過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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September30

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動物好きの絵描きさん 6 カバ

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カバ Hippopotamus
『動物の絵本』 より
By Green Eyes


カバ(河馬)は英語でヒポポタマスなんて、長たらしくてまるでギリシャの哲学者のような名前を嫌われて、アメリカで普段はヒッポー(Hippo)の愛称で呼ばれる。 とたんにこの巨大な動物が可愛い生き物に変わってしまうから、名前というものはおもしろい。
カバは現在はアフリカにのみ棲息して、陸上動物の中では重量のランクでいくと象に次いで2番目というから、動作の鈍いのろまな動物を想像するけど、実際は草原を時速40キロで走るというからすごい。  しかし、生物学的にはその遺伝子(DNA)はクジラにもっとも近いそうだ。

僕は、カバ(あるいはヒッポー)と聞くといつも思い出すことがある。
それは小学生の時に見たディズニーの 『ファンタジア』 の中で、カバたちが短いチュチュを着てバレエを踊るシーンである。
あの映画 『ファンタジア』 は1940年に制作されたというから、僕が見た時点ですでにフィルムとしてはクラシックになっていた。 あの映画を見て、バッハ、チャイコフスキー、ストラヴィンスキー、ベートーヴェン、ムソルグスキーなどの名曲を初めて聴いたという子供たちも多かったに違いない。 そして映画界初めてのステレオのサウンドを使って作られたらしいが、僕が見た地方の町の小劇場にそんな装置があったとは思えない。
象やダチョウやワニやカバが次々と出てくるこのシーンを、大笑いしながら見た記憶が僕には残っている。 そして幕間のインターミッションにはジャズが流れていた。





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写真家と人妻の恋

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屋根付きの橋
Carillon Park, Dayton, Ohio


ある時、日本の知人がオハイオ州の我が家を訪ねてくれたことがあった。
ところが僕の住む町は人を観光案内できるような所はあまり無い。 そこで 「何がしたい?」 と訊いたら返ってきた答えが 「屋根付きの橋が見たい」 だった。
ちょうどその頃日本で封切られたアメリカ映画がヒットして、その映画の主題となった屋根付きの橋がとたんに有名になってしまったらしい。 「屋根付きの橋を見るツアー」 を旅行社が組んで多くの日本人が映画のロケ地、アイオワ州まで出かけて行ったそうだ。 いかにも日本人らしい話だと思った。
僕の住むまわりにはクルマで三十分以内の距離に屋根つきの橋が幾つか見られるので、知人は写真をたくさん撮って、満足して次の目的地へと発って行った。

その映画というのが、"The Bridges of Madison County" (マディソン郡の橋) である。
アイオワ州の辺鄙な田舎に、「屋根付きの橋」 の撮影に来ていた写真家(クリント・イーストウッド)が、そこで偶然に出逢った農家の中年主婦(メリル・ストリープ)と恋におちいり、ふたりは旅行中の主人が留守にしている彼女の家で四日間をいっしょに過ごしてしまう。
それから24年が過ぎて彼女が亡くなった時、実家に集まった長男と長女が遺品の整理をする中で一台の古いニコンFがでてくる。 それといっしょに出てきた日記と手紙が、確かに実在した彼女の不倫の恋の物語を明らかにする。
自分たちの母親は平凡な主婦として一生を終わったと信じていた子供たちにとっては、思いもかけないことだったろう。

僕が見たのも随分と昔のことなのではっきりとは思い出せないが、強く印象に残っているのは、夫のいない家に見知らぬ男を迎え入れたことで、何となく不機嫌になっていたメリル・ストリープのぎこちない心が、夜が更けるに連れて微妙に変わっていくという場面だったと思う。 ちょうど舞台の芝居を見ているような気がしたのを覚えている。
ぜひ近いうちにもう一度見てみたい、と思っている映画の一つである。

ところで・・・
なぜ橋に屋根をつけるのか?
理由は二つある。 まず橋そのものを風雨から守るため。 当然ながら昔は橋は材木で作られたので、屋根があるのと無いのとでは橋自体の寿命が比較にならないほど違うんだそうだ。
もう一つの理由は、橋の近所で働く農民だとか通りすがりの旅人だとかが、嵐などに遭ったときにここで難を逃れるためだった。

ちなみに、映画のマディソンという名の郡(county)は、同名の郡がアメリカ中いたるところにある。 僕の住む地域にもある。
とりあえず上の写真は 『モンゴメリー郡の橋』 となるわけだ。 僕の家から自転車でも行けるほどの距離である。


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ナルシスの死

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水の戯れ
Charles River, Boston



ナルシス

ナルシスが水浴びする
かわいい裸の娘たちがナルシスを見にくる
ナルシスは水から出て 娘たちに近寄る
すると気づく 今までの自分とちがつている
どこか変わつているのだ
かれはわれとわが身を愛撫して
びつくりする 望んだのでなく知識もなかつたのに
まるで若い馬のように
大きくなつた男性のしるし
はずかしさよりうつとりとなり
かれは水にはいる
娘たちを眺めては
水の中の下半身を見てみる
おや
水の屈折作用で
棒が折れた
かれは溺死する
子どもつぽい絶望にうちひしがれて
―― ジャック・プレヴェール 渡部兼直 訳



ラヴェル 《 水の戯れ 》




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またまたクイズ当選者の棄権が・・・

十月のクイズの当選発表をしてから5日が過ぎましたが当選者の方から連絡がありません。 棄権とみなします。
それで改めて抽選をしました。

新しい当選者は 「川越」 さんとします。

今日はいいチャンスだから僕の抽選方法を発表しましょう。
昔博打場でさんざん世話になったサイコロです。
まず、当選者に通し番号を付ける。 そこでサイコロを振り、丁半の結果で人数を半分にする。 残った人たちに再び番号を付けてまたサイコロを振る。 同じ手順を最後の一人が残るまで繰り返す。

この方法は厳密にいうと完全に公平だとはいえないのです。
当選者の総数が偶数の時は問題はないのですが、奇数の場合には最初奇数番号を付けられた人は偶数番号の人より、予選の回数が1回だけ増えるからです。
ただ、公平でないのはわかるんだけど、それじゃあどう公平でないのか? 奇数と偶数ではどちらの人に有利なのか不利なのか? どちらの勝率が高いのか? と頭をひねって考えたのですが、その方面に頭の弱い僕にはどうも判然としません。 読者の中でどなたか数学的に解明してくださると非常にありがたい。



川越さん、おめでとう。
住所氏名を非公開コメントにして送ってください。
お好きな写真を指定することを忘れないように。
数日経ってもご返事のないばあいは棄権とみなして次の方を選びます。


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ダヴィンチ・コード

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聖母子像
The Hermitage Museum in St. Petersburg, Russia


今朝方、日本にいる友人の画家がメールをくれた。
彼女が言う。 先日の僕のブログのダ・ヴィンチの聖母子像は左右逆なんじゃないか、と。
ええっ? と思ってすぐにグーグルの画像で検索してみると、なんと両方のバージョンがいっぱい出てきたのである。 数からいうとマドンナの左向き(鑑賞者から見て)のほうが多いけど右を向いているのもかなりあった。 僕がブログに載せた右向きのバージョンはアメリカでもポピュラーなアート専門のポスターを売るサイトからの拝借だった。 色の再現がきれいだし画像のサイズ、解像度が僕の目的に合っていたからだ。

僕は少し狐に摘まれたような気になってどうしたものだろう、と考えた。 それで思いついたのは、そうだこの絵が掛かっているロシアのサンクトペテルブルグの美術館へ行ってみよう。 そして実際に展示してある状態を見ればこれほど確かなことはないじゃないか、ということだった。 (もちろんインターネットで行くという意味です)
そしてその結果が誰かが撮ったこのスナップショットだった。 僕の友人は正しかったのだ。 いつもそうだけど。

僕はさっそく先日の写真をクルッとひっくりかえしてブログを更新した。 でも疑い深い人はそれでも言うかもしれない。
このスナップショットが逆になっていないという確証はないよ、と。 確かにそうだ。 この写真に、絵のタイトルとか説明とかで文字が入っていればよかったんだけどね。

すべての真実はいいことだ。
でも
すべての真実を口に出して言うことがいいとは限らない。
アフリカの諺


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マドンナに逢った旅

2012/10/18 []
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聖母子像
レオナルド・ダ・ヴィンチ


アメリカだろうとヨーロッパだろうと、美術館と名のつくところで古典のセクションを巡っていると、必ず目につくのが聖母子像だ。
つまり母親のマリアと息子のイエスの肖像画や彫刻なんだけど、ほんのたまにだけ、マリアの旦那のヨセフさんが顔を出していることもある。 処女懐胎などといってマリアは男に抱かれることもなく処女のままで妊娠してしまい(?!?)、それではどうも格好がつかない、世間体もあるしということで、大工のヨセフさんを夫として迎えることになる。 だから生まれてきたイエスはヨセフさんとは血のつながりがなく、戸籍の上での父子ということになるわけだ。

僕は聖母子像を見るたびにそこにいないヨセフさんのことを考える。 美しい妻とどのような暮らしをしたのだろうか? 彼とマリアは愛しあったのだろうか? イエスのあとに子供ができなかったということは、二人の間には愛の交わりはなかったのだろうか?
あの、世界で最も愛読され続けている長編小説 『新約聖書』 のどこにも、これらの問いに答えてくれる個所はない。 マリアはその後 「マドンナ」 というハンドルネームを付けられたりして偉大なアイドルとして有名になって、巨匠たちがこぞって彼女を描いたのに比べると、大工のヨセフさんは自分の妻の影にあまりにもヒッソリと隠れている。 

僕はこんないろいろの疑問をまわりのカトリック信者(実にたくさんいる)にぶつけてみたが、マドンナの夫婦生活ということになると彼らはとたんに寡黙になり、満足な答えをしてくれる者はいなかった。 それは当然のことで、聖母マリアは一生を通して男に汚されることのなかった聖なる処女であった、としておきたいカトリック教会としては、マリアとヨセフにセックスなどをしてもらっては困るわけだ。 それにくらべると、プロテスタントの世界ではこの夫婦はイエスのあとに6人の子供を作っているから、こちらのほうがずっと人間らしい話になっている。



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ヴェネツィアのマドンナ
Venice, Italy

ヴェネツィアの運河を行く混んだヴァポレットの中で、僕はイエスを抱いた21世紀のマドンナに遭うことになる。
赤と青の衣服のコントラストまでダ・ヴィンチのマドンナに似ているのに感動した。 母子像の背後には優しく彼らを見守るハンサムなヨセフさんがいて、その横にはイエスの兄にあたる男の子もいた。 この聖家族は処女懐胎の結果ではないような気がする。 これは愛とエロスの結晶に違いなかった。


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聖母子像群
Musée National du Moyen Age, Paris, France

パリの中世博物館の一室は聖母子像のオンパレードだった。 赤子を抱いていない像もあれば、抱いているイエスがオジさんみたいな顔をしていたり、マドンナもなぜか美人が少ない。 そこには何か宗教上の、あるいは宗派上の意図が働いているのだろうか、と思うほどだった。




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十月のクイズの結果

2012/10/16 [クイズ]
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22人と1匹の群集劇
Cincinnati, Ohio USA


正解は、写真を撮っている僕自身もふくめて22人。
応募者が13人で、正解者が6人という結果になった。

撮影をしている僕を数えなかった人もいたし、僕を数えても最後尾にいてジェーンと話をしているクリスが見えなかった人もいたようだ。 敏感な読者なら、ジェーンのボディランゲージ(身振り)から彼女が誰かとの会話中だと読み取れたはずだ。 問題の部分をうんと拡大してみるとこうなる。


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またキッチンということで調理をする場所だけを考えた人もいたようだが、付随するブレックファーストテーブルも含めてキッチンと呼んでしまうことが多い。 隣室のダイニングルームは15,6人が座って正餐ができるほどの広さがあるけれど、普段は使われることはなく家族のディナーもキッチンでとる。 この日も料理をダイイングルームのテーブルに並べてビュッフェ式のディナーだった。

抽選の結果、当選者は 「Anne」 さんでした。

Anne さん、おめでとう。
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浮気な女だと、人は云うけれど

2012/10/14 [音楽、映画、絵画、本、など]
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フランス人形
Paris, France


1960年代の半ばに僕は日本のシャンソン界に1年ほど関係していたことがある。
あの頃はシャンソン歌手として戸川昌子、丸山明宏、岸洋子などが活躍していて、彼等はいずれも銀座の 『銀巴里』 や御茶ノ水の 『ジロー』 あたりから巣立ってきた人たちだったと思う。 そんな時、銀座の電通通りの日航ビルの地下に、新しく開店したシャンソン喫茶が 『日航ミュージックサロン』 だった。

僕がピアノを弾いていたのは正確に言うとその銀座ののミュージックサロンではなくて川崎の日航ホテルだったから、いわば銀座のミュージックサロンの支店のようなもので、アルトサックスの高橋さんという人のクインテットの一員としてそこへ入っていた。 (高橋さんはそのあと交通事故で亡くなった)。 支店といっても、本店に出演する十何人かのシンガーたちは支店にも出ることを義務付けられていたから、そんなわけで数多くのシャンソン歌手たちと知り合うことになったのである。 そのうえ、僕は時々は銀座の本店でピアニストの三好さんの代わりも務めたので、この洒落たシャンソンカフェにいつでも好きな時に顔を出して、裏の楽屋まで自由に出入りをすることができた。 

今あの頃の記憶をたどってみると、もう数人のシンガーたちしか思い出すことができない。 
工藤勉、仲まさこ、田代美代子、佐良直美、花井チズコ、平野レミ、仲代圭吾 (仲代達矢の弟) などだ。 そしてその中の数人の人たちとは個人的にも親しくなって仕事を離れた場所で会ったりしたものだった。 

平野レミさん
僕が大学でフランス文学を専攻したのを知ったレミさんが、フランス文学者であった彼女のお父さん、平野威馬雄さんを紹介してくれて松戸のお宅までお邪魔したことがある。 それがきっかけになってレミさんとはステージのあとで時々いっしょにお茶を飲んだりするようになった。 日本人離れした可愛い顔立ちに似合わず、底抜けに明るい天真爛漫な彼女の性格に僕はそれとなく惹かれていたのは確かだった。 ジャズを勉強したいというレミさんをマーサ三宅さんに紹介してあげたりしたが、それからしばらくして僕は日本を離れてしまった。
あれから40年以上が過ぎて、つい最近、日本の友人と話をしていたら彼女の名前が偶然に出てきて、今ではレミさんは料理家として大いに売れていると知った。 Youtube で彼女の料理番組を見ると、昔とちっとも変わっていない彼女がそこにいて、昔よりさらに早口で喋るのを聞いて僕は思わず笑ってしまった。

花井チズコさん
花井さんが日航ミュージックサロンで異色だったのは、彼女はジャズシンガーだったということだ。 当然ながら僕とはすごく気が合って、彼女と僕はあちこちのコンサートやライブのクラブに出没した。 当時すでにベテランだった彼女はある日何を思ったのか、アメリカに渡ることを決心して僕よりも一足先に日本を離れてサンフランシスコへ行ってしまった。
僕の方は数年後にはボストンに住んでバークリー音楽院に在籍していたが、これも僕より先にサンフランシスコに渡っていた大学の友人の一人がボストンに移住して来た。 その彼が言うには、サンフランシスコのジャズクラブで歌っていた花井さんを見たそうだ。 1972年頃の話である。
それきりになってしまった。 彼女の名をあれこれと検索してみたが結果は空しく、何も出て来なかった。 

佐良直美さん
僕が1年足らずしかいなかった日航ミュージックサロンに、数多いベテランに混じって新人の佐良直美という名の女の子が登場した。 いつも付き人としてそばを離れなかったのが、確か彼女の叔母さんに当たったと思うけど豊満な身体をした中年の女性だった。 楽屋でこの叔母さんの、周りに対する気の使いようは尋常ではなくて、いつもチョコレートやキャンディのふんだんな差し入れがあったり、時々は関係者を直美さんの豪勢な屋敷に呼んでパーティをやったりした。 
この子はいい声をしているだけではなく歌が抜群にうまかったから、そのうち名前が出るだろうと思っているうちに僕はシャンソンの世界を離れて次の仕事へ移っていった。 そしてしばらくして、彼女が 「世界は二人のために」 でレコード大賞の新人賞をとったことを知ったのだ。

その次に彼女と会って話をしたのは、ずっと後になって僕が日本テレビの深夜番組 『11PM』 でミュジックメーカーズの一員としてレギュラーで出ていた時で、彼女がこの 「いいじゃないの幸せならば」 でまたまたレコード大賞をとった直後だったと思う。 
一人の男を切々と思いつめる女心しか歌にならなかった日本の歌謡界で、刹那的で頽廃的な匂いのする岩谷時子の歌詞は若者たちに新鮮な風を吹き込んだ、という記憶がある。 







現し世は夢 夜の夢こそまこと
江戸川乱歩



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秋がきて秋がゆく

2012/10/11 [音楽、映画、絵画、本、など]
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墓地の秋
Dayton, Ohio USA


いつものように今朝5時前に起きて、外の気温を見たらなんと1℃だった。
晩秋というよりはもう冬である。 昨夜からヒーターを入れたので家の中は21℃に保たれていて温かいが、犬を外に出す時に裏庭のドアを開けたらいきなり冷気に襲われてその瞬間僕はシャッキリと完全に目が覚めていた。 犬たちは地面に重なった枯葉の上をかさこそと音を立てて歩くと、さっさと用を足してまっすぐドアに向かって走り帰ってきた。 犬も寒いんだ。 

枯葉といえば、プレヴェールの詩にコスマが曲をつけたシャンソン 《枯れ葉》 ほど昔からジャズのミュジシャンに好まれて演奏されたナンバーはあまり無いんじゃないかと思う。 その理由は(自分もミュジシャンの端くれだったから分かるんだけど)メロディがことさら美しいうえに、コード進行がすごく自然に流れるのでプレーヤーにとってインプロヴィゼーション(アドリブ)がやりやすいからだろう。
有名なアルバムはそれこそ無限にあって、エディット・ピアフやイブ・モンタンのフランス陣のオリジナルから、アメリカに渡ってシナトラ、キング・コールのシンガー連中。 ジャズ界でもちょっと考えるだけでビル・エヴァンス、チェット・ベーカーとポール・デズモンド、マイルス・デビス、キース・ジャレット、スタン・ゲッツ、とあとからあとから出てくる。 いや、自分のアルバムにこの曲を入れていないプレーヤーはまずいないんじゃないか、と言っていい。

なかでもぼくが好きなのはこのベニー・ゴルソンの古いアルバム。
彼のクインテットは、自身のテナーとカーチス・フラーのトロンボーンのユニークなサウンドで十代の僕を魅了したものだ。 彼等のアドリブの旋律を、僕は今でもほぼ完璧に、いっしょになって口ずさむことができる。 「枯葉」 の教科書的な演奏と言っていいだろう。
秋になると僕はこの演奏を思い出す。





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十月のクイズ

2012/10/09 [クイズ]
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一族が集まる時
Cincinnati, Ohio USA


僕がその一員となっているこのアメリカの一族は、直系家族だけを数えても35人という大人数になっていた。
「なっていたと」 と過去形にしたのは、昨年のクリスマスに集まってこの写真を撮った時にはその中の二人が永久に欠けていたからである。 一人は一族の首長であったオヤジさんで、彼が一昨年のクリスマスイブに亡くなったのでこの日はちょうど一周忌にもなっていた。 一族内で最初の死、ということになる。 そしてもう一人は僕の義弟の一人がこれも一族内で初めての離婚というイベントを経験して、彼の妻もこの家族から脱落していった。 だから、昨年のクリスマスには33人がシンシナティの義妹の家へ集まったことになる。

ところが今年になって、僕の姪の一人が結婚をしたのでそれでまた人数が増えることになった。 これからは若い甥や姪達が次々と結婚していくことになるに違いないから、数はますます増えていくだろう。 そしてその彼等にそれぞれ子供ができれば、この一族はどこまで大きくなっていくのか見当もつかない。 それまでには僕自身も含めて何人かがこの一族から消えてゆく。 世代の交代が進行しているのである。
 
以前ならクリスマスに限らず、一年を通しての家族の集まりはあちこちを持ち回りでやっていた。 もちろん我が家でもやった。 それがここ15年ほどの間にこの一族はどんどん膨らんできて、今では全員を収容できるのはシンシナティの義妹の屋敷だけになってしまったのである。

長い間にいつのまにか、家族が集まる時の写真係は僕、ということになってしまっていた。 
この日も僕はカメラを首から下げて、左の手にドリンクを持ちながら右の手でカメラを持ち上げて撮るという怠惰な格好でパチパチとシャッターを切っていた。 すでに33人が全員集まっているというのに、リビングルームでフットボールを観戦する者や地下のプレールームでピンポンに興ずる者、ダイニングルームでつまみ食いをする者、外に出て雑木林を歩き回るものなどがいて、このキッチンには今これだけの人数しか集まっていない。

それでようやく、今月のクイズとなる。
今このキッチンには何人がいるのだろう?

正解者の中から1名を抽選で選び、僕のブログ上のどれでもお好きな写真を差しあげます。 
締め切りは今日から1週間。
答えは非公開コメントにして下さい。


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自分の顔について

2012/10/06 [過ぎて行くこと]
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ある秋の日の午後、自宅の仕事部屋で
September30



人は時として、ふだん思っても見なかったことをある日平気でやってしまうことがある。
その日の僕がそうだった。
あと数日で自分の✕✕回目かの誕生日がやってくる、というある日。 僕はかつて一度もやったことのないことをやろうとしていた。
自分のポートレートを撮ろうと決めたのである。
これは実に未曾有のハプニングと言ってよかった。 僕は人の写真はいつも撮っているくせに、自分の写真を撮られることを極端に毛嫌いしてきたからだった。 人が撮った自分の顔を見るたびに、いつも決まって何となく嫌なものを見てしまったような気になった。 何かしら目を背けたくなるもの、それをいつも自分の顔に感じていたようだ。
それがこの2012年の誕生日近くになって、大胆不敵にも自分の顔を撮って見ようと思ったのである。
何がそうさせたのか? 
考えてみるとたぶん、昔の偉い人が言った 「人間はある年齢に達すると自分の顔に責任がある」 という言葉が、人生の晩年になって今またひとつ歳をとろうとしている自分の胸に浮かんできて、とうとう一度自分の顔を見直す時が来たのではないか、と観念したのかもしれなかった。
僕は風呂に入って身を清めると、髭を剃り、髪を洗い、その髪をぴったり頭に撫で付けて最近ようやくサマになってきたポニーテールを結って、鏡の前のハイチェアーに座ったのだった。

だいたい僕は自分の顔を醜いとは思ったことはないけれど、もっとハンサムだったらどんなに幸せだろう、とは常に思っていたようだ。 大学の同級生で男の僕が見てもうっとりするような美しい男がいた。 痩身の彼は色白で鼻筋がシャキッと通っていて、着物を着せたらまるで東千代之介のような美男だった。(何十年日本を留守にした僕は今の芸能界を知らず、こんな古い比較しかできない) そいつと一緒にいると僕はいつも自分が引き立て役で、脇役の三枚目に堕ちていくのを感ないではいられなかった。 僕にとって唯一の慰めは、身長が177センチの僕よりも彼は5センチも低いという、それだけだった。 しかし問題なのは身長ではなくて顔だ、ということはあまりにも明らかだった。 道で行き交う女性は驚いたように彼を振り返るし、飲みに行くとバーの女達は皆彼の周りに群がった。 一人寂しく下宿に帰った僕は口惜し涙で枕を濡らしたものだ、というのはちょっとオーバーだけど。 

とくかくそんなことがあったりして、いつの頃からか、女が惚れるのは男の心ではなくて顔なんだ、といういじましい先入観に、僕は支配されていたようだ。 そして、心は変えることができるけれど、顔は変えることができない、というのは何という不条理だろうと長い間思っていた。 それが、世の波に揉まれながら必死に生きているうちに、そんなことはもうどうでもよくなって、自分の顔のことなど考える余裕もないままいつの間にか歳をとっていた。 そして時々写真の中の自分の顔を見るたびに、(ああまたお前かよ。もういいよ) という気持ちになった。

そんなわけで、今こうやって改めて自分の顔を見て思ったのは、
「なにい~ 俺ってそんなに悪くないじゃん」 ということなんですけど。

そして今初めて気がついた。 長い間嫌っていたのは実は自分の顔ではなくて、その顔の奥にある自分だったのだと。


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動物好きの絵描きさん 5 ウサギ

2012/10/04 [音楽、映画、絵画、本、など]
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ウサギの家族
By Green Eyes
Calligraphy by Kuniko R.


ウサギの絵を描いた Green Eyes はウサギ年である。
日本にいる親しい友人もまた同じだ。 ただこの二人は年代が違う。 そう思ってこの『陰陽道の世界』を読んでみると、実にピッタリとこの二人がそれぞれの兎として書かれているのに驚いた。



●乙卯 (きのとう) 大正4年  昭和50年  

この生れの人は、なまけ卯といいます。卯には二つの特徴があります。一つは優美、もう一つは遊び心です。乙卯は後者の代表で、少しでも暇があると遊びたがり楽をしたがります。そして美しい衣服を着たり、化粧をしたり、小説を読んだり、芸を好む人が多い。気性は弱く、何ごとにも執着力が少なく飽性です。若いうちは異性関係での苦労が多く、職業も定まりにくい。中年は意外な引き立てを受けることがあります。男女とも縁談は再三変化しやすく、子供はたくさん恵まれます。

 ●丁卯 (ひのとう) 昭和2年  昭和62年  

この生れの人は、野卯あるいは山卯といいます。野生のままの卯なので割合に荒々しい行動を見せます。卯の中では一番壮健ですが、幼年期は病弱なときもあります。気性は快活で多弁です。どちらかというと多弁な為に口からの災いを生じやすく、嘘つきに見られがちです。親兄弟はじめ身内の縁に薄く、また力になる者が少なく、孤独になりやすい。しかし非常に同情と義侠心に富み、世話好きなので人気があります。若い内は苦労も多いが、子供に出世する者があり、晩年は平安な運となります。長寿です。

 ●己卯 つちのとう)  昭和14年  平成11年

この生れの人は、家卯あるいは飼卯といいます。家畜の様に飼育されている卯ですから、自然な気性はありません。そのかわりに一生生活に困ることはありません。独立自営の気力が少なく、目上の引き立てとか、人の下で働いて他力で安定を得るタイプです。心は温順でよく人に親しみ愛されるので、敵を作ることは稀です。物事によく通じ聡明で参謀的知略を持っているので重宝がられます。結婚の縁はたびたび変わりやすく子供は少ない方です。若い内は自由や恋愛など、本能的な面での発展はしにくい運勢にあります。 

●辛卯 (かのとう) 昭和26年  平成23年    

この生れの人は、月卯あるいは餅つき卯といいます。ものごとの考え方や行動が一般の人とは異なり、哲学者や詩人タイプで、理想や空想に生きる人です。活動力に乏しく、美を愛し、夢を好みます。世の中の事に無頓着で、忍耐力や持続性が少なく、気が小さい割には、いかにすれば名誉を得たり、大富豪になれるか、などと考えたりします。夫婦間では割と冷淡なところがあります。また子供に対して責任を負うことをきらいます。心配性の割にはのんきそうに構えるところがあります。

 ●癸卯 (みずのとう)  昭和38年      

この生れの人は、玉卯といいます。軽快でころころ転がるような愛くるしさと、親しみやすい甘えた調子で、愛嬌のある人です。しかし性格は冷静で理性に富み、感情に走ることはまれです。そしてどことなく貴賓を供えていて、全体に柔らかく見えます。また意志が弱く人の言いなりになりやすいところもあります。波瀾の多い人生で、他人と共同することが出来ず、かといって独立もなしえないところがあります。ただどのような困難な場合でも、不思議と人に助けられる徳を持っています。

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レディファーストの国 アメリカ

2012/10/01 [過ぎて行くこと]
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少女たちの夢
Dayton Art Institute


先日のこと。 近所に住む知人の中学生になる娘さんが、町の催し物の一部として美術館でバレエを踊るというので、出かけてみた。
美術館の正面入口で重いガラスのドアを引いた時、自分のすぐ後ろに幼児を抱いて小さな子供の手を引いた日本人の女性がいるのに気がついて、僕はそのままドアを支えると彼らを先に中に入れてあげた。 「ありがとうございます。」 とその若いお母さんに日本語で感謝されたのはともかく、5,6歳の男の子が大きな声で 「ありがとう」 と言ったのに驚いた。 そして微笑ましいと同時に嬉しくなって、僕は思わずニコニコとしていたようだ。

女性や子供、老人のためにドアを引くことなどアメリカでは日常茶飯事で誰でもしている。 電車の中で席を譲るのも同じで、若くて元気のいい女性ならともかく、老人や子供連れの母親には即座に誰かが立って席が譲られる。 だからどこかの国のようにシニアの専用席だとか、女性専用の車両とかは全く必要がない。 誰もが意識することなく自然とそうしてしまうのである。 またそうされた方でも "Thank you!" と感謝しながらためらわないでその見知らぬ人の好意を受け入れる。 これはどこでも見られる日常の光景だ。 
古いアメリカ映画でよく見るような、食卓で女性のために椅子を引いたり、女性が席を立つたびに同席の男が全員立ちあがる、というのはさすがにもう見られないが、部屋に入る時、エレベーターに乗る時、電車に乗る時など、一緒にいる連れが女性の場合に男性が先にたって入る、ということは今でもまず絶対にないといっていい。

これはレディファーストなどと格好良く呼んでるけれど、実はアメリカという国の男尊女卑の表れ方のひとつに違いないと思う。
西部開拓時代の昔から女性はか弱いもの、非力なもの、俺たち男が常に危険から守ってやらないと何もできないもの、という通念が、そのまま今でも残っているのである。 それだけではなく、女性というものはしおらしく男の後をついてくればいいのに、家庭内ではいっぱしの母権を主張してガミガミとうるさいことを言うから、まあ外に出た時に人前で上げてやれば機嫌も良くなるだろう、と一種のおべっかの意味もあるのかもしれない。

現代のアメリカも紛れなく男尊女卑の世界だ、ということは毎日のニュースを見るとわかる。 
会社で男性の同僚と同じ仕事をしているのに女性の給料が低い。 男性より仕事ができるのに昇進は男性に先を越される。 そういう女性がこぞって会社を相手に起訴を起こす。 そして莫大な慰謝料を勝ち取る。 雇用者側でもそれを恐れて最近は、少しづつ改善されてきているようだ。
(とくにアメリカの場合は男女差別に加えて人種差別が大きく絡むから、ことは何倍も複雑になってくるのだが・・・)

だから現代の「すべてに男女同権」を主張する女性たちにとっては、レディファーストの習慣など真っ先に拒否をしたくなるものじゃないか、と思うんだけど実際にはそういう女性たちも日常の生活では、レディファーストを古き良き習慣として素直に受けているようだ。
今夜のテレビでも、オバマ大統領がローズガーデンから屋内に入る時に、夫人のミシェルのためにドアを開けてやっていた。

また、これは女性や老人とは限らず相手が誰でも同じだが、路上や店内でお互いにぶち当たりそうになった時など、必ずといっていいほど双方が顔を見合わせて微笑をしながら "エクスキューズ・ミー" と謝る。 誰かの前を横切るときも "エクスキューズ・ミー" だし、誤って人の体に触れてしまったりした時も "エクスキューズ・ミー" である。 
だからアメリカではどこへ行っても、サンキューのキューとエクスキューズ・ミーのキューが、キューキューと響いているのだ。 人間同士が誰とでもうまく暮らしてゆきたい、というアメリカ人の生活の知恵と言えるかもしれない。

日本ではどうなのか?
それは僕なんかよりは読者の方がよくご存知だろうと思う。



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