過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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大納言とのめぐり逢い

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僕のお汁粉



あんこのフェティッシュと自他共に認めている。
あんこを使った和菓子類には目が無い。 日本にいた頃からそうだったのが、アメリカに住んでふだんは和菓子の手に入らない生活を長く続けてからさらにそのフェティッシュがひどくなった。 たまに帰る日本では東京でも郷里でもお汁粉屋や和菓子屋の前を通るとそのまま通り過ぎることができない。 とくに好物があるというわけではなくて、お汁粉をはじめ桜餅、きんつば、最中、鯛焼き、どら焼き、等あんこを使ったものならなんでもござれだ。 ただしあんこはこし餡じゃなくてつぶ餡に限るけど。


圧力鍋を手に入れるまでは、あんこを自分で作ってみようなどと思ったことがなかった。 小豆を一晩中水につけたりふつうの鍋で長時間コトコト煮るなど、どう考えても実際的ではなく面倒そうだったからだ。 それで今まではあんこといえばいつも日本食料品店で缶詰を買っていたのだがこれがちょっと甘すぎるのとしかも値段がかなり高い。 よし自分でやってみようという気にようやくなった。
インターネットでは圧力鍋で作るあんこのレシピはいくらでも出てきて、適当なのを選んで試してみた。
小豆は直前によく洗うだけで水に漬ける必要はなく、加圧を15分したあと自然に蒸気を抜いて蓋を開け、砂糖を入れながらさらに煮詰める。 これなら僕にでも簡単にできそうだ。

まずかんじんの小豆。
ふだん行くアメリカのスーパーマーケットで袋入りの Red Beans(小豆) を見つけたのでまずはこれでやってみたら、見事に失敗した。
まず15分の加圧では小豆が柔らかくならず、もう1度蓋をしてさらに10分炊いた。 柔らかくなった小豆に砂糖を数回に分けて入れる。 砂糖の量は豆と同量というのが常識だけれど、甘すぎるのを嫌って量を減らす。 そこまでは良かったが…
できあがったあんこは、まずその色がまるで黒豆のように真っ黒なのに驚いた。 これじゃ Red Beans じゃなくて Black Beans じゃないか。 そして食べてみると、小豆の味も何もなくただ砂糖の甘さがあるだけである。 そうか、アメリカのレッドビーンズというのは日本の小豆じゃないんだとここでようやく気がついた。

そこで僕は車に飛び乗るとハイウェイを25分すっ飛ばして町をいくつも越えたところにある日本食料品店 N へ行く。
以前わが町にあった 「小山商店」 が10年前に閉まってからはここが僕にとっては一番近い日本となっていた。
そこで見つけた小豆はたしかにアメリカのレッドビーンズより小粒で色もずっと赤かった。 今度は15分の加圧時間を25分、砂糖の量は小豆の70%、とその変更をレシピ帳には忘れないように書き込んで再度の挑戦に挑む。 1度蓋を開けたあとは火をうんと弱くして砂糖を加えながら煮込む。 15分ほどで良い感じになる。 仕上がったあんこは思わず膝を叩いたほどいい味が出ていた。


あんこはそれで完成。
さて次はお汁粉のための餅である。
長いあいだ巨大な餅つき器で作っていた餅はほんとうに美味しいと思っていたが、ある時、冷凍の餅を店で買ってみたらこれが意外と良かったのでそれ以後はこればかりである。 古い餅つき器は引っ越しの時に日本人の知人へ譲ってしまった。
この1個づつ真空パックされた冷凍餅は、茹でたり電子レンジで解凍したりしてみた結果、お汁粉にはやっぱりオーブントースターで焼いてやるのが一番美味しいという結論に達した。

というわけで僕は、好物中の好物であるお汁粉はあんこを少し大量に作っておいて3日に1度は食べている。
ところでつい先日、同じ食料品店で北海道産の大納言を初めて見つけた時は思わず、おお? と声が出た。 値段がふつうの小豆の3倍もするけどそれはこの際無視をして、目覚めたアーチストとしての本能に従おう、と3袋買い入れた。
今のあんこが切れたら次は大納言だ、とまるで日本熟女とのデートを待つような楽しみである。
そのためにも早く今のあんこを終わらせなくちゃ。






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蒸す、ということ

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僕の半熟



前回に続きまたまた圧力鍋について…

購入してから2ヶ月のあいだにいろいろなものを作ってみて、成功も失敗もあったけどその中でとくにこれはいいと感心したものを挙げてみよう。

まずゆで卵。
毎朝必ず食べるゆで卵だが鍋でふつうに茹でるとけっこう時間がかかる。
それが圧力鍋では数分で完璧に自分好みのゆで卵が仕上がるので僕はホクホクである。
僕のゆで卵は正確に言えばゆで卵じゃなくて蒸し卵と言うべきだろう。 圧力鍋のそこに1センチほどの水を入れ付属品の短い脚と蒸籠(せいろ)にあたる穴開きのステンレスを乗せる。 その上に冷蔵庫から出したばかりの卵を乗せて(そう、室温に戻す必要無し)蓋を閉め高圧にセットして強火で開始。 2分足らずで蒸気が出てくるから火を弱めタイマーを4分にセットして圧力を加える。 4分経ったら火を止めそのまま1分間置いたあと流しで上から冷水をかけて強制終了する。 すぐに蓋を開けて取り出した卵を水で冷やせば、僕の好物の半熟卵があっという間(正確には7分以下)に完成というわけだ。 殻がスルリときれいに剥けるのも嬉しい。
こう書くといとも容易に成功したように見えるけど、実はここに到達するのに数日を掛けて卵を10個以上食べなければならなかったのは、好みに仕上がらなかった失敗作も捨てるわけにはいかなかったから。


今まで 「蒸す」 と言う料理をやったことがなかった僕が、圧力鍋を使うようになってからいろいろなものを蒸すことを覚えた。
特に野菜類は蒸してやると茹でるよりも美味しくて新鮮さが保たれる。 手当たり次第に蒸してみて中でも気に入ったのは、サツマイモ、なすび、椎茸、など。

肉類はまだ蒸したことがないが、魚類は蒸してみると僕には味がおとなしすぎる。 特別なソースを用意しない限りこれは焼き魚には勝てないな、と思った。
そのうち、蒸し料理のキングである中華に挑戦してみるつもりです。






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新しい大人のおもちゃ

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ティファールの圧力鍋



圧力鍋なるものに興味を持ったのにはきっかけがあった。
美味しいご飯が食べたかったからである。
我が家ではもう何十年と炊飯器を使っていて、それで作るご飯にずっと満足していた。 ところが2年ほど前にその炊飯器が壊れた時に新しく購入したのが今の象印の炊飯器なのだが、実はこれで作るご飯が美味しくないのである。 安っぽい薄っぺらなアルミ製の内釜が原因じゃないかと思うが、炊きたてのご飯もあまり美味しくなければ、それを保温するとさらにもっと不味くなる。 もちろん米の品種には関係なく、である。 そこで新しいアパートに移った時に備え付けのIH(インダクション・ヒーティング)のグリルに普通のステンレス製の鍋で米を炊いてみたらこちらの方がうんとずっと味が良い。 それ以後は炊飯器をクビにしてもっぱら鍋でご飯を炊く習慣になってしまった。

ある時、最近の日本ではキッチン内の場所を取る炊飯器をやめて、圧力鍋でご飯を炊く家庭が増えているという記事を読んだ。 さらに、圧力釜で炊くご飯は時間がかからないだけじゃなくて、もちもちとして美味に仕上がる、と知った時に、「よし、これだ」 とばかりにこのティファールの圧力鍋を買うことにした。 もちろん、米だけじゃなくて他の料理も試そうという気があったわけだけど、当面の目的は炊飯器としてまず使おうというのが最初の意図だった。

圧力鍋で最初に炊いたのは新米のコシヒカリ系の上級種で 『かがやき』 という米だったが、その結果に満足しなかった。
モチモチし過ぎてまるでもち米を炊いたような感じにできてしまった。 女房は美味しいと言って食べたが、どちらかと言えば硬めでシャッキリとしたご飯を好む僕が思ったのは、これなら今まで通り鍋で炊いたほうがずっと美味しい、ということだった。
我が家ではふだん米は多めに炊いて残りを冷凍する習慣だが、この圧力鍋で炊いたご飯は冷凍したものを解凍すると、まるで糊みたいにくっついて、それを温めたものを食べてみるとまるで餅を食べているような感じである。

これはダメだ、とまたまたご飯は普通の鍋で炊くことになった。
鍋でご飯を炊く事自体は僕にはまったく苦にならない。 炊き上がるまで火から目が離せないという事を除けば。
それだって時間は有り余るほどある僕にとっては切実な問題じゃない。

ということで、この圧力鍋という新しいおもちゃとこれからどう遊ぶか、という新しい課題ができてしまった。






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この頃のこと

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冬の狐
By Green Eyes



「いったいどうしちゃったのよ?」 と皆に訊かれる。
とくに落ち込んでるというわけではないけど、と言って毎日が楽しくて溌剌と生きているというのからはほど遠い。
喫煙を止める前の名残りで喉に付着していた薄いポリープを手術で取り除いたあと、まだ発声は完全に元に戻ってはいないとは言え、経過は順調である。 ほかには健康的にこれといって心配しなきゃならない個所は無いので、この年齢でこれ以上ラッキーなことは無いと喜ぶべきなのだろうに、素直にそれができないところに僕の問題がある。 そしてその問題はまちがいなく 「自分が老いてゆく」 という厳然とした事実に因しているようだ。

「老い」 はまず身体に現れた。
テニスをやるたびにそれを感じるようになった。 萎えた脚は筋肉が嘘のように削がれて悲しいほど細くなり、以前のスピードを完全に失った。 反射的なダッシュはいまだに健在ながらボールまでの疾走が極端に遅くなり、自分がヨタヨタと走ってるという自覚に常に付きまとわれる。 当然ながら持続力が無くなり長時間のプレーが身体にこたえるようになる。 サーブを始め打球の速度が半減したのはこれも腕の筋肉を失ってしまったからだった。 筋肉のトレーニングをやればいいんだけど(アパートのビル内にはエクササイズルームがある)それもめんどうなのは、走ったり歩いたりと同じで単調な運動が昔から性に合わないのだ。 自転車のように次々と目の前の風景が変わるものならやる気になるけど。

身体がどんどん老いてゆくのと同時進行で精神も着々と衰えていっているのを感じる。
こちらの方は肉体の衰えほどハッキリと表れないだけ始末が悪い。 持久力が無くなったというか気が短くなったというか、何をやってもすぐに飽きる。 本を読むなどという辛抱強さを失ってしまったようで、本どころか映画を見ても音楽を聞いても途中でストップすることが多い。 文章を書くのが面倒になってブログなどの短い記事を作るのに何日もかかったりする。 メールの返信は必要最小限のものだけ、しかもこれ以上簡単にはならないと思うほどおそまつになった。 いや返信を書くのはまだ良い方で親しい友人などにはその返事さえ怠けて失礼してしまうのがしょっちゅうとなった。 みんなが心配してくれているのにそれにさえ答える気力がない、というのはいったい俺はどうしてしまったのだ? これはまずい。
と思いながら僕の言い訳は一つだけ。

僕は冬眠中なのです。 春になれば目が覚める。 そしてごそごそと穴から這い出して来る。 きっと…





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元日の朝は…

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戌年の初め
By Green Eyes



元日の朝、目が覚めると、常時23℃ に全室自動設定してある天井のヒーターから温風が吹き出しているのはいつもと同じだが、いつもなら1分もたてば常温に達して温風が止まるのに、今朝は何分たっても止まらない。
これは外の温度がかなり低いな。 と携帯電話でこの地域の気温を見るとなんと零下18℃! これはたぶん今年の冬の記録じゃないだろうか。 これだけ寒いともう雪も降らない。 きのう大晦日の朝に降った雪が地面に少しだけ積もったままコンクリートみたいに固く凍っていた。 その上を犬といっしょに用心深く歩く。

そういえば今年は戌年だなあ。
動物好きの絵描きさんの作品では犬には事欠かない。 これは一番最近描かれたものでうんと大きくポスター大にプリントしたらなかなか迫力があった。最下段の中央にいるのがうちのパイシー(パイ、パイ公、パイたん、パイパイ)なんだけど、この子ももう13歳で人間の年齢に換算すれば僕とぴったり同い年となる。 「お互いに助け合って生きていこうぜ」 などと話しかけてもキョトンとしてる動物の悲しさ。 それが哀れでもあり可愛くもある。


去年は幾つかのことが起こった年だった。
列記すればけっこうな数になるが無理をして絞っていくとそのトップ3は…

1、叔母の死
僕ぐらいの年齢になると周りで次々と人が逝くのはこれは世の習いで、昨年はまずアメリカの義母が1月に亡くなり3月には日本の叔母が急逝した。 そのあと早稲田の仲間だったYや先輩数名の死を知ったりして、その度に寒々とした気分に陥ることにいつか慣れてしまったようだ。
中でも叔母の死が僕の日常生活にもっともインパクトを与えたのは、日本で最後の血縁を失ってしまったというだけではなく、その結果、遺産相続という面倒な法的処理に巻き込まれることになったからである。 これはまだまだ続きそうで、依頼した行政書士では手に負えず、今年は弁護士を雇うことになりそうだ。
そのために今年も数回にわたって帰国することになりそうで、これは嬉しい。

2、ニコチンとの訣別
なにしろ50年以上にわたって毎日1日も欠かさず煙草を吸い続けてきたことを考えれば、その習慣を変えることはこれはたしかに大事件には違いない。
まず何よりもかんじんの身体の方がびっくりしてしまい、いきなり絶たれたニコチンを求めて一種の禁断症状に陥り、鬱病みたいな状態になった。 そしてその状態から少しづつゆっくりと抜け出して来たものの、今もまだ時々は気分がかなり落ちる。 ただし、煙草を吸いたいという欲望はなくなった。 時々ぼんやりと煙草のことを考えているのは、吸いたいというよりは長年身に付いた習慣から来るのだろう。 そしてこれは何よりも重要な事だけど、煙草を断ってから身体の調子がすごく良い。 食欲があり体重が2キロ増えたのは喜ばしいことだ。

3、『過ぎたこと、過ぎて行くこと』 最初のオフ会
これを3位に持ってきたことに驚く読者もいるかもしれない。 でもそれほど僕にとっては意義のある大きなイベントだった。
だいたい50年近くをアメリカで過ごした僕にとって日本人のサークルは驚くほど貧弱だ。 郷里を中心とする幼馴染か、大学時代の音楽仲間がその大部分を占めていてそのどちらも現在の僕と日常的な意味での接触はない。 それとくらべて、ブログの読者とはほとんど毎日といってよいくらいの頻度でコンタクトがある。 コメントも何もなくてもブログを訪ねてくれるだけで僕にとってはまたとない励みとなってきた。 そしてその中の数人の人達とのコメントのやりとりが、僕にとって唯一の日本への窓口だったのである。
言い換えると、現在の僕を他の誰よりも一番よく知ってくれているのはこの数人の読者だというわけだ。
その人達にとうとう会える!
眼と顔を見ながら会話ができる!
僕が興奮しないわけはなかった。

オフ会の結果は僕自身の酷い風邪のおかげで中途半端に終わったものの、皆さんに会えたこと、ふだんあれほど顔を見たいと思っていた人に会えたこと、が僕にとってどれだけ大きな意味を持ったか、わかってもらえるだろうか。


***


というようなわけで今年もまた振り出しに戻った。
皆さんの一人一人にそれぞれの幸せを掴んでもらうことを、ほんとうにほんとうに心から願っています。

明けましておめでとう。

― September30






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(続々々) 煙草を嫌いになる薬

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捨てられない記憶 1991
Tejo Remy (1960 -)
The Carnegie Museum of Art, Pittsburgh USA



第6週目
煙草に手を触れる回数が(ほとんど)ゼロになった。
時々吸ってしまうのは 「それがそこにあるからだ」。
あと数本残っているこの箱が空になったらもう煙草を買うことはないだろうという自信のようなものがある。 机に向かって根を詰めて何かをやっていても、以前みたいに煙草が欲しいという周期的な欲望がまったくなくなっている。 ただ、何となく口が寂しいという気持ちがあって、その度に何かを口に入れている。 今日など2房の大量の葡萄を1日でぜんぶ食べてしまった。 体重が1kg 増えた。

第7週目
ある朝眼が覚めて、どうしようもないほど気分が落ち込んでいるのに気がつく。 考えてみてもとくにそうなるような理由は実生活では何もないから、これは薬の副作用に違いなかった。 そのことはちゃんと薬の説明書にも書いてあったが、この数週間はそんな鬱の状態にならなかったのでこれはラッキーだと思っていたのに。 まるで少しずつ溜まっていた鬱が一度に吹き出したように、頭がぼんやりと重く、考えることはすべて否定的なことばかりだ。

これにはちょっとまいった。
何をしても集中ができず、すぐに他のことがしたくなる。 本を読んでも文章が頭の中を素通りして何の意味もあとに残さないし、テレビで映画を見ても眼は画面を追っているのに頭では他の事を考えている。 ただし煙草が吸いたいという欲望はまったく起きない。
酒を飲んでみたけどそれで気分が紛れるということはなく、第一酒を飲みたいという欲望自体があまりないのだ。 それにあれほど旺盛だった食欲が少し落ちたようだ。 少し身体を動かす必要があるな、と戸外を長く歩いたり自転車に乗ってみたがこれもだめだった。 頭の中の黒雲をどうしても追い払うことができない。 もっと激しい運動が必要なのだと気がつく。 僕にとって激しい運動といえばテニスだからこれを試してみたら、これはうまくいった。 2時間が3時間のあいだ何も考えずにボールに集中することができた。 現在の週に3度のテニスを時間の許す限り増やすことにする。 インドアのテニスコートは家から歩いて行ける距離だからこれは都合が良かった。

第8週目
あいかわらず鬱の状態が続いている。
ひょっとしたらこれは薬の副作用というよりは、煙草を断ったあとに当然やって来る禁断症状というか離脱症状というか、どんな方法で煙草を止めたとしても必ず経験しなければならないものじゃないかと気がついた。
考えてみれば、過去50年以上も1日も欠かさず(そう文字通り1日も欠かさず)体内に取り続けてきたニコチンをいきなり止めたわけだから、身体も脳もビックリ仰天したにちがいない。 しかもチャンティックスなどという直接脳に働きかける薬物をこの2ヶ月飲み続けて来たから、この異変に身体をどう対処させていいのかわからず、あれこれ試行錯誤を繰り返しながら状況を好転させようと努力中なのだろう。 人間の体はどんな異変に対してもちゃんと対処して自然とそれを癒やす方向へ働く、ということを僕はふだんから信じているのである。



さてこの2ヶ月間、毎日朝晩に飲み続けてきた薬も今日で最後になった。
このあと続けて服用するかどうかは本人しだいということで、いろいろ考えてみる。
完全に煙草を断ってしまってから3週間になる。 吸いたいという欲望は今は完全に消えている。 以前なら煙草を一番美味しいと思っていた食後の1本でさえも、今は吸いたいと思うどころか煙草の事すらもう頭に浮かんでこない。 ここでいきなり薬を止めてしまえばせっかく慣れてきた脳がまた仰天してしまうかもしれない。 あるいは、止めることで鬱の状態から抜け出せることも考えられる。
このまま数日のあいだ薬を飲まないとどうなるかを見てから、今後の服用を決めることにしよう。
どちらにしても、僕は煙草を完全に断つことに成功したのである。
少なくとも現在は、という但し書きがつくけど…
今日あたり気分はどう? と訊かれれば、このオランダ人レミーの前衛彫刻みたいに不安定だよ、と答えるしか無い。

(終り)



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(続々) 煙草を嫌いになる薬

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永遠の名品 キャメル



最初の数日
キリが良くて数えやすいように月曜日から始めることにする。
最初の3日間は半量の 0.5mg の錠剤を日に1度だけ。 これは身体を薬に慣れさせるためだろう。 抗生物質を服用する時に少量から始めて少しずつ量を増やしていくあのやり方と同じだ。 4日目から服用回数が日に2回と変わるけど最初の1週間は半量の 0,5mg というのはそのままだ。

第1週目が終わった時点で気がついたのは、身体にも気分にもほとんど変化がみられないということだった。
タバコを吸う回数が今まで通りに日に15本から20本のあいだ、というのも今のところはそのままである。 薬は朝夕の食後に飲めと指示されているので朝食をほとんど食べない僕は無理をして何かを腹に入れるようにする。 そして服用する時に水をたらふく飲むと服用後に腹具合がおかしくなるのが防げることを発見した。

第2週目
服用分量が全量の 1mg に増える。 朝夕に2度飲むのはそのまま継続する。
煙草に手が伸びる回数があきらかに減ってきている。 そして煙草に火を点けても味がしなくなった。 味覚を変えてしまうのかとちょっと心配したが食べ物の味は変わらないので安心する。 これは効用書きどおり 「おいしい」 と感じる脳の感覚を殺しているのだろうと推測する。
今までのように朝眼が覚めてなんとなく煙草が欲しいという欲望がなくなった。 いつもなら毎朝の犬の散歩で川岸沿いに歩きながらその日の最初の1本を口に加えるのが習慣だったのが、吸っても味がないと思うと何となく気が削がれて、欲しいという気が無くなることに気がついた。 しかし食後の1本はまだ欠かせない。 煙草が一番うまい、と思うのはこの食後の一服だから。
ところがそのうまい煙草を吸っても味がなにもしないから、半分も吸わないで眉をしかめて灰皿に押し付けて火を消している自分に気がつく。
それでもまだ1日10本は吸っているようだ。

第3週目
煙草を吸っても何も味がしなくなった代わりに、煙草を鼻に近づけた時の匂いをずっと強く感じるようになって、それをすごく良い匂いだと思い始める。 比較的匂いの薄いフィルター付きのポールモールが、昔愛好したあの両切りのキャメルのような強烈な匂いがした。 その結果、煙草が欲しいと思う時に鼻につけてクンクンと犬のように匂いを嗅ぐだけで、ある程度の欲望が治まるのを発見した。
発見したのはそれだけじゃない。
だいたい身体がニコチンを要求するのは激しい運動したあとが一番というのは昔から経験していて、今の僕の場合それはテニスをやったあとだった。 とにかく煙草が吸いたくなりいつもテニスコートの駐車場で車にたどり着くなり、エンジンを掛ける前にまず一服するのが習慣だった。 それがある日、自分では気付かずにその習慣をスキップしたのを家に帰ってから気がついた。 煙草のことなどまったく忘れていたのである。 これはすごいことだと、われながら感心してしまう。

第4週目
心配していた副作用はこれといって特に無いが、1つだけ最初から経験したのは睡眠が浅くなったことだった。 とはいえもともと僕は睡眠が浅く、眠りに落ちるのに時間がかかり、しかも夜中に何度も目が覚めるのが普通なので、薬を服用し始めてからさらにそれがひどくなったとは思えない。 その代わり毎夜すごい量の夢を見る。 これはインターネットにも大部分の服用者が書いていたように次から次へと荒唐無稽な夢が続く。 でもこれは僕にとってはあまり苦にならない、というより少し楽しみにしているところもある。 大部分の夢は眼が覚めたときにはもう忘れているけれど、中にはいつまでも頭に残っているものもあった。

先日は自分が数人の女といっしょにいる夢を見た。 みな顔見知りの女ばかりで過去に何らかの関係があった女ばかりである。 その中には現在の女房もいれば45年前に別れた先妻や、それより昔20代の頃に付きあった女など、僕の過去のさまざまの部分から現れて来た女たちだった。 その女たちが仲良くしゃべりあっている。 そこにいる僕は完全に無視されていて、口を開くことも許されずただ彼等の会話を聞いているだけである。 なぜか彼等の会話の内容が完全に記憶から落ちているが、昔と変わらず陽気に喋っているのはあのレベッカで、それに時々女房が口を挟む。 無口なモナはいつもそうだったように真剣な顔つきで発言者の顔をじっと見つめているし、エヴァが煙草の煙を吐く時に唇をすぼめるようにするのも昔と変わらない。 中には顔はよく覚えているのにどうしても名前が思い出せない女もいた。
そして目が覚める。 ゆっくりと現実に復帰しながらついさっきまで自分がいた世界をもう1度反芻する。

第5週目
吸う煙草の数が目に見えて減ってきている。 昨日も今日も1日に4本しか吸わなかった。 とくに夕方から夜にかけては吸いたいという気持がまったく湧かない。 どうしても吸ってしまうのは昼間だと気がついた。 外に出ている時はまったく煙草無しで過ごしても平気になっているから、あとは自宅の仕事部屋で机に向かっている時が危険なのだ。 対策として何か食べるものを口に入れることにした。 体重の増加はこの薬の副作用の一つに挙げられていたけれど、僕の場合あと 2kg は体重を増やしたいと思っていた矢先だからこれはかえって都合がいいのだ。 そこでいろいろなものを食べる。 ピーナッツ、和菓子、チョコレート、餅、かりん糖、時には豆腐を冷やっこで食べたりキムチを食べたりする。 もともと間食というものをほとんどしない僕にとってはこれは新しい習慣となった。


(続)





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(続) 煙草を嫌いになる薬

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医者は新しい薬と言ったけど調べてみると FDA(アメリカ食品医薬品局)に容認されて使われ始めてからもう10年経つから、新しいというより比較的新しい薬という意味で医者は言ったにちがいない。
バレニクリンと呼ばれるこのファイザー社製の薬は、製品名を Cahntix(チャンティックス)、日本では Champix(チャンピックス) の名で市販されている。 従来の禁煙補助剤と大きく違うのは、パッチやガムや電子タバコなどが例外なくニコチンを体内に注入することで実際の煙草の数を減らす方法を取っているのに対して、バレニクリンもニコチンに似たドパミンと呼ばれる物質を放出するがそれはごく少量で、それよりも主な目的は脳の中でニコチン受容体にニコチンが結合するのを妨げるという作用をすることだ。 脳内のニコチン受容体にニコチンが結合する結果として人間は煙草をおいしいと感じる。 その結合を邪魔してやることで、煙草への渇望や満足感を削いでいく、というのがこのバレニクレンのやり方らしい。

それまでの薬のように煙草を止める日をきっちりと決める必要がなく、まず薬を飲み始めてから1週間、2週間、数週間、とそれぞれ自分で判断するようになっている。 使用者の経験談をインターネットで探してみると、使われ始めてから年月が経っているだけあってこれは豊富に出てきた。 1週間で止められた人とか4週間かかった人とかそれ以上何週間もかけて完全に止められた人とかいろいろとあるのがわかった。 ちょっと心配した副作用も、大部分の使用者がたしかに経験したけれど、そのために服用を中止するほど強度のものではなかった、と書いているので安心する。
試しに日本のサイトを見ると、こちらの方は例によって無責任な記載が多く、副作用を異常に誇張したり、警告というより脅かすために書かれたとしか思えない記事や、この薬が原因の死亡者が3000人とか、とんでもない事が書かれていたので呆れて読むのをやめてしまった。

副作用は頭痛、不眠症、腹痛など一般的なものから、人によって無気力、鬱病、自殺願望、暴力促進、など極端なケースまでが記録されていたが、そのどれが自分に起こるかはギャンブルするしかない訳だけれど薬物としての安全性はまず問題無いようだ。 価格も現在では保険が効くようになり最初の4週間が80ドル、あとの1ヶ月毎が40ドルというのも悪くないと思った。 これはトライしてみようという気持ちになった。 この50年、ニコチン中毒の奴隷として生きてきたことにつくづく嫌気がさしていたからである。

(続)






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煙草を嫌いになる薬

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煙草の煙
Japan 2002



今年の3月頃、声が出難くなって話をするのが辛いので耳鼻咽喉科の医者に診てもらった。
先端にカメラを装備した細い管を鼻の穴から喉へ通すと、目の前のモニターに喉の内部のクロースアップが大きく拡大されて映っている。 驚くほど鮮明なそのピンク色の映像は色彩があまりにも鮮やかすぎて、見ていてあまり気持ちの良いものではない。 そこに映っている深海のイソギンチャクのような形をしたのが僕の声帯で、声を出すたびにそのイソギンチャクが開いたり閉じたりする。 声帯の両側に数個の白いデキモノが見られる。 それが声を出すのを阻んでいるのだと医者が説明してくれた。
医者が言うにはこのデキモノはディスプラジアと呼ばれる異形成で、同じ異形成でもポリープよりは悪質で癌に進行する可能性がポリープよりは高いそうだ。 現在すでに癌になっているかどうかをすぐにでもバイオプシー(生検)をする必要がある。 そのついでに全部切り取ってしまおう、と医者が言った。

その喉の手術をしたのは3月の終りで、4月に日本への帰国を予定していたわずか1週間前だった。 手術をしたとたんに声が出やすくなっていた。 そして検査の結果は癌ではないとわかったが、このデキモノは再発する可能性が多い。 6ヶ月後に検診に来いと医者に言われた。

そしてつい2週間前、6ヶ月後の9月の終りにまた診療所へ行って鼻からカメラの管を通して喉を見ると…
毒々しいピンク色の声帯の両側に、うっすらと白色の霜のようなものが付着していた。 ディスプラジアの初期の状態である。 バイオプシーをやるには早すぎるので3ヶ月待ってもう1度見てみよう、と医者が言った。 そして最後に付け加えるように 「ところで煙草は止めたんでしょうね?」 と念を押す。 「いや、止めてない」 と答えると、フットボールの選手みたいに体格のよいその医者が口調を変えて説得を始めた。
この喉のデキモノが成長する段階で、煙草がそれを助長するという確固とした研究結果が出ているわけじゃないが、煙草を止めることで食餌療法や薬品以上にディスプラジアの予防効果があるという例はかなり出ている。 知っているように煙草は百害あって一利なしだから、この際思い切って止めたらどうですか? あなたの話では今までいろんな方法を試みて成功しなかったということだけど、最近評判になっている新薬があって成功率もかなり高い。 家に帰ってこれを読んで考えてみてください。 と言ってパンフレットを手渡してくれた。


(続)




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ふるさとは遠きにありて思ふもの

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叔母 2011年


日本への出立があと数日に迫って準備に忙しくしている。
今日も朝からトレーダー・ジョーズに出かけて、叔母の好きなチョコレートやキャンデーやクッキーを山のように買う。 包の小さなものばかりを選び、同じものは2つと買わない。 叔母は昔からこんな小さな包をあれやこれやと手に取りながら、これを開けたりあれを食べたりするのが好きで、買い物をしながら僕にはほくほく顔で喜ぶ叔母の顔が見えている。

その叔母はこのところ具合が悪くなって病院へ運ばれたまま入院している。
施設に入ることを頑固に拒否して古い広大な屋敷に一人で住む叔母が、ある朝、床に倒れているところを看護士に発見されて病院へ運ばれたのはつい数日前だった。 それを知らせてくれたのは叔母の娘の龍子さんである。 親子とはいえ血の繋がりの無かった龍子さんはわけがあってもう何十年も叔母とはいっしょに住んでいず、ふだんは東京住まいのその龍子さんが病院からの知らせで郷里の米子へ飛んできていた。

さて今日の叔母の具合はどうなのだろう、とこちらの夜中前、日本の昼過ぎの時間を見て龍子さんに電話を入れてみる。
電話を取った龍子さんが僕の声を聞いてあっと驚いているのが気配でわかった。 いま、僕に電話をしようとして番号を探していたところだと言う。
叔母が今日の未明に亡くなっていた。

龍子さんが昨夜病院を出る時は叔母は喋れないながら意識はちゃんとしていて、来週はトシオさんが来るからね、もうすぐだからね、と耳元で繰り返す龍子さんに叔母はしっかりと頷いていたそうだ。

89年もの長いあいだ僕を待ち続けてくれたのに、あと1週間だけ待ってくれなかった。
若い頃からいつもシャキシャキとせっかちな叔母だったけれど、死ぬときもせっかちな叔母だったのだ。

日本で僕と血の繋がる最後の人が逝ってしまった。
今こそ僕は一人ぼっちにされてしまった、という感が強い…
そのふるさとへ僕は今帰ろうとしている。
何のために?








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怠け者にお洒落は無理という話

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大鴉
By Green Eyes


何年も先延ばしになっていた日本行きが、とうとう来月に決まってから、少しずつその準備を始める。
まずは衣類。
下着や靴下はいとも簡単に買い揃えることができ、シャツは選ぶのにちょっと時間をかけて色や柄の違うもの3枚、あとは歩き回るための靴を1足手に入れようとしている。 幾つかの靴屋を廻ったけど適当なのがなくてこれはもうしばらく時間がかかりそうだ。

そして先日はジーンズを買いに行った。
昨年の引っ越しの際に大整理した古い衣類の中にジーンズは7本もありながら、どれも今ではブカブカになってしまいちゃんと身体に合うのがただの1本しかなかった。 マーシャルズのメンズウェア試着室であれこれ試したあと、 ストレートレッグで尻の部分がブカブカじゃなくてわりとぴったり合うもの(アメリカの男は尻がバカでかい)をようやく見つけて、それを2本買うことにする。
その時試着した一抱えの衣類の中に、女房が誤って選択したスリムストレートのジーンズがあった。 今流行のあの細くて脚にピッタリとしたやつである。 何気なしにそれを試着した僕を見て、女房が 「他のよりスタイリッシュね。 あなた脚が真っ直ぐだからカッコイイよ」 と言う。 それでついその気になって、これもまたカートに入れてしまった。

そしてこのスリムストレートのジーンズが実は大変な代物だと、後日気がつくことになる。
まず、穿く時はそうでもないけど脱ぐのが一筋縄でいかないのだ。 椅子とかベッドに腰掛けて片足ずつ手を伸ばして裾を引っ張るわけだけど、履く時にするりと入ったのが脱ぐ時には裾が踵に引っかかりなかなか出てくれない。 あれこれ苦闘するうちに無理に折り曲げた老体の腰が痛くなるわ、腕は疲れるわ、ふくらはぎが引きつるわ、で脱ぐだけで20分はかかる。 脱いだあとはもうぐったりとして屈伸運動をやったあとみたいに全身が疲れている。

大変なのはそれだけじゃない。
全体がピッチリした上に股上が浅いせいか、尻の割れ目にグイと食い込んで上に突き上げるので、前部に位置する男のモノを圧迫して、歩くたびにそこを擦るからそれが快感なのか不快感なのか何とも妙な気分である。 それに椅子に腰掛けても両足を曲げることができない。 これじゃ日本に帰っても床や畳には絶対に座れないと確信する。
その上まだある。
裾が極端に細いから足首の高いブーツなどはそこでつかえてしまい下まで降りない。 雪の日には履けないジーンズなのだ。

まだある。
両側にポケットがあるとは言え、財布とか携帯電話とかはまず入らない。 女性ならハンドバッグという武器があるから問題は無いだろうが、男は上着でも着ない限りシャツだけの外出は不可能ということになるわけだ。
それでも僕の頭の中には 「カッコイイよ」 という女房の言葉が呪文のようにこびりついているから、人との集まりの席に1度このジーンズで出かけたことがある。 パーティの最中に一刻も早く帰宅して着替えたい、とそればかりを思い続けた。 そして帰宅すると、ジーンズを脱ぐのにそこでまた20分かけて格闘した。 もう懲り懲りである。

お洒落をするというの超人的な努力が要求されるんだなあ、と今更この歳になって学んだと思っている。


先日、読者の一人と今回の東京でのオフ会のことで交信中にこのジーンズのことをちょっと書いたら、その返事を読んで思わず吹き出してしまった。 彼女が書いている。

むかし、ストレッチジーンズなんかないころ、物凄く細―いデニムのパツんパツんのスリムジーンズを穿いてたことがあって、足首をバレリーナのように真っ直ぐしないと入らない裾巾の細さー。 腰骨の所はファスナーが三角に開いてしまいしまらないから、穿くときはそこらへんに寝ます。 寝ながらだと、あらふしぎ(笑)ファスナーがあがるのです。
で、立ち上がる時は生まれたての鹿の赤ちゃんのように突っ張りながら立ち上がりました。 脱ぐときは大分緩くなってるから普通に脱げたわ。
あんなのはもう無理です。
何故ならウエストが苦しくて(太くなったもん)。







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帰国のお知らせ

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雪のカーディナル
By Green Eyes



4月に日本に帰ることに決めたあと、スケジュールを作成した。
飛行機の切符もすでに取った。
おおまかに言えば、まず郷里の米子に1週間、大学の同期会で新潟市と佐渡島に数日、そのあと東京に数日という日程なんだけど、その東京での短い滞在期間にブログでふだんコメントをやりとりしている人達と一晩会えるチャンスを作ることにした。

場所は渋谷のハチ公前のビルの中にある 『ぷん楽』 にしようと思う。
数年前の帰国の時に、仲間が数人でミニ同期会をここでやってくれて、畳の座敷のある個室を借りてくれた。 その時の悪くない印象が記憶に残っているのである。 出てきた料理もなかなか良かったような気がするけど、正直に言って料理なんてどうでもいいというのが本音だ。 静かで落ち着いて話ができて安ければ、どこでも構わないと思っている。

ところがはてさて
早めに予約を入れたいの思うのだけれど、誰が何人来てくれるのか、あるいは誰も来てくれないのか、そのへんがまったく見当がつかない。
そこで皆さんへのお願い。
よし出席してやろう、という奇特な人はその意思を表示してください。
皆さんの中にはそんな4月なんてずっと先のことなんかわからない。 第一、それまで生きているかどうかも定かじゃないのに。 なんて言い出す人もいるかもしれないが、それは僕もまったく同じだから、少なくとも 「会いたい」 というその気持だけでも知っておきたい、とまあそういうわけです。

だから、お互いにそれまで生きているということを前提として、出席できる人は非公開コメントで知らせて欲しい。
なぜ非公開コメントかだって?
それはね、いったい誰が来るかわからないところにスリルとサスペンスがあるじゃない?

あ、そうだ。
期日は4月の15,16,17あたりだと思ってください。 (16日はイースターサンデー)

ああとうとう皆さんに会えると思うと、若者のように胸がうち震えてる。
ほんとだよ。
こういうのを 「千載一遇」 というのだろうなあ。




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寒くない日は街を歩こう (最終回)

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コーヒーショップ
Ohio Coffee Company


街を歩き廻っていてコーヒーが飲みたくなる。
ここのダウンタウンには酒の飲めるところは無数にあるが、コーヒーショップはうちから歩いて行ける距離には2軒あるだけで、そのどちらもフレンチプレスのちゃんとした旨いコーヒーを飲ませる。
今日足を止めたのはそのうちの1軒で、僕の行く銀行の1階のロビーに入っていた。 ここではサンドイッチやキッシュやサラダなどの軽食も出しているので、ランチ時間には周りのオフィスの社員たちでけっこう混むのが、午後の遅い時間になるといつ行ってもほとんど人が居ない。 ひっそりとしている。 自分だけのこの静かな空間は、本を読んだりラップトップを開いて店のワイファイでブログの編集などをするには最適の場所となる。 以前は同じことを、引っ越す前の家のすぐ近くのスターバックスでやろうとしたが、あそこは人の出入りが多くガヤガヤと音もうるさく、まったく落ち着かないのでそのうちに行くのを止めてしまった。

今日ここに来てみると店の表にアンティークの自転車が2台置かれてある。
誰かが乗ってきたのじゃなくてこれは店内のデコレーションだろう。 訊いてみるとやはりそうで、店のオーナーの髭面のおじさんが、よくぞ訊いてくれましたとばかり説明してくれる。



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見ての通り赤い方が紳士用、青い方が婦人用というわけだが、両車とも製造されたのが1800年代の終り頃だという。 ピカピカに磨かれて完璧に手入れがされていて、タイヤに空気さえ入れればちゃんと乗り回せるそうだ。
このミスター髭面のように自転車のコレクションをやる人はこのデイトンの町にはけっこういる。 それというのは、この町で生まれたあのライト兄弟は最初は自転車屋をやっていたからだ。 この兄弟がそのうち自転車の製造では飽きたらなくなって、空を飛べる機械に手を出したのが、世界の航空史の始まりとなったからである。 この町の住民は飛行機の歴史はデイトンから始まったと胸を張って世界に誇ってきた。 それと同時に自転車に対しても並々ならぬ親しみを感じているのに違いなかった。
そのライト兄弟の自転車屋はこのコーヒーショップからは歩いてもそう遠くない所にあった。 建物はもう無くなってしまったけれどその跡にはちゃんと石碑が建っている。 そして自転車屋そのものはそっくりそのまま町外れ(といっても車でほんの10分ほどの所)のカリロン博物館へ移された。





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寒くない日は街を歩こう 5

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町裏のアブストラクト


廃墟の壁だとか、打ち捨てられた古工場の何百という壊れた窓ガラスとか、路面に車が押しつぶした空きカンだとか、そのままで面白い絵になっているのを見るとつい撮らずにはいられない。 誰でもやるクリシェだと知りながら。
これもその1つ。
カメラのファインダーを覗きながらどこでどう切り取るかをあれこれ考えることで、抽象絵画の創作に参加しているという楽しさが湧く。 こんな画像を思いきり大きく伸ばして、それも生半可なサイズじゃなく室内の壁一面を占めるようなミューラルにしたらインテリアとして悪くないなあと思う。

ミューラルのインテリアと言えば、僕らのアパートメントの分厚いメタル製のドアを開けて室内に1歩足を踏み入れた人は、そのままわが家のリビングルーム立っていることになるのだが、まず正面の窓と窓との間の壁に架かっている大きなモディリアーニの婦人像が目に入るだろう。 それから回れ左をして今入ってきたドアを閉めようとすれば、左側の白壁一面に架かっている抽象画が嫌でも眼に飛び込んでくる。 アクリリック・ペイントで描かれたその絵はミューラルと呼ぶほど巨大ではないにしてもそれでも 2.5m x 4.5m ほどのサイズである。
それを見ると大抵の人が 「ええっ? これってジャクソン・ポロックのオリジナル?」 と驚く。
「そうだよ」 と僕はニヤニヤしながら答えることにしている。
モディリアーニはもちろん良質のコピー。 でもこの抽象画の方はれっきとしたオリジナルである。 ただし作者は友人のディックで彼が若い画学生の時に描いた試作の1つを、ある時仲間内のポーカーで僕がバカ勝ちした時に彼のスタジオから略奪してきたものである。






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By Dick Stacey (1967)







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寒くない日は街を歩こう 4

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The Neon Cinema



巨大で殺風景な駐車ビルに囲まれて、申し訳無さそうにひっそりと生存するこの小さな建物が、デイトンのダウンタウンでたった1軒の映画館だと言えば、誰もが驚く。
一昔前まではそうじゃなかった。 大きな映画館が3軒もあった。 サイズとしてそれほど大きいとはいえないデイトンのダウンタウンの、お互いに歩いてすぐの距離にこの3軒があった。 その中の1軒が前に紹介したヴィクトリアで、これは舞台芸術のシアターに変身することでちゃんと生き残り、あとの2軒は郊外のモールへと逃げていったのだ。

このネオン・シネマは数人の映画オタクの若者たちがパートナーを組んで営業しているそうで、中へ入るとさらに2つのシアターに分かれていて、右が140の座席を持つ大(?)シアター、左が座席70の小シアターとなっている。 上演フィルムは最新のアート系の作品からインディーズ自主映画や古い名画がほとんどで、ハリウッド製の大衆向けヒット映画などはまずここには来ない。 だからいつ行っても観客はまばらで、これで商売になるのかとつい余計な心配をしてしまう。 観客層は当然ながら学生やシニアの知識人らしき人たちで占められていて家族連れとか若いミーハーなどはまず見られない。
ところが先日ここで観た今話題の Manchester By The Sea は大小両シアターで上演時間をずらしてやっていたが、僕らが行った遅い時間にも珍しく席は1つ残らず占められていた。 開演前にパートナーの1人が壇上に現れて挨拶をした所によると、この2週間は両シアターが完全に満員だったそうだ。 客席から大きな拍手が湧く。 常連だけが行くバーやカフェがあるように、ここはそういう人達のための映画館なのだろう。

僕がこの映画館を好きな理由はもうひとつあって、それはリクライニングの座席のクッションが他のどこの劇場よりも実に座り心地がいいのである。 それだけじゃなく、太った人でも楽に座れるように贅沢に幅が取られているから、両隣りの観客と肩やヒジがぶつかることもない。 前後のスペースもゆったりしていて座席を後ろに倒せばウーンと言いながら両足を前に伸ばせる。 飛行機で言えばエコノミーとファーストクラスの違いである。
上記の Manchester By The Sea は上演時間が2時間20分と長かったが、ちっとも苦にならなかった。 苦にならなかったのは良い座席のせいだけじゃなくて、映画自体が秀逸でまったく時間を忘れてしまったせいもあるけど。







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マーサが逝く

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90歳の誕生日に孫のマットと談笑するマーサ (2017)


今日1月21日(土)、午後10時半。 義母のマーサが逝った。
彼女の最後の誕生日に家族が集って午後のひと時を過ごしたのはつい今週の日曜日で、それから6日しか経っていなかった。 マーサに乞われて珍しく僕がそこにあったピアノで数曲を弾いたら、彼女は目に涙を浮かべて喜んだ。 ピアノから立ち上がる僕に手を差し伸べて引き寄せると僕の唇にキスをした。 それは母親が息子にするキスだった。

3人の息子と5人の娘婿を持つマーサだったが、その娘婿の中でも彼女が誰よりも僕を気にかけてくれたのは、日本人の僕が遠い異国から来てずっと昔に両親を亡くしていたことを、ことさら憐れと思ってくれたからだった。 「自分の息子だと思ってるからね」 と言っていた。 初めて会ってからこの35年間、僕の誕生日には毎年必ず送ってくれたバースデーカードには、「マーサより」 ではなくていつも 「母より」 と書かれていたのを思い出す。



マーサの様態が悪くなったこの数日間に、フロリダの三男を始め家族が続々と彼女のアパートへ詰めかけていた。 僕の息子の太郎も昨日から帰省している。 僕らも今日の午後までそこに居て、夕方にいったん帰宅したばかりだった。 そして夜になって義妹からの携帯メッセージでマーサがたった今逝ったことを知った。
マーサがこの数年住んだアシスタントリビングの施設はうちからは車でほんの10分の距離だったが、女房は今はそこへは行きたくないと言い張る。 妹達からの誘いを頑なに拒むと電話を切り、それからしばらくのあいだ声を上げて激しく泣いた。 自分だけの悲しみに浸りたい、今は誰ともこの悲しみをシェアしたくない、という女房の気持が僕には痛いほどよくわかった。 僕自身も同じだったから…


お母さん、さようなら。



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マーサと太郎 (1984)





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寒くない日は街を歩こう 3

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ネッド・ペッパー


ダウンタウンにオフィスがあった頃はこのバーによく来たものだった。 古い大きなバーである。
中には木製のテーブルと椅子が乱雑に並んでいるだけで、洒落た内装だとか品の良いデコレーションなどどこを探しても見当たらない。 意図的にそんなハイクラスの雰囲気を抹殺することで独特のスタイルを狙ったのではないかと思わせるほど大衆的でそっけない。 ここでは気取ったワインやカクテールなど注文する者はまずいなくて、例外なく全員がビールを注文する。 それ以外のドリンクが飲みたければ他の店へ行け、というわけだ。 そして他の店とはこの周りに10軒以上もある。 そのかわりビールの種類はやたらと多く、世界中のビールが壁にズラリと並んでいたものだ。 最後にここで飲んだのはもう10年ほど前のことで、今でも内部はまったく変わっていないだろうことは中に入らなくてもわかる。

ただ、今日僕の目を引いたのは表の窓に貼られたモノクロ写真だった。(これは以前にはなかった。) 写されているのはおそらく1900年代の初め頃のこの町の町並みで、よく見るとついさっき通ってきたメインストリートの建物などがそこにあった。





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ハッピー・パレス


これは何かのファーストフードの店に違いないが、いったい何を食べさせるのかはまったくわからない。 というのはすっと以前に店が閉められたまま窓もドアも釘付けにされている。 ハッピー・パレスとはアメリカの中華料理店ではもっともポピュラーな店名の1つだが、念入りに描かれた絵のデザインだとか、レンガの1枚1枚が違う色で塗られたところなど、チャイニーズの仕業とは思えない。 たぶん、メキシカンかトロピカルの料理を出していたのかもしれない。 数少ないメニューを年老いた夫婦がゆっくりとやっているようなこんな店は、意外と美味しくて常連客を持っているものだ。 メインストリート沿いの店はレントの高騰に悲鳴を上げて軒並みに廃業してしまった。


(続)




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寒くない日は街を歩こう 2

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彫刻?


これはたぶんストリート スカルプチャと呼ぶべきものだろう。
鮮やかな黄色と背後のアービーズの赤い屋根との対比が、くすんだ風景の中でおもしろい効果をあげている。

アービーズといえばローストビーフのサンドイッチを食べさせるファーストフードの老舗なのは誰でも知っているが、ローストビーフを美味しいと思わない僕はついぞ入ったことがない。 だいたい僕はジャンクフードを断固として拒否する健康オタクでもなんでもないから、バーガーキングの分厚いハンバーガーなど時々無性に食べたくなると、女房の軽蔑のまなざしを背に受けながらつい食べに入ってしまう。 時々食べるとあれは美味しい。

ところでこのアービーズの発祥地はオハイオ州だと知る人は少ない。
1980年ごろ、日本へ進出したアービーズは全国主要都市に店舗を構えたにもかかわらず、その後なぜかすべてを撤退している。 ローストビーフという料理は日本人の舌には合わないのだろうか?
発祥地がオハイオと言えばコンビニのローソンがそうで、小さな牛乳屋から始まったこの店は現在では日本中を制覇しているらしい。 それなのに何故なのか? アメリカではあの懐かしい Lawson の店舗は町から完全に姿を消してしまった。





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ひと夏の情事


あてどなく歩いていてこのバーの前を通りかかる。 そしてハッとする。
ひと昔もふた昔も前、人妻との短い情事。 人目を逃れた逢引の場所がここだったのを思い出した。
裏の駐車場に停めた車の中での窮屈でぎこちない、そして激しい性の交わり。
あの時はお互いを必要としたと思っていたのに、あれは何だったのだろう…


(続)






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寒くない日は街を歩こう 1

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路地裏


この数日気温が上がって、今日など 17℃ と嘘みたいに暖かい。
人一倍寒がり屋の僕でさえこれは外に出なければ、という気になった。 それで珍しくセーターもスパッツも着けずにシャツとジーンズの上にそのままコートを羽織って外に出る。 ただし靴だけは寒い時と同じく最近買ったばかりのブーツを履いたのは、これが非常に具合がよろしくて気に入ったからだった。 足元をしっかりとサポートしてくれるという感があり、それでいて重くなく、長く歩いても足がぜんぜん疲れないということをすでに雪の中で経験していた。 この調子だと春が来ても夏になっても履き続けそうな予感がする。

商店街を抜けて裏の路地へ廻ったところでこの壁画に出会った。
落書き(グラフィッテ)にしては秀逸でアーチストの作品と呼ぶべきだろう。 マリファナやハシシを吸った時のあのサイケデリックな感覚を表現したものだと思われる。





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ヴィクトリア劇場


この劇場でつい先月のクリスマス前に、バレーの 『ドラキュラ』 を観たばかりだった。
デイトンのバレーなんてとあまり期待しないで行ってみたら、これがなかなか良かったのだ。 良かったというのは、ワールドプレミアと謳った演し物の 『ドラキュラ』 ではなくて(これは完全な失敗作)、それを踊ったプリマのダンサーのことである。 地方の中都市の小さなバレー団でも若くて才能のあるダンサーはやはりいるものだ、と感心した。 こういう場所でキャリアを積んでどんどん才能を伸ばしてから、やがてはチャンスを掴んで中央のバレー界へとデビューしていくのだろう。

このヴィクトリア劇場は1900年頃の古い建物を、ほとんどそのままに残して内部を新しく改装している。 筋向かいの巨大なシュースター劇場よりずっと小さいが、建物自体に味があり内部の雰囲気もずっといい。 僕の好きな劇場である。

(続)





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眠りについて

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零下15度の朝



この数年眠りが浅くなった。
ももともと寝付きが悪い方で、夜ベッドに入っても眠りに落ちるまで時間がかかったが、それでも一度眠ってしまうと朝までぐっすりという習慣だったのが、最近は夜中に何度か目が覚める。 それで仕方なくお手洗いに立ったりしたあとはそのまま又いつのまにか眠ってしまう。 そして数時間後にまた目が覚める。 それを毎晩何度も繰り返すのだけれど、不思議にも朝起きて寝が足らなかったという感覚がないのは、眠りそのものはけっこう深いのだろうかと思う。

夜中に何度か目を覚ますのはあまり気にならないが、ベッドに入ってからなかなか寝に落ちないというのは困りもので、定期健診の時に医者に相談した。 それで薬を処方してくれた。
その薬は、就寝前に飲んでからベッドに入って本を読んでいるうちに、10分か15分ですぐ眠気がやって来る。 それまでは1時間も2時間も眠りに落ちなかったことがしょっちゅうだったから、これは嬉しかった。 そしていったん眠ってしまうと朝までそのまま、ということはないにしても目の覚める度数が1度とか2度に減ったが、これは年齢からくる放尿要求だからしかたがないのだろう。

ただしこの薬には、朝起きたあとしばらくの間は頭がぼんやりしている、という短所がある。
起き抜けにコーヒーを飲んでもそのぼんやりには効き目がないようだし、屈伸とかストレッチなどの軽いエクササイズをしてもだめだ。 そのままもう1度ベッドに帰りたいというかなり強い欲望が身体に残っている。 その欲望を振り切るようにして着替えをし、厚いコートを着込んで外に出ると早朝の川べりを散歩する。 冷たい川風を顔に受けて煙草に火を点ける。 朝日の射す遠くの風景を見回しながらゆっくりと歩くうちに、頭の中がしだいにスッキリとしていくのを感じる。
それが日課になってしまった。



昨夜のこと。
東京の友人とスカイプで会話をした時に、どう、そちらは寒いでしょう? と彼女が訊いた。
「寒いよおー、今朝なんて川べりを散歩した時の気温が4度だったよ。」 と答えたら
「あら、そんなものなの。 とっくに氷点下になってると思ってた。」
それで気がついたのは、ついこちらの習慣で華氏で温度を言ってしまったようだ。 華氏4度といえば摂氏では零下15度以下なんだよと訂正する。
「うわっ 聞いただけで寒くなった。」 とスカイプの中で彼女が身震いをするのが画面に写っている。 その背後の白い障子には綺麗な花柄のちゃんちゃんこが架かっているのが見えた。


そういえばきのうは零下15度の冷気の中を裏の川へ出てみると、川面に薄氷がびっしりと張っていた。
ずっと川下の何処かで凍ったところへ、ゆっくりと流れる水が薄氷を運んで来て次々と積み重ねていた。 重なって静止した氷の領土と緩く流れる川水の境界線がその時ちょうどわれわれの住居の裏側まで来ていた。 そしてその境界線は見ているうちにどんどんと川上へと動いている。
薄氷はまるで上空から俯瞰する大地の地図のような模様を作って、朝日の中で輝いていた。









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新年おめでとう

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年明け前のわが家のコートヤードで





                           何となく 
                           今年はよい事 あるごとし 
                           元日の朝 晴れて風無し


2017年の元旦の朝
川べりの小道を新年の最初の煙草に火をつけて散歩しながら、この啄木の歌が自然と口に出てくる。 歌そのままの穏やかで平和な新年の始まりだった。

今朝起きて珍しく軽い二日酔いで頭がぼんやりしているのは、大晦日に友人家族を招いて大人4人でシャンペンを3本空にしたせいだろう。
テレビでニューヨークのタイムズスクエアの乱痴気騒ぎを見ながら、年が変わる直前に最初のボトルを開けたのだが、もちろんその前にワインやビールですでに誰もが十分にできあがっている。 夕方から窓の外のコートヤードにキャンドルを置いていたので、それぞれコートを着込んでグラスを抱えて外に出た。 友人夫妻が連れてきた二人の小学生姉妹は、年に1度だけ親から夜更かしを公認されるこの夜に興奮気味だった。

この子供達の父親のトムは空軍基地に勤めるエンジニアで、昨年の秋にパリの企業での仕事に応募して多数の候補者の中から最後の二人にまで残りながら落とされてしまい、ヨーロッパで暮らしたいというこの夫妻の念願がかなわなかった。 パリでのインタビューには細君同伴で招待されて、初めてのパリを1週間満喫してきたばかりなので、ヨーロッパそのままのこのコートヤードに出た時にまたそれが思い出されたのだろう。 今はベルギーの会社での選考が進んでいるというが、パリの仕事ほど惚れ込んではいない、あれは一生に1度あるかないかの理想的なチャンスだった、とトムは悔しそうに語った。 パリでもベルギーでもベルリンでもフィレンツェでもどこでもかまわない、僕らが気軽に遊びに行ける場所をヨーロッパに確保してくれよ。そう言って僕はトムのグラスにシャンペンを満たした。

僕はといえばヨーロッパに行きたいのは無論だけどけど、今年はまず日本に帰るのが先決だ。
昨年はどうしても帰りたいと思いながら引っ越しとか周りの家族の事情とかでついに果たせなかった。
今年は絶対に帰るぜえ。




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聖母子像

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キャサリンとマックス (2016)







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マリアとイエス (1658)
フランシスコ・デ・ズーバラン (スペイン)






このクリスマスの5日前、12月20日に姪のキャサリンに男の子が生まれた。
多勢の親族が集まって賑やかなクリスマスパーティが進行するその片隅で、ひっそりと生後5日目の赤ん坊に乳を与えるキャサリンを目にした時、はてどこかでよく見たことのある図だと思った。

そうだ…
これはかつてヨーローッパのいたる所の寺院で目にしたあの聖母子像そのものだった。
自分の分身である乳児を項(うなじ)を垂れて見つめる母親の表情の、はっとするような優しさと慈愛深さが僕の胸を打つ。 これから先何十年と続いていく母と子の関係にはさまざまの紆余曲折が待っているに違いないが、今この瞬間ここにあるのは、まだ年月の汚れにも人生の醜さにも染まらない、清らかで純粋な愛情そのもののように思える。

美しいと思った。





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恋をするマヤ

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マヤとアール 




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後ろ姿のマヤとアール





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マヤと叔父夫婦






娘のマヤに恋人ができたらしい。
長いあいだ男を寄せつけなかったこの子が、今年の8月にシンシナティでの甥の結婚式に出席した時に、ピッツバーグからボーイフレンドを連れてくると予告した。 珍しいことだ。 過去に付き合っていた男性をこんな形で両親に紹介したことは今までなかったからだ。 第一、身内の結婚式に同伴すること自体が、この子にとって彼が友達以上の意味を持つことは明らかなように思えた。 仕事場の同僚というわけではなく仕事を通して知り合ったというこの青年の名はアールといった。 フェイスブックで彼の優しそうな髭面の顔を見て、われわれ両親は理由もなくほっとする。

8月といえば僕らは新しい住居に引っ越したばかりで、まだ家具類も置くべき場所に納まらず部屋中に箱が積まれている中に、とりあえず寝る場所だけを確保していたような状態だった。
そんな乱雑な住まいに、ピッツバーグから5時間をかけて車を駆ってきたマヤとアールが姿を現す。
こちらの眼をまっすぐに見てミスター付で僕の名を呼ぶアールに、僕のことはトシオと呼び捨てにしてくれればいい、と言いながら握手をする。 彼のしっかりと固い握手に好感を覚える。
すでに到着していた息子の太郎を交えてとりとめのない会話が始まったが、初対面のぎこちなさをまったく感じさせないアールの雰囲気に女房はその場で好感を抱いたようなのは、彼女の饒舌さからも読み取れる。 マヤよりも二つ年下だというアールと同年輩の太郎とはその場で気が合ってしまったようだった。 父親の僕はといえば、彼が常にマヤに対して見せる優しい気づかいに好感を持ちながら、いやまだまだ騙されんぞという意地悪な意識を拭い去ることができないでいる。
夜更けまで飲んで食べて話をしたあと、僕らのアパートからはほんの2ブロックのところにあるグランドホテルに宿を取った二人は帰って行った。 酔っ払った太郎はもうソファで眠っている。
「いいひとよねえ。 大好きよ。 あのふたり完璧なカップルだわ」 とベタ褒めムードの女房に、僕は何となく同意をしたくなくて
「うん、だけどちょっと調子よくてしゃべり過ぎるんじゃないか」 などと言ってみるが、その反抗はいかにも弱々しく響いたのに自分でも気がついていた。


その翌日。
結婚式のあるシンシナティは僕の住むデイトンの町からは車で1時間足らずの距離である。
5人を乗せた車の中では次から次へと話が弾んでいる。 といっても運転に専念する僕と、いつものように口数の少ないマヤは時々口をはさむだけで、女房、太郎、アールの3人の会話のもっぱら聞き役だった。 その会話を聞いていて、この30数年を真っ直ぐな人生を送ってきた訳ではないらしいアールの人柄が次第に浮かび上がってくる。 彼の見かけの優しさの裏に、太い芯が通っていることを認めないわけにはいかなかった。


式のあとの披露宴。
どっとバーに押し寄せる人の群れに気を削がれて、名札の置かれたテーブルにポツンと座っている僕の眼の前にそっとマテニーが置かれた。 アールが自分のドリンクよりも先に僕にマテニーを持ってきてくれたのだ。 うーんなかなか憎いことをする、と僕はうなってしまった。 そういえば、昨夜自宅で僕がマテニーをすすっているのを見て 「ジンですか? それともウォッカ?」 と彼が訊いたのを思い出す。 それにしても憎いことをする奴だ。   


披露宴を終えてまたまた車でデイトンのわが家まで帰ってきたのは夜中を過ぎていたが、そこでまた飲み直すことになった。
煙草を吸いに外に出ようとした僕に、アールが自分も行くといっていっしょに裏の川辺りに出る。 彼も喫煙者だとわかって何となく嬉しい。 建物の裏側が公園か何かだと思っていたらしい彼は、いきなり目の前に広がる大きな川を見て子供のように驚き、喜んだ。

男同士の会話は自然とマヤが話題となった。
マヤを知れば知るほどご両親がいかに良い育て方をされたのかがよくわかります、と当の両親にとっては最大級の賛辞が彼の口から出るのを聞いて、僕は年甲斐もなく嬉しくなる。 彼の言い方にお世辞とは思えない誠実さを感じたからである。 そこで僕が
「いや、正直に言うと母親はともかく、僕が子供達に良い父親だったという自信はまったく無いんだよね。むしろ世間並みには父親として落第だったと思ってる。」 と正直に本心を告白する。
「いえ、それはないと思います。 彼女がお父さんのことを話す時、言葉の端々に尊敬とか畏敬といった感じがいつも出てる。」 と彼は驚くようなことを言う。 そこで僕は言った。
「うちの子供達は息子が母親似、娘は父親の僕に性格が近いような気が長い間してきたんだけど、こんなことを言うと本人のマヤは不本意かもしれない。」
するとアールは微笑して言った。  
「実は彼女も同じことを僕に言ったことがあります。」 これも驚きだった。 こんな会話は家族同士でもやったことがなかったからである。 アールという男が媒体になってくれたお陰で、知らなかったマヤの一面が覗けたことが僕にはとても嬉しかった。

川面を渡ってくる生暖かい真夏の風に、ふたりで2本目の煙草の煙を吹き出しながらの短い会話の最後に、アールが言った。
「マヤのことは安心してください。 過去にあったいろいろなことは全部聞いているけど、もう誰にも彼女を悲しませるようなことはさせません。 約束します。」
とまたまた実に憎いことをいう。 この男、女を口説くのと同じくらいに親を口説くのがうまい、そう思いながらも僕はすでに彼を信頼してもいいという気持ちになっていた。



あれから3か月半、ふだんマヤと僕とのあいだにはメールも電話もほとんど無いのは前と変わらないが、母親とはけっこう交信しているようだ。
今夜女房が言った。
「マヤは以前とくらべて見違えるように元気になってる。 電話の声に張りがあるし、メールの文面もすごく明るいしね。 サンクスギビングはパーティにも行かずふたりだけでひっそり過ごしたみたいよ。 私は以前のようにあれこれ心配する必要がなくなって、うんと楽になった。」


以前の悲しいマヤのことは数年前に 『娘への手紙』 に書いている。





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アメリカのいびつなデモクラシー

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マリリンのブロンズ像
Downtown Dayton, Ohio



大統領選挙の結果に世界中が衝撃を受けている中で、どうしても納得がいかないという気持ちが僕の内部でくすぶり始めて、それが次第に怒りへと変わっている。
その怒りは、僕が毛嫌いしていた男が大統領になってしまったことへではなくて、その男を選んだアメリカのいびつなデモクラシーへ対して向けられている。 アメリカの国民が選んだ男ならいかに嫌な奴でもしかたが無い。それに従うのが民主主義の原理だとは僕にもよくわかっている。 それなら諦めがつく。 ところがこのトランプという男、アメリカ国民が選んだ男ではないからである。 下の数字を見て欲しい。

ヒラリー・クリントンの投票獲得数 60,339,165
ドナルド・トランプの投票獲得数  59,988,438

圧倒的な大差ではないとはいえクリントンに投票した国民の方が多かったのは歴然とした事実なのだ。
僕らが子供の頃から叩きこまれてきた素朴単純な民主主義の原理に習うなら、クリントンが大統領になるべきだったのだ。 それがそうはいかず、世界中の人々をショックに打ちのめしたのは、アメリカの選挙制度で決められたエレクトラル・カレッジ (electoral college) と呼ばれるバカげた選挙法以外の何物でもない。
エレクトラル・カレッジとは簡単に言うと、各州ごとに一定のポイントが設定されていて、その州で最多数の投票を得た候補者がポイントを全部獲得する。 両候補への投票数が大差であれ小差であれ関係ない。 勝ちは勝ち、負けは負け。 というわけだ。 その結果今回の選挙ではこんな数字が出てしまった。

トランプ  290
クリントン 228
 
ところが僕にまったく納得がいかないのはこの各州のポイントの設定であった。
たとえば例を挙げれば

ワイオミング州(人口 580,000) エレクトラル・カレッジ → 3点
ノースダコタ州 (757,000)   エレクトラル・カレッジ → 3点
サウスダコタ州 (858,000)   エレクトラル・カレッジ → 3点
カリフォルニア州 (39,000,000) エレクトラル・カレッジ → 55点

州人口に比例してポイント数が設定されたとなっているが実はそうでもないところが実に杜撰(ずさん)と言わなければならない。 なぜならもしワイオミングに3点を与えるなら、その67倍の人口を有するカリフォルニアのエレクトラル・カレッジの点数は55点どころか200点以上になってもよいはずだ。 (そしてこのカリフォルニア州ではクリントンが60%対30%で大勝している)

だいたいこのエレクトラル・カレッジそのものが大昔の遺物で、1700年代にマディスンとハミルトンの二人の政治家によって設立された。 黒人の奴隷はもちろん白人女性にも選挙権がなく、地所を所有する裕福な白人男性だけが参政していた時代の話である。 このエレクトラル・カレッジの制度はその後たびたび改定されたとはいえ、全国民が平等に選挙権を持つ現代、こんな旧弊な不完全なシステムにいまだに固執するアメリカという国が理解できないのは僕だけではなく、国民の直接投票で代表を決めるヨーロッパの国々からも大きな疑問が投げかけられている。 もちろんアメリカ国内でも同じで、今回の大統領選挙後にあらためて論争の的(まと)になりそうだ。 いやすでになっている。
なぜ国民の直接投票で決めないのか?
そうであるべきだと僕は信じている。 国民にしてみても自分の1票が直接そのまま結果にひびくと思えば、今よりもっと積極的に投票に参加するのはまちがいなく、選挙に関心の薄い貧困層をはじめ全体の投票率もずっと上がるはずだ。

そういえば、かつて2000年のアル・ゴア(民主党)対ジョージ・ブッシュ(共和党)の大統領戦でも同じことが起こったのを思い出す。
エレクトラル・カレッジの点数でブッシュが小差で勝って大統領となったが、国民の投票数ではゴア候補がブッシュを上回っていた。
今回の選挙とまったく同じだ。


世界でも民主義国家の代表と自他共に認めているアメリカが、こんなわけのわからない反民主主義的なやり方で大統領を選ぶのは、実に不思議で不可解なことだと僕は思っている。 このことをアメリカは世界に恥ずべきである。

それにしても
あーあ、これからの4年間が思いやられる。 
むしゃくしゃするから酒だ酒だ!






 
   

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ハロウィーンのころ

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冬がすぐそこまできている気配がする。 あの寒くて長い冬が。
テニスショーツにポロシャツというのが僕にとっては夏のユニホームでつい夏中をそんな格好で過ごしてしまったのが、秋もたけなわとなった今はジーンズに長袖のシャツという季節となり、おしゃれにはまったく縁のない僕でさえ、今日はジーンズにするかカーキのパンツにするかとか、シャツの色合いや柄などにも数秒間だけ思案をしたりする。 以前なら手当たりしだいにそばにあるものを何でも着て、女房に言われるまで何日でも同じものを着用していたのを思うと、年をとって少し洒落っ気が出てきたというか、色気づいたというか、これは何なのだろう?

そんな僕だけどなぜかコート類にはけっこう選択肢を持っていて、ブルーの薄手のゴルフジャケットからフード付きの厚い冬用のもの、黒のレインコートもあれば消防車のような真っ赤な色をしたウィンドブレーカーやぞろりと長いウールのツイードの外套もある。 なかでも一番気に入っていたのはバイカー用の黒皮のジャンパーだったのが長年愛用したあと、一時自分がぶくぶく太ってしまって合わなくなった時に息子の太郎に譲ってしまった。 今ではまた体重がずっと減りむしろあの頃よりも痩せ気味になったので、息子から取り戻したいと思いながら彼がいつもそれを着ているのを見るとちょっと言い出せないでいる。
あ、それから忘れてはならないのが、チャコールブラウンのスエードのコート。 薄くて軽くて暖かく、1年を通して着用する頻度からいえばこれが一番かもしれない。


そんなわけで、コートを着る季節が到来している。
外に出かける前に、その日の気温によってどれにするかの選択に5秒間ほど考える。 さらにマフラーをするかしないかに3秒。 それから帽子はどうする? 白のベースボールキャップにするか、厚い毛糸のスキー帽にするか、それとも焦げ茶のボルサリーノ、あるいは無帽? それを決めるのにやはり5秒かかる。
問題は履物である。
僕は靴というものは3足しかもっていない。 黒の正装用、茶色のスリッポン、テニスシューズの3足で、それに夏はもっぱらサンダルで通した。 というのは、10足ほど持っていた靴を今回の引っ越しでまず絶対に履かないと自信のあるものを処分したら、結局のところ3足だけが残ったのだ。 それがつい先日、あれほどブーツを嫌っていた僕が何を思ったか、ブーツを1足手に入れた。 ブーツといってもくるぶしを隠すほどの短さで、これがあれば今年の冬は雪の中を自由に歩けそうだ。 早く冬が来ないかと今から楽しみだ。

考えてみると、十月に入ってからハロウィーンまでのひと月が、1年を通して僕のもっとも好きな季節だといってよい。
川辺りの並木道には地面も見えないほどに落ち葉が散乱して、川面を渡って顔に当たる微風にはしっとりとした冷たさがあり、風景の中の空気は透明で清々しい。

煙草が美味しい。





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大統領選挙

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11月8日の大統領選挙がすぐ目と鼻の先へ迫っている。
連日のテレビのニュースはどのチャンネルに回しても、ヒラリー・クリントンとドナルド・トランプの対決に絞られていて、世界中で起こっているほかのニュースは影を潜めたような感がある。
今回は、トランプというめちゃくちゃな候補者がメディアに格好の話題を提供しているおかげで、過去の大統領選挙とは比べものにならないほどの大騒ぎになった。

それにしてもまあ、トランプという男は次から次へといい加減な嘘八百を堂々と吐き続けて、その嘘がバレても絶対に謝ろうとしないで逆に開き直っているのには、立派なものだと感心さえしてしまう。 選挙運動中の候補者の演説の内容をファクトチェッキング(事実確認)をするのはメディアの役目なんだけど、クリントンでさえ演説の中で数字や人名や地名などのエラーが13%もあるという。 ところがトランプにいたってはその数字が80%以上となっていて、しかもその大半は単なるエラーじゃなくてまったくの事実無根だというから呆れる。
このところ話題になっているのは、彼に性的なハラスメントを過去に受けたという女性が次々に出てきて、きのうは11人目の被害者がテレビでインタビューをしていた。それに対してトランプは11件の事実を完全に否定して、すべてが彼を陥(おとしい)れるための政治的な陰謀だと断言している。

こんな書き方をすれば、今回の選挙でアメリカ国民から圧倒的に支持されるのはクリントンに間違いないような印象をうけるのに、事実は必ずしもそうではないところが実に不思議なことだと思う。 この二人の支持率がかなり接近していて、テキサスやフロリダなどの州では逆にトランプがクリントンを抜いているというのが、僕にはどうしても理解できなかった。
つまり国民の半分近くがトランプを支持していて、その中核をなしているのは労働者階級で大学教育を受けたことのない白人の男性だそうだが、中には女性や黒人やラテン系の人たちも多いという事実には驚いてしまう。 女性や黒人やラテン系の層に対して、トランプは偏見の姿勢を示唆しているにもかかわらずである。

メディアによると、従来の政治や政治家に飽き飽きした国民がトランプというエンターテイナーに新鮮な魅力を見出したと解説しているが、トランプの演説を聞いているとその内容や口調や動作についアドルフ・ヒトラーを思い出してしまうのは僕だけではないだろう。 ヒトラーが持っていたカリスマをトランプも確かに備えているようだ。

アメリカ市民じゃないから選挙権を持たない僕は黙って事の成り行きを眺めるしかない訳だけで、いやもし選挙権があっても必ずしもクリントンの政策を全面的に支持はしないだろうけれど、トランプが大統領になればアメリカは危険な状態になるのは確実だと思っている。 これは日本にとっても危険なことだ。
もともと僕は民主党の予選で頭からバーニー・サンダース候補にすっかり惚れ込んでしまい、彼のキャンペーンに少額の寄付を数回にわたってしたほどだった。 クリントンを抜いて民主党代表となってほしく、自分に選挙権が無いことをこれほど残念に思ったことは、8年前のあのオバマの選挙でさえ感じたことがなかった。 思えばサンダースの出現は現在のアメリカの状態では10年早すぎたのかもしれない。
あとは、クリントンの勝利を願うばかりである。


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トシオとコータロー (追記)

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米子幼稚園



この写真を探し当てるのにまる2日かかった。
本来なら前回の記事にいっしょに載せたかったのに、どうしても見つからないので諦めて 「トシオとコータロー」 を公開してしまったあと、やっぱりあの写真は載せたい、と思い直して大々的に捜索を始める。
引っ越しのドサクサでどこかに紛れてしまったらしい。 ようやく片付いたばかりの新居なのに、またまた僕が家中の戸棚や本箱をひっくり返して何十冊というアルバムを取り出したり、整理されていない写真の束を床にばらまいたりするのを見て、女房は口の中で言葉にならない小言をつぶやきながら、それでも表立った抗議がこないのは、コータローの写真を探しているのを知っているからだった。 そうでなくともこの数日間は、友人の死で沈んでいる僕をまるで腫れ物に触るように扱っている。

「おまえどこに隠れてんだ。 いい加減で出てこいよ」 などとぶつぶつ言いながら、まるで、紛失した宝くじの当たり券を探すような勢いであちこちを引っかき回していたら、この、手札版よりもずっと小さな色褪せた写真は分厚いプリントの束の中からひっそりと出てきた。



さてそこで…

子供達の1番前で頭に大きな絆創膏を貼って、指をくわえているのがコータローである。
そういえば、幼稚園から小学校へかけてのコータローはどの写真を見てもなぜか必ず指をくわえている。 くわえる指が1本の時もあれば2本の時もある。 中には両手の指を1本づつ口の中へ入れている写真もある。 あの習性がいつ無くなったのかを訊こうと思いながら、ついいつも忘れて訊かないままに時が経ってしまった。 もう訊けない。
そして、コータローのうしろで T の野球帽をかぶった、まるで皇太子のように気品のある少年がトシオだとは、説明するまでもなくすでにお分かりでしょう。

さらに付け加えると
先生たちの中で向かって左から二人目に顔を見せているのが僕の母である。







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トシオとコータロー

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米子市 渡部邸にて 2002年 
撮影 古門吉郎



コータローが死んでしまった。
これには参った。

僕の引っ越しで住所や電話番号が変わったり、インターネットの接続がオフになったりしたために、しばらく彼との交信が途絶えたあと、ようやく連絡が取れるようになったのは9月に入ってからだった。
つい2週間前の彼からのこのメールはふだんより饒舌で、そこには忍び寄る死の影などまったく見られない。


トシオの近況がわかってホッとしてる。

我が家は父も母も妹も癌で亡くなっており、「わしも死ぬ時は癌だ!」 とカバチをたれていたら
案の定、癌に取り付かれてしまった。
3月の始めに、ホームドクターの紹介で労災病院に不整脈の検査に行ったら
「あなた不整脈どころでありませんよ」 と即刻入院させられた。
自覚症状全く無し。 その後検査するうちに内臓障害も見つかり色々治療を受けているが
一番参ったのは最初の1ヶ月半続いた水耕栽培 (24時間の点滴)で
その結果全身の贅肉、筋肉が落ちガリガリになってしまった。 70キロあったのが 55キロまで落ちた。

病気の話を書くと延々と続くのでこのくらいにして今日は引っ越しの話をしよう。
トシオの引っ越しが大変だったのはブログで読んで知っていた。
それに前回のメールで、コータローなんかこんな大きな引越はやったことがないだろう、とトシオが書いていたけど
実は大きな引越は所帯を持ってから2回経験している。
最初のは大阪から東京。 2度目は東京からUターンして米子だったが、この2度目の引っ越しが大変だったんだ。
夕方荷物を送り出したあと、家族は新幹線で京都へ、そこから夜行で米子に朝着いて荷物を受け入れる、という予定でいたのが
台風の接近でJRのダイヤはズタズタ、東名、名神の高速道路も海岸に近い所は波をかぶっていた。
そこで予定を変えて明け方に岡山まで汽車で行き、岡山駅でタクシー運転手とさんざん交渉して
切符の払い戻し金でやっと米子にたどり着いたと思ったら、トラックはまだ着いて無いし、やっと着いたと思ったら
荷物がビショビショに濡れていたり、と大変だったよ。

トシオの引っ越し話でこんな事を何十年振りに思いだしている。
何はともあれまず病気を治します。

9月16日
コータロー

このメールが届く前に僕はコータローの奥さんと電話で話しをしている。
久しぶりに聞く彼女の声が、思ったよりずっと明るいのにほっとする。
コータローは身体の痛みがまったく無く (それを聞いて嬉しくなる) 食欲もあって、なんでも好きなものを食べて良いと医者が言っているそうだ。 あまりにも痩せすぎたので人に会うのを嫌って面会はしないけれど、電話と携帯メールはやっているという。 そういえば同じ郷里仲間のY子さんの話では、コータローは電話の声も元気でひょっとしたら治るかも、と言っていたくらいだったのに。
上記のコータローのメールに僕は返事を書いたが、何日経ってもコータローからは何も言ってこなかった。



この数年間に僕は大学時代の仲間を二人失っている。
長い人生の中のもっとも華やかだった青春時代を共有した連中が、相次いで消えてしまった時、僕は身体中が寒々とするような寂しさを感じた。
しかし、コータローと僕が共有したのは青春だけではない。
物心ついた子供の時以来、事実上の全人生を分け合ってきた。 70年にわたるつき合いだった。



9月30日の未明に僕は、まるで墓場から蘇った死者のようにポッカリと目を覚ます。 こんなことは珍しい。 時計を見ると午前4時半である。
どうしても眠りに戻ることができないままに、僕は起きだしてキッチンへ入るとコーヒーの豆を挽く。 フレンチプレスのコーヒーができるあいだに仕事部屋の PC のスイッチをオンにする。
メールが1通入っている。 郷里のY子さんからだ。

            トシオ、さっき、午後5時半にコータローが死んでしまった。 悲しい…


その文字を凝視しながら、深いため息をつく。
あいつ、俺の誕生日に死にやがった。
そうか、日本時間の午後5時半といえばこちらの午前4時半だ。
コータローは俺を呼んだんだ。
「トシオ、起きれや。 わしゃ先に行くで」。


***





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アパートの住人たち

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ダウンタウン 1





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ダウンタウン 2


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ダウンタウン 3




ダウンタウンへの引っ越しが終わって2ヶ月も経つと、そろそろ同じアパートにどんな人たちが住んでいるのかが少しづつわかってくる。
このビルには70世帯が入っているという話だが、若いカップルや独身者がその大半を占めているのは明らかで、あとはわれわれのようなシニア層の人たちが少数派として居住するみたいだ。 子供のいる家族はまるでいないか、いるとしてもまだ1度も子供を見たことがない。 ここには3ベッドルームの大きなアパートもあるから小さな子供を持つ家族がいてもおかしくはないはずなのに。 そしてほとんどの住民が仕事持ちの勤め人であることは、夜にはぎっしりと詰まっていた駐車場が朝はがらがらになっていることでわかる。 10数台だけ残された車の持ち主が、引退したシニアの連中だとみてよいのだろう。 もっともしばらくして気がついたのはそうばかりとは言えないようで、ブルーの仕事着の若い医者や看護婦をよく見かけるのはすぐ近くに大病院があるからだろうが、この人たちの生活は夜も昼もないようで、夕方に出勤して朝早くに帰宅したりする。 また戦闘服にブーツという格好の軍関係の人たちもけっこういて、彼らもまた昼夜の区別がない勤務をしているようだった。

住民たちは人種的に見ても、白人、黒人、東洋人、ヨーロッパ人と雑多に混じっている。 耳に携帯電話を当てて通り過ぎる人の会話が、スペイン語だったり韓国語だったり、あるいは僕には判別のつかないどこかの東欧語だったりする。 でも日本人だけはまだ1度も見かけたことがない。

とまあこんなぐあいで、年齢も人種も職業もいろいろな1群の人間が1つのビルの中で生活しているわけだから、お互いに接触するチャンスがいろいろとあるのは当然で、ロビーですれ違ったり表玄関のドアで鉢合わせしたり駐車場に同じタイミングで車を停めたりする。 ただ1階に住む僕らにはエレベーターの中で誰かと一緒になる、ということだけはないけれど。 ほとんどの人たちが驚くほどフレンドリーで、「ハイ」 とか 「ハロー」 とか 「グッドモーニング」 とか笑顔で挨拶をする。 ほとんどの人たちが、と書いたのは中にはそうじゃない人もいて、向こうから顔をそらせて無言ですれ違う人も時々はいる。 そういうの決まって若い女性で、「知らない人と誰でも気安くするという習慣は私には無いからね」 という意固地さがその動作に表れているようである。

それで思い出したのは僕らが入居して数日目に、隣の部屋の住人とばったりドアの前で顔を合わせた時のことだった。
40代のアメリカ人男性で、僕の顔を見ると 「ハイ」 とそっけなく言い捨ててあたふたと出かけていった。 隣人同士の初対面の挨拶でもしようと思っていた僕はちょっとあっけにとられて、失礼な奴だなあと思いながらそのことは忘れてしまっていた。
その日の夜、誰かがドアをノックするので開けてみるとそこに今朝会ったばかりのお隣に住む彼がいて
「今朝ほどは失礼しました。 私は空軍基地に勤めるエンジニアなんだけど今朝は仕事に遅れてしまって泡を喰らってたんでね、 勘弁して下さい。 何かわからないことがあったらいつでも声をかけてください。 といっても私は一人住まいで勤務時間がメチャメチャなので居ないことのほうが多いかもしれませんが。 とにかく今後ともよろしく」 と言って握手を求めてきた。
それ以後ほとんど2月(ふたつき)が経つというのに、この彼の顔を見たことは1度もない。


同じビルの住人と顔を合わせるチャンスが何といっても一番多いのは、犬の散歩である。
ペットを飼う人たちがけっこう多いということは管理人から聞いていたけど、これほどまでとは思わなかった。 プードル、ラブラドール、ピットブル、数種のテリア、ワイマラナー、レトリーバー、ダルメシアン、など、外に出ればたいていどれかの犬を見る。 しかも気がついたのは、たいていの犬は外でさっさと用を足してしまうとすぐにオーナーに中へ連れ戻されるようで、僕らのようにゆっくりと時間をかけて散歩をする犬は少ない。 だから犬のオーナーたちと話をするなんてことはほとんど無く、ふだんは簡単な挨拶を交わすだけである。
犬同士の交際は、概していえばまあまあうまくいっているようでオーナー同士がお互いによく気を使うからこれといった問題はないようだった。 ただ、ひとりのオーナー、彼女は若い中国人なんだけど大きめのレトリーバーのコントロールがあまりできなくて、猛烈に吠えまくって他の犬と掴み合いになったり、ロビーでいきなり僕に飛びかかってきたりする。 犬としては攻撃というわけじゃなくて親密さを過度に表現しているのだとは犬好きの僕ならわかるけど、犬の好きじゃない人にとっては恐怖の体験だろう。 と思ったら案の定、彼女に対しては(犬に対してではなく)幾つかの苦情がすでに事務所に出ているという。 もし彼女に愛犬のコントロールができないようなら、飼うことを止めるかそうでなければこのアパートを出るような結果になるだろう、とはこれは毎日のように出会う仔犬のワイマラナーのオーナーの話しである。

このワイマラナーのオーナーというのは年齢が60代後半のアメリカ人男性で、僕と同じくリタイアしたらしく仕事に出ることもないようで、僕とは毎日のように何度も犬の散歩で顔を合わせる。 独身者であるのは明らかで、このニッキーという名の、美しいグレーの光沢に輝くワイマラナーの仔犬を眼に入れても痛くないほど可愛がっている。 古いボルボのステーションワゴンに乗って買い物に外出する時も、仔犬が一緒でないことはまず無い。 時々、1日2日のあいだ彼のボルボが駐車場から消えてしまうことがあるのは、たぶん家族の誰か、娘とか息子とかに会いに行ってるのかもしれないと推測するだけで、そんな話を聞くほどにはまだ親しくなってないのである。

このビルの住人たちのことでもう一つ気がついたことがある。
ゲイやレズビアンが多い、ということなんだけどそのことを書くのは次の機会にしよう。







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携帯電話のこと

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青い噴水



最近、携帯電話を買い替えた。
長いあいだ使っていた旧式のやつ (日本でガラケーと呼ばれるあれ)が、ある日ついに働くことを止めてしまい、それで仕方なく、という感じでスマートフォンを手に入れたんだけど、使い始めてみるとこれが実に具合がいい。 まずそのサイズが馬鹿でかいからスクリーンの字がとても読みやすい。 それと、これは僕が知らなかっただけだけど、付いている機能が旧式の電話とは比べものにならないくらいに充実している。 日本ではパソコンをやめて携帯電話に切り替える人の数がどんどん増えているというのも大いに頷けた。

最初、新居となったビルの中までは外からの電波が届きにくく、いちいち中庭に出て電話をしていたのが、ケーブルとインターネットの設置で自宅のワイファイが使えるようになってからはその不便も解消した。 ただ発見したのは、電話を使いながら外から家の中へ入るととたんに電波がドロップする。 電話会社のシグナルと自宅のワイファイとの切り替えがうまく行ってないのだろうが、電話の使用量が仕事をやめてからは極端に減った僕にとっては、どうってことはない問題だった。 電話を耳に当てながらブリーフケースを抱えて、あたふたと外出する、なんて生活とはもうすいぶん前にグッドバイしている。 どこで電話を取ろうと、その場でゆっくりと応対すればいいのである。 それともう一つ、今の僕がカルト教団の狂信者みたいに死守しているルールが一つだけあって、それは車の運転中には電話に出ない、ということだ。 絶対に出ない。 発信者の名前すら見ない。 自分のスローライフをこんな形で周りの人に蔓延(まんえん)しているとも言える。


スマートフォンを持つようになって、普通の音声通話よりもテキストメッセージの数がぐんと増えたのに気がつく。 古い電話のキーボードがいかに使い難かったかがわかる。 まだ日本語のソフトを入れていないのでテキストはもっぱら英文だけなんだけど、グーグルのソフトが実にうまくできていて、英語のスペルを途中まで入力するとあとは候補の単語がいくつか上に出てくるので、それをタップするだけですぐに次の語へ進めばいい。 文章が驚くほど早く書けてしかもミススペルが無いのだ。 自分でも気が付かないでつい自然と饒舌になっている。
テキストメッセージの良いところは、同じ1対1の会話でも電話とかチャットと違って束縛感が薄いから、返答が遅れたり途中で座を外したりしてもあまり気にされないことだろう。

ある土曜日の午後に、息子と僕のあいだでこんなテキストが飛び交ったりする。

息子 「父さん、どうしてる?」
父 「おれは調子いいよ。 そちらは?」
息子 「芝刈り機を運転しててウルシにかぶれたらしく顔が倍に腫れちゃってる。」
(彼はアテネ郊外の大邸宅に住む老嬢に雇われて、庭の管理をしている)
父 「そうかそれはかわいそうだな。 父さんも子供の頃よくかぶれたけど、大人になってからは1度もないよ。」
息子 「今何してる?」
父 「テレビでテニスのUSオープン見てる。 錦織とカーロヴィッチ。 今回は錦織の調子がすごくいい。」
息子 「ああ、カーロヴィッチって2メートル10の大男だよね。」
父 「そうだ。 だけど彼はなぜプレス連中に Dr. Evil って呼ばれるんだろ?」
息子 「あれはね、コメンテーターのブラッド・ギルバードが映画のシリーズから付けたニックネームだよ。 異様に大男だから。」
父 「そうか。 たしかに身体といい顔といいテニスプレーヤーにはちょっと異様だ。 フランケンシュタインにそっくりじゃないか。」
息子 「あはは、その試合の結果は僕はもう知ってるけど言わない。 父さんはいつも1日遅れの録画しか見ないからね。」
父 「いや、これは錦織の圧勝だろうな。 賭けてもいい。」
(ここで息子の返信がしばらく途切れるので僕はそのまま続けて打つ)
父 「テニスといえば、おれはシンクレアのテニスのクラスを取ることにしたよ。 土曜の朝の9時からだ。 今日でもう3回目だ。」
息子 「それはいい! シンクレアなら新しいアパートから歩いても行ける距離じゃない。 それでクラスはどうだった?」
(ここで誰かがドアをノックするので、開けてみるとアマゾンからの小包が届く)
父 「いやあ、ちょっと参ってる。 別に年齢の制限とかは無いはずなのに参加者のほとんどがシニアなんだ。 まあ自分もシニアだから不満は言えないとはいえ、ちょっと程度が低すぎるんだな。 まず最初のクラスの日に、始まってから15分もしないうちに女性の一人が卒倒して床に寝たまま動かなくなったんで、救急車を呼んだり警察が来たりで大変だったんだ。」
息子 「まあ父さんもこのところ身体がナマッてるだろうからしばらくはそれでやってみたら? そのあとほかのクラスへ移ればいいじゃない。」
父 「うんそのつもりだよ。」

というぐあいである。
息子は自分の方から電話などまず掛けてこないくせに、テキストはこうして時々打ってくるのはなぜなのかは、何となく僕にもわかる。 電話で話す時のあの改まった緊張感を持たないで、気軽に呼びかけができるからだろう。
新しい電話でテキストメッセージをやるようになってから、息子だけではなく周りの人との対話がたしかに増えたのは喜ばしいことには違いない。


***



今日の写真はフィレンツェのピッティ宮殿の中庭をそぞろ歩きした時に撮ったもの。
なんて言えばカッコいいけれど、実はこれも我がアパートのコートヤードの壁に取り付けられた噴水なのだった。
ビルの管理人の話では魚の口からちゃんと水は出るそうだ。 誰も来ない庭に噴水を出すのも不経済だからと、ふだんは止めているという。
そしてこの噴水の壁の真裏にあるのは、ほかでもないわが家の寝室で、寝室の窓から首を出せばすぐそこに、シャチホコのような怖い顔の魚がいる、というわけなのです。





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