過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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September30

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サマーヴィルのころ (1/2)

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アップルパイを作るには、まずリンゴの皮を・・・
Somerville, Massachusetts USA


長いあいだ住んだボストンを引き払って、僕ら家族四人は妻の郷里であるオハイオ州の中都市に引っ越して来た。
そのボストンでの最後の五年間を過ごしたのが、この郊外のサマーヴィルの大きなアパートだった。 マヤが4歳から9歳、太郎が2歳から7歳までの幼年時代を過ごしたここでの生活が、今は成人となった子供たちの記憶の中で、大きな部分を占めていないはずはなかった。

僕らのアパートは典型的なトリプルデッカー(三階建)の古い大きな建物で、その1階全フロアーを僕らが借りていた。
大きなリビング・ルーム、ダイニング・ルーム、キッチン、大小二つのベッドルーム、と書斎に僕が使っていた半地下の部屋、それにこの写真の、陽あたりの良いサンルームが背後についていた。 そのサンルームは子供たちの格好の遊び部屋になっていて、三方の窓の外には葡萄の蔦が壁中に這っていた。 時期になるとむらさき色の葡萄の房がいっぱい窓に吊り下がった。
サンルームの外には小さいながら、子供のスベリ台とか、砂場を設置するのに十分な芝生の庭もあった。 人家の立て込んだこの地域で、家族四人にとって贅沢すぎるほどのこれだけのスペースを見つけられたのは、ラッキーだったと言えるだろう。(その訳はあとになって判明する)。

このサンルームで、僕は朝のコーヒーを飲んだり、子供たちと遊んだり、日曜の朝には、すぐ裏の家に住む家族を呼んでいっしょに朝食を食べたり、その上、妻にとってはここはアトリエにもなっていて、大きな木製のイーゼルがでんと置いてあった。
写真の窓の向こうに見える隣家にはチューリさんというイタリア人の老夫妻が住んでいて、うちの子供たちを自分の孫のようにかわいがってくれたものだ。 そしてチューリさんと我々の家の間にはわりと大きな菜園があって、老夫婦が丹精をこめて、トマト、ズキニ、レタス、バジルなど種々の野菜を栽培していて、僕らはその庭から欲しいものをいつでも勝手に採ることを許されていた。

ある時、そのチューリさんのご主人が何気なく言った言葉に僕が訊き返した時に、彼の話でなぜこんな良いアパートがしばらくのあいだ借り手がなくて空いていたのかがわかったのである。
以前の住人であった若い男は、入院していた精神病院から出てきてここで両親と住んでいたそうだ。
それがある日、この写真に見えている窓の外で、男が母親を野球のバットで撲殺してしまう。

それはたしかにショッキングなニュースで、妻も僕もそれを聞いた時は少し気味が悪くなったことは確かだけど、それであわててまた引越しを考える、というほどのものではなかった。 僕らはそれほどこの家が気に入っていたのである。 ただ、子供たちには言わないでおこうということになった。
その後、夜中に歩き回る足音が聞こえたり幽霊を見たりする事もなく、いつのまにかその事は忘れてしまった。



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八月のクイズ

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アートへの階段


この建物の名称は何でしょう?
このイタリアン ルネサンス風の階段は一見ヨーロッパのどこかのような雰囲気があるが、実際にはローマ周辺にあったヴィラを模して1919年に建てられたものだから、まだ100年たっていない。
それほど大きくないこの建物の内部は以前僕のブログで何度か写真を見せているけど、外観を紹介するのは初めてだ。

難しいクイズかもしれないけど挑戦してみてください。難しいということは正解者が少ないということだし、それだけ当選の確率が高いわけだから。

正解者の中から1名を抽選で選び、僕のブログ上のどれでもお好きな写真を差しあげます。 
締め切りは今日から1週間。
答えは非公開コメントにして下さい。


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熱と原色の町から

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熱の色
Puerto Vallarta, Mexico


メキシコには一度だけ行ったことがある。
それもバカンスとかではなくて仕事の関係で招待されたのだった。 僕には世界中で行きたい国はいっぱいあるのだけれど、不幸にもメキシコはそのリストに入っていなかった。 だから自分の選択ではなくて行くことになってしまったこの旅行に、最初はあまり興味が持てなかった。 行く先はメキシコの西海岸にある有名なリゾート地で、周りのアメリカ人たちは 「お前さんはラッキーだよ」 みたいなことを言って皆うらやましそうな顔をした。 以前、僕がフランスの片田舎に二週間行ってくる、と言った時は 「へー、何しに?」 と不思議そうに聞き返した、その時と同じ連中である。
それでも出発の日が近づくにつれて、旅行をする前のいつもの興奮が少しづつ昂まって来て、写真機材の準備などを念入りにしていた。


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こんにちは 海から来た怪物さん


メキシコに来てまず最初に感じたのは「熱」それから「色」だった。
「熱」はとにかく暑い。 というより熱い。 今日の気温は40度だった。
町で行きあう人々(その100%が観光客)はまず一人残らず水のボトルを、まるでそれがこの国に滞在する免罪符であるかのように手にしていた。 そこら中で売っている一本3ドルもする水のボトルが次から次へとよく売れてゆく。 夏という季節を愛する僕は暑いのはまったく苦にならない性質だったが、この亜熱帯の太陽の下ではまるで頭髪が焦げてしまいそうな熱をまともに受けた。 けれど湿度が低いせいで、日陰に入るとひんやりとして汗がすぐに引いてしまう。

それから「色」
ここは、いくつかの原色の絵の具をチューブから絞り出して、それをそのままキャンバスに投げつけたような、プリミティブで挑発的な色彩の世界だった。 モノクロの写真が存在しない風景、それがメキシコだった。 実際には僕はモノクロをかなり撮ったけど。


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北回帰線


僕が滞在しているホテルは建てられてからまだそれほど経っていない、千近くの客室を持つ巨大で超近代的な建物だった。 ホテルの従業員はいうまでもなく全員が現地のメキシコ人で、何百人ものメキシコ人が何百人ものアメリカ人に仕えるさまは、これはさながら植民地の光景だった。 ヨーロッパでは評判のあまり良くないアメリカ人が、ここではまるで王侯のように振舞うことを許されていたが、アメリカ人でない僕は、一種の居心地の悪さを感じないわけにはいかなかった。
ホテルを徒歩で出て近辺をうろうろと歩き廻った時に(そんな事をする客は他に一人もいない)、何かを完全に遮断するように高く巡らされたコンクリートのフェンスの裏側を覗くと、そこには質素というよりも明らかに貧しいと言って間違いのない夥しい小屋が並び、そして確かにそこには人々の生活が営まれていた。 こんな形で、貧と富が隣り合わせに共存する光景を、僕はかつて何処でも一度も目撃したことが無かった。
そうか、アメリカ人がこの人たちの生活を支えているから、その代償として王侯のような奉仕を受けることを期待しているのかもしれない、という気がする。
底抜けに陽気で勤勉に働くメキシコ人たちが、客である僕らに一日中見せる笑顔の奥にはいったい何があるのだろうか? それとも何も無いのだろうか? 

メキシコにもう一度行きたいか? と問われたら、僕の答えはたぶん、NOだろうなと思う。

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ステージに幕が下りるとき

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弔ひ
Puerto Vallarta, Mexico


中嶋が死んだ。

昨年の秋、八人の仲間が白浜に集まって、そこから京都へ行った時には、あいつはあんなに元気だったのに。 あの時にはもう彼の内部で癌が虎視眈々と醜い戦闘を開始していたのだろう。

岩手に住む中嶋を見舞って、仲間の一宮と岩嶋の二人が豪雨の過ぎたあとの東京を発ったのが土曜日の朝だった。 その日の午後二人は病室で中嶋に会っている。 そこでしばらくいっしょに時間を過ごしたあと、そのまま東京に引き返すという強行軍になったのは、盆明けの週末でホテルが取れなかったせいらしい。 
彼らは日曜日の午前2時過ぎに東京に帰ってきたのだが、中嶋は二人が無事帰京したのを確かめたかのように、それから5時間後に逝ったのだった。

そして訃報を受ける前に一宮が皆に送ってくれたメールがこれである。

***

この病棟では痛みや息苦しさなどの症状緩和のために、栄養剤・抗癌剤とモルヒネを点滴しているので意識が混濁してしまっていると奥さんに聞かされていたが、前の日に輸血をしたせいか、今日はすこし元気が出ているそうだった。 
病室に入ると、中嶋は目を開いて天井を見ていた。
「中嶋!」 と声を掛けると、彼はこちらに視線を向けたが、我々を判別しているのかどうかは不明。
「つい数ヶ月前まで元気で、去年の関西旅行でもお前は良く食べてたんだよ」 と岩嶋が話しかけると、中嶋は聞き覚えの有る声に何か心地よさを感じているような表情を見せてくれた。
彼が時々声を出そうとするが、ロレツが回らないのでなにを言おうとしているのかわからない。何回か聞き直して、「どうやって(一関まで)来たの?」 と判った。 「車で来たから(東京まで)乗ってく?」 と聞くと 「ウン」 と答えた。
そして時々、我々の帰りを心配してか、「車を呼んで!」と奥さんに言ったりしていた。

菅原から託されたカウントベーシーのCDをかけると、彼は一点を見据えて真剣に聞き入っている様子なので、「聞いてる!」 と全員が確信した。そして時折、右手でトロンボーンをスライドするような仕草をするのが、昔ながらの中嶋を見ている思いだった。 ここに来るまでは、もし意識がなければ、10分ほど邪魔をして帰ろうと思っていたのだが、彼の顔付きも最初に見た無表情からしだいに穏やかな表情に変わっていて、我々もついつい4-50分の長居をしてしまった。 その間、中嶋は目を瞑って音楽を聴いているようだったので、帰るのにとても声を掛けにくかったが、「また来るね」 と何度か繰返して言った。 彼を一人に放っておくのが忍びなく、奥さんにはそのまま部屋に残ってもらって我々は退室した。

***

大学を終えてすぐに、シャープス・アンド・フラッツにバストロンボーン奏者として引き抜かれた中嶋の、昔の愛称は「坊や」だった。

眠れ 坊や


"In a Sentimental Mood"




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酒の嗜好ということ

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ビールを飲む男
Cincinnati, Ohio USA


嗜好というものは、それが何に対する嗜好であれ長いあいだに変わるものらしい。
食べ物がその良い例で、昔はあんなに好きだった肉類がかなり影をひそめて、今では魚と野菜が好きになってしまった。 野菜など昔は生野菜が苦手で、日本風に煮たものとか和えたものしか食べなかったのが、今は生野菜をモリモリと食べるようになった。 それも変に凝ったドレッシングじゃなくて、ただマヨネーズをつけて食べるのが好きだ。 そしてそのマヨネーズは日本製のものでなければならない、というのも最近の僕の嗜好である。 何十年ぶりに日本のマヨネーズに出会ったときに、あ、これはうまい、と病みつきになった。 日本から来ているマヨネーズはアメリカでも大好評でずいぶんと売れているそうだ。

それで酒の嗜好について。
僕はビールをあまり飲まない。 しかし飲む時に僕の好きなのは黒ビールで、中でもギネスをほんの少しだけ冷やして、室温に近い温度で飲むのが好きだ。 夏の暑い日など氷のように冷やしたビールをグイッと飲むのがたまらないと言う人が多いけど、僕に言わせるとそんなのはただ冷たいというだけでだけで味も何もない。 それなら冷たい水のほうがずっと美味しいと思う。

来客用ではなくて自分たちのために我が家に常時置いてあるのは、ワインとウォッカとスコッチだ。 
ワインは我が家では毎日一本か二本は飲んでしまう。 大きなワインクーラーにはピンからキリまでのワインが入っていて、早い時間(僕にとっては午前11時以後のこと) に開けるのはもっぱら安くてまあまあのボトル、そしてディナーには一応ちゃんとしたものを、という使い分けは、以前フランスに滞在した時に親しくなった近所の家庭で学んだ。

ウォッカは普段はベルモットとシェイクしてマテニーにする。 昔はベルモットを一滴垂らすだけの超ドライで飲んだけど、最近はだんだんおとなしくなってきて、時には4分の1ぐらいがベルモットになったりする。  そしてストリッチナヤとかグレイグースとかの一級品が手に入ったときは冷凍庫に入れて置いたものをストレートかオンザロックで飲んでいる。

スコッチについては、昔はバーボンしか飲まなかった僕が、いつの頃からかバーボンのあの独特の匂いが鼻について飲めなくなり、以後はスコッチにかわってしまった。 なんといっても旨いと思うのは英国のシングル・モルトのウィスキーだけど、これは僕にとっては高価過ぎていつでも買える、というものではない。   

最後に日本酒。
酒や焼酎は大好きだ。 傍にあればいくらでも飲んでしまうので、ここアメリカでは良い酒が手に入らないというのが、かえっていいのかもしれない。 だから我が家に置いてある日本酒はもっぱら料理のための安酒である。 やっぱり一番好きなのは「剣菱」でこの嗜好は昔からずっと変わらす、日本へ帰るとまず飲むのがこの酒だ。 
十年ほど前に大学の同期会で帰国をした時に、参加できなかった新潟の友人が「越の寒梅」を数本差し入れしてくれた。 岐阜の山中を車で移動中に、僕は後部座席でひとりでこの酒を飲み続けた。 車内の友人の会話に耳を傾けながら、懐かしい日本の風景を眺めながら、稀有の名酒をすすりながら・・・・僕は天国にいた。 

アル中万歳!


アルコールは人類にとって最悪の敵だろうね。
だけど聖書は言ってるよ。
「汝の敵を愛せよ」
Frank Sinatra



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警告! ・・・写真のレシピ(8) 

今日のレシピは料理の仕方というより、料理に関する警告のようなものです。

普段皆さんは自分のPCで画像を見ているわけだけど、そのほとんどの人が気がついていないことがある。 
PCのモニターで見る画像は、色調やコントラスト、明暗などがそれぞれ微妙に違う、ということだ。 時によっては微妙を超えてびっくりするほど違うこともある。 見ている本人は、もちろんそんなことはわからないわけだから、自分の見ている画像がオリジナルと同じものだと錯覚してしまう。 これは恐ろしいことだと思う。 

僕も時々知人の家へ行ったときに、そこのモニターで自分の写真を見ることがあるんだけど、唖然としてしまうことがある。 そして恐ろしくなる。 世界中で僕の写真を見る人たちが、なんていうと僕が有名写真家のように響いてしまうけどそうじゃなくて、実際に僕のブログを見る人たちは、数は少ないけど世界中に散らばっているわけで、その人たちがSeptember30の写真だと思って見ているものは、実は僕の写真に「似たもの」を見ているわけなんだ。

僕の毎月のクイズの賞品としてプリントを贈られた人たちが、いちように寄せてくださるコメントは、モニター上の画像と実際のプリントがいかに印象が違うかというのがほとんどなのも、その良い例だろう。

われわれ写真家仲間では、これは許されないことだ。 お互いの写真を見ながら感想を交わしたり批評をしたりするから、同じ写真を見ていないとこれは話にならない。 そこでモニターの色調整(キャリブレーション)が必要になるわけだ。
モニター自体にも調整機能はついているから、色温度、コントラスト、明暗、など調節は可能には違いないが、なにしろ基準にするものが何もないから意味がない。 最近のモニターは自動調整機能がついていて、何もしないである程度の基準に揃うようにできている。 それとて、モニターのブランドが違えばもう話にならないし、第一同じブランド同士でもそれぞれの機器がすべて同じに調節されるということは、ありえない。 それとは別に、PC自体にも調整のソフトは組み込まれているけれど、これがまたまったく子供だましで使い物にならない。

キャリブレーションのためには専用の機器を購入しなければならない。 
わりと高価なものだから、写真やイラストを本業としない一般家庭の人たちにとっては、必要のないものだ。

今日の僕のポイントは
皆さんがモニターで見ているすべての画像は、オリジナルではない。 
その事実を忘れることのないように。 という警告のようなものです。

実際、キャリブレーションされていないモニター同士では、この二枚の画像のような違いが出てくることもあるのですよ。
(と言っても、皆さんのモニターでどんな画像が出ているかは、僕にはわからないんだけどね)


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夏の足跡
Hilton Head Island, South Carolina USA


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写真のレシピ(1)』 『写真のレシピ(2)』 『写真のレシピ(3)』 『写真のレシピ(4)』 『写真のレシピ(5)』 『写真のレシピ(6)』 『写真のレシピ(7)


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ホテル・モンテローネ

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もぐり酒場の午前零時
French Quarter, New Orleans, Louisiana USA


ニューオーリンズ・・・・ あの2005年のハリケーン・カトリーナで、僕の記憶に生きているこの町はほとんど壊滅状態になってしまったが、そのあと長く辛抱強い復興が続けられて現在に至っている。 
何度か訪れたことのあるニューオーリンズだが、最後に行ったのは2000年だったからもう12年の前のことである。 1400キロの距離をひとりで車を運転してここまでやってきたこの旅だったが、車のトランクにはカメラバッグと着替えを詰めたダッフルバッグが入っていた。 

考えてみるとこの前この町に来たのが1976年だったから、あれから24年が過ぎていた。 あの時は色々なことが起こっていて失意のどん底にいた頃で、金の無かった僕はミシシッピ川のそばの安ホテルに泊まったのを覚えている。 それがこの24年の間に僕は少しだけ金回りが良くなって、今回はフレンチクォーターのど真ん中にあって伝統のあるホテル・モンテローネに部屋を予約していた。 このホテルのあるロイヤルストリートはバーボンストリートと並行して走っていて、レストラン、バー、ジャズクラブ、ナイトクラブなどが軒並みに並んでいる。 夜になると狭い街路は歓楽を求める群集で埋められて、その騒ぎは夜中過ぎまで鎮まることがなかった。 

ホテル・モンテローネは1886年以来続いている古い大きなホテルで、僕は思うところあってロイヤルストリートに面した二階の部屋を予約していた。 窓辺に立つと夥しい群衆の夜の生態がすぐ眼下にあって、そこから望遠で狙えば居ながらにして快楽に溺れる男女の姿を激写できる、という寸法であった。 
だからほとんどの時間を僕は自分の部屋にこもって写真を撮り続けていたが、それでも時々カメラを置くと外へ出かけた。 その時はポケットの中にはコンパクトカメラを忍ばせてフラッシュはあらかじめオフにしてある。 ケイジャン料理の店に入って、思いきり辛くしてもらったジャンバラヤをハアハア言いながらビールで流し込んだあと、人並みにもまれながら裏通りを選んでぶらぶらと歩いているうちに、このあやしげなゲイバーに来ていた。 

バーの上で踊る数人のストリッパーの写真を撮るために一番片隅のテープルに腰を下ろしてマテニーを注文する。 見回すとまわりの客は明らかにゲイとレズビアンで、壁のスクリーンでは二人の男がセックスをしているが、見ているものは誰も居ない。 室内は暗くて汚くて、ふと英語のスピークイージィー (Speakeasy) という古い言葉が頭に浮かんできた。 「もぐり酒場」だ。
僕はテーブルの下にカメラを片手で支えてシャッターを押し続けた。 
それでもやはり見つけられてしまった。
目つきの鋭い男がやってきて僕は外につまみ出される。 もちろん酒代を払ったあとで。
男がフィルムを出せと命じたので、デジタルだからフィルムはない、と言うと、彼はなぜか何も言わないでそのまま店の中へ帰っていった。 デジタルでも切手大のメモリーカードを回収できることを、あの男は知らなかったのだろうか?
とにかくラッキーだった。 カメラごと取り上げられても文句の言えない状況だったのである。

ホテルの部屋へ戻ると疲れがどっと出てきて僕はそのままベッドにもぐりこんだ。 ルームライトを消しても、窓の外からまだ眠らない快楽の街のネオンの点滅がカーテンに映っていた。 それを眺めながら、ひとり旅の楽しさと寂しさを胸の中で反芻しているうちに、いつの間にか眠りに落ちた。

***

これより24年前に僕は、ミシシッピー・デルタを見ようとこの町へやって来た。 その時、この次この町に来るのは誰かといっしょだろう、と思ったにもかかわらず、今回も僕はまたひとりで来てしまった。
    


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美しい毒

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米子市野坂邸


英語にブラック・ウィドウ(Black Widow) という言葉がある。 
「黒い未亡人」・・・・彼女はその類(たぐい)のない美貌で、裕福な男を誘惑しては結婚し、やがて夫を殺してその遺産を受け継ぐ。 そして次の男を探して同じことを繰り返す。 という恐ろしい女の意味で、映画、小説などでいろいろなバージョンがある。 
ブラック・ウィドウとはもともとはある種の毒蜘蛛の名称で、その写真を見てみると、真っ黒なまるまると太い身体に鮮やかな色の紋がついていて、恐ろしいという感じはするけどオスが誘惑されるほど魅力的にはどうしても見えなかった。


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そこへいくとこの野坂邸の蜘蛛は何と呼ぶ種類なのかは知らないけど、はるかに美しい。 僕がオス蜘蛛だったら、彼女になら間違いなく一目惚れして夢中になるだろうな、という気がする。 まあ僕の場合は狙われるような資産などないから、誘惑されることもなければ殺される心配もないわけだけれど。 それにしても人間版のブラック・ウィドウに誘惑される男たちというのは、自分に接近してくる美しい女が実は危険な罠だ、ということをまったく気づかないほど馬鹿なのだろうかと思ってしまう。 あるいはたとえ気づいていても、金が目当ての誘惑と知りながらその魔力には反抗することができないほど魅力的なので、どんどんと深みに堕ちていくのかもしれない。 それなら理解できる。

「危険な美しさ」 とは確かに魅惑的な毒だから。


蜘蛛がハエに囁く。
「あたしのお部屋へいらっしゃる? 
あなたが今まで見たどんなお部屋より、
ちっちゃくて可愛くて素敵なお部屋よ」
Mary Howitt



 

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宿命という名の電車

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King of Prussia, Pennsylvania USA


男が自分の宿命を決めるんじゃない。
彼の人生の中の女たちがそれを決めるんだ。
Groucho Marx


信じられないような偶然が、なぜか僕には時々おこる。

つい最近、僕はケンタッキー州のC市まで出かけて行って、ある日系企業の人事部長とミーティングをしていた。 その会社は自動車の部品を作る工場を持っていて長年にわたる僕のクライアントであった。 僕の仕事は今では嘱託のようなものなので、以前のように毎日あちこちを飛び回るということはもうなくなったが、それでも古い顧客からの要望があればこうして出かけて行くのである。 その日のミーティングというのは、この会社に十年以上勤めたアメリカ人の人事部長が退職して、そのあとに新しく赴任した人との顔合わせということだった。

今日は二人だけのミーティングなので会議室を使わないで、受付の女の子は僕を彼の個室へ案内してくれた。 例によってお互いに自己紹介をして握手をする初対面の挨拶をした時に、すぐに気がついたのは彼は日本語は話せないけれど明らかに日本人とのハーフだということだった。 年齢はたぶん四十歳前後だろう。 人事部長という要職につくには若い部類に入る。 スポーツマンのようなキビキビした身のこなしをする人で、彼の持つ雰囲気も人事を担当する者によくありがちの権威的で恐そうなところがなく、僕は最初から好感を持った。

一時間ほど仕事の話をしたあとは自然と雑談になった。 ニューヨーク生まれの彼は父が日本人、母がアメリカ人だそうだ。  三人兄弟の長男だと言った。 僕が彼自身の家族のことを訊くと十歳の娘と七歳の息子がいると言う。 これがそうですよ、と言って机上の写真を手に取った、 そういえばアメリカ人なら必ずそうするように、彼のデスクには家族写真が飾ってあった。 僕はその写真を見ようと立ち上がるとデスクの横を回って、幸せそうな親子四人のスナップショットを眺めた。 

その時、その横に立てかけられたもう一枚の写真に目を移して僕はあっと息を呑んだ。
「これは?」 と訊いた僕に彼が説明をする。
「母の若い時の写真です。 母はこの写真がとても気に入っていて私が生まれる前から自分の部屋に架けていたので、私も子供の時から見慣れた懐かしい写真です。 つい最近コピーをして私に送ってくれたばかりです。」
「誰が撮ったのでしょう?」 と僕は胸をどきどきさせながら訊いてみた。
「それが、旧(ふる)い昔の友人としか言ってくれません。」  
 
それはまぎれもなく37年前に僕が撮ったこの写真だった。


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朝型人間 夜型人間

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夏の午睡
Dayton, Ohio USA


最近、僕の日常生活のパターンに大きな変化が起こっている。
午後10時に寝て朝5時に起きる。
それまでは午前2時に寝て朝9時に起きるというパターンだった。
生まれてこのかた(というとオーバーだけど)、日本でもアメリカでもずっと夜型人間を自称してきた僕が、ついに朝型の生活に切り換えたのである。 その理由というのは、しばらく前に始めた翻訳の仕事のためだった。 仕事の依頼主が東京なのでその編集員との交信が頻繁になるにつれて、どうしてもこちらの明け方に起きているほうが仕事の進展が速い。 そうでないと下手をすると時差の関係で丸一日時間がずれてしまう。

朝型の生活になってみると幾つかの発見があった。 
まず、当たり前だけど朝が長い、ということ。 以前なら起きてから何かをしているとあっという間に正午になってしまっていた。 それが今は、仕事をしたりブログを書いたり、かなりの数のメールに返信をしたり、けっこういろいろなことをやって時計を見ると、まだ9時にもなっていない。 以前ならやっと起き出してきた時間である。
それと、何をやっても仕事が捗(はかど)るということ。 家の中では人も犬もまだ眠っているから物音ひとつしないし、電話がかかってきたり誰かが玄関のベルを押すこともない。 やっていることに集中ができる。 とくに翻訳のような神経を使う作業には理想的だ。 
あと習慣が変わったといえば、前は午後1時とか2時に食べていたランチが今は11時にくりあがったこととか(僕は朝食を摂らない。 バナナを1本食べるだけ)、午後の3時ごろになるとソファでテレビを見ながら昼寝をするようになった。 昼寝といってもほんの30分ほどだけど。

今朝も僕は明け方5時に起床して、仕事部屋へ行くとコンピューターのスイッチを入れる。 それが起動する間に階下に降りてエスプレッソをつくる。 デミカップに入れたエスプレッソをぐい、と一息に飲んだとたんに、頭がシャキッと冴えてくる。 それから仕事部屋へ戻って机の横のブラインドを引くと、まだ真っ暗な窓の外の中天に、オレンジ色の満月が輝いていた。

さあ、今日もがんばるぞ。


 
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