過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

Profile

September30

Author:September30

Visitors Counter

Search form

しだれ桜

_DSC5370-blog.jpg

桜、酒、戦士、そして春


隣家のしだれ桜が今年も満開に花をつけた。
昨年のブログに載せた写真は3月27日に撮影していて、今年の撮影は4月19日。 今年はこの桜が僕に春を運んできたのは3週間以上も遅かったのだ。 (撮影の日時が記録されるのはデジタルカメラのよいところ)。
3月の終わりまで気温5度くらいの寒い日が続いていて、冷たい風が吹く中で裸の枝を震わせていたこのコンテッサが、ある日いきなり無数の蕾を見せてくれた。 そのあとは見るたびに蕾の数が増えていった。 そして最初の花を咲かせた彼女は、あっというまに次から次へと愛らしい花を開いていった。
彼女は僕の仕事机のそばの窓のすぐ外に立っているから、仕事をしながら一日中眺めることになるわけだけど、ほんとうに見るたびに、時間単位でその姿を変えていった。 最初の蕾をひっそりとつけてから、恥ずかしげに最初の花を咲かせ、そのあと女の盛りを謳歌するように満開に乱れ咲くまでほんの三日しかかからなかったのだ。 

自然の摂理というようなことをこのコンテッサに目の当たりに見せてもらえた僕は、ある種の感動を覚えていた。
花鳥風月なんてまったく気にもせずに生きてきたこの年月は、あれは何だったのだろう、と寂しい気がする。 「年をとった証拠だよ」 と云われてもかまわない。 この妖艶なコンテッサとともに生きることのできる毎日に感謝しつつ、僕はスェーデン産のウォッカを冷たく冷やして飲みながら、コンテッサの愛をしみじみと感じていた。

あれから1週間。
気温23度の温かい日差しの中で、彼女はまだ溌剌(はつらつ)としてその美しさで僕に媚びを魅せつけている。 彼女の盛りが過ぎていく兆しが見えてきたら、僕は窓を閉めてブラインドを下ろそうと思っっている。 美しいものが逝った時にはわれわれは喪に服さなければならない。

花音痴の僕は、昨年のこのブログの記事を書いた時には、彼女が桜だということを知らなかった。 この記事のあと、読者がコメントで指摘してくださったのだ。 これは日本人として恥ずべきことだと思っている。
何かが狂っているような・・・


にほんブログ村 写真ブログ モノクロ写真へ
スポンサーサイト

4月のクイズの結果は・・・

2006-063-quiz-blog.jpg

壊された街灯
Puerto Vallarta, Mexico


正解は 「メキシコ」。
わずか二人の正解者から抽選の結果は 「Endless」 さんに決定でした。
もう一人の正解は 「Yspringmind」 さん、残念だったけど、これに懲りないで。
いつものように、Endless さんの緻密なリサーチと鋭い推理には出題者として脱帽です。 これはその解答の引用。

《ヨーロッパの街の雰囲気だったのでフランスかイタリアだと思ったのですが、
「こんな国は初めて」 という事で考え直しました。
青いタイルに魚のデザインがあるので海に近い観光地かな?
そしてお店(か、何らかのビジネス)のドアに貼ってある 「受け付けているクレジットカード」 の種類の多さ。
特に American Express を受け付けているというところから今回の答えは意外と近い国 「メキシコ」 にします》


Endless さん、おめでとう。
住所氏名を非公開コメントにして送ってください。
お好きな写真を指定することを忘れないように。
数日経ってもご返事のないばあいは棄権とみなして次の方を選びます。


にほんブログ村 写真ブログ モノクロ写真へ

芸術家と恋



愛するものへ


これは音楽に命をかけたふたりの男の物語である。
映画は17世紀の終わりから18世紀にかけて、フランスの宮廷の楽長を務めた老年のマーリン・マレス(ジェラール・ドパルデュー)が回想する、若き日の自分(ジェラールの息子、ギローム・ドパルデュ)と恩師であったムシュー・ド・コロンブ(ジャン・ピエール・マリエール)、それに師の二人の娘の交錯を描いた凄絶な叙事詩だ。 物語自体は創作ということだが、人物はすべて実在した。
映画全編を通して流れるヴィオラ・ダ・ガンバの重厚な音色がギリギリと胸に食い込んで、見終わったあとの僕の中にそのまま余韻として残り、僕は珍しく呆然としてしまった。 華やかな宮廷の音楽界から隠遁して、亡くなった妻への愛にひっそりと生きる老師コロンブにとって、芸術は恋以上のものではなかった。 それにひきかえ、野望に燃える若いマレスにとっては、音楽のためには愛も恋も犠牲となる。 彼の妻となった老師の姉娘の自殺さえものりこえて。

音楽のCDはかなりのコレクションを持つ僕だが、映画はほとんど買ったことがない。
その僕が、すぐにビデオを注文した。(当時はまだDVDがなかった) 
昔から音楽映画と呼ばれるジャンルは、音楽がふんだんに聴ける映画には物語が軽くてあまり印象に残らないか、映画として面白いものでは音楽の影が薄くて物足らないかのどちらかだったのに、この映画はその点、音楽と映像がガッシリと一つに組み合ったすばらしいものだ。





師にめぐり会う時

この映画を紹介しようとして日本語で検索をしていて、びっくりしてしまったことがある。
1991年に制作されたこの映画は、日本では1度も上演されたことがないのである。
フランスの原題は "Tous les Matins du Monde" で英題は "All the mornings of the world" 。 日本でなら 「夜明け前」 とでも付けるのかどうかは知らないが、日本で上映されなかったというのは信じられないことだった。


にほんブログ村 写真ブログ モノクロ写真へ

4月のクイズ

2006-063-quiz-blog.jpg

壊された街灯


雑多な群集が溢れる表通りのほとんどは観光客だった。
無残に壊された街灯。
塗りの剥げた壁。
そして落書き。
街灯は誰かが意図的に破壊したとしか考えられない。 街灯を破壊するという行為も理解できないが、それがそのまま放置されているというのも理解できない。 こんな国は初めてだった。

ここはどこの国だろう?

正解者の中から抽選で1名の方に、僕のブログ上のどれでもお好きな写真を差しあげます。 
締め切りは今日から1週間。
答えは非公開コメントにして下さい。



にほんブログ村 写真ブログ モノクロ写真へ

破壊された祭典

T75marathon-blog.jpg

高みの見物
1970年代のボストンマラソン


きのうのボストンマラソンの爆破事件には身体が震えてしまった。
2万7千人のランナーに50万人の観客といわれるこの祭典で、被害が少なかったのは不幸中の幸いだったといえば被害者の人達には申し訳ないけど、はるかに悲惨な大惨事になっても不思議ではなかったのだ。 若かった僕が昔毎日のように歩いていたボイルストン通りの見慣れた光景がテレビの画面に繰り返し映りだされて、混乱の中を走り回る群集や救急隊や警官たちが創り出すカオスがそこにあった。

なんという不確かな時代を我々は生きていることだろう。 暗く沈む僕の心に、昔のボストンマラソンの記憶が甦る。 あのころ、絶望と隣りあわせに生きていた自分にとって、ボストンマラソンは数少ない明るい思い出として残っていたのに、それさえももうこれからは同じでなくなってしまった。

なんという不確かな時代を我々は生きていることだろう・・・

4月になれば


現在は、未来と同じくらいに不確かなものだ。
ウォルト・ホイットマン



にほんブログ村 写真ブログ モノクロ写真へ

男のうしろ姿には

Image0271-blog2.jpg

イタリア人街の男
North End, Boston, Massachusetts USA


男のうしろ姿には男の人生が表れるという。
上着を伊達に羽織って杖をつきながら、いくぶんうつむき加減にゆっくりと歩を進める老人の背を追いながら、カメラのシャッターを切った時の僕は32歳だった。

今ではその僕はこの老人に近い歳になってしまった。
自分が撮った写真を家の中に飾る趣味のない僕が、この写真だけは寝室の壁に架けていて、ふだんは気にもとめないこの写真になぜか今夜は目が引きつけられて、そこに立ち尽くしてしまった。
以前は気がついたことがなかったのに、今見ると、その老人のうしろ姿には男の逞(たくま)しさが滲み出ていて、ほとんどセクシーといってもいい美しさがあった。 しかもそれだけではなくて、なんと毅然(きぜん)として誇りに満ちたうしろ姿であることか。 そこで、じぶんのうしろ姿はいったいどんなものなのだろうと考える。 うしろ姿など自分の目で見ることはもちろんないし、人に写真を撮られたことさえない。 だから想像するだけである。
たぶん僕は、もう若くもないのにあいかわらずセカセカとした歩き方をしているに違いない。 その上長身で少し猫背ぎみの僕のうしろ姿は、滑稽ではないにしてもいかにも貧弱という感じがするかもしれない。 そして、この写真の老人のような自分の生きた人生に対する誇りといえるようなものは僕には無い。 そのかわり、ちゃんと生きてこれたんだ、これからもちゃんと生きるんだ、というささやかな自信みたいなものはいつも持っていたつもりだから、それがうしろ姿に少しでも出ていることを願いたい。

そんなことで、このところまったく忘れていた自分の年齢を思い出したりして、いつになくしんみりとしてしまった。 珍しくピアノの部屋へ行くと、埃の積もったフタを開けて神妙にその前に腰掛ける。 最後に弾いたのはもう覚えてないくらい昔のことだった。 今夜の気分はエリック・サティだ。
嘘のように短いこの曲の中に、過ぎたこと、過ぎて行くこと、がいっぱいに詰まっていた。






にほんブログ村 写真ブログ モノクロ写真へ

酒池肉林の夜

T08japan154-blog.jpg

高知城にて


何が苦痛といって、日本座敷に座ることほど僕にとって苦しいことはない。 まるで拷問である。
それはもう何十年とアメリカに暮らして、床に座るという習慣を完全に捨て去ったということだけが原因ではなくて、実は日本に住んでいた時もそうだった。 子供の頃からわが家はテーブルにイスにベッドという生活だったから、よそ宅へ行って居間の畳に座ったり、法事などで寺の本堂に長時間正座をさせられるのが実に辛かった。 生まれつき身体が固いというのも大いにその原因となっているようだ。
子供の頃なら少々行儀を悪くしても見逃してもらえるけど、大人になればそうはいかない。 30分以上正座をしたあとは、両足が完全に麻痺して感覚を失い二度と立つことができなくなってしまう。 何かに掴まって無理をして立とうとするとまるで重病にかかった老人のようによろめいたり、そのままバッタリと倒れてしまったこともあった。 
畳の上の正座が苦手なら、それならあぐらをかけば楽なのか、というとこれがまたそんなに楽ではないのである。 たしかに正座よりは長くもつとしても、1時間もたってくるともぞもぞと身体を動かし始めて落ちつかなくなる。 恥ずかしいことこの上もない。

日本に帰るたびに滞在させてもらっているY子さん宅は純日本式の邸宅だ。
そこでは毎夜のように人を呼んで酒池肉林の宴会が延々と夜中まで続くのだけど、僕が最後まで死なずにサバイバルできているのは、Y子さんが僕用に手に入れてくれた座椅子のおかげだ。
この座椅子は畳から20センチほどの高さに座るようにできていて、具合の良い背もたれと肘掛も付いているから、これだとさすがの僕でも長時間平気なのだった。 そのうえ、いちおう主賓の座につかせられて誰よりも一段と高い位置から一座の全員を見下ろすという形になるので、僕はまるで殿様のように偉くなった気分になってしまう。 嬌声、怒声が嵐のように渦巻く酒席を一段高いところからゆったりと見下ろしつつ、そして特上の日本料理をけっこう品も無くガツガツと喰らいつつ、側女(そばめ)たちの注ぐ盃の酒を次々と煽りつつ、このアメリカ帰りの大殿は身も心も陶然となり眼を細めてつぶやく。
「おー、苦しうない苦しうない・・・ 余は満足じゃぞ。 あとは良きに計らへ」。


にほんブログ村 写真ブログ モノクロ写真へ

逝ったおまえへの鎮魂歌



You'd be so nice to come home to
あるいは 《地獄の街》
歌とピアノ ニーナ・シモン


一緒だったころのことをおぼえているかい?
あかあかと燃える暖炉のそばにおまえがいて
外では夜風が子守唄を歌っていた
ほかには何もいらなかった  

ある時は冬空に震える星を見上げながら
ある時は燃えるような八月の月を眺めながら
おまえのいる場所へいつも帰って行った
そして、ベッドの中で愛しあいながらお伽の国をさまよったふたり。

だが今は見ろ!
おまえのいなくなった砂漠のようなこの街を見ろ
黒い空には星も見えない
白い人々が傀儡のように歩いているだけの
地獄の街だ。
――  訳: September30 



rose.jpg




にほんブログ村 写真ブログ モノクロ写真へ

フレームの中のフレーム・・・写真のレシピ (12) 

T06pro719-bwblognew.jpg

影と陰
Palais des Papes, Avignon, France



クリシェ(cliché)という言葉がある。 「常套手段」 とでも訳せばいいのだろうか。 作曲や小説などで昔から使い古されてきたいろいろな技法を意味することが多いんだけど、これは絵画や写真の世界でも同じだ。
クリシェは芸術の長い歴史の中で繰り返し使われて昇華されてきた技法だから、その芸術的効果や鑑賞者に与えるインパクトはなかなか大きいんだけど、これもあまり使い過ぎると「ああ、またか・・」 と意図を見透かされて飽きられてしまうから、気をつけなくちゃならないだろう。

今回からこのクリシェの幾つかを取り上げてみよう。 写真のクリシェには次のようなものがあると思う。

1. フレームの中のフレーム
2. パターン
3. シンメトリー
4. 線と形
5.ハイキー
6. ローキー

・・・ 

そこで今日はまず 「フレームの中のフレーム」 の話。
カメラは、現実世界を長方形の枠に切り取るわけなんだけど(つまり第1のフレーム)、その中にもう一つの第2のフレームを加える、というごく簡単な話。 第2のフレームは方形でも円形でも、どんな形でもかまわない。 この技法は写真を見るものにまるで撮影者といっしょになって、第2のフレームの中をのぞき込んでいるような錯覚をあたえる。
たとえば、建物の窓から外の景色を撮る時に、そこから数歩下がって外の景色だけではなく窓もいっしょに入れてやることで、遠近感が強調されて写真に深みが出るだけでなく,、室内の雰囲気も同時に伝わる。 戸外と室内の明暗や色彩の対比がなかなかおもしろいものになって、写真として成功することが多い。 さっきも云ったようにこれはきわめてクラシックな技法だから、写真集や絵画のコレクションではよくお目にかかるし、映画の中でもしょっちゅう出てくる。
ある日カメラを下げてそのへんを半日歩き回れば、チャンスはいくらでもあるはずです。 やってみませんか?

僕の過去のブログ記事から幾つかをサンプルとして抜いてみた。

男と女のあいだには・・・
矩形の福音
四季
僕をめぐる三人の女
美術館という一つの世界の中で



・・・・・


過去のレシピ

写真のレシピ(1)』 カラーかモノクロか     
写真のレシピ(2)』 ポイントを決めよう
写真のレシピ(3)』 陰影礼賛    
写真のレシピ(4)』 クロップの勧め
写真のレシピ(5)』 続・クロップの勧め
写真のレシピ(6) 群集劇のおもしろさ
写真のレシピ(7)』 ミニマリズム
写真のレシピ(8)』  警告!
写真のレシピ(9)』 芸術写真?
写真のレシピ(10)』 ユーモア
写真のレシピ(11)』 被写体はどこにでも



にほんブログ村 写真ブログ モノクロ写真へ

ハービーのこと 4/4

curtis03-blognew.jpg

チフーリ展のハービー
Dayton Art Institute


あれは2001年の冬だった。 ハービーが前立腺癌で入院したのは。
コーチを辞めたあとの彼とは前のようにしょっちゅう顔を見ることもなくなって、電話で話すこともほんの稀にしかなかったから、彼の入院で逆に彼と話す度数がずっと増えたといってよかった。 病室で寝たきりの彼は退屈しのぎに時々電話をかけてきた。 彼の病院は僕の家からはすぐのところだったから、僕もよく訪ねて行ったが、見る影もなく痩せたハービーを見るのは辛かった。 テニスのことをとりとめもなく喋る時のハービーは身体を蝕(むしば)む鋭い痛みに顔をしかめているか、モルヒネが効いている時の彼は言葉少なく、言うことにつじつまが合わないかのどちらかだった。
僕はその年の6月から7月にかけて、家族を連れてヨーローッパを旅行する計画を立てていて、ソルボンヌでの留学を終えることになっている娘のマヤとパリで落ち合って、そのあと3週間をかけてフランス、スイス、イタリア、スペインを汽車で廻る予定をたてていた。 その話を知ったハービーは 「パリはちょうどフレンチオープンの時期じゃないか、絶対に見てこいよ。 俺も1度は行ってみたかった」 と何度も念を押した。


その年の独立記念日の祝日を僕らの家族は南フランスのニースで迎えた。
そのヨーロッパの旅行から帰ってきた日に、僕は留守電話に残された何十というメッセージを聴いていた。 そのほとんどは保険やクレジットカードの勧誘だとか払い忘れた電気代の請求だとか写真の注文だとか実務的なものばかりだったが、その中にハービーの声があった。
「おーい、俺だよ、ハービーだ。 まだヨーローッパを旅行中かな。 帰る日を聞いたと思うけど忘れちまったんだ。 フレンチオープンを見たのかどうか、見たのなら話を聞きたくてね。 俺も毎日テレビでは見ていた。 帰ってきたら電話をしてくれ。 じゃあまた」
旅行直前に会った時よりさらにか細くなったその声を耳にしながら、フレンチオープンは時間が取れなくて行けなかったと云ったらガッカリするだろうなと思っていた。
長期旅行から帰ってきたあとは、いろいろとやらなければならないことが溜まっていて、僕がハービーの病院へ出かけて行ったのは2日後だった。 お土産に買ったフレンチオープンのTシャツとキャップと、エッフェル塔のキーチェーンを持って、勝手を知った病院の10階まで上がり、看護婦の詰所を通った時に顔見知りの看護婦の一人に呼び止められた。
「あら、ハービーさんならいませんよ。 先週亡くなられました。 えーとあれは土曜日だったかな」
僕は一瞬ポカンとしてしまって、「そんなはずはない、だってついおととい電話で話したばかりなのに」 と云いそうになった。

看護婦の話では、アラバマから来ていた妹という人が遺体を灰にしてアラバマの実家に持ち帰ったそうだ。 ハービーの私生活は、ずっと昔離婚したままで子供もなく、この町には誰も身内がいないことは僕も知っていた。 そういえばわが家の去年の年越しパーティに、彼は珍しく女性を同伴していた。 小学校の音楽の先生をしているというかなり年下の魅力的な黒人女性だった。 女性を見る目が厳しかったハービーにもやっと気に入るようなひとが現われたようだった。 仲睦まじそうな二人を前にして僕が 「ハービー、このひとはあんたにはもったいないくらいだよ。 どんな手を使って騙したんだい?」 とからかった時に、彼女が笑いながら 「私は一緒になってもいい、と思ってるのにどうしてもこのひと、うんと云ってくれないのよ」 と云った言葉を思い出す。 ひょっとしたら、彼は自分が癌に侵されていることを知っていたのではないのだろうか?
沈んでゆく心を抱えて病院を出る時に念のため彼の携帯電話に掛けてみたのは、もしか妹さんでも出るかもしれないと思ったからだったが、もう不通になっていた。 そして僕は恋人の音楽教師の連絡先を知らなかった。

家に帰ってあらためてハービーの留守電話をチェックしてみると、彼が電話をかけてきたのは金曜日、亡くなる前日だったのだ。 僕は彼のメッセージを何度も繰り返して聞きながら、もうこの世に存在しない人の声を電話の向こうに聴いている、ということがなぜか起こってはならない不条理な現象であるように思えてしょうがなかった。 そこには彼の頼りなさそうな息づかいまでハッキリと聞こえていた。

それからしばらくのあいだは、電話が鳴るたびに思わずハッとして、受話器を取ったとたんに、「おーい、俺だよ。 ハービーだ」 というあの声が耳に入ってくるような気がした。 しかしそんなことは一度も起こらず、やがていつのまにか電話の音にも驚かないようになってしまった。

そしてあれからもう12年が経つ。

(終)


にほんブログ村 写真ブログ モノクロ写真へ