過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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September30

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日本女性に囲まれて

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S家のパーティ


数年前、久しぶりに帰国した僕のために、東京の友人の一人であるSが彼の自宅で開いてくれた盛大なパーティは忘れることができない。
Sが集めてくれたのは、郷里の高校時代の同級生で東京近辺に住む者たちだけではなく、もう独立して家を出た彼の3人の娘さんや、彼が所有する会社の部下の数人も呼んでくれて、総勢で20人近くはいたに違いない。  女性の数が圧倒的に多かったのは僕にとっては願ってもないことだった。 というのは、アメリカでの僕の仕事というのは日系企業のクライエントがほとんどだったから、日本人のビジネスマンとはいやというほどお付き合いをしていたけれど、女性に触れる機会は長い間まったくなかったから、こうやって寛いだ場所で日本人女性とじっくり話をするのは何十年ぶりといってよかった。 初めて会う人、40年ぶりに会う人など、美女熟女に囲まれた中で主賓として祭られた僕は、まるで王侯になったような気分を味わっていた。

こういうイベントにはいつも全力投球するSのことだから、めくるめくようなご馳走や極上の酒が出されることは予想をしていて、そしてその通りになったのだけれど(S夫人の丹精を込めた料理や一流の店から来た鮨、刺身など)、それを有難く鑑賞する余裕もないほど、僕は人々との会話を楽しんだようだ。 そして最後には僕のために全員が寄せ書きをしてくれた。 その色紙は今もわが家のリビングルームに飾られていて、それを見るたびにあの忘れられない夜を思い出す。
それにしても、Sのような男、つまり 「思い出を作る」 ことのうまい人間がいるものだと、あらためて感嘆した。 このSと僕はこのパーティの数カ月前に、アメリカで実に38年ぶりの再会を果たしたばかりだった。 そのことは以前に一度ここに書いていて、その20歳の写真の中にSも僕もちゃんと収まっている。


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嫌いなものは嫌い

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セイラムの魔女
Salem, Massachusetts USA



子供のころから帽子が嫌いだった。
ところが幼稚園の時の写真を見るといつもベースボールキャップをかぶっているから、嫌いになったのはずっと後のことだろう。 高校生のころは制服制帽は校規だったのに帽子をかぶらなかったのは、嫌いだったこともあるけど、それより、かぶらないことでいっぱしに不良ぶっていたためだった。 それでよく上級生に裏山に呼び出されて制裁を受けたりした。 そのころ帽子をかぶっていた記憶はテニスの試合の時だけだったと思う。 それも試合の最中に旗色が悪くなってくると決まってキャップを脱ぎ捨てていた。 もっと負けそうになってくると、今度ははテニスシューズを脱いで裸足でプレーをしようしたが、これはさすがに審判に止められた。

そういえば僕は今でも、帽子だけではなく身体の末端につけるもの、手袋だとか靴などが嫌いだという奇癖がある。 靴は履かないわけにはゆかないけど、外から帰ってくると待ちきれないように何よりもまず最初にやることは靴を脱いでしまうことだ。 これは玄関で靴を脱ぐ日本では当たり前のことだけど、アメリカでは珍しい。 その上冬の寒い時でもない限り靴だけではなくて、靴下まで脱いでしまう。 だから、スリッパなどというもののないアメリカでは家にいる時は僕はほとんどが裸足である。
スリッパといえば(もちろん大嫌い)、日本の家庭を訪ねると玄関口で必ず出されるスリッパを、僕は絶対に履かないのでそれで有名になってしまったようだ。

ところで靴下のことだけど・・・
洗濯されたあとの山のような靴下の中から、マッチする一足を選ぶというのは僕にとって至難の作業だった。 その能力を僕は生まれつき持っていないのは悲劇だと思う。 そのために費やされる時間は貴重な(そして残り少ない)人生のなんたる浪費だろう!そこで僕は数年前から、黒か紺の無地の靴下以外は絶対に買うな、という法令を布いたのだ。 おかげで日常生活の中の嫌なことの一つが解決された。  

手袋も嫌いだ。 手袋の中で僕の繊細で敏感な指たちはすべての自由を奪われてしまう。 その指たちが必要とされる場面でいちいち手袋を脱ぎ捨てるという動作はいつも僕をイライラさせた。 手袋をしたままではカメラの操作ができないので、冬の戸外では指先だけ露出する種類の手袋ならいいんじゃないか、と思うけど思うだけでまだ試したことはない。
手袋やマフラーの類はできるだけ身に着けないようにしているのに、寒い季節にはさすがの僕もそうはいかない。 ところが手袋やマフラーは必ずどこかに置き忘れるから、ひと冬を通して何度失くすことか。 昨年のクリスマスにひとからプレゼントされた黒いカシミヤの素敵なマフラーはすごく気に入ったのだが、失くすのが恐ろしくて結局冬の間に一度も身に着けなかった。

それから、これも身体の末端に着けるものといえると思うけど、傘が嫌い。
少しぐらいの雨ならむしろ濡れる方を好む。 フードの付いたレインコートを着ればかなりの雨でもだいじょうぶだし、第一、外出はほとんど車だから傘を必要としない生活というのはちゃんとなりたっている。

***

読者の誰もが感激してコメントを残さずにはいられないような、そんなすばらしいブログを書きたいといつも思いながら、今日もまた実につまらないことを書いてしまった。
ああ、お許しくだされ。



もし靴の底に穴があいていれば
傘をもって出かけるなんてまったく無用のことだ。
-アイルランドの古い諺-






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2月のクイズの結果は・・・

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過ぎたこと、過ぎて行くこと
サン・マリノ共和国



クイズの回答を見て感じたのは、同じ写真でも人によってなんとまあいろいろな見方があるのだろう、ということだった。 
でも、今回のクイズは見る人が感じたことをタイトルで表現してくださいというよりも、あくまでも作者である僕の意図を代弁するようなタイトルが欲しい、というつもりだった。 そのことが十分に説明できていなかったとしたらそのことをお詫びしたい。

この写真の主役は(僕にとっては)古城ではなくて二人の女性だった。 長い時間、身動きもしないでそこに佇んで、眼下に広がる壮大なパノラマを見つめている二人の女性の胸によぎっている思いは何なのだろう? と考えながら僕はうしろでカメラのシャッターをきっていた。 ふたりはおそらく知り合いではあるまい。 どこの国から来たのか、何をする人なのか僕には知る由もないが、彼女達の二つの人生(軌跡)が、この千年昔から建ち続ける古城の頂上でここまで接近しているのを、僕は目撃していた。 そして僕自身の軌跡もここにいた。
ちなみに、この写真に僕が付けていた原題は 『ふたりの女』 だった。

たくさんの応募の中から印象に残ったものをいくつか挙げてみよう。

◯ 『過ぎたことを思う女と、過ぎていくことを思う女』
masako さんのタイトルは僕の気持ちをピッタリと表現してくれている。 ただ、タイトルとしては少し長過ぎるし説明的に過ぎるのが残念だった。
◯ 『過ぎたこと、過ぎて行くこと』
fumie さんのタイトル。 ブログのタイトルをそのまま持ってきているのだけど、この写真に付けることで二人の女性の 「過ぎたこと、過ぎて行くこと」 だけではなく、その場所にいた僕自身の 「過ぎたこと、過ぎて行くこと」、それからこの古城が千年のあいだに辿ってきた 「過ぎたこと、過ぎて行くこと」、までをすべて含蓄している。 実に良いタイトルだと思う。
◯ 『陽のあたる場所』
belrosa さんのタイトル。 とても気に入ってしまった。 『過ぎたこと、過ぎて行くこと』 のように見る人の心に半ば強制的に浸透するかわりに、客観的にあっさりと簡潔に言っているところが実に良い。 それでいてそこに含まれる意味は深いと思う。 撮影した僕自身が意識しなかったものに気がつかされた、という意味でとても嬉しい秀逸なタイトルだ。 昔のアメリカ映画 "A Place in the Sun" の邦題と同じだということに、気がついても気がつかなくても構わないが、でも気がつくとさらにおもしろくなる。
◯ 『やっぱり飛べなかったわね』
centerfield さんのタイトルは、ついさっきここから投身自殺をした男を仮定した、ブラックユーモアともいえるものだけど、最初にことわったように、僕の意図を代弁するという意味では残念ながら失格。
◯ 『それぞれの道』
のささんのは、これも僕の意図をわかってくれてるからこそ出てきたタイトルだろう。

そして結局は 『過ぎたこと、過ぎて行くこと』 と 『陽のあたる場所』 のどちらかということで、さんざんに迷ったあげく、fumie さんの方をとったのだけれど、僕にとっては易しい決定ではなかった。
他の人達のものも全部ではないが載せてみよう。

『サン・マリノ天上桟敷』 『鳥瞰シニョーラ』 『光と影のラプンツェル』 『V(ictory)の間を覗く』 『いるけどいない』 『天国に一番近い場所』 『取り残された者たちへ』 『いにしえより未来をのぞむ』 『聖なるM』 『If the floor could talk』 『風起きて遠くに浪のきらめく』 『ヒトとヒトとゴミ箱と、Mの輪の中で』 『ゴミはゴミ箱へ』 『別の明日』 『「おにーさん、寄ってかない?』 『天上の国の入り口』 等など・・・・・

fumie さん、おめでとう。
住所氏名を非公開コメントにして送ってください。
お好きな写真を指定することを忘れないように。
数日経ってもご返事のないばあいは棄権とみなして次の方を選びます。


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動物好きの絵描きさん 13 イノシシ

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By Green Eyes
Calligraphy by Kuniko R.


イノシシは豚の先祖だそうだ。
陰陽道では 「亥」、日本では 「猪」 と書かれるが、中国で 「猪」 と書くとふつうは豚のことで、イノシシを意味する時は 「野猪」 と書かれる、とどこかで読んだ。 イノシシのことは僕のブログで昨年クイズとして取りあげたことがあるように、日本の山村ではよく姿を表わすようだが、僕自身は実際に見たことはない。
僕の息子は亥年の生まれなので、ここに掲載した下の記事を興味深く読んだけど、驚いたことにその記述は息子の性格にあまり当てはまらないばかりか、幾つかの点ではまったく逆のことが書かれていた。 驚いたというのは、今まで自分も含めて家族や友人を陰陽道で見た限りでは、実に怖いほどピッタリとそれぞれの人間を言い当てていたからである。

占いと一口に言っても西洋占星術やタロット、東洋の易などいろいろあるらしいけど、僕は今までほとんど興味がなかった。 それが最近になって 「四柱推命」 に少しだけ興味をもつようになった。 読者の皆さんはどうですか?


亥年の特徴

●乙亥(きのとい) 昭和10年 平成7年

この生れの人は、勇猪または男猪といいます。 正義に富み男性的です。 正直で勤勉で活動家で、一世に巨万の富と地位を極める人です。 義侠心が強い面もあるので、他人の為に散財することもあります。 公のためによく努力しますが、評論や理屈が多いため敵を作りやすい。 女性は男勝りの気性の人が多い。 家庭的な縁が薄く他人に対しては親切であるが、家族や近親者にたいしては、案外薄情のように見えます。 財力では安定を得ます。

●丁亥(ひのとい) 昭和22年 平成19年

この生れの人は、遊び猪といいます。 山間を呑気に遊び廻る猪です。 本業にはあまり熱心でなく、他のことに熱中しやすいところがあります。 正直で小心で遠慮がちです。 発明家肌でいろいろなものを考案することが上手です。 欲が深いため、投機的なことでは失敗が多い。 回りくどいところがあり、後始末も良くありません。 家族に対しては愛情が深く、涙もろく、人情に厚く、多くの人から愛されます。 遊び癖のある割には人に助けられます。

●己亥(つちのとい) 昭和34年

この生れの人は、病猪または弱猪といいます。 心身ともに弱く臆病な人が多い。 しかし気概は強く負け嫌いです。 心配性で取り越し苦労が多い。 芸ごとに興味を持ち、熱しやすく冷めやすい。 気迷いが多く持続性は少ないほうです。 共同的精神が少なく、利己主義で、欲も深いほうです。 交際範囲は狭く引っ込み思案です。 異性のことで失敗しやすい方です。 配偶者にも変化が多い人です。 空想に憧れ現実離れし、処世に不得手です。

●辛亥(かのとい) 明治44年 昭和46年

この生れの人は、家猪または飼猪といいます。 家に飼われている猪なので、野性さはなく束縛されることが多い。 精神的な自由は少ないが、一生生活にこまらず安楽に暮らせます。 自由に生活できないので、身体・精神ともにあまり強くありません。 心は正直で温厚で多くの人から愛されますが、本人はそんなことよりも自由に活動することが願いなので、あまり幸福には感じられません。 結婚も天下り式に、周囲によって決められてしまうことが多いようです。

●癸亥(みずのとい) 大正12年 昭和58年

この生れの人は、荒猪または暴猪といいます。 暴れ猪で、乱暴な性格の持ち主です。 無茶苦茶な行動や常識はずれの言動が多い。 ときにはお茶目でお調子者のようで、人気もありますが、憎まれることもあります。 本心はいたって正直で曲ったことを嫌、ウソがつけない人です。 また他人の悪事を見逃すことができず、なにものをも恐れず身命を投出して進むので、事件の解決などには重宝がられます。 平常は温厚で努力家であり、成功する人が多い。
-陰陽道の世界-


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2月のクイズ

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この写真にタイトルをつけるとしたらどんな言葉がピッタリなのかを、読者の皆さんに考えてほしい。

タイトルを付けるにあたってこの写真の撮られた状況を知るべきだと思うので、そのためには以前の記事 『サン・マリノ共和国』 を読んでもらうのが良いだろう。 記事中の2枚目の写真に見える 「グアイタ要塞」 の頂上で撮ったものがこの写真である。
写真のタイトルは説明的なものより、象徴的というか暗示的というか、見る人の自由な解釈を妨げることなく、逆に鼓舞するような、そんなものが僕は好きだ。 そして今回のクイズに限り、ひとりで幾つも答えていただいてかまいません。

僕が一番気に入ったタイトルを考えてくださった方に、ブログ上のどれでもお好きな写真を差しあげます。 
締め切りは今日から1週間。
答えは非公開コメントにして下さい。


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靴屋のサム

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サムとパイプ
Boston, Massachusetts USA


サムの店は穴倉のような小さなところだったけどなかなか繁盛しているようだった。
ボストンのダウンタウンのど真ん中にあって、まわりには大小の企業がひしめいている地域だから靴の修理を頼みに来る客には事欠かないのだろう。 良い腕を持つ職人なのかもしれないが、安物の靴をいつも履き捨てにしていた僕なんかは、靴の修理などしてもらったことがないから、それはわからない。 その僕がある日この店の前を通りかかった時に、開かれたままのドアを抜けて中へ入っていったのは、肩から吊るしていた古いカメラバッグの皮の肩紐がほとんど切れそうになっていたからだった。

暗くて狭い店内に入ると皮の匂いが満ちていて、片隅に置かれた小型のステレオから60年代のモダンジャズが流れている。 その中でひとりの男が文字通り靴に埋もれて仕事をしていた。 彼は僕の差し出したものを手に取るとチラッと見ただけで何も云わず、切れそうになっている肩紐の両端をハサミでちょん切ると、僕の見ている前でミシンを使って手早く縫い合わせてくれた。
「チャーリー・パーカーが好きなの?」 と僕が訊くと、おや?  という顔をして僕を見直すとやはり無言のまま手招きをして見せてくれたのは、十数枚のバップ時代のレコードでそのほとんどがチャーリー・パーカーだった。
「これを聴いてるから毎日が仕事になるんだ」 と強いボストン訛りで云ったので、そこで初めてこの男は唖じゃなくて無口なだけなんだ、とわかる。
「ところで修理代はいくら?」 と尋ねる僕に、かれは 「よせよ」 とでも言うように手を振るような仕草をしたので、
「じゃあ、コーヒーでも買ってこようか?」 と僕が云うと
「うん、いいね」 と答えた。

買ってきたダンキン・ドーナツの大カップのコーヒーと数個のドーナツを受け取ると、彼はコーヒーを自分のマグに注いで、それを啜りながらパイプを取り出してうまそうに吸い始めた。 仕事は休憩ということなのだろう。 そこで初めてお互いに自己紹介をする。 彼の名はサムといった。 ポツリポツリと話す彼の話では、十年ほど前までこの店をやっていた彼の父親が亡くなった時に、会社勤めをしていた彼はこの仕事を受け継ぐことにしたという。 ボスにこき使われるのにとことん嫌気がさしていたのだそうだ。 子供の頃から父親に靴の修理を手伝わされていたというから、職人としての下地はできていたのだろう。 やってみると思ったよりずっと客がついて、高いレントを払ったあとの収入が会社にいた頃とあまり変わらないし、第一気楽この上もないから気に入っているのだと云った。

そのことがあってから、僕はダウンタウンに出かけるたびにコーヒーを持って彼の店に寄るという習慣ができた。 話をするというのではなかった。 そこに腰掛けてチャーリー・パーカーを聴きながら、開け放した入り口の外を絶えず通り過ぎる雑多な人の群を飽きることなく眺めたり、サムがコツコツ靴の修理をするのを黙って見ているだけで、閉ざされていた僕の心がすこしずつ溶けていくような安らぎを覚えていた。

この写真が残っていなければ、この一徹な靴職人のサムのことはとっくの昔に忘れてしまっていただろうな、と思う。



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ペッシェクルードさんへ

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都会の夜の澱(おり)に
Ginza, Tokyo


夜明け前の新宿。
ジャズ喫茶 「きーよ」 の二階の窓際のテーブルに陣取ったKさんと僕は、向いあって座っていながらもう一時間以上もお互いに口をきかないでそれぞれ本を読んでいた。 Kさんが手にしているのは何の本なのか知らなかったが、僕が読んでいるのは今日の昼間、紀伊国屋から買ってきたばかりの植草甚一のジャズのエッセイだった。 ここは天井が低いうえに、室自体がいびつな形をしているのは、この店が二本の道路が交わるその角にあるせいである。 狭い店内のテーブルの半分ほどを客が占めていて、かかっているレコードはグラント・グリーンの "Alone Together" だった。 グラント・グリーンが三味線を爪弾くような感覚でギターを弾いているそのサウンドは、真夜中過ぎ、というより、もう夜明けに近い新宿の盛り場の疲労しきった、けだるい雰囲気にぴったりと合っていた。 Kさんは読んでいた本から眼を離すと、思い出したように目の前のテーブルの上から「みどり」を取り上げて一本を抜き取り、その両切りの煙草をいつもそうするようにとんとんと煙草の箱に打ち付けたあと口にくわえる。 なんとなく僕と眼が合ったその時に、「あれが聴きたいな」 とKさんが云った。 「あれですか? リクエストしてきます」 と僕は云って立ち上がると狭い階段を階下ヘと降りていった。

階下のバーに腰かけてマスターと話しているのはこれも常連の東大生で、シャキッとした学ランにグレーの替えズボンというクールな格好はいつもと変わらない。 その襟には金色の丸い銀杏(いちょう)がさりげなく、しかし見逃されることを拒否するように光っていて、磨かれた黒靴はいつ見てもゴミひとつ付いていない。 田舎から出てきたばかりの泥臭い受験浪人である僕は、この東大生の、うっとりするようなきれいな東京弁や垢抜けた仕草に、反発を感じながらいつも好感と羨望の気持ちを抑えることができないのだった。 彼は立ち上がって僕に向って手をあげると、足元に置いたダッフルバッグを取り上げて扉を開けて外へ出て行った。 そして彼がダッフルバッグを大きく空中に振り上げて通りすがりのタクシーを止めるのを、僕は窓越しに眺めながら、なんというカッコの良さだろうと思っていた。

僕はマスターに、あのベニー・ゴルソンとカーチス・フラー競演のレコードで "Five Spot After Dark" の入っているサイドをリクエストすると、身動きの取れないほど狭いトイレで用を足し、それからまた二階まで戻る。
「この曲をリクエストするたびにいつも思うんだけど "Five Spot After Dark" のファイブスポットって何のことなんでしょうね?」と僕はKさんにたずねる。
「うーん、何だろう? でもなんとなく詩的というか謎めいた響きがするね」

ファイブスポットがニューヨークの有名なジャズクラブのことだと分かったのは、ずっとあとになって自分自身がその同じ曲をステージで演奏するようになってからだった。


Five Spot After Dark




「きーよ」 に連れてきてくれたのも、東京のあちこちを引き回してくれたのも、郷里で僕より数年先輩のKさんだった。 そしてこの曲を初めてKさんに聴かされたとき、「ほら4小節目から5小節目の頭にかけてピアノのトミー・フラナガンが左手の低音でクロマチック (半音階的) に下降するフレーズをオカズに入れているだろう? あれが堪らなくセンスがいいんだよねえ」 とK さんが云ったのを忘れない。 彼は自分でもベースを弾いていたくらいだから、普通のジャズキチとちがって感性的な面だけではなく、テクニカルにもこんな的確な言及をいつもしていた。 そして、そういう時のKさんの優しい目つきや、大きく張った頬骨のあたりを指でカリカリと掻きながら、いくぶん早口でしゃべるその顔を、僕は今でも瞬時に思い出すことができる。

ありがとう、Kさん。
Kさんのお陰で僕は暗い受験地獄に落ちることもなしに東京というジャングルで生き延びたのだと思っています。
あれから永い永い時が流れてゆきました。 でも今でも僕が東京に帰るたびにKさんに会えることをどんなに楽しみにしていることか、こんな形でしか言い表すことができません。


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小さな命

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Bella
By Green Eyes



2月5日午後1時半、わが家の玄関先に現れたのは女性の獣医だった。
会うのは初めてである。 いつも通っているすぐ近所の獣医の、ビジネスマンのようなそっけない対応を妻が嫌って、知人に紹介されたこの獣医は隣町からわざわざ来てくれた。 リビングルームのバスケットに弱々しく横たわるベラに話しかける彼女の優しさに、妻も僕もほっとした。
 
注射は2本。
首すじに注射された最初の1本は鎮静剤で、そのあと10分後の、心臓の動きを止めるための2本目は最初の注射よりも針が太く量が多かった。 獣医は痩せ細ったベラの腕の静脈を探しあてるのにかなりの時間をかけなければならなかったが、やがて注射器の中の飴色の液体がゆっくりと注入されていった。 妻はベラの顔を指先で撫ぜながら泣いていた。 僕はすぐそばのイスに腰掛けて、先ほどからベラの横腹が呼吸に連れてかすかに膨らんだり縮んだりするのをじっと見ていたが、30秒もしないうちにそれが止まった。 犬の胸に聴診器をあてていた獣医が "She is gone" とつぶやいた。 その声の低さと優しさに僕は感謝した。

ベラが死んだのだ。

相棒のパイはすぐそばに寝そべって、首を傾げて不思議そうにこの光景をじっと見ている。 見せておいたほうが良い、というのは獣医の勧めだった。

17年のあいだ、家族のマスコットのような存在だったベラはもういない。
この小さな生きものが、われわれの心にポッカリと残していったものを気づくには今はまだ早すぎる。 それはほんのささやかな不在感に過ぎないかもしれないが、誰もの心から永久に消えることはないだろう。
妻の焚く香の匂いが、遠い日本の故郷(ふるさと)の寺院を僕に思い出させた。

ベラよ。
ありがとう。
***


最後にベラのことを書いたのは昨年の7月だった。 あれから6ヶ月も生きたのだ。



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動物好きの絵描きさん 12 ヒツジ

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By Green Eyes
Calligraphy by Kuniko R.


今回は Green Eyes の羊に僕の羊でチャレンジをしてみよう。



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晩鐘
Greenfield Village, Dearborn, Michigan USA




ヒツジ歳の特徴

●乙未(きのとひつじ) 昭和30年 平成27年

この生れの人は、白羊または玉羊といいます。羊の中で一番美しい羊です。 実用的な面は少なく身体も弱く引込み思案です。 臆病で、短気な面と勝気な面があります。 外見は優しく見えても意地が強く、活動力はさほどあません。 美形の人が多く、諸芸に通じ常識もありますが応用のきかない人です。 特に外交的な面に弱く保守的です。 こつこつと積み立てて物事を完成させるタイプです。結婚はまとまりにくく、他人に頼むことを嫌います。

●丁未(ひのとひつじ) 明治40年 昭和42年

この生れの人は、病羊といいます。 身体が弱く病気がちで遊ぶことが多い。 精神的に安定しにくいタイプです。短気で自分の思うようにならないと、すぐ八つ当たりをします。 正直者で人の心を見抜く観察力があります。 反逆的精神があるので、普通の人と異なった行動が多い。 蓄財性が少ないので物質的な成功はしにくい。 金銭的なことに欲がある割には金銭上の事にとやかく言うことを好みません。 自由な生活にあこがれ家族と離れたり住居をよく変えます。 悪気はないが言葉にトゲが多い。

●己未(つちのとひつじ) 大正8年 昭和54年

この生れの人は、山羊または物言羊といいます。 人によく慣れた羊で、人の言葉をよく理解する羊です。 聡明で温順で非常に役立つ羊です。 子供の頃から能力を発揮し出世する人が多い。 賢くて長生きをします。 家庭的にも恵まれます。 出しゃばる事が多いが、若い内は人の引き立てによって、かなりの活動ができます。 老後は家族と別居することがあります。 子供は多く、また子供から大切にされ孤独なようで案外幸福な余生を送れます。

●辛未(かのとひつじ) 昭和6年 平成3年  

この生れの人は、野羊といいます。 野性的に育った壮健な羊です。 野性的なため荒々しく、時には血をみるような事もあります。 身体、反抗力、忍耐心ともに強く、堅実な人生を歩む人です。 人からの信頼も厚く人情もたくさん持ち合わせた人です。 しかし交際はあまり円満にはいきません。普段は虫も殺さぬ優しさと穏やかさを持っていますが、突発的なことがらに対して衝動的に逆上することがあります。 夫婦間は親密です。嫉妬心が強いので注意が必要です。

●癸未(みずのとひつじ) 昭和18年 平成15年

この生れの人は、綿羊または毛羊といいます。 羊毛を提供する羊らしい羊です。 正直で真面目です。 大金持ちなる可能性を十分に持っています。 ただし、つまらぬ所で大損をする傾向にあります。 異性関係に多欲でだらしのないところがあります。 協同精神の少ない人で、独立独歩をしたがります。 我意が強く負けず嫌いで、人の忠告をあまり聞きません。 小心なため人から聞きづらい事を言われるのがとても嫌いです。 そのため親身になる相談相手を得にくく、迷い事が多くなります。
-陰陽道の世界-


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心に雨が降る

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雨後のカフェ
Paris, France


ある日、温かい雨が降って、そこここに残っていた雪をきれいに洗い流してしまった。
その雨は音もなく今も降り続いているけれど、家族の心が沈んでいるのは雨のせいばかりではないようだった。 このところベラが目に見えて弱ってきていて、あれほど食べることの好きだったこの犬が今朝もご飯をほとんど食べなかった。 食べられないのは歯が悪いせいかもしれないと、うんと柔らかいものに変えてみたのに、それでもやはり食べなかった。 元気なころのベラなら自分の食事をあっという間にたいらげると、すぐ横でゆっくりと食べているパイの皿へ鼻を突っ込もうとしていつも吠えられていたのに。 
医者が処方した痛み止めは効いているのかいないのか、歩こうとするたびにヨロヨロと床に崩れてしまう。 歩こうという意志があるということは、生きようという意志があるのだろう。 生きようという意志があるあいだは生かせてやりたい。 激しい苦痛のために歩くことさえ諦めた時が、医者に頼んで死なせてやる時なのだろうか。

そんなことを家族と話す。
この雨はいつまで降るのだろう。


The Sacrifice - by Michael Nyman
映画 『ピアノ・レッスン』 より




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