過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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September30

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5月のクイズの結果は・・・

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新世界へ
International Festival, Dayton, Ohio USA



正解は 「オランダ」、「ネーデルランド」、あるいは英語式に 「ネザーランド」、などどれも正解。
たくさんの応募があって、二人をのぞいたあとの全員が正解だった。

正解者のほとんどが 「オランダ」 と答えたのは当然で、日本人の我々には 「ネーデルランド」 は聞くことがあっても 「ネザーランド」 は耳に遠いに違いない。 僕なんかも 「阿蘭陀」 の文字が無性に懐かしい年代の日本人だから、アメリカに渡った当初、Holland と呼ぶ人がまったくいないのに驚いた記憶がある。 そして、Netherland と呼ばれる国がどうしても自分の中にあるオランダと重ならないのは、それから何十年とたった現在でも同じだ。 オリンピックやスポーツの国際試合でネザーランドの国名を見ても、どうしてもあの風車とチューリップの国が浮かんでこないのは僕だけはないだろう。 オランダやポルトガルはそれだけ日本の歴史の中にしっかりと浸透してしまっているのだろう、と思った。

それで肝心の当選者。
激戦の末に最終に残った 「のさ」 さんと 「うらら堂」 さんの決戦で、無情な賽の目は丁と出た。
当選は 「うらら堂」 さんと決まりました。

うらら堂さん、おめでとう。
住所氏名を非公開コメントにして送ってください。
お好きな写真を指定することを忘れないように。
数日経ってもご返事のないばあいは棄権とみなして次の方を選びます。


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愉快な葬式、あるいはアメリカ人とユーモア

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24年前のこと。
妻の姉に当たるスーザンが40歳になった時、彼女の7人の兄弟姉妹たちは誕生パーティのかわりに彼女の葬式を出すことに合議決定した。 スーザンはこの家族の8人の子供の中では最年長で、そのすぐ下の妹が僕の妻といういうことになる。 葬儀会場は妹のジュリーの屋敷と決まったあと、親戚一族や知人たちに葬儀の告知が郵送された。
葬儀当日には、当事者のスーザン以外は参列者は喪服で現れた。 僕は Press(報道班) と大きく書かれた腕章を付けさせられて首からカメラを下げて登場した。 つまり今日の写真係を仰せつかったのである。



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スーザンのキャスケット(棺) には生花が飾られ壁に立てかけられた。 (念のためにいうとスーザンはもちろん中に入っていない)
牧師に扮した弟のダニーがミサを司る。
庭の隅に置かれたスピーカーからオルガンの響きが流れ、賛美歌を歌う参列者のあちこちからすすり泣きが聞こえる。
(そして笑い声も)



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右端のダニーとジュリーはこの場で不謹慎な笑顔など見せるべきではなかったのだ。
左端の母親を見てごらん。 アカデミー賞レベルの演技だった。 そして後ろで沈痛な想いに浸る父親さえも。




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黒い喪服姿の妹キャサリンは役に入れ込み過ぎてほんとうに泣き出していた。 (ふだんから感情表現の激しいひとである)
そして、そのキャサリンをなだめている叔父ジョーも、スーザンにキスをする叔母ヘレンも、黒のベールで後ろ姿を見せる叔母ジェーンも、3人とも今はもうこの世の人ではない。


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墓石の前で追悼文を読むのは義弟(キャサリンの夫)のジョージ。
ジョージの本職は地元のラジオ局のアナウンサーだが、ゲイに扮して身体をくねらせるのには僕も我慢ができず、厳粛なミサの最中につい声に出して笑ってしまった。 (彼の右手小指に注意)


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普段はマッチョが看板の弟マークはこの日は女性のドレスに身を包んでいたが、裾を持ち上げてパンティストッキングの太ももを見せながら僕を誘惑しようとした。
マークは24年後の現在、フロリダで家庭を持って3人の娘の父親になっている。 その彼のところへ、僕は来週からしばらく遊びに行ってくるつもりだ。


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5月のクイズ

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新世界へ
International Festival, Dayton, Ohio USA


世界中からの移民で成り立つ国アメリカ。
希望と夢に胸をふくらませた移民たちの乗る船が、長い旅のあと、とうとうニューヨークの港へ入って行った時、驚異の摩天楼の中にエンパイヤステートビルと自由の女神を見た時の感激は一生忘れられない、と口をそろえて言ったそうだ。

その光景を再現したインターナショナル フェスティバルの会場で、祖国の民族衣装をまとった二人の初老の女性が、展示の前で言葉もなく長い思いに耽っていた。 20世紀の初めにはまだ生まれていなかったはずの彼女たちは、この展示を見て自分たちの親がくり返し話してくれたこの日の光景を想い起こしているのだろう。

彼女たちの親はどこの国から来たのだろう?

正解者の中から抽選で1名の方に、僕のブログ上のどれでもお好きな写真を差しあげます。 
締め切りは今日から1週間。
答えは非公開コメントにして下さい。


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醜女の美しさ

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少女のように、レモンのように
Vaison la Romaine, France



若いころは美しい容貌をもつ女に惹かれた。
今考えてみると、それは男としての性の本能というような生々しいものではなくて、むしろ野原で綺麗な花を見つけた時の、素朴な驚きと憧憬のような無邪気に近いものだったような気がする。 美しい女の容姿に魅せられてしまうのは、理性とか理解を必要としない、いわば一瞬の恋のようなものだったから、実に易しいことだった。 ところがその女の容貌の裏にあるもの、優しさとか知性とか才能とかユーモアとかの内面の美しさを発見するためには、その人を時間をかけて知らなければならないからそう簡単にはいかない。 たいていはそこまで行き着く前に美しい女の拒絶にあって、いとも簡単に諦めた。 
アメリカ製の恋愛映画でよく見る、断られても嫌われても諦めないで、信じられないような執拗さで迫っていって、結局最後には彼女の心を勝ちとるなんていうのは、あれは美男美女同士だからこそできることで、僕のような並の男にはまるでお伽話の世界のように思えた。 しかも僕は自分なりのプライドのようなものもしっかりと抱えていたから、それがまた大いに恋路の邪魔をしたんだと思う。

美しい女は、まず例外なく自分の美しさを十分に自覚している。 どこにいても何をしていても、まわりの男たちの関心が常に自分に向いていることに慣れきってしまう生活とは、どんなものなのだろうかとよく想像する。 決して悪い気分ではないはずだ。 選ばれた者だけが持つことを許される満足感とか、恍惚感のようなものがあるのだろうか。 時には煩わしいと思うこともあるだろうけど、だからといって醜く産んでくれなかった親を恨む、なんてことは考えられない。 そしてある時は、美しい自分をまったく無視できる稀有な男に会った時には、傷つけられた自尊心がチクチクと痛むのかもしれない。

ところで僕が思うのは、こうした美しい女たちの心には一種の 「恐れ」 のようなものも存在するのだろうか、ということだ。 つまり、自分が多くの男たちの注意を惹くのは、容貌という外から見えている部分だということをよく知っているから、たとえもし本当の自分の内面に惹かれて近づいてくる男がいたとしても、彼女にはそれを判別することは難しいかもしれない。
美しい女にとって、それは不幸なことだといえる。

それでは醜女はどうか?
ここでことわっておかなければならないのは、僕が醜女と呼んでいるのは 「醜い女」 という意味ではないということ。
世間一般に美女と呼ばれている以外の女性を、適当な言葉を知らない僕が、便宜上 「醜女」 と呼んでいるだけである。 「醜女」 とは 《自分の顔を美しいと思っていない女性》 の意味だと思ってほしい。

それでは醜女はどうか?
醜女のガードは美女のそれよりもさらにはるかに堅 い。 男が近づいてくるたびに彼女は残酷な質問を自分に投げかける。 自分のような美しくない女になぜ男が興味を持つのか? 相手は何が欲しいのか? 何が目当てなのか? どこかに罠があるのではないか? 
醜女は、世の中に自分の容姿をまったく気にせずにその奥の心に惹かれる男たちがいる、という事実をなかなか認めることができない。 たとえ一度認めて納得しても最初に持った疑問は常にあとあとまで、黒い滲みのようにどこかにこびりついていて、ことあるごとにそこへ帰ってゆく。
しかしそういう堅いガードを突き破って醜女のなかの美しい心を勝ち取ることのできる男は、きっと彼女を永久に幸せにしてあげられるにちがいない。 その意味では、醜女が真の幸せを掴む確率は、美女よりもずっと多いのかもしれない。

読者の皆さん、とくに女性の皆さん、独断と偏見に満ちた今日の文章。 ごめんなさい。



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スペインの旅 - ガウディとフラメンコ (2/2)

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スペインの旅は予定を立てる段階でさんざん迷わされた。
ガウディに会うのはバルセロナと決まっていたけど、フラメンコはやはり本場のアンダルシアで聴きたい、と思っていたから最初はバルセロナからマドリッドを経由してコルドバ、セビリアまで回るという大げさな計画をたてながら、前後の日程からどうしてもそれは無理となり、結局バルセロナに留まることになり、そこでフラメンコを鑑賞する結果になった。 その代わりバルセロナにゆっくり滞在できることになったので、駆け足の忙しい旅の嫌いな僕にとっては必ずしも失望というわけではなかった。


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フラメンコは踊りと唄と楽器(ギター)の三者が一体となった芸術で、外国人のわれわれはどうしても踊りを主役に見てしまうのは仕方がないとして、僕自身は踊りと同じくらいに惹かれたのはその唄だった。
老年に近い男達の、美声とはといえないが腹から搾り出されるような太い声は、ジプシーの祈りのようにも聞こえた。 そしてそこには素朴な生命力や悲しみの裏に強い土の匂いがした。 



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フラメンコのダンサーは豊満な体つきの女性が多い。 しかも若い子は少なくて、いかにも人生や男の經驗をさんざんなめて成熟した女たち、という感じがする。 ドレスの裏に隠された柔らかい身体と強靭な筋肉のアンサンブルには不思議なエロチシズムがあった。
そしてまるで少年のような若さと端正なマスクを持つ相手役の男性ダンサーに、僕は嫉妬を感じていた。


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踊りの最中に一人のダンサーと眼が合った。 そしてまた合った。
何度も合った。。。。
彼女の挑むような、訴えるような強い視線から僕は眼をそらすことができず、 胸の鼓動が高くなっていった。 踊り終わった彼女が椅子に腰掛けてまたこちらに視線を投げてきた時に、僕は勇気を出してカメラを顔まで持ち上げていた。

あれは何だったのだろう? 恋? 誘い? それとも戯れ? いたずら?  
温かいバルセロナの深夜、あの眼を思い出しながら雑踏の中を歩きまわり、 女というものは、行きずりの旅人の心さえこうしてつかの間の虜にしてしまうことのできる不思議な生きものだと、あらためて思った。

(終)



Jose Reyes




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スペインの旅 - ガウディとフラメンコ (1/2)

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サグラダ・ファミリア教会の内部
Sagrada Família, Barcelona, Spain



若いころ、スペインに行くことを長いあいだ夢見ていた。
あの70年代のボストンで貧乏と絶望と孤独の底で喘ぎながら、いつかスペインに行ってガウディとフラメンコを見るんだ、と自分に言い聞かせて生きていた。 なぜかパリでなく、なぜかヴェネツィアでなく、ウィーンでもアテネでもなく、それはスペインでなければならなかったのだ。
そして、30年後にバルセロナの空港に降り立った僕はもう50歳を過ぎていた。

カタロニア生まれのアントニ・ガウディの建築を一つ一つ訪ねながら、ああ俺も建築家になりたかったなあ、とため息をつきながら思った。 といってもガウディの作品のすべてに心酔したわけではなかったが、僕がそこに見たのは、建築という堅固な枠をはるかに超越して子供のような夢と希望を余すところなく表現したモダニズムの頂点だった。



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サグラダ・ファミリア教会の外部正面


この教会は1882年に着工されて、完成までに300年を予定したというからそれだけでもうお伽話の世界だった。
2182年の完成予定は現在2026年にまで短縮されているという。 あと13年というわけだ。 これだけ長い年月を費やしている建設工事だから、古い部分は修復の工事も同時に進行していた。
塔の正面はるか上部に見えるこの信じられないようなディテールは、細部まで見るのには肉眼では無理だった。 僕は180ミリの望遠レンスを持って来なかったことを後悔していた。


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Casa Batllo


バルセロナの目抜き通り La Rambla を歩いているといやでも目に付くこの二つの建物。
どちらも民間人の住居で、左のはガウディの作品ではないがこの二つはお互いに対比しながらよくマッチしていた。 右側の Casa Battlo は昔からあった建物をガウディが1904年に再造形したものだ。
サグラダ・ファミリアはなんといっても教会だから古い伝統に敬意を表したガウディが、ここでは何の制約もなく思い切り夢を膨らませているのを見てニヤリとしてしまった。


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Casa Mila


Passeig de Gràcia の通りにある Casa Mila はもともと富豪の邸宅として建設されたものが、現在は階下がガウディの博物館、階上はアパートになっている。 建設当時はそのあまりにも特異な外観を醜いと見てバルセロナの住民に嫌われたらしく、アパートの借り手がなかったそうだ。 そこで居住者には3世代にわたって家賃の値上げをしないという契約をしたために、現在でも15万円という嘘のような家賃だという。 1度見たら忘れることのできない強烈な線と形のシンフォニーだ。
1984年にユネスコの世界遺産に指定された。

(続)



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死の記憶 

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断罪
Boston, Massachusetts  USA



あれは僕が13歳の真夏のことだった。
いつものように友達数人と自転車に乗って海に泳ぎに行った。 日本海はいつも波が荒く、凪いだ海を見た記憶があまりない。 そのうえ海水浴場ではないこのあたりは遠浅の海岸は少なく、水に入って10メートルも泳ぐともうそこは背のとどかない深い海である。 人影はなく、見渡すかぎりの海と陸を僕らだけが占領しているという少年らしい幸福感があった。
水に入るのを待ちきれずに服を剥ぎ取ると準備体操もそこそこに海に飛びこんだ。 そしてそのままどんどんと沖に向って泳ぎだしてゆく。 かなり沖に出たあたりでいきなり片方の脚の筋肉に痛みを感じ始めた。 あ、まずいと思うより前にその痛みは恐ろしく確実に僕の片脚を占領する。 陸の上なら地面をのたうち回るほどの痛みだった。 僕はなんとかして水に浮こうとするがあまりの痛みに耐えきれず体を水平に保つことができない。 大声を上げてわめく。 わめくたびに水を飲み込んで僕は水面下に沈んでいった。 まわりには自分をとり囲む高い波があるだけで、その高い波と波の間に時々見え隠れする白い海岸は絶望的にはるか遠くにあった。

どこかにいるはずの友達の姿は視界の中にはなかった。 次々と襲ってくる高い波に飲みこまれながら、脚が千切れるような痛みをかかえて、もう、もがく力も尽き果てかけていた僕はその時 (もう駄目だ) と思った。 海水を飲みすぎてほとんど息もできない状態で、僕はその時一種の 「諦め」 に到達していたような気がする。
(そうか、ひとはこんなぐあいにして死んでゆくのか) と、長いあいだわからなかったことにようやく答えが出た時の、あの満足感のようなものさえあった。
(だいじょうぶだよ、この苦しみはもうすぐ終わる。 楽になるよ) と誰かが先ほどからしきりに僕に囁き続けている。 一つの波が来て次の波が来るまでの合い間に僕の頭が水面に浮かび上がる。 僕の頭上には嘘のように平和な青い空があった。 いくつかの雲が、ほかほかとのん気に浮いているその空は、いつも見慣れているいつもの空だった。
「嘘だ。 こんな何気ない、いつもと変わらない平凡な風景の中で死ぬなんて、嘘だ」 と思いながら、僕が感じていたのはぞっとするような孤独感だった。

いきなり僕の腕を掴むものがいて、それが友人のT だった。
次の瞬間、すべてを諦めようとしていた僕に、「死にたくない」 という強烈な意志が湧き上がったようだった。 僕は必死の力を出して彼の体にしがみつく。 そして、しがみつかれて体の自由を失ったT と、死にたくないという本能にとりつかれた僕と、2個の身体はもつれるようにして海中に沈んでいった。 それは、T と僕との水中での格闘だった。 その次にようやく浮かびあっがたところで、 T が口から水を吹き出して喘ぎながら、「離せよ・・ 手を離せよ」 と叫んだ。 そしてあとで考えると自分でも信じられないことだけれど、僕は彼の体から手を離して彼を自由にしたのだった。
それで助かったのだ。 ふたりとも。

僕の命を救ったTは中学を出たあと郷里を離れ、その後はいっさいの消息を絶ってしまっている。


《死のタンゴ》 
あるいは 《ゴヤの世界》






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イタリアの小さな町で

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昼下がりの逢ひびき
Pieve di Cento, Italy


ある日、目的も無く車を走らせていて偶然に迷い込んだのがこの小さな小さな町、ピエヴェ・ディ・チェント。
2週間滞在したボローニャからほんの25キロほど北にあるこの町の、観光客どころか住民の姿さえも見かけないひっそりと静かな町並みに降り立った。 忘れられたゴーストタウンという感じはなくて、鮮やかな色をした壁や小さく開いた窓の向こうに、人々の生活の気配が確実に感じられる。

ポルティコの下に残されたままじっと持ち主を待っているのは、籠のついた女乗りの自転車だった。
ヴェネツィアのカサノヴァは赤いボートを運河に浮かべて伯爵夫人に逢いに行ったが、ここでは隣り町の人妻が自転車に乗ってやってきて密かにドアのベルを押す。 閉ざされた扉の向こうに熱い時間が流れている。


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小さなホテル


「ホテル・デラ・ピエヴェ」 はたぶんこの町の唯一のホテルだろう。
もし僕が物書きなら、こんなホテルに逗留して窓のすぐ下に町の広場を見下ろしながら仕事をしたら、気持ちよく仕事がはかどるだろうな。
そういえば、"There is a small hotel" という名の古いジャズソングがあったなあ。 昔、クラリネットの鈴木章冶さんが吹いていた。



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閉ざされた窓


ピッタリと閉ざされた雨戸に色の剥げ落ちたた壁はまるでアブストラクトの絵画だった。
中に住んだ人はどこかへ越していったのではなくて、かなり以前に亡くなったのではないかという気がする。 隣家の窓には生活の気配が感じられるのに、この窓がふたたび開くことがあるのだろうか。

この写真をネットで見たあるイタリア人の写真家がメールをくれて、彼もまたこの町にきてこの閉ざされた窓をカメラに収めたという。 ただ、彼が行ったのは僕がこれを撮ってから4年もたった後だった。
この窓はまだ開かれることがなかったのだ。


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動物好きの絵描きさん 15 トラ

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By Green Eyes
Calligraphy by Kuniko R



虎は絶滅の途上にあるそうだ。
最近のテレビに出てくる、ある非営利団体の 「虎を救おう」 といって国民から基金を募るコマーシャルでそれを知った。 虎なんてアメリカには棲息しない動物なのに、そのアメリカからこんな運動が起こって世界的な規模で活動しているのは、いかにもアメリカ人らしいと思った。 いい意味でも悪い意味でもお節介焼きのアメリカ人は、過去にもクジラの捕獲ではわれわれ日本人とのあいだにも確執があったし、現在でもアザラシの擁護では隣国のカナダと言い合いをしている。
アメリカ人の根底には、人道主義、博愛主義の考えが強く流れているのはよく理解できるとしても、往々にして他国の文化を深く知ろうとしないでいろんな問題に口を出したがる彼らを見ていると、苦労知らずで金持ちの坊ちゃんや嬢ちゃんが良いことをしようと一生懸命になっている姿を想像してしまう。 そういえば我が家に長くいて最近死んでしまったベラも、犬猫の保護施設から来た犬だった。 ペットショップで買うのとそんなに変わらない金を払って、こうした保護施設から素性も血筋もはっきりとしない犬猫を迎える家庭が多いのも、アメリカ人気質といっていいだろう。

先日も一族の集まりで、高校生の甥っ子がスマートフォン(そう、子供でも今はほとんどが高価な smart phone を持っていて僕のような古い携帯を dumb phone つまりのろま電話と呼んで馬鹿にする)で遊んでいるゲームを覗いたら、動物園の檻から動物たちを脱出させて無事に自然に帰してやる、というゲームだった。


***


寅年の特徴

●甲寅(きのえとら) 大正3年 昭和49年

この生れの人は、猛虎といいます。 勢いの良い虎です。 調子に乗りやすく、勢いが良いために空威張りになりがちです。 人の先に立って物事をやりたがります。 その為、人の為に奔走して、自分の仕事がお留守になり、損する事があります。 負けず嫌いから、協同的な仕事が苦手な人です。 人に批評されたりすると不機嫌になる事が多い。 住居は変化が多い方です。若い時、人気があり、縁談も幸運です。

●丙寅(ひのえとら) 昭和1年 昭和61年

この生れの人は、餓虎または寝虎といいます。 貧弱で常に食のためにあせり、真の勢いがなく寝ている虎です。 しかし一生生活に苦しむわけではありません。 自分の人格を慕って人から食を与えられることを願います。 自ら食のために働くことを好みません。 したがって学問や徳行を積めば、自然に富が集まる運を持っていますが、学問も徳行もせずに富が集まることを待つ人は成功しません。 徳の人であって、働きの人ではありません。上れば天下人に、下れば乞食になるといった変化の激しい人です。

●戊寅(つちのえとら) 昭和13年 平成10年

この生れの人は、暴虎といいます。 非常に暴れることがすきな虎です。 波風をたたて問題を大きくしたり、消えかかった問題に油をそそぎ大問題に発展させたりする事が多くあります。 人の成功を妬んだり、執念深い部分があります。 けんかや口論は日常茶飯事です。 反面、人情もろく世話好きで、頼まれると責任を果たすためよく努力します。また逆に温厚な人もいます。 温厚な場合には、度が過ぎて意気地なしのように見える場合もあります。 暴飲暴食によって、胃腸の病気になる人が多い。

●庚寅(かのえとら) 昭和25年 平成22年

この生れの人は、騎虎といいます。 千里を走る虎です。 非常にあわただしい性格の持ち主です。 何事もぐずつくことが嫌いで、一足飛びに物事をかたづけようとします。 難関があっても無理に押通して、事を貫こうとするので、反感を買うことが多い。 家庭的に苦労が多い人もいます。 気性から、逆境の時も長いが、いったん順風に乗ると次から次へと計画が急速に実を結ぶ運勢を持っています。 親分肌で、発明的、常に新しい物を追います。名誉心は強い。

●壬寅(みずのえとら) 昭和37年

この生れの人は、乳虎または母虎といいます。 優しい虎です。 栄養の物を食べ、乳をこしらえて、これを他に与える働きをします。親兄弟や妻子のためによく働きます。 こつこつと貯蓄をしますが、自分のことに使うことは少なく、周囲の者にそれを与えることになります。 一見、損な役回りのように思えますが、運命なので逆らわずその道を守れば、不運に見舞われることはありません。 虚栄心が強く、勘定高い人が多い。他人に対し自分の本心を見せることが少ないので、敵を作りやすい。
-陰陽道の世界-


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パターン・・・写真のレシピ (13)

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橋梁
Cambridge, Massachusetts USA


前回にひき続いて、面白い写真を撮るためのアンチョコ第2弾は 「パターン」 をテーマにしてみよう。
「パターン」 はもともと 「模様」 ということなんだけど、写真の世界では同じ形の被写体がくり返しくり返し画面に表れることをいう。 パターンは本能的に人の目を惹きつける不思議な力を持っているから、読者の皆さんもきっと今までそれと知らないでこの種の写真は撮っているんじゃないかな。 僕なんかもパターンを目にすると、何も考えずについカメラを向けてしまうようだ。
気をつけなければいけないのは、個々の模様自体があまりおもしろくないものは、その集合体はどうしてもインパクトの弱い画面になってしまう、ということ。 模様がユニークであればあるほど、その限りない羅列が興味深いものになるのはまちがいない。

このパターンのバリエーションとしてさらに写真がおもしろくなるのは、同じような形の羅列の中に一箇所だけそれを破るようなものが入っている時なんだ。 それは必ずしも形ではなくて色でもいい。 以前にナショナル・ジオグラフィック誌で見た写真に、何百羽という白鳥の群れの中に1羽だけ黒鳥が混じっているのなんか、そのいい例だよね。 上の写真で、頭上を通過する車の影が、単調なパターンを破っているともいえるだろうし、また下に挙げたブログ写真の例でいうと、最後の 『壊れる』 なんかはそれにあたると考えてもいいかも。 当然ながらその 「異端児」 は写真のポイントになるわけです。

さあ今日も、気持ちのよい春先の戸外へ、カメラを持って出かけてみよう。

The Venetian Hotel
海の旅
葦に潜む
人生いろいろ
壊れる




過去のレシピ

写真のレシピ(1) 「カラーかモノクロか」     
写真のレシピ(2) 「ポイントを決めよう」
写真のレシピ(3) 「陰影礼賛」    
写真のレシピ(4) 「クロップの勧め」
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写真のレシピ(6) 「群集劇のおもしろさ」
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写真のレシピ(10) 「ユーモア」
写真のレシピ(11) 「被写体はどこにでも」
写真のレシピ (12) 「フレームの中のフレーム」



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