過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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September30

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Euro Snap

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驟雨のあと
Paris, France


"Euro Snap" の伝統はエクランさんから始まってサイケデリコさんに引き継がれた。 
こんな書き方をするといったいどこの国の人かと思うかもしれないけど、お二人ともれっきとした日本人である。 しかも写真の世界に生きる人たちだ。 四年ぐらい前だったと思う。 僕がエクランさんのブログ "Euro Snap" を見てから病みつきになり、そこからさらにサイケデリコさんに行き着いた。 サイケデリコさん(通称デリコさん)とは僕の昨年の帰国で横浜で会うことができて、そのことはブログにも書いた。 関西にお住まいのエクランさんにはまだお会いしてないが、彼らのサークルでは「先生」と呼ばれているのは彼の位置が自然とわかろうというものである。

そのエクランさんと、最近三ヶ月のヨーロッパ旅行から帰ったばかりのデリコさんが会って飲んだ時に、いっしょに "Euro Snap" をやろうよ、ということになったらしい。 その時に僕の話が出たそうだ。 たぶん 「あの男にも声をかけてやらないと、アメリカに置き忘れられてちょっと最近いじけているようだからかわいそうだよ」 ということなのかどうかは知らないけれど、とにかくそういうことで声をかけていただいて、僕は子供のように喜んで一も二もなくOKをしたのは言うまでもない。 われわれ三人が三人三様に心の中に持つそれぞれの「ヨーロッパ」がお互いに重なる部分が多いんじゃないか、と僕は前から勝手に思っていたので、突然舞い込んだこの三人展の企画は思いがけない夢を僕に与えてくれた。

場所は東京ということ以外、期日などいっさいがまだまったくの未知数だが、「やろう」ということだけは確定している。 その時はブログの読者の方達と会えるチャンスかもしれない、と思うだけでも楽しい。 エクランさんの "Euro Snap" やデリコさんの "FOTO CYCHEDELICO" で見るヨーロッパの豊穣な映像群にはただ圧倒されるだけの僕なのだが、チャレンジしてみたいという強い気持ちだけは持っている。


  
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何かが狂ってるような・・


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窓の外
Oakwood, Ohio USA


今朝起きて、仕事部屋のヴェネチアン・ブラインドを開けたら、窓の外を白いものがちらちらしている。 一瞬、雪かなと思ったら、それは隣家の柳の満開の花が風に散っているのだった。 考えてみると雪なんか降るわけがなかった。 なにしろここ一週間は暖かい日が続いて気温が20度以上に上がり、きのうの昼間は28度もあったのだ。 そしてその前の週は氷点下10度の日が続いていたのだから、これは何かが狂ってしまったのじゃないか、と誰もが考えるのも当然のことだった。 隣家の柳も今週になってあっという間に一晩で花を咲かせてしまった。 
冬が終われば少しずつ暖かくなって春に近づくという自然の法則は完全に無視されて、まるでスイッチを切り換えるようにいきなり季節が変わってしまった。 異常だ、異変だ、と大人(おとな)は騒いでいるし、子供たちはそんなことにお構いなくまるで半裸にちかい格好で街を歩いている。 

春になると僕の日常に二つの日課が加わる。 バイクとテニス。 テニスは2年前に訳があってクラブをやめてからはインドアでできなくなったので冬の間はお休みだった。 もうやりたくてうずうずしているのに、仕事が忙しい息子が今年はなかなか相手にしてくれない。 
バイクの方は暖かくなったとたんに引っ張り出してクモの巣を払い、タイヤに空気を入れてさっそく街へ漕ぎ出した。 バスケットにはラップトップが突っこんであって、行く先はスターバックスを素通りしてそれよりずっと遠くのパネラへ。 
以前はカフェに行くたびにそこでラップトップと睨みあいしている人たちを見て不思議でしょうがなかった。 なぜ彼らはわざわざここに来てまで騒音に囲まれながら仕事や勉強をするのだろうと。 
その理由が自分もラップトップを手に入れて同じことをするようになってわかった。 仕事がすごくはかどるのだ。 なぜなのか理由が今ひとつわからない。 自分の部屋のデスクトップのコンピューターと向かい合う孤独な作業とちがって、カフェで人に囲まれていると、社会とつながっている気がしてなんとなく安心するのだろうか。 でもそれで仕事がはかどるというのがなぜなのか? 
まあ、そんなことはどうでもいいや。 


テロリストたちはインターネットの利用にかけては実に非凡だ。
われわれは今後インターネット・カフェを捜査のターゲットにするようになるだろう。
テロリストたちがこれらのカフェを使うことが判明している。
そこではまわりの誰にも絶対に怪しまれることがないからだ。
Nicolas Sarkozy


 
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三月のクイズの結果は



水天宮 火風神社
東京都日本橋蛎殻町


今月のクイズは難しいかなと思っていたら7人の解答があってその全員が正解だった。 (水天宮とだけ答えた人も正解とした)
抽選の結果 「Toshio Nakao」 さんが当選です。 彼はアメリカにお住まいの方なんだけど、お嬢さんがこの神社のすぐ近くに住んでおられたそうだから懐かしい場所であったにちがいない。 

Toshio Nakao さん、おめでとう。
住所氏名を非公開コメントにして送ってください。
お好きな写真を指定することを忘れないように。
数日経ってもご返事のないばあいは棄権として次の方を選びます。


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群集劇を探してみよう

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母と子
Piazza Maggiore, Bologna, Italy


英語にジャクスタポジション(juxtaposition) という語がある。 「並置」とか「並列」とかの意味なんだけど、フォトグラファーたちがこの言葉を使うときはもう少し深い意味があるようだ。 つまり、ある場面にいくつかの被写体が共存していて、それぞれが現実世界では互いに無関係でありながら、それを切り取るフォトグラファーによって何らかの意味を持ちはじめて、幾何学的な小世界を創り上げている時にこの言葉が使われる。 一つの画面の中に一つ以上の物語があると考えてもいいだろう。 これは映画の世界ではよく使われる手法で、日本語で言う「群集劇」がそれに近いかもしれない。

しかし映画と違って演出のない写真の世界ではこれがなかなか難しい。 偶然に頼ることが多いし、たまたまラッキーにもそんな情景に出会ったときに、瞬間的にそれをカメラに捕らえる準備がなくては、カルティエ・ブレソンの言った「決定的瞬間」は永久に失われてしまう。 でもそうした写真をものにしたときの興奮と満足は何と比較したらいいのだろう?  カフェで遠くに座っている魅力的な女性をうっとりと眺めていたら、こちらを向いてにっこりと笑ってくれた時の嬉しさに近いかな。

以前にブログに載せた写真を見返してみると、その類のショットがけっこうあったので幾つかを書き抜いてみた。

帽子
これはよく覚えていないけど、メインの被写体は明らかに三人のストリート・アーティストだから二人の日本女性はたまたまそこへ立っていたような気がする。 それとも「帽子」のジャクスタポジションが無意識に働いてシャッターを切ったのかもしれない。
横顔
何かが起こりそうな予感がして辛抱強く待っていると何かが起こることがある、という一例。
異邦人たち
乗り換えの空港のベンチに座ってうとうとしていて目が覚めたら、目の前にこの風景があった。 ラッキーとしか言いようがない。
三人の女
目の前の女性と壁際の女性を見て、もう一つ何かが欲しいと思ったところへ店のオーナーが歩いてきたのでやみくもに3枚だけ撮るチャンスがあった。 コメントに映画のワンシーンのようだと「ばけねこ」さんが書いているのは、彼女はここに「群集劇」を見たのだろう。
ピクニック
人が集まる場所では目を光らせていればいろいろなハプニングがある。 パーティや旅行などで人が撮ったスナップショットを見せてもらうと、そういう群集劇が撮った本人も気づかないで記録されていることがある。 

読者の皆さんもそういう目で以前のスナップショットを見直してごらん。 すばらしい群集劇を発見するかもしれない。 そのとたんにその写真がまったく違った意味を持ってくる事は間違いありません。



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ヴェネツィアの舟歌

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白いボート
Venice, Italy


チャイコフスキーのピアノ作品に『季節』と呼ばれる一連のピアノ曲がある。 1月から12月までそれぞれに小題が付いた12曲は一曲一曲がユニークで、ロシアの農民たちの生活がまざまざと浮かび上がってくるような、実に愛らしい小品集だ。 チャイコフスキーがピアノ協奏曲やバレーの大曲を書くあいまに、構えないであっさりと書き流したこの小品集は、作家でいうなら長編小説のかたわらに書いた詩か随筆のような味がある。 技巧的には難しいものではないから、ピアノを習い始めた子供たちがよく弾いている。
『ヴェネツィアの舟歌』 ならメンデルスゾーンにポピュラーなピアノ曲があるけれど、僕はこの土着の匂いがするチャイコフスキーのほうが好きだ。 

ヴェネツィアの明け方、まだ眠りから覚めない町を運河に沿って歩きながら、僕の胸にはこの舟歌の旋律が流れていた。


Tchaikovsky "舟歌"
Igor Zhukov (Piano)



興味のある人のためにこの12曲を挙げておきます。 クリックしてYouTubeへ。

1月 『炉端で
2月 『カーニバル
3月 『ひばりの歌
4月 『待つ雪草
5月 『星明りの夜
6月 『舟歌』
7月 『刈り入れの歌
8月 『収穫期
9月 『狩り
10月 『秋の歌
11月 『トロイカ
12月 『クリスマス



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三月のクイズ

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アメリカから東京に帰る度に、あちこちの友人たちが声をかけてくれるので泊まるところには困らない。 といっても自分一人なら遠慮なく厄介になることにしているけれど、家族連れの時はそうもいかなかった。 そんな時に使うホテルが長い間にいつのまにか決まってしまった。 都内にあるそのホテルは道を挟んだ向かいにバスのターミナルがあって、成田空港からまっすぐそこへ着くのですごく便利なのである。 以前は飛行機の搭乗券の発券や荷物のチェックインまでホテル内でできたのでもっと便利だったのが、今はもうそれをやっていない。 テロ対策のためだそうだ。

ある時、そのホテルの界隈をぶらぶら歩いていてこの神社の前を通りかかった。 田舎者の僕でさえも名前を知っている神社だった。 ホテルからすぐのところの同じ道筋にあって、人通りの多い表通りに面している。 前を通る東京人たちは神社には目もくれず足早に歩いていた。 雑踏を離れて、あまり広くはないこの境内に入ってみると、そこには忘れられたようにひっそりとして静かな空間があった。
これは何と呼ばれる神社だろう?

というのが今月のクイズです。

正解者の中から1名を抽選で選び、僕のブログ上のどれでもお好きな写真を差しあげます。 
8インチX10インチのマット付きのプリントを世界中どこへでも送ります。
締め切りは今日から1週間。
答えは非公開コメントにして下さい。

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好奇心について

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好奇心
Somerville, Massachusetts USA


幼い子供の好奇心ほど旺盛なものはない。 子供を持ったことのある親なら誰でも経験することだろう。 僕の二人の子供たちも、ことあるごとに "What's that?" を一日中繰り返すのはうるさいほどだった。 子供にとっては目に入るものすべてが目新しく、そのフォマットされたばかりのハードディスクのような純真無垢な脳に、次々と新しい知識を蓄積してゆく。 そしてしばらくして "What's that?" がだんだん聞かれなくなると、そのあとは知識の取捨選択を自分で判断するのだろう。

歳を経るにしたがって好奇心は少しづつ減っていくようだ。 他の人たちは知らないけど僕自身はそうだった。 中年の頃までには何を見ても聞いてもあまり感激するということがなくなり、新しいものへの好奇心も影を潜めてしまう。 皮肉なことに、新しい情報を取り入れるのに現在ほど便利な時代はない。 以前なら本屋を漁ったり図書館へ出かけて時間をかけて調べなければならなかった知識が、今はインターネットで即座に手に入る。 我々から見ればすばらしいことだけど、新しい世代の人たちにとっては当たり前のことだから、あまりありがたいとも思わないかもしれない。

僕の脳のハードディスクもすっかり老巧化してしまい、あとどのくらいもってくれるのか。 
肉体がその存在を停めるときに脳も死んでしまうのはいいけれど、身体が生きているのに脳が先に死んでしまうというのは、実に恐ろしいことだと思う。

これからは、"What's that?" をできるだけ繰り返しながら生きてゆきたいと思っている。

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出雲の城、紀伊の城

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松江城
島根県松江市


松江は僕の好きな町だ。 僕の住んでいた鳥取県の米子市からは、県境を越えて島根県に入るとすぐのところにあるから、子供のころからよく行った。 山陰の大阪と呼ばれてガサガサと賑やかな商業都市の米子の町に比べると、松江はおっとりとして静かな情緒があり、なんとなくロマンチックな町だった。 高校のころガールフレンドといっしょに汽車に乗って松江まで遊びに行くのは、人目を忍ぶ逃避行のようなスリルがあったのを覚えている。 なかでも松江城のある場所は公園になっていてそこは桜の名所でもあったから、学校の遠足とか家族ぐるみで花見に何度も行っている。

城といえば、つい最近は和歌山城に行った。 和歌山城は徳川御三家のひとつだったから、城としての規模は松江城とは比べものにならないほど大きい。 しかし何となく感動が薄かったのは城全体が鉄筋コンクリートで復元されているせいかもしれなかった。 あとで調べてみると和歌山城ほど不運に見舞われた城もなかったようだ。 建立されたのは松江城とそんなに変わらない1600年前後なのに、何度も失火を出したりおまけに雷が落ちたりして、そのたびにあちこちが焼けたようだ。 しかも終戦直前には米軍による和歌山大空襲で城は全焼してしまった。 現在の和歌山城は1958年に完全復興されている。

そこへいくと、松江城は建立以来一度も火事が無く空襲にもあわなかったから、建てられた時と変わらないままに400年のあいだ、眼下に宍道湖を見下ろすこの高台にひっそりと建っている。 城の内部に入って、薄暗い中に黒光りする急階段を登ると、過去の侍たちの亡霊がそこここに潜んでいそうな不気味な雰囲気がある。 そして大きく開け放された天守閣からは、美しい松江の町が見渡せた。
僕が日本に帰るたびに、そして山陰の郷里に帰るたびに、ラフカディオ・ハーン (小泉八雲) もあれほど愛したこの町を見ることなしに日本を離れることはまずなかった。


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死ぬ時に思うこと

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悔悟
Dayton, Ohio USA


自分が死ぬ時に何を思っているか、なんて若い時には考えたことがあったのだろうか。 あっったとしても、それはまったく実感の伴わない夢のような予想であったにちがいない。 それが歳をとるにしたがって、死ぬことが避けられない事実としてかなり近くまで来ていることを感じるようになった。 死を恐れるという気持ちはあまりない代わりに、やりたかったことを思う存分やらないで死ぬのは、それこそ死んでも死にきれないほどの悔しさだと思うようになった。
先日あるブログで興味のある記事にぶつかったので書き抜いてみた。

オーストラリアに住む看護婦のブロニー・ウェアさんの仕事は、余命いくばくもない末期患者の世話をすることだった。 長いあいだその仕事を続けているうちに、死に近い人たちが自分の一生を振り返って何を思い何を後悔するかがしだいにわかるようになったと言う。 僕自身も最近義父を失くしたばかりで、その義父が最後の数週間を過ごしたホスピスで、患者たちの世話をする人たちを何度も見た。 彼らの仕事は医療的なケアはもちろんのこと、患者の精神面での支えとなることが何よりも大切であるように見えた。
そういう看護婦の一人であるウェアさんが、数週間以内に確実に死んでゆく人が何を後悔するのか、もっとも多い順に彼女は5つ挙げている。

1、「周りが期待する自分ではなくて、ほんとうに自分のための人生を送る勇気があったらよかった」

2.「あんなに懸命に働かなければよかった」

3.「もっと自分のほんとうの気持ちを表す勇気があればよかった」

4、「友達とお互いの交信をずっと続けていればよかった」

5.「もっと自分の幸せを考えてやればよかった」


この5つはそれぞれ微妙に繋がっていても、根底で一つのことしか言ってないように僕には思えた。 そしてそれは(5)の 「もっと自分の幸せを考えてやればよかった」 という言葉に凝縮されているようだ。

自分が死ぬ時に何を思うか、今の自分には想像もつかない。
でも、外は嵐が吹き荒(すさ)ぶこの夜に、ジョン・コルトレーンのソプラノサックスを静かに聴く時の感動は、なんとなく自分が死ぬ時の気持ちにすごく近いような気がする。
コルトレーンはこのレコーディングのあと数年して41歳の若さで死んだ。



知らなかったよ 《I wish I knew》
John Coltrane





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夢占い

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深層心理学
Newbury Street, Boston


空を飛ぶ夢を見るのは性的欲求不満の表われだと言ったのは、フロイドだったのかユングだったのか、あるいはそんなことを言った人はいなかったのか、確かじゃない。
僕は鳥のように羽ばたいて空を飛んだり、グライダーのように悠々と滑空する夢は見た覚えがないけど、長い距離を跳躍する夢はしょっちゅう見る。 つまり 「飛ぶ」 のではなくて 「跳ぶ」 夢なのである。 だから必ず離陸地点と着地点がある。 片足に力を入れてエイッと思いきり跳ぶと、身体がふわふわと浮いて向かいの家の屋根を越え、その先にある公園も越えてそれから徐々に下降していく。 跳び上がる時には着地点がどこなのか自分には見えないから、下降していく時になって初めてその場所が眼下に見えてくる。 その着地点があまり自分の降りたくないとか、降りるのに好ましくない場合がある。 たとえばどこかの家の屋根だとか、交通の激しいハイウェイだとか、島と島のあいだの大洋だとかである。 おもしろいのはそういう時に、ちょうど陸上の三段跳びの要領で両脚を何度か前後に掻いて空を蹴ると、着地点をどんどん先に伸ばすことができるのだ。 しかしいつかは着地しなければならない。 すでに地面にあまりにも近くなり過ぎていて、もうだめだろうと思う時でさえ、両脚で足掻(あが)くことでその先の自分の好きなところへ着地することができた。
僕はこの夢を何度も何度も見る。 ただ、違うのはその跳躍の場所が、大都会であったり無人島であったり、ある時は地図の上であったりすることだ。

何度もくり返しくり返し見る夢は意味を持つ、と聞いたことがある。
夢占いに詳しい人がいたら、どうか僕の夢を解釈してください。



ただ跳ぶんだ。
そうすれば
落下する時にどうやれば自分の羽を広げることができるかがわかるだろう。
Ray Bradbury



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二月のクイズの結果は・・・

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猪(イノシシ)の罠
島根県松江市東出雲町


ずばり「イノシシ」と答えてくれた方は6人でした。
友人の陶芸家、まあちゃん(石田允弘氏) が窯を構える出雲の谷あいの村では、イノシシが掛かると長老から小僧っ子まで村中の男たちが集まって、青年団の寄り合い場所での大宴会になる。 かどうかは知らないけれど、イノシシは「山鯨」と呼ばれたこともあるくらいで、食感は鯨に似ているという。 豚の先祖だから不味くはないはずだ。 残念ながら僕は食べた事がないけど。
抽選の結果、当選者は「Masa」さんという結果になった。

Masaさん、おめでとう。
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