過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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September30

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フィラデルフィア物語 (1/3)

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朽ちる
King of Prussia, Pennsylvania USA



東京で結婚をした僕らは7年後にボストンで離婚していた。
今となっては自分の周りに嫌な思い出しか残っていないボストンの町から脱出したい、という強い願望があったにもかかわらず、それではどこに行きたいのか、となると僕にはまったく何のアイデアも無かった。 ボストンでなければどこでも良かったのだ。 そうしたところへ恰好の話が舞い込んで来たのである。
以前にボストンに住んでいた人で、しばらくの間僕のアパートにも転がり込んでいたりして、フィラデルフィアの郊外に良い仕事を見つけて越して行った板前さんが、僕にそのレストランのマネージャーをやって見ないか、という話を持って来てくれたのだ。 日本人らしい 「一宿一飯の恩義」 というのだろうか。 僕はそれに飛びついた。
それである日、僕はレントしたuホールのトラックにピアノや家具類を詰め込むと、引越しを手伝ってくれるという二人の友人とともにボストンを後にした。 運転席の下には仔猫のムチャチャが怯えて縮こまっていた。

『プロシャの王様』 という名前を持つその町はフィラデルフィアの北西20マイルの位置にあって、僕を雇ってくれたレストランはその町のヒルトンホテルの中にあった。 レストランはヒルトンホテルの直属経営だったから、マネージャーである僕も、僕を呼んでくれた板前さんも、ほかのウエイトレスや皿洗いも含めて全員がヒルトンの社員というわけだった。 そのおかげでレストラン業界では珍しく健康保険や有給休暇が付いている上に、マネージャーやシェフにはホテルに隣接しているヒルトン直営の高層アパートも無料で支給、という願ってもない条件だった。 ボストンのあちこちの日本レストランで数年のあいだアルバイトをしたことのある僕には、マネージャーの仕事などすぐに見当がついて、慣れるのに長くはかからなかった。 しばらくすると僕は経済的に少しずつ楽になって行き、やがて中古の車を購入したりできるようになっていた。

すぐ近くには Valley Forge という広大なナショナルパークがあって、昔ジョージ・ワシントン が大軍を率いて英国軍と激烈な戦いをした場所だった。 その公園に車を乗り入れて、森の中を何時間も歩いたり、ベンチで本を読んだり、木陰で昼寝をしたりして僕はボストンでは経験できなかった田園の生活を満喫していた。
時にはフィラデルフィアまで出かけていって図書館で本を借りたり、チャイナタウンと呼ばれる一画に食事に行ったりした。 しかし、東京‐ボストン、と相次いだ都会生活の後、僕はフィラデルフィアの町にはあまり興味が無かった。 むしろ周りの古い村を巡ったり、人の入らない深い森林を歩いたり、夏はホテルのプールで泳いだり、近所の人達とポーカーをやったりして、ボストンのことは遠い遠い思い出になったように思えた。

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イタリアの旅 - ドッツァ (2/2)

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城の周りには数軒のレストランがあった。
ちょうど昼時だったのでどこへ行っても満席で、予約なしのわれわれは断られてしまう。 4軒目でようやく入れてくれたが、忙しいらしくてサービスが極端に緩慢だった。 われわれは長い間放っておかれたおかげですっかり気が萎えてしまい、そのままレストランを出てしまった。 そして坂道の途中に出ていた屋台でピザを2切れづつ買って、道端のベンチに腰掛けて食べた。 味はまあまあというところだけど、嬉しかったのはプラスチックのコップでちゃんとワインも売っていたことだった。
ビエンナーレは数日前に終わっているので今日の人混みはそれほどひどくはなかった。 歩き回るうちに同じ人たちに何度も行き合うとお互いに顔見知りになって、自然と気軽に挨拶をしてしまう。



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骸骨同士の性の営みは、エロティックというよりコミカルな感がしないでもない。 愛人同士の動きにつれてカラカラと乾いた骨がぶつかり合う音が聞こえるようだ。 その音に、骨になってまでも肉の快楽を執拗に求める人間の、哀しみのようなものを感じるのは僕だけだろうか。
僕の横で小さな女の子が母親に無邪気に訊いている。
「なぜ喧嘩してるの?」
なるほど、
性の営みは激しい愛の表現であるばかりではなく、愛を勝ち取るための果敢(はか)ない闘いでもあるわけだ。



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お城の中のエノテカで僕らはどっさりワインを買い込んだのはいいが、ボトルの詰まった幾つもの箱を丘のふもとの駐車場まで運ぶのはちょっとした運動になった。 同じエノテカでもボローニャの街中のそれはふつうのバーのように酒が飲めるのに、ここでは試飲をしたりボトルの購入はできても、そこでは飲めるようにはなっていない。 ワインに気を取られ過ぎて、すぐ頭上の塔にある展望台に登らなかったのがあとあとまで悔やまれる。 すばらしい風景を意地の汚さのために逃してしまった。

ドッツァのような 「壁画の町」 はあちこちにあるのかもしれない。 僕の住むアメリカのオハイオ州にも、州南端のオハイオ河沿いにポーツマス(Portsmouth) という町があって、そこの防波堤にも壁画のコレクションが並んでいる。 でもドッツァのように人家の壁に描かれているというのは聞いた事がない。 読者のなかで知っている人がいればぜひ教えて欲しい。



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イタリアの旅 - ドッツァ (1/2)

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Dozza, Italy


ボローニャを基点としてエミリア・ロマーニャ地方を探索した前回のイタリア旅行では、数知れない町や村を訪れた。
細かなスケジュールなどはほとんど組まないでしかも移動手段はすべて車だったから、何の制約も受けない気ままで理想的なスタイルの旅となった。 そうやって行き当たりばったりに訪ねた町の中には、パルマのように (ここなら住んでみたい) と思わせるいかにも暮らしやすそうな小さな町もあれば、フィレンツェのように観光地化され過ぎていてほうほうの態で逃げ出した大都市もあった。
そんな中で 「どこが一番ユニークな町だったか?」 と訊かれれば、それなら迷わずドッツァに違いない。

ボローニャから南西に真っ直ぐに伸びるエミリア街道を30キロほど行って、イモラの手前で降りたところにある、高い丘の上の町である。 実をいうと、このドッツァの町はいつものように車でうろうろしていて偶然に迷い込んでしまったのではなくて、アメリカを発つ前からぜひ行って見たいと思っていた。 この町のビエンナーレで、著名な画家たちが家々に描いた壁画を写真で見ていたからだった。 実際に行ってみると、丘のてっぺんにあまり大きくないが完璧に保存されたお城があって、その一部が展望台に、あとはエノテカになっていて、付近でとれる豊富な種類のワインの試飲や購入ができるようになっていた。 (もし僕がイタリアに暮らすなら、エノテカにいつでも行ける距離に住む、というのはもっとも重要な条件なのだ)


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なるほど街中が壁画だらけである。 伝統的な具象画があると思うと、しゃれたイラスト風なものがあったり、そうかと思うと道を曲がったとたんにいきなり大胆な色彩の抽象画が現れたりする。 わくわくするほど楽しかった。それらが石造りの無機的で殺風景なこの古い町に、不思議なお伽(とぎ)の世界を展開している。 もともとモノクロで創造された世界に、「どーも辛気(しんき) くそうてかなんわ。 適当にパ~ッと色気を付けたらどないでっしゃろ?」 と思い切ったプランをたてた人がいたようだ。 こんなところで暮らして朝に夕に美しい絵に囲まれていれば、人の心も自然と豊かになるのは間違いないような気がする。 その上すぐそばのエノテカで好きなワインがいつでも安く手に入るとなれば、ここはもう極楽にちがいないと思う。


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すれちがった若いカップルは何やら激しく口論をしている。 言葉がわからないがどこか東欧の言語のような響きだった。 激昂しているのは男のほうで、凄い勢いで女を責めている。 女は最初辛抱強く男をなだめていたが、それも限度まできてしまったのだろう。 彼女はいきなり身を翻すと何もいわずに男から離れていった。 その瞬間に僕はカメラのシャッターを切っているのだけど、狙いはもちろん諍(いさか)いをする若いカップルではなくて、それをじっと聞いている二人の老婆だった。


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男と女のあいだには・・・

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うしろ姿の冬
Boston, Massachusetts USA


僕らはふたりとも30歳になっていた。
ボストンのバックベイ地域の古いビルの4階にあるアパート。
妻と僕は洋服を着たままベッドに並んで横たわり、先ほどから長い間、仰向けになって天井の漆喰に静脈のように入ったヒビを見つめていた。
「わたし、ようやくわかったわ」 ボツリと妻が言った。 「あなたに必要なのは母親なのよ」
「わたしはあなたの恋人にも奥さんにも、仲良しの友達にさえなれたけど、母親にだけはなれなかった」
僕はしばらく考えてから言った。
「きみの言う事は本当かもしれない。 でも男なんて、女に求めるのは多かれ少なかれ同じようなものじゃないの?」
「そうね、それに今わたし達が問題にしてるのはそんな事じゃない。 なぜわたしが次から次に外に男を作るのかということが問題なのよね」
僕は黙ったまま何も言わない。
「セックスじゃないわ。 あなたとのセックスに不満を感じた事はない。 そうじゃなくてわたしが他の男たちに求めるのは、もう今ではあなたから得られなくなってしまったものよ」
僕はそのまま黙って聞いている。
「何ていうのかしら。 〈ときめき〉とでも言えるかも知れない。 〈恋〉 と言っても間違いじゃないと思う。 あなたの弾くピアノを昼も夜も毎日毎日隣の部屋で聴いていて、私は耳を塞いでしまう事があるのよ。 もうたくさんだ、ってね。 何もかも放り出して逃げ出したくなるのよ。 あなたのために生きるつもりでアメリカに来ているのに、どうしてもそれに従えない一部分が自分の中にあるみたい」
「外で男たちがわたしに払う好奇心や羨望や、あからさまな欲望がわたしを生き返らせてくれるような気がする」

妻の身体はベッドの上で僕のすぐそばに横たわっていて、僕が片肘を動かせば彼女の腕に触れてしまうほど近くにありながら、僕らの二つの心は絶望的に遠く離れていた。 妻は僕のほうに身体を向けると、天井を見ている僕の顔に手を伸ばして人差し指で僕の頬にそっと触れる。
「ごめんなさい。 もうどうしようもないの」
妻の目から涙が溢れる。
そして長い沈黙のまま横たわるふたりの間には、深くて暗い河が流れていた。

長谷川きよしが歌う

たとえば男はアホウドリ
たとえば女は忘れ貝
真っ赤な潮が満ちるとき、失くしたものを思い出す。






この記事とクロノロジカルに前後してしまったけれど、このあと僕らのあいだに何が起こったのか、以下の二つの記事を以前に書いている。

『優しかった人たち』
『古い日記から』


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満月の夜に酔っ払って思うこと

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Dayton Art Institute


これは僕の住む町の美術館で催されたチャリティのパーティ。
正装に身を包んだ人たちが優雅に談笑している。 背後の壁には17世紀のタペストリーが掛けられてあって、そこではフランスの農民たちが森の中で酒を飲んで集う。 時代も場所も階級もすべてに対照的なこの2つのパーティを見ていて、僕は 「時の流れ」 というような事を考えてしまった。

たとえばつい先日、独立記念日の夜に近くの川岸まで恒例の花火を見に出かけた。 ぎっしりと詰めかけた何千人もの群衆の頭上を、赤や青や白の華麗な花火が炸裂したと思うと、一瞬にして消えてしまう。 それを眺めている僕を襲ったのは、人間の生命だって悠久の歴史の中では花火と同じ一瞬の存在に過ぎないという、切ないような実感だった。
僕は現在から100年後のことを考える。 この暗闇の中で蠢(うご) めいている群集の誰一人として100年後には存在していないという事実。 ふだんの生活で自分の目に入るすべての人々も、自分の知らない、会うこともない世界中の人間が100年後には確実にいなくなっている、と思うと不思議な気がする。
いつも寄るマーケットのおじさんも、近所に住む可愛らしい中学生の女の子も、ちょっと意地悪な歯医者の受付の女性も、テレビで演説する政治家も、それどころかやっと大人になったばかりの自分の子供たちでさえ、もういなくなってしまっている100年先の世界・・・

この写真だってそう。
優雅な人たちがいなくなってしまってもタペストリーは残る。 残るといえばこの写真だって残るだろう。 新開発されたピグメントのインクを使ってプリントされたこの写真は、製造元のスペックスによれば200年のアーカイブが可能だという。 でもそのスペックスが正しいかどうかなんて誰にもわからない。

そして僕は思うんだ。
自分が死んだあとスーッと天の高いところに上って、明るい雲の上から現世に残してきた家族や愛する人や眼下の混沌の世界をにこにこしながら眺めている、なんていうのはどうも僕の性分には合わないような気がする。 僕にとって死とは、ぽっかりと開いた真っ暗な穴の中をどこまでもどこまでも堕ちて行く事だった。 200年後に世界がまだ健在でいようと、あるいは日本がすでに滅亡していようと、僕の写真が真っ白な紙切れにに還元してしまおうと、僕にとってはあまり関係のないことだった。 僕が死ぬ時は、僕のために泣いてくれた人も子供たちも、僕を憎んだ人も、世界中の人類はひとり残らず死んでしまう時だ。 つまり、僕が存在しなくなった時、世界に終焉が来る。  日本は海の底に沈み、地球は飛んできた惑星と衝突して跡形もなく消えてしまうだろう。 そして僕は自分の手も見えないような真っ暗な闇の中を、独りでどこまでもどこまでも、永遠に堕ち続けて行くだろう。


人生において死は最大の損失ではない。
生きている間にわれわれの内部で死んでしまうものが
最大の損失なのだ。
Norman Cousins



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セギュレ、そのあと

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Restaurant le Mesclun
Seguret, France


そのあくる年セギュレの村へ行った時、僕は独りではなかった。 同行したのは妻や娘のほかにアメリカ人のカップルがいて、彼らにとってはここも無数に訪れた他の場所以上の強い印象はなかったようだ。 この村が僕にとってどんなに特別な意味を持つかということは、たぶん理解はされないだろうと思い誰にも話すことはなかった。

歩き回っているうちに雨が降り始めた。 その雨がかなり強くなった時、傘を持たない我々の一行は通りすがりのレストランに駆け込む。 ちょうど昼前だったので何か食べようという事でその "Mesclun" という名のレストランへ入ってみると、そこがまた別世界だった。 内部は狭いながらこんな鄙びた場所には不釣合いなほどの瀟洒な造りになっていて、出てきた女の子も一点の隙もないシックなファッションに身をかためている。 まるでパリのサンジェルマン・デプレあたりの店にいるような錯覚がした。 その女の子が、ここは予約の客だけを取る店だと云う。 我々5人はそれでまたすごすごと外に出て、激しい雨の中へ出て行く勇気もなくドアの前で佇んでいた。 車までは相当の距離があるし、僕はカメラを濡らすのが嫌だった。

しばらくすると先ほどの女の子が出てきて、困っているようだから特別にテーブルを1つ用意してくれるという。 僕らには彼女の背中に天使の翼が生えているのが見えた。


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テーブルに着いて同行のM婦人がまず気に入ったのが、ダークグレーの天然スレートでできているテーブルマットだった。 (彼女はアメリカに帰ったあとさっそくこれを注文した)。
その日の僕のランチはカニとエビの入ったヨーロピアン・グリーンのサラダに、貝柱のムニエール。 出てきた料理は視覚的に完璧な彫刻だった。 手をつけてその芸術を壊してしまうのが惜しまれるような美しさだった。 それとワインはもちろん地元セギュレのピノ・グリジオである。 僕は出てきた料理の写真を撮ることなんかすっかり忘れてただひたすらに食べた。

あとになって思い返すと、この年のフランス旅行でこれが最高に美味しく、そして最も高価なランチとなった。


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7月のクイズの結果は・・・

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ベラとパイ


正解は 『ハエ除け』
『虫除け』 と答えた人が数人いて、優しい僕はずいぶん苦しんだ結果、不正解にした。

2年ほど前にテレビのヨーロッパ旅行の番組にこれが出てきた。 ギリシャだったかトルコだったか、すごい片田舎の小さな村で、どの家にも窓に水の入った袋が下がっているので、家から出てきた老婆にその旅行者が尋ねると それがハエ除けだったのだ。 「それで効果がありますか?」 と再び尋ねると、「もちろんだよ。 この辺りではもう昔からこれでやっているよ」 という答えだった。 それを見た我がGreen Eyesが試しにやってみたら、確かに効果がある、ということを僕も認めないわけにはいかなかった。 それまでは夏が来ると、開けたての頻繁なキッチンのドアから、いやになるほどの大小のハエが部屋に入ってくるので、日本製のハエ叩きでそいつらを退治してまわるのが僕の役目だった。 それが水の袋を吊るすようになってから数が激減した。
でも、あくまでも疑い深い僕に言わせれば、我が家のハエの数が減ったのはこのオマジナイのような水袋のおかげなのか、それとも最近の異常天候などでハエの発生が地域的に減ったせいではないか、と考える。 我が Green Eyes はもちろんそんな異端者的な意見を無視して、次々と水袋の数を増やしていった。 (最初に見たギリシャだかトルコだかの村では、窓には一袋しか下がってなかったのに)。
とにかく、理由は何にせよ、屋内に侵入するハエの数が以前よりずっと少なくなったのは嬉しいことだった。

13人の回答者の中で5人が正解だった。
抽選の結果は 「Tetsuo Ogimura」 さんの当選となった。

Tetsuo Ogimura さんおめでとう。
住所氏名を非公開コメントにして送ってください。
お好きな写真を指定することを忘れないように。
数日経ってもご返事のないばあいは棄権とみなして次の方を選びます。

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Once upon a Time (2/2)

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泉よ、語ってくれ


セギュレの部落はちょっと時間をかけて歩けばすぐにその全部を見ることができるほど小さかった。
ところが歩いていて目に入るものが、すべて僕に何かを語りかけているような気がして、そのたびに僕は立ち止まってカメラに収めなければならなかった。 そのうえ細い石の道はいたるところでジグザグに分岐していて、それを辿って行くといつのまにか元の地点に帰っていたりする。 不思議なのはこの午後の早い時間に人影をまったく見ることがなく、動くものといえばそこここにたむろしている無数の猫だけだった。


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密かなランデブー

見慣れた噴水、よく行った教会、広場のスズカケの並木、忍び込んで遊んだ頂上のルイン、そして上から見下ろす民家の屋根や丘のふもとに広がる葡萄畑もよく見た風景だった。 僕はずっと以前ここに住んでいたことがある。 その思いはほとんど確信に近かった。 もし「前身」とか「前世」というものがあるとすれば、僕は昔ひょっとしてこの村の農夫だったのかも知れない。 あるいは人間で無いとすれば、ここに住んでいた猫だったのだろうか。 それとも小鳥だとか昆虫だったのかも知れない。


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鐘が鳴る


教会の鐘が鳴る。 その音さえ懐かしい。 いつか遠い時代に何度も何度も耳にした音に違いなかった。
夢中で坂道を歩き回っていた僕の肩に、それほど重くないはずのカメラバッグのストラップがくい込んで痛い。 僕はようやくこの夢の中のような不可思議な世界をあきらめて、車まで辿り着いた。 セギュレの村に別れを告げて下り坂を運転しながら、やがて麓の現実の世界へと帰還した僕に (いつかまたここに帰って来るだろう) と確信のようなものがあった。

そして明くる年の秋の終わりに、僕はまたここに帰って来たのである。
セギュレの印象はあまりにも強く、僕は何度もこの村のことを書いた。 『猫と少年』 もそのひとつだった。

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Once upon a Time (1/2)

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いつか来た道
Seguret, France


この村に来たのは、ほんとうに偶然だったといっていい。
プロヴァンスを訪れる大部分の旅行者にとって、この村はどこといってとくに興味を引くものは何もない、丘の上にひっそりと佇む小さな村落だった。 ワインを生産しているには違いないが、フランスのこの辺りでワインを造らない所なんてまずないわけだから、とくにそれで知られているというのでもなかった。 (先日アメリカのワイン・マーケットでここから来た赤ワインのラベルを見た時はとても懐かしかった)。 旅行案内などを読んでも、Seguret(セギュレ)というこの村の名を見つけるには、けっこう深く掘り下げなければならないだろう。

2005年の秋に、僕はパリから汽車で数時間をかけてアヴィニョンまでやって来た。 そして駅でレンタカーをしたあと、何日もかけてやみくもにプロヴァンス地方を走り回っていて、ある日偶然にこの村のそばを通りかかったのである。
その日は朝から小止みなく降っていた雨がようやく上がって、午後になると明るい陽がさし始めていた。 《Seguret》 と標識のある地点で小道に折れると、その道は蛇行しながら小高い丘に向かって続いていく。 丘のふもとまで来て、なんとなく神秘的な感じのする深い林を抜けた時に、僕は 「丘に登れ」 という強い声を頭の中に聴いたような気がした。 その地点から道はいきなり勾配の強い上り坂になる。 そして道はますます狭くなり、対向車が来ればすれ違うのが不可能に見えるほど細い道をぐるぐると登りつめたところに、石で造られた古い部落があった。 それがセギュレの村だった。


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あるいはいつか見た風景


車を停めて濡れた地面に降り立った時、僕の内部で不思議な事が起こった。
心のどこかで (僕はこの場所を知っている) と囁きかけるものがあって、僕は理由もなく胸騒ぎを覚えていた。 もちろんそんな事があるはずは無いのに、眼前に広がる風景を見ていると、なぜかたまらなく懐かしさがこみ上げて来る。 それはちょうど幼児の時に見慣れたはずなのにとっくに記憶から消去されてい光景が、ずっとあとになって再びその場所へ立った時に、忽然と蘇ってくる時のあの感覚に似ていた。

(続)

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7月のクイズ・・・「我が家のドア」

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ベラとパイ


僕の住む家は建物の周りのあちこち4ヵ所にドアが付いていて、そのどれからも屋内に入ることができる。
第1のドアは当然ながら正面玄関。 第2のドアは前庭に面するポーチのドアで、これは間口のうんと広い観音開きになっているので、ピアノとか家具などを出し入れするにはとても便利の良いドアだった。 それから裏庭の石段を降りきったところに第3のドアがあって、ここからは直接地下室に入れるようになっている。 そしてドアの第4号がこの写真の、キッチンから裏庭へ出るドアである。 ふだんの交通量がもっとも多いのがこのドア第4号だった。 ゴミを出したりガラージに入っている2台の車(と2台のバイク) へ行くのにはここから出なければならない。 それに家族だけではなく近所の人たちや親類の者、友人知人たちもほとんどが玄関に来ないで裏木戸を通ってこのドアにやってくる。 そしてこのドアは誰かが在宅している時はロックされることは無いので、来訪者は勝手にドアを開けて入ってくると 「おーい」 と大声で叫んで来訪を告げるようになっている。

先週の日曜日のこと。 僕はこの裏庭で2匹の犬の写真を撮っていた。 日本にいる友人が我が家の犬たちの写真を見たいと言ってきたからだった。 それで撮ったばかりのこの写真をメールで送ってやったらすぐに返事が返ってきた。 彼女が言う。
「犬たちはともかく可愛いけど、ドアの横に下がっている無数の袋は何なの?」
そうか、毎日見慣れている僕はつい気が付かなかったけど、知らない人が見れば当然の疑問なのに違いない。
「あれはプラスチックの袋に水が入っているだけなんだよ」 と説明してもちろんそれが何のためかも教えた。

そこで今月のクイズ。
これはいったい何のためなんだろう?

正解者の中から抽選で1名の方に、僕のブログ上のどれでもお好きな写真を差しあげます。 
締め切りは今日から1週間。
答えは非公開コメントにして下さい

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日本人と英語 (2/2)

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日傘の日本人
Milan, Italy


前回に続いて、日本人の英語がアメリカで通じないという話。

2. RとL の使い分け。 SとTHの使い分け。
日本人にとってはRは問題ないようだ。 日本語の 「らりるれろ」 と違って舌が上顎の奥にくっ付くことはないからいわゆる巻き舌にならないのだけれど、たとえ巻き舌になってしまっても英語としてちゃんと通じる。 ロシア人の話す英語など日本人以上にべらんめえ口調になっている。
問題はLである。 舌先をすぼめて前に伸ばして、上顎の歯茎に当てて発音するなんて日本語にはないからだ。 light(光)とright(右)はカナで書けば両方ともライトだからちゃんと区別して発音をしないと会話がおかしくなってしまう。 long(長い)とwrong(誤った)もそうだしliver(肝臓)とriver(川)も同じ。 そのためには英語のスペルを知っていなければならないから話しは厄介になる。 『リズム アンド ブルース』  のブルースは英語では blues(ブルーズと語尾が濁る) なんだけど、アメリカに来たてのころの僕はミュジシャンとしてしょっちゅう使ったこの言葉を純日本式に Bruce と人名のように発音するのでバンド全体が混乱してしまった。
ただ僕の経験では、上の例のように頭にRやLがくる時とか、単語自体が短い場合は別として、長い単語の中ほどに出てくるRとLは、少々取り違えて発音をしても何とか通じてしまうことが多いようだ。

SとTHも同様で、Sはわれわれにはまったく問題ないのに、舌先を上下の歯のあいだに突き出して発音するTHは、難しくはないけどつい横着になってしまう。 だから "I think"(われ思うに)が "I sink"(われ沈む)になってしまうのだ。 song(歌)と thong(女性下着)とか sin(罪)と thin(薄い)とか、"thank you"(ありがとう)と "sank you"(お前さんを沈めちゃった)とか・・・
THの発音で日本人への僕のアドバイスは、恥ずかしがらないで舌を歯の間からうーんと外に突き出すこと。 アメリカ人を見ていると舌の半分近くは外に出ている。
そしてこれも長い単語の途中なら間違えてもたいていは許してもらえて相手はわかってくれる。 語の綴りがSやTHで始まる時に気を使えばいいのである。

3. アクセント
これは単語のどの部分が強く発音されるか、ということ。
言葉の発音さえ正しければアクセントが少々ズレてもたいした問題じゃないのでは、と思っている人がいれば、その人は実に大きな間違いを犯している。
たとえば僕の好きなビールにメキシコ産のコロナ(Corona)というのがある。 このビールをレストランやバーで頼む時に、日本式にロナと頭にアクセントを付けて言ってごらん。 そんなものは無いと言われるのは絶対に間違いがない。 これは賭けてもいい。 それをコナと言い直すととたんに相手はニッコリする。 同じような例は挙げれば限り無いほど多数にある。
日本人はつい、インディアナ州の州都をインディアナリスと言ってしまうが、これが絶対通じないのは不思議なくらいである。 これはインディアポリス。 おなじみのマクドナルドはマクドルドではなくてマクナルドだし、ヒステックはヒスリックとなる。
日本にいて英語を勉強する日本人には、アクセントの問題は他の何よりも難しいかもしれない。 丹念に英和辞典を見るようにするしか方法は無いだろう。

***

以上そんなに簡単ではないことをかなり簡単に書いてしまった。でも日本人がなかなか英語がうまくなれない本当の理由は他にあるような気がする。 概して日本人は知性があり過ぎるのだ。 なまじっか大学まで行って英語を勉強したばかりに、(間違ったら恥ずかしい) とか (笑われたくない) などと余計な気を使ってつい言葉も少なくなってしまうようだ。 僕の友人のお母さんは中学以上の教育は無くて永年大阪でお好み焼き屋をやっていた。 根っから陽気な性格で人と話をするのが何よりも好きだった。 それがひょんなことから60歳を過ぎてから店をたたんで息子夫婦のいるアメリカへ来てしまった。 まわりをアメリカ人に囲まれて、耳からだけ学ぶメチャメチャな英語を物怖じせずに話すうちに彼女はどんどんと英語がうまくなっていった。 彼女にとっては英文法などというものは存在しなかった。 現在完了形も三人称単数形も間接話法も二重否定も関係代名詞も関係ない。 LとRもまったく区別が無い。 アクセントって何?   という調子である。  それでいて彼女はまわりのアメリカ人たちと立派にコミュニケートをしている。 100%のコミュニケーションではなくて多分60%だろう。 あとの40%はコミュニケートしたいといういじらしい情熱以外の何者でもない。 そしてその情熱を相手のアメリカ人はちゃんと感じ取って、敬意を払ってくれるのである。
ある時シーフードのレストランで彼女が 「おしたし」 を注文した。 僕は一瞬あわててしまった。 そしてそれがすんなりとウェイターに通じた時に僕の人生観が変わってしまった。
「おしたし」 は oysters(牡蠣)のことだった。



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