過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

Profile

September30

Author:September30

Visitors Counter

Search form

クロップの勧め・・・写真のレシピ(4)

T07Italy0178-blognew.jpg

明け方の逢ひびき
Venice, Italy


クロップ(crop) というのは写真用語で画面を切り取って構図を整えることをいう。 日本ではトリミングと呼ばれるらしいけど、同じことだから言葉にはこだわらない。 

カメラのシャッターを切る時点でファインダーの中で(あるいは液晶モニターで)、構図をすみからすみまでキッチリと決めてやることができれば理想的なんだけど、これは易しいことではない。 第一、そんなことをしている間にかんじんの被写体がどっかに行っちゃうもんね。 静物写真や風景写真なら被写体が逃げてしまうことはないけど、それでも写真を撮る時にいつもはっきりしたアイデアがあって撮るとは限らない。 
そんな時に僕がやるのは、目の前にあるものを少し余裕を持って画面に入れてやる、ということをする。 あとでクロップをすることを予想に入れているわけだ。 画面に写っているものはあとで切り捨てることができるけど、画面に無いものは付け加えることはできない。 「大は小を兼ねる」 なんてうまいことを言ったのはシェークスピアだったか、孟子だったか・・・

僕は撮った写真を家に持ち帰ると、まずそれをフォトショップに取り込む。 それからやおら階下のキッチンまで降りていってウォッカのマテニーかスコッチの水割りを作る。(この段階は必ずしも必要ではないです)
それから人にも犬にも邪魔をされないように、部屋のドアをぴったりと閉めたあと、再びPCのモニターの前にどっかりと腰を落ち着ける。 今日撮った写真を1枚1枚モニターに呼び出して、ドリンクを啜りながら丹念に画像の編集をする。 僕にとっては何よりも一番しあわせな時間だ。 ひょっとしたら写真を撮ることよりも、好きかもしれない。 だってこれなら酒を飲みながらできるし・・・

クロップは必要が無ければやらないにこしたことはない。 クロップをやればやるだけ画像はどんどん小さくなっていくから(当たり前だよね) それに連れて画質はどんどん低下してゆく。 でも今は画質を心配するのはやめよう。 なにしろ苦労して撮った写真が傑作になるかボツになるかの瀬戸際だから、画質などと贅沢なことを言っている場合じゃないんだ。 

下の写真がrawのフォマットで撮ったオリジナル。 フィルムカメラでいうとネガに相当する。
  
T07Italy0178B-w.jpg


普通ならこれほど極端なクロップをすることはほとんどないんだけど、今日のレシピの好例になると思ってこの写真を選んだ。
僕がこの絵の主体にしたかったのは 1.赤いボート 2.白いイス 3.右側の壁のテクスチャ(材質感) 4.水面の反射、と決めたあと、余計なものをどんどん切り捨てていったら、結局冒頭の写真のようになってしまった。 そのあとは明暗だとか、コントラストだとか、色温度だとか、ボートの赤の強調だとか、いろいろやって、最後に水面と背後の建物に紗をかけてぼかしたりして、結局ドリンクを三杯お代わりするまでには、なんとか自分の頭の中にあった情景をモニターに引き出すことに成功した。

今日の僕が言おうとしているのは、写真の編集にはドリンクが必要だ、ということではなくて・・・
クロップをすることで写真がスッキリとして、画面の中の一番大切なもの(人)に誰もの目が向くようになるのなら、要らないものは躊躇しないでどんどん切り捨てよう。 という話でした。 まあ見れば見るほど役に立たない不必要なものがごちゃこちゃとあるものです。 あなたの家の物置のように。


写真のレシピ(1)
写真のレシピ(2)
写真のレシピ(3)


にほんブログ村 写真ブログ モノクロ写真へ
スポンサーサイト

ロシアへの旅

Scan-110427-0001-blognew.jpg

寒い国から来た女たち
Boston, Massachusetts USA


真夜中過ぎに、僕の乗る汽車はモンゴルとロシアの国境を越えていた。 汽車が北京を出発したのがもう何日も前だったような気がするくらい、長い長い旅だった。 それなのに終着駅のモスクワまでは、まだやっと三分の一しか来ていないのである。
最初あれだけ混んでいた客室は、ウランバートル(モンゴルの首都)でモンゴル人と中国人の乗客がほとんど降りてゆき、汽車がイルクーツクを過ぎるころには、まわりにはロシア人だけが残った。 そしてそのほとんどが男達で女性や子供は数えるほどしかいない。 男達は大声で喚きながら酒を回し飲みしていた。 
僕の前の座席には北京を出てからずっと労働者風の五十代の男が座っていて、髭づらの気難しい顔でにらみつけるようにして僕を凝視し続けている。 その視線を外すようにして窓の外に眼をやると、そこには雪に覆われた明け方のシベリア平原が果てしなく続いていた。
その男はやがて座席の下からゴソゴソと何かを取り出した。 見るとウォッカの瓶と小さな二つのグラスで、彼はそのグラスにウォッカをなみなみと注ぎ、それを怒ったように僕に向かって突き出した。 僕は黙ってそれを受け取ると、周りの男達がそうしているように、上を向いて一気に煽った。 それを見た男が初めて表情を崩してにやっと笑った。 笑った男の口の中は歯が何本か欠けていた。
そこで僕は目が覚める。
夢だったのだ。
僕の父は終戦までの数年間を北京の日本商社で働いていて、モンゴルから南ロシアの辺りまで仕事でよく来たらしい。 北京で生まれた僕は、若い父が見た風景をいつか自分の眼で見てみたい、という願望が昨夜の夢になったのかもしれなかった。

***

四十年近くも昔のこと、ある日ボストンの街角を歩いていて劇場の前を通りかかると、いきなり中から一団の人たちがどっと街路に溢れ出てきた。 年配の女性が圧倒的に多くて、明らかに東欧系の顔つきをした人たちばかりである。 たまたまそこへ居あわせた僕は彼女たちに取り囲まれるような形になってしまった。 まわりで盛んに飛び交っているのはたぶんロシア語だろうが、それを聞いている僕は一瞬モスクワかどこかの街角に立っているような錯覚を覚えていた。
劇場で公演しているのは当時のソビエト連邦から来たロシア舞踏団だったが、数日前の初日にそのことが大きく新聞やテレビでニュースになったのは、鉄のカーテンの向こうから初めてアメリカに送られてきた民族舞踏団のためだけではなかった。 公演に抗議するユダヤ人の一団が劇場の前でデモをやったからである。 

この写真を撮った数日後には僕も切符を買って観客としてこの劇場に来ていた。 目を見張るような民族衣装の美しさはもちろんだったが、哀愁と歓喜と力強さが交互に表れる歌と踊りに圧倒された。 

僕は子供のころからなぜかロシア民謡に強く惹かれて、曲集を買ってきてピアノで弾いたりしていた。 ロシア民謡のメロディは少年の僕には、それ以前に親しんだアイルランドやイタリアなどの民謡とずいぶん違って、大胆でリズミックで、そして哀しかった。 今でもよく覚えているのは、「カリンカ」、「黒い瞳」、「川岸のベンチ」、「小さいグミの木」、「仕事の歌」、といくらでも出てくる。 どの歌も耳を傾けているだけで、コサックの足踏みやバラライカの響き、ウォッカに酔った農民たちの怒声や笑い声が聴こえてくるような気がする。


1960年代のはじめに世界中で大ヒットしたこの曲は聴けばすぐわかるけど、ロシア民謡の『モスクワ郊外の夕べ』だった。 

"Midnight In Moscow" (1961)
Kenny Ball & His Jazzmen






にほんブログ村 写真ブログ モノクロ写真へ

六月のクイズの結果は

LV05-blognew.jpg

アメリカのヴェネツィア
Venetian Hotel, Las Vegas, Nevada USA


17人の回答者の中で11人が正解だった。 
ここはラスヴェガスのヴェネチアンホテル。 ラスヴェガスとだけ答えた人も正解にした。
ゴンドラだけは本物のようだけど、あとは運河も建物も、青空や雲まですべてがフェイクである。 フェイクもここまでくるとそれなりの芸術味が出てくるから不思議だ。
抽選の結果はあのヴェネツィアマニアの、ペッシェクルードさんでした。

ペッシェクルードさん、おめでとう。
住所氏名を非公開コメントにして送ってください。
お好きな写真を指定することを忘れないように。
数日経ってもご返事のないばあいは棄権として次の方を選びます。


にほんブログ村 写真ブログ モノクロ写真へ

陰影礼賛・・・写真のレシピ(3)

conversation (2)-blog3

密会
Somewhere in USA


今日はフラッシュの話しをしよう。
新しいカメラを手に入れたら、まず最初にすることはフラッシュの自動発光機能をオフにすること。 最近のコンパクトカメラはたいがい自動フラッシュがオンになっているから暗いところでは勝手にフラッシュが発光するようにできている。 それを止めさせようというわけだ。 フラッシュは使いたい時にだけ使えるようにする。(それがどういう時かはのちほど説明) 
暗い場所ではフラッシュを焚かないと写真が撮れない、とあなたがもし思っているとしたら、あなたは間違っている。 すごく間違っている。 September30は耄碌したよぼよぼのアル中だと思うくらいに間違っている。 (そう思ってたでしょう?)

そのかわり、最近のカメラはその場の状況で感度が自動的に変わる機能がついているからそれをオンにしてやればいいのである。 ふだんはISOを100に設定しておいても周りが暗くなれば感度は自動的にISOが200、400、800、と増してゆく。 たいていのカメラなら1600とか3200まであるだろう。 そんな自動機能がついていないカメラならその場その場でISOを設定してやればいい。 繰り返すけど、フラッシュは必要ではない。 フラッシュはすべての悪の根源なのだ。 これはちょっと言い過ぎかな。

『光と影』があるから写真が存在する。 
フラッシュという前世紀の誰かが発明した機器は、その『影』の部分を一瞬の閃光でもって、容赦なく完全に殺戮してしまう。 そしてその跡に残されるのは残酷なほど扁平にデフォルメされて死んでしまった被写体なのである。
鼻をつままれてもわからないような暗闇(僕も表現が古いなあ)で写真を撮る場合は別として、普通ならそこに何かの光源があるはずである。 室内なら窓の外からの光、電灯の光、ろうそくの光、夜の戸外なら街灯の光、月の光。 そんな淡い光源が創り出す何ともいえず味のある陰影を大切にしたい。・・・・・つまり、谷崎潤一郎の言う 『陰影礼賛』 である。

ところが、このあまり融通のきかないフラッシュさんに御登場を願いたい状況がないわけではない。 それはカンカン照りの日中の戸外。 頭上に太陽があると、あなたの愛しいご主人の顔に醜い影ができてしまうし、夕陽など背後から陽が射していれば(いわゆる逆光線) 愛しいご主人の顔が真っ黒に潰れてしまう。 そんな時に暇を持て余しているフラッシュさんに発光をお願いすることで、ご主人の端正な顔立ちを浮かび上がらせることができる。 これはプロが「フィル・イン」と呼ぶテクニックです。 これはぜひ試してみて欲しい。 最近のカメラには必ずフィル・インのフラッシュモードがついているはずだから、それをオンにしてやるだけの話しだ。  
「うわあ、これほんとにあたしが撮ったの?」 とびっくりすることを保障します。  
つまり要約すると、フラッシュは暗い所で使うものではなく、明るい所で使うものなんです。

***

ところで、この写真の男女は若い人達ではない。 そしておそらく夫婦ではあるまい。 夫婦にしては彼らの周りに漂う緊迫感はどこか危険な匂いがしていた。 
この時のカメラのISO設定は6400だった。


写真のレシピ(1)
写真のレシピ(2)


にほんブログ村 写真ブログ モノクロ写真へ

公園の無い町ってあるんだね

T05paris034-blognew.jpg

リュクサンブール公園
Paris, France



僕の住む町はサイズとしては大きすぎず小さすぎず、アメリカでは典型的な中都市の部類に入る。 人口14万人というから、日本の僕の郷里、Y市とほとんど同じである。 ところがそんな中都市のくせに生意気にも大都市並みの住民文化(こんな言葉があったっけ?)を持っているところが少しユニークな町だといえるかもしれない。
たとえばスポーツではプロのチームとして野球、アイスホッケー、バスケットボールがあるし、芸術面でも、市の名前を冠したバレエ、オペラ、オーケストラの団体があって、新旧の二つの劇場で定期公演をしている。 中でもモダンダンスのグループ、『DCDC』はニューヨークのブロードウェイだけではなく、世界中で大評判をとっている我が町の誇る文化遺産だ。
美術館だってそれほど大きくないけど美しいイタリアンルネサンスの建物の中に、なかなか優秀なコレクションを持っている。

ところがそれほどの町でありながら、この町には公園というものがなかった。 これはアメリカの都市としてはかなり変わっている。 町の歴史を調べてみたけど昔どこかに公園があったというような史実は見当たらなかった。 僕が経験した限りでは、アメリカのたいていの町には少なくとも一つは公園があって、そこには(なぜか必ず)南北戦争の遺物の大砲が置いてあったり、世界大戦の戦士の石碑があったり、暇を持て余した老人たちがベンチにたむろしていたり、若者たちがフットボールを投げあったりしている。
ところで僕は、我が町に公園が無いことをけしからんとか、公園はあるべきだとか言っているわけではない。 ただ、これほどのサイズの町に公園がないのはなぜだろう、とふと思っただけである。 

公園で思い出すのはやはり長年住んだボストンだ。 ニューヨークにセントラルパークがあるように、ボストンにはボストンコモンがあった。 もちろんその規模の点ではとてもニューヨークには敵わないけど、そのかわりボストンコモンはすぐ隣にパブリック・ガーデンがあって、ちょうど二つの公園がならんでいるような感じである。 その昔僕はこの辺りをしょっちゅううろうろしていたので、そのことは前にも何度か書いたことがある。 
やっぱり公園はないよりも、あった方がいいかなあ、と思う。

ボストンの公園のこと 『沖縄から来た男


小さな町って僕はどうも好きじゃないね。
だって、公園の大砲を見てしまえばあとは何もやることがないんだもん。
Lenny Bruce




にほんブログ村 写真ブログ モノクロ写真へ

六月のクイズ

LV05-blognew.jpg


僕がこの写真を撮っているのはどこでしょう?

正解者の中から1名を抽選で選び、僕のブログ上のどれでもお好きな写真を差しあげます。 
8インチX10インチのマット付きのプリントを世界中どこへでも送ります。
締め切りは今日から1週間。
答えは非公開コメントにして下さい。



にほんブログ村 写真ブログ モノクロ写真へ

ポイントを決めよう・・・写真のレシピ(2)

2006mexico009-blognew.jpg

二つの白い椅子
Puerto Vallarta, Mexco



写真のポイントとは、
「いったい何を撮ろうとしたのか?」 あるいは 
「何に惹かれたのか?」 ということだと考えていいだろう。
だからシャッターを切る前に一瞬立ち止まって、この質問を改めて自分に投げかけてみることはとても意味のあることなんだけど、 といってもこれはそんなに易しいことじゃない。 人物だとかペットだとか花だとか、最初から被写体が決まっているものならまず問題はないとして、たとえば風景写真などで、「きれいな景色だから」というだけの理由でパチパチと写真を撮ってしまうというのは誰でも経験のあることだ。 そういうスナップショットに、その風景を見たときの自分の感動が表れるかというと、それはかなり稀なことである。 「あれ? こんなんじゃなかったのに」 とがっかりすることが多い。 撮った自分がそう思うくらいだからましてや他の人が見ればさらにその感動は薄れる。 その写真を見たあなたのご主人や会社の同僚が 「すてきだね」と言ってくれたとしても、それは大体の場合お世辞だと受け取ったほうがいいですよ。 
風景写真は難しい、といわれるのはそういう理由なんだ。

風景写真に限ったことではないが、もしシャッターを切るまえに最初からポイントが決まっていたら、そのポイントを強調するために幾つかのオプションがある。

・ ポイントにうんと近寄って撮る。 少しではなく本当にうんとである。 これは旅行先などでスナップショットを撮る人たちの頭に徹底的に叩き込んでおいてほしい。 「撮った映像が失敗に終わったとしたら、それは近寄り方が足りなかったからだ」 と言ったのはたしか戦争写真家のロバート・キャパだった。 こと写真に関する限りこれ以上の名言はない。 キャパはあまり近寄りすぎたために戦場で地雷に吹き飛ばされて死んでしまう。
・ 近寄れない場合には望遠レンズを使う。
・ ポイントが画面の中心近くにくるとか、画面内の大部分を占めるような構図を取る。
・ ポイントをシャープに、それ以外をボカす (レンズの被写界深度を利用するか、フォトショップ内での処理。 被写界深度のことは後日説明しましょう)
・ 構図内で色調や明暗や形がアクセントになるものをポイントとして選ぶ

この最後のオプションは、もともとポイントのない画面にポイントを見つけるというか、ポイントを創造するというか、なかなか興味深い作業だ。 上にあげた写真はその一例です。

オリジナルのカラー写真はこれ。

2006mexico009-blog2.jpg


見ればわかるように、これといったポイントもないし、何の変哲もないありきたりのスナップショットだ。 
前回の『写真のレシピ(1』で書いたように、このショットをモノクロにして眺めていた時に、アイデアが沸いた。 この2個の白いイスがポイントになるかもしれない、と。
あとは、フォトショップでコントラストを高くしたり、ポイントであるイスの白が浮き立つように全体を暗めにおさえたり、空の雲を焼きこんだり、そのほかあちこちをちょっちょっといじった結果が上のモノクロ写真となった。
それに偶然だけど、建物の影がまるで計算されたように、テニスコートの白線と正確に平行線を描いているのが僕はとても気に入っている。 なぜ? と訊かれてもうまく答えられないんだけど、僕にとってはとても意味があるように思える。 刻々と変わる太陽と地球の関係を、このラッキーな瞬間に記録した、ということになるのかもしれない。

果てしない亜熱帯の風景の中で無人のテニスコートにポツンと置かれた白いイスは、遠く異邦の地に来てそれを眺めている僕自身の孤独感を象徴しているような気がする。


にほんブログ村 写真ブログ モノクロ写真へ

爪を噛むのは・・・

Twoman-blognew.jpg

ウィンドウの女
Cambridge, Massachusetts USA


ボストン時代に撮った古い写真のコンタクトシートを今見ると、まるで昔の日記を読み返すようにその頃の自分が浮かび上がってくる。 アパートから妻が出て行ったあとの僕はどんどん孤独の沼に沈み込んでいって、いつもやみくもに町をうろついていた記録がそのまま写真になって残っていた。 
妻といっしょに暮らしたアパートに一人でいるのがいたたまれなく、といって他の場所へ引越しをするような余裕もなかったから、僕はカメラをさげてほとんどいつも外に出ていた。 そしてできるだけ遅くアパートに帰ってくると、酒を飲んでレコードを一晩中聴きながら仔猫のムチャチャを相手に夜を過ごした。
周囲にいた友人たちも僕の度重なる拒否に会ってしだいに寄り付かなくなり、ほんの数人の人にだけ僕は心を開いていたようだ。 

***

日本で昔 「同棲時代」 という言葉が流行ったことがあった。 そのころ聴いたこの歌はもう他界したヴァイヴの平岡精二が若いペギー葉山のために書いた曲で、まだ十代の少年だった僕は日本では珍しい洒落たシャンソン風の歌だな、ぐらいにしか思っていなかったと思う。 遠い将来に自分が似たような経験を持つことになるなんて夢にも考えていなかった。 と言っても爪を噛む癖が僕にあったわけではないし、妻もペギーさんのような母性的な女性だったわけじゃないんだけど・・・
そういえば、彼女の柔らかなアルトは、あのころボストンで僕に優しくしてくれた声楽家のアンの声にそっくりだ。


『爪』
ペギー葉山



古い日記から』 というより古いブログから。



にほんブログ村 写真ブログ モノクロ写真へ

カラーかモノクロか・・・写真のレシピ(1)

T02oregon03-(altered)-blognew.jpg

ガード下から
Dayton, Ohio USA


「写真をカラーにするかモノクロにするか、はどうやって決めるんですか?」 とよく訊かれるけど、答えは極めて簡単だ。
「それは僕が決めるんじゃなくて画像自体が決めるんです。」
ふつう僕にはその選択の自由はほとんどない。
上の写真のようにもともと強烈なカラーのコントラストに惹かれてシャッターをきったものは、最終的にカラーのプリントになるということはもう最初から運命づけられている。 そうではなくてたいていの場合は、撮影の時点でとりあえずカラーで撮っておいて、あとでゆっくりと見る時にカラーにするかモノクロにするかを考える場合が多い(僕の場合はということです)。 以前のフィルムカメラの時代にはカラーフィルム(あるいはスライド)とモノクロのフィルムを別々のカメラに装填していたけど、デジタルの時代にはその必要がなくなった。 
こんなことを言うと、「フィルムカメラの写真とデジタルの写真はまったく別物なんだよ」 という純粋主義者(日本人に圧倒的に多い)の叱りの声が聞こえてきそうだけど、僕はそういうことにはほどんど無頓着である。 
ちょうど村上春樹さんがどこかで、ジャズは現代のCDで聴くより、昔のLPで聴いたほうがずっと良い、と書いていたのを思い出すが、そういう繊細さを僕はあまり持ち合わせていないようで、CDで十分に満足している。

さきほどカラーにするかモノクロにするかの選択の自由はほとんどない、と書いたけど、ほとんどないということは時々はあるということで、そういう時には決定にはかなりの時間を要する。 結局どうしても決められず、カラーとモノクロ両方をプリントすることが多い。 その場合は当然だけど仕上がった二枚の写真はまったく違う意味を持つ画像となるわけだ。

危険を承知で極言してしまうと、
・被写体の色彩がメインとなる画面ならカラー (これってあたりまえだよね)
・色彩よりも、被写体の形(面、線)とかパターン(模様)が興味の中心になっているもの、あるいは明暗の差が極端に激しかったり、逆に微妙なグラデーションが面白いもの、ならモノクロの候補になるだろう。

前に何度か書いたように、モノクロは時間や場所や私的経験を超越した一種のアブストラクトだと僕は思っている。 
何気なく撮った、どうってことはないカラーのスナップショットが、モノクロにすることでとたんに生き生きとして、予想もしなかったような意味を持ってくる、ということはよくあるんです。
試してごらん!


にほんブログ村 写真ブログ モノクロ写真へ

地名、都市名、駅名、など

T08japan290-blognew.jpg

こなきじじい駅
境港市余子


広大なアメリカだから同名の都市があっても不思議ではないけど、それにしてもアメリカ人はそういうことにかなりいいかげんなところがあるようだ。 昔住んでいたボストンの近くにスプリングフィールドという町があったが、引っ越してきたオハイオ州で僕が住む町のすぐ隣にも同名の町がある。 その上どこかの州でスプリングフィールドという名の町を通った記憶がある。 
調べてみたら、スプリングフィールドという名のついた都市は全米で28あるそうで、アメリカでもっともポピュラーな都市名の4位になっていた。 トップ3はグリーンヴィル(49)、フランクリン(30)、クリントン(29)となっていた。 (ちなみにこの三都市とも僕の住むすぐ近くにある。)

日本では町の命名にはあれこれと「お上」がうるさいらしく、同名の都市というのはそんなに多くないようだ。 僕は日本の知識がほとんどなくなっているので確かではないけど、覚えている限りでは府中市(東京都と広島県)と若松市(福岡県と福島県)くらいで、もちろんそれだけではないだろうが、都市名から話が混乱するということは現在の日本ではほとんど無いだろう。 僕は一度など、コロンバス(オハイオ州の州都)で会議があるというので車で1時間ほどかけてそこへ行ったら、実はその会議はそこから4時間も離れたところにある隣州のインディアナ州のコロンバス市であった。 会議に出席できなかったのは言うまでもない。

アメリカ人が地名などをいかに適当につけたのかがありありなのは車で旅行をするとすぐにわかる。 
我が家から車で数時間の距離内に、アテネがあるしローマがあるしシドニーがあるしロンドンがある。 それだけではない。 もう少し範囲を広げると、パリ、ロシア、ウィーン、ボンベイ、と出てくるので笑ってしまう。 ウィーンは車であっというまに通り過ぎてしまうような村落だし、ロンドンでは牧場から迷い出た数頭の牛が街道に寝そべっていたりする。


話は日本へ飛ぶけれど、今度は駅名の話。
僕の郷里、鳥取県の米子市から弓ヶ浜半島の先端にある漁港の境港市を結ぶJRの支線が出ている。 その途中にある余子(あまりこ)という小駅は、僕にとってはたまらなく思い出のある場所だった。 というのは僕の叔母の家がその近くにあって、子供のころから僕は一人で電車に乗ってここまでよく遊びに来たからである。 
その駅名がいつの頃からか『こなきじじい駅』と変わったしまっていた。 そのうえ今では帽子をきちんとかぶった駅員もいなく、木目の浮き出た古い改札口もない無人駅となっていた。 
漫画家水木しげるの出身地である境港市が、全市を挙げて妖怪を売り物にし始めたのだ。 現在では『鬼太郎列車』(境線)が『ねずみ男駅』(米子駅)と「鬼太郎駅』(境港駅)のあいだを走っていて、沿線の16駅にはそれぞれ妖怪をモチーフにした駅名が付けられた。 もちろん地元の住人たちはそんな新しい名前で呼ぶ者は誰もいない。    
もともと駅というのはその土地に生きる人々の生活のために作られたものだ。 それを幾世代にもわたって親しまれた駅名を捨てて観光客目当ての奇抜な名称を付けたことは、僕には理解ができなかった。
観光が市の重要な財源になっているのはよくわかるけど・・・
それならそれで将来は外国人の観光者だってどんど増えると思うのに、彼らに『砂かけばばあ駅』とか『べとべとさん駅』とか『そでひき小僧駅』とか、どうやって発音できると思っているのだろう?

日本もこれからは(もう既に遅い感がある)もっとグローバルな立場でものごとを考えてもらいたい。
徳川幕府の200年以上続いた鎖国が終わってからもう160年経つのである。


日本人ほど模倣の上手な国民はいない。
しかもすごく礼儀正しいから
間違ったことでさえも模倣してしまう。
Earl Scruggs




にほんブログ村 写真ブログ モノクロ写真へ

宇宙人にジャズを聴かせよう

T07Italy0902-blognew.jpg

廃墟のコンサート
Imola, Italy


イモラは小さな町だった。 ボローニャの北部に点在する古い町のひとつで(もっともイタリアでというよりヨーロッパで古くない町はありえない)、その前に僕らが廻ってきたパルマ、モデナ、フェッラーラ、ラヴェンナ、などよりもさらに小さな町だった。 町の中心部にスフォルツァ城と呼ばれる古城があって中に自由に入れるようになっていた。 
今夜は何かのコンサートがあるに違いない。 中庭の芝生にはイスがきれいに並べられていた。 数百年経つ石の壁に囲まれて、現代的なデザインのイス達はまるでどこかの星からやってきた異邦人たちが整列しているように見えた。 それでまた、僕の例の妄想がもくもくと頭をもたげる。 
妄想の中で僕はいつの間にか音楽プロモーターになっていて、今夜のコンサートを取り仕切るのが僕の仕事だった。 バンドの選定からプログラムの作成から舞台の設定まで、すべてを僕がする。 まずは遠く1万光年彼方の星から訪ねてくれた宇宙人に楽しんでもらえる音楽を選ばなくてはならない。 堅苦しくなくて、地球人の優しさとバイタリティに溢れる、ユニークな音楽。 いろいろと考えあぐねた結果、僕が選んだのはキース・ジャレット(ピアノ)、ゲーリー・ピーコック(ベース)、ジャック・ディジョネット(ドラムス)の3人だった。 そしてプログラムのハイライトは僕の好きなあの曲をリクエストしてみよう。 
『あなたと夜と音楽と』
1986年のトーキョー・コンサートのあの演奏は凄かった。 宇宙的だった。



You and the Night and the Music
Kieth Jarrett




僕はもちろん宇宙人の存在を信じるよ。
われわれだけが宇宙を支配するなんて傲慢な考えさ。
Tom Cruise



にほんブログ村 写真ブログ モノクロ写真へ