過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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September30

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音楽、映画、絵画、本、など

2017/02/28  デイトン・アート・インスティチュート (最終回)
2017/02/25  デイトン・アート・インスティチュート (3)
2017/02/23  デイトン・アート・インスティチュート (2)
2017/02/22  デイトン・アート・インスティチュート (1)
2016/12/20  アメリカの切手
2016/08/25  雲を見ていたら
2016/05/01  動物好きの絵描きさん 26 ウサギ二題
2016/02/18  ミッドナイト・ラン
2015/12/25  メリー・クリスマス!
2015/11/30  動物好きの絵描きさん 25 カーディナル
2015/08/16  心に残るメロディー
2015/03/12  動物好きの絵描きさん 24 猫
2015/02/10  動物好きの絵描きさん 23 ペンギン
2014/12/10  ジャポニスム
2014/12/06  一夜だけの別世界ヘ行く
2014/08/26  動物好きの絵描きさん 22 リス
2014/07/29  動物好きの絵描きさん 21 オオカミ
2014/05/05  動物好きの絵描きさん 20 キリン
2014/04/18  Shall we ダンス?
2014/03/24  人は愛がなくとも生きることができるか?
2014/03/15  動物好きの絵描きさん 19 カンガルー
2014/01/19  寒い国から来たギター弾きを見ませんか?
2013/11/24  流れ流れてエジプトへ
2013/11/18  コサックたちと飲む
2013/10/18  レッド・ガーランドに惚れちまった
2013/09/16  動物好きの絵描きさん 18 イグアナ
2013/08/31  危険な関係
2013/07/29  動物好きの絵描きさん 17 トリ
2013/07/20  これほど悲しい歌を聴いたことがあるかい?
2013/06/10  動物好きの絵描きさん 16 サル

デイトン・アート・インスティチュート (最終回)

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GARDEN SEAT, 19th century

Chinese
Qing dynasty (1644-1911)










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DANCING HORSE, 7th century

Chinese
Tang dynasty (618-907 A.D.)










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WINE BOTTLE, 17th century

Korean
Chonson dynasty (1392-1910)










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LILIES, 1981

Yoshiko Ishikawa
Japanese (born 1929)










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MOUNT ARIMA IN SETTS PROVINCE, 1858

Utagawa Hiroshige
Japanese (1797-1858)










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SHINAGAWA : DEPARTURE OF THE DAIMYO, c. 1833-1834

Utagawa Hiroshige
Japanese (1797-1858)










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MISHIMA : MORNING MIST, c. 1833-1834

Utagawa Hiroshige
Japanese (1797-1858)










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KANBARA : NIGHT SNOW, c. 1833-1839

Utagawa Hiroshige
Japanese (1797-1858)










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JOSENJI TEMPLE AND BUDDHA, c. 1830-1850

Utagawa Hiroshige
Japanese (1797-1858)










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NO.2, SHINAGAWA : VIEW OF THE STATION FROM GOTEN-YAMA, 1855

Utagawa Hiroshige
Japanese (1797-1858)










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THE FALLS AT AOIGAOKA IN THE EASTERN CAPIAL, c. 1833

Katususika Hokusai
Japanese (1760-1849)










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ONIWAKAMARU FIGHTING THE GIANT CARP, c. 1825-1830

Utagawa Kuniyoshi
Japanese (1797-1861)










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GO PLAYERS, 19th century

Japanese
Meiji Period (1868-1912)










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Dayton Art Institute

Founded in 1919
Designed by Edward B. Green
Modeled after the Villa d'Este near Rome and Villa Farnese at Caprarola in Italy


美術館の真ん前を我が物顔に走っているインターステート75号線が、見ての通り美観を損なうことこの上もない。 このハイウェイがデイトンの産業の発展になくてはならないものだとわかっていても。
昔は美術館の裏側にあたるギリシャ正教会と共に、川のほとりの美しい風景になっていたと想像できる。


(終)






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デイトン・アート・インスティチュート (3)

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PORTRAIT OF AN AMERICAN INDIAN CHIEF, c. 1900-1910

Joseph Henry Sharp
American (1859-1953)










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PORTRAIT OF A DAUGHTER OF DEITERICH BROMSEN, c. 1632

Michael Conrad Hirt
German (c, 1615-after 1694)










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THE BEAUTY OF FINISTERRE, BRITTANY, c. 1890

Henry Mosler
American (1841-1920)










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LANDSCAPE WITH THE BIRDS, 1620

Roclandt Savery
Flemish (1576-1639)










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DANCING GIRL, c. 1863

After Jean-Leon Gerome
French (1824-1909)










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SUNDOWN : RETURN OF THE CATTLE, 1897

Leon-Augustin Lhermitte
French (1844-1925)










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BLISSFUL HOURS, 1885

Samuel Richards
American (1853-1893)










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LANDSCAPE, 1919

Soren Emil Carlsen
American (1853-1932)










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STACKS IN CELEBRATION, 1954

Charles Sheeler
American (1883-1965)










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THE FRUITS VENDORS, c, 1937

Alfredo Ramos Martinez
Mexican (1871-1946)










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RAIN AND REFLECTION, 1962

Julian Stanczack
American (born Poland, 1928)










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〈前景〉
LOST AND FOUND, 2003

Alison Sarr
American (born 1956)



〈背景〉
EMBROIDERY FROM UZBEKISTAN, 2008

Janet Fish
American (born 1938)





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デイトン・アート・インスティチュート (2)

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END OF THE TRAIL, 1918

James Earle Fraser
American (1876-1953)










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NOTES IN THE CITY, 1954

Fernand Leger
French (1881-1955)










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WATERLILIES, 1903

Oscar-Claude Monet
French (1840-1926)










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DINNER AT THE CASINO, 1906

Gaston La Touche
French (1854-1913)










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STILL LIFE WITH APPLES AND GRAPES, c. 1878

Edward Edmondson, Jr.
American (1830-1884)










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HIGH NOON, 1949

Edward Hopper
American (1882-1967)










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UNTITLED, 1977

Willem de Kooning
American (1904-1997)










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STUDY HEADS OF AN OLD MAN, c. 1612

Peter Paul Rubens
Flemish (1577-1640)










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BOY WITH DOG, c. 1860-65

Charles Soule, Jr.
American (1834-1897)






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デイトン・アート・インスティチュート (1)

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ODALISQUE WITH MAGNOLIAS, 1923

Henri Matisse
French (1869-1954)


ダウンタウンに引っ越しをしてから美術館がうんと近くになった。
裏の川へ出ればすぐ川向うに見えるイタリアのヴィラ風の赤い屋根の建物がそれである。 橋を渡れば歩いても簡単に行ける距離だ。 だから最近はカメラを下げてよくここへ来る。 館内は特別展以外はいっさい撮影自由だから、気に入った絵や彫刻を遠慮無く撮影しているうちに、自分のコレクションがどんどん増えていく。

問題は撮った写真をフォトショップに現像して作品を再生する時に、比較すべきオリジナルが手元にないことだった。 エッチングやスケッチならもともとモノクロだからそれほど困ることはないが、油絵などのペインティングだと自分の記憶にあるオリジナルの色を想像するしか無い。 ところがその自分の記憶ほど当てにならないものはないから、結局はあれこれ試行錯誤のあとで自分の気に入った色にしてしまう、という原作者が知ったら卒倒してしまいそうな恐ろしい芸術的冒涜を犯しているのである。

だからここに載せた一連の美術品は、デイトン美術館のコレクションではなくて僕自身のコレクションということになる。










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STILL LIFE, 1946

Giorgio Morandi
Italian (1890-1964)










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THE BULL, 1946

Pablo Ruiz Picasso
Spanish (1881-1973)










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BULL IV, 1973

Roy Lichtenstein
American (1923-1997)










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BREAD AND WINE, 1932

Niles Spencer
American (1893-1952)










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PORTRAIT OF A WOMAN, 1872

Marry Cassatt
American (1844-1926)









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THE DEAD CHRIST, c. 1500

Attributed to Cristoforo Solari
Italian (Active 1489-Died 1527)









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THE PIGEON TOWER AT BELLEVUE, 1890

Paul Cezanne
French (1839-1906)









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THE CLOCK TOWER, VENICE, c. 1760

Francesco Guardi
Italian (1712-1793)










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BET I GET HIM, 1921

Grace Carpenter Hudson
American (1865-1937)










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THE SONG OF THE NIGHTINGALE, 1895

William-Adolphe Bourguereau
French (1825-1905)










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ARAB CARAVAN, c. 1860

Adolf Schreyer
German (1828-1899)





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アメリカの切手

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もう来週はクリスマスでそのあとは新年、とふだんまったく忙しくない僕でさえ何となく慌ただしくて落ち着かないこの頃。
毎日のようにクリスマスカードが到着する。 去る8月に引っ越したことは知人友人に洩れなく全員に通知したわけじゃないから、前の住所に宛てて出されて新住所に回されて来た郵便物がけっこう多い。 引越し前にちゃんとそれぞれ住所変更を届けた郵便局、銀行、保険会社、医療関係、年金の役所、などはすでに数カ月前から新しい住所に必要な刊行物が来ている中で、かんじんのF銀行だけがいまだに古い住所へ送っているのに気がついて先日わざわざ電話で苦情を言ったら、なぜか住所変更がされていませんでした、これからはもうだいじょうぶですと言う。 そうしてつい昨日、F銀行から住所変更を完了しましたという通知が届いた。 よく見るとその封書はなんと古い住所へ送られたものが新住所へ回されて来ていた。 住所変更を完了しましたという通知を古い住所へ送るなんてまるでジョークじゃないか、やれやれこれがアメリカか、と可笑しいのと腹が立つのが半々だったが、ことが銀行だから放っておく訳にはいかない。 また最初からやり直しである。

そんな杜撰なアメリカの銀行はともかく、アメリカの郵便局はUSPS(The United States Postal Service)の略称で呼ばれる、連邦政府とは別個の政府機関で全米で60万人の被雇用者を抱える大企業だが、そんな巨大な組織なのにもかかわらずけっこうちゃんと運営されてるんだなあ、と今回の引っ越しで改めて感心した。 引越し後の新住所にはスタンプを押された郵便がきちんと回送されてくるし、その中にはあれほど多かったどうでもいいジャンクメールがいっさい入っていないのは嬉しい。

アメリカの郵便事情は他国と比べてもかなり良いんじゃないかなと思うけど、どうだろうか?
近隣の住所なら2日目には配達されているし、カリフォルニアなど遠方に手紙や小包を送っても数日で確実に着く。 もっともクリスマスと年末が近いこの時期には、もっと日にちがかかるようだけれど。 思い返してみても途中で紛失してしまったという事故が何十年とここに住んでいて1度もない。 そのかわり日本やヨーロッパへ向けて送ったものが、アメリカを離れたとたんどこかに消えてしまったという経験なら、今年は1度、去年は2度もあった。 最近のファーストクラスの郵便には無料の追跡機能が加わったけど、これは陸を離れて他国へ渡ってしまうと追跡は不可能となる。 ある時など、日本国内で失われてしまった大判の封書(中身は台紙付きの写真)は3か月後にボロボロになって宛先に配達されたということもあった。

ようやく話が切手のことになる。
アメリカの切手は業務用の普通切手は別にして、一般人が郵便局で買い求めるのはすべて日本で言う記念切手のようなものだ。 切手をください、とカウンターで言うと、1枚だけを買う場合は別として4枚とか12枚とか20枚とかのシートで購入すると眼の前に華やかな色合いやさまざまのデザインの数種類ものサンプルが出てくる。 買いに行く度に新しいデザインのものが出てくるのも楽しい。 現在は封書用の切手は封書の重量が1オンス(28.35g)以内なら1枚47セントで買うことができるが、大抵の人が買う切手は値段の書かれていない、上の写真のようないわゆる 「永久切手」 というやつである。 この永久切手は10年ほど前に考案された。 それ以前は毎年のように切手の値段が上がる度にその分の1セントや2セントの切手を別に購入して封書に貼り付けなければならなかったその煩雑さを、永久切手が解消した。 つまり、その時点の切手価格で永久切手を購入しておけば、その後は切手の価格が上がろうと古い切手をそのまま貼ってやればいい。 5年前に買った42セントの永久切符を持っている人は、47セントまで値段が上がった現在でもそれがそのまま使えるのである。 これは便利だ。

それと、アメリカの切手は日本の切手にくらべて概して鮮やかな多色刷りでデザインも細部のディテールに凝っている。 印刷費には日本の切手よりも金がかかってるように思えるがどうなのだろう? 








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雲を見ていたら

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おうい雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきそうじゃないか
どこまでゆくんだ
ずっと磐城平(いわきたいら)の方までゆくんか
                                                      ――― 山村暮鳥





裏の川に出てみると、秋を感じさせる涼しい空気の中、空いっぱいに素晴らしい雲が広がっていた。
いや素晴らしいという表現では物足りなくて、英語の 'spectacular' という言葉がピッタリとくるような雲の群れだった。
驚いて思わず 'What a sky' とこれもまた英語が口から出てしまった。 出してしまってから気がついたのは、そういえば昔々、60年代の初めに同じ名の歌が流行ったことがある。 あれは 『太陽の誘惑』 という邦題で、クラウディア・カルディナーレが主演したイタリア映画の主題歌が "What a sky" だったのを思い出していた。 あの時はたしか映画よりも主題歌の方が世界中で大ヒットして、これを歌ったニコ・フィデンコの名があっという間にポピュラーになった。
あの映画で僕が忘れないのは、主演のカルディナーレじゃなくて助演のアントネラ・ルアルディというちょっと年増の女優に僕はひと目でイカれてしまい、イタリアにはあんな壮絶な美女がうようよいるんだ。 よし、いつか必ずイタリアへ行こう、とまだ二十歳(はたち)前の僕は心に誓ったのだった。


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Antonella Lualdi






ニコ・フィデンコの歌は今聴いてみるとわりと平凡なメロディで、昔の新鮮さはなくなっていたにしても、聴いていてついあの頃の自分を取り巻いていた世界を思い出してしんみりしてしまった。 懐かしのメロディーというのはみんなそんなものなのだろう。









雲ではもう一つ思い出す歌がある。
これもまた大昔のことだ。 僕が1970年にアメリカに逃げ出した前年、芸能界のまっただ中でピアノを弾いていた頃のこと。 いっしょに仕事をしたことのある黛ジュンが歌っていた 『雲にのりたい』 という歌だった。
黛ジュンはあの頃、ブルーコメッツのベース弾きと婚約をしたか結婚をしたかでまるで花が咲いたように急に色気が出て綺麗になってしまった。 リズミックでパンチの効いた歌が得意だった彼女が珍しく静かに歌ったこの曲が僕は好きで、あれから50年近くたった今でもその歌詞をちゃんと覚えていた。 ただ面白いのは、なぜか 『雲にのりたい』 じゃなくて 『雲になりたい』 と覚えていたことだ。

ところがYou Tube で 『雲にのりたい』 の動画を探してもなぜかどうしても見つからない。 1つだけ出てきたのはつい数年前に、すっかりお歳を召した彼女がステージで歌っているビデオだけで、熟女になってしまった彼女がどうしても僕の記憶にある昔の黛ジュンとは重ならない。 ステージの楽屋や放送局の控室で皆でワイワイ言いながら楽しく仕事をした時の彼女のイメージを探した結果、ようやく見つけたのがこれだった。 これなら歌は違うとはいえ、僕が覚えている黛ジュンそのものだった。









雲を見ながらいろんなことを考えていると、同じビルに住む若い女性が通りかかる。
彼女が言うには、ここにもう4年住んでるけどこんな凄い雲が見れるのは1年に何度もないそうだ。
What a sky!








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動物好きの絵描きさん 26 ウサギ二題

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雪の兎
By Green Eyes



このシリーズにウサギの登場は2度目で、今日掲載している2匹以外にも(2匹じゃなくて2羽だとまた読者に叱られそう) 彼女は数枚のウサギを描いている。 本人が卯年の生まれだからというわけでもないのだろうけど。
その中でこの 『雪の兎』 はつい最近の作品で僕のお気に入り。 《雪の中の動物たち》 という連作の中のひとつで、ペンギンやフィンチのあとまだまだ続くらしい。


ところでこれは彼女には内緒の話なんだけど、ウサギの肉を食べてみたいと常々思っている。
ずっと以前のブログでそんな話が出た時に、ニューヨークにお住まいのけろっぴさんが、近所にそれは美味しいウサギの料理を出すレストランがあって時々行く、と書かれたのを読んで以来、ぜひ僕も食べてみたいと思うようになった。 ウサギの肉は僕の住む町でも、近くの大都市、コロンバスやシンシナティでもお目にかかれない。 僕の周りのアメリカ人でウサギ料理を食べたという話も聞いたことがない。 ニューヨークはちょっと遠いしなあ。
わが Green Eyes にはウサギが食べたいなんて死んでも言えないから、もしチャンスがあったとしてもその時は一人で行くことになりそうだ。





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不思議の国のウサギ
By Green Eyes



このウサギはもう6年も前に描かれたものでグリーティングカードの形でかなり売れたようだ。
それが今回、最近開店したばかりの洒落た花屋さんから店の壁に架けるのでうんと大きくしたサイズで欲しい、という特注が来たので、25cm x 40cm に引き伸ばしてプリントを作成し(これはもちろん僕の仕事) それを40cm x 50cm のマットに窓を開けて貼り付け(これも僕の仕事)、さらに黒のフレームに額装したら(あーあこれもまた僕の仕事) 200ドルで売れた。 と思ったらそのすぐあと、花屋でその絵を見た客の一人が同じものを欲しいと言ってきてそれもまた200ドルで売れた。
ほくほくのわが Green Eyes はさっそく前から欲しがっていたポータブルのイーゼル (折りたたむとアタッシュケースのようになるやつ) を買っていた。
大半の仕事をした僕は1銭ももらえなかった。




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ミッドナイト・ラン

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雪の兎
By Green Eyes


雪が降っている。
さかんに降っている。
昼過ぎから降り始めて夜になってもそのまま振りつづけ、窓を通して見る外の世界は完全に白一色となってしまった。 大きな雪片がひらひらと舞い落ちるという種類の雪ではなくて、粉雪と呼ぶほど小さくはない雪が、お互いの間隔をうんと縮めたまま真っすぐに地面へ落ちている。 これはいきなり積もってしまう雪ではなくて、時間をかけてゆっくりと積もっていく雪である。

夜の雪を見ているといつも頭に浮かぶ絵がある。 江戸時代の絵師、葛蛇玉(かつ じゃぎょく 1735-1780) の屏風絵なんだけど、頭に浮かぶのはそのご本人の絵ではなくて、その兎の部分だけを模写した、わが Green Eyes のこの絵だった。 白い兎や雪もいいけど僕の好きなのはその背後の、真っ暗に潰れないでかすかに景色を示唆しているようなあの暗闇なんだよなあ、などと思いながら振り続ける雪を眺めているうちに、僕の中でむくむくと動き出したある感情があった。 そうだあの場所へ行ってみよう。

僕は忘れていた大切なものを急に思い出したかのようにいきなり椅子から立ち上がると、あたふたと準備をして階下に降りる。 それを見たわが Green Eyes が 「こんな夜中にどこへ行くの?」 と訝るのに、ドアを開けながら 「ちょっと出る。 久しぶりのミッドナイト・ランだ。」 と答えて降りしきる雪の中をカラージへと歩く。 背後の彼女は 「んまあ…」 と言葉も無い。
このミッドナイト・ラン (Midnight Run) には少し説明の必要がありそうだ。

アウディに乗り始めてしばらくしたころ、このコースを見つけた。 (というより勝手に自分でコースを決めただけなんだけど) 自分の家から東に向かい市街地を抜けた所にベルブルックという村があって、20年前までは果てしないトウモロコシ畑やヒマワリ畑や広大な農場しかない、実にのどかな田園地帯だったのが、その後どんどんと住宅が建ったりして一変してしまった。 でも一変したのはこの地域のごく一部で、大部分はまだ以前の面影がそのまま残っている。 そこを1本の田舎道が通っていて、その道は幾つもの森や畑を抜け今もポツンとあちこちに残る農家を見たりして、くねくねとゆるい蛇行を続けながら鋭いヘアピンカーブが1か所、90度に曲がるコーナーが3か所、それに適当な坂まであって、車のドライブには実におもしろい道なのである。 しかもその道は自然のループになっているから、どんどん走り続けているとちゃんともとの出発地点へ帰ってくるようにできている。

このループは1周が22マイル(35キロ)あって、ふだんの昼間の交通が多い時間に1周すると約45分かかる。
それが、交通の絶えた夜中に思いきりアクセルを踏んだまま疾走するとだいたい15分で一周りできる。 そのかわり50マイル(80キロ)制限の場所を70マイル(110キロ)、カーブの多い35マイル(56キロ)制限の地点でも50マイル(80キロ) 以上のスピードで回らないと新記録は出にくい。 コースの全行程を通して6速のギアのうち使うのは4速まででほとんどが2速と3速だから、タコメーターの針は思いきり跳ね上がって常に3000から6000のあいだを行き来する。
このコースを人の寝静まった深夜にすっ飛ばすことを僕はミッドナイト・ラン (真夜中の疾走) と名づけて、ストップウォッチ(むかし暗室でフィルムの現像に使っていた) を首から下げて毎回、新記録更新に挑戦した。

1度だけポリスに追跡されて捕まったことがある。
人の良さそうな年配の警官が懐中電灯の光をまともに僕の顔に浴びせて、免許証の提示を求める。
「いかんなあ。 むちゃくちゃな運転をするのを見て、てっきりイカれたティーンエージャーだろうと思って止めてみたら、あんた立派なオトナじゃないですか? しかもわたしよりも年上の。」 (免許証から僕の年齢を知ったらしい)
僕は罪人らしくうなだれて 「すみません。 きつい仕事の残業で遅くなった帰りなんですけど、一刻も早く家族の待っている自宅へ帰りたくてつい…」 などと殊勝な言い訳をする。
「酒は飲んでないでしょうね?」
「いや。 飲んでません。 早く帰宅して1杯やりたいと思っていたところです。」 これも嘘である。 実はすでにマテニーを3杯飲んでいる。 彼はしばらく考えたあと 「まあ今回は見逃すことにしましょう。 しかし次回はそうはいかないからね。 オーケー?」
「はい。 気をつけます。 遅くまでお役目ご苦労さんです。」 と僕は急に元気になる。
もちろんこのできごとのあとも僕のミッドナイト・ランが終りになることはなかった。

話が横道にそれてしまった。
そんなわけで僕は今夜、久しぶりにベルブルックの村へと乗り入れると、 スノータイヤを履かせてあるアウディを雪の積もる田舎道に沿ってをゆっくりと走らせる。 今夜はストップウォッチもギアシフトもなし、ラジオのジャズを聴きながらの思索的なミッドナイト・ランとなった。

何気なくラジオのチャンネルをジャズからオールディーズ(めったに聴いたことがない) へと変えてやると、なんとまあ、あとからあとから懐かしい曲が出てくる。 どれも僕の10代から20代にかけて流行った曲で、聴いている僕はいつのまにかあの頃の自分と、その自分を取り巻いていた人たちや出来事を思い出している。 「バケーション」(コニー・フランシス)、「悲しき街角」(ザ・カスケイズ)、「ウォーク ドントラン」(ベンチャーズ)、「ロコモーション」(リトル・エヴァ)、「ダイアナ」(ポール・アンカ)、「オンリー・ユー」(ザ・プラターズ) …

そして出てきたのが、アダモの 「雪が降る」。
これほど今夜のミッドナイト・ランにふさわしい歌があるかい? と嬉しくなってしまう。
1963年に大ヒットしたこの曲には僕はいろんな思い出が詰まってるんだけど、あの頃のことを書き始めると1冊の本になるくらい長くなるので、今はそのビデオを載せるだけにしよう。 数多い動画の中からとくにこれを選んだ理由は、その雪道や夜景の映像が僕のミッドナイト・ランにピッタリと重なったからだった。
歌詞の中の "Blanche Solitude" (白い孤独) の1語がいつまでも心に残る。






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メリー・クリスマス!

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Notre Dame de Paris 2005



クリスマスがすぐそこまで来ていて、街中にクリスマスキャロルが流れている。
ショッピングに行けば商店で流しているBGM、テレビをつければコマーシャルは例外なくクリスマス音楽だ。
それだからというわけでもないだろうけど、僕は昔から何となくクリスマス音楽が苦手だった。 たぶん、クリスチャンでもなんでもない僕には、葬式の時に教会で歌わされるあの賛美歌と同じで、あの歌詞にどうもついていけないのがその理由だろう。
だいたい歌というものは、オペラであれポップであれ演歌であれジャズであれ、男女の恋愛をテーマにしたものしか存在しない、なんて以前にどこかで書いたことがあるが、 唯一の例外は賛美歌だ、と付け加えるのをあの時忘れていたようだった。 商売で金を失った悲しみとか、うまい料理を食べた時の歓びなんてのは、どうひっくり返っても歌にはならない。
それでも歌詞を別にすれば、クリスマス音楽にも好きなメロディは数曲あって、いや、正確に言えば2曲あって、それが聞こえると何をしていてもふと手を止めて耳を傾けてしまう。




Santa Claus is Coming to Town



『サンタが町にやってくる』 がその一つで、この曲は昔まだ僕がジャズをやってた頃、クリスマスになるとよく演奏したものだ。
軽快なメロディはスィングし易くてジャズにはぴったりだし、サビの部分で雰囲気がちょっと変わって静かで内省的になるのもいい。
この曲を聴いたり自分でピアノを弾いたりしていると、いつも頭に浮ぶシーンがあって、それは冬の雪景色の中のハイウェイを二人乗りのスポーツカーが疾走する映像だった。 それがサビに入ったところでカメラが一転して車内のふたりの顔がアップになり、楽しい会話が聞こえてきたりする。

そういえば昔1960年代に、六本木の瀟洒なサパークラブ 「ミスティ」 でピアノを弾いていた頃、常連の客の中にいつも決まってこの曲をリクエストする中年の女性がいたのを思い出す。 クリスマスじゃなくても 『サンタが町に…』 のリクエストだったのは、この曲に何かの思い出があるのだろうと思っていた。 いつも一人で来て壁際の小さなテーブルに席を取ると、ひっそりとギムレットを飲みながらピアノに耳を傾けている彼女を、僕は武蔵野夫人と秘かに名づけていた。 大岡昇平のあの小説のヒロインとぴったり合うような雰因気を身に着けたひとだったから。





Silent Night




シネイド・オコナーの 『きよしこの夜』
しみじみとした旋律を聴いていると、神の存在をつい信じてしまいたくなる。



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動物好きの絵描きさん 25 カーディナル

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雪の中のカーディナル 2015
By Green Eyes


カーディナルは、日本でフィンチと呼ばれる小鳥のことだ、と長いあいだ思っていたんだけど、調べてみるとどうもそうじゃないらしい。
英語では cardinal と finch の両方の名があって鳥類としてもそれぞれ別の科に属してるみたいだ。
ウィキペディアを見ると、カーディナルは北米と南米にしか見られず、フィンチは世界中に分布している、と書かれているので、
日本にはフィンチはあってもカーディナルと呼ばれる小鳥が見つからないのはそれが理由なんだ、とようやく分かった。 英和辞典で cardinal を引くとフィンチと出てくるのはあれは正しくないんだな。

フィンチならわが家でも以前に飼っていたのを思い出した。 あれは一昔前のボストンで、日本人の製図家のY君がフィンチを何十羽と飼っていて、その中の数羽をうちの子供達にプレゼントしてくれたことがあった。 そのあとボストンからデイトンへと引っ越した時には、鳥籠に入ったフィンチは車の後部座席で子供の膝に乗せられて一緒にやってきたんだけど、そのうちになにか悪い病気にかかって、1羽づつ死なせてしまい結局ぜんぶ死んでしまった。

フィンチは雀よりも小さくて可愛い小鳥なのにくらべると、カーディナルはずっと大きい。 それに色もずっと華やか。 とくにオスのカーディナルはその鮮やかな赤で、遠くからでも判別できる。 というのは、わが家の前庭の楓(かえで)の木に下がっている餌箱に毎朝やってくるからだ。 何十羽もの雀やシジュウカラ、キツツキ、などの一群に混じって、いつもペアのカーディナルが、起き抜けのパジャマ姿のわが Green Eyes がエサを与えに玄関から出てくるのを待っている。
ところが、彼女がエサを箱に入れた途端にまずやってくるのはリスだった。 そのとたん、小鳥たちはパッと空に散って周りの樹の枝に留まり、恨めしそうにこの無礼な侵入者を眺めている。 わが Green Eyes が手を叩いでリス達を追い払っても、彼女が家に入ってしまうとまたすぐに戻って来て忙(せわ)しなくエサを漁る。
その無法者達を、樹の下から上を見上げて大きく吠えて追い払うのは、うちの犬のパイシーの役目となっている。 小鳥達にとってのパイシーは無力な弱者の味方、正義の番犬の役割を果たしている。

この楓の下には、冬になって雪が積もると近所の森から出てくる鹿が、地面に落ちた鳥の餌のおこぼれにありつこうと、毎夜のようにやってくるんだけど、その雪も今年はまだない。
今夜のテレビでは、コロラド・スプリングの町の婦人科診療所 (Planned Parenthood) に押し入って数人の人質を射殺した中絶反対者が、警察に逮捕されて、降りしきる雪の中を連行されていく映像がニュースに映しだされていた。






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心に残るメロディー



リベルタンゴ
Yo-Yo Ma


東洋人にはなぜか、フラメンコやタンゴなどラテン音楽のリズムやメロディーを愛する血が流れているようだ。
ヨーヨー・マ もその一人。 特に彼のタンゴへの執着は強くて、1999年にニュータンゴの旗手、作曲家ピアゾーラの曲を集めたCD 『タンゴの魂』 を録音している。 この CD は僕も所有していて、その最初の曲 『リベルタンゴ』 を聽いた時に、あ、この印象的なメロディは昔よく聽いたことがある、とすぐに思った。 それでちょっと検索してみたらすぐ分かった。 1981年に、あのスーパースター、グレイス・ジョーンズがこの曲を ”I've seen that face” のタイトルで歌ったシングルが世界中でヒットしたのだ。

そうだ、それで思い出した。 10年ほど前に名前を忘れたけどアルゼンチンから来た有名なタンゴトリオの演奏会へ行った時、このリベルタンゴを聴いて惚れ込み、オリジナルのピアノ譜を手に入れたのだった。 あの楽譜はどこへ行ってしまったのだろう? 今探してもどこにも無い。 覚えているのは曲の出だしにユニークなヴァンプがついていて、ンバババ・ダバダバ ンバババ・ダバダバ というあの単純なリズムの繰り返しが耳について長い間離れなかった。



次の、スウィングル・シンガーズ の演奏はなかなか良い。
1960年代にパリで生まれたこの8人のコーラスグループは、バッハをジャズ風のスイングにして歌ったのが世界中で受けた。 僕が学生の頃、東京のジャズ喫茶でもよく聴いたものだ。 このグループはあれからいろいろな変遷を経ながら、何世代も経った現在もちゃんと活動を続けている。

この動画を聞いて感心したのは、バックに聞こけるベースやパーカッションなどがすべて肉声だということ。
動画の初めにその断りが出てこなければ、うっかりして楽器だと思ってしまっただろう。




リベルタンゴ
Swingle Singers




人の心に残るメロディーには、あらゆる種類のミュジシャンが惹かれるのは当然のことだ。
これはグラスハープという珍しい楽器の演奏。 その源流は紀元前2000年にもさかのぼるという。
そういえば子供の頃、台所中の食器を並べて箸で叩いて遊んだたことを思い出す。 それぞれの器に水を入れたり豆粒を入れたり して音程を調節したものだ。 1曲仕上がると両親を呼んでのコンサートだった。

このグラスハープも、水の代わりにワインを入れたらどうだろう。 ワインの種類によって音色が微妙に変わるなんてあるかもしれない。 そして演奏会の終りにワインを全部飲み干そう!




リベルタンゴ
Glass Duo




最後の演奏はギターで閉めよう。 日本人、押尾コータローのライブの熱演である。
ちょっと長めの演奏だが、全然飽きさせないところがさすがだ。 日本人にはやはりラテンの血が流れている、と感じさせる演奏だ。




リベルタンゴ
押尾コータロー






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動物好きの絵描きさん 24 猫

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エドワード・ウェストン家の猫 2010 
By Green Eyes


この絵を見ていてなんとなくあの、エドガー・アラン・ポーの恐怖小説 『黒猫』 を思い出してしまった。
猫という動物の持つ一種の神秘性というか、陰湿さというか、気味の悪さ、のようなものは同じペットでも犬には無いものだ。猫を愛する人と犬を好きな人とははっきりと別れる、とはよく言われるけれど、僕自身は子供の頃から猫も犬も同じように可愛がった。そこへいくと犬派である我が Green Eyes の描く猫の絵には、猫に対する恐怖感のようなものが滲み出ているようで、それが僕にポーの 『黒猫』 を思い出させたのかもしれない。

家庭で飼われるペットとしては、猫よりも犬のほうが圧倒的にポピュラーだろう、と思った僕の予想は裏切られた。
ある日本のブログランキングのサイトを見ると、日本人が書く猫のブログは約2000サイトあって、それは犬や育児のブログとほぼ同数だった。つまり、日本人は自分の子供の事をブログに書くのと同じような異常な熱心さで犬猫のことを記事にしているということになる。
子供が成人して巣立ってしまったあとの家庭や、家庭を持たない人にとって、犬や猫が直接の愛情の対象として取って代わる、ということなのか?



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動物好きの絵描きさん 23 ペンギン

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ペンギンたちの行進
By Green Eyes


昨年の我が家のクリスマスカードに使われたこの絵は、皆さんにはなかなか評判が良かったようだ。
あらためてカードではなくてプリントで欲しいという注文がいくつも来て、プリントはもちろん僕の役目である。仕上がったものを眺めていたら、10年ほど前に見た映画を思い出した。

フランス人のリュック・ジャケの制作によるドキュメンタリー映画 『ペンギンたちの行進』 が2005年に公開された時、もうほとんど劇場で映画を見なくなった僕が、待ちきれないようにして見に行った。
この映画は南極大陸に住む皇帝ペンギンの生態を撮ったドキュメンタリーだ。

南極大陸の皇帝ペンギンたちは、夏の間は生息地のすぐそばまで海が来ているので食料の確保には問題はないが、いったん冬に入ると話はまるきり違ってくる。近くの海は完全に凍り詰めてしまうから、凍っていない海まで食べ物を探しに遠征しなければならい。そこまでの距離がいきなり100kmも遠くになってしまうのだ。
皇帝ペンギンのメスは他のペンギンと違って卵を生むのが冬と限られているから、食物を得るために、母親のペンギンは産んだばかりの卵を夫に預けると、100km先の海まで一団となって2か月をかける長い過酷な旅に出る。それがペンギンたちの行進である。

卵を預かる父親は-60℃という寒さの中で卵を抱き続ける。やがて卵が孵化して赤ん坊が生まれても、母親が帰ってくるまでの数か月の間は父親に少量の食料が残されているだけで、それが尽きてしまうともう何も食べるものがない。父親は時には4か月も絶食を続けて体重は半分に減ってしまうこともあった。ようやく帰ってきた母親が初めて自分の赤ん坊と対面して、持ち帰った食べ物を与える。それと入れ替えに、父親は今度は自分と子供のための食料探しの旅へとはるばる100kmの旅へ出るのである。
一夫一婦制のペンギンが、外見では区別の付かない自分のパートナーや子供を見分けるのはすべて鳴き声によるそうだ。1匹のメスを2匹のオスのペンギンが取りあいをしたり、嵐で子供をなくした母親が他の家族の子供を盗んだりするドラマは人間の社会そのままで観客の胸を打った。

アメリカでの公開では全編を通して男優のモーガン・フリーマンの声でナレーションが入っていたけれど、オリジナルのフランス版も日本版、ヨーロッパ版にもそれぞれ自国の声優を使って両親や子供の声が入っているらしい。それを見ていない僕は想像するだけしかないけど、むしろ擬人化しないでモーガン・フリーマンが淡々と渋い声で語るアメリカ版の方がより効果的であるような気がする。
映画を見終わったあとこれはすばらしいものを見たと思っていたら、『ペンギンたちの行進』 はその年のオスカー(ドキュメンタリー部門)を獲得した。アメリカでは興行的にも大成功で、同年に公開されたスピールバーグの 『宇宙戦争』 を抜いて興行収入が1位となった。



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ジャポニスム

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英語版 猿蟹合戦


我が家に存在する書籍の中で、他のどの本よりも大事に保管されているのは、この 《猿蟹合戦》 だった。
手に入れたのはもう20年以上前になるだろうか。 僕らの家族がボストンからデイトンへ移って来てしばらくの頃、近所にあったガラクタ屋で妻が買ったものだ。家に持ち帰った妻が 「これってかなり古いものじゃないのかなあ」 と見せてくれた。文庫本サイズでわずか15ページほどのこの小冊子を手にとって見ると、まるで布のように柔らかな和紙が袋綴じにされて、木版多色刷りの絵がページごとに載っている。日本語が読めなくて猿蟹合戦の話も知らない妻は、ただその美しい木版画に魅了されて、5ドルの値段が付けられていたこの本を3ドルに値切って自分のものにしたのである。

奥附を見て驚いた。
印刷、発行が明治18年とされていた。1885年だ。
この奥付の記載をもとにして僕は後日いろいろなことを学ぶことになるのだが、アメリカの田舎の町の、骨董店でも古書店でもない小さなジャンクショップの片隅にひっそりと眠っていたこの日本の本を、100年以上経ってアメリカ人の妻が偶然に掘り出して、日本人である僕の所へ巡り巡って帰ってきたことに不思議な因縁のようなものを感じてしまった。



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発行者の長谷川武次郎は調べてみると明治時代の出版人で、《長谷川弘文社》 の創始者だった。
2世紀にわたる鎖国の後に一挙に西洋文化に触れた日本は 「文明開化」 を合言葉に外国文化の摂取に目が回るように忙しかったが、それと同時に日本に滞在した欧米人によって浮世絵や工芸品が高く評価されて海外へと流出した。 いわゆるジャポニスムの誕生である。そんな流れの中でこの翻訳版の日本昔噺集が世に出てきたのは、出版者の長谷川武次郎としては当然の企画であったに違いない。英語を話した彼には外国から来ていた宣教師達との交友があり、彼自身クリスチャンとして洗礼を受けていたが、その中の一人がこの 《猿蟹合戦》 を英訳したアメリカ人、ディビッド・タムソンだった。 後年、ラフカディオ・ハーン (小泉八雲) も翻訳者としてこのシリーズに名を連ねている。



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僕が所有するこの本はいわゆる 「ちりめん本」 と呼ばれる手の掛かる製紙過程で作られ、しなしなとした独特の感触と紙とは思えない強度を持っている。寛政時代に浮世絵などに用いられたこの 「ちりめん」 加工の技法を長谷川武次郎は明治18年に日本昔噺シリーズで我が国初めて製本に使用した。挿絵は日本画家の小林永濯や鈴木華邨を採用し、木版の印刷にも高度な技術を持つ名人級の職人を使用したというが、本の中のどこにも画家の名が見えないのはフェアーじゃない、という気がする。 シリーズの挿絵はほとんどが小林永濯によるものでこの 《猿蟹合戦》 も永濯の絵だと後日わかった。

《翻訳版 日本昔噺》 のシリーズは次々と25冊までが発行されて、英語版、フランス語版、ドイツ語版、オランダ語版、そして大正時代に入るとスペイン語版、ポルトガル語版、ロシア語版、デンマーク語版が加わって、世界中に配布された。シリーズの物語は、桃太郎、かちかち山、花咲爺、分福茶釜、舌切雀、浦島太郎、瘤取り爺さん、因幡の白兎、など日本人なら誰でも知っている民話やお伽話がほとんど網羅されており、シリーズの後期には小泉八雲の 《猫を描いた少年》 やアイヌ民話の 《アイヌ昔噺》 なども加えられている。そして普通の和紙とちりめん本の両方のバージョンがあって、売れ行きのかんばしくなかった和紙本にちりめん本を加えた途端に売れ行きがいきなり伸びたという。



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長谷川武次郎の弘文社はどうなったのか? 弘文社の名では現在幾つかの出版社があるようで、そのなかで古書の 「えちご弘文堂」 が明治大正の長谷川弘文社と関係があるのかどうか、僕にはわからない。ここのサイトを見ると日本昔噺のシリーズは古書として購入できるようだ。 たとえばちりめん本の20巻セットが85,4000円、個々の本はそのタイトルや保存状態によって3,8000円から13,0000円の値が付けられていた。そして同じタイトルでも英語版よりフランス語版やスペイン語版の方に高い値段が付いているのは、それだけ希少な本ということになるのだろうか。
それ以外の言語への翻訳版がこのサイトには見当たらないところを見ると、さらに希少価値があるのはまちがいないようだ。

この本を手に入れたあと、ヨーロッパに出かける度に機会があれば古本屋を覗いてみるという習慣がついて、特にフランスの美術史上ではジャポニスムの影響がいかに強いものであったかを実感することになる。
しかし、《日本昔噺》 に巡り合うことはなかった。

今から130年前に印刷されたこの 《猿蟹合戦》 は、いったいどんな人達の手から手へと渡り続けて来たのだろうと想像するのは楽しいことだった。




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一夜だけの別世界ヘ行く

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ビクトリア・シアター
Dayton, Ohio USA


思いがけなく友人夫妻からビクトリア・シアターの切符が2枚回ってきた。
DCDC の愛称で呼ばれる Dayton Contemporary Dance Company の公演だった。最後にこのグループのダンスを見たのはもう何年前だったろう? 友人夫妻のような年間会員でもなければ、なかなか手に入りにくい切符だった。

だいたい僕の住むこのデイトンという町は都市部の人口が70万人(アメリカでは59番目)の典型的な地方の中都市で、広大なアメリカではその名を言っても知らない人が多いに違いない。だが僕に言わせれば同じ中都市の中でもスポーツや文化のレベルではかなり上位に位置するのではないかと思う。スポーツではバスケットボール、ベースボール、アイスホッケーのプロのチームを持っていてどれもマイナーリーグとはいえ地元の市民には大いに親しまれているし、芸術面ではデイトン・オペラやデイトン・フィルハーモニー、デイトン・バレーなどもちゃんとある。ただ、オペラもシンフォニーもバレー団もその団員は給料をもらう事はなくそれぞれ別途に自活しながら活動を続けているのは、これは他の中都市のグループと同じようだ。

その中でこのDCDC は別だった。
実を言うと僕がこの町へ越してきた当時に、このDCDCという黒人を主体としたモダンダンスのグループの存在は知っていたけれどあまり注意を払わなかったのは、ボストンというアメリカでも有数の、いや世界的に有名な芸術グループを幾つも持つ大都市からやって来た僕には、これらの地方都市の小グループを馬鹿にするような傲慢さが無かったと言えば嘘になる。
それがある時、仕事でニューヨークへ出張してタイムズスクェアのホテルに滞在したことがあった。その時ブロードウェイの劇場でDCDCが長期公演をやっているのを知って、僕はあっと思ってしまった。そうか、DCDC は地方都市の小さなダンスグループではなかったんだ、とひょんなことで眼を開かさられた。

DCDC は現在ではDCDC2 と呼ばれる二軍というかジュニアグループが別個に経営されていて、2つのグループがそれぞれアメリカ中を回っているだけではなく、2年前にはダンスグループとしては世界で始めて中国のツアーを達成したりしている。そして時たまホームグラウンドのデイトンに帰ってくるDCDC の公演はその数か月前にあっという間に切符が売り切れてしまうというわけだ。




DCDC







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動物好きの絵描きさん 22 リス



栗鼠
By Green Eyes


我が Green Eyes の仲の良い友達のキムが最近小さなビジネスを始めた。
キムのご主人のトムはアメリカ空軍の基地に勤めるエンジニアで、キム自身も二人の子供を見ながら近所の玩具屋さんでパートで働いているので、とくに経済的にサイドビジネスの必要があるわけではなかった。 にもかかわらずこの夫婦がコーヒーの豆を売る商売を始めたのは二人とも人並み以上のコーヒー嗜好家だったからである。
アメリカ国内、ヨーロッパ、南米などから豆を取り寄せて、自宅のブレンダーで豆をひきそれをあれこれ混ぜて独自のブレンドコーヒーを作る。 そしてそれを毎週土曜日の近所のファーマーズマーケット売る、という商売だ。 一度マーケットを覗いてみたら、けっこう人がたかっていて客同士でひとしきりコーヒー談義をしたあとで、袋入りのコーヒーの粉を買って行くのが見られた。 一度買った客が気に入って次の週にはまた訪れるのが多いそうだ。

そこでキムとトムはビジネスを1ステップ飛躍させることにした。 まず、店の名前を 'Lucky Squirell' (ラッキーなリスちゃん) と決めると市の商工会議所に登録をして、その商標になるロゴを我が Green Eyes に 「やってみる?」 と言ってきたのである。
そこで彼女が描いたのがこの絵だった。 仕上がった原画を写真にとってそれを高解像度のPNGのフォマットで編集をして印刷屋に渡せる段階までは、当然ながら僕の仕事となってしまった。 その結果がこうなった。 リスの下部にはアーチストの名前が入っているのも我が Green Eyes を満足させた。




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イラストレーターとしての Green Eyes への報酬は金ではなくて、ビジネスが続く限り、そして彼女が生きている限り、コーヒーはタダで供給するということになったそうだ。
これを書きながら僕が今朝飲んでいるのは、ホンジュラスの豆にエチオピアの豆を少し混ぜて挽いたという。 うん、なかなか美味しいコーヒーだった。


コーヒーというものは
地獄のように真っ黒で
死のように強烈で
そして愛欲のように甘美でなくてはならない。
-トルコの古い諺-




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動物好きの絵描きさん 21 オオカミ

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By Green Eyes


狼は世界的に絶滅の寸前にあるそうだ。
『狼生きろ豚は死ね』 と言ったのは若い石原慎太郎だったと思うけれど、現状は豚がどんどん増えているのに比べ、狼はほとんど死んでしまった。 アメリカ大では昔からの大がかりなハンティングのせいで狼の数は激減していたのが、1970年代になってハンティングの規制のおかげでその数はまた少しづつ増えているという。
日本では1905年に奈良県東吉野村鷲家で捕獲されたニホンオオカミが記録に残る最後のものとなっていて、今は完全に絶滅したとされている。

僕は狼は見たことが無いと思うけれど、以前に勤めていた会社で僕のアシスタントをやってもらっていたT子さんが飼っていた犬が、狼の血をひいているというのでわざわざ見に行ったことがある。 日本犬によく似た色と体形をもつ中型犬で、そう思ってみると時折りキラッと見せる鋭い眼の光に、犬には無い凄さがあるように思えた。


ルーベンスの絵に、森のなかで赤ん坊の子守をしている狼の絵がある。 いま改めて見てみたらその狼の横顔が我が家のパイ公にあまりにもそっくりなので驚いた。 パイシーはオーストラリアン・キャトルドッグである。




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ロムルスとレムス
Peter Paul Rubens (ca. 1616)



幼い子供と動物の間には、大人になってしまった我々と動物の間には存在しない特殊な情感の相互作用のようなものがある、と僕は前から思っている。

友情のはじまり




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動物好きの絵描きさん 20 キリン

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麒麟
By Green Eyes


子供の頃、両親に連れられて動物園へ行ったという經驗が僕には一度もない。僕の住んだ町にも近くの都市にも、動物園なんていうものは無かったから。
だから僕が最初に動物園へ行ったのは、ずっとあとになって東京の大学へ入った時だった。上野動物園のサルの電車に乗りながら、何が不幸といって幼い時に動物園へ行ったことの無い子供ほど可哀想な者はない、などと思ったのを覚えている。絵本や写真でしか見たことのない様々の動物を前にして大学生の僕が受けた感動は、もしこれが子供の僕だったらその感動は何十倍も大きかったに違いなかった。

キリンを初めて見た時にその巨大さにビックリしたことを忘れない。あとでわかったのは、キリンはすべての動物の中でその体高がもっとも高いのだそうだ。そしてキリンは植物の葉から水分を摂るという秘術を備えているので、他の動物と違って水を飲む必要がない。だから水源を求めて移動することもないし、あれだけ背が高くて首が長ければ、どんな樹にでも楽々と届くから、なんとラッキーな生き物だろう、と思う。

日本へキリンが最初にやって来たのは1907年(明治40年)だった。
アフリカからはるばる運ばれてきた2頭のキリンが横浜港に着いて、そこから無蓋の貨物列車に乗せられて上野動物園へ運ばれることになっていたのに、途中の陸橋の下を通過するのが不可能という事実を日本人はまったく予想していなかった。それで2頭のキリンは今度は船で日本橋河岸まで乗せられて行き、そこから大八車に乗せられて上野まで運ばれたという。明治40年というと日本で最初の自動車が試作された年だから輸送トラックなんてものはまだ無かったとしても、馬車はあったろうになぜ大八車? という疑問が残る。

ともかくそうやって無事に上野動物園へ到着した2頭のキリンだったが、翌年には2頭ともあっけなく死んでしまう。熱帯動物だからということでやみくもに暖かくし過ぎてしまったのが原因らしい。アフリカの草原で悠々と草を食(は)んでいたら幸せな生涯をすごせたのだろうに、日本などという野蛮な国へ連れて来られたばっかりに可哀想な結果になってしまった。
その後キリンが再び日本に上陸したのはそれから26年後の1933年(昭和8年)だった。前回の失敗に凝りて檻の温度を15度に保ったことで、このキリンは無事に生き延びることができた。
良かったね!



神というのはそのへんのアーチストと同じだよ。
キリンも象も猫も神の創作だけど
彼は自分の芸術スタイルなんてまるで持ってなかったから
次から次へと試作をしていくしかなかったんだ。
- ピカソ -




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Shall we ダンス?

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女だけの舞踏会
Vaison la Romaine, France


かなり以前のことだけど Ballroom Dancing (社交ダンス)をちゃんと習ってみたいと思っていた時期があった。
たしか映画 『Shall we ダンス?』 が作られるより数年前の話しである。
僕の住む町のエデュケイションボード、つまり市の教育委員会みたいな組織があって、そこが主催する成人教室のプログラムに、料理だとか音楽鑑賞だとかフランス語などと一緒に、社交ダンスのクラスがあった。それを見て僕は何を思ったか我が Green Eyes を説き伏せると二人でクラスを申し込んだのだった。ところがこの4ヶ月のクラスは希望者が多すぎて、順番待ちのリストに名前を載せただけですぐには楽しみにしていたタンゴやワルツやを習うことにはならなかった。
半年ほど経ってクラスに空きができたと連絡あった時に、今度は僕の方の仕事がむちゃくちゃに忙しくなっていた時期で、毎週2日の出席は無理という状態だった。それ以来社交ダンスと僕の接点はそのまま再び交わることなく年月が経ってしまった。

あの、背筋を素晴らしく真っすぐに伸ばして羽毛のように軽々とステップをふむ舞踏を、身体が硬くて少し猫背気味の僕が踊ったら、たとえ運動神経は人並みにあるとしてもどんな様(さま)になっただろう、とちょっぴり自虐的な興味は今でも持っている。
社交ダンスといえば、昔東京でビッグバンドにいた時に、プロの全日本ダンス選手権大会の伴奏をやらされたことが数回あった。その時クイックステップを踊っていた女性のペチコートがフロアまでずり落ちてしまったことがあった。哀れなその女性が恥ずかしさで顔を真赤にして楽屋に走り去った事件と同じことが、『Shall we ダンス?』 でも起こるのを見ながらあの時のことを思い出していた。
『Shall we ダンス?』 はアメリカでも大ヒットして、その後リチャード・ギアの主演する米国バージョンが作成されたけど、これは日本版の原作にははるかに及ばない。


先日2度目にまた見ていた映画 『セント オブ ウーマン』 で初老で盲目のアル・パチーノが、隣のテープルの見知らぬ若い女性を抱いて思い切り優雅にセクシーに踊るタンゴのシーンを見ながら、ああ、やっぱりやっておけば良かったと後悔したけれど、もう遅い。
この映画の中で悪役の高校生を演じたフィリップ・ホフマンがこのあとどんどん売れてきて、2005年の 『カポーテ』 の主役で素晴らしい演技を見せてくれたが、今年の2月に薬物混用で急死を遂げてしまったのは惜しかった。


女の匂い





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人は愛がなくとも生きることができるか?



めぐりあう時間たち


古い映画をハントしていてたまたま行き当たったのが "The Hours" だった。
2003年のオスカーでニコール・キッドマンが主演女優賞をとったというのに、なぜか僕は見逃してしまって11年も経った今になって初めてこの映画を見た。 そういえばあの年のオスカーは 『シカゴ』 というアメリカ人にしか作れないような騒々しい映画がなぜかあらゆる部門で幅を利かせた年で、同年のポランスキーの 『戦場のピアニスト』 などもエイドリアン・ブロディが主演男優賞をとっただけで陰に霞んでいた。

"The Hours" は邦題を 『めぐりあう時間たち』 というそうだ。
違う時代に違う場所(イギリス、カルフォルニア、ニューヨーク)で生きた3人の女性の物語で、それぞれが同じ時間を共有するという意味では邦題の 『めぐりあう時間たち』 は筋が通っているようだけど、実際に映画の中で彼女たちが The Hours を口にする時に、それはまったく違う意味で使われていた。

だいたい外国映画のタイトルに付けられる邦題ほどわけのわからないものはない。 先ほどの 『戦場のピアニスト』 も原題が "The Pianist" だから僕がその映画のことをブログに書いた時に 『ピアニスト』 と書いたら、読者の一人がコメントをくださって、日本では 『戦場のピアニスト』 と呼ばないと他の映画と混乱してしまうと教えられた。
僕が覚えている例では "The Shacow of Your Smile" が『いそしぎ』 になったり、"Purple Noon" が 『太陽がいっぱい』 になったり、"Bonnie and Clyde" が『俺たちに明日はない』 になったりする。 映画のタイトルなんてなんでも構わないようなものだけど、現代のようにすべてがグローバル化してくると当然ながら異人種間のコミュニケーションも増えるから、それが映画の話になるとお互いに煙にまかれて話がまったく先に進まないことがほとんどだ。

そこである時、古い洋画の邦題を片っ端から調べたら、明らかに幾つかのパターンを見つけた。 日本人の好きな言葉は、『華麗なる・・・』 だ。

『華麗なる復讐』 "Gangster Story"
『華麗なる賭け』   "The Thomas Crown Affair"      
『華麗なる関係』   "Une Femme Fidele"
『華麗なる激情』   "The Agony and The Ecstasy"
『華麗なるギャツビー』  "The Great Gatsby"

それから日本人が堪らなく好きなのは 『愛と哀しみの・・・』

『愛と哀しみの旅立ち』 "Come See The Paradise"
『愛と哀しみの果て』    "Out of Africa"
『愛と哀しみのボレロ』  "Les Uns et Autres"
『愛と哀しみの旋律』    "Desire for Love"

僕も自分のブログのタイトルを 『華麗なる懺悔』 とか 『愛と哀しみの日々』 とでも変えれば、もっと読者が増えるかな、などと思っているところです。


話題が完全にそれてしまったので、『めぐりあう時間たち』 に話を戻そう。
この映画は英国作家ヴァージニア・ウルフの実人生に彼女の小説 『ダロウェイ夫人』 をからめて、ニコール・キッドマン(1923年、英国)、ジュリアン・ムーア(1951年、カルフォルニア)、メリル・ストリープ(2001年、ニューヨーク)の3人の女性の人生が2時間足らずの映画の中に非常に濃い密度で詰まっている、という作品だ。 場所と時代を超えた三つの物語がお互いに次々と交錯するので、ぼんやりと見ているとちょっと混乱してしまうが、その巧みな構成と脚本のうまさに舌を巻いてしまった。 その年の主演女優賞を取ったニコール・キッドマンのヴァージニア・ウルフの演技は鬼気迫るものがあるが、他の二女優もそれには負けていず、まるで演技のコンテストを観ているようだった。
それに加えて、ふだん僕のお好みの作曲家とはいえないフィリップ・グラスの音楽が、ここでは実にピッタリと合っていてこれ以外の音楽は考えられない。 トレードマークのむしろ単調な旋律とハーモニーが、繰り返し繰り返しゆっくりと時間をかけてテンションを積み上げていく彼の音楽は、この映画で満開に花が開いたという感じがする。 彼を引っ張ってきたのは誰か知らないが、その人にアカデミー賞を上げたいくらいだ。
そのうえ、エイズで死ぬ間際のニューヨークの詩人を演じるエド・ハリスがメリル・ストリープの目の前でいきなりビルの窓から跳び下りる、などのショッキングなスパイスも加味されていて、2時間はあっという間に過ぎてしまった。

ところで話はまたまた横道にそれるけど、僕が学生時代に同棲していた同じ大学の英文科の女性の卒業論文のテーマがヴァージニア・ウルフだった。 その手伝いをさせられてウルフの作品を幾つか英文で読んだことがある。 『ダロウェイ夫人』 もその一つだったけど、まあなんと難解な文章だろうと悲鳴をあげたものである。
後年僕はその女性と結婚するはめになって、7年後に別れてしまうことになるいきさつはすでに何度もこのブログで書いている。 今回この映画 『めぐりあう時間たち』 を見ながら、いつの間にか1970年前後の東京とボストンを舞台にした彼女と僕の物語が、そのまま映画の中に組み込まれていくような錯覚を覚えていた。

それだから、というわけではないけれど
これはお勧めの映画です。


* 上の動画の最後のスクリーンで "The Hours" をクリックすると、フィリップ・グラスの1時間にわたるサウンドトラックが聴けます。 映像無しで音楽だけ聴くと信じられないくらいに退屈で、僕はいつのまにかぐっすりとデスクの上で眠ってしまった。



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動物好きの絵描きさん 19 カンガルー

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カンガルー
By Green Eyes


カンガルーという動物は知れば知るほど不思議な生き物だ。
まず不思議なのは、生まれたばかりのわずか数センチのサイズの赤ちゃんをそのまま母親が自分のポーチ(巾着)に入れたまま育てるということだ。 出産は1度に1匹ずつだが、ポーチの中にはちゃんと乳房が4つ装備されているので、そのあともっと子供ができても4匹までなら、乳房の取り合いで喧嘩になること無く平和な家庭が築けるわけだ。 そして最も不思議なのは、ポーチに抱えている赤子がまだ幼な過ぎたりする時に、もしまた次の子を妊娠してしまった場合には、母親のカンガルーは体内の胎児の発育を一時停止できるという不思議な能力があって、出産を好きなように遅らせることができるらしい。 これは凄いことだと思う。

それというのも、カンガルーの女性達は実は生まれつき色好みなのだ。 人間も含めてふつうならどんな動物でも持っているあの発情期というものがない。 つまり出産日以外はいつも発情しているそうだから呆れてしまう。 だから次から次へと妊娠してしまうのである。 相手をさせられる旦那はたまったものではない、などと思ってしまうのはわれわれ一夫一婦制の人間の悲しさで、彼女たちは若い元気な青年から落ち着いた壮年の男まで相手をまったく選ばないから、年老いて発情のシグナルを出せなくなり、周りの男たちから相手にされなくなるまでは好きなセックスをし続けることができる。

だからといって彼女たちは男との愛欲に溺れて自分の子供をないがしろにするということは無い。 ポーチの中の子供はふつう6ヶ月くらいまでは外に出ることはなく、そのあとは子供が出たり入ったりを繰り返しながら、完全に乳離れして外の世界で暮らすようになるまでには8ヶ月かかるそうだ。 その間はどこへ行くにも何をするにも(愛人とのセックスも含めて)母子はピッタリと一体である。
野生のカンガルーの平均寿命は6年と短いから(動物園など人に飼われるカンガルーは20年も生きる) 人間で言えば子供が14歳くらいになるまでは母親は自分のそばから離さず、そのあとは子供は母親の懐からいきなり世間に放り出されて、大人の世界へと入って行くのだ。

また、カンガルーは歩くことができなくて跳ぶしかないという唯一の大動物だそうだ。 いっきょに2メートルぐらい跳んでしかも疲れを知らずに何キロも跳び続けることができる。 そしてこれも他の動物と違うのは、後すざりというものができない。 そのかわり水の中では水泳の達人となる。
何とまあユニークな動物であることか!

僕は植物はどうも苦手だけれど、動物となると話が違う。





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寒い国から来たギター弾きを見ませんか?


二つのギター
ロンド (J. S. バッハ)

最近、実はぞっこん惚れ込んでしまった女性がいて、このところ長い冬の夜を毎晩のように彼女といっしょに過ごしている。
彼女の名はアシャという。 アシャはロシア生まれのギター弾きである。
そのアシャが今夜は珍しく友達のギタリストのオルガを連れてきて二人で僕のために弾いてくれた。 僕は床に腰を下ろすと膝を抱えてウォッカを飲みながらそれを聴いている。 この二人がバッハの小品で見せるコラボーレーションは絶妙で、聴きながら僕はどんどん彼女たちの世界ヘ引きこまれていった。 向かって左がアシャで、右手に座る左利きの(ややこしいな)、女の子がオルガだ。
演奏の合間に僕が二人のショットグラスにウォッカを注いでやると、彼女たちはそれをぐいっと一息に飲み干す。 ロシア人だけにできる飲み方だった。 そして二人はまたギターを取り上げる。 今夜はずっとそれの繰り返しだった。 部屋の中は暖かく、 零下15度の外界とを隔てる窓ガラスが凍りついて、そこに中世のフラスコ画のような模様が表れていた。 アシャが立ち上がって窓のそばへ行くと、凍ったガラスにその美しい指先の、蜥蜴(トカゲ)のように尖った爪でカリカリと音を立てながら、LOVE と書いた。



現代クラシックギターの大御所というと、ニキタ・コシュキン(Nikita Koshkin) というロシアのギタリストで作曲家の名がまちがいなく挙がると思うけど、僕のアシャ (Asya Selyutina) はそのコシュキンの作品をほとんど演奏している。 中でもコシュキンの代表作と云われる 『アッシャー家のワルツ』 はあのエドガー・アラン・ポーの 『アッシャー家の崩壊』 の陰鬱な物語に鼓舞されたアシュキンが書いた大曲で、技術的にも大変な難曲だということはギターを彈かない僕にさえ容易にわかる。
このアシャのギターを聴いていると、いつの間にかそれが日本の野性的な津軽三味線のように聞こえたり、そうかと思うと平家物語を語る琵琶法師の琵琶の音とピッタリ重なってしまったのは、これは飲み過ぎたウォッカのせいに違いない。

祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり......



アッシャー家のワルツ





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流れ流れてエジプトへ

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奴隷市場にて (1871)
Jean-Leon Gerome (France) 
Cincinnati Art Museum


美術館の部屋から部屋へと、絵から絵へと、次々にさまざまな違う世界や違う時代にトリップするのが好きだ。
ロシアのコサックの群れを離れた僕は、いつの間にかエジブトの街を歩いていた。

道端で女が売られている。
左端に立っていた褐色の肌の若い女が、僕が近づくのを見て緋色のローブを脱ぎ捨てて全裸になった。 その女も他の女たちも、すぐ目の前を横切りながら自分たちにカメラを向ける僕をまるで見ようともしなかった。 彼女たちの眼は何も見ていない。 深く自分の中に閉じこもって、その表情もたたずまいも、生きることに疲れきっているように見える。 部屋の中の男が僕を見るとニット笑って片手の指を何本か立てる。 値段の交渉をしているのだ。 それを無視して、むんとする熱気の中を歩き続ける僕の顔の周りを数匹の蝿が音を立ててうるさく飛び回った。      

***


21世紀の現代では270万人の奴隷が世界中にいるそうだ。 下の動画に出てくる女の子はモデルでもシンガーでもなく、実生活で奴隷だった。 彼女はアメリカのあるトークショーで取り上げられたのがきっかけになってこのビデオが作られた。



美しい奴隷

もう自分がどこにいるのかもわからない
みんな盗られちゃった
ぶたれて、買われて、慣らされて
今はただ言いつけを聞くだけ

私だって前は無邪気な良い子だったのに
今は誰かの持ち物
知らない人のおもちゃにされて
恥ずかしさとクスリにまみれているけど
でもまだ感じることならできるわ
とても大きな苦痛なら。

ねえ、誰か聞こえてる?
誰かこの鎖を解いて
誰か私を自由にして
                        ----- 訳 September30



Beautiful Slave







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コサックたちと飲む

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静かな時間
Cincinnati Art Museum, Ohio USA


シンシナティのこの美術館へ来るのは久しぶりだった。 何年ぶりだろう。
僕がまだ現役でやっていた頃は、この美術館でジャパン・アメリカ・ソサイェティのクリスマスパーティをやったりしたものだ。今日来てみると以前は土曜以外は有料だったのが今は毎日無料になっていた。 勝手を知った内部なので、今日は今までに見落としたものを拾っていこうというつもりで来ていた。 僕の住むデイトンの優秀だけど小さな美術館と違って、ここはずっと大きくて、大都市の文化を担っているという意気込みが、スタッフたちの応対にも感じられた。
失望したのはここのカフェで、そっけない食堂という感じしかしなかった。 これなら我がデイトンの美術館のカフェのほうがずっと洒落ていて魅力がある。





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サルタンに返事を書くコサックたち (1891)
Paul Profiroff


今日の収穫はこれ、ロシアのポール・プロフィロフという画家の絵だった。
ロシアの歴史の隙間に存在して、さまざまなドラマを経たあと消滅した特異な集団だったコサック。 雇い主であるサルタンからなにか良い知らせでもあったのだろうか。一人一人の顔に喜びが溢れている。 それにしても何という生き生きとした表情の描写であることか!!
見ている僕自身もいつの間にか土の匂いのするそこへ座って、ウォッカを煽りながら彼らと喜びを分かち合っていた。

ここは全館、特別展以外の写真撮影を許可しているのに、なぜかこの絵に限って撮影禁止のマークが付けられていた。 芙二子がどうしても諦めないので、顔まで持ち上げないで首から吊るしたまま、すぐ背後に監視員の眼を感じながらシャッターを切った。 サイレンサー付きの拳銃で人を撃った時の感覚と似ていた。


いぎりす人は利口だから水や火などを使う
ろしあ人は歌を歌いみずから慰める



仕事の歌
ダークダックス









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レッド・ガーランドに惚れちまった



柳よ、僕のために泣いてくれ
Red Garland


一つの夢がある。 長いあいだ持ち続けてきた夢だ。
それはどこかの場末(ばすえ)の小さなクラブのシーンだった。
僕は片隅に置かれたスタインウェイのベビーグランドに向かってドラムとベースを相手にピアノを弾いている。
照明を落とした場内は静かでもなく騒々しくもない。 人々は音楽に耳を傾けるというより、それをバックグラウンドに自分だけの世界に浸っているようだ。 グラスの触れる音、低い話し声、時折り聞こえる女の笑い声・・・ 
僕は聴衆のためでも報酬のためでもなく、自分の身体を通り抜けていった、さまざまの過去の思い出のために弾いているのだ。 一曲が終わって次の曲を弾き始める合間に、僕はピアノの上に置いたグラスに手を伸ばす。 

そんな時、僕はこのレッド・ガーランドのように弾いていたい。

重厚な和音の積み重ねはオーケストラのそれと同じだ。 メロディをオクターブで弾きながらそのあいだにコード(和音)の音が2音か3音、常に入っている。 しかしそこにコードのルート(根音)が入ることはない。 それは左手の仕事でもありベース奏者の義務でもあるからだ。 これはほかのどんな楽器にもできないピアノだけに許された天の恵みの音楽だ、といっていい。
そして、そんな複雑な音の積み重ねが途切れたあとに入ってくるのが、あの透明で鋭いシングルノート(単音)のソロだった。 交互に現れるこの二つの奏法は実に絶妙なコントラスを創り出していて、まるで人と人との会話のように僕には聞こえる。 このスタイルをガーランドほど極めたピアニストをほかに知らない。

しかし、そう、しかしだ。
僕に絶対に真似のできないもの、いや日本人にはおそらく会得することの不可能なもの。 いや、もっとハッキリ言えば、白人にさえも学ぶことができないもの。
それは彼のノリだと思う。
ドラムとベースが刻む外面のリズムに対して、彼のピアノが作り出す ゆっくりとしたノリ の感覚は、いわば内面のリズム、あるいは本能的なスィング感とでも言うのだろうか、黒人たちが生まれながらにして持っているものだと、僕は確信している。 学ぼうとして学べるものじゃない。 ジャズをもう一度やり直そう、とボストンに渡った僕がピアノを諦めてしまう結果になって、作曲編曲に専念するようになったのも、それが理由の一つだった・・・


もう一曲だけ聴いてみる?
これはゆっくりとした、軽いスィングのリズム。 ガーランドが演奏したものの中ではそのユニークさがもっとも表れた秀逸な演奏だと思う。
彼のシングルノートのソロの時の、左手のシンコペーションのリズムの入れ方に注意して欲しい。 これも彼に独特なものでこんな弾き方をするピアニストは他にはいない。 理論やコンセプトに縛られてメカニカルな演奏しかできない昨今のピアニストを聴いたあとでは、ガーランドのような、切実な感情の吐露に接するとほっとする。
それにしても何と抒情に溢れたピアノであることか!





セントジェームズ病院



「セントジェームズ病院」 は僕の好きなナンバーで、同じ曲をルイ・アームストロングが歌うバージョンを以前の記事、『これほど悲しい歌を聴いたことがあるかい?』 に載せている。





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動物好きの絵描きさん 18 イグアナ

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イグアナ
By Green Eyes


イグアナというこのトカゲの王様のような爬虫類の名前を聞くたびに、いつも自動リンクするように僕の頭に浮かんでくる言葉がある。

イグアナの夜

言わずと知れた、あの古い映画だ。(1964年)
テネシー・ウィリアムズ原作の芝居を映画にして、ジョン・ヒューストンが監督をした。 その映画では、リチャード・バートンがデボラ・カーとエヴァ・ガードナーという二人の超美女を相手にしている。 だからその頃バートンがデートの最中だったあのもう一人の超美女エリザベス・テイラーは、気が気ではなくてバートンにくっついて来てロケ地に滞在して目を光らせていた。
そのロケ地というのがこのメキシコの西海岸のプエルト・ヴァラルタだったという事実を知らないで、僕はこの有名なリゾート地へ来たことがある。 僕の会社の慰安会のようなものに招待されたのだけど、そうでなければ自分で来ることはなかっただろう。 そしてある午後、ホテルの部屋の窓の外に、棕櫚(しゅろ) の木に休むイグアナを見つけてこの写真を撮った。 全長50センチほどのこの怠惰な生きものはその保護色のため、うっかりすると見逃してしまうところだった。



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摂氏40度の陽の下で
Puerto Vallarta, Mexico



ずっとあとになって 『イグアナの夜』 がこの町で撮影されたと知って、何も知らないでイグアナの写真を撮っていたその偶然に少し驚いた。 あの映画の成功でこの町の名が一挙に世界中に広まったそうで、監督のジョン・ヒューストンの銅像がどこかに建てられているらしいけど僕は見ていない。
この旅のことは前に 『熱と原色の町から』 に書いている。

全くの余談だけど、上の三人の超美女に僕がもしデートを申し込む機会があったら誰にするか? と訊かれたらさんざんその選定に苦しんだ結果、エヴァ・ガードナーにおちつくかなあ、と思うけど、もちろんそんなことを誰も訊いてくれるわけがない。



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危険な関係



危険な関係のサンバ
Art Blakey and his Jazz Messengers


高校生の僕はフランスから日本上陸をしたヌーヴェル・ヴァーグの渦中に溺れていた。
衝撃的な物語、即興性の多い演出、スタジオを離れたロケーションだけの撮影、眼を見張るようなモノクロの映像。そしてその裏に、いつも流れていたのがモダンジャズだったこともさらに拍車をかけたようだ。
「い とこ同士」(シャブロル)、「大人は判ってっくれない」(トリュフォー)、「美しきセルジュ」(シャブロル)、「勝手にしやがれ」(ゴダール)、「ヒロシマ・モナムール」(アラン・レネ)、「去年マリエンバー ドで」(ロブ・グリエ+アラン・レネ)、「死刑台のエレベーター」(ルイ・マル)、そしてこの「危険な関係」(ロジェ・ヴァディム)、と50年前に見た映画をよくもまあ覚えていたと自分で感心するくらいに思い出せた。 もちろん、調べればもっともっといっぱい見たのはまちがいない。

「危険な関係」を最初に見た時は、主演のジェラルド・フィリップやジャンヌ・モローはその頃の僕には大人のお兄さんお姉さんという感じがして、彼らのやる放埒な恋と誘惑のゲームをポカンと 口を開けて見ていたと思う。その中で若いアネット・ヴァディム(監督の奥さん) が僕のお気に入りで、そのあと同監督の「血と薔薇」でもうすっかり彼女に魅せられてしまっていた。あんな美女を自分のものにできるなんて、映画監督とはなんとうまい商売だろう、と憧れたものである。
しかし「危険な関係」で映像と同じくらいに僕がショックを受けたのは、音楽担当のこのアート・ブレーキーのグループだった。このテーマ曲はピアニストのボビー・ティモンズの作曲によるものだけど、このサンバを聞けばすぐ判るように、主役はむしろうしろで凄絶なドラムとパーカッショ ンを叩く大殿のアート・ブレーキ―だった。この演奏には映画の醸しだす頽廃とエロティシズムの雰囲気そのままに、緊迫したテンションが溢れている。

ロジェ・ヴァディムといえば、一生に結婚を5回繰り返した。
後年になって "My Life With The Three Most Beautiful Women In The World (1986)" (世界でもっとも美しい三人の女たちと私) という自伝で、以前の二人の妻と一人の恋人の女優たちのことを書いたのは、5人目の妻、女優のマリー・クリスティーヌ・バローと結婚する数年前だったから、 あの本を読んだバローとしてはどんな気持ちで彼との結婚に踏みきったのだろう、と考えてしまった。

1952年に、24歳だったロジュは17歳の少女ブリジッド・バルドーと結婚したあと5年後に離婚。
その翌年にアネット・ストロイバーグ(アネット・ヴァディム) と結婚してこれは2年後に離婚。
その翌年、1961年に17歳のカトリーヌ・ドヌーブと知り合い、結婚はしなかったが2年後にドヌーブがロジェの息子を生んだ直後に二人は別れている。
その同年、ジェーン・フォンダと同棲を始めて2年後の1965年に結婚、この結婚は8年続いた。
1975年には衣裳デザイナーのキャサリン・シュナイダーと結婚。 2年後に離婚。
それから13年間は、さまざまの女達との情事を繰り返したあと、
1990年に最後の女性となるバローと結婚をして、10年後に72歳のロジェはバローの胸に抱かれて死んだ。

なんという人生!

文字通り芸と女に生きたロジェ・ヴァディムは只の「女たらし」ではあるまいと思う。一つ一つの恋に彼はすべてを賭けたような気がする。映画界の寵児としてその気になれば、永遠のバチェラー(独身男) を通しながら次々と女を変えていこうと思えばできたろうに、彼はそうしないで律儀に結婚を繰り返して、それぞれの女に4人の子供を生ませている。きっと、それぞれが最後の恋だと思っているうちに、さらに崇高な至上の恋に巡りあってしまったのだろうか。その終わりのない遍歴は最終的にマリー・クリスティーヌ・バローとの結婚という形で終結する。ずっと以前から知っていた女優だった。
そして10年後の2000年に、今まで関係のあったどの女よりも先にあっけなく死んでしまう。

なんという人生!




私は誘惑には絶対に逆らわない
なぜって
自分のためにならないことに誘惑を感じることはない
と発見したから。

George Bernard Shaw



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動物好きの絵描きさん 17 トリ

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By Green Eyes
Calligraphy by Kuniko R



アメリカで食用とされる肉類をもっともポピュラーな三種類に絞ってみると、①鶏肉47%、②牛肉29%、③豚肉24%、の順位になるそうだ。
つまり、アメリカ人は肉を食べる時その半数がチキンを食べる、ということになるのだろう。 特に最近は健康管理の意識が一般的に高まってきて、赤肉を避ける人々がどんどん増えているらしいから、この割合は将来もっと変わっていってそのうちに人口の4分の3はチキンしか食べない、なんてことになるかもしれない。 そして同時に魚肉とか野菜の売れ行きがもっと伸びていくのだろう。

僕自身のことを言えば、ふだんの食事で食べている肉類に感覚的に順位をつけると、①魚(魚貝類)50%、②豚肉25%、牛肉15%、鶏肉10%、となってチキンは最下位にきてしまう。 外で食べる時などチキンの料理を選択することはほとんどない。 (時々、無性に鶏のから揚げが食べたくなることはある) 
自宅での食事も、僕が料理する時に鶏肉を使うことはまずないので、あとは我が Green Eyes の料理に姿を現すだけである。彼女のつくる鶏料理で僕が一番好きなのは日本風の竜田揚げだ。 これは酒のつまみにもなるのでいつももりもりと食べてしまう。

僕もこれからはもっと鶏を食べるようにすべきなのか。
でもなんとなく味が薄くておいしいと思えないんだよなあ・・・・

 


酉年の特徴

●乙酉(きのととり) 昭和20年 平成17年

この生れの人は、水鶏といいます。 田畑や山に住む美しい鶏の一種です。 比較的弱いため自分の身体を隠したり、保護色によって自分の存在を隠しています。 声は明朗で、情緒的な美声の持ち主です。 異性に執着しやすい。 消極的ですが、慾が強く、ワナにかかりやすい。 表立ったことをきらいます。 配偶者で苦労が多く、子供との縁も薄い。 職業、住所ともに定まりにくい方です。

●丁酉(ひのととり) 昭和32年

この生れの人は、闘鶏または喧嘩鳥といいます。 勝負することが好きで、それによって利益を得る鶏です。常に勝ことのみを考え、先天的に闘争心に富んでいます。 負け嫌いで横車を押しても平気で、それで本人は正気のつもりで一歩も譲りません。 稚気もあります。商略の才能が少ないにもかかわらず、地道な生活がまどろかしく、一攫千金の望を持ちます。利己的になりやすい。

●己酉(つちのととり) 明治42年 昭和44年

この生れの人は、野鶏といいます。 自然のままに育つ鶏で、種類は家で飼われる鶏と同じでですが自由です。 したがって食には不自由が多い。 人に養われても、すぐに飛出してしまいます。 外出好きで、遊び廻る癖があり、家におちついていられません。 華美を好み、演芸など陽気なことが好きで、寂しがり屋です。 物忘れが多く、経済的観念に乏しい人です。

●辛酉(かのととり) 大正10年 昭和56年

この生れの人は、軍鶏といいます。 闘鶏ほどには喧嘩好きでありませんが、正義の場合には闘士となります。 また生産的です。 家鶏と闘鶏の中間的存在です。 平時にはまじめに働きますが、いったん事があると猛然として立つ勇者です。 正直で実直で努力家です。 親兄弟の縁は薄く、力になる者が少ない。 わりと孤独です。 名声をあげ一代で誉を得る者が多い。

●癸酉( みずのととり) 昭和8年 平成5年

この生れの人は、家鶏といいます。 家に飼われている鶏です。 鶏肉と鶏卵の供給を主とする役目です。 子孫の繁栄と与えられた使命を真面目に努めます。 性質もきわめて温厚で、生活も安定しています。 多くの人や世の中の為になり、人から喜ばれる地位にあります。 コツコツと自分に与えられた仕事をよくこなす為、人から認められ世間からも持てはやされ大切にされます。
-陰陽道の世界-



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これほど悲しい歌を聴いたことがあるかい?



セントジェームス病院
Louis Armstrong


あの娘(こ)に会いに
セントジェームス病院へ行った
長くて白いテーブルに横たわったあの娘の顔は
指で触るとひんやりとして
優しくてとても綺麗だった

ああ、神様
どうか逝かせてやってくれ
もういい
この娘を逝かせてやってくれ

そうすれば
きっと高いところから
広い世界を見下ろして
しあわせを探すことができるだろう
そして
きっとわかってくれるだろう
おれほど愛した男はいなかったと。

------ September30 (訳)



***



歌の最後に入るルイ・アームストロングの短い笑いが実にいい。
「彼女が世界中を探しても、おれほどの男はきっといないよ」 と歌ったあとで、「えへへ、ちょっと自惚れかな」 と照れ隠しのように笑っているのだが、悲しいメロディとじめじめした歌詞の雰囲気が、この笑いで救われる。 悲しい思い出は泣きながら話すよりも、笑いながら話すほうがずっと切実に響くものだ。
彼の温かい人間味と、聴衆を楽しませるエンターテイナーのプロ根性が笑いに表れている。


恋の算術
1+1= ∞ (無限大)
2-1=0
Mignon McLaughlin




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動物好きの絵描きさん 16 サル

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By Green Eyes
Calligraphy by Kuniko R


猿といえば思い出すのは、動物ではなくてサルというあだなの少年だった。
小学校の時の同級生である。 別に顔が猿に似ていたわけではなくて、むしろ可愛い顔をしていた。 サルと誰かが付けたのはたぶん、彼の名前がマサルであったうえに、色白の彼が興奮したり怒ったりすると顔が真っ赤になるところからだったのだろう。 成績は中くらいで暴れん坊だった。 子分と呼ばれるような数人の子どもたちにいつも取り巻かれていて彼はそのボスだった、 僕が彼とは最初から相容れなかったのは、このサルのグループが弱いものいじめをするからだった。 彼らの犠牲になるのは貧しい母子家庭の子だとか、ひどいビッコをひくおとなしい子だとか、成績が悪すぎていつも先生に叱られる子だとかだったから、仲間も子分も持たない一匹狼だった僕は、いじめの現場へ棒切れを持って飛び込んでいって彼らを蹴散らしたことが何度かあった。
当然ながら猿グループの僕への報復は執拗だったが、正面から挑戦してきたことは一度もなくやり方が陰険だった。 どうでもいいようなことを先生に告げ口したり、廊下ですれ違う時にわざと身体をぶつけてきたり、僕の運動靴を隠したり、講堂で朝礼の時に後ろから僕の腰を押して列を乱させて先生に叱られるように仕向けたりした。 僕はすべて完全に無視した。

ある時、国語の宿題で自由作文を書かされたことがあった。 僕が提出したのは題名を忘れてしまったけど、猿の童話だった。 ある森に住む猿たちの中に、生まれつき片目で鼻の潰れた醜いけどとても気の優しい猿がいて、ボスをはじめ周りのサルたちからいつも意地悪をされていた。 ある時そのボス猿が漁師の仕掛けたイノシシの罠にかかって片足をもぎ取られてしまう。 もう木に登ることもできなくなったボスに愛想を尽かした猿たちは、ボスを捨てて隣の森へと移って行った中で、醜い猿だけは彼のそばを離れず、怪我の介抱をしたり食べ物を集めてきたりしてやる。 そしてボス猿の怪我が良くなったあと、誰もいない森の中で二匹の猿はお互いを助けあいながら仲良く暮らす。 というような他愛ない物語だったと覚えている。

クラスの子供達の前で先生がこの作文を読み上げた時、何人の子供がこの寓話に気がついたのかはわからないが、先生にはたしかに解っていたに違いない。 その童話は学校文集に載せられて全校の児童たちが読むことになったのだけれど、それ以後、猿グループの弱い者いじめがピッタリと止んだのである。 サルと僕はそのあと仲良しになるということもなくて、廊下ですれ違うと彼はいつも眼をそらせた。
あの、サルと呼ばれた少年はどうしているのだろう?
中学まではいっしょだったのに、高校が違ってからはもう顔を見たこともなかったような気がする。

***
 
申年の特徴

●甲申 (きのえさる) 昭和19年 平成16年

この生れの人は、王猿または智恵猿といいます。 非常に才能に富んだ猿です。 統制力と権威に富み、一方において感情が鋭敏で、警戒心が強く用心深い。 そのため正しい者まで疑いをかけ、そしりを受けやすい。 理性を忘れず、感情的にならないように注意しないと、運勢の弱いとき部下や目下の者に倒されることがあります。 怒りっぽくて人に頭を下げることをきらいます。 子供については苦労が多いようです。

●丙申(ひのえさる) 昭和31年

この生れの人は、赤猿または火猿といいます。 外見も内心も赤く火のように燃えている人です。 ときにはその燃え方があまりにも強いため位負けします。 欲が深く、我が強く、おしゃべりな人が多い。 感情にもろく、安請け合いをして後で後悔することが多い。 何事も上調子になりやすく、心底からの交際が出来ないため、人に好かれにくい。 大望を夢見るが、実現する勇気と度胸に欠けます。 男女ともに縁談、家庭的なことには苦労が多い。

●戊申(つちのえさる) 明治41年 昭和43年

この生れの人は、山猿または荒猿といいます。 気の荒い人で、人に迷惑をかけることが多い。 一面で茶目っ気を持ち、人気者で、交際家で、だれ彼の隔てなく交際します。 趣味に富み向上心旺盛です。 勉強家で常識もあります。 行動は粗野で、理屈家で、短気で、飽き性です。 縁談は最初遊びのようでいて、結果は良縁に恵まれます。 多少なまけ癖があるので、細密なことを嫌い、万事おおざっぱな人です。

●庚申(かのえさる) 大正9年 昭和55年

この生れの人は、芸猿または芝居猿といいます。 人まねが上手で、利口で記憶力がよく、一芸一能に秀でています。 たえず無理をすることが多く、食事なども不規則になりやすく健康に注意が必要です。 名声を揚げて人気者になり、一世を風びするような人も多いが、溺れやすく心を引締めなければなりません。 縁談は外見に惑わされやすいタイプなので、注意が必要です。

●壬申( みずのえさる) 昭和7年 平成4年

この生れの人は、親猿または大猿といいます。 身体が大きく、力持の猿です。 壮健ですが、敏感さはありません。 なにごとも大雑束で、正直で、グズつくのがきらいで、性急にことを為すほうです。 政治家とか鉱山師のような仕事で才能を発揮します。 大空想家で、余りコセコセせず、お人好しでかつがれやすく、締めくくりの悪さがあります。 その為に成功する場合と、そうでない場合の落差が激しい人です。
-陰陽道の世界-


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