過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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September30

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ヨーロッパで珍しく旨い中華を食べた話

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うん、これはおもしろそうだ
Via Indipendenza, Bologna, Italy


ボローニャの旧市街のど真ん中を、南北に走る主要道路がインディペンデンツァ通りである。
通りの両側にはびっちりと商店が立ち並び、長いポルティコの下を雑多な人々が行き交う。 気をつけて見ると若い世代の人が多いのは近くにボローニャ大学のあるせいだろうか。 この大学は開設されたのが1088年という、何しろ文句なしに世界最古の大学なのである。 日本では平安朝の中期に当たり 『源氏物語』 が書かれたのとほぼ同じ時期に、ここではイタリア中から集まったエリート学生たちが医学や哲学や宗教学の知識を追求していたのだ。

賑やかなインディペンデンツァ通りから、ふいとそれて無数にある横道に入ると、とたんに人通りが少なくなり、そこにもカフェやリストランテが林立している。 そんな中に1軒の中華料理の店を見つけて、ランチを取ろうとそこへ入ってみることにする。 だいたい、ヨーロッパで食べる日本食や中華料理をおいしいと思ったことが一度もない。 ヨーロッパまで来てそんなものを食べなければいいのに、と思いながらも、長く逗留しているうちにどうしても恋しくなってつい何度も失敗を繰り返してしまった。 だから今回もあまり期待をしないようにと自分に言い聞かせながらドアを開けた。

席に案内されてメニューを開く。 品書きはとくにユニークなものがあるわけでもなくて、この手の中華料理店ではどこにでもありそうな料理が並んでいた。 注文しようといているところへ、オーナーらしい中国人の老人が出てきて、英語を話さない彼と、カタコトのイタリア語をしゃべる僕との間にイタリア語の会話が始まった。 お前は何人だ、と老人が最初に訊いてきた。 僕が日本人だと判ると彼の顔がほころんだ。 ここには日本人の客はほとんどないそうだ。 日本人だけど実は生まれたのは中国なんだと僕が告げると、彼はおおーそうか、という風に嬉しそうに頷いた。 ワインリストから適当にボトルを選んで注文すると、それよりもっと良いものがある、といってリストにはない取って置きのワインを出してくれたり、注文もしないのに、当店自慢の品だ、と言って大きな鉢に入った卵と海鮮のスープが出てきたりした。 そして何よりも嬉しかったのは、出てきた料理がすべてびっくりするほど良い味だったことである。 どちらかというと控えめな味付けに素材の風味が生きていて、揚げたものも炒めたものも油気がほとんどない、大人向きの洗練された味だった。 こんな美味しい中華にはパリでもロザンナでもバルセロナでもお目にかからなかった。 

勘定を払う時になって、出てきた鉛筆書きのビルを見ると総計が驚くほど少ない。 怪訝そうな顔をして見上げる僕に店のオーナーが言った。
「ワインとスープは "No pagare" (無料) だよ」

***

ボローニャを基点にして車であちこちを走り回ったこの旅で、もう一度この店へ行きたいと思いながら、それが果たせなかったことが残念だ。 今では、店の名前も場所も忘れてしまっているのに、彼の言った言葉だけが残っている。
「日本人と中国人は昔いろいろあって仲が悪かった時代もあったけど、今はそんな事はないよね。 そうでしょう?   今はそんな事はないよね」




ひとりの女に忠誠であるよりも
一軒のレストランに忠誠であるほうがずっと易しい。
フェデリコ・フェリーニ



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4月のクイズの結果は・・・

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The Cathedral of St.John the Baptist
Savannah, Georgia USA


ヨーロッパに比べるとずっと歴史の浅いアメリカだが、教会の無い町はなくても、大聖堂と呼ばれるものはわりと数が少ないようだ。 ジョージア州には州都のアトランタとこのサヴァンナの2カ所だけである。 そしてアトランタの聖堂よりこちらの方がずっと大きくて荘厳な感じがする。 1800年代にフランスからの移民たちが建てたこの聖堂の内部に入った僕は、一瞬ヨーロッパにいるような錯覚にとらわれた。

今月のクイズは難しいだろうと思っていた。 都市の名まで答える人はまずいないだろうと自信があった。 にもかかわらず、ちゃんと正確に答えた人がひとりいる。
Endless さんである。

Endless さん、おめでとう。
住所氏名を非公開コメントにして送ってください。
お好きな写真を指定することを忘れないように。
数日経ってもご返事のないばあいは棄権とみなして次の方を選びます。

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豪雨のあと

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二つの絵
Dayton Art Institute


明け方から凄い雨だった。 集中豪雨というやつだ。
今朝起きると、時々水の出る我が家のベースメントは、おかげで今までにないほどの浸水となり、2センチほどの深さの池になっていた。 建てられてから100年近く経つレンガ造りの古い家だから仕方がない。 水が出た時のために片隅の排水溝に小さなポンプが備えてあり、溝の中の水位が一定の高さまで上がると、ポンプが自動的に作動するようになっていた。 そのポンプが今日は動いてないのだろう、と思った僕は裸足になるとジーンズの裾をまくって (僕は長靴を持たない) 水の中へと入って行った。 ランドリーのマシーンの裏側へ回り込んで排水溝を見ると、ポンプは水面下に沈みながら、感心にも懸命に喘ぎながらちゃんとやるべきことをやっていた。 つまり、今日の雨量は彼が対処できる能力をはるかに超えているわけである。

そこで僕は考えた。 いったん雨が止んでしまえば、溜まった水は忠実で勤勉なポンプ君が時間をかけてでも最後の一滴まで汲み取ってくれるだろう。 しかし午前10時の現在、雨はまだまだ凄い勢いで降っている。 池と化している地下室の水位がもし4センチを越えると、その水は一段高くなっている物置部屋のドアに達してしまうのだ。 物置部屋には濡れては困る紙類や家具などがぎゅうぎゅうに詰められていた。 これはもう、うかうかとしてはおれない。 僕はわが家で一番大きなゴミ用のポリバケツを持ち出すと、そのバケツに水差しを使って水を汲み取るという作業を始めた。 そこまでは我が Green Eyes も手伝ってくれるが、そこから先は男の仕事だった。 水を満たしたバケツを両手で持ち上げると、急な階段を上って一階に出る。 キッチンを通り抜けて裏のドアからドシャ降りの裏庭へ出ると、その庭を10メートルほど横切り、裏木戸を抜けて出たところの傾斜したドライブウェイに水を廃棄する。 (庭に水を捨てると、その水はまた地下室に流れ込むから)。

この廃水ルートは決して楽ではなかった。 僕は20回も繰り返しただろうか。 そうするうちに僕はくたびれてきて、バケツの水が半分のところで運ばないともう持ち上げる事もできなくなってしまった。 それをまた何十回と繰り返す。 僕はまるで服を着たまま太平洋を泳いで渡ったようにずぶ濡れだった。 寒い日ではなかったから良かったのだ。 地下室の水位はずっと2センチに保たれているということは、この重労働が功を奏しているわけである。
僕はこの作業を、短い休憩を何度も取りながら2時間も続けただろうか。 雨がようやく小降りになってやがて完全に止んでしまうまで。

熱いシャワーを浴びたあと、くたくたに疲れきった僕は2時間ほどぐっすりと眠った。 まるで半年分のエクササイズを一挙にやり終えたあとのような気分である。 腕と腿(もも) にモリモリと筋肉が付き、お腹が何センチか引っ込んだような錯覚がして、肉体的な充足感さえあった。
目を覚ましたあと遅いランチを取ると、「そうだ、今日の午後は久しぶりに美術館に行ってみよう」 と思っていた。 実は、数日前に届いた新しい16ミリの超広角レンズをまだ試していなかったからである。

そのあと、美術館から戻ってまず地下室に降りてみると、嬉しい事に水は完全に引いていた。 黒く濡れたセメントの床は水に洗われて前よりもずっときれいになっていた。 共に奮闘したポンプ君は今はひっそりと音も立てず、静かな休息を取っている。


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おれは ビリー・ザ・キッド だぞ

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走る女
Boston, Massachusetts USA


日本では何と呼ばれているのか知らないが、欧米ではストリート・フォトグラフィーという写真のジャンルがあって、若い写真家たちの間ではとくに人気がある。 都市の路上や公園など人の多い公共の場所で、行き交う人々の一瞬の動作を切り取ることによって、ごく日常的な空間の中で都市風景と群集と写真家自身の三者の奇妙なジャクスタポジションを創作する。 それは極端に私的な意味でのドキュメンタリーといってもいいだろう。

ストリート・フォトグラフィーでは悠長にカメラを構えてピントを合わせる余裕などはないから、広角気味のレンズをF8に絞って、焦点は自分の目の前、数メートルのところにあらかじめ固定してある。 そしてカメラを持ち上げてファインダーを覗いた瞬間にはシャッターが切られている。 シャッターが切られたあとは即座にカメラが顔から離れ、僕は何食わぬ顔をしてあらぬ方を見ながらその場を離れていく。 時には、ファインダーを覗く時間もなく、また被写体によってはそうする事が危険な場合もある。 そんな時はカメラを腰に押し付けたまま、数回続けさまに腰だめに撃つことになる。 西部の無法者、ビリー・ザ・キッドのように。

この女はなぜ走るのだろう? まるで目に見えぬ何かに追いかけられているように・・・ 
そしてこの楽器の男の顔はなぜ恐怖に満ちているのだろう? まるで、カメラを向ける僕を憎むかのように・・・ 
男はあたかも僕が危害を加えようとしているかのように、本能的な防御心から身体を半分捩(ね) じった。

画面には明らかに一種の緊迫したテンションのようなものが流れていて、それを助長するかのような、男の奏でるフィーデルの高音が悲鳴のように聴こえそうな感じがする。 そんな空気の中を何も知らずに向こうから歩いてくる二人連れにとっては、この世には何事も起こることのない平穏な大都市の午後なのだった。




シャッターを切るのは、自分が被写体を掴む時ではなくて、
被写体が僕を掴んだ時なんだ。
September30



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イースター・サンデー

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兎の家族
by Green Eyes


今年のイースター(復活祭)は4月の24日の日曜日となった。 イースターはクリスチャンのいわゆる移動祝祭日だから、月齢をもとにして毎年違う日曜日にやってくる。 しかも春先の行事と決まっているわけではなく、たとえば南半球ではイースターは秋にやってくるのだ。 また、ユダヤ教の暦でいう 「パスオーヴァー」 と性格が非常に似ていてしかも時期も同じである。

この日の立役者は何といっても兎と決まっている。 イースター・エッグを運んでくるのが兎だとされていて、この日には極彩色に染められた茹で卵を大人が家の内外に隠して、子供たちがそれぞれのバスケットに卵をハントするという風習は、わが大家族の集まりでも長いあいだ実行されていた。 子供たちが成長してしまうと、そんな風習もしなくなってしまったが、それでも何十人という家族全員が一堂に会してのディナーとなるのは変わらない。 この日のディナーは、ターキーがお決まりのクリスマスや感謝祭と違って、イースターにはハムとかラムが多いようだ。 ターキーの嫌いな僕にとっては嬉しい祝日なのだった。

わが Green Eyes が描いた兎のカードは毎年この時期になるとよく売れる。 (書は久仁子さん)。 今年はウサギ年のイースターだから兎たちは忙しいようだ。 もっとも欧米の兎は自分たちの年が日本に来ていることは知らないだろうけど。


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4月のクイズ

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僕がこの聖堂を見たのがどこだったのか、思い出せない。
町の名前はともかく、せめて国名だけでも思いだしたい。

これが今月のクイズです。
国名だけではなく都市の名前まで正確に答えた人には、何人だろうと全員に賞品を差し上げます。
そうでなければ、国名を当てた人の中から抽選でひとりを選びましょう。

正解者の中から1名を抽選で選び、僕のブログ上のどれでもお好きな写真を差しあげます。 
締め切りは今日から1週間。
答えは非公開コメントにして下さい


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今日の日記から

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寂しいランチ (2)
Miamisburg, Ohio USA


X月X日
今日は久しぶりに朝から仕事場へ顔を出す。 大震災のあと、日系企業のクライエントがそろって財布の紐を締めてきたので、僕の仕事もとたんに暇になった。 3時間もするとすべて片付いてしまい、せっかく出かけて来たのにそのまま帰るのも、と思ってすぐ向かいのモールで昼飯を食べることにする。
前によく食べた蟹入りのサラダのサンドイッチ。 ランチには時間が早いので、店内には客は誰もいなかった。 食べ終わってふと気がつくと、向こうのテーブルに誰かが座っいてさっきからこちらの方を見ているのに気がついた。 こんな時間に来るのはおれだけじゃないんだな、と思ってよく見ると何となく見たことのある顔である。 僕が 「やあ」 と声に出さないで片手を挙げて挨拶をすると、向こうも同じように片手を上げて応えた。

何のことはない。 そこにいるのは鏡に映っている自分だった。



男は鏡の中に自分を見る。
女は鏡の中に自分を探す。
Elissa Melamed



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海の向こうには

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姉と弟
Revere, Massachusetts USA


ひとりっ子で兄弟の無かった僕は子供の頃、兄弟のある友達が羨ましくてしょうがなかった。
いや、実は父の先妻の子供が僕の兄としていたのだけれど、年がうんと離れていて、僕にとっては兄というよりも叔父のような存在だった。 わけても羨ましかったのは小さな妹を持っていた友達だった。 もし僕に可愛い妹があったら、本を読んでやったり、裏庭で遊んでやったり、近所のいじめっ子から守ってやったり、両親の残酷な仕打ちに抗議してやったり、少ない自分のお小遣いからいくらかのお金をあげたり、自転車のうしろに乗せて海を見に行ったり、兄貴としての全面的な畏敬と情愛を一身に集めて、いたいけな妹のアイドルになってあげられたのにと思っていた。 だから友達の家へ遊びに行って、なぜその友達が妹に平気で意地悪をしたり、仲間はずれにしたりできるのか理解ができなかったのを覚えている。

そんな自分に子供がふたりできて、姉と弟は3つ違いだった。 幼い時から二人は仲が良くて姉が弟の面倒を良くみていたが、小学校上級の頃から少しづつお互いに独立していったようだった。 高校生の頃には、口を開くとケンカになったような時期もあったりして、ひとりっ子で寂しく育った僕は、むしろおもしろくそれを眺めていたようだ。
その子供たちも今は20代の半ばを過ぎた。 遠い昔に子供のころ、ボストン郊外のリヴィエラ・ビーチに立って果てしない大西洋を眺めながら、この海の向こうに何が自分たちを待っているのか想像もつかなかったに違いない。 ずっとあとになって、姉はパリの大学に行ったし、弟の方は東京に仕事を見つけて住むことになる。

高校を終えたあとはずっと現在まで別れて住んでいる二人は、1年に1度クリスマスに会うだけでふだんはまったくお互いに交信をしていないを知っていたけれど、昨年のマヤの誕生日に、太郎がおめでとうと言って電話をかけたのが分かった時は、妻と僕はお互いの顔を見合わせて、「へ~」 と言ってしまった。

姉と弟
手を取り合って大海に面するこの子達の胸に何があったのか知ることもできないが、その彼らの後姿を見て、父親の僕がなにを思っていたのか、彼らも知ることはないだろう。
どんな人生がこの子達を待っているのか、親である僕らには見極めることができないのは本当に口惜しい。


夏祭り 井上陽水




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春はバスに乗って・・・

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El Meson
Dayton, Ohio USA


1年中を通して、わが家でいながらにして季節の移り変わりを感じさせてくれるのは、2階のサンルームの窓のすぐそばにある隣家のしだれ柳の木だった。 例の 『雪見酒』 をしたあの柳である。 冬のあいだは裸にされた枝々を、男に痛めつけられた女のように辛そうに垂らしていたこの柳が、1週間ほど前から花を着け始めた。 それが今朝見ると、薄いピンクの花をめいっぱいに満開させて爛漫と咲誇っている。
「よしよし、今年もまたちゃんと帰って来てくれたね」 と僕の心が明るくなる。

今日は久しぶりに妻と二人で "El Meson" へ行ってみた。 地中海料理の店で、この町では僕らの大好きなタパスの食べられる唯一のレストランである。 店の入り口のそばに置かれたこの極彩色の古い大型バスを見るたびに、(何のためのバスなのだろう?) という疑問を持つくせに店のものに訊いてみた事がない。 中に入るといつも食べる事に夢中になって、つい訊くことを忘れてしまうのだ。 またこのレストランほど勝手に休業をする店をほかに見た事がない。 それで今まで何度スゴスゴと引き返した事だろう。 表のドアの張り紙によると、家族で長い休暇を取っていることもあれば、身内の結婚式や葬式でいきなり店を閉めてしまう。 商売よりも客よりも家族が大切だという態度が明らかなのは、ラテン系の人たちに特有なのかもしれないと思った。

Gotan Project  "Epoca"



 
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二都物語

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Barn No. 17
Dayton, Ohio USA


長いあいだ田舎で暮らしていて、のんびりとした生活にすっかり慣れてしまった。
その前にはボストン、さらにその前には東京という2つの大都市での生活を経て、こんな田舎に引っ込んでしまった僕を見て、よく我慢している、と友人たちは驚いていた。 しかし正直に言うと、この田舎に移ってきた時に僕は心からほっとしたのを覚えている。 まず生活のテンポが違った。 音楽で言うと、アレグロで走り回っていたボストンと違って、ここはすべてがアンダンテ (歩く早さ) である。 それに田舎の人々は優しい。 そのころまだ小学生だった二人の子供たちにとっても、こちらの方がずっと好ましい環境だと思ったのは、僕自身が日本の田舎で育った事をいつも感謝していたからだろう。

それにもかかわらず、時々大都会の暮らしを懐かしがっている自分に気がついた。 とくに都会の夜の生活が恋しくなる事がある。 田舎では人々は1日の仕事が終わると、夜は自宅で家族と共にゆっくりとして、明日のしごとのための休養をとる。 平和で退屈な時間である。 これが都会なら、昼間の生活が終わると、そこから今度は夜の世界が始まるのだ。 都会の人々は二つの顔を持って生きている。 昼間の顔と夜の顔と。

都会にしか住めない人、田舎にしか住めない人、というような区分けができるのかなと考える。 僕自身はやっぱり田舎のほうが好きかなあ。

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人間嫌い

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淋しいランチ
Miamisburg, Ohio USA


最近の僕は外に出て人と会う度数が、どんどんと少なくなってきている。
人間嫌いというほど極端な事ではなくて、社交嫌いと言うべきなのか。 その証拠に、仕事で人に会ったりするのはあまり苦にならないからだ。 それが親類同士の集まりだとか (これがまた実に多い)、 町内のブロックパーティだとか、会員にさせられている二、三の団体の催し物など、社交的な場にはあまり行かなくなってしまった。 と云っても、どうしても顔を出さないとまずい会合やパーティも時々あるので、そういう日は朝から心が重い。 車で目的地へ向かう最後の最後まで、何か不可避の現象が起こって、行かなくても済むようにならないかと祈っている自分がいた。 ハイウェイの事故で車が2時間立ち往生するとか、会場が変更になったのを知らないで、誰もいない場所へ着いてしまうとか、急に身体の具合が悪くなって引き返さないわけにはいかなくなっただとか、行く先を間違えてオハイオ州のコロンバスではなくて、インディアナ州のコロンバスへ向かっているとか。
ところが困ったことにいつも必ず無事に目的地に着いてしまう。 そんな時は会場に居ても自分の居場所がどこにもないような居心地の悪さに付きまとわれて落ちつかなく、楽しむなんてことはとてもできない。 それで失礼にならない程度の頃あいを見はからって、誰よりも先にそっと抜け出すのが習慣になってしまった。 変な男だと思われているかもしれないが、もう今では気にしない。

ところが、気心の知れた仲間や知人達と会うときは話が違う。 まるで子供のようにはしゃいでしまって、自分でもびっくりするほどよく喋るし、時間の経つのを忘れて楽しんでいるようだ。 そんな時、若いころの自分がそのまま帰ってきたような気がする。 しかし不幸なのは、そんな親しい人たちの数が現在の僕の周りから極端に減ってしまった事だった。 友人と呼んでいた人たちは、日本人もアメリカ人も長いあいだに、みんなこの町から出て行ってしまった。
そんな僕にも日本に行けば、郷里や東京周辺に親しい旧友が幾人もいるので、もし自分が日本に住んでいれば彼らと頻繁に会って、酒を飲んだり飯を食べたり旅行をしたりするのだろうと思ったら、どうもそうでもないらしい。 僕が何年に1度かの頻度で日本に帰ると、即座ににみんなが集まってくれる。 なかには遠方からわざわざ出てきてくれる者もいる。 ところが聞いてみると彼ら同士はそんなにいつも顔を会わせている訳ではないようだった。 それぞれの生活があり、電話やメールでは頻繁に交信していても、何人もが集まるという事はあまりないらしい。
でも、会いたいと思う人が近くにいていつでも会えるということは、すばらしい事だと思う。 そんな交友をほとんど失ってしまった僕は、きょうもひとりで淋しいランチを取る。



暗闇の中を友達とふたりで歩くほうが
光の中をひとりで歩くよりずっと素敵よ。
Helen Keller



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カラー? モノクロ?

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下町のモンドリアン
Venice, Italy


カラーにするかモノクロにするかという選択は、実は選択でさえない。 いつも自然に決まってしまうようだ。 カメラのシャッターを押す段階ですでに決まっている事が多い。 ともかくモノクロ一辺倒だった昔の僕は、極彩色の現実の世界をモノクロの目で見るという修行をいつもやっていた。 すべての事象が白と黒とグレーでしか見えないという全色盲に憧れてみたり、それができないので専用のフィルターをボケットにいつも忍ばせて、それを通して世界を見るということをやっていた。

それがずっとあとになると、(当たり前の事だけど) カラーでしか撮れないものがあるのだと解って、カラーに対する偏見がなくなったようだ。 現在では、こだわらないで何でも撮る、ということをやっている。
前にも書いたように、ほとんどの場合、カラーかモノクロかはいつも自然に決まってしまう事なのだけれど、時々どちらにするか最後まで迷ったり、あるいはどちらもそれぞれに良いじゃないか、と思われる写真が撮れてしまう事がある。 そんな時は僕は両方の映像を仕上げる事にしている。 そしてその両方がそれぞれまったく違った意味を持っているのはおもしろい事だと思う。

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田園交響楽

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King of Prussia, Pennsylvania USA


以前にもちょっと書いたように、僕はある時期ボストンを離れて、ペンシルバニア州のフィラデルフィア市の郊外にあるキング・オブ・プラシアという町にしばらく棲んだ事がある。
僕には田舎の生活が珍しくて、暇があるとカメラを下げて農場の多い近くの田園を車で走り回った。 ボストンでは珍しくもないただの一東洋人にすぎなかった僕も、ここではどこへ行っても周囲の注意を引くのには閉口したが、人々はこの初めて見る日本人にとても優しかった。 中には親しくなって近くへ行くたびに訪問をして、よくコーヒーをご馳走になったりしたものだ。 時にはちゃんとしたディナーに招待してくれたりする家族もあった。 子供から老人までを含む大家族に近所の人たちもまじえて歓待してくれた。 この素朴な人たちに囲まれて典型的な "Meat and Potatoes" のご馳走を食べながら、皆の好奇心の的である僕に向かって次から次へと質問がなされる。

「日本では今でも人力車が主要交通機関か?」 とか 「日本料理と中華料理は違うのか?」 とか 「キモノを着て会社で仕事をするのは不便ではないか?」 とか 「日本人は犬を食べるというのはほんとうか?」 とか 「女性はなぜハラキリをしないのか?」 とか。
そんなさまざまの質問に、僕は全権日本大使として丁寧に答えてあげる事にしていた。 そして余興に作ってあげた折り紙の鶴は全座の大賛辞を受けて、いくつもいくつも作らされたりした。また、なぜかいつも年寄りに好かれる僕は、ここでもお祖母さんにすっかり身染められて孫娘とのデートを強引に取りつけられたりしたこともあった。

こんなのんびりとした田園の生活も数年で終わり、優しかった人たちに別れを告げて僕はまたあのボストンへ帰って行くことになる。 ひとつだけはっきりと理解をしていたのは、民族や国籍を超えて、人間は基本的には誰もがうまくやっていけるようにできているのだ、という事だった。



バッハへの賛歌
Oscar Peterson



えっ、このオスカー・ピーターソンと上の写真や文章が何の繋がりがあるかって?
まったく無い。

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沈む心

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ポンピドーから見る風景
Paris, France


このところ、どうも僕はすっかり落ち込んでしまったようだ。
どうしても浮かび上がれないで、もがきながら毎日が過ぎて行く。 気分が沈む事は今までもたまにあって、いつもなら1日か2日で抜けだす事ができるのに、今度はだめだった。 もとはといえば、すべてが先の日本の大震災から始まったような気がする。それと時を同じくして幾つかの事が重なった。 仕事の面でよくないことが続けて2度起こったことや、一時暖かくなっていた気候がまた冬に逆戻りしてしまったり、3月下旬に行く予定で、あんなに楽しみにしていたサウスキャロライナへの2週間の旅行が、先方の友人の都合で5月に延期になったり、自分よりずっと若い知人がいきなり死んでしまったり、といろんなことが相次いで起こった。 そうなってくるとふだんは気にしないようなことまでも気になってくる。 レストランでは注文した料理と違うものが出てくるし、銀行からはクレジットカードで買ってもいないものを請求されるし、発送した写真はどこかに消えてしまうし、つまらない事で妻と言い合いを始めてしまったり・・・

そしてなんだかいろんなことが面倒くさくなって、なにをするのもいやになってしまった。 返事の書かれないままに残されたメール。 支払いのされない請求書。 欠席してしまった友人たちとの集会。 中途で切ってしまうテレビの映画。 半分も食べないで席を立つ夕食。 そして眠れない夜。
いちおうちゃんとやっているのはブログを書くということだけだったが、そのブログでさえ時々投げ出したくなっていた。

これは良くない兆候だ。 何とかしなければ。
こんな時には昔の旅の写真でも見て、楽しかったあのころを思い出すのが一番だ。 そんな気持ちでコンピュータに溜めてあった2005年のパリの旅行のアルバムを見ていたらこの写真に行き当たった。
ポンピドーの美術品群は僕には少し前衛すぎてあまり楽しんだとはいえない。 それよりもこの美術館の建築そのもののほうがずっとおもしろかった。 そして階上から外のテラスに出てみた時に、眼下にこの風景があったのだ。 カメラを構える僕の背後に娘のマヤが寄ってきて言った。 「あら、遠くに見えてるのは、あれはエッフェル塔よ」 そう言われるまで僕は気がついていなかったのだ。

この写真はなぜか今まで見逃されていたらしい。 さっそくフォトショップに取り込んで2時間ほどあれこれといじっているうちに、いつのまにか夢中になって没頭してしまった。そのうちにそれまでのささくれだっていた心が、しだいに落ちついてきて、いつかとても幸せな気持ちになってきているのに気がつく。 そういえば、あの時ポンピドーを出た直後に同行のM夫人が石段で足を挫いてしまったのだった。 そのため予定していた "Brasser Balzar" での夕食をスキップしてそのままタクシーでアパルトマンに帰り、僕が近くの中華レストランからテイクアウトしてきた料理をみんなで食べた。 あの中華はけっして悪くなかったなあ。
そんな事やいろんな事を思いだしながら楽しく写真の編集作業を続けていたら、フォトショップがいきなり [システムの不具合により操作を破棄します] とメッセージを出すと、それまで2時間をかけた労作を勝手に完全に消去してしまった。

あっけにとられた僕は (おれってどこまでついていないんだろう) とあらためてPCを起動すると、また最初からやり始める。 その時の僕の心境は自分でも驚くほど静かだった。 今日までの自分なら、即座にPCの機器を二階の窓から外に放り出していただろうに・・・

思い出とはいいものだ。




過去に持っていた夢と
未来に持つだろう思い出を
足したものの総計が
今日という日なんだよ。
William Shubin



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ヒトラーの遺産

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Wright Patterson Air Force Museum
Dayton, Ohio USA


僕の住む町に、アメリカでも有数といわれる航空博物館があって、以前から一般には無料で公開されている。 僕の息子が子供のころは、せがまれて毎週のようにここへ通ったものだ。 日本からも航空機ファンがツアーを組んで団体で来ているのを何度も見た。 そのそばを通るハイウェイからいつも見えるところに、この、ナチの軍用機が展示してあった。人類の悪夢を忘れないようにという意図でそこに置いてあったのかも知れない。 それを見る人々がそれぞれの感慨で、その尾翼に大きく記されたスワスティカ(鉤十字)を見ていた事だろう。
そして皮肉なのは、この巨大な博物館の中には、かつて長崎に原爆を落としたB29で 『ボックスカー』 と呼ばれる爆撃機と、 『ファットマン』 と呼ばれたあの原子爆弾も陳列されているのであった。

インターネットの僕のサイトには何百枚の写真が掲載されているが、この写真だけが、サイトの倫理規定に反するという事で削除されてしまった。 「読者に不快感を与える」 というのがその理由らしい。
たしかに、見る人によっては現在アメリカに存在するネオナチなどの少数のグループの精神を高揚する、と思われたのかもしれない。 あるいは、あの恐ろしい経験を経てきたユダヤ人の人たちから見ると、思い出させて欲しくない辛い思い出なのだろう。

しかし僕がこの写真を撮ったのは、そんな政治的や歴史的な意図はまったくなくて、撮らずにはいられない美しい光景だった、というごく単純な動機だったように思われる。 廃物と化した古い飛行機が、青空に蠢(うごめ)く入道雲に向かっている姿には、一種の悲しみのようなものが感じられた。 スワスティカでさえここではヴィジュアル的に重要な役目を果たしている。 この光景を美しいと思う事で、僕は非難されるべきなのだろうか?

数人の人たちがこの写真を買ってくれたが、彼らはいずれもユダヤ人だった。 父母や祖父母から聞かされたことを忘れないためにも、この写真が欲しい、と丁寧なメールをくれた人もあった。


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3月のクイズの結果は・・・

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Old Port, Marseilles, France


正解は 『マルセイユ』 です。
12人の正解者の中から抽選の結果、Ryo さんの当選でした。

Ryo さん、おめでとう。
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新しい本

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鳥取砂丘


久しぶりに写真関係の技術書をアマゾンで2冊買う。

"Creative Black & White" by Harold Davis
" B&W Printing" by George DeWlfe

両者ともデジタルのソフトとインクジェットのプリンターを使ってのアンチョコのようなものだが、"Creative B--" の方は失望だった。 写真家である著者が、自身の作品を豊富に使ってのフォトショップの解説書なのに、その写真が僕の好みではない上に、書かれている事もすでに周知のテクニックばかりだった。 まるで著者が自分の作品群を見せたいために書かれた本のように思えてしまった。 $29.99 の損失。 アブソルートの大瓶が買えたのに・・・

それにくらべると “B&W Printing” のほうはこれも著者は写真家だが、旧世代の暗室の中で何十年とプリントをした人だけあって、彼独自の手法を使って丹念にプリントを仕上げていくやりかたは説得感がある。 昔の僕の先生だった 『海辺のワークショップ』 のジョン・ロンガードを思い出させる。 優れた芸術家が必ずしも優れた教師とは限らない、ということは、むかし音楽をやっていたころにさんざん経験した事だった。 この本でも、著者の解説は舌足らずのところや、読者に不親切な箇所が目立ったが、解る者だけ付いて来いという態度は嫌な感じはしない。

フォトショップの Layer を使うかわりに、ほとんどの操作を History Brush でやるという彼の手法はおもしろいと思った。 これからはしばらくのあいだこの手法の習得に時間を使うことになるだろう。




凡人の教師は伝える。
良い教師は説明をする。
優秀な教師は実施にやって見せる。
偉大な教師は霊感を与えて奮起させる。
William Arthur Ward




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4月になれば

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群衆の中の一つの顔
Boston, Massachusetts USA


4月といえばボストンマラソン、とボストンの住民なら即座に答えるだろう。 彼らにとって、この長い歴史を持つマラソンのレースは、長い冬が終わってようやく明るい春が来ることを告げる大きな春祭りのようなものだった。 現在では2万人以上の出走者に50万人の観客というからすごい数である。 しかし、上の写真の70年代には出走者はせいぜい2千人程度だったと覚えている。 マラソンのフィニッシュ ラインが、現在はボストン図書館のあるコプリー スクェアに移ってしまっているが、その頃はまだプラデンシャル センターで、僕が仲良くしていた友人のアパートからはほんの一ブロックの距離だった。
フィニッシュ ラインの近くは当然ながら大混雑になるけど、そこに立っていると、ゴールに入って来るランナーを迎える家族の一団に囲まれる事になるので、居ながらにして世界中の言語を聞くことができた。 走り終えて出迎えの家族の抱擁で迎えられるランナーがほとんどだったが、中には、誰も待っている人も無く、独りで雑踏の中に消え行く寂しいランナーもいたりした。 ある年には、1着でゴールに入って来た女性ランナーが、実はコースの途中で電車に乗っていた、というのがバレて失格になった事件もあった。

ボストンマラソンでは思いだすことが幾つかある。
そのひとつは、あるとき日本の写真雑誌に投稿した僕の組写真が当選して、掲載された時のことだった。 それがちょうどボストンマラソンの直前だったのだろう。 その雑誌の担当編集者だったひとが、ボストンマラソンにランナーとして参加するというのでボストンにやって来た。 コプリー・ホテルのロビーでその人とふたりで直立して向かいあい、儀式めいた仕草で賞状と賞金を渡された記憶がある。

もうひとつの思い出は、ある年のマラソンの前日にダウンタウンを歩いていた僕に、道を聞いてきた日本人の若い女性がいた。 日本で高校の体育の先生だというその人もマラソンに出走するためにやって来たのだった。 明日は応援しますよと約束してその日は別れ、翌日のマラソンではゴール間際でカメラを持って彼女の姿が現れるのを待っていた。 驚いたことに予期していたよりずっと早く、百何十位かで元気にゴールに駆け込んで来た彼女を写真に撮ったのは言うまでもない。
たまたまその夜は僕の大学のジャズコンサートがあって、僕も演奏することになっていたそのコンサートに彼女を招待した。 そのあと、あれほどの長距離を走りながらちっとも疲れを見せない彼女を誘って、夕食に行ったりクラブを何軒かはしごしたりして、楽しく忘れられない一夜となった。 そのころ理由があって日本人恐怖症にかかっていた僕にとっては珍しい出来事だったと言わなければならない。

今年のボストンマラソンにも多数の日本人が走るにちがいない。 その数は年々増加していっている一方で、この大震災があった日本はそれどころではないのかも知れないとも思う。 しかしこういう時だからこそ、人々は明るいニュースを切望するのだ。 日本という国自体が、ゴールの見えない過酷で長いマラソンのスタートラインに立っているわけだから。

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