過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

Profile

September30

Author:September30

Visitors Counter

Search form

ミニマリズム・・・写真のレシピ(7)

T06pro147-blognew.jpg

空の藍にも染まらず
Le Crestet, France


ミニマリズム: 最小限主義。 1950年代に始まり、形と色の極端な簡素化を強調した彫刻と絵画の芸術運動


前回の「群集劇」では写真の画面が複雑であればあるほど劇としておもしろい、というようなことを書いた。
それが今回はそのまったく逆のアイデアを取りあげてみたい。
ミニマリズムなんて美術史上の言葉を知らなくても、要はできるだけシンプルな映像を創るということなので難しく考える必要はない。

「群集劇」の観客はゆっくりと時間をかけて、舞台上の役者から役者へと眼を移していく。 それぞれの登場人物の顔の表情だけではなく彼らのボディーランゲージ(身振りなど)を見ながら、画面のすみからすみまでを鑑賞するだろう。
ミニマリズムはそれとはまったく逆なのだ。 
簡単明瞭な映像がいきなり見る人の眼に飛び込んでくる。 一発勝負である。 インパクト(衝撃)があるという点ではこれ以上のものはないから、宣伝、広告など商業ベースのデザインに採用されるのもうなずける。 群集劇が、見る人の理性にゆっくりと訴えるとすれば、ミニマリズムはいきなりストレ-トに人の感性を刺激する。 

カラーなら色彩の対比、モノクロなら明暗や形の対比、を強調してできるだけシンプルな画面を構成してみよう。 
覚えておきたいのは映像が単純になればなるほどインパクトは強くなる、ということなんだ。 
そしてここで一番大事なのはコンポジションといういこと。
コンポジション(構図)という要素は絵画や写真にとってもっとも大切なことだけれど、ミニマリズムの画面ではそれが極端に大きな役割を果たすことになる。 だから、群集劇の機関銃的乱射とちがってシャッターをきる前に、「どんな絵を作りたいのか?」 をすこし時間をかけて自分に問いかけてみることは、とても良いアイデアだといえる。 それによってカメラの設定、レンズの選択などが自然と決まってくるからだ。

さあやってみよう。 被写体はあなたの周りに無尽蔵にあるはずだ。 遠くばかりを見ないで自分のすぐ近くもキョロキョロと見回してみよう。 あなたのすぐ目の前の机の上にも、何かが撮られるのを待っているかもしれないよ。


もっともっと
漁師の孤独
葦に潜む
トンネルの中の男
鳥取砂丘


写真のレシピ(1)』 『写真のレシピ(2)』 『写真のレシピ(3)』 『写真のレシピ(4)』 『写真のレシピ(5)』 『写真のレシピ(6)

にほんブログ村 写真ブログ モノクロ写真へ
スポンサーサイト

猫を愛した男

T05paris022-blognew.jpg

猫好きのリカルド
Montparnasse, Paris


その年にパリで僕らが借りたモンパルナスのアパルトマンは、あの有名な墓地のすぐそばにあった。 
広大な墓地内は静かで人気が少なく、散歩をするのには絶好の場所であった。 ボードレールやサルトルがここに眠っているのは知っていたが、覚えのある名前を探しながらゆっくりと歩いていると、あとからあとから有名な名前が出てくる。 サミュエル・ベケット(作家)、ブラッサイ(写真家)、モーパッサン(作家)、イヨネスコ(劇作家)など、少なくとも二十人以上を判別した。 僕の知識はもともと芸術関係の人物だけに限られているから、それ以外の分野をいれるとここに眠る世界的著名人の数は相当な数に上るにちがいない。

この猫の墓石は、くすんだ灰色の墓地の中でその鮮やかな色と奇抜な形でひときわ目立っていた。 リカルドとだけ書かれて苗字はない。 37歳で亡くなったらしいリカルドは愛猫家だったのだろうか。 猫を何十匹も飼っていたとしたら、彼が死んだ時その猫たちはどうしたのだろう。 猫に愛され、周りの友達にリカルドの愛称で好かれていた一人の粋なゲイのパリジャンの姿が浮かび上がる。 (なぜゲイなのか? なんとなくである。)

そして、この墓地を何度か散策するうちにアメリカ人の女優のジーン・セバーグの名を見つけた。 このことは前のブログに書いている。

悲しみよ こんにちは



自分を取るか猫を取るか、決めて欲しいって亭主が言ったのね。
今でも時々その亭主のことを思い出すわ。
作者不詳


にほんブログ村 写真ブログ モノクロ写真へ

★ 七月のクイズに関するお知らせ

七月のクイズの当選者の方から、1週間たっても連絡がないので規定のとおり棄権とみなします。 このクイズは三年以上続けていますが、棄権は初めてです。
再度抽選の結果、当選は「yspringmind」さんになりました。

yspringmindさん、おめでとう。
住所氏名を非公開コメントにして送ってください。
お好きな写真を指定することを忘れないように。
数日経ってもご返事のないばあいは棄権として次の方を選びます。

にほんブログ村 写真ブログ モノクロ写真へ

オリンピック 2012

T05paris041-bwblog.jpg

Paris, France


今週はいよいよオリンピックの開幕である。 
2005年にパリへ行った時はどこへ行っても上の写真のような表示を見たのを思い出した。 候補地の一つであったパリがどのような経過でロンドンに負けたのか、というより、いくつかの候補地の中からどうやって最終決定がなされるのかを、を僕は知らなかったので調べてみた。 それでわかったのは、決定はオリンピック委員会の投票によるということなのだが、その投票のしかたが面白い。 数回の投票で1都市ずつ落としていくというやり方をとっている。 
たとえば、今回のオリンピックには5都市が候補地として名乗りを上げていた。 ロンドン、パリ、マドリード、ニューヨーク、モスクワの5都市である。それを毎回の投票で最下位の都市を1つづつ落としていく。 最初の投票でモスクワがが落ち、それからニューヨーク、マドリードの順で落ちていって、最後にロンドンとパリが残った。 そして最終投票ではパリは54票対50票という小差で負けてしまった。 パリとしてはくやしいことに違いないと思う。 
ロンドンは史上初の3回目(1944年の中止を含むと4回目)となる。

僕は別に熱狂的なスポーツファンではない。 ふだんでもお気に入りのチームとか特定のプレーヤーがあるわけではなくて、むしろ客観的に冷静に試合を楽しむというタイプである。 それでもオリンピックが始まると、その期間中はテレビの前に釘付けになってしまう。 オリンピックでは自分が四十年暮らしたアメリカを応援するのはもちろんだけど、そこへ日本が出てくるともうアメリカなど忘れてしまって、いきなりコブシをふるって大声で日本を声援してしまう。 
昨年はあのような惨事を経験したあとで、日本人があらためて結束を固めてこの四年に一度のお祭りを楽しんでほしいと思う。

日本よ がんばれ!


にほんブログ村 写真ブログ モノクロ写真へ

群集劇のおもしろさ・・・写真のレシピ(6)

bostonbw0036-blognew.jpg

プールパーティ
Dayton, Ohio USA


群集劇: 主役中心ではなく、不特定の多人数でストーリーを展開していく劇

僕は群集劇が大好きだ。 映画ではよく使われる手法だけどスチル写真の群集劇は、複数の人物のいろいろな物語が一枚の絵に凝縮されて永久に停止してしまうところがたまらない。
群集劇の舞台にはこれといった主役がいない。 全員が主役といえるし全員が脇役ともいえる。 

人がたくさん集まるところならどこだっていい。 お祭り、パーティ(結婚式、葬式、ピクニック、宴会)、街中の雑踏など、とくに都会に住む人ならそのチャンスは無限にあるはずだ。 
写真における群集劇は映画や舞台とちがって演出をすることができないから、幸運の女神に頼るしかない。 芸術の創作を偶然に頼るなんて何ともいい加減だと言う人がいるだろうけど、絵の具をキャンバスにぶちまけたものが抽象絵画として通用する現代では、僕らがやっていることははるかに意味があると思う。
先ほど言ったように写真の群集劇は偶然に頼ることが多い。 そのためには可能な限りの多くのショットをものにするのが第一条件となる。 なにも考えずに次から次へとバシャバシャと撮ること。 いちいちカメラを構えなくてもいい、ビリー・ザ・キッドのように腰だめにして撃ちまくってもいい。 (下手な鉄砲も数打ちゃあたる) 画面が傾いたり人の足だけ写ってしまったりしてもまったくかまわない。 かえってそれで臨場感が増して面白い映像になることもある。 とにかくカメラのバッテリーが続く限り、貯蔵カードがいっぱいになるまで撮りまくることだ。 街角のカフェに座ってワインでも飲みながら、眼の前で刻々と変わる人生の舞台を記録し続ける、なんて僕のもっとも愛するシチュエーションである。

さてここまでは誰でもできる。 
そのあと撮った写真をPCに取り込んでフォトショップで開いてからが問題である。
それからやおら階下に下りていってドリンクを作る。 というステップはいつもと同じ。

そして宝探しが始まる。 

あなたが探しているのは主役のいない舞台だ。 これは友人や家族のポートレートではないから、横に並んでカメラに向かってVサインを出しているようなショットは真っ先にボツとなる。 そして画面内の人数は多ければ多いほど興味深い。  
大切なのは
・ それぞれの役者たちが舞台上で決定的な立ち位置にあること。 (つまり絵として構図になっている、ということ)
・ それぞれの役者たちがお互いに無関係なことをしていること。

無数の宝が隠されていることを期待してはいけない。 50枚のショットの中に1枚見つけたとしたら、そこでニヤリとして乾杯だ。
忘れてはいけないのは、あなたには以前のレシピで述べた伝家の宝刀の「クロップ」という武器がある、ということだ。 クロップをすることで構図がまとまり、それぞれの役者が生き生きとしてくるようなら躊躇しないで切り取ろう。
以前の祭りや旅行の写真などもう一度取り出して見てごらん。 思いがけない宝物を見落としていたのかもしれないよ。

以下はこのブログの以前のページから適当な例を抜いてみました。

帽子
500分の1秒
ピクニック
最後の朝
若者たちの世界


写真のレシピ(1)』 『写真のレシピ(2)』 『写真のレシピ(3)』 『写真のレシピ(4)』 『写真のレシピ(5)


にほんブログ村 写真ブログ モノクロ写真へ

七月のクイズの答え

T07Italy0924-blognew.jpg

イモラの薬局で
Imola, Italy


これは、イタリアのボローニャの近くにあるイモラという小さな町を歩いていて通りかかったファルマチア(薬局)である。
以前の旅行で薬局の世話になったことは数回あったが、パリやバルセロナやローザンヌ(スイス)で入った薬局はいずれも近代的な店で、アメリカでふだん僕が行くファーマシーとまったく変わらなかった。 
ところがこのイモラのファルマチアは薬局といっても少しちがっていた。 古いらしくて、前世紀から使われていたのだろう、薬草の名前が付いた白地に青の美しい壷が店じゅうに展示してあった。 カウンターからは奥にある広い薬剤室が見えるので、この壷たちはたぶん現在では使われているわけではなくて、ただの展示なのにちがいない。 そのうえこの店がふつうの薬局とちがうのは、そんなに広くない店内には、普通の薬局で処方箋なしで売るような薬だとか、包帯だとか生理用品だとかいっさいなくて、わずかにこの写真の左端に見える棚があるだけだった。 

それだからここでは処方した薬草が売られているのにちがいない。 日本でいう漢方薬のようなものだ。
そこで『薬草』『ハーブ』と答えた人が正解ということになる。 ただ、今月の僕は理由があって、人に優しくしてあげたい、という気持ちがひしひしと強くて、ただ『薬』と答えた人も正解とすることにした。 しかしそれでは『薬草』『ハーブ』と答えた二人(そう、たったの二人!)にフェアじゃないから、この二人に2票づつあげることで確率が増すようにした。 また『紅茶』とか『お茶の葉』と答えた人はダメ。 ここはファルマチアであってお茶屋さんではないのである。
13名の回答者の中に正解が6名で、抽選の結果、当選は「ami」さんでした。

amiさん、おめでとう。
住所氏名を非公開コメントにして送ってください。
お好きな写真を指定することを忘れないように。
数日経ってもご返事のないばあいは棄権として次の方を選びます。



にほんブログ村 写真ブログ モノクロ写真へ

8人の女

image0236-blognew.jpg

プロヴァンスから来た少女
Boston, USA


カトリーヌ・ドヌーヴ
僕の大好きな女優である。 若いころのドヌーヴはそれほどでもなかったけど、近年になってますます豊満になってからの彼女は成熟した女のにおいがぷんぷんと漂って、彼女が画面に出てくると、うっとりとして見とれてしまう僕だった。 僕のもうひとりのお気に入り女優、ケイト・ブランシェットとともにこの二人の出る映画は逃したことがない。 

だいたい僕は音楽のCDなら好きなものはすぐに手に入れてしまうのに、映画となると自分で持っておきたいと思うものが非常に数少なくて、僕のコレクションはかなり貧弱なものだ。 その中のひとつがカトリーヌ・ドヌーヴの出ている『8人の女』、仏題を 『8 Femmes』 という映画だった。
もう10年ほど前に封切られた映画で、題名のとおりに8人の女優(それぞれがフランスではトップレベル)が、1950年代のパリ郊外の屋敷で起こる殺人事件をめぐって、女として丁々発止と演技の殺陣(たて)をしている。 設定は映画というよりも芝居の舞台の感じでしかもこれといった主役のない群集劇のようなものだった。 歌あり踊りありのコメディにサスペンスが薬味として混じって、フランス人でなければ作れないと思わせる楽しい映画なのだ。

ドヌーヴが義妹のファニー・アーダント(これがまた妖艶な熟女)と口論の結果つかみ合いになり、床に転がって取っ組み合いをしているうちにお互いが妙な気持ちになってしまうシーンなどの、意外な転換があちこちにちりばめられている。
僕はちょっと落ち込んだりしている時にこの映画を見ると、終わったあとにカラッと気分が晴れてくるから僕にとっては鬱病の薬みたいなものかもしれない。 ぜひお勧めです。
できれば日本語の吹き替えではなくて字幕に日本語が出るのがあるとしたら、その方がいい。 この純粋にフランス風のコメディで日本語を聞くなんて、日本の時代劇で役者が英語をしゃべるようなものじゃないかな、という気がする。


8 femmes







にほんブログ村 写真ブログ モノクロ写真へ

七月のクイズ

120720


この店は何を売ってるのでしょう?


正解者の中から1名を抽選で選び、僕のブログ上のどれでもお好きな写真を差しあげます。 
締め切りは今日から1週間。
答えは非公開コメントにして下さい。


にほんブログ村 写真ブログ モノクロ写真へ

ベラの余生

T02bella02-blognew.jpg

Bella in 2002


今朝方のこと、僕と妻のあいだでちょっとした口論があった。
原因となったのは我が家の二匹の犬の片割れのベラだった。

17歳になるベラはこの1年ほどで急に老化が進んだようで、今ではもう階段の昇り降りもできなくなっていた。 それがしばらく前から歩くときに後ろの両脚を引きずるようになり、時々頼りなくよろめいて転びそうになることもあった。 獣医に診せたら、犬が痛みを感じているかどうかを知るには一つしか方法がないそうだ。 痛み止めの薬を与えてみて、それで犬が元気になるようだったら確かに苦痛を感じていたのだいう。 それで、調合してもらった薬をベラに数日飲ませたら、目に見えてシャキッとして、短い距離なら散歩にも行けるようになっていた。 それ以後はその薬を毎日飲んでいる。

このベラという犬は相棒のパイとちがって、仔犬の時から食べものに対する執着が異常だった。 眠っているとき以外は、常にがっついているのである。 妻に言わせると、それはベラの個性というより、この種の犬としての特性だそうだった。 そのため、食べ過ぎないように、太り過ぎないようにと、毎日の食餌を与える妻はことさら厳しくして気を使っていた。 そのおかけで、長いあいだベラは獣医も感心するほどの健康と体型を保ってきたのである。  

それで口論になったというのは・・・
「ベラはもう行く先が長くないのだから、食べものにあまり厳しくしないで、好きなものを少し多めに食べさせてやったら?」
と僕が言ったことに始まる。
「だめよ」 という妻の素っ気なく断固とした返事が即座に返ってきたので、僕は少し気分を悪くしてしまった。 相手の言っていることを一応考えもせずに、ただ長い間の習慣だからというだけで、それを変えることはない、というところが、僕の感情を逆撫でしたのである。 僕は声の音量を少しだけ上げて言った。
「そんな、ナチの女将校みたいな非情な言い方をしなくてもいいだろう。 長生きをして欲しいのは君も俺も同じだけど、せめて死ぬ前くらい好きなことをさせてやりたいと思ったんだ。 ベラにとって好きなことといったら食べることしかないじゃないか」
「長生きをして欲しいから厳しくしてるんじゃない。」 と冷静な応対。 一見筋が通った言い分だけど、僕の言いたいのはそんなことじゃないんだなあ。 どちらかというと気が短い部類に入る僕は、そこでかなりムカッとしてしまって、つい言わなくてもいい余計なことを言ってしまうことになる。 声のボリュームはさらにハイの方向へ近づいている。
「死にかけてる時に健康とか節制なんて意味ないじゃないか。 それに死刑囚だって執行の前には好きなものを食べさせてもらえるんだぜ。 俺がもし医者にあと三ヵ月の命だと宣告されたら、俺はその三ヵ月のあいだに毎日タバコを100本吸って、朝から酒を飲み続けて、行きたい所へ旅行をして地中海と日本海をもう一度だけ見て、天龍の餃子やぶたまんのラーメンを思いきり食べて、見たいバレーや芝居をいくつも見て、会いたい人には全員会って、それで最後に死ぬ時は、愛した女に優しく抱かれたまま、ああよかったと言って納得して死にたいよ」
これがいけなかった。
「あら、そんなひとがいらっしゃるの?」
あっというまに論点がまったく違う方向へ向いてしまって、しどろもどろになった僕はなんとか繕おうとすればするだけ、事態は悪化していくのであった。 

そのあと、僕は憤然としてその場を離れて二階へ上がってしまったのだけれど、しばらくしてからナチの女将校がとんとんと階段を上がってきて、口論なんかまるでなかったような顔をして嬉しそうに言った。
「ベラの大好きな缶詰のカボチャをたくさんあげたらすごく大喜びしてガツガツ食べてる。 これからはドッグフードに混ぜてあげることにした。」

大声で喧嘩することなしには相手の言ってることが浸透しない人っているんだよね。


にほんブログ村 写真ブログ モノクロ写真へ

続・クロップの勧め・・・写真のレシピ(5)

T090507-blognew.jpg

朝靄の窓
Oakwood, Ohio USA

T090507s.jpg





クロップという言葉はもともと「農作物を収穫する」という意味でもわかるように、長い忍耐と努力の結果が実るとても楽しい、と同時に大切な行事なんだ。 それでもう少し例をあげておけば、前回から僕の言ってる意味がわかっていただけるんじゃないかと思う。
小さい画像はいずれもrawのオリジナルでまったく編集していないもの。 それぞれのペアをよく較べてみてください。

クロップというのはもとの画面から、よりインパクトを持つ画面にするために不必要なものを切り取ることだから、当然ながらクロップの結果は改良になっていなければ意味がない。 僕のクロップを見て改良になったか、改悪になったかは人それぞれの意見があるわけで、僕とは違うクロップをする人ももちろんいるだろうね。


oregon52-blognew.jpg

彫像のある家
Dayton, Ohio USA

oregon52s.jpg


下の写真は実はあまり自信のあるクロップじゃない。 
原画のままの構図でも良かったような気がする。 前景の広い地面は必ずしも無駄な空間ではないし、手前左に見えている植物も僕は気に入っている。 それに右手に1本だけ立っている木も面白い形をしていて捨て難い。 それなのにあえてこのような切り取り方をしたのは、2つの理由があった。
画面の右に見えている街角の一部がごちゃごちゃしすぎてるということがひとつ。 それとこれは街角の風景というよりも壁に描かれた絵を主体に持ってきたかったことがひとつ。 その結果がこんな極端なクロップになってしまった。 原画の構図でよかったんじゃないか、と今でも迷っている。 (考えが変わればいつでも編集以前の原画に帰って行けるのがrawのすばらしいところだ。)
このペアに関して皆さんはどう思いますか?


T06pro323B-blognew.jpg

髭のある貴婦人
Stes Maries de la Mer, France

T06pro323s.jpg



写真のレシピ(1)』 『写真のレシピ(2)』 『写真のレシピ(3)』 『写真のレシピ(4)


にほんブログ村 写真ブログ モノクロ写真へ

こぶたのとことこ

T07Italy0966-blognew.jpg

知識を売る所
Bologna, Italy


子供のころから本を読むのが大好きだった。
すこしばかり人よりマセた子供であった僕は、ふつうなら高校生が読むような本を小学生から中学生にかけて全部読んでしまっていた。 高校に入った時に、まわりの友達が羨むようなプレゼントを父がくれた。 行きつけの本屋で好きな本をいつでも買っていい、という特権を与えてくれたのである。 だからその頃はお小遣いをあまりもらわなかった代わりに、僕の買う本を本屋が全部ツケにしてくれて、父が毎月払っていた。 時々買いすぎて、父に 「おい、少し自重しろよ」 と言われたことはあったが、裕福でも何でもなかった僕の家庭で、そんな夢のような贅沢を僕に許してくれた父に、僕は今でも感謝している。

本らしい本、つまり絵本とか雑誌ではなくて物語の書かれた本を生まれて初めて読んだのは、僕が幼稚園の時だった。 
昼の遊び時間に男の子たちと乱暴な遊びをしていて、右脚のちょうど脛と足の中間あたりを鉄柵にぶつけてポッキリと折ってしまった。(その傷痕は今でも残っている) それで何週間も入院していた時に、母の友達だった人がお見舞いに来てくれて、その時僕に持ってきてくれた本が『こぶたのとことこ』という童話集だった。 幼稚園の子供にはまだ難しすぎる本だったが、長い間母と会ったことのなかったそのおばさんは、てっきり僕が小学生だと思ったらしい。 
ひらかなの中に時々混じる漢字に、母が鉛筆でふりかなを付けてくれたその本を、僕は夢中になって読んだ。 本の作者も物語もまったく覚えていないが、所々に出てきた一筆画風の挿絵は今でも目に浮かべることができる。 
今日調べてみたら、『こぶたのとことこ』の著者はあの浜田広介で、挿絵が鈴木寿雄、1948年に出版されたらしい。 243ページというからけっして小冊子のようなものではなかった。

脚の骨折なんて今はわりと簡単に治るし、そのために何週間も入院するようなことはもう今ではしないと思うけど、あの時は畳敷きの病室に寝かされて、夜は母がすぐ横で泊まったはずである。 
僕を診てくれた医者は町でも有名な老先生だった。 最初に担ぎこまれて診療台に寝かされた時、嫌がった僕が泣き喚いて大暴れに暴れて、押さえつけようとする二人の看護婦を蹴飛ばしたりしたので、癇癪を起こした老先生が手にしていた副木(ふくぼく)で僕の頭をバシッと叩いたそうだ。 それでようやくおとなしくなった、という話は僕はまったく覚えていなくて、あとあと母に(何度も)聞かされた。

僕の医者嫌いは今でも変わらないが、ラッキーなことにわりと健康で、手術を受けて入院をしたのはこの幼稚園以来は、盲腸の摘出(17歳)と胆石の摘出(50歳)の二度だけである。

僕の一生を通して、医者嫌いと読書好きの両方が、『こぶたのとことこ』 から始まったのだ。



うんと歳をとったら
またおとぎ話を読むようになるだろうね。
C.S. Lewis





にほんブログ村 写真ブログ モノクロ写真へ

トンカツが好物なんだけど・・・

P4300531-blognew.jpg

黒豚
Nassau, Bahamas


つい最近のこと、近所に新しいレストランが開店した。 車で五分、自転車でもすぐに行けるような距離である。 郵便受けに投函されていた広告を見ると、メニューには中華と日本食が半々に載っていて値段もびっくりするほど安い。 興味を持った僕はさっそく行ってみることにした。 店舗はあまり大きくなく、気取らない大衆食堂という感じだったが、気軽に行ける店が近所には今までなかったので、ひょっとするとこれは常連になるかもしれない、という期待感があった。 とくにランチには僕はよく外に食べに出るのである。

この店はオーナーもシェフもウェイトレスも全員が中国人だった。 最近この手のレストランはあちこちにできていて、中華だけではなくて日本食も出すことで幅の広い客層を呼ぼうとしているのだろう。 
(これは日本食は期待しないほうがいいな) と思いながらとにかくトンカツを注文する。 
出てきた料理を見て僕はあっと驚いた。 実に巨大なサイズの、オーストラリア大陸のような形をした薄切りのトンカツが、皿からはみ出しそうにして二枚も乗っている。 小食の僕から見ると三人前の量である。 そしてまず付いてきた味噌汁を飲んでみたら、これが思わずウッといってしまうほど不味かった。 いちおう豆腐やネギは浮かんでいるといいうものの、ダシなどとってないらしく、白湯に味噌の色がうっすらとついてるだけのユニークなしろものだった。 その恐ろしい味噌汁を脇へ押しやると、僕は恐る恐るトンカツに手を出してみる。
これがそんなに悪くなかったのである。 ちょっと、というよりもかなり揚げ過ぎで、まるでドイツのシュニッツェルのような感じだけど、いちおうトンカツの味はしていた。 

数日後に僕はまたこの店へ行った。 
そして性懲りもなく前と同じトンカツを注文したのだが、その時、陽気でフレンドリーな中国人のウェイトレスに僕が言ったのは、肉を揚げる時間をずっと短くするようにシェフに頼んでくれ、味噌汁の代わりに中華の玉子スープがほしい、ということだった。
出てきたトンカツを食べてみたら前回よりも格段に良くなっているが、それでもまだ少し揚げ過ぎだった。 そして玉子スープは予想していたように美味しかった。 
そのうち店のオーナーが出てきて、今日のトンカツはどうでしたか、と訊いてきた。 
うん、なかなか良いよ。 でも肉をもう少し厚めに切ったらどう? 形を小さくすれば肉の全体量は変わらないんだから。 それで今日と同じ時間だけ揚げれば、日本で食べるトンカツのようになるよ。 それに、量をもう少し減らしてもできるだけ上質のロース肉を使ってほしい。 あ、それから客に出す前に食べ易いようにスライスすればいいんじゃない? なにしろ我々は箸で食べるんだから、と言うととても喜んで、ワインを一杯ご馳走してくれた。
それ以来、ここのトンカツは誰にでも推薦できるくらいの味になっている。

さてこの次は味噌汁の作り方を教えなきゃ。
そしてそのあとは寿司だとか親子丼だとかてんぷらうどんだとか、いろいろと順番を待っていそうだ。
誰のためでもなく自分のために、この仕事はやり遂げなければならない。
 

僕のよく知っていた男のことだけど
タバコも酒もセックスも脂っこい食べ物も全部やめて健康そのものだった。
ある日、自殺をしちゃうまでは。
Johnny Carson



にほんブログ村 写真ブログ モノクロ写真へ