過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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September30

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中国庭園にて

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燕趙園 (えんちょうえん)
鳥取県東伯郡


三朝温泉に行く前に、実は少し遠回りをして寄った所があった。 『燕趙園』 である。 東郷池の南端に位置するこの中国庭園は平成7年に建造されているからそんなに古いものではない。 広大な庭園内のものはすべて、設計から素材の調達、加工まで中国で行われたという。 建物類は一度中国で仮組したものを解体した上で日本に運び、中国人技術者の下で再度建設されたらしいから、これは正真正銘、中国人による中国庭園だといっていいだろう。


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《昭和xx年九月参拾日中華民国北京市内六区南月牙胡同十四号で出生》

これは戸籍謄本に記載されている僕の出生の記録である。つまり僕は中国で生まれたのだ。 日本のパスポートにもちゃんと “Birth Place: China” となっている。 それで旅行でヨーロッパに入国したり、逆に外国からアメリカに入ってくる時に、ちょっとうるさい審査官に当たると引き止められてけっこうあれこれと訊かれる。 そのたびに僕は、日本人である両親が中国に住んでいた事、四歳の時に日本へ帰ってきた事、などを説明しなければならなかった。 今回アメリカに帰って来た時にも 「中国の国籍はどうなっておるのか?」 と尋ねられたので、「それは死んだ両親に訊いてください」 と言ったら笑って通してくれた。 何も訊かずにいつもサッと素通りさせてくれるのは日本だけである。


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この中国庭園にいると、目に入るものすべてが懐かしい気がした。 遠い記憶にかすかに残っている光景に、ここの景色がぴったりと重なる。 空の雲さえ、あの頃母の背に負われて見上げていたような気がするのは錯覚だろうか。
幼児だった自分が両親に手を引かれて、艶(なま)めかしい曲線を持つ白壁に沿って歩いたり、苔のむす池のほとりで魚に餌をやったりしたに違いない。
鄙びた山陰の田舎で中国に会った。

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旅の終わり

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異邦人たち
Saint Paul International Airport, Minnesota USA


長い旅をしたあとで自分の家に帰ってくるといつもそうだけど、数日のあいだは頭がぼんやりとして、身体も何だかふわふわと宙に浮いているような感じで、僕は実に奇妙な人間になってしまう。 アメリカ国内の旅でもいくらかそういうことはあるけれど外国 (つまりアメリカ以外の国) から帰って来た時はそれがかなり酷いのだ。 たとえばヨーロッパで2週間とか3週間を過ごしてアメリカに帰って来ると、必ずといっていいほど憂鬱になってしまうようだ。 ヨーロッパで古い古い歴史の重みを経験してきたあとでは、アメリカの文化が何となく薄っぺらでニセモノのように思えてしまう。 ヨーロッパが石造りの伽藍だとすると、アメリカはベニヤ板で建てたバラックのような感じがしてしまうのだ。 同じ西洋文明なのに何という違いがそこにあることか!
カルチャショックという言葉があるが、たぶんそういうことをいうのだろうと思う。

ところが、そのカルチャショックが極端な形で僕を襲うのが、いつも日本から帰ってきた時だった。 日本へ発つ前の自分が、まったく別の人間になって日本から帰ってきたような気がするのである。 それがとりわけ今回の日本旅行のあとは酷かった。 その理由はたぶん、いつも日本に行く時は家族を伴っていくので、僕は日本にいても自分の中の日本人とアメリカ人を適当に入れ替えしながら旅をする事になる。 周りには日本語で対し、家族には英語を話すわけだし、自分がアメリカ人であるという実証 (つまり自分の家族) がすぐ目の前に存在するわけである。
それが今回は違った。 なにしろ自分独りだけで3週間以上も日本にどっぷりと漬かっていたのだ。 日本人と話し、日本人と食べ、日本人の家に泊まり、日本人と旅をして、日本人と同じ部屋に寝た。 僕の中のアメリカ人は完全に影を潜めてしまい、僕は生粋の日本人になっていた。 そして旅が終わってしまったあと、身体ははるばる海を渡ってこちらに帰還しているのに、僕の魂はまだうろうろと秋の日本列島の上を彷徨し続けているから、『雨月物語』 のような奇怪な事が起こったりする。

日本から帰ってきた最初の晩、明けがた近くに僕は目を覚ます。 それが実際に目を覚ましたのかそれとも夢の中で目を覚ましていたのか、僕の頭は混乱している。 自分がどこにいるのか、なぜここにこうして横たわっているのかまったく理解ができていない。 すぐそばに女の顔があって、それが誰なのか僕には分からない。 いきなり僕は日本語で訊く。 「あんたは誰?」
それから僕は訳の分からないことを次々とまるで呪文のように口にする。 口から出ているのは日本語だった。 部屋の中は薄ぼんやりと光があって、ものの形が何となく逆光線の中に浮いている。 それは僕が見たことの無い光景だった。 そして突然に僕は理解をしたようだ。 そうか、自分は母親の胎内から今この世に生まれてきたばかりなんだ。 これは誕生なんだ。 その時僕が感じていたのは、嬉しいとか悲しいとかの感覚からは程遠く、ただただ恐ろしかった。

明くる朝妻に言われた。
「あなた、うなされて訳の分からないことを日本語でぶつぶつ言ってたわよ。 ずいぶんと長い間。 起こそうと思って顔を見たら目をちゃんと開けているじゃない。 ちょっと気味が悪かった」



よその国に住んで自分が異邦人だと感じるのは仕方が無いことだ。
しかし、祖国に帰って自分がよそ者だと悟ることほど悲しいことはない。
September 30


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旅の始まり

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和歌山駅前広場


関西空港から電車を二度乗り換え、和歌山駅で下車するとそこで初めて外に出て、アメリカを出てから17時間ぶりに戸外の空気を胸いっぱいに吸った。 このあたりを大きな台風が通過して行った直後だった。 ふだんなら通勤の雑踏で賑わう夕方の時間なのに、駅前の広場にはほとんど人影がなかった。  雨がまだ降っていて風も強い。 いつもなら混雑するだろうバスの待合所も今夜は空っぽで、数台のタクシーが来ない客を待ち疲れてあきらめたように待機していた。 空気は湿っていて冷たく、僕は身震いをしてウィンドブレーカーのジッパーを首まで引いた。 これから三週間にわたる日本旅行の第一夜としては、何とも陰気で寒々として寂しい光景だった。 

若かった頃、孤独を抱きしめて放浪していた時の僕なら、見知らぬ土地で会うこんな光景を自分の心にぴったりだと思ったに違いない。 しかし今は違う。 僕の心は温かかった。 やがて車で迎えに来てくれるのは昔の大学の仲間で、彼とは十二年ぶりの再会だったから。

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十月のクイズ

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古代の伯耆の国にひっそりと残るこの町で、明治の終わりに建立されたこの建物は、現在は瀟洒なレストラン・カフェとして健在する。 
これはもともと何のために建てられたのだろうか?

これが今月のクイズです。
正解者の中から抽選で1名の方に、僕のブログ上のどれでもお好きな写真を差しあげます。 
8インチX10インチのマット付きのプリントを世界中どこへでも送ります。
締め切りは今日から1週間。
答えは非公開コメントにして下さい

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ヨコハマの波止場から・・・

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ヨコハマの波止場から
船に乗って
異人さんに連れられて
行っちゃった


ヨコハマという町の響きが、田舎育ちの僕に子供の頃から独特の感傷を植えつけていたのは童謡のお陰かも知れない。 二十代で東京に住んでいた時にも、この町はお気に入りのデートコースだったから、女の子を車に乗せると第三京浜や首都高速をぶっ飛ばしてヨコハマに現われ、夜の元町や本牧あたりをうろうろしたものだった。 それだけではなく、ある時期にはここの米軍のキャンプの中のオフィサーズ・クラブでジャズを毎晩演奏していた事もある。 その喧騒なステージのあと、僕はひとりで車を運転すると真夜中の埠頭の突端までやって来て、停めた車の中で暗い海を見ながらいろいろな事を考えた。
そのヨコハマで今回の帰国では友人の家に滞在をしていた僕は、あれこれ懐かしい場所へ行ってみてその変わりように驚いた。 無理もない。 あの時から45年の月日が流れていた。

そんなある夜の事。
僕は若い写真家のサイケデリコさんと会っていた。 数年前から彼のブログを見ていた僕と、その僕のブログをいつも読んでくれている彼との最初の出会いだった。 イギリスやドイツで海外生活をしたあと日本へ帰ってから一年半になるという彼。 港を見下ろすビルの中の京懐石の奥まった席で僕らは食べ、飲んで話し続けた。 日本に来てから二週間以上になるのに、初めてワインを飲む仲間を見つけたのも嬉しかった。
「ブログから、もっとぎらぎらして生臭いひとを想像していましたが、実際のSeptemberさんはずっと温厚で優しいひとなんですね」 と言う彼自身は端正な顔立ちをして、内から溢れる情熱がぷんぷんと匂っていた。
静かな店の中で、尽きることの無い話題が急ぐことなしにゆっくりと続く。 そしてまた飲む。 時折り彼はカメラを取り上げると僕に向けてシャッターを切る。 僕の写真をこれほどたくさん撮った人は今までになかった。 そのカメラを完全に無視することに決めたのは、おそらく彼もそれを望んでいると思ったから。 カメラを持参さえしていなかった僕は、そこにプロとそうでない者との差を感じていた。

さんざんご馳走になったあと、僕らはヨーロッパ風の小さなバーに席を移して、そこでもワインを飲みながら訥々(とつとつ)と話が続いていった。 しかし終電を捕まえる彼と、酔いに朦朧とした僕とはいつかは席を立たなければならない。 いつかどこかでまた会うことを約束して固い握手を交わしたあと、僕らは右と左に分かれた。
楽しい夜だった。

その二日後に僕は日本を離れてアメリカに帰って来た。 そしてようやく日常のルーティーンに戻った僕が、サイケデリコさんのブログを半ば習慣的に開いてみると、そこにあのヨコハマの夜の自分がいた。

FOTO CYCHEDELICO


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三朝にて (3/3)

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品書(しながき)


『旅館 大橋』 の品書はほとんど読解不可能だった。 掛かり付けの女中さんが一つ一つ丁寧に説明してくれたので、何を食べているのか解らないという事はなかったけど、記念すべきその夜の料理を記録しておきたいと思った僕は、その品書を米子に持ち帰った。 渡部邸の居間で、パチクリ(詩人)、Y子さん(茶人)、自分(旅人) の三人が頭を寄せ合って解読を試みた。 米子市の最高頭脳と思われるこの三人が漢和辞典の助けを借りて、一時間近くかかって何とか解読したけれどそれでも不明の部分が幾つかあった。  

旬味譜
旅館  大橋

一、膳采
                                               月と菊
                                                           寄もの
                                                           旬の物いろいろ
一、煮物碗
                       鱧と蓮根餅
                                                           清汁
一、造里り
                       秋刀魚 焼霜ふり
                                                           鯛と車海老
                                                           洗い 一式
一、合の物
                       東伯和牛
                                                           蒸籠蒸し鍋
一、蒸物
                       貝柱と栃の玉締め
                                                           栗、青葉
一、焼き物
                       秋刀魚のおろし焼
                                                           酢茗荷
                                                           柿 バター
一.止め肴
                       菊菜の和え物
                                                           冬瓜いくら
一.水菓子 食事
                       おつけものと止め椀

                                                                        以上
                                                                                              料理人  久馬 惣一



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膳采


食通とは程遠い僕は、他の三人と女中さんとの間に交わされる高尚な料理の話に入っていく事ができず、ただ黙々と目の前のものを口に運んで、そして酒を飲んだ。 でも誰よりも今夜の料理を楽しんでいるのは自分だという自信があった。 そうなんだ。 その夜、他の誰もが考えた事もないような事を僕はしていた。 僕は日本を食べていたのだ。


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お造り


長い食事が終わった。 久しぶりに麻雀をやろうかという提案を僕が出す前に、他の二人が碁を打ち始める。 それでコータローと僕はまた下の浴場に降りて湯を浴びた。
その夜は腹がいっぱいな上にかなり酔っていたのにもかかわらず、部屋の灯りを消したあとも川の音が耳について、僕は長いあいだ寝つかれなかった。 この町に住む人たちは四六時中この川の音を聴きながら生きているのだと思った。 いつかこの川の音が止む時が来るとすれば、それは本人が死ぬ時か、あるいは世界の終焉が来た時のどちらかなのだろう。 その二つは結局は同じことなんだけど・・・。

(終)

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三朝にて (2/3)

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廊下


三朝の町は予想したほど観光地化されてなくて、鄙びた温泉町の情緒が漂っていた。 どちらの方角を向いてもそこに山があった。 僕は日本でホテルに泊まることはあっても、純日本風の旅館はあまり経験がない。 『旅館 大橋』 の間口の広い玄関先へ車を乗りつけた時、そのどっしりと貫禄のある古い造りに圧倒された。
玄関を上がったところが広い洋風のロビーになっていて、われわれが取りあえずそこへ通されたところへ薄茶が出た。 旅館のすぐ裏を三朝川が流れていて、ガラス張りの壁を通して幅広い川床の真ん中を水が勢いよく流れているのが一望に見渡せる。 そうしているところへ宿の女将さんが挨拶に出てくる。 僕らと同年輩のひとである。 車中の昔話に僕以上に興味を持ったコータローがさっそく尋問に取りかかった。 確かに、すぐ隣町の倉吉にも以前は 『旅館 大橋』 があってそことこことは本家分家の関係らしい。 倉吉の旅館はもう閉めてしまったが、そこの次女だった〇子さんが若いころ東京の大学に行っていて、年齢を訊くと僕と同年だった。 夜汽車の女の子はそのひとに違いなかった。 彼女は東京で結婚して家庭を持ったという。
そして女将さんは付け加える。
「〇子さんは結婚して姓が樺になったのですけど、ご主人はほら、昔の安保闘争の時に亡くなった東大生の樺美智子さんのお兄さんなのですよ」
そういえば、樺美智子さんは東京生まれだったけど、彼女の父や祖父など代々学者を出した樺家はたしか鳥取のこのあたりから出ていたように覚えている。 そんな因縁で樺家と大橋家とは繋がりがあったのかも知れない。

いずれにしろ 「夜汽車の女の子」 は実在していた。


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欄干


二階の部屋へ案内をされる。 表からは二階、裏の川床からは三階になっていた。 ガラス戸を開けると川の流れる音がひときわ大きくなった。 板の間の隅に赤い箱が置いてある。 なんだろうと思ったら、中は火事などの非常時に使う縄梯子だった。 欄干に架けて三階下の川床まで下りるのだ。
部屋に落ち着いたあと、取りあえずやることといえば当然決まっている。 湯に入ることだった。 つい先週に僕は紀伊の白浜で温泉に入った時は、湯の温度がぬる過ぎて気に入らなかったが、ここ三朝の湯は熱くてちょうど良かった。 これならと思って浴場から裸のまま螺旋階段を下りて階下の露天風呂にも入ってみた。 皆と首まで湯に浸かりながら、今夜は何を食べさせてもらうのだろう、と期待で胸が膨らむ。

(続)

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三朝にて (1/3)

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縁結び


郷里の米子へ帰って来た。 三年ぶりだった。 幼馴染のコータローがいつものように僕のエージェントとしてあれこれと企画してくれた中に、昔の仲間と数人で一泊の温泉旅行に行こう、というプランがあった。 そうか、俺もとうとう温泉に湯治に行くような歳になったか、と観念して、しかしもちろん喜んでコータローの指示に従うことにした。 鳥取県に点在する数ある温泉の中で、三朝温泉はもっとも知名度が高い。 それなのに僕はまだ一度も行ったことがなかった。 そこで十月の始めの秋の気配の中を、僕ら四人はコータローの運転するカローラに乗り込んで米子から東に二時間あまりの距離を三朝へ向かった。

車中での会話で、今夜泊まることになる 「大橋」 という老舗の旅館の名を聞いた時に、僕の遠い記憶の中に何か呼び起こされるものがあった。 そうだった。 あれは僕が米子から東京の大学に出て二年ほど経った時の事だった。 (四十年以上も昔の話である)。 夏休みに帰省する夜行列車 「急行出雲」 の中でたまたま向かいに座った、東京で女子大に行っているという女の子と会話を始めた。 同年輩の僕らは眠れないままに一晩中いろいろな話をして飽きることがなかった。 いつもなら死ぬほど退屈な 「急行出雲」 の一晩が彼女のおかげであっという間に過ぎていった。 朝になって米子の手前の倉吉で降りて行く彼女が 「私の家は倉吉で旅館をしているので、ぜひ遊びに来てください」 と言って電話番号を紙切れに書いてくれたんだ。 そこには確かに「大橋」という名前が書かれていた。 それなのに僕は米子に着いてしまうと、夏休みのほとんどを癌で入院をしていた母のそばで過ごす事になり、倉吉にもどこにも遊びに出る気にならなかった。 たしかその夏に二度ばかり彼女と電話で話をしている。 その時は彼女の東京の友達が何人か遊びに来ていてとても楽しい、という雰囲気が電話の向こうから伝わって来たのに、僕はいつ死ぬかもしれない母のそばで父とひっそりと過ごしていた。
それだけの事だった。

(続)

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鬼灯(ほおずき) のころ (4/4)

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鎮魂
上野 不忍池


それから二日後にミスターPの秘書だという女性から電話があった。 Sさんの葬儀を社葬ということでミスターPが取り仕切ることになり、SさんとU子さんの家族が日本から到着次第に行われることになったという。 午前中に教会でミサがあり、午後はPさんの自宅でレセプションということらしい。 Sさんの遺体は焼かれて灰になって、日本へ帰ることになるそうだ。
僕は、ミサには間に合わないと思うけど午後のレセプションには出席すると答えた。 僕に来て欲しいとU子さんのたっての希望でもあると、その秘書はつけ加えた。 電話の会話が終わる前に検死の結果をちょっと訊いたら、悪性の感冒に罹ったらしいSさんが医者に与えられた抗生物質が彼自身のアレルギーと対応して、一種のショック死という珍しいケースだということだった。
Sさんの死を知ってから数日間インディアナの地方紙を読めばそのニュースも詳細に載っていたと思ったけど、僕はそんなことをしようという気持ちがほとんどなかった。 詳細を知って何になるというのだ? あの子供みたいににこにこと嬉しそうだった彼の顔を見ることはもうないのだったら、何が起こったとか死因がなんだとか誰かを責めるとか、そんなことは僕にはちっとも興味のないことだったのである。 そんなことよりも僕はU子さんの心のうちを思うと、その痛みをぎりぎりと自分の腸で感じていた。 彼女に電話をすることをずっと考えていたが、何度も迷ったあげく結局電話をしないことに決めていた。 どんな言葉も現在の彼女を癒してあげることはできない。 それならば彼女は、しばらくは周りからあれこれ言われるよりは、自分だけの悲しみに浸っていたいのではないか、と思ったからだった。

葬式の当日、長い道のりを運転しながら僕はこの数ヶ月のあいだに何がいったい起こったのかを思い出そうとしていた。
レストランでU子さんと向かい合って、「誘惑するんだよ」 などと危険な暗示をかけたのは、あれは一月の終わりで雪の降っていた日だった。 それから六ヵ月たった暑い夏の日にSさんに会って、彼らの婚約を知らされる。 赤い鬼灯を見たのもあの夜だった。 そうだ、あの時U子さんがくれた贈りものは、家に帰って開けてみると真珠のネクタイピンだった。 それに付けられた小さなカードに細かな字でぎっしりと自筆で書かれた彼女の言葉。
「○○さんの御忠告を実行して幸せな結果になりました。 心からお礼を言わせて頂きます。ありがとうございました。 私達の婚約や結婚のことは私の口からではなくSから直接○○さんに告げて欲しいと思い、あえて連絡を取らなかったことをお許しください。 あの時ランチの席で○○さんがしていらした素敵なネクタイピンの、三個の石の中のひとつが欠けていたのを覚えていましたので、結婚式でのSの装身具を選んでいた時に、これならと思って買ったものです。 気に入って頂ければとても嬉しいです。S共々これからもどうかよろしくお願いします。U子」

そのあと彼らから正式な結婚式の招待状が届いたのはつい二週間前だった。十月X日に教会での式の後、P社長の自宅で披露宴をする、と印刷されたその招待状の末尾にもU子さんの自筆で、
「○○さん、お忙しいでしょうしたいへん遠路ですが、奥様と御一緒に来て頂けたら、Sも私もとても幸せです」
僕は 「出席させて頂きます」 とすぐに返信していた。

そしてその直後の金曜日の朝。
電話でのSさんは声もかすれてかなりぐあいが悪そうだった。どうしたのと訊く僕に、
「夏カゼかなんか知らないけどちょっときついです。週末にちゃんと直しますから」
「医者にいったほうがいいんじゃないですか」
「いや、薬を飲んで寝ればだいじょうです。 それに僕は医者が大嫌いだから」 と言って彼は苦しそうな声で笑った。
それがSさんの声を聞いた最後になってしまった。

あとで聞くところによると、その金曜の午後になって彼のぐあいがあまりに酷いので、U子さんをはじめ周りにいた連中が無理やり彼に退社をさせて、医者に送ったそうだ。 医者の検診と治療のあいだもずっと付き添ったU子さんは、そのあといっしょにSさんの部屋へ帰り、夜の八時ごろまで彼のそばにいた。彼が熟睡するのを見計らって、U子さんは翌朝早くシカゴへの出張の用意もあったので、自分のアパートへと帰った。 そしてその明くる朝一番に、シカゴへ向かう車から電話を入れてみると、Sさんは電話を取らなかった。(まだ眠っているのだろう) と思ったU子さんはその時点ではあまり心配をしなかったそうだ。 それが・・・・


******


P社長の屋敷には車寄せに十数台の車が停められていて、レセプションはもう始まっていた。 中に入るとかなりの人数の参列者があちこちにグループを作っていて、そのあいだをぬって、借り出されたレストランのウェイトレス達がドリンクやオードブルの乗ったトレイを持って歩き回っている。 それなのに普段のパーティのような華やかさはここにはなく、音楽も流れていない。 シャンデリアの明かりは落としてあり人々の会話は小声でひそやかだった。 十月にはこの同じ場所であるはずだった賑やかな結婚披露宴の情景や、花嫁の着る白いウェディングドレスが幻(まぼろし)のように一瞬、僕の胸をよぎって消えた。
入って来る僕を見たU子さんが走りよってきて、何も言わずに僕の両腕の中に飛び込んだ。 顔を僕の胸に押し付けた彼女は泣いてはいない。 もう泣きつくしてしまったのだろう。 そして僕は言う言葉が無い。 何を言えば良いというのだ? どんな優しい言葉も、口から出た瞬間に鋭い針のように彼女の魂に刺さり、さらに彼女を悲しませるだけだろう。 今の僕にできるのは、何も言わないでその震える細い肩を抱いてあげることだけ。 あの時僕が余計な事を言ったために、彼女は短い幸せを掴んだかも知れないけど、今はその何倍もの悲しみに突き落とされてしまった。
そのままの姿勢で僕たちは長いあいだ無言でそこにそうしていた。

(終)


*追記

このあとU子さんは会社を辞めると他所の町へと去って行き、しばらくのあいだ続いた僕達のあいだの交信もいつのまにか完全に途絶えてしまった。
ひとは誰もが幸せになる権利を与えられている。 でも、その幸せを他の人たちよりも少しだけ先に掴むことが許される優先券を、もし神様が用意しているのなら、その一枚は彼女に上げてください。 もし僕がその優先権を持っているとしたら、それはU子さんに上げてください。
なぜなら、多数の人たちが渡ることさえ無いだろう不幸の河を、このひとはもうずぶ濡れになりながら渡って来たのですから。

ずっとずっと後になって、日本の雑誌で鬼灯の記事を読んでいた時に、思わずハッとしてしまったことがある。
鬼灯の花言葉は 《偽り》 だという。

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鬼灯(ほおずき) のころ (3/4)

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Puerto Vallarta, Mexico


インディアナのS さんのアパートの部屋で、目に滲みるような鬼灯を見たあの夜から三週間が経っていて、カレンダーはもう八月に入っていた。 今日、月曜の午後に予定されている会合は午後の一時だったから、遅くても十時には家を出なければならないのに、僕はあいにく昨日から体調を崩してしまっていた。 そんなことは一年中を通して何回も無いことだ。 昨夜食べたものが悪かったようで、月曜の朝には僕はどうしてもベッドから起き上がることができなかった。 三日前の金曜の朝に電話でSさんと今日の会議の打ち合わせをしたばかりで、必要な書類や図面は全部揃えてあったから、それをうちのチームのエンジニアに持たせて、自分の代わりに送ることにした。 それで朝の十時まえに、そのことをS さんに知らせるために彼の会社へ電話をかけたのだった。 僕自身はしゃべるのもちょっと辛い状態だった。

声に聞き覚えのあるいつもの受付の女性が電話に出たので、僕が自分の名を言ってSさんと話したいと告げた時にそこでいきなり沈黙が落ちて来た。 まるで、決して口にしてはならないことを僕が言ってしまったために、それを聞いた相手が当惑してしまったかのような、実に奇妙な沈黙だった。 そのあとようやく気を取り直したらしい彼女の声は低かった。
「たぶん、うちの社長がお話したいと思いますので、少々お待ちください」
すぐにアメリカ人の社長のミスターPが電話に出てきて、
「ミスター○○、実はとても悲しいニュースをお伝えしなければならないのです。 トム (S さんのニックネーム。 彼の名前はツトムだったから) は亡くなったのです」

「え~~っ、なに?」 と僕は思わず喚(わめ)いたと思う。 頭を強打されたボクサーが一発でパンチドランカーになるほどの実に見事で確実なブローだった。 「そんな・・・・・ だってつい三日前の金曜日に話したばかりなのに」
ミスターP の話を要約すると、今朝の八時の会議にSさんが出て来なかった。 しばらく待ったが来ない。 彼が連絡もなしに遅れるなんてことは今までただの一度もなかったそうだ。 誰かがSさんのアパートに電話をする。 何度しても彼は電話を取らない。 Sさんの行動を誰よりもよく知っているはずのフィアンセのU子さんはU子さんで、土曜日から会社の出張でシカゴに行ったまま。 そのU子さんに連絡をとってみると、土、日の二日間、彼女はシカゴから何十回とSさんに電話をしっぱなしだったそうだが通じないので心配になり、月曜の朝になって会社に電話をしようと思っていた矢先だったらしい。
これはおかしい、ということになって同僚の数人がSさんのアパートに出向いて、管理人に頼んで彼の部屋を開けてもらい、中に入った彼らが見たものは、ベッドで冷たくなっているSさんの死体だった。

僕とミスターPが電話で話していた時点では、まだ警察や検死官が現場の状況を調査をしている最中で、死因などはいっさい知らされてないという。 なにしろ死体が発見されてから僕が電話をするまでまだ一時間も経っていないのである。

電話を切ったあと、僕はバスルームに入ると床に膝をつき、便器に顔を突っ込んで、痙攣する胃袋の中のものを全部吐き出していた。

(続)

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鬼灯(ほおずき) のころ (2/4)

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鬼灯
Dayton, Ohio USA


それからしばらくすると、インディアナでの僕のプロジェクトは終わりになって、Sさんに会うこともなくなった。 それでも僕たちはときどき電話で話すことがあったが、口の重いSさんとの会話はいつも短く、気になっていたU子さんとのことも、彼からは何も引き出すことができないままに過ぎていった。
それが五ヶ月以上たった時に、またSさんの会社との新しい仕事が始まった。 七月ごろの猛暑の中を数時間運転して、彼のオフィスで久しぶりに見るSさんは、相変わらず 「とっちゃん坊や」 のようなかわいい顔に、僕に会えた嬉しさをいっぱいに見せて迎えてくれた。 U子さんの姿を見るのをそれとなく期待していたのに、彼女が休暇で日本に帰っているとわかった時に、僕は何となくがっかりしていたようだ。

数人の担当者を交えた、うんざりするほど長い会合が終わったのはもう夜の八時を過ぎていた。 そのあとSさんと僕は当然のように示し合わせると、近くのレストランまで歩いて行き、腹のへっていた僕たちは草鞋(わらじ)のように巨大なニューヨークステーキをがっつきながらビールを飲んだ。
その時である。Sさんが唐突に 「実はU子と婚約しました」 と言ったのは。
僕は心の中で一瞬親指を立てて (やった!) とガッツポーズをとりながら、まるで自分が長いあいだ口説き続けていた女性が、とうとう 「うん」 と言ってくれた時のような嬉しさでいっぱいになっていた。 おめでとうを言うのももどかしく、それまでのいきさつを聞きだそうとしたけれど、恥ずかしがり屋のSさんは
「いやあ~、まあ、何となくそういうことになっちゃったんです」 と言うだけでほとんど何も聞き出すことができない。
彼はそのくせ、思いがけない大きなプレゼントをクリスマスにもらったときの子供のように、にこにこと幸せそうだった。 そのあと、結婚式は秋に考えているとか、U子さんが日本に帰っているのは、ウエディングドレスを日本で仕立てるためだとか、そのうち正式の招待状を僕にも送り出すとか、そんなことをぽつりぽつりと話してくれた。

僕は仕事でここに来るたびにいつもならホテルをとって一泊したあと、明くる朝にまたもう一度会議を持つのが今までの習慣だったが、この日は理由があって僕はどうしてもその夜のうちに家に帰らなければならなかった。 ふたりが外に出ると、夜の十時を過ぎたこの時間だというのにまだ異常に蒸し暑い七月の熱気に襲われた。 Sさんが、「これから長道中でしょう。 よかったら僕のアパートに寄ってコーヒーでも飲んで目を覚ましませんか。 実はU子に○○さんにあげてくれといわれてたものを、うっかり家に置いて来ちゃったんです。 それを差し上げないと彼女に叱られてしまう」
僕は喜んでそうすることにした。

Sさんのアパートは初めてではない。 実は以前に一度だけ、酔っ払って運転が危ないので泊めてもらったことがあった。 その時の彼の部屋は、自分の若いころのだらしないアパートとはまるで違って、ずっと清潔できちんとされていた。 二日前の汚れた食器が流しに積み重なっていることもなく、冷蔵庫を開けてもぷんと嫌な臭いがすることもなかった。 それにもかかわらず、そこは色気の無い、殺風景な独身男の部屋だったのを覚えていた。
それが今夜ここに来てみると、明らかに「おんな」の気配がある。 そこはもう男が夜帰って来てただ寝るだけの空間ではなく、そこで過ごされる暖かい「時間」を感じさせる色や匂いが、壁にも床にも部屋の隅々にまで満ちていた。 まるで初めて訪れた場所のようにもの珍しげに見回す僕の目にとまったのは、ダイニング・ルームのテーブルの上の一輪挿しに飾られた一連の鬼灯(ほおずき)だった。 U子さんの仕業にちがいない。 その鈴のような可憐な形状や目を射す鮮やかな赤に、僕は、優しいながら凛とした日本の女性の意気を見た思いがした。 そしてその鬼灯には、ここからはるか15000キロ離れて存在するあの懐かしい日本が、ひっそりと宿っていた。

Sさんの煎れてくれた強いコーヒーを飲み、U子さんからだという小さな包みをポケットに入れると、僕は立ち上がって別れを告げていた。
「Sさんどうもありがとう。 この次に会うのは三週間先になるのかな」
「そうですね、三週間先の月曜日になります。 それまでにはU子も帰って来てますから」

僕は彼の部屋のドアを閉めると、ふたたび、むんとした熱気に囲まれて七月の夜の闇の中にいた。

(続)

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鬼灯(ほおずき) のころ (1/4)

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《壁画の女》
Dozza, Italy


もう二十年も前の話である。 そのころ僕が勤めていた会社のクライエントにインディアナ州の建築会社があって、そこに設計技師として働くSさんという、若い独身の日本人がいた。 米系の会社の営業部で働いていた僕は、クライエントの会社のいろいろな部門のいろいろな肩書きを持つ人たちと仕事をする機会があって、当然ながらその中にはとても気の合う人もいれば何となく苦手なタイプの人もいた。 どういうわけか僕は自分と同じ営業畑でも、頭の切れる、派手で口八丁手八丁というタイプの人よりも、地味な技術畑にいて口が重くあまり英語も上手でないけれど、自分の技術にプライドを持ってそれを頑固に押し通す、というタイプの人と気が合ってしまうことが多かった。 たぶんその理由は、自分は営業という部門にいて仕事をしながら、「頭の切れる、派手で口八丁手八丁」 なタイプではないからだと思っている。

このSさんもその中のひとりで、何度かいっしょに仕事をするうちにすっかり仲が良くなり、彼は自分よりずっと年上の僕を煙たがることもなくつき合ってくれた。 彼の会社があるのは僕の住む町から車で二時間半という距離だったから、僕もしょっちゅう訪ねるということはなかったが、行けばたとえそれが彼の会社のプロジェクトと無関係の用事で行ったときでも、彼を誘い出して食事をしたり飲みに行ったりしたものだった。そこでいろいろな話が出た。
Sさんはそのころまだ三十代の半ばで、顔も身体もぽっちゃりと丸く、身体は大きかったけど子供のような顔をしていて 「とっちゃん坊や」 という言葉がぴったりだった。 どちらかというとふだんは言葉数の少ないそのSさんと酒を飲みながら話をするたびに、いつも話題に上ったのが(というよりも実は話題にするのはいつも僕の方からだけだったけど)彼の助手をやっていたU子さんのことだった。

僕はこの髪をうんと短くした小柄でかわいいU子さんのことをすごく気に入っていて、その底抜けに明るい性格やきびきびと仕事をこなしてゆく頭の良さにいつも感心していた。 彼女のまるで男の子のような活発さの裏に、日本人女性らしい優しい細やかさがちゃんと潜んでいることを僕は最初から見抜いていたのである。 ある時このU子さんと僕との二人だけでランチに行ったことがある。 Sさんを含めた四人で行くはずだった予定が、急に他の二人に急用が入ってそういうことになったのだった。
会社のすぐ隣にあるレストランで昼食をとりながら、あからさまな好奇心を隠さないで彼女の身辺の事情を尋ねる僕に、
「もうすぐ三十になるのに、まだボーイフレンドもいないんです。 この前なんてバーですごく魅力的な女性に強力に誘われちゃったりして。 私がレズビアンだと思ったんでしょうか、まさか男と思ったわけじゃないと思うんですけど」 と言ってカラカラと笑った。
「○○さんはお顔が広いからだれか素敵な男性を紹介してください」
「素敵な男性はU子さんのすぐそばにいるんじゃないの」 とすかさず応える僕。
「ええっ、Sさんですかあ?」 と彼女の顔がちょっと引き締まる。
「それがねえ、Sさんは私なんかには全然興味がないみたいなんだなあ。 とっても優しい上司なんだけど私のことはまるで女だなんて思ってないんですよ、きっと」
「そんなことはない。 あの人はそんな面では不器用な人だから自分の感情をどうやって表すのか知らないだけなんだよ」
U子さんは珍しく寂しそうな表情を見せてしばらくうつむいたまま何かを考えていたが、やがて顔を上げると僕の目を真正面から見つめて言った。 「どうしたらいいんでしょう?」
その声はいつもの彼女らしくない細くて低い声だった。
僕ははっきりと彼女に告げた。
「誘惑することだよ」

(続)

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