過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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September30

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11月のクイズの結果は・・・

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正解はマスティフ(Mastiff)。
10人の正解者の仲から抽選の結果、当選は 「わに」 さんに決定。
正解者の一人、nico さんのすごく親切なコメントを借用させてもらおう (nicoさんは残念ながら抽選には漏れたけれど)。

《犬キチガイの私にとっては願ったりかなったりです。
答えはマスチフ。 正確にいうとイングリッシュマスチフだと思います。
マスチフは長い歴史をもつ犬種で、いくつかの種類に分かれます。ナポリタンマスチフという、もっと顔が大きく皺が深く大きい種類や、長毛で顔の皺も少ないチベタンマスチフ、一回り体格が小さくてマズルが短いボルドーマスチフなどがいます。土佐犬はジャパニーズマスチフと呼ばれています。

時々 Old English Mastiff という誤った表記をみかけますが、Bullmastiff の作出に Old English Bulldog と English Mastiff をかけあわせることから生じた誤解のようです。
さぁ、抽選にあたりますように(^人^) 》



わにさん、おめでとう。
住所氏名を非公開コメントにして送ってください。
お好きな写真を指定することを忘れないように。
数日経ってもご返事のないばあいは棄権として次の方を選びます。



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七面鳥のいのちは悲しくて

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生贄


今週の木曜日は、毎年そうであるように感謝祭の家族の集まりがあって、ディナーの主役はもちろん七面鳥だった。 アメリカでは感謝祭とクリスマスだけでも9億羽の七面鳥が食卓にのぼると言われる。 アメリカ人がなぜこれほどターキー(七面鳥) にこだわるのか?
僕にはどうしても理解ができないのである。 スモークにされた七面鳥ならサンドイッチにしてマヨネーズをたっぷりと塗れば何とか僕にも食べれなくはない。 でも味も何もないパサパサした肉をどんなにレシピを変えて味付けをしたところで美味しくなるわけがないのに。 アメリカ人というのは味覚を持たない人種なのだろうか?

そういえばある時、数人の日本人と飲んだ時のことを思い出した。 その場の誰もがアメリカやヨーロッパやアジアに数年住んだことのある人達ばかりである。 ある商社の幹部であるひとりが、まったくの私見ですけど、と前置きをして面白いことを言った。
「人間の味覚の最高を10として、動物、たとえば犬の味覚を0とするなら、フランス人が10、中国人が9、日本人が8でイタリア人は7、アメリカ人は悪いけど5くらいじゃないか、と私は思います」 と発言をした。
そのあとはそれぞれが他の国々を出したり、上位の順位をあれこれ点け変えたりして喧々諤々と議論が飛び交ったが、アメリカ人の最下位ということには全員が一致したようだった。
それまで黙って聴いていた僕が口を開く。
「まあ私はここにいる誰よりも長くアメリカに暮らしてきたから言う訳ではありませんが、犬が0でアメリカ人が5という評価のしかたは、ちょっとひどいんじゃないですか?」
僕の声の調子にいくらか憤慨の気配が出ていたようで、ちょっとばかりその場の雰囲気がしらけてしまったのを感じながら僕は続ける。
「アメリカ人が何位にくるかは別として、犬がそれよりも下位ということはあり得ない、と思うんだけど・・・」

(アメリカの友人たちよ、許せ。 冗談だよ、冗談)


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峠の我が家 (2/2)

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大山国立公園


もう二十年も前の事だけれど、僕は会社の同僚のエルマーと二人で家から400キロも離れた、ケンタッキーとテネシーの州境の辺りを仕事で回ったことがある。 同僚といってもエルマーは僕よりずっと年上で、親子ぐらいに歳が離れていた。 あの頃すでに70歳に近かったろう。 そして彼はこの道何十年の経験を持つベテランだったから、四十代になって初めて会社勤めをしたばかりの僕にとっては、優しい先輩であり教師でもあった。 

その夜は山のふもとのある町で一泊する事になっていた。 一日中幾つかの顧客を回って、疲れた上に腹を空かせて、やっとたどり着いたホテルで夕食にありついた時、我々は恐ろしい事実を知らされて愕然とした。 この町では公共の場では酒を出せないという法律があると言う。 (アメリカの南部では時々ある話だ) それで夕食のあと二人はまた車に乗り込んで、山向こうの三十分離れた隣町の酒屋まで酒を買いに行く事になった。
街灯も何もない深い山道を走りながら、僕は昔まだ街道が完備する前の箱根の山中を夜中に車で走った事を思い出していた。 やがて峠を越える辺りで一軒の山小屋の前を通りかかった。 中には灯りがともっている。 表には看板らしきものが架かっていたが、それも暗闇の中では読めなかった。 窓に "Budwiser" のビールの赤いネオンが点いているところを見ると、この何とも寂しくも怪しげな山小屋は飲み屋に違いなかった。
これは良い、と僕は言った。 このまま山を越えて行くよりも、ここで一杯飲んでホテルへ帰ろうよ、と提案する。 ところがそこに停められた十台ほどのバイクを見てエルマーは尻込みをしてしまった。 どうしても中に入ると僕が言うなら、自分は車の中で待っているなんて言い出した。

その彼をなんとか説き伏せて山小屋のドアを開ける。 とたんに店内から何十という視線がスーツ姿の我々の上に釘付けになった。 どの顔にもまるで幽霊を見たかのような表情がある。 エルマーそのまま回れ右をしそうな気配があったが、そこで外に出てしまえば状況はもっと悪くなるかも知れない。 彼と僕はバーのカウンターの一番端っこにそっと腰を下ろして、ビールを注文した。

しばらくして一人のバイカー('ZZ Top' みたいにあご髭のデブで、刺青だらけのその腕は僕の腿よりも太かった) が我々の所まで来ると話しかけてきた。 何とはない会話をしばらく続けたあとで彼が我々にビールを買ってくれる。 そのお返しに彼にもビールを取ってやる。 そのうちにテーブルにいた数人が我々の周りにやって来て話に加わる。 我々の眼の前には次から次とビールが出てくる。 エルマーは最初はあんなにおとなしかったのに、今は酒が入って話に夢中になっているし、僕は僕でビールを賭けたビリヤードやダーツに興じた。

ビールを一杯だけのつもりが結局2時間以上も居てしまった。 エルマーは僕以上に楽しんだ事は明らかで、引っ張り出さなければ彼はまだ飲んでいただろう。 外に出ると頭上にびっくりするくらい大きな月があった。 満月だった。ふたりで 『峠の我が家』 を大声で歌いながら、僕は崖から落ちないように気をつけてゆっくりと運転をしながら山を下って行った。

エルマーが亡くなってからもう十年が経つ。



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峠の我が家 (1/2)

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日曜の朝のペン・アベニュー
Penn Avenue, Pittsburgh, Pennsylvania USA


ピッツバーグという町に、まだ独身だったころ写真の仕事で一度だけ行ったことがあった。 もう再び来る事はないのだろうと思っていたそのピッツバーグへ、ずっと後になって頻繁に訪れる事になったのは、娘のマヤがそこの大学へ入ったためである。 行くたびに、質素な学生生活ではありつけないようなちょっとしたご馳走を食べにマヤを連れて出かけた。 そのマヤがある時、「面白いところへ行ってみようよ。 でもそこは日曜の午前中だけなの」 と言って日曜日の昼前にブランチを食べに行ったのが、このペン・アベニューだった。


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Hells Angels


そこには百台以上のオートバイがきれいに並んで停められていて、通りに沿った何軒ものレストランはバイカー達で溢れている。 さながら "Hells Angels" の大集会という観があった。



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夜のニンフ、朝のエンジェル


屋台も幾つか出ていてそこでホットドッグやプレッツェルを売っているのは、魅惑的な肢体を持つ女性たちだった。 このストリップ・バーの踊り子たちがボランティアとして働くその売り上げとか、今朝のレストランの収入の一部は、市内のホームレスの人達への寄付になるそうだ。
食べたオムレツは美味しい上に嫌になるほど量があって、そしてびっくりするくらい安かった。

バイカー達を見ていて思い出した事がある。

(続)

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ボストン奇譚抄 - 女性経営者

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エスカレーター
Boston, Massachusetts USA

ボストンのダウンタウンに地下鉄で乗り入れて "Government Center" で降りる。 それから地上に出るとそこら一帯は官庁街になっていて連邦や州や市のビルが並んでいる。 地下鉄の駅を出てすぐ目の前の長いエスカレーターを登りつめたところが市庁舎で、僕は今朝ここで人と会う事になっていた。 
その頃の僕はもう結婚をして二人目の子供が生まれたばかりだった。 ふだんはフォトラボの暗室技師として働きながら、今日のように時々入ってくる写真のフリーランスの仕事をやったりしていた。 その日会う事になっていたのは、日本全国に有名な私塾を持つという経営者と、そこの重役兼通訳として同行する人の二人だった。 この二人といっしょにケンブリッジ市にあるハーバード大学で、英才教育の権威だという教授との会見をスライドに撮る事と、そのあと見学することになっている研究所の内部を撮影するのがその日の僕の仕事だった。 それらの写真は、彼らが帰国後にスライドショーとして見せたり、出版される業界紙に掲載されることになっていた。

やがて現れた二人を近くのコーヒーショップに案内して、顔合わせを兼ねた打ち合わせとなった。 経営者という人は年齢のわりには派手な花柄のワンピースのドレスを着た五十代の小柄な女性で、強い関西弁で思ったことを遠慮なくポンポンと口にするところが、教育者というよりはちょっと高級なクラブのマダムのような感じがした。 この女性と僕とは会った瞬間から何となく意気投合してしまって、話題がともすると仕事を離れた個人的な分野に発展していく。 そのたびに同席する重役兼通訳氏が苦い顔をして話を元に戻した。 この重役兼通訳氏は年齢が四十代の半ば、濃いグレーのストライプのスーツ姿に鏡のようにピカピカに磨かれた靴、金のタイピンにそれとお揃いの金のカフリンクスをして現れた。 彼は最初に対面した時にじろりと僕の全身を眺め廻して、彼の顔に不満そうな表情が浮かんだのを僕は見逃さなかった。 その日の僕は細身のジーンズに黒いとっくりのセーターでその上にツイードの上着を着ていた。 まあビジネスの会合にはふさわしくないと思われたのかも知れない。

その彼が上司のミセス経営者のために紅茶を注文しようとして、ウェイトレスが何種類もある紅茶の種類を説明した時に、彼の英語の受け答えがかなりとんちんかんになってしまった。 恥をかかせるのも悪いと思って、僕はしばらく黙って聞いていたが、とうとう我慢ができなくなって彼に日本語で一言二言助けを出した。 それが間違いだったようだ。 むっとした彼の顔を見て、(嫌われたな) と僕は直感していた。 ミセス経営者はそのやりとりを見ながら子供のようにけらけらと笑っている。

コーヒーショップを出てタクシーを捕まえた。 僕が開けたドアからミセス経営者が車内に滑り込んだあと、彼女が自分の横の座席をぽんぽんと叩いて、僕にそこへ座れと合図した。 僕は仕方なくというか遠慮なく重役兼通訳氏を無視してそこへ乗り込んでしまう。 重役兼通訳氏がいやいやながら前の助手席に乗り込む。 乗り込んだあと 「私が前座席ですか」 というよなことをぶつぶつと言っているのを、ミセス経営者は横目で見ながら完全に無視した。

ハーバード大学の教授(これも女性だった) との会見は大体のところうまくいったようだ。 しかし重役兼通訳氏が両女性の間に入ってやる通訳はかなりいいかげんなものだった、と言わなければならない。 ある時点で質疑応答の最中に、ミセス経営者がふと相手の女性に歳を尋ねた。 重役兼通訳氏が顔色を変えて、日本語で彼の上司をきつく叱る。 その慌てようはまるで彼女が 「あなたは不倫をしたことがありますか?」 と尋ねたかのようなオーバーな反応だった。
「外国では女性に歳をきいてはならないと、あれほど言ったでしょう」
かんじんの叱られた本人はにやにやしながら聞き流している。 事情を察した教授が笑いながら彼をたしなめた。
「ちっともかまいません。 こういう非公式の場だし、それに第一私たちは女性同士だから」 と言って自分の歳を告げた。 納得のいかない浮かぬ顔の重役兼通訳氏。 さらに親しく打ち解ける二人の女性。 そしてその場面を写真に撮りながら、カメラの陰でにやりと笑っている僕がいた。

仕事が終わったあと、ミセス経営者が彼らの泊まっているリッツ・カールトンでの夕食に僕を誘ってくれた。 しかしその招待は、今夜は仕事の話があると主張する重役兼通訳氏の静かなしかし強硬な異議に遭って、僕は辞退せざるを得なかった。 ミセス経営者はやれやれという表情を隠そうとしないで、この有能な部下の顔を立てる事に決めたようだった。
別れ際に彼女が、来年の春もう一度ここに来る事になっているのでその時はぜひまたお願いね、と僕の耳元で言った。 しかしその仕事は二度と僕に来る事はなかった。



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11月のクイズ

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「あなた、おなか空かない? あそこに美味そうなリスがいるわよ」
「うーん、ワシは朝から下痢気味で調子悪いんだ。 もうちょっと寝かせてくれ」


京都の展覧会で犬好きの写真家、エリオット・アーウィットの写真を紹介したばかりなので、今日はまた、動物が好きな事では誰にも負けない我が Green Eyes の絵を見てもらおう。 この犬たちは大きな身体に意地悪そうな怖い顔をしているくせに性格はいたって優しくて従順なところが、僕にそっくりだった。 そういう僕は花音痴を自負している上に実は犬音痴でもあって、犬の種類といえばジャーマン・シェパードとダルメーション(以前飼っていた) とセント・バーナードとブルドッグくらいしか判別できない。

ところでこの二匹の犬たちは何種なのかわかりますか?
きっと愛犬家にとっては易しすぎるクイズになってしまったかも知れない。

正解者の中から抽選で1名の方に、僕のブログ上のどれでもお好きな写真を差しあげます。 
8インチX10インチのマット付きのプリントを世界中どこへでも送ります。
締め切りは今日から1週間。
答えは非公開コメントにして下さい


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二つの写真展-京都 (3/3)

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京都駅


南禅寺のあとは、僕の乗る米子行きの長距離バスの時間までにまだ数時間あった。 小さい美術館の一つや二つは回れるだろう、ということで、僕がまだ行った事のない国立近代美術館に、ここでも皆が付き合ってくれるという。 タクシーで着いてみると、道を挟んだ向かいの京都市美術館がフェルメールの特別展示の初日らしかった。 一行の興味はむしろそちらの方にあったようだったが、何百人という長蛇の列を見てあっさりと諦める。
この国立近代美術館では思いがけない拾い物があった。 ここにはあの 『ライフ誌』 の報道写真家、ユージン・スミスのパーマネント・コレクションがあって、かなりの数のモノクロ写真が展示されていた。 あの 「水俣」 シリーズのように誰もが知っている映像もあったが、初めて見るものの方がはるかに多く、僕らは一つ一つ丹念に見ていった。


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Photo by Elliott Erwitt


エリオット・アーウィットというアメリカの写真家がいる。 僕の大好きな写真家である。 彼の写真集は何冊も持っていて、ふだん、ふと思って引っぱり出して見る写真集といえば、このエリオット・アーウィットかアンリ・カルティエ=ブレッソンと決まっているくらい僕のお気に入りの写真家なのだ。
先ほどユージン・スミスを見た国立近代美術館のロビーで、このアーウィットの特別展が市内の小さな美術館で現在開催中というポスターを見た時、あっ、これは見逃せない、と今日の幸運に感謝をした。 それでまたまた一行を引きずって祇園町の京都現代美術館(小さな建物でタクシーの運転手さえも知らなかった) までやって来た。
誰もが一度は眼にした事のある有名なイメージの数々。 マリリン・モンローの寂しげなポートレートだとか、ニクソンとフルシチョウフの危険なテンションの溢れる会見だとか、ケネディ大統領の葬式での喪服姿のジャクリーンだとか、膨大な数のオリジナルプリントがそこにあって、一行の誰もが熱心に鑑賞をしていたようだ。

個人生活でのアーウィットは大の犬好きで、愛情とユーモアに溢れる犬の写真集 “Son of Bitch” は、ペット愛犬家にはこたえられない本である。 ぜひ見てほしい。 いっぺんに好きになってしまう事は僕が保障します。


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Photo by Elliott Erwitt



このエリオット・アーウィットについては、実は後日談がある。
あの日いっしょに美術館を回った一行の中のひとりであるIが、東京に帰って家族に今回の旅の話をいろいろとしていて浮かび上がってきたそうだ。
Iには家族同士で長年にわたって仲良く行き来をしている一家がいる。 その息子さんとIの二人の娘さんとが幼い頃に幼稚園でいっしょだったという所から、この二家族の付合いが始まったらしい。 その男の子が今は成人して写真の道へと進み、ニューヨークのアーウィットのスタジオでアシスタントとして働いているという。 Iの下の娘さんなど、ボストンに住んでいた時に、幼馴染を訪ねてニューヨークまで行って、そこのスタジオでアーウィットにも会っている。
しかもその幼馴染の彼が今年の冬に結婚をする事になっていて、Iの娘さんは結婚式に出席する予定だそうだ。
エリオット・アーウィットは自分が可愛がっているアシスタントの結婚式の写真は自分が撮る、と約束したそうだ。


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南禅寺-京都 (2/3)

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地下鉄 烏丸御池駅


京都の2日目は自由行動という事になっていた。自分はまだ1度も見た事のない南禅寺が、我々のホテルからそう遠くない場所にあるので行ってみたいと言うと、ほかの4人がいっしょにつき合ってくれるという。それで僕としては初めて京都の地下鉄に乗る事になった。同行の東京人たちでさえも改めて賞賛するくらいすばらしい設備だ。プラットホームとレールの間が仕切りで完全に遮断されているのは、アメリカの大空港内のシャトルを思い出させる。
それにしても僕が困ったのは、自分の記憶にある古い雅(みや)びの京都の街と、このスタートレック的な地下の世界がどうしても噛み合わないのである。たとえば駅名がそうだ。御陵(みささぎ)、椥辻(なぎつじ)、太秦天神川(うずまさてんじんがわ)、などと詩的で美しい名前が読めないだけではなく、超近代的なメトロの駅に付ける名前としてはかなり前衛的な感じがする。逆に言えばその対比がユニークで味があるとは言えそうである。まるで源氏物語の世界でミスター光源氏が、ナンパした桐壺さんをポルシェに乗っけてどっかにさらって行くような、あるいは鳥羽僧正というオッサンが、パイプをくわえながら動物の漫画をインクジェット プリンターで印刷をしているような、そんなちぐはぐな面白さを感じてしまう。



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南禅寺 法堂


仏教を講義する場所が禅宗では法堂(ほっとう)、通常の寺院では講堂と呼ばれる。この法堂は一度火災で焼失したあと、明治の終わりに再建された。現存する禅宗の法堂では最大のものだという。
というような史実を僕が学ぶのは、実はずっとあとになって旅から帰った後に写真の整理をする時で、その場に臨んでいる時にはほとんど注意を払った事がない。歴史に興味が無いというのではなくて、そんな説明を丹念に読む時間があれば、それよりも写真を撮りたいからだった。それはヨーロッパでも同じだった。何かしら自分の本能を誘惑するもの、つまり僕に写真を撮られる事を待っているものを求めて、僕は自分を取り巻く世界を貪欲に見回しながら歩き回る。日本最大の法堂だから撮ったのではなくて、何も知らずに撮ったものが、たまたま南禅寺の禅宗法堂だったというわけだ。




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天授庵 西庭


天授庵の門前を過ぎようとした時、僕は急に同行の者たちと別れて、理由もなくまるで呼び込まれるように、観覧料を払って中に入っていた。人の群れている境内と違って、ここはほとんど人影が無く、時が止まってしまったような静かで音のない世界だった。書院を挟んで東と西に2つの庭があり、東庭がすっきりとした典型的な枯山水なのに比べて、西庭はずっと広く、池の周りに鬱蒼(うっそう)と樹木を繁らせた荒れ庭になっている。竹林の中を抜けている時に淡青色の和服姿の若い女性とすれ違う。お互いに会釈をしながらちらと眼を合わせた時の彼女の表情に、見られたくない姿を見られたときの恥ずかしさがあった。
ここは独りで来るための庭に違いなかった。

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鴨川の夜-京都 (1/3)

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先斗町


僕にとっての京都は十二年ぶりだった。 四条河原町の雑踏の中を人混みに揉まれて歩きながら、この町もすっかり東京の渋谷のようになってしまったと感じていた。 十二年前と比べてどれだけ変わったかと訊かれても僕には答えようがないが、四十年以上も昔にまだ二十代の頃に時々訪れた京都とはまるで違ってしまっていた。 

紀州での同期会のあと、ステージⅡである京都までやってきたのは11人のうち9人だった。 そして昨夜は先斗町の料亭で川床料理なるものをご馳走になった。 今回のメインイベントだったのである。 昼間はあんなに暖かかったのに夜になると気温が下がり、川原の上に張り出された桟敷は少し寒かった。 店で用意してくれた毛布を肩からかけて、僕らはビールの代わりに熱い酒を飲んだ。 夕暮れ時なら河原の景色が眼の前に広がるのだろうが、この時刻には鴨川はどっぷりと闇の底に沈んでいた。 風はなかったがひんやりと顔に感じる空気に、すぐそこに川が存在するのがわかる。
 
この店は 「中華風の会席料理」 で知られているらしい。 次々と出てくるものが、なるほど中華の食材を使いながら伝統的な京都の料理と感心するほどうまい具合に融合されていた。 京都での幹事役をかって出た無口なHが、この夜も我々に何も告げずに予約してくれたコースは、 

●季節の彩り冷製盛り合わせ
●かぼちゃ団子と蟹身の淡雪スープ
●海老と銀杏のあっさり炒め
●生麩の田楽と京赤地鶏の天麩羅
●鰤のソテー 山椒風味のソース
●山形産米沢三元豚のブラックビーンズソース
●ちりめん山椒のお粥と香の物
●デザート (日替わり)

食べ疲れ、飲み疲れ、話し疲れて外に出る。 夜の先斗町界隈は文字通りネオンの洪水だった。 そして人の洪水だった。 気をつけて歩かないとすぐ人にぶつかりそうになる。 周りは若い世代の人たちで溢れていた。 蠱惑的なネオンや提燈(ちょうちん) の渦に取り巻かれていると、何とはなしに 「紅灯」 という言葉が胸に浮かんできた。 そこからの連想で、あれほど祇園を愛した放蕩歌人、あの吉井勇の歌を思い出そうとしていた。

紅灯のちまたにゆきてかへらざる 人をまことのわれと思ふや


放蕩というのは、それをしている者にとっては他人が考えるより、もっとずっと辛い事なのではないのだろうか?

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人生いろいろ-紀州にて (2/2)

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三段壁洞窟
紀伊 白浜


この十人の連中といっしょに紀伊から京都へと過ごした三日間は、僕にとっては生涯忘れられない旅となるだろう。 この歳になって、俺、お前と呼び合える仲間がいるのは何とラッキーな事だろうかと思う。 そして誰も変わっていないように見える。 しかし、「誰も昔と変わらない」 などと安易に言ってしまう事ほど真実から遠いものはないだろう。 「人生いろいろ」 を経てきた中で変わっていないはずはない。 それなのに僕には、皆それぞれが昔から変わらない部分を、普段は机の一番下の鍵のかけられた抽斗(ひきだし) から取り出して、この旅に持ち寄って来てくれたように見える。
Wは相変わらず気難しくて子供のように駄々をこねているし、Iは何事もきちんと理詰めでしか納得をしないところは昔のままである。 学生時代にプレイボーイで通っていたKは、ついに一度も結婚をしなかった。 (そして今でもプレイボーイでスポーツカーを乗り回している)。 そうかと思うと、無口なHは、周りで起こる事をいつも横目で見ながら、時折り老成したような一言をぽつんと洩らす癖があって、それは今でも変わっていなかったが、その一言にはずっと重みが加わっていた。

そしてMは・・・
大学を出てから一度も振り返ることなくジャズの世界へとのめり込んで行って (同じ道を選びながら僕は挫折した) 今も活動を続けている。 そのMが昨夜の酒の席で喨々(りょうりょう) とトランペットを吹いた。 若い時のように鋭利で突き刺すというのではなく、くぐもった瞑想的なその音色は、全員の胸にぎりぎりと食い込んでいったに違いない。


"I remember Clifford"
Lee Morgan

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人生いろいろ-紀州にて (1/2)

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円月島
紀伊 白浜


僕が関西空港から日本に入ることを知った大学の昔の仲間が十人、北は岩手から南は福岡までが紀伊白浜に集まってくれて、期せずして十二年ぶりの同期会となった。 同期会といっても我々はクラスメートというわけではなく、いっしょにジャズバンドをやった連中だった。 学年は同じだったけれども大学の専攻はまちまちだったから、それだけ違った色合いの若者が集まっていた。 東京の学生バンドの中では僕らのバンドはトップランクに置かれていたから、クラブとしては大所帯で、それだけに毎日の練習は厳しく、春夏の休暇には長期の演奏旅行があって日本中を回った。 そんな生活を通して、僕らはただの同期生というにははるかに強い繋がりで結びついていたようだ。 十三人のうち今回参加できなかったのは、新潟のSとハワイに住むYの二人だけだった。

今回、和歌山へやって来た僕はこの地域は初めてだと思っていたら、四十年以上前にすぐ隣町の田辺市に演奏旅行に来たことがあると皆に聞かされた。 そう言われてみると、僕の遠い記憶の中ではこれも演奏旅行で行った高知の桂浜の風景と、この白浜の記憶がいつの間にかごっちゃに混ざってしまっているようだった。 完全に忘れていたことをこうやって思い出させられるのは、失くしたと思っていたものを思いがけず屋根裏部屋の箱の底に見つけた時のような嬉しさがあった。

その夜、白浜の旅館でゆっくりと温泉に浸り、そのあとは浴衣姿の宴会となった。 尽きない話の中に、僕の目に十人がそれぞれ抱えてきた重い年月に昔の若い十人が重なっては離れる。 そこにはいろいろな人生があったのだろう。 それは今夜ここで口に出す必要のない事だった。
そのあと同じ旅館の中にあるカラオケバーに移動する。 カラオケの苦手な僕も今夜は逃げ出すわけにはいかなかった。 昔はカウント・ベイシーがああだとかデューク・エリントンとがこうだとか、あれほどジャズに入れ込んでいて、演歌や歌謡曲を嫌っていた全員が、今夜歌うのはすべて日本の懐かしのメロディーだったのには苦笑してしまった。 そう言う僕だって、無理やりステージに押し出されて、酔った勢いに釣られてしゃがれ声で歌ったのは、僕のたった一つの持ち歌、島倉千代子さんの 『人生いろいろ』 だった。




僕はこの唄を聴くたびに昔いっしょに仕事をした島倉さんの事や、彼女の華やかなステージや、それとは裏腹だった彼女の実人生や、その周りで消えてしまったり死んだり、今でも生き残ったりしている無数の芸能人たちの事を思い出さずにはいられない。 そんな世界をいやというほど見てしまった後に、僕は日本を離れたのだった。

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神々の黄昏

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出雲大社 神楽殿


十月のはじめのある暖かい秋の日に、僕はコータローに連れられて出雲大社に参拝した。 日本中に散らばる神々 (日本書紀の統計によるとその数は800万と言われる) の中で出雲大社の大国主大神はそのボスというか、ゴッドファーザーというか、組合の総元締めのような存在なのである。 その彼が何といってもパワーを発揮するのは、人と人との縁結びだそうだから、僕はもっとずっと昔に参拝をしてしっかりとお願いをしておけばよかったと思う。 そうしたらきっと若い頃、次から次へと縁の薄い人たちばかりに出会うことも無かったにちがいない。 僕が前にここへ来たのは小学校の一年生の時だったから、いくら早熟だったとはいえ 「素敵な女性に巡り会えますように」 なんて祈願をしたはずはなかった。

この大国主大神のリビングルームの壁にかかっているカレンダーには、十月のところに赤いマジックで大きな〇が付いている。 それはこの月に一年中でも特別に重要な予定が入っているからだった。 つまり、ふだんは日本中に分散してそれぞれ地方行政に明け暮れる八百万(やおよろず)の神々が、毎年十月になるとここ出雲まで出張してきて大カンファレンスとなる。 日本中の神社からすべての神々がきれいに姿を消してしまう。 だから全国で神無月と呼ばれるこの十月を、出雲の人々だけが神在月と呼ぶのは、科学的というか非常に現実に則した理由があるのだった。 そしてこの巨大なカンファレンスは出雲大社の大本殿で行われるが、そこで大国主大神が部下からのレポートを聞きながらの神議が31日間続くわけだ。

昼間はそうしてまじめな神議をする大集会が、周りの杜に夜が落ちてくると、席は大本殿から隣の神楽殿に移されて大宴会となるのが普通だった。 酒肴が供され、どこからともなくコンパニオン(巫女たちは現在ではそう呼ばれる)が現れる。 彼女たちは酒の相手をするだけではなくて、歌舞を演じて神々を楽しませる。 夜が更けるにつれて酒席は少しずつ乱れてきて、神々は唄を歌ったり (カラオケの発祥はここだといわれる) 酌をする巫女たちに色っぽい話をしてからかったりする。 しかし謹厳な彼らは明日の神議の場に二日酔いの頭を抱えて出席をしたりはしないから、ほどほどに切りあげて宿舎である周囲の奥深い杜へ、スーっと音もなく引き上げて行くのである。

しかし今は気持ちの良い秋の日の昼間。 今日この神楽殿に集まっているのは、きりりと帯を締めた何百人という着物姿の女性だった。 恒例の大茶会が進行しているのだ。 茶人であるコータローの奥方 (僕はこのひとの大ファンなのだ) もこのだだっ広い板の間のどこかにいるはずだった。 そしてコータロー夫妻の二人の娘さんの婚儀があったのも、やはりこの神楽殿だったそうである


女が良いものであったなら、神も結婚しただろう。
Georgian Proverb



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ワンダーランドへ-倉吉 (2/2)

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凧工房


凧屋というのは見るのが初めてだった。 この倉吉の旧市街にいかにもふさわしい商売だ。 中に入って見ると、表に凧を並べているけれどその奥はカフェになっていてお茶を飲んだり名物の蕎麦を食べたりできるようになっていた。 凧だけで商売になるとは思えないのでそれで安心をする。 明らかにアーティストのオリジナルとわかるさまざまの形と色をした凧を眺めていると、御主人が現れてそこで話が始まった。 もともとは米子の出身だと言う。 彼の中学の話が出たので思い切って訊いてみた。 僕の父は昔その中学校に勤めていたのである。 すると彼は僕の父をよく覚えていて、教室で習字を習ったそうだった。 半世紀も昔の知らなかった父の生活の一面を、知らない町で知らない人から聞くのは、糸が切れて飛び去って行った凧が、舞い戻ってきて再び糸に繋がったような不思議な気がしていた。



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白壁倶楽部


明治時代の国立第三銀行倉吉支店が、ほとんど手を加えることなくそのまま洒落たレストラン・カフェになっている。
表(おもて)に表示されたメニューを読むと、今週の白壁ランチは

かぼちゃコロッケ
エビとイカのゆず風味
ナスと甘長とうがらしのアマチリマヨネーズ焼き

上の三つをたっぷりと一皿に盛って1,180円で限定20食だという。 三朝で優雅な朝食を摂った我々はまだ腹が減っていないので残念ながら見送るしかない。 それでもがらがらと音をたてて左右に開くドアを抜けて店に入って行ったのは、コーヒーを渇望していただけではなくて中を見たかったからだった。



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レストランの内部はなるほど銀行だった。 二階の手すりや電話室もそのままである。マスターが出てきてちゃんと保存されている裏の金庫室や二階の重役室に案内してくれる。 重役室の壁には古い柱時計が掛かっていた。 時計は現在の時刻を示していて、時はここでも止まってはいない事を思い出させられる。 店に流れている音楽はマイルス・デヴィスの “Kind of Blue” で僕は嬉しくなってにこにこしてしまう。 石臼で挽くというコーヒーを飲みながら思った。 もし僕がこの町に住んでいたら、ここにはしょっちゅう来るんだろうなあと。
店にはちゃんとピアノも置いてあって週末には音楽のライブをやるそうだ。 この町の、この店の雰囲気の中で僕が聞きたい音楽は何だろうか、と考える。 ジャズも悪くない。 だけどバロックもいいかもしれない。 でもやっぱりジャズかな。 それじゃいっそのこと両方をとって 《スウィングル・シンガーズ》 ならどうだろう。 田舎にしては少し洗練され過ぎているこの小さな町に、バッハの清涼なフーガが流れる。 まるで白壁土蔵に沿う玉川の流れのように・・・




(終)

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ワンダーランドへ-倉吉 (1/2)

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玉川沿い Ⅰ


三朝で僕が「日本」を食べて満足した明くる日は、すぐ隣り町の倉吉へちょっと寄って、それから米子へ帰ることになった。 ところが倉吉の旧市街で車を停めて歩きはじめたとたん、僕は初めて訪れるこの町にすっかり魅了されてしまった。 まるで人気のない森の中で着物姿の麗人に出くわしたように。 結局僕らは午後の大半をこの街を歩き回って過ごす事になった。
倉吉は白壁の土蔵群に沿って水路が巡らされた美しい小さな町だった。 商店の一軒一軒に古い歴史が感じられる。 昭和の、明治大正の、中には江戸時代から続く商家もあった。 旧街道沿いに二軒の靴屋が向かい合って実在しているのに驚いた。 どこの町でもデパートに客をとられてとっくに無くなってしまった商売である。 


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玉川沿い Ⅱ


旧市街は驚くほどきちんと整備されていて、隅々まで住民の(あるいは市の) こまやかな配慮が行き届いているのが分かる。 目に入るものすべてが昔のままに (あるいは昔よりも綺麗に) 保たれているので、一瞬映画のセットの中を歩いているような非現実感を覚える。 無数の鯉たちが泳ぐ玉川の水は澄んで勢いよく流れていた。 それを見ながら、僕は自分が育った米子の町を思い出していた。 同じ城下町でありながら、あそこの掘割はいつも暗い水が澱(よど)んでいたという記憶がある。
アメリカやヨーロッパで偉大なる大河を見慣れた僕の目には、玉川は川と呼ぶにはあまりにもか細い。 そして優しい。 そうか、こういうのを小川と呼ぶんだ、と変な発見に納得する。 最後に小川を見たのは思い出せないくらい昔の事だった。



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玉川沿い Ⅲ


この周りには幾つもの寺社があって、僕らはその一つ一つをゆっくりと訪ねる。 散歩をするのにちょうど良い距離である。 路上で行き交うのはほとんどがバスで乗り付ける観光客で、ここに住む人達はひっそりと家の中で暮らしているような気配があった。 
江戸から明治にかけて建てられた建築群は、時代を超えて生き延びてきたたくましさを内に秘めながら、ことさら観光客に媚びる事をしない。 僕はほっとするような居心地の良さを感じていた。 アメリカに帰って来たあとで今度の目くるめくような日本の旅を思い起こす中で、この静謐な倉吉の町で過ごした半日は、まるで時間の割れ目からスリップアウトしてアリスの不思議の国へ迷い込んだような気がする。
あの町はほんとうに存在するのだろうか?

(続)

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16ミリの世界

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そば亭 《不味庵》
松江市郊外


今日は僕としては珍しく写真の機材の話。
今回の日本旅行に持って行った新しいレンズは、Tokina AT-X Pro DX 11~16mm F2.8 Aspherical という恐ろしく長い名前の広角のズームだった。 旅行に出かける前にかなりの時間をかけてテストをしてみたら、 色調、コントラスト、解像度、ピントなど満足のいくものだった。 (僕はピント以外は大体そういう事にあまりうるさくない)
11~16ミリというのは35ミリ判に直すと16~24ミリとなる。 僕は長い間24ミリをほとんと標準レンズとして使っていたので、その焦点だと自分の眼の延長と言っていいくらいに居心地が良い。 ところがそれより広角というと20ミリしか持っていなくて、その20ミリはいつも持ち歩きながら使うことが非常に少なかった。 それが今いきなり16ミリの世界へ入ってしまった僕は、僅か4ミリの違いにすっかり魅せられてしまったようだった。 とにかく面白いレンズである。
16ミリでも画像の周辺に出る歪みは予想したよりずっと穏やかで、それは後でフォトショップで簡単に修正できる。 ニコンのファインダー内に縦横のグリッドを呼び出して、できるだけカメラを水平に構えたつもりだったが、それでもあとで見るとかなり傾いていた。 このくらいの超広角だと、カメラのアングルをほんの数センチ変えるだけで被写体の面と線が面白いように変わってしまう。 まったく予想のつかない変わりようだった。 しかも一歩横に動くだけで、まるきり違う世界が眼前に開けるのはまるで魔術を使っているような気がした。 肉眼で見る時とは思ってもみなかった世界がファインダーの中に広がるから、一枚一枚がチャレンジになり、だからそれぞれの写真を撮るのにかなりの時間が掛かる。 難しいけど面白かった。 いや、難しいから面白かったと言うべきか。
20ミリの世界」 を前に書いたけど、16ミリの味をしめてしまった今思うのは、20ミリが僕にはもともと中途半端な広角だったのかも知れない。

旅行から帰って1000枚近く撮った写真を現像してみると、(デジタルだけどRawのフォマットの編集を現像と呼ぶ) 驚いたことに半分近くを16ミリで撮っていた。

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十月のクイズの結果は・・・

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旧国立第三銀行倉吉支店


十月のクイズの答えは 『銀行』 なんだけど、9人の正解者のほとんどが 「国立第三銀行倉吉支店」 とまで完璧に答えてくれた。 伯耆の国、と書いたのがヒントになったのだろうか。
抽選の結果、当選は 「Akira」 さん。

Akira さん、おめでとう。
住所氏名を非公開コメントにして送ってください。
お好きな写真を指定することを忘れないように。
数日経ってもご返事のないばあいは棄権として次の方を選びます。

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