過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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September30

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桜も散り、復活祭も過ぎて・・・

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移動祝祭日
Dayton, Ohio USA


イースター(復活祭)もいつか過ぎてもう五月になろうとしている。 
最近、異常な速さで時が過ぎていくように感じられて唖然としてしまうことがある。 そんなに忙しくしているわけでもないのに一日が何ということもなくさっと終わってしまい、気がつくと一週間が過ぎている。 そしてうかうかしているうちにいつのまにか月が変わる。 そして知らない間に歳をとっていく。 まるで、回転する車輪がどんどん加速度を増し続けて、いつか壊れてしまうまでは止まることもないような状態に似ている。 いったいどうなるのだろう、こんなので大丈夫かなと怖くなってしまう。

子供の頃はこんなのじゃなかったような気がする。 一日という時間が果てしなく長くて、その長い一日に新しい知識や初めての経験がぎゅうぎゅうに詰まっていた。 高校生の時でさえ毎朝わくわくした気分で目を覚ましたような記憶があるが、ほんとうにそうだったのかどうかの自信はない。 あまりにも遠い昔のことだから。
しかし四十歳になった時に思ったことははっきりと覚えている。 その頃僕はすでに家庭を持って最初の子供も生まれていた。 生活は楽ではなくて僕は懸命に働いていたけれど、一家のリーダーとしての自覚と誇りのようなものがあってそれなりに充実していたと思う。 それが四十歳になった時にいきなり僕の頭を打ったのは、夫や父親としての自分ではなく、僕というひとりの人間としての「生きざま」はこれからどうなるのだろう、ということだった。 人生の半分がすでに終わってしまった、という動かせない事実。 これからは分刻みに時が過ぎていくだろうという恐怖感。 うかうかしてはおられないという焦燥感。 それと同時に、何かを見つけようという漠然とした希望のようなものもあったようだ。

その四十歳も今では昔のことになってしまった。 あの時の自分と現在の自分を並べてみる時に、僕は一種の苦痛を感じないではいられない。 
いろいろなことがあって、いろいろなことが終わってしまった。 辛いこともあったけど、その大半は楽しい良い思い出に満ちているというのに、はたして自分自身はどうなったのか? 四十歳のあの時の自分とどれほど変わっているというのだろう?
あの時に感じたこと、それと同じことを今も感じているとしたら、僕のこの人生はいったい何だったのだろう?


人にとって真実の人生とは
その人が送ったことのない人生であることが多い。
Oscar Wild



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四月のクイズの結果は

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「そんなのずるいよ」
Cambridge, Massachusetts USA


今月のクイズは応募の皆さん全員が正解という結果になったけど、応募数が少なかったのはやはり日本ではそれほど普及していないゲームなのだろう。
このゲームはイタリア語でボッチェ(bocce)、あるいは複数形でボッチャ(boccia)と呼ばれる。
よく似たゲームにペタンク(petanque)があるが、ボッチャとペタンクは双子の兄弟のようなもので、もとはといえばギリシャあたりで発祥した遊びが古代ローマ帝国に持ち込まれた。 そしてヨーロッパを制覇したローマ帝国があちこちにこのゲームを落として行って、それがフランスでペタンクとして発展したようだ。 当然ながらボッチャとペタンクは器具もルールも類似していて、プレイしているのを見ただけではどちらのゲームなのかわからない場合が多い。 だからフランスでならペタンク、それ以外の国ならボッチャ、と考えてもいいのかもしれない。

アメリカでもガーデン・ゲームとしてたいていの一般家庭では一式を揃えていてボッチャと呼んでいるのは、昔イタリアの移民たちがアメリカに持ち込んだからだ。 しかしスポーツ用品店でペタンクとして売られているのを見たことがあるので、この二つはやはり共存しているのだろう。

それからもう一つクロケット(croquet)と呼ばれるボールゲームがある。 これは柄の長い木槌でボールを打って小さなゲートをくぐらせるゲームで、これもヨーロッパで生まれた古いローンゲームで日本ではゲートボールと呼ばれている。 ボッチャもペタンクもクロケット(ゲートボール)も、ヨーロッパや日本ではもっぱら老人の遊びというレッテルを貼られているようだが、アメリカではまったく様相が違う。 子供から大人まで誰もが楽しめる家族ゲームということになっている。

抽選の結果は「川越」さんが当選となった。
「川越」さん、おめでとう。 長い忍耐の期間でしたね。(笑)
住所氏名を非公開コメントにして送ってください。
お好きな写真を指定することを忘れないように。
数日経ってもご返事のないばあいは棄権として次の方を選びます。

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花便り

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少女のように


『花便り』 なんて風流人を気取ってかっこいいタイトルを付けたけど、花音痴の僕にこれほどふさわしくない言葉もない。 なにしろ自慢じゃないけど僕が見てすぐに判別できる花といえば、チューリップと菊と薔薇ぐらいしかない。 あ、それから向日葵も。
先日もこのブログで隣家のしだれ柳の花が満開だと書いて写真を載せたら、それは柳ではなくてしだれ桜ですよ、と読者の方に注意された。 そのくらい僕の花音痴は酷いのである。 

そのしだれ桜も、暗い部屋の中が明るくなるほどの花を満開させたと思ったら、ある日強い風が吹いてあっというまに散ってしまった。 そのあと、また気温が26度にも上がっていきなり夏が来たような日がしばらく続いた。 僕はしかたなくガラージから芝刈り機をひっぱりだして今年になって初めての芝刈りをする。 そして冬のあいだはうち捨てられていた我が家の庭にも、今年もまたあちこちに草木が花を咲かせているのに気がついた。 僕には花の名はもちろんわからないから、あらためて我がGreen Eyesに確かめながら、列記してみよう。

・ ライラック
・ チューリップ
・ ラヴェンダー
・ Trillium (延齢草)
・ Violet (すみれ)
・ Daisy (ひなぎく)
・ すずらん
・ Mock Orange (ユキノシタ?)
・ Dogwood (ハナミヅキ)

そんなに広くない我が家の庭にもこれだけの花があったことにあらためて驚いた。 そしてラヴェンダー以外はみなそれぞれに愛らしい花を咲かせていた。 ラヴェンダーが咲くのはもう少し先だそうだ。
花の名を知らないからといって、その美しさを愛(め)でるのには何の支障もないし、花便りだってちゃんと書けるのです。


大きく拡大した花の絵を描こうと私が決めたのは
そうすれば人は花の美しさを無視できないだろう
と思ったからなの。
Georgia O'Keeffe




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四月のクイズ

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「そんなのずるいよ」
Cambridge, Massachusetts USA


僕の子供たちは二人ともボストンで生まれて、姉が9歳、弟が6歳の時に一家が中西部へと移るまでは、幼馴染みの友達がたくさんいた。 この写真の真ん中にいる金髪のジュリアもそのひとりで、子供たちが生まれる前から親同士が仲が良かったから、ジュリアの二人の弟も含めてこの子達は毎週のようにいっしょに遊んだ。 
成人したジュリアは今ではロンドンで暮らしているし、われわれ親同士も遠く離れていながら昔と変わらない交友が続いている。

この日も子供たちは友人の家の庭で喧嘩しながら仲良くゲームをしていた。 マヤが手にしている木製の重いボールを転がして遊ぶこのイタリア生まれのゲームは、世界中にすごく普及していて、ヨーロッパの公園で老人たちがやっているのをよく目にしたが、日本ではどうなのだろうか。

ところで、これは何と呼ばれるゲームだろう?
というのが今月のクイズです。

正解者の中から1名を抽選で選び、僕のブログ上のどれでもお好きな写真を差しあげます。 
8インチX10インチのマット付きのプリントを世界中どこへでも送ります。
締め切りは今日から1週間。
答えは非公開コメントにして下さい


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変なニホンジン

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篆書(てんしょ)
東京国立博物館


博物館で篆書(てんしょ)の字体を見ていたら実に興味が尽きなくて長いあいだ見とれてしまった。 書道に何の知識もない僕から見ても、日本人にお馴染みの楷書、行書、草書と違って、篆書は字が幾何学的に左右見事なバランスを持っていて、その直線の中で斜線や曲線が実に巧妙なアクセントを与えている。 しかも行書や草書のように一気に筆で書き流した、という感じがなくて一字一字が丹念に、まるで絵を描くように完成されている。 この字体は古代の甲骨文から変わってきたのは明らかで、僕に意味のわかる字は少ないのに、じっと見ているとそれがやがて何かの現実の形に見えてきて様々な空想が働くのは楽しいことだった。 書とは字であると同時に絵でもあるのだろう。 草書が抽象画とするなら、篆書は細密な具象画といえるだろうか。 

ところで僕は漢字がまったく書けなくなってしまった。 長いあいだアメリカで暮らすうちに、本などで日本語を読むことはいつもしていたのに、日本字を書くということがほとんどなくなってしまっていた。 そんなところへワートプロセッサなるものが登場してやがてそれはコンピューターへと変わっていったので、そのおかげで「手で字を書く」という機能が僕のなかで完全に絶滅してしまった。 
もともと僕は昔から悪筆で、大学のクラスで自分が書いたノートをあとで読んでも、書いた自分でもほとんど読めないくらい酷かった。 ラブレターを書いても色よい返事をもらった覚えがないのはそのせいだと思っている。 だから愛の告白はいつも相手の女性に面と向かって、口頭で直接するようになったのは実はそれが理由なのです。 

アメリカでの仕事は日本人が相手だったから、日本語はいつも使っていて、話し方を忘れるということはなかったようだ。 日本語を書くほうも、手紙やメールなどコンピューターでの「ひらかな」インプットに漢字変換で簡単にしかも素早く日本語が書けるから、ふだんはそれで十分に用がたっている。 どうしても手で書かなくてはならない場合、たとえば会議などでメモを取るときなど、それが日本語の会議であっても僕は無意識のうちに英語で書いているようだ。 そのほうがずっと速いから。 

ただ困るのは、たまに日本へ帰って、誰かに置手紙をしたり、友人たちと寄せ書きをする時などに恥ずかしい思いをすることになる。 実に変なニホンジンになってしまった。


女にとって香水は、彼女の筆跡以上にそのひとのことを語るものなのです。
Christian Dior




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今日もまた妄想の旅へ出よう

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糸杉のある風景
Vaison la Romaine, France


 ふらんすへ行きたしと思へども
 ふらんすはあまりに遠し
 せめては新しき背広をきて
 きままなる旅にいでてみん
 汽車が山道をゆくとき
 みづいろの窓によりかかりて
 われひとりうれしきことをおもはむ
 五月の朝のしののめ
 うら若草のもえいづる心まかせに
萩原朔太郎




エリック・サティ



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Buon giorno!

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斜塔の下で
Bologna, Italy


最近またイタリア語を始めた。 数年前二度目にイタリアに行く予定をたてた時、10ヶ月ほどかけてかなり入れ込んでイタリア語を勉強した。 そのおかげでフランスほど英語の通じないイタリアでは、僕の稚拙なイタリア語がけっこう同行者たちに重宝がられた。 ところがいったん旅行から帰ってくるともうイタリア語を話すチャンスもなくて、そのまま錆びついてしまっていた。 そのことが口惜しくて、ある日ふと思いついて書棚からピムズラーの32枚のCDを取り出して、また最初からやり始めたのだった。
いざ始めてみると、語彙など忘れている部分が多いのにもかかわらず、聴きとるほうが前よりもずっと楽になっているので、それだけ身に付いていたのだろうとちょと気をよくした。

再びイタリア語を始めて改めて強く感じたのは、なんという簡潔な言語だろう、ということだった。 たとえば 「俺、ランチを食べに行くよ」 と言うのは英語だと "I am going to have a lunch" と7語になるのに、イタリア語では "Pranzo" と1語ですんでしまうのは実に小気味がいいほど簡潔だ。 主語が絶対に省略されることのない英語と違って、イタリア語は主語を言うかわりに動詞で人称がわかるし、英語のようにすみからすみまで理論的に表現しないところは、日本語と似ているところがある。 そのうえ発音だって徹底してメリハリが利いているからわかりやすい。 まったく僕向きの言語だと言える。

前回の旅でボローニャにお住まいの Yspringmind さんに会った時に、僕のイタリア語はセンスが良いと褒められたのはお世辞だろうと思うけど嬉しかった。 そういえば彼女と知り合ったのはボローニャの情報を探していて彼女の 「ボローニャに暮らす」 というブログに行き着いたんだけど、そのおかげで自分もブログを始めるなんていう結果になってしまった。 
今でも彼女のブログを読むたびに、ああもう一度行きたい、とたまらなく恋焦がれてそれが今回イタリア語をまたやりなおす動機になったようだ。
ボローニャに暮らす」 はイタリアに住む一日本女性が日々の暮らしを素敵な写真と味わいのある文章で淡々と綴るすばらしいブログです。


神と話をするときはスペイン語
女性にはイタリア語
男性にはフランス語
そして
馬と話すときにはドイツ語を私は使う。
Charles V


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世代が変わろうとしている

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若者たちの世界
Holly Avenue, Dayton, Ohio USA


今朝早々に電話が鳴った。 妻の伯母のヘレンが今日の未明に亡くなったという知らせだった。 94歳だったそうだ。 僕にとってはそれほど親しい人ではなくて年に一度か二度だけ一族の集まりで顔を見るだけだったが、会うたびにいつも僕に優しい言葉をかけてくれるひとだった。 この巨大な家族体系の中では僕がいっしょにいて居心地の良さを感じる数少ない親類の一人だったといっていい。 思い出してみるとこの数年で僕は何度親類や知人の葬式に出たことだろう。 一昨年に夫を亡くした義母はその前から次々と兄弟を失ってきている。 
家族だけではなくてテレビを見ていても、最近は著名人の死がことさら多く報道されるようになったと思うのは、気のせいだろうか。 世代の交代が着実に進行している感が強い。 人生という芝居の舞台で、老役者が次々と姿を消していくことで、舞台を若い役者たちに譲るのが自然の摂理なのだろう。

若い役者たちといえば・・・
僕には15人の甥や姪がいる。 義母かれみれば僕らの二人の子供を入れて17人の孫たちがいるわけで、最年長が32歳、最年少は12歳である。 そのなかのひとりキャサリンが来月結婚式を挙げることになっている。 孫たちの中では最初の結婚ということになる。 一族としては葬式ばかりが続いたあとに久しぶりの結婚式だ。 これからは、こういうぐあいにして葬式と結婚式が交互に繰りかえされていくことになるのだろう。
上の写真で一人だけカメラを見ている子がそのキャサリンで、この時はまだ高校生だったのに。
 
親類の中で僕がいちばん親しくしていたのはたぶん伯母のジェーンだろう。 彼女も数年前に逝ってしまったけど、歳が30も離れていながら僕とはまるで「女友達」のようにすごく気が合っていた。 ジェーンのことは以前に 『伯母ジェーン』 に書いている。



人生において死は最大の損失ではないんだよ。
最大の損失とは
生きているあいだに僕らの内部で死んでしまうもののことなんだ。
Norman Cousins



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巴里のデカダンス

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女の館
Paris, France

このキャバレーは前を通りかかっただけで中には入らなかったが、名前だけは知っていた。 服装倒錯者(transvestite) だけのショウを見せるこの有名な店は1950年代からずっと続いていて、パリでは一番大きなナイトクラブとなっている。 
僕の覚えている60年代の東京にも、このてのクラブやバーがたくさんあったが現在はどうなのだろう? そのころは芸能界にも丸山明宏やピーターたちがいて、僕はステージでいっしょに仕事をしたこともあった。 そういえば今思い出したのは、数年前妻を連れて東京に帰って僕が大学の同期会に出た夜、友人のS夫妻が妻のお守りをしてくれて連れて行ってくれたのが、女装した男性だけの豪華なショウだったらしいが、そこの名前を忘れてしまった。 ということは現在の日本にもこのパリのキャバレーのような場所があるということだ。
19世紀末のヨーロッパを支配した退廃的、虚無的、唯美的な風潮が大都会に今でも残っているのは、たんなるノスタルジアなのだろうか、それとも行き詰めた文明が必然的に産み出すものなのだろうか。


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大いなる西部

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天と地と会うところ
Interstates 70, Utah USA


「車で大陸横断をやりませんか?」
と言われ時に僕はすぐその気になってしまった。もう10年以上前の話である。長年アメリカに住みながらいつかはやってみたいと思っていたことだった。誘ってくれたのはケンタッキー州で日系企業を営む若社長のKさんだった。ずっと以前に雑談の中で、いつか車でクロス カントリーをやってみたいと僕が言ったのをちゃんと覚えていてくれたのだ。彼が言うには、ケンタッキーの彼の工場で使っている小型トラックを、第2工場のあるアリゾナ州まで運んで行く必要が出てきたそうだ。普通ならもちろん業者に陸送を頼めば済むことなんだけれど、大陸横断をしてみたいという気持ちがKさん自身にもあったから、それで僕のことを思い出したらしい。

出発地点はケンタッキー州の Bardstown。最終到着地点はアリゾナ州の Kingman という町だった。全行程の走行距離は約3000キロになる。日本でいえばちょうど本州の青森市と下関市のあいだを1往復する距離である。ただし僕はその最終地点に着く少し手前のネヴァダ州のラス・ヴェガスで彼と別れることになっていた。実は僕にとってこの旅行のもう一つの目的は、ヴェガスに住んでいる幼なじみのY子さんに会うことだったのだ。彼女の家で数日を過ごしたあと、飛行機でオハイオ州まで帰ってくる、というのが計画だった。

北米の地図を見るとすぐわかるが、ケンタッキーからアリゾナまではどこまでもどこまでも西へ西へと進んで行くことになる。朝早く Bardstown を出発して最初の2日間は食事と宿泊以外は休むことなく走り続けた。ハイウェイを制限速度を少し越える程度のスピードで飛ばしていたが、周りは別に取りたてて珍しくも面白くもない風景が延々と続いてすぐに飽きてしまった。それで当然のようにKさんと僕の間でいろいろな話題が出た。人とお互いによく知り合うには長距離の自動車旅行ほどうってつけのものはない。2日目の終わりまでには、われわれ二人はお互いの幼少年時代のことから家族のこと、音楽の趣味や食べ物の好みまですっかり話し合って、まるで旧知のような気のおけない間柄になっていた。 

3日目になってコロラド州に入るころに、見飽きた風景が少しずつ変わり始めて、ユタ州に入るとまるで芝居の舞台を反転したような違った世界が目の前に開けてきた。今まで見たことのない、息を呑むような雄大なパノラマにわれわれは会話を中断して見とれた。アメリカという国の広大さをいまさら実感しないわけにはいかなかった。

ラス・ヴェガスのY子さんの家を訪ねて懐かしい顔を見た時、僕は言う言葉が無かった。中学を出てから初めて会うので実に40年ぶりの再会である。昔のようにお互いをチャンづけで呼びながら子供にかえって、40年の空白をゆっくりと埋めていった。御主人のジョンさんも仕事を休んでまで数日を付き合ってくれて、僕は下にも置かれないもてなしをうけた。 
ジョンさんはシーザース・パレスのカジノのディーラーとしてもう30年も勤めている。今の彼の担当はバカラと呼ばれるカードゲームだ。このバカラというゲームは日本のオイチョカブに似たごく簡単なギャンブルだが、大金が動くのではカジノのゲームの中でもトップにくる。だからどこのカジノでもバカラのためにまるで貴賓室のような特別室があって、そこは誰にでも入れるところではない。カードを配るディーラーもジョンさんのようなベテランだけが任される。ジョンさんが言っていたが、日本から毎月1度定期的に訪れるミスター・サイトウは、来るたびに1千万円単位で勝ったり負けたりしていくそうだ。  

そういう僕は50セントのスロットマシーンでうじうじと遊んでいたらいきなり機械が動かなくなって赤白青の光が点滅し始めた。これは故障だ、と思って当惑していたら周りに人が集まってくるし、係員が飛んでくるし、それでジャックポットを出したのだとようやく理解した。免許証を見せて税金の書類に記入したあと現金が100ドル札で20枚、つまり2000ドル入ってきた。その夜は、Y子さん夫妻にとびきりのディナーをご馳走しようと試みたが、結局彼らは僕に1セントも払わせてくれなかった。 
旅に出る前よりも金持ちになって帰ってきたのは生まれて初めてである。


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