がする。 あの寒くて長い冬が。
テニスショーツにポロシャツというのが僕にとっては夏のユニホームでつい夏中をそんな格好で過ごしてしまったのが、秋もたけなわとなった今はジーンズに長袖のシャツという季節となり、おしゃれにはまったく縁のない僕でさえ、今日はジーンズにするかカーキのパンツにするかとか、シャツの色合いや柄などにも数秒間だけ思案をしたりする。 以前なら手当たりしだいにそばにあるものを何でも着て、女房に言われるまで何日でも同じものを着用していたのを思うと、年をとって少し洒落っ気が出てきたというか、色気づいたというか、これは何なのだろう?

そんな僕だけどなぜかコート類にはけっこう選択肢を持っていて、ブルーの薄手のゴルフジャケットからフード付きの厚い冬用のもの、黒のレインコートもあれば消防車のような真っ赤な色をしたウィンドブレーカーやぞろりと長いウールのツイードの外套もある。 なかでも一番気に入っていたのはバイカー用の黒皮のジャンパーだったのが長年愛用したあと、一時自分がぶくぶく太ってしまって合わなくなった時に息子の太郎に譲ってしまった。 今ではまた体重がずっと減りむしろあの頃よりも痩せ気味になったので、息子から取り戻したいと思いながら彼がいつもそれを着ているのを見るとちょっと言い出せないでいる。
あ、それから忘れてはならないのが、チャコールブラウンのスエードのコート。 薄くて軽くて暖かく、1年を通して着用する頻度からいえばこれが一番かもしれない。


そんなわけで、コートを着る季節が到来している。
外に出かける前に、その日の気温によってどれにするかの選択に5秒間ほど考える。 さらにマフラーをするかしないかに3秒。 それから帽子はどうする? 白のベースボールキャップにするか、厚い毛糸のスキー帽にするか、それとも焦げ茶のボルサリーノ、あるいは無帽? それを決めるのにやはり5秒かかる。
問題は履物である。
僕は靴というものは3足しかもっていない。 黒の正装用、茶色のスリッポン、テニスシューズの3足で、それに夏はもっぱらサンダルで通した。 というのは、10足ほど持っていた靴を今回の引っ越しでまず絶対に履かないと自信のあるものを処分したら、結局のところ3足だけが残ったのだ。 それがつい先日、あれほどブーツを嫌っていた僕が何を思ったか、ブーツを1足手に入れた。 ブーツといってもくるぶしを隠すほどの短さで、これがあれば今年の冬は雪の中を自由に歩けそうだ。 早く冬が来ないかと今から楽しみだ。

考えてみると、十月に入ってからハロウィーンまでのひと月が、1年を通して僕のもっとも好きな季節だといってよい。
川辺りの並木道には地面も見えないほどに落ち葉が散乱して、川面を渡って顔に当たる微風にはしっとりとした冷たさがあり、風景の中の空気は透明で清々しい。

煙草が美味しい。





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大統領選挙

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11月8日の大統領選挙がすぐ目と鼻の先へ迫っている。
連日のテレビのニュースはどのチャンネルに回しても、ヒラリー・クリントンとドナルド・トランプの対決に絞られていて、世界中で起こっているほかのニュースは影を潜めたような感がある。
今回は、トランプというめちゃくちゃな候補者がメディアに格好の話題を提供しているおかげで、過去の大統領選挙とは比べものにならないほどの大騒ぎになった。

それにしてもまあ、トランプという男は次から次へといい加減な嘘八百を堂々と吐き続けて、その嘘がバレても絶対に謝ろうとしないで逆に開き直っているのには、立派なものだと感心さえしてしまう。 選挙運動中の候補者の演説の内容をファクトチェッキング(事実確認)をするのはメディアの役目なんだけど、クリントンでさえ演説の中で数字や人名や地名などのエラーが13%もあるという。 ところがトランプにいたってはその数字が80%以上となっていて、しかもその大半は単なるエラーじゃなくてまったくの事実無根だというから呆れる。
このところ話題になっているのは、彼に性的なハラスメントを過去に受けたという女性が次々に出てきて、きのうは11人目の被害者がテレビでインタビューをしていた。それに対してトランプは11件の事実を完全に否定して、すべてが彼を陥(おとしい)れるための政治的な陰謀だと断言している。

こんな書き方をすれば、今回の選挙でアメリカ国民から圧倒的に支持されるのはクリントンに間違いないような印象をうけるのに、事実は必ずしもそうではないところが実に不思議なことだと思う。 この二人の支持率がかなり接近していて、テキサスやフロリダなどの州では逆にトランプがクリントンを抜いているというのが、僕にはどうしても理解できなかった。
つまり国民の半分近くがトランプを支持していて、その中核をなしているのは労働者階級で大学教育を受けたことのない白人の男性だそうだが、中には女性や黒人やラテン系の人たちも多いという事実には驚いてしまう。 女性や黒人やラテン系の層に対して、トランプは偏見の姿勢を示唆しているにもかかわらずである。

メディアによると、従来の政治や政治家に飽き飽きした国民がトランプというエンターテイナーに新鮮な魅力を見出したと解説しているが、トランプの演説を聞いているとその内容や口調や動作についアドルフ・ヒトラーを思い出してしまうのは僕だけではないだろう。 ヒトラーが持っていたカリスマをトランプも確かに備えているようだ。

アメリカ市民じゃないから選挙権を持たない僕は黙って事の成り行きを眺めるしかない訳だけで、いやもし選挙権があっても必ずしもクリントンの政策を全面的に支持はしないだろうけれど、トランプが大統領になればアメリカは危険な状態になるのは確実だと思っている。 これは日本にとっても危険なことだ。
もともと僕は民主党の予選で頭からバーニー・サンダース候補にすっかり惚れ込んでしまい、彼のキャンペーンに少額の寄付を数回にわたってしたほどだった。 クリントンを抜いて民主党代表となってほしく、自分に選挙権が無いことをこれほど残念に思ったことは、8年前のあのオバマの選挙でさえ感じたことがなかった。 思えばサンダースの出現は現在のアメリカの状態では10年早すぎたのかもしれない。
あとは、クリントンの勝利を願うばかりである。


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トシオとコータロー (追記)

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米子幼稚園



この写真を探し当てるのにまる2日かかった。
本来なら前回の記事にいっしょに載せたかったのに、どうしても見つからないので諦めて 「トシオとコータロー」 を公開してしまったあと、やっぱりあの写真は載せたい、と思い直して大々的に捜索を始める。
引っ越しのドサクサでどこかに紛れてしまったらしい。 ようやく片付いたばかりの新居なのに、またまた僕が家中の戸棚や本箱をひっくり返して何十冊というアルバムを取り出したり、整理されていない写真の束を床にばらまいたりするのを見て、女房は口の中で言葉にならない小言をつぶやきながら、それでも表立った抗議がこないのは、コータローの写真を探しているのを知っているからだった。 そうでなくともこの数日間は、友人の死で沈んでいる僕をまるで腫れ物に触るように扱っている。

「おまえどこに隠れてんだ。 いい加減で出てこいよ」 などとぶつぶつ言いながら、まるで、紛失した宝くじの当たり券を探すような勢いであちこちを引っかき回していたら、この、手札版よりもずっと小さな色褪せた写真は分厚いプリントの束の中からひっそりと出てきた。



さてそこで…

子供達の1番前で頭に大きな絆創膏を貼って、指をくわえているのがコータローである。
そういえば、幼稚園から小学校へかけてのコータローはどの写真を見てもなぜか必ず指をくわえている。 くわえる指が1本の時もあれば2本の時もある。 中には両手の指を1本づつ口の中へ入れている写真もある。 あの習性がいつ無くなったのかを訊こうと思いながら、ついいつも忘れて訊かないままに時が経ってしまった。 もう訊けない。
そして、コータローのうしろで T の野球帽をかぶった、まるで皇太子のように気品のある少年がトシオだとは、説明するまでもなくすでにお分かりでしょう。

さらに付け加えると
先生たちの中で向かって左から二人目に顔を見せているのが僕の母である。







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トシオとコータロー

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米子市 渡部邸にて 2002年 
撮影 古門吉郎



コータローが死んでしまった。
これには参った。

僕の引っ越しで住所や電話番号が変わったり、インターネットの接続がオフになったりしたために、しばらく彼との交信が途絶えたあと、ようやく連絡が取れるようになったのは9月に入ってからだった。
つい2週間前の彼からのこのメールはふだんより饒舌で、そこには忍び寄る死の影などまったく見られない。


トシオの近況がわかってホッとしてる。

我が家は父も母も妹も癌で亡くなっており、「わしも死ぬ時は癌だ!」 とカバチをたれていたら
案の定、癌に取り付かれてしまった。
3月の始めに、ホームドクターの紹介で労災病院に不整脈の検査に行ったら
「あなた不整脈どころでありませんよ」 と即刻入院させられた。
自覚症状全く無し。 その後検査するうちに内臓障害も見つかり色々治療を受けているが
一番参ったのは最初の1ヶ月半続いた水耕栽培 (24時間の点滴)で
その結果全身の贅肉、筋肉が落ちガリガリになってしまった。 70キロあったのが 55キロまで落ちた。

病気の話を書くと延々と続くのでこのくらいにして今日は引っ越しの話をしよう。
トシオの引っ越しが大変だったのはブログで読んで知っていた。
それに前回のメールで、コータローなんかこんな大きな引越はやったことがないだろう、とトシオが書いていたけど
実は大きな引越は所帯を持ってから2回経験している。
最初のは大阪から東京。 2度目は東京からUターンして米子だったが、この2度目の引っ越しが大変だったんだ。
夕方荷物を送り出したあと、家族は新幹線で京都へ、そこから夜行で米子に朝着いて荷物を受け入れる、という予定でいたのが
台風の接近でJRのダイヤはズタズタ、東名、名神の高速道路も海岸に近い所は波をかぶっていた。
そこで予定を変えて明け方に岡山まで汽車で行き、岡山駅でタクシー運転手とさんざん交渉して
切符の払い戻し金でやっと米子にたどり着いたと思ったら、トラックはまだ着いて無いし、やっと着いたと思ったら
荷物がビショビショに濡れていたり、と大変だったよ。

トシオの引っ越し話でこんな事を何十年振りに思いだしている。
何はともあれまず病気を治します。

9月16日
コータロー

このメールが届く前に僕はコータローの奥さんと電話で話しをしている。
久しぶりに聞く彼女の声が、思ったよりずっと明るいのにほっとする。
コータローは身体の痛みがまったく無く (それを聞いて嬉しくなる) 食欲もあって、なんでも好きなものを食べて良いと医者が言っているそうだ。 あまりにも痩せすぎたので人に会うのを嫌って面会はしないけれど、電話と携帯メールはやっているという。 そういえば同じ郷里仲間のY子さんの話では、コータローは電話の声も元気でひょっとしたら治るかも、と言っていたくらいだったのに。
上記のコータローのメールに僕は返事を書いたが、何日経ってもコータローからは何も言ってこなかった。



この数年間に僕は大学時代の仲間を二人失っている。
長い人生の中のもっとも華やかだった青春時代を共有した連中が、相次いで消えてしまった時、僕は身体中が寒々とするような寂しさを感じた。
しかし、コータローと僕が共有したのは青春だけではない。
物心ついた子供の時以来、事実上の全人生を分け合ってきた。 70年にわたるつき合いだった。



9月30日の未明に僕は、まるで墓場から蘇った死者のようにポッカリと目を覚ます。 こんなことは珍しい。 時計を見ると午前4時半である。
どうしても眠りに戻ることができないままに、僕は起きだしてキッチンへ入るとコーヒーの豆を挽く。 フレンチプレスのコーヒーができるあいだに仕事部屋の PC のスイッチをオンにする。
メールが1通入っている。 郷里のY子さんからだ。

            トシオ、さっき、午後5時半にコータローが死んでしまった。 悲しい…


その文字を凝視しながら、深いため息をつく。
あいつ、俺の誕生日に死にやがった。
そうか、日本時間の午後5時半といえばこちらの午前4時半だ。
コータローは俺を呼んだんだ。
「トシオ、起きれや。 わしゃ先に行くで」。


***





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アパートの住人たち

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ダウンタウン 1





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ダウンタウン 2


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ダウンタウン 3




ダウンタウンへの引っ越しが終わって2ヶ月も経つと、そろそろ同じアパートにどんな人たちが住んでいるのかが少しづつわかってくる。
このビルには70世帯が入っているという話だが、若いカップルや独身者がその大半を占めているのは明らかで、あとはわれわれのようなシニア層の人たちが少数派として居住するみたいだ。 子供のいる家族はまるでいないか、いるとしてもまだ1度も子供を見たことがない。 ここには3ベッドルームの大きなアパートもあるから小さな子供を持つ家族がいてもおかしくはないはずなのに。 そしてほとんどの住民が仕事持ちの勤め人であることは、夜にはぎっしりと詰まっていた駐車場が朝はがらがらになっていることでわかる。 10数台だけ残された車の持ち主が、引退したシニアの連中だとみてよいのだろう。 もっともしばらくして気がついたのはそうばかりとは言えないようで、ブルーの仕事着の若い医者や看護婦をよく見かけるのはすぐ近くに大病院があるからだろうが、この人たちの生活は夜も昼もないようで、夕方に出勤して朝早くに帰宅したりする。 また戦闘服にブーツという格好の軍関係の人たちもけっこういて、彼らもまた昼夜の区別がない勤務をしているようだった。

住民たちは人種的に見ても、白人、黒人、東洋人、ヨーロッパ人と雑多に混じっている。 耳に携帯電話を当てて通り過ぎる人の会話が、スペイン語だったり韓国語だったり、あるいは僕には判別のつかないどこかの東欧語だったりする。 でも日本人だけはまだ1度も見かけたことがない。

とまあこんなぐあいで、年齢も人種も職業もいろいろな1群の人間が1つのビルの中で生活しているわけだから、お互いに接触するチャンスがいろいろとあるのは当然で、ロビーですれ違ったり表玄関のドアで鉢合わせしたり駐車場に同じタイミングで車を停めたりする。 ただ1階に住む僕らにはエレベーターの中で誰かと一緒になる、ということだけはないけれど。 ほとんどの人たちが驚くほどフレンドリーで、「ハイ」 とか 「ハロー」 とか 「グッドモーニング」 とか笑顔で挨拶をする。 ほとんどの人たちが、と書いたのは中にはそうじゃない人もいて、向こうから顔をそらせて無言ですれ違う人も時々はいる。 そういうの決まって若い女性で、「知らない人と誰でも気安くするという習慣は私には無いからね」 という意固地さがその動作に表れているようである。

それで思い出したのは僕らが入居して数日目に、隣の部屋の住人とばったりドアの前で顔を合わせた時のことだった。
40代のアメリカ人男性で、僕の顔を見ると 「ハイ」 とそっけなく言い捨ててあたふたと出かけていった。 隣人同士の初対面の挨拶でもしようと思っていた僕はちょっとあっけにとられて、失礼な奴だなあと思いながらそのことは忘れてしまっていた。
その日の夜、誰かがドアをノックするので開けてみるとそこに今朝会ったばかりのお隣に住む彼がいて
「今朝ほどは失礼しました。 私は空軍基地に勤めるエンジニアなんだけど今朝は仕事に遅れてしまって泡を喰らってたんでね、 勘弁して下さい。 何かわからないことがあったらいつでも声をかけてください。 といっても私は一人住まいで勤務時間がメチャメチャなので居ないことのほうが多いかもしれませんが。 とにかく今後ともよろしく」 と言って握手を求めてきた。
それ以後ほとんど2月(ふたつき)が経つというのに、この彼の顔を見たことは1度もない。


同じビルの住人と顔を合わせるチャンスが何といっても一番多いのは、犬の散歩である。
ペットを飼う人たちがけっこう多いということは管理人から聞いていたけど、これほどまでとは思わなかった。 プードル、ラブラドール、ピットブル、数種のテリア、ワイマラナー、レトリーバー、ダルメシアン、など、外に出ればたいていどれかの犬を見る。 しかも気がついたのは、たいていの犬は外でさっさと用を足してしまうとすぐにオーナーに中へ連れ戻されるようで、僕らのようにゆっくりと時間をかけて散歩をする犬は少ない。 だから犬のオーナーたちと話をするなんてことはほとんど無く、ふだんは簡単な挨拶を交わすだけである。
犬同士の交際は、概していえばまあまあうまくいっているようでオーナー同士がお互いによく気を使うからこれといった問題はないようだった。 ただ、ひとりのオーナー、彼女は若い中国人なんだけど大きめのレトリーバーのコントロールがあまりできなくて、猛烈に吠えまくって他の犬と掴み合いになったり、ロビーでいきなり僕に飛びかかってきたりする。 犬としては攻撃というわけじゃなくて親密さを過度に表現しているのだとは犬好きの僕ならわかるけど、犬の好きじゃない人にとっては恐怖の体験だろう。 と思ったら案の定、彼女に対しては(犬に対してではなく)幾つかの苦情がすでに事務所に出ているという。 もし彼女に愛犬のコントロールができないようなら、飼うことを止めるかそうでなければこのアパートを出るような結果になるだろう、とはこれは毎日のように出会う仔犬のワイマラナーのオーナーの話しである。

このワイマラナーのオーナーというのは年齢が60代後半のアメリカ人男性で、僕と同じくリタイアしたらしく仕事に出ることもないようで、僕とは毎日のように何度も犬の散歩で顔を合わせる。 独身者であるのは明らかで、このニッキーという名の、美しいグレーの光沢に輝くワイマラナーの仔犬を眼に入れても痛くないほど可愛がっている。 古いボルボのステーションワゴンに乗って買い物に外出する時も、仔犬が一緒でないことはまず無い。 時々、1日2日のあいだ彼のボルボが駐車場から消えてしまうことがあるのは、たぶん家族の誰か、娘とか息子とかに会いに行ってるのかもしれないと推測するだけで、そんな話を聞くほどにはまだ親しくなってないのである。

このビルの住人たちのことでもう一つ気がついたことがある。
ゲイやレズビアンが多い、ということなんだけどそのことを書くのは次の機会にしよう。







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携帯電話のこと

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青い噴水



最近、携帯電話を買い替えた。
長いあいだ使っていた旧式のやつ (日本でガラケーと呼ばれるあれ)が、ある日ついに働くことを止めてしまい、それで仕方なく、という感じでスマートフォンを手に入れたんだけど、使い始めてみるとこれが実に具合がいい。 まずそのサイズが馬鹿でかいからスクリーンの字がとても読みやすい。 それと、これは僕が知らなかっただけだけど、付いている機能が旧式の電話とは比べものにならないくらいに充実している。 日本ではパソコンをやめて携帯電話に切り替える人の数がどんどん増えているというのも大いに頷けた。

最初、新居となったビルの中までは外からの電波が届きにくく、いちいち中庭に出て電話をしていたのが、ケーブルとインターネットの設置で自宅のワイファイが使えるようになってからはその不便も解消した。 ただ発見したのは、電話を使いながら外から家の中へ入るととたんに電波がドロップする。 電話会社のシグナルと自宅のワイファイとの切り替えがうまく行ってないのだろうが、電話の使用量が仕事をやめてからは極端に減った僕にとっては、どうってことはない問題だった。 電話を耳に当てながらブリーフケースを抱えて、あたふたと外出する、なんて生活とはもうすいぶん前にグッドバイしている。 どこで電話を取ろうと、その場でゆっくりと応対すればいいのである。 それともう一つ、今の僕がカルト教団の狂信者みたいに死守しているルールが一つだけあって、それは車の運転中には電話に出ない、ということだ。 絶対に出ない。 発信者の名前すら見ない。 自分のスローライフをこんな形で周りの人に蔓延(まんえん)しているとも言える。


スマートフォンを持つようになって、普通の音声通話よりもテキストメッセージの数がぐんと増えたのに気がつく。 古い電話のキーボードがいかに使い難かったかがわかる。 まだ日本語のソフトを入れていないのでテキストはもっぱら英文だけなんだけど、グーグルのソフトが実にうまくできていて、英語のスペルを途中まで入力するとあとは候補の単語がいくつか上に出てくるので、それをタップするだけですぐに次の語へ進めばいい。 文章が驚くほど早く書けてしかもミススペルが無いのだ。 自分でも気が付かないでつい自然と饒舌になっている。
テキストメッセージの良いところは、同じ1対1の会話でも電話とかチャットと違って束縛感が薄いから、返答が遅れたり途中で座を外したりしてもあまり気にされないことだろう。

ある土曜日の午後に、息子と僕のあいだでこんなテキストが飛び交ったりする。

息子 「父さん、どうしてる?」
父 「おれは調子いいよ。 そちらは?」
息子 「芝刈り機を運転しててウルシにかぶれたらしく顔が倍に腫れちゃってる。」
(彼はアテネ郊外の大邸宅に住む老嬢に雇われて、庭の管理をしている)
父 「そうかそれはかわいそうだな。 父さんも子供の頃よくかぶれたけど、大人になってからは1度もないよ。」
息子 「今何してる?」
父 「テレビでテニスのUSオープン見てる。 錦織とカーロヴィッチ。 今回は錦織の調子がすごくいい。」
息子 「ああ、カーロヴィッチって2メートル10の大男だよね。」
父 「そうだ。 だけど彼はなぜプレス連中に Dr. Evil って呼ばれるんだろ?」
息子 「あれはね、コメンテーターのブラッド・ギルバードが映画のシリーズから付けたニックネームだよ。 異様に大男だから。」
父 「そうか。 たしかに身体といい顔といいテニスプレーヤーにはちょっと異様だ。 フランケンシュタインにそっくりじゃないか。」
息子 「あはは、その試合の結果は僕はもう知ってるけど言わない。 父さんはいつも1日遅れの録画しか見ないからね。」
父 「いや、これは錦織の圧勝だろうな。 賭けてもいい。」
(ここで息子の返信がしばらく途切れるので僕はそのまま続けて打つ)
父 「テニスといえば、おれはシンクレアのテニスのクラスを取ることにしたよ。 土曜の朝の9時からだ。 今日でもう3回目だ。」
息子 「それはいい! シンクレアなら新しいアパートから歩いても行ける距離じゃない。 それでクラスはどうだった?」
(ここで誰かがドアをノックするので、開けてみるとアマゾンからの小包が届く)
父 「いやあ、ちょっと参ってる。 別に年齢の制限とかは無いはずなのに参加者のほとんどがシニアなんだ。 まあ自分もシニアだから不満は言えないとはいえ、ちょっと程度が低すぎるんだな。 まず最初のクラスの日に、始まってから15分もしないうちに女性の一人が卒倒して床に寝たまま動かなくなったんで、救急車を呼んだり警察が来たりで大変だったんだ。」
息子 「まあ父さんもこのところ身体がナマッてるだろうからしばらくはそれでやってみたら? そのあとほかのクラスへ移ればいいじゃない。」
父 「うんそのつもりだよ。」

というぐあいである。
息子は自分の方から電話などまず掛けてこないくせに、テキストはこうして時々打ってくるのはなぜなのかは、何となく僕にもわかる。 電話で話す時のあの改まった緊張感を持たないで、気軽に呼びかけができるからだろう。
新しい電話でテキストメッセージをやるようになってから、息子だけではなく周りの人との対話がたしかに増えたのは喜ばしいことには違いない。


***



今日の写真はフィレンツェのピッティ宮殿の中庭をそぞろ歩きした時に撮ったもの。
なんて言えばカッコいいけれど、実はこれも我がアパートのコートヤードの壁に取り付けられた噴水なのだった。
ビルの管理人の話では魚の口からちゃんと水は出るそうだ。 誰も来ない庭に噴水を出すのも不経済だからと、ふだんは止めているという。
そしてこの噴水の壁の真裏にあるのは、ほかでもないわが家の寝室で、寝室の窓から首を出せばすぐそこに、シャチホコのような怖い顔の魚がいる、というわけなのです。





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朝の散歩

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川辺りの並木道




朝の散歩
なんて洒落たことを、生まれてこのかたやったことがあったろうか?
絶対になかったと自信を持って言い切れる。
それが新居に移ってから、ほとんど毎日やるようになった。
とはいっても僕が一夜にして粋な風流人に変身したわけではなくて、それにはちゃんと2つの理由があった。

一つは犬の散歩。
以前の家なら柵に囲まれた裏庭に出してやれば、犬が勝手に自分で用を足していたのが今度はそうはいかない。 1階のアパートだから簡単に外に出れるとはいっても、それでもパジャマのまま外に出るわけにはいかずちゃんと着替えてから犬を連れ出す。 前の家なら下手をすると昼すぎまでパジャマのままで机に向かっていたのにくらべると、着替えることで生活に区切りがついて、さあ1日の始まりだといやでも自覚するということを発見した。 そしてそれはまんざら悪い気分ではない。 いかにだらだらと区切りのない生活を長年続けてきたかを、殊勝にも反省している自分に気がつく。

朝の散歩をやるようになったもう一つの理由は、喫煙だった。
前の家では2階の角に小さなサンルームがあって、両側の窓を開け放したその場所が僕の喫煙室になっていた。 何度もブログの記事にした隣家のしだれ桜をすぐ目の前に眺めたあの部屋だ。 (今回の引っ越しでこの部屋の窓ガラスを掃除したら、なんともまあゲエっとするほど汚れていた)。

今度越してきたアパートはビル全体が禁煙というわけではないにしろ、部屋の中で煙草を吸わないとすると一々外に出なければならない。 中庭なら簡単に出れるけれど、残念ながらここは禁煙となっている。 それで仕方なくビルの横手のドアから駐車場に出ると、そこから川べりまではほんの30メートルほどの距離だから、ついそちらへ足が向いてしまう。 鉄柵にもたれて川を眺めながらゆっくりと煙草を吸っていると、昼間ならいろんな人がそこを通る。 犬を連れて散歩する人、ジョギングの若いカップル、バイクに乗った老人、子供連れの家族、そしてカートに家財道具を詰め込んで押しているホームレスらしい人もいた。 その誰もが僕を見て例外なくハイとかハローとか声を掛ける。 フレンドリーという点では前に住んでいた住宅街とは比べものにならない。

というわけで、喫煙は一々外に出なければならないから、座りっぱなしの状態が中断されて立ち上がって歩くという運動を強いられることになり、これも悪いことではなかった。 それと当然ながら煙草の数が減った。
でもこれじゃあ、冬は大変だなあ。 それまでにきっぱりと煙草を止められるかしら。
たとえ煙草を止めたとしても、パイ公の朝の散歩は止める訳にはいかない。 雪が積もった冬の朝の散歩には、今まで履いたことのなかったブーツも必要になりそうだ。





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やれやれやっと…

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窓の外には



引っ越しをした日からあっという間に10日が経った。
山と積まれたボール箱に囲まれてまず最初にしたのは、極端に限られたスペースの中でベッドを組み立てて、寝る場所を確保したことと、それから鍋釜を取り出してキッチンを何とか使えるようにしたあと、大統領選挙のニュースとリオのオリンピックを見るためにテレビを設定した。
それをやってしまえばあとは何も急ぐことは無し。 今のところ不便この上もない生活だけど引越し前と比べると精神的にはずっとリラックスしている。 あとは時間をかけて一つ一つ箱を開けていけばいい。

この3週間いやというほど肉体を酷使したせいか体重が3キロ減った。
なにしろそれまではろくに運動もせず、毎日たっぷり8時間の睡眠を取っていた僕が、この数週間は毎日5時間とか6時間の睡眠でやってきたので、その結果蓄積した疲労が完全に取れるまで、引っ越しを終えたあと数日を必要とした。 萎えていた両脚に筋肉が付いたのは気のせいではないようだった。


でも僕はこの新しい生活の場所がとても気に入っている。

朝目を覚まして寝室のベネチアンブラインドを開けると、そこには以前とはまったく違う世界があった。
再び、異邦人に戻ったような気がする。
新しい生活の始まりだ。





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古い手紙や書籍など…

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ものを処分するなかで一番頭を悩ませたのは古い手紙と書籍類だ。
手紙の方はまだ楽だった。
ともすれば感傷的になる心を鞭打って容赦なくどんどん捨てた。手紙なんて保存するのに大した場所を取るわけでもないのにそうしたのは、 新しい生活を始めようとしている自分にはもう必要がない、過去はもうその全部が胸の中に収まっている、とこれはコメント欄にムーさんが書いていたのとまったく同じ気持ちだった。

ところが本となるとそうはいかない。
処分しないで保存しておきたい本が思ったよりもずっと多かったが、このフランクリンの世界文学全集はその中には最初は入っていなかった。 立派な装丁のこの本は70年台の貧乏の時代に、毎月1冊ずつ取り寄せたもので全部で40冊ほどある。 途中で止めてしまったのでもちろん全巻が揃っているわけではない。 どの本もまるで昨日買ったばかりの新品に見えるということは、あまり開かれたことがないということになる。 引っ越しで持ち運ぶにはあまりにも重すぎるし、今後こんな古典を改めて読むことは自分にはもう無いだろうということもあって、誰かに貰って欲しいと思ったが欲しがる人が周りに誰もいなかった。 図書館にでも寄付するしか無いかなあ、と思いながらその一冊を手に取ってパラパラめくってみると、至る所にすばらしい挿絵が入っていたのを思い出した。 一冊一冊が違うアーチストでそれぞれスタイルも大きく違い、絵を見るだけでも実に楽しい。 この挿絵だけでも保存する価値はある。と思い直して箱に詰めていった。
新しい住居に落ち着いたら、この絵を1冊ずつ丹念に見ていくのが楽しみだ。





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新しい生活へ向かって

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表玄関



前に 『中庭のある生活』 で書いたあの1階のアパートが僕らのものになった。
僕らより前にすでに手続きをした1組がいたのでほとんど諦めていたのが、ひょんなことからこちらに回ってきたのにはちょっとした経緯(いきさつ)がある。
つい先日このビルの事務所から連絡があって最上階のペントハウスが空くことになったので、見てみないかと言う。 彼らとしてはわれわれと同様に1階のアパートは最初の1組に決まると見ていたので、今回の新しい物件はわれわれを優先して最初に知らせてくれたらしかった。
そこでさっそく行ってみると…

ビルの最上階 (といっても13階建てのわりと小さな建物なんだけど)の このペントハウスは東向きに部屋が並んでいて、そこからの町全体を見下ろす眺めはたしかにすばらしかった。 部屋数が2ベッドルームに2浴室、それにリビングルームとキッチンというのは1階と同じだが、全体のスペースは1階のそれよりも少し広いだろうか。 日当たりが良いというのが大きな魅力だったが、1列に部屋を並べただけの間取りは、L字型に配置された1階とちがってなんとなく趣きのようなものに欠けていた。 ここではいったんドアを閉めてしまえばそこには外界と完全に遮断された密室があって、外の自然に触れたいときには、エレベーターの中に長いあいだ自分を閉じこめなければならない。 1階のアパートのような、窓の外には常に中庭が見えていて地面に近く生活をしているという安堵感のようなものがなく、そのまますぐに自然の中へ出れる便利さもなかった。 しかも家賃は1階よりも3割増しに近い。
僕らのあいだでは議論の余地はほとんどなくて、「No」 を出した。

ここまで書けば頭のいい読者はすでに事情を察したと思う。
そう、1階のアパートに唾を付けていたあの1組が、僕らのあとにここを見せられてその場で気に入ってしまい、即座に決めてしまったそうだ。 そのおかげで1階のアパートがこちらにまわってきた、という僕らにとってはラッキーな展開になったわけである。


事務所では7月18日を入居日にしたいといっている。
われわれとすればそれはもちろん不可能に思えるが、事務所側ではそれを延ばすことはできないという。 いったん借りてしまえばあとはいつ入居するかはこちら次第だから、7月18日から借りることにして、実際の引っ越しは8月1日ということになるだろうな。
あと1か月とちょっと。

さあ、忙しくなりそうだ。


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裏へ出れば…





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長い眠り

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古い帳簿



わが家の地下室の片隅に小さな部屋がある。
物置として使っているその部屋には、昔やっていた木工の工具だとか写真用暗室の器具などがぎっしり詰まっていて、もう何年もそのドアさえ開けたことがなかった。 それが今回、引っ越しという大事件が起こりつつある中で、このドアを開けなければならない状態に追い込まれ、中に入っているものを一々調べ始めた。 リョービ製のテーブルソーや電気カンナ、ルーター、ドリルスタンドなどのパワーツールから、十何本もの大小のクランプやノミ、手鋸など、よくこれだけ揃えたものだ、と自分でも驚くほどの数の工具が出てきた。 それに加えて写真の引伸し機や乾燥機、マウントプレスなどもある。 昔さんざん使いこなしたものばかりでその一つ一つに思い出があり愛着があった。 思わずセンチメンタルになってしまう自分を、いけないいけないと叱りながらも作業はなかなか進まない。 おそらくもう2度と使うことはないだろうと思うと、重ねてきた年月の重さに、つい動作が止まってしまうのだ。

すべてを処分してしまうつもりだった。 捨てるものはほとんどなく、貰い手を見つけるのは難しくないだろうと思われるものばかりである。
そんな中に、見覚えのない小さな段ボールの箱を見つけた。 開けてみると3冊の使い古された帳簿のようなものが入っている。 明らかに僕のものでも家族のものでもなかった。 どこから紛れ込んだのだろう? 20年前にこの家へ越して来た時に、すでにそこにあったものに違いなかった。 手書きの帳簿のようなその本には日付や人の名前、それに金額の数字がぎっしりと書かれていた。
日付を見て驚いた。 1885年から1887年までの3年間となっている。 なんと130年前の記録なのだ!
それにしても何の帳簿だろう? 店のオーナーが金銭の出納をきちんと付けたように見えるが、それにしては売れた品目の名前などいっさいなくて、そこにあるのは人の名前だけ、というのが不思議だった。 と思いながら丹念に1行づつ読んでいくと、あったあった! ところどころに品目が書かれているじゃないか。 「1/4 ポンドのジンジャー … 10セント」 とか 「桃1缶 … 15セント」 とかがそれだった。 そうか、これを書いた人は町の食料品店の店主だったのだ。 その頃は買い物をして一々現金で払う客と(By cash とあるのがそれ)、ツケで買う客との二通りがあったようだ。 左欄がツケの金額、右欄が現金の売上げのようで、月末には左欄を総計してそれぞれのツケの客へ請求をしたのだろう。

上の写真に見える1886年といえば日本は明治19年。
その数年前に日比谷に鹿鳴館が建てられて西洋風の舞踏会が盛んに催され、当時の外務卿であった井上馨は欧化政策に失敗して1887年に辞職している。
そんな頃にこのオハイオ州の一都市で商売を営んでいた人の息子か孫かが、僕らが20年間住んだこの家の持ち主だったのだろうか。 家が建てられたのが1920年代だと聞いているから、それで辻褄は合うことになる。 そのあと、1996年に僕らがこの家へ越してくるまで、どんな持ち主の変遷があったのかは知る由もないが、その長いあいだ、この帳簿はずっとこの地下室に眠っていたに違いなかった。 それが130年ぶりに人の目に触れたことになる。 長い眠りだ。


この3冊の本が郷土史の資料として貴重なものなのか、それとも何の値打ちもないものなのか。
まったくわからない。
さて、どうしよう。

というようなことで、家の整理などまったく進まないこの頃だった。







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中庭のある生活

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石の中庭
Haute-ville, France



アパート探しが続いているこの頃、ようやくこれは、と思う物件に行き当たった。
さっそく申請料と頭金をうったのはいいが、ここに決まる確率は半々というところだろうか。 というのは、われわれの前に一組の借り手がすでに興味を示して同じ手続きをやっているので、彼等がほかのアパートに決めないかぎりこちらの番が回ってこないのである。
このアパートは市の歴史的建築物に指定されているというどっしりとした古いビルの1階にあり、そのビルはデイトンのダウンタウンを抜ける大きな川の畔に建っている。
まず1階というのが気に入った。 ビルの表玄関から重いガラスのドアを開けて守衛室の前を通り、感じの良い画廊を思わせる広いロビーを抜けて、二基のエレベーターの方へ歩いて行き、その横の通路へ入ると突き当りにこのアパートのドアがあった。 エレベーターを使うこと無しに簡単に外への出入りができるのが気に入った。 ビルの裏口から外へ出るとそこには大きな川が流れていてちょっとした公園のようになっている。 川に沿って散歩道とバイクルートがあった。 ビルの表玄関からは劇場やコンサートホールや飲食街までほんの数ブロックで、簡単に歩いて行けるのも、長いあいだ遠ざかっていた都市生活をエンジョイできそうだ。

われわれの見たこの1階のアパートは小さなコートヤードに面していて、L字型に配置されたどの部屋からも窓の外には石畳の中庭が見えて、水の出ていない噴水さえあった。 そこには鉄製の丸いテーブルやチェアーが幾つか置いてあり、部屋の中から見るその光景に、一瞬ヨーロッパのどこかの町にいるような錯覚を覚えた。 担当者の話ではここに降りてくる住民はほとんどいないそうだ。 庭への出口のドアは部屋のすぐそばにあるから僕ら専属の中庭のように使っていいと言う。 ラップトップを持ち出せばここで仕事もできそうだし、女房もイーゼルを組み立ててここで絵を描くという想像さえできた。


ビルの経営者からの連絡を待つあいだ、わが家では家の整理が進んでいる。 といっても気の遠くなるような大作業で、あい変わらずのろのろだ。 でもこのアパートが決まれば一大奮起できるかもしれない。



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歳をとったのかなあ (その2)

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自画像



この骨董屋はふだん余り足を向けることのない地域にあるので、たまに他の用事で近くまで来た時には時間さえあればのぞいて見るようにしている。
先日そこで目にしたのがこの置物だった。 6x9cm の木の台座に、見れば見るほど精巧に作られたミニチュアが乗っていて、ブルー系の色も綺麗だし、何よりも、自画像と題しながら本人とはまったく別の顔がキャンバスに描かれているのがおもしろい。 それをただのユーモアと取るか、もっと深く人間の潜在意識の描写が芸術だ、などと小難しく解釈するかは人しだいだろうが、僕はいっぺんで気に入ってしまった。 よく見るとキャンバスにピカソやレンブラントの自画像が貼り付けてあるのもいい。
そして $15 の札が下がるその置物を持ってレジスターへ立った時、僕はポケットに財布が無いことに気がついた。 家に置いてきたのだ。 ということは免許証も持たないで車を運転してきたことになる。 この骨董屋の女主人は50代のハッとするほど凄い色気のあるいい女で、僕がここへ来るのは売り物を見るためなのか彼女の顔(と身体)を拝むためなのか、自分でもわからない。 その彼女に訳を話して品物をリザーブしてもらい、急いでうちへ帰り、またいそいそと彼女のところへ取って返してようやく自分のものにしたのがこの置物というわけだった。

財布を持たないで外出するなど、以前ならまずなかったことが最近は時々起こるようになった。 それ以外にも 「ボケてきたのかなあ」 と思うことがいくつかあるのに気がついた。
そう言えば 『歳をとったのかなあ』 というタイトルでブログ記事を書いたことがある。
あれを書いたのはかなり以前のことで、今読み返してみて気がついたのはあれからもう5年以上たった今でも、そのほとんどは現在の僕にあいかわらず当てはまる。 ところが当てはまらない部分も出てきているしさらに新しく付け加えなきゃならない事実もある。 それはそうだろう。 なにしろあの時よりさらに5年分だけ墓場に近づいているわけだから。
つまり、『歳をとったのかなあ』 には改訂版が必要なのだ。 いや改訂版ではなくて増補版と呼ぶべきか。

まずあの時の記事をここにもう1度挙げてみると…


歳をとったのかなあ、とこのごろ思うのは、

・ マテニーが昔のように超ドライで飲めなくなったとき
・ 立ったままで靴下をはくときに片足でバランスがとれずよろめくとき
・ 運転中に大胆な追い越しや割り込みをしなくなったとき
・ 心の優しい醜女に魅力を感じたとき
・ 自分ほどテニスのうまくない30代の男性にシングルスで負けたとき (悔しくて夜眠れなかった)
・ 30年前に絶交した友の顔を懐かしく思い出すとき
・ 女性のヌードを見て純粋に芸術的に美しいと思うとき
・ しょうもないメロドラマを見て涙が溢れそうになるとき
・ 起ち上がるときに思わず 「よいしょ」 と声をかけているとき
・ 自分の容貌や服装が以前ほど気にならなくなったとき
・ 雲の流れや月の満ち欠けを時間をかけて眺めているとき
・ 自分の子供たちと電話で話しているときの声が以前よりも優しくなっているのに気がついたとき
・ 英語でファックとかシットとか汚い言葉を発言する回数が減ってきたとき
・ はらわたがちぎれるように怒っているのにニッコリと笑えるとき
・ 医者が次回の健康診断の予約を1年先に取ってくれたときに、それまで生きていたら、と冗談で答えたとき
・ パーティですご~く魅力的な女性が自分に強く関心を示しているのを軽く受け流せたとき
・ 老成した作家の名作が自分の歳より若いときに書かれたことを発見したとき



この中で1つだけ変わったのは、「自分の容貌や服装が以前ほど気にならなくなったとき」 という項だった。
5年後の現在、なぜなのか自分の容貌や服装が急に気になり始めたのである。 髭だって毎日ちゃんと剃る。 別に外出するわけでもないのに。 そして汚れたものを以前ほど平気で着ることができないようになった。 鏡なんてまず覗いたことのなかった僕が、今では1日に1度は鏡で自分の顔を見つめたり、外出前に等身大の鏡で全身をチェックするようになった。 この歳になって人の目を気にするようになったのは進歩なのか退歩なのか自分にもわからない。

というわけで上記のリストにさらに加えなきゃならないものの幾つかは…

・ 買い物をしていて、金を払う時になって財布を持っていないことに気がついたとき (これが今日の記事のこと)
・ 日常の会話やメールの文中で、「…だと思う」 とか 「…かもしれない」 という婉曲な表現が消えて断定的に言い切っている自分に気がついたとき
・ 急に思い出したことがあって急いで階下へ駆け降りたあと、何しに降りてきたのかわからないとき
・ 信号無しの横断歩道で犬を連れて立っている僕を見て、通りがかりの車が止まってくれたとき (サングラスをかけていたのでもしかしたらメクラと盲導犬に見えたのかも)   
・ 店屋の入り口で前にいる若い女性がドアを支えてにっこりと僕を優先してくれたとき
・ 風呂上がりに体重計に乗って体重が減っていないのを見てほっとするとき (増えているともっと嬉しい)。
・ 昔懐かしい映画俳優や有名人をテレビで見て、その加齢ぶりに息を呑んでしまうとき




歳をとったからといって人を愛せなくなるということはないわ。
でも、愛することで歳をとらないということはありえるわね。
ジャンヌ・モロー (1928 -)





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引っ越し嫌いの僕だけど…

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雨の葉桜



雨の日の朝、隣家の枝垂れ桜がびっしりと若葉をつけているのを見て、嬉しくなる。
しばらく前に満開の花を見ていた時には、その風情がなんとなく元気がなく、花の数も少なめで爛漫という感じからは遠かった。 やはり老樹だから仕方がないのだろう、人と同じで盛りを過ぎればあとは衰えていくのを待つだけなのかと、寂しい気持ちにさせられたばかりだったから、こうして隣家も空も見えないほど隙間なく密に茂った元気な葉桜は、僕を喜ばせた。

こうやって窓越しに隣家の枝垂れ桜を眺めるのは今年が最後かもしれない。
というのは、わが家では引っ越しの話がまたまた持ちあがっていて、もうすでに幾つかのアパートを見に行っている。 そのどれも高層ビルの中の住居で庭もポーチも無い、 (ベランダは付いているけど)。 われわれが最低条件に上げているのは、うんと広いリビングルームにベッドルームが2つ、浴室が2つ、それに今よりもずっと大きなキッチンを備えていることだった。 そんなの贅沢だと日本の友人たちは言うかもしれないが、そうは思わない。 リビングルームは女房のアトリエも兼ねるだけのスペースが必要だし、ベッドルームの1つは僕の仕事部屋になる予定だった。 浴室が2つ欲しいといってもその1つはバスタブの無いトイレとシャワーだけ、つまり不動産屋がハーフバスルームと呼ぶあれでかまわない。 アメリカではベッドルームが2つ以上のアパートで浴室が1つだけというのはまずないからだ。 キッチンも今の古い家のキッチンがあまりにも狭いのに改造のしようがなくて長年我慢をしてきた。 だから今回の僕らの望みはけっして贅沢ではないのである。

そうやって探し始めてみると我々の条件を満たすアパートはけっこう多くあって、そのどれも近代的で機能的で快適に暮らせそうな場所だったが、今のところ、これはというものにまだ行き当たっていない。 僕がいいなと思うものには女房が異論をとなえ、彼女が気に入っているのにこちらが気が進まず、というぐあいである。 そしてほぼ完璧に二人を満足させる住居が見つかったと思ったら、その地域が感心しない環境だったり、不便な場所だったりする。

引っ越しの話は数年前から何度も持ち上がっていたが、いつも話だけに終わってこうやって積極的に探し始めたことは今までなかった。 今回は実現するかもしれないという気になっている。 なにしろ建てられてから80年以上も経つ古い家にもう20年住んでいるから、あちこち具合が悪くなるのはしょっちゅうでその修理が大変だし、大きな庭の手入れをするのもわれわれには年々きつくなってきた。 子供たちが出て行ったあと使わない部屋やスペースが多すぎる。 もっと以前に移るべきだったと思いながらそれをしなかった理由はただ一つ。
昔から僕は引っ越しが大嫌いなのだ。





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夢一夜

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 アーチ、噴水、石畳
Seguret, France



このところ毎晩のように夢を見る。
以前よく見た夢のように刹那的で筋の通らない夢とちがって、近頃の夢は一つの話に定着してちゃんと物語になっている。 目が覚めたあとでも実際にその物語を経験したような生々しい現実感があり、あらためてその話を最初から克明に反芻することができた。 まるで自分が違う世界へ行って違う人生の一部を生きたあと、またこの現実へ呼び戻されたような奇妙な気分である。
おかげで最近は眠りにつくたびに、今夜はどんな世界へ連れて行かれるのだろうと楽しみにするようにさえなった。 こんなことは今までになかったことだ。
それというのはたぶん、掛かりつけの医者に最近なかなか寝つかれないとこぼしたら、処方してくれた軽い睡眠薬を服用し始めたせいのようだ。


ゆうべはこんな夢を見た。
僕はあの南フランスの山の上の小さな村、セギュレの石畳の路を歩いていた。
ひとりではない。
ふたりの連れがいてそのふたりはもう何年も連れ添った夫婦のようだった。 その見知らぬふたりを、この村へはもう2度も来たことのある僕が案内しているというわけでもなく、むしろふたりの後について曲がりくねった細い路を登っていた。





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村の夕暮



このふたりと僕は友人でも知り合いでもないのに、どうも奇妙な関係にあるようだった。 男はがっしりとした大きな体をしていてほとんど口をきかない。 細身の女の方は時々男に話しかけたり振り返って僕がちゃんとそこにいるのを確かめたりするのだが、そんな時、僕を見る女の眼が何かを訴えるかのように妙に熱っぽい。 おや、この女、俺に惚れてるのかなと思わせるような色っぽい微笑を見せたりする。
女は自分の好みのタイプではないし、そばにいる亭主らしい男はなかなか恐そうだ。 にもかかわらず、この触れなば落ちん風情の女にこれ以上誘われたら拒むことができるだろうか。 と思いながら僕は女のくびれた腰から視線を外して遠くの山脈にかかる雲を見ている。





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教会


山上の小さな教会に辿り着く。
何百年とそこに建っている教会のドアは重く、男と僕とが二人がかりで押してようやく中へ入ることができた。 うしろから入って来る女が僕の背中へそっと手のひらを当てるのを感じた。
燭台が幾つか灯されただけの薄暗い教会の中で、やがて男と女が抱き合ってダンスを始める。 音楽はない。
そのすぐ傍にぼんやりと立っている僕を、がっしりとした男の肩越しに女がじっと見つめている。 そしてこちらへまっすぐ手を延べてきた。 僕はその手を握りながら、ああこの女とは寝ることになるな、とはっきりした予感に襲われる。 それは嬉しいというよりはどちらかと言うと 「困った…」 という気持ちに近かったようだ。
僕は女の汗ばった手の平を離すとそのまま教会の外に出た。 石だらけのゆるい坂道をひとりで下りて行った。




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石の坂道



*****






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Dayton, Ohio, USA



右眼を手術してちょうどひと月が経った。
きのう診察してもらったらすべて順調で腫れも完全に引いている、あとは1週間のあいだ目薬を日に2度入れ続けろ、と言われた。 そして新しい眼鏡を作るための視力検査をしてもらう。 その結果、今の状態なら眼鏡無しで立派に運転免許証の試験をパスできると保証してくれたのは嬉しいが、このひと月すでに眼鏡無しで車を運転している僕は、はるか遠くの看板が見えにくいことを知っているので、そのためにも新しい眼鏡を作るのが待ちきれなかったのだ。 ところが医者が言うには左眼はまったく度が進んでいないからレンズの入れ替えは必要無い、今のままのフレームの右眼に新しいレンズを入れればいいじゃない、安上がりで良かったねと人の懐を見透かしたようなことを言った。 新しいフレームを買うことを予想していた僕はちょっとばかり失望したとはいえ、まあ余分なことに金を使うことはないか、と医者の言うことに従うことにした。

書いてくれたレンズの処方箋を手にしてその足で眼鏡屋へ行った。 1週間でできるという。
このひと月、眼鏡無しで不自由なく動き回れるのは嬉しいことだったが、なにしろ不便だったのは本を読んだりPCのモニターを見る時にはリーディンググラス、つまり老眼鏡をかけないとまったく何もできないことだった。 バイフォーカルの眼鏡に馴れた僕は一々かけたりはずしたりするのが面倒でしょうがない。 外に出る時も老眼鏡を持っていないと、店屋で値段表も見れずレストランでメニューも読めない。 そうか、細い老眼鏡を鼻の先までずらして掛けっぱなしにしている人をよく見かけるのはこれだったんだと納得する。 あれは高齢者の勲章のようにいつも思っていた自分も、今はその勲章をもらってしまったのか、とこれもまた寂しく納得した。 しかし何よりも腹が立つのは、写真を撮る時にファインダーを眼鏡無しで覗けるのは嬉しいとして、カメラの設定をあちこち変える時に機体の字や数字がまったく読めないからそこでまた老眼鏡を掛けなければならない。 そのあとファインダーを覗く時にはまた眼鏡をはずす、というバカバカしくて滑稽な動作を繰り返さなければならないことだった。
ああ、早く眼鏡ができて欲しい。



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