過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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September30

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ヒッピーのころ

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Cambridge, Massachusetts USA


70年代初めのアメリカはヒッピーたちの天国だった。
とりわけ、100 以上の学校があるというボストン、ケンブリッジ界隈には町中に若い連中が溢れていて、彼らは謹厳でまじめな〈スクェア〉でなければあとは多かれ少なかれヒッピーのような生活をしていた。 「あいつはスクェアだよ」 とレッテルを貼られることは一種の仲間はずれを意味していたようだ。 街中どこを歩いてもどこからかマリファナの匂いが流れてくるし、公園や広場では数人が車座になってポットやハシシの回し吸いの最中で、そこへは老若男女だれでも自由に参加できて人種差別は一切なかったから、これは今では考えられないような偏見のない社会だった。
結婚生活に終止符が打たれていきなり独りになってしまった僕は、暗い心を抱えて毎日のように街を彷徨ったが、そんな僕を何も言わず何も聞かずに迎え入れてくれたのはこのヒッピーたちだった。 彼らのおかげで僕は悲痛な孤絶感などをあまり感じなくてすんだのだと思っている。 そういう自分だって、髪は肩まで伸びて、タイダイ(絞り染め)のTシャツにベルボトムのジーンズという格好をして外を裸足で歩きまわっていた。

その僕が毎週日曜になるとよく行ったのが、ハーバード大学の向いにあるケンブリッジ公園だった。 よくまあこれだけの人が集まる、と思うくらいに日曜になるとどこからか若者たちが集まってくる。 手作りのネックレスやサイフ、マリファナ用の短いパイプなどを売っているのもいれば、ギターを弾いたりパントマイムを見せたりするアーティストもいた。 僕自身も、そのころ稽古していた三味線を抱えて行って、あまりうまくない撥(バチ) さばきを群衆に見せたことも何度かある。 前に置いた紙コップがドル札や小銭でけっこう一杯になり、なるほどこういう生き延び方もあるんだと思った。
そういえば昔、東京で大学に行っていたころ、乞食(こつじき)は最も聖なる生業(なりわい)だと仏教に教えられて、友人とふたりで高田馬場駅前に座ったことがあるが、1日中座って誰も、ただの一人も金を置いてくれなかったことを思い出す。 それにくらべるとアメリカ人は、「恵む」 という精神がはるかに徹底しているようだ。

ところでこの三味線というのは、その頃同じアパートの同じ階に住んで同じ学校に通っていたK君がいて、彼の奥さんが、F流の長唄の家元の直系のお嬢さんだった。 彼女が僕のためにわざわざ稽古用の三味線を日本から取り寄せてくれて、1週間に1度か2度、そばに付きっ切りで稽古をつけてくれた。 現在では彼女は家元を継いで、日本中にいる何百人ものお弟子さんを教えるのに、飛行機で忙しく飛び回っているそうだ。

前回ボストンに行った時に(といってももう10年以上前の話になる) この公園まで足を伸ばしてみたが、遊園地で遊ぶ数人の母子を見ただけで、30年前の思い出のかけらはどこにも無かった。 すぐ近くのハーバード広場の雑踏は昔と変わらないけれど、人もファッションも店もすべてが変わっていた中に、ようやく見つけたビルの地下の懐かしいバー 『青い鸚鵡』 でビールを飲みながら、(この30年に自分に何が起こったのだろう) と考えていた。

あのころの僕の姿は、古い記事 『三味線とパイプ』 に見ることができる。



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1月のクイズの結果は・・・

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テニスを見る人々
Cincinnati, Ohio

テニスのオーストラリア・オープンが開催中だ。
世界中のテニスのプロ選手たちは、グランドスラムとかメージャーとか呼ばれる4大トーナメント (オーストラリア、フレンチ、ウィンブルドン、US) の各オープンのほかに、年間を通じて世界各地で催される ATP(The Association of Tennis Professionals)の小トーナメントを選んで出場することを義務付けられている。 その一つが僕の住む町からすぐ隣りのシンシナティのトーナメントで、メージャーのようにトップレベルのスタープレーヤーが全員揃うことはないとしても、その3分の1ぐらいが毎年8月の熱い真っ盛りにここにやってくる。 ここのトーナメントの直後には例のUSオープンがあるので、その前哨戦というか調整を兼ねて世界中からシンシナティまでやってくる選手が多いようだ。

僕が19年間勤めている今の会社はここのスタジアムにボックス席を持っていて、僕はそこの常連なのである。 同じシンシナティのベンガルズ(フットボール)やシンシナティ・レッド(野球)のボックス席と違って、会社内で席の取り合いになることはまずないので、僕はかなり自由に家族や友人を連れてここにやってくる。 開催の1週間を通してほとんど毎日やってきた年もあった。
メイン スタジアムの周囲には幾つもの小コートがあって、そこはプレーヤーたちの練習だけではなく、予選のマッチも行われるのだが、大スタジアムと違ってこの小コートではすぐ目の前十数メートルのところで観戦できるので、僕はむしろスタジアムよりも好きかもしれない。 有名なプレーヤーの練習風景や若い新人選手の試合を見てその将来性を見極めるのも楽しみの一つだ。 そして試合の合間にはこの写真のように隣のコートで進行中の試合も観戦できる。

今回のクイズは16人もの多数の解答が寄せられながら、正解がただひとりという珍しい結果になった。 誰もが向かいに見えるペットフード会社(このトーナメントのスポンサーの一つ)の広告に惑わされたようだが、それで犬に関する競技と決めてしまうのは、読者の皆さんは子供のように素直な人ばかりのようだ。
正解の Belrosa さんがおっしゃるには、

「答えは・・・
テニス。
Septemberさんがご興味のあるスポーツはテニスだけだと、どこかに書いてあったような。
この観戦者たちの服装も、揃いも揃ってテニスルックっぽいなと思ったことと、
頭の向きが左右に分かれているので、対面してやるスポーツじゃないかと思って、
直感的に連想しました」

お見事です。
Belrosa さん、おめでとう。
住所氏名を非公開コメントにして送ってください。
お好きな写真を指定することを忘れないように。
数日経ってもご返事のないばあいは棄権とみなして次の方を選びます。



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夢が凍る日々

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赤い壁
Orange, France



身も心も縮こまってしまいそうな、零下7℃が続くこの頃。
せめて雪でも降ればつまらない日常の風景が新鮮になる、と思うのにその雪は降らず、肌を刺す暗い北風が吹くばかりの憂鬱な毎日が続いている。

ああ陽光がほしい。

それにつけても思い出すのは南フランスの風景だった。 オランジの町の裏道を歩いていた時の、あの強烈な碧空の下の赤い壁は今はどうなっているのだろうか? 汗だくになって写真を撮りながら頭のなかには喉を通る冷たいワインのことしかなかったあの時の僕は今はどこへ行ってしまったのだろうか? 

今はあまりにも寒すぎる。


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1月のクイズ

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僕のクイズも数えてみたらもう26回目になる。
その前の古いブログでもほとんど同数のクイズをしたはずだから、50枚以上の僕の写真が世界中に散らばって読者の皆さんへ届いたのだ、と思うのはなかなか気分の良いものだ。 写真が送られて行った先は日本が最も多いのは当然として、あとはアメリカ、ドイツ、イギリス、フランス、スイス、イタリア、スペイン、アフリカ、オーストラリア、台湾、ポーランド、ベルギー、スェーデン、ウクライナ、カナダ、あとはもう忘れている国があるかもしれない。

もう50回以上もクイズを続けているなら、出題者としてはベテランになってもいいと思うのにところがそうじゃない。 難問だと思ったクイズが意外と易しくて多数の正解者があったり、逆に、誰にでもすぐに分かるだろうと思ったものにほとんど誰も答えられなかったり、いまだにまったく見当がつかない。

今月のクイズはかなり難しいんじゃないかと僕は思っているけど、はたしてどうなのだろう?

そこで今月のクイズ・・・
この人たちはお尻を並べて何を観戦しているのでしょう?


正解者の中から抽選で1名の方に、僕のブログ上のどれでもお好きな写真を差しあげます。 
締め切りは今日から1週間。
答えは非公開コメントにして下さい。


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被写体はどこにでも・・・写真のレシピ (11)

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固いものと柔らかいもの、あるいは無機物と有機物
それとも只のスナップショット



「何を写真に撮れば良いのかわからない」
とはよく聞く言葉だ。 「何を撮るべきか」 はたぶん写真家にとっては最初にして最後の命題に違いないと思う。
そのことは僕もさんざん考えたし、本を読んだり仲間と議論をしたり、夜も寝ないであれこれと悩んだりしたものだ。
でも結局到達したところはごく単純な結論で 「撮りたいものを撮る」 ということだった。

「撮りたいものを撮る」 というのはわれわれのように写真を仕事としてではなく、趣味としてやる者にとっては実に天から与えられた恩恵だと考えたことがあるだろうか? 
これがプロだとそうはいかない。 うるさいクライエントがあれこれと注文をつけてくるし、自分の興味のない分野でも仕事となれば引き受けなければならない。 プロであることの厳しさとプロでないことのすばらしさを、僕は写真と音楽の両方の世界で経験しているから言えるのだけれど、創作の世界で誰にも何にも干渉されない究極の自由を持つということは、プロでないわれわれにこそ許されている特権だと言っていい。

ところがあり余る自由がありすぎるから 「何を撮っていいのかわからない」 という贅沢な悩みが出てくる。 あれを撮れこれを撮れ、と人に指図される方がずっと楽だからだね。  
そんな時には、「芸術写真を撮ろう」 とか 「人をびっくりさせよう」 などという気持ちをいっさい棄てて、自分の中にある無垢で素直な心にもう一度かえってみたらどうだろう。 そうすれば 「撮りたいものを撮る」 ことはそんなに難しくないはずだ。 日常の生活の中で目を惹いたもの、心を惹いたもの、それがどんな細かなことであっても逃さないように気をつけていれば、撮るものは無限に自分の周りにあることに気づく。

たとえば上の写真。
ある日テレビを見ている僕のすぐ前のスツールにパイがのんびりと寝そべっていた。 僕はパイのふわふわと柔らかそうな毛並みを見ているうちについ手を伸ばして触らずににはいられないような気持ちになる。 その毛並みの、柔らかいくせにほんの少しだけゴワゴワとした感触や、その下の皮膚の温(ぬく)もりを自分の指先に感じていたくなる。 それは感動と呼ぶような強い感情ではなくて、うっかりすると気にしないままに忘れてしまいそうな、かすかな心の動きに過ぎなかった。 でも僕はそれを写真に残したいと思った。

撮った写真をモニターで見ていて気がついた。 これは 「材質」 (texture) のオンパレードじゃないか! と。
パイの毛並みだけではなくてすぐそばの硬い竹で編んだスツール、床のオリエンタルラグ、クルミ材のコーヒーテーブルとその上に置かれたプラスチック製のリモート、そして柔らかなコットンのタオル。 そのどれもが指で触れて材質を確かめたくなる。 いや、見ているだけでその感触がすでに伝わってくる。 カメラを構えた時の僕はパイのお尻しか念頭になかったのに、今こうやって見るとなかなかおもしろい写真になっている。
写真を撮った時の自分の感情をいったん忘れて、あらためて客観的に眺めて見ることで見えなかったものが見えてくることがよくあるものだ。

今日のお話の続きとして、子供のようにのびのびと撮りたいものしか撮らないデリコさんの 『FOTO CYCHEDELICO』 をぜひ訪ねて見てください。


写真のレシピ(1)』 カラーかモノクロか     
写真のレシピ(2)』 ポイントを決めよう
写真のレシピ(3)』 陰影礼賛    
写真のレシピ(4)』 クロップの勧め
写真のレシピ(5)』 続・クロップの勧め
写真のレシピ(6) 群集劇のおもしろさ
写真のレシピ(7)』 ミニマリズム
写真のレシピ(8)』  警告!
写真のレシピ(9)』 芸術写真?
写真のレシピ(10)』 ユーモア


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動物好きの絵描きさん 11 馬

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By Green Eyes


僕にとって馬といえば競馬だった、という一時期がある。
ずっと昔、ほんの数年間だったけど、仕事と仕事の合間で定収入がゼロだった時に、僕は競馬で自分の家族の生活を支えていたことがあった。 いったんのめり込むと徹底して追求する、という生来の性格に加えて、その時は負けることの許されない状況に追い込まれていたから、もの凄い時間と集中力をかけて競馬の研究に没頭した。 そして、毎月の勝ったり負けたりの総計が常にプラスのサイドに留まるという偉業、というよりも奇跡のようなことを達成した。 そしてそれを数年続けた。
子供達がまだ幼かった頃で、一家の主としての責任感からどうしようもなくて手を出したことだったから、このギャンブルを僕は楽しむどころではなかった、というと嘘になる。 純粋に自分の頭脳だけを頼りにして夜も寝ないで競走馬たちのそれぞれの性向と才能を分析するわけだけれど、それに加えて最終的に右を取るか左を取るかの瀬戸際ではギャンブラーとしての直感が要求される。 そしてその予想がピッタリと現実として起こった時には、まるで自分がオールマイティな預言者の力を備えていると感じるような満足感があった。
人間がもう引くに引かれぬところまで追い詰められると、信じられないような力が湧いてくるものだ、とつくづく悟ったのはこの時期だった。

ところがおもしろいのは、
後年になって生活がずっと楽になり、好きな時にいつでもリラックスして競馬場に行けるようになってからは、僕はほとんどいつも負けていたということである。

その当時の僕をよく知っている知人の中に株の仲買人がいて、僕の競馬の ROI つまり Return on Investiment (投資回収率)の高さに舌を巻いて、株と競馬は投資という見地からは似たようなものだから、株をやってみたらと説得されたことがあった。 しかし僕がいまだに株に興味がないのは、金というものはコツコツと地道に稼ぐ以外にはないのだ、ということが今ではよくわかってきたからだと思う。

*****

ウマ歳の特徴

●甲午(きのえうま) 昭和29年 平成26年

この生れの人は、騎馬または競馬といいます。 華やかな生活を追う馬です。 運勢は飛ぶ鳥を落す程のときがあり、金廻りが良い方です。 賭けごとを好み、負けまいとする気持が強いので注意が必要です。 異性関係で失敗しやすく、結婚も落着きにくい。 子供との生活も出来にくい人が多い。 見栄を張るため、家庭の欠点は表に現さない人です。 口先では利口そうなことをよく言いますが、内心は以外と弱く小心です。

●丙午(ひのえうま) 明治39年 昭和41年

この生れの人は、天馬または神馬といいます。 実用の馬ではなく、象徴的飾りの馬です。 お宮に飼われている白馬のように神様の乗る馬として誰も乗せずに一生を終える馬です。 生活は自由ですが案外幸福な時期は少ない方です。 正直で曲った事を嫌い、人にお世辞の言えないタイプです。 気が強く夫婦の縁は再三変化しやすい。 人の何倍もよく働くところがあるので、他人からは可愛がられ衣食に不自由がなく、安楽に一生をおくれる人です。

●戊午(つちのえうま) 大正7年 昭和53年

この生れの人は、駄馬または荷車馬といいます。 働く馬です。 人に飼われ働く馬なので、飼い主しだいで運勢が大きく左右されます。 飼い主が良い人ならば一生安楽ですが、悪いと酷使されます。 飼い主とは目上の人や配偶者を意味します。 その選択が重要です。 総じて若い時は安楽で、中年に苦労が多く、晩年子供により安楽となります。 人のことでいらぬ苦労をすることが多く、また重大な責任あることを負わされやすい人です。

●庚午(かのえうま) 昭和5年 平成2年  

この生れの人は、兵馬といいます。 規律によく訓練された馬です。 普通の馬と異なり苦労も並たいていではありませんが、聡明で知識があり、愛され、一生生活に困るようなことはありません。 名誉、実力、共にある人で、人の上に立ち世に名を揚げることのできる人です。 子孫については苦労が多い。 体は壮健で、性質は荒々しく、向意気が強いため衝突が多く敵を作りやすい。 そのため孤独な生活をおくる人が多いようです。

●壬午(みずのえうま) 昭和17年 平成14年

この生れの人は、種馬といいます。 種族の保護と繁殖の任務を持った馬です。 人格、体質、系統、すべてにおいて優れた地位にあります。 子供を作ること、外交的あるいは計画的なことに関して上手です。 しかし何事も少ない働きで成果をあげようとする傾向があり、裕福にはなりにくい。 知恵や才能が人に認められても、人の下に使われることを好まないために、苦境に陥りやすいところがあります。
-陰陽道の世界-


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日本への旅

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森の中の家
鳥取県大山町


いつか日本にもう一度住んでみようと決めてから、心はすでに日本へ飛んでいる。
どこに住もうか?
と考えるだけでも楽しい。
でも僕は都会にはもう住めないだろうな、と思う。 今までも東京へ帰るたびに、あのめくるめくような人間の集団に囲まれたペースの速い生活には、長年アメリカでのんびりと暮らした自分など、すぐに神経がボロボロに擦り切れてしまうような気がして恐ろしくなる。 といって鄙びた田舎で周りから完全に遮断されて、自然を相手に仙人のようにひっそりと生きるというのは、どうも僕のスタイルではない。 都会のスリルがすぐに懐かしくなるのはわかりきっているから。 ということは、大都市の近くの田舎に住んで頻繁に都会の興奮を吸いに出かけるというのが理想的かもしれない。

そんな妄想をさらに楽しくするのは、海に住もうか山に住もうかという選択。
小さな日本だからどこに住もうと海にも山にも近いのはよくわかっている。 そうではなくて僕が迷っているのは、窓から海の見える場所に住もうか、それとも深い森に囲まれて暮らそうか、ということなのだった。
考えてみるとこの20年は、中西部という海も山もない小さな丘さえもない平坦な大平野に住んでいて、その前の20年は海のすぐそばのボストンで過ごした。 ボストンでは波の音が聞こえるようなところにアパートを借りたことも二度あった。 とすると、今度日本では山の多いところに住んでみたいような気がなんとなくしている。 

そこで信州。
若い頃から文学などを通して何となくロマンチックな憧れを感じていた地域である。 実際には大昔に長野市と軽井沢へ行ったことがあるだけなのに、信州は日本を離れた僕の心になぜかしっかりと刻み込まれていたようだ。
諏訪、千曲、佐久、岡谷、安曇野、浅間、小諸、飛騨、木曽、野尻、蓼科、などという地名を見るだけで、なぜか無性に懐かしい気持ちさえ湧いてくるのは不思議なことだった。
信州なら東京にも近いから汽車や車で数時間で行ける。 ちょっと隣町まで行くのに数時間かけるのはザラ、という広大なアメリカに40年以上も住んだ僕にとって、同じような感覚で、森の中の終(つい)の棲家(すみか)と、世界最大のメガシティのあいだを簡単に行き来ができる、ということはきっとすばらしいことに違いない。

そんな僕の夢物語を聞いたあるひとが 「それなら八ヶ岳がいいわよ。 冬は寒いけどあなたの好きな雪が多い上に、東京にもずっと近いし、第一すばらしい景色よ」 と教えてくれた。 うん、考えとくよ、と答えて僕の妄想はさらにどんどんと膨らんでいく。

人生が旅だとすれば、僕の旅は止まることなく、これからまだまだ続きそうな予感がする。



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零下 10℃ のこの頃

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Oakwood, Ohio USA


我が家の近所は街の表通りに近いということもあって、わりとこじんまりとした家々が立ち並んでいる。
寝室が3室か4室、というところだろうか。 道に面してどの家にも広い芝生の庭があって家はその庭の奥に建っている。 そして家の背後には表からは見えない小さな内庭がある、というのが典型的なつくりのようだ。 しかしそれぞれの家が強烈な個性を持っていて形も色も建築様式もまちまちだから、犬の散歩などをしていても見ていて飽きることがない。

ところがこの一画からさらに奥へ入ると様相がかなり変わってくる。
家(house)というよりも館(mansion)とか邸宅(residence)という風情の贅沢な屋敷が、並ぶというのではなくてポツポツと離れて建っている。 中には表からは鉄製の門が見えるだけで、長いドライブウェイが雑木林を抜けていくその先は、どんな屋敷があるのかまったくわからないような場所もあった。 

もう15年以上も前に僕らがこの町へ引っ越して来る時に、買う家を探してこのあたりを車で走り回っていた時に通りかかったのがこの写真の邸宅だった。 その時は春だったから、庭の前面の花壇には一面にチューリップが満開に咲いていて、玄関の車寄せの脇には噴水が吹き出ていた。 そして庭の中央には、一見折れたように見える2本の樹が盆栽よろしく植えられていて、豊かな葉を繁らせていた。 まるでヨーロッパのどこかにいると錯覚させるような雰囲気があって、僕はひと目で気に入ってしまった。 不動産屋の標識が道端に立っているのを見ると、この魅力的な邸宅はその時売りに出ていたのだろう。 といって僕らはこの家を買うことに興味がわいたわけではない。 家族4人にはあまりにも大きすぎたし、第一、家の値段は僕らが探している家がいくつも買えるほど高価なものにちがいなかった。

結局僕らはこの屋敷からそんなに遠くない場所に、古い小さなレンガ造りの家を見つけて、そこへ引越しをした。 そしてこの屋敷の前を車で通るたびに、四季それぞれの庭の風情を楽しんだり、このお気に入りの建物を以前何度か行ったヨーロッパの風景に重ねたりしていた。

それから10年ほどたったある日のこと、我が家に新しく家族の一員として加わった仔犬のパイ公が、誰かが閉め忘れた裏木戸から抜け出てどこかへ行ってしまったことがあった。
妻と僕はそれぞれの車で手分けしてほとんど一日中近所中を探しまわったけど、どこにも姿がない。 そしてパイはとうとうその夜は帰って来なかった。 その夜、僕は奴の写真をプリントして 「犬、探してます」 のポスターを何枚も作成した。 あくる朝になると、そのポスターを近所中に貼ってまわるつもりで出かけようとしたところへ電話が鳴った。 
電話の主が云う。 前日の夕方、一匹の仔犬が迷い込んできたそうだ。 お腹を空かせていたようなので家に入れて食べ物を与えたら、すごく疲れていてそのままリビングルームの床でぐっすりと眠ってしまったと云う。 そして今朝になって市役所へ連絡を取って、犬の首輪に付いている鑑札から我が家の電話番号を調べたそうだ。

僕はともかくほっとするし、妻は涙を流して喜んでいる。 すぐにその人の住所を訊くと犬を引き取りに行った。
鋭い読者はもう気がついたことだろう。
我がパイ公が迷い込んで行ったのは、僕のお気に入りのこの邸宅だったのである。


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あけおめです

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利き酒
鳥取県境港市


正月を迎えてもアメリカの僕の家ではおせち料理があるわけでもなく、屠蘇を飲んで祝うこともない。
そのどちらも、懐かしいとは思うけどもとくに死にたいほど賞味したいというものでもないから、そのかわり正午すぎにシャンパンを開けて好きなチーズをむしゃむしゃ食べて満足しているうちに元旦は終わってしまった。
子供達が幼い頃はそれでも正月にはお年玉を与えていたけど、なにしろつい数日前にクリスマスという超弩級の祝日があったばかりで、子供達は山のようなプレゼントやお小遣いがもらえるアメリカでは、お年玉も影が霞んでいつのまにかしなくなってしまった。
もともと僕は、日本に古くからはびこる慣習は美しいけれども実際的ではないという点と、生来の怠け者のせいで、年初めの年賀状なども電話とかメールで済ませてしまうことに、特に罪悪感を持ってはいない。

メールの年賀状といえば、数年前のことだけど知り合って間もなくわりと親しくしなった40代の日本人女性からもらったメールを思い出す。
「あけおめです。 今年もよろしく」 で始まって、それから最近のあまり見通しの明るくない世相などをひと通り嘆いたあと、最後に、「でも、あなたはネアカだから大丈夫」 で終わっていた。

僕は日本を離れてから40年以上異国の地に住んで、もちろん何度も日本に帰ってはいるが、ふだんは日本のテレビや新聞雑誌など見ることはないので、いわゆる日本の現代の文化に関してはまったく無知といっていい生活を送ってきた。
だから、日本語を忘れることはもう死ぬまでないとは思うけども、言語のように常に変わりつつあるものにはどうしても後れを取ってしまうことになる。
先のメールも、「あけおめです」 は 「明けましておめでとう」 のことだと直ぐにわかったが、最後の 「ネアカ」 にはまいった。
まさか、僕が寝垢にまみれている、という意味でも無いだろうし、さんざん首をひねったがどうしても見当さえつかなかった。
そういう時に僕がいつも助けを借りるのは、以前に僕の仕事場でアシスタント(今はもう秘書とは呼ばれない)をやってもらっていたK子さんだった。
「それは、根が明るい、ということですよ」 とK子さんは即座に答えた。

僕は思わずうなってしまった。
以前に 「苦労したあげく、ようやくゲットしました!」 という表現を読んで面白いな、と思ったことがある。 「ようやく獲得しました」 というより、ずっと現実味があって、第一、文の響きが新鮮だ。 書く方も読む方も急変する流行の最先端を行っている、という満足感もある。どうだ、あなたたち古い世代はついて来られないだろうと、知ってるもの同士が隠語をしゃべるときのような、優越感さえ感じられる。 だから、使いようによってはこの言い回しは面白い効果があるな、と思った。 つまり僕は古い世代のひとりとして日本語の堕落を嘆くだけではだめで、変わりつつある言葉はある程度受け入れなければならないのでは、と思う。
自分が使う使わないは別として、人の言うことは理解しなければ生きて行けないから。

たとえば 「あけおめ」 についていえば、「明けましておめでとうございます」 とていねいに言うことが何となくかしこまっていて照れくさいので、親しい間柄なら 「あけおめです」 になるというのなら、その効用はたしかにある、という気がする。
しかし、ネアカは困る。 これは完全にルール違反である。 根が明るい、ということをここまで縮めてしまう必然性もなければ、その効果も無いように思われる。

最近ひとのブログなどを読んでいてよく思うのは、知らない言葉に出会った時にいちいちK子さんに連絡を取るわけににいかないから、すぐに引けるような 「日本語の新語造語辞典」 のようなものが出版されていれば、ぜひゲットしたいと思っている。




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動物好きの絵描きさん 10 蛇

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By Green Eyes


新年のご挨拶です。
今年は蛇年だそうですが、私は蛇に睨(にら)まれた蛙にならないように生きてゆきたいものだ。
と、何かが起こりそうなこの新しい年の始めに思っています。

皆さんにとってどうか良い年でありますように。

September 30





ヘビ年の特徴

●乙巳(きのとみ) 明治38年 昭和40年 

この生れの人は、長蛇または棒蛇といいます。 身長のある蛇で動作はのろいようで、事があると意外と早い。 日常は温和にみえますが、一旦怒ると執念深く猛烈です。 不平不満で一生を送る人が多い。 勝ち気なため縁談はまとまりにくい方です。 身体が弱く、孤独な生活になりやすい。 外見は真面目で働き者に見えます。 子供の縁は薄いが、晩年は幸運です。

●丁巳(ひのとみ) 大正6年 昭和52年  

この生れの人は、天蛇または巻蛇といいます。 外見は身体が大きく人を圧倒しますが、動きは鈍くまた温厚な性格です。 頭脳明晰で人の顔色を読むことが上手です。 器用な人が多い。 裏表無く良く働くので人に好かれます。 縁の下の力持ちになることが多い。 身体が大きい割には小心です。 したがってあまり大きな事は達成しにくい。 住所の変化が多い。 人によく愛されます。

●己巳(つちのとみ) 昭和4年 平成1年 

この生れの人は、竜蛇または王様蛇といいます。 蛇のなかで一番威厳がある蛇です。 賢明で機先を制する能力に優れています。 短気で気ままな面もあり、善悪両方に強く、二重人格的な要素もあります。 世話好きで人情にもろい。 邪推の多いのが欠点です。 敵視されることは少ないのですが、味方も少ないのが特徴です。 若い時は苦労が多いが晩年は幸運です。

●辛巳(かのとみ) 昭和16年 平成13年 

この生れの人は、蝮(まむし)蛇または怒り蛇といいます。 蝮のように非常にどう猛で、身体は小形でも全身の力を振い敵に向かってゆくタイプです。 正義心、警戒心、任侠心があります。 知略がありながら実行力に乏しく放慢政策が多い。 正直者であるが生活に行き詰まることが多い。 遠慮がちで言いにくいことは飲み込んでしまうため、自分の利益が得にくい人です。 しかし座談上手で組織的なことには欠かせぬ人物です。

●癸巳(みずのとみ) 昭和28年 平成25年     

この生れの人は、臥蛇または寝蛇といいます。 蛇としての働きをしないナマケ蛇です。 活動することを好まず、一獲千金をねらうタイプです。 身体もあまり強い方ではなく顔色が悪いことが多い。 家庭的な面での苦労が多い。 心配性で世話好きな人です。 心は温順ですが、利かぬ気もあります。 参謀的な知略に富みます。 物事を造り上げる才能はありますが、竜頭蛇尾になりやすく、また凝り性です。

-陰陽道の世界-より


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