過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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September30

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ゴルフと僕

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冬のゴルフ・コース
Dayton, Ohio USA


僕の住んでいる地域には、車で15分以内の距離にゴルフ場が3つもある。 それを言うと日本にいる知人友人たちはびっくりして、まじまじと羨望のまなざしで僕を見る。 そこでさらに僕が 「自慢じゃないけど、北アメリカ大陸広しといえど、俺はゴルフをしないたった一人の日本人なんだ」 と誇らしげに言うと、信じられないという顔をして、とたんに僕に対する人物評価が2段階は確実に下がってしまったのがわかる。

そういう僕が1度だけゴルフを始めようとしたことがあった。 17年前に、今僕が行っているアメリカの会社に入社した時のことである。 先代の社長兼オーナーのB氏は、外回りの営業マンにとって顧客とゴルフをすることがビジネス成功への最短距離だと信じていたから、自分が雇い入れた新入社員が実はゴルフのクラブなど生まれてから1度も握ったことのない男だと発見したときには、まるで惚れた女性から 「実はわたしってレスビアンなのよ」 と告げられた時のように落胆した。 僕の営業成績は新入社員としては決して悪くなかっにもかかわらず、B氏に言わせれば、これで僕が顧客とゴルフをやれば毎月の棒グラフが確実に3割は伸びると自信を持って主張した。 そして、暇な時間はいつもテニスに入れ込んでいた僕を見て、ゴルフを始めてみては、と最初は遠慮がちに、後になるとかなり執拗に懇願し続けた。 新しいゴルフ用具の購入も、個人レッスンの費用も、クラブメンバーの会員料も、会社で負担するから、と言う。 それでとうとう僕は、学生の時から続けていたテニスにさく時間を減らして、ゴルフを始めることになったのである。

始めてみてすぐに感じたのは、ゴルフとはなんと退屈なスポーツだろうという事だった。 僕は子供のころから球技が得意でいろいろなスポーツに手を出したが、ゴルフはそのどれとも違っていた。 まず、スポーツといえば当然付きものの、走ったり跳んだりするということがまるでない。 ただ歩くだけ。 そのうえ、打った自分のボールをアホのように茫然と眺めるだけで、他の球技のように、そのボールを誰かが追いかける、ということはしないという実に奇妙なスポーツだった。 だから僕にとってのゴルフは、汗を流して体を酷使したというあの満足感に欠けていた。 それは僕にとっては重要なことであった。 これがテニスなら、ゴルフのように貴重な人生のなかの半日とか1日をつぶしてしまうことなく、シングルスの試合を2時間もやれば、体内に溜ったエネルギーも頭脳内の欲求不満も、汗とともにキレイさっぱりと発散してしまい、気分爽やかなことはこの上もない。 肉体的なエクササイズという点でもゴルフは何の役にもたたなかった。

そんなネガティブな要素がいくつか重なって、僕はゴルフを諦める決心をした。 当然ながら社長のB氏はかなり機嫌が悪かったが、彼をなんとか説得することができたのは、ゴルフをやることなしに棒グラフを3割上げることを僕が約束したからだった。
そして数ヵ月後に僕の成績は3割上昇していた。 ゴルフという営業の武器を持たないかわりに、 「日本語を喋る」 という社内の誰も持たない特技を、僕が具(そな)えていたのがその理由だった。 我が社には僕が入社する以前は、日系企業のクライエントなど1社もなかったのである。

***

そのゴルフコースに最近頻繁に行くようになった。
2匹の犬たちを散歩させるためである。 我が家のすぐ近くにある市営のゴルフ場は、周りの人家とのあいだが昔風の木柵で仕切ってあるだけなので、冬になってゴルフのシーズンが終わると、そこは近所の犬たちの格好の遊び場になっていた。 起伏の多い広大な地域を、鎖を解かれた一群の犬たちが、気が狂ったように走り回るあいだ、犬のオーナーたちは木柵のそばでのんびりと世間話しをしている。
雪が降ったあとのゴルフ場は、寒いのを我慢すれば、ことさら美しかった。



下手な人なりに楽しめるもの、
といえば
ゴルフとセックスぐらいしかないだろう。
Jimmy DeMaret



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拷問

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待ちながら
Dayton, Ohio USA


アメリカ人というのは、概していうとすごく辛抱強い国民だと思う。 およそそういう辛抱強さというか我慢強さのようなものを生まれつき持っていない僕からみると、驚くのを通り越して呆(あき) れてしまうことがよくある。

先日もそうだった。 アメリカ人の知人数人と急に晩飯を食べに行こうということになり、彼らがどうしても行ってみたいという盛り場のど真ん中にあるレストランへ行った。 このあたりではわりと知名度の高いレストランだったし、金曜の夜ということもあって、予約も無しでいきなり行くことに僕は気が進まなかったが、ほかの連中に引っぱられるようにしてついて行った。
予想したとおり、レストランはギュウギュウに混んでいて、入り口にも外にも待つ人たちで溢れている。 メートルディーに名前を残す時に、たぶん2時間は待つことになるだろうと言われた。 2時間だと? 腹がペコペコの状態で2時間も待つというような非人間的な忍耐力を、僕は両親から受け継いでいなかった。 ところがいっしょにいたほかの連中はまったく気にしていない。 ドリンクを飲みながら待とうということになってラウンジに移動してみると、そこも満席で大部分の客たちは床に立ったままグラスを片手にしている。 飲み物を注文するのでも、人ごみをかきわけてカウンターまでたどり着くと、ひとの肩越しに飲み物の名を怒鳴り、キャッシュで支払いをして、またひとの肩越しにグラスを受け取る。 そんなに苦労して手に入れたドリンクも、どんなにゆっくり飲んでも15分で終わってしまう。 まだあと1時間45分あるわけだ。

そうするうちに僕は、昼間の疲れが足に来たうえに空腹が手伝って、どこでもいいから座りこんでしまいたいという強い衝動に襲われる。 もちろんかなわぬ夢だ。 すこしふらふらしてきたようだ。 もう1度時計を見る。 さっきから10分たっているので、あと1時間35分の辛抱である。 音量の高すぎる音楽と人々の怒鳴りあう騒音の中で、僕は頭が痛くなってきた。 そしてほかの連中が楽しそうに話をしているのをみているうちに、僕はだんだん腹が立ってくる。 これはもう拷問以外の何ものでもない。 僕は決心をすると、気分が悪くなったから帰る、と連中に告げて(それは嘘ではなかった) 逃げるようにしてこの馬鹿馬鹿しい群集を離れていった。

すぐ向かいにあるマクドナルドへ入ると、何年ぶりかで食べたビッグ・マックのなんと美味しかったこと!
しかもフレンチフライとオレンジソーダが付いてくるその豪華な夕食は、さっき飲んだ1杯のドリンクよりもずっと安かった。




ダイエット食品なんていうものは
おいしいステーキが焼きあがるのを待ってる間にだけ食べるものよ
Julia Child



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僕が死んだら・・・

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1870-1972
Sète, France


僕が死んだら、と時々考えることがあるけど、それは最近になって自分が歳を経てきたからということではなくて、ずっと昔からそうだった。 自分自身の葬式なんて我が目で見ることはできないから、妄想の世界で確かめるしかない。 葬列に誰の顔が見えるか、誰が来なかったか、誰が泣くだろうか、俺のことをなんと噂するだろうか、なんて考えることには一種の楽しさがあった。

僕が死んだら・・・
まず遺体を焼いたあとの灰を2等分する。 それから半分の灰を水色の袋に、あとの半分はあずき色の袋に入れる。 そして水色の袋はふるさとの日本海に、あずき色のは、僕が愛したはるかかなたの地中海に、撒(ま) いてもらいたいと思う。
望みはそれだけではない。
僕の通夜(vigil) にはみんなで陽気なパーティをやってほしい。 酒を飲みながら旨いものを食べながら、古い話をすることだ。 その時に流れる音楽は、シューベルトの弦楽四重奏 《死と少女》 で始めてもらいたい。

シューベルトが不治の病を宣言されたあとにこの作品が作られたという話は、どこまでが本当なのか分からないが、全楽章を通して漠然とした不吉な予感のようなものが重い霞のように満ちていて、若い作曲家にまちがいなく 「死」 が影を落としていたように感じられる。 とくに第2楽章のバリエーションは病的で、陰鬱で、そして美しい。