過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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September30

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恋のレジュメ 2

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レベッカ
Boston USA


男と女の出会いというのはある日突然にやってくるものだ。 予期しない時に予期しない場所で予期しない人と。
レベッカとの出会いもそうだった。 ある夏の日の午後、ボストンの美術館の中庭でそれは起きた。 ベンチに腰掛けて何かを考えながらぼんやりとしていた僕に、そばを通りかかった一人の女性が無邪気に時刻を尋ねてきたのだ。 それで全てが始まった。 いろんな話をしているうちにお互いの気持がピッタリと合ってしまったようだった。 日本の美術をいっしょに見たいというレベッカと東館まで歩いて、北斎や清水焼や快慶に関しての僕の貧弱な知識で精一杯の説明をした。 薄暗い無人の展示場には湿っぽい空気が充満していて、すぐそばにある彼女の身体から微かに漂う淡いコロンの匂いが、僕を死んだ古美術の世界から現実に引き戻した。 それから彼女を美術館内のカフェに誘う。 そこでまた何時間も話したあと、彼女がその日の夕方女友達と泳ぎに行くことになっていた海辺へ僕を誘ってくれた。 そのあと、車を持たない僕を彼女がアパートまで送ってくれて、僕は水着を引っ掴むと待っていてくれた彼女の車に再び乗り込んで、そのままマーブルヘッドの海岸へドライブしたのだった。 新しい恋の始まりだった。

あとになってレベッカに訊いたことがあった。
「あの時、美術館の庭で僕に時刻を訊いてきたのは、あれは偶然だったの?」
彼女は悪戯(いたずら)っぽい目をして笑いながら云った。
「偶然じゃない。 あの誰もいない庭でポツンとひとり何かを考えてるあなたを遠くから見た時、なぜか胸がキュンとしたのよ。 それで私はもう出口のドアのところにいたのにわざわざ引き返して近寄って行ったら、ふとこちらを見た時のあなたの眼が素敵だったから、それで思わず声を掛けてしまったの」 
それを聞いて、そうか、と僕は思った。 今の今まで、誘惑したのは自分の方だと思っていたのに、僕に誘惑させるきっかけを演出してくれたのは彼女の方だったんだ。 そしてその話を聞いたあと、僕は彼女をさらに好きになってしまっていた。

     

The Gift of Love
by RYOKO





甘い生活が六ヶ月続いて・・・
出会いが突然起ったのと同じように、別れも唐突にやって来た。
クリスマスがもうすぐそこまで来ているというその夜は雪が降っていた。 ディナーに呼んでくれたレベッカのアパートで食後のコーヒーを飲んでいた時に彼女が改まって静かに話し始める。 別れたボーイフレンドのもとへ帰ることに決心した、と。
僕はゆっくりコーヒーをすすりながら彼女の視線を捉えようとしたが無駄だった。 長い沈黙が流れる中でじっと下を向いていたレベッカがようやく顔を上げると正面から僕を見据えた。 その眼には苦痛があった。

レベッカのアパートから電車の駅までの雪道を歩きながら、僕の心に寒々と沁みこんで来たのは、あれは失われてしまった恋の痛みだったのか、それとも降りしきる雪が吹きつける冷酷な外気だったのか?



 
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握手、ハグ、それともキス?

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《抱擁》 詩人ルネ・シャール博物館
Isle-sur-la-Sorgue, France


日本人ほどお行儀の良い民族はない。
挨拶にそれが表れてる。
仕事の上でも私的な対面でも、離れた距離でお辞儀をしながらキチンと挨拶の言葉を口にする。 (もっとも、最近の日本では頭を下げているのかどうかも曖昧な若い人たちが多いけど)。  そして親しい仲だとその距離が少し縮まったり、もっと近寄って手を握り合ったりすることはあっても、欧米のようにいきなりハグしたりキスしたりはまずありえない。 
それにくらべて、欧米人の挨拶はその親密度のぐあいによって、握手-ハグ-キスと変わっていくようだ。

まず握手
握手という動作は欧米の習慣だから、アメリカに住んでいると握手をする機会はふんだんにある。 とくに、初対面の人との握手でその人の性格や職業経験などが大体分かってしまう。 『握手のしかた』 などというものがあるとすれば、それは非常に簡単なことだ。 お互いに手を握って、一瞬間ギュッと固く握りながら上下に数回腕を上げ下ろしする。 簡単なことだけれど人それぞれに癖があって、ギュッと固く握ってすぐに手を離してしまう人もいれば、まるで子供の遊戯のように握った手を大げさに上げ下げする人もいる。
日本人は概して握手が下手だ。 そんな習慣を持たないから仕方がないし、大体まったくの他人の身体にいきなり触れるということ自体、日本人には考えられない文化なのだ。 日本人がとくに下手なのは、先に言った「ギュッと握る」 部分である。 日本人は男性でもそれをしない人がほとんどだ。 それから上下に振るところも省略してしまう人が多い。 だからまるで女王陛下が臣下に手を与えるような図になってしまう。 プライベートな席での女性ならそれでも通用するが男性の場合はどんな席でも通用しない。 相手は (おやっ、なんだこいつ? 女みたいなやつだな) と思ってしまうだろう。
アメリカ人でも若い人、とくに大学を出たばかりでまだ世間の波にもまれていない青年たちは、まだ握手の仕方を会得していないのが多い。 長年ヘッドハンターとして人材を企業に入れてきた僕だけど、優秀な候補者を面接に送り出す前にまず必ずコーチをするのは握手の仕方だ。 「ぎゅっと固く握る」 。 これは男性女性にかぎらず、そして公的私的にかかわらず大切なことで、しかもその時、お互いの手を握りながら眼はしっかりと相手の眼に合っていなければならない。 

ハグとキスは、挨拶としては一対の動作となっているが、これはヨーロッパとアメリカではかなり風習が違うようだ。
男女間や同性同士(男同士も含めて)のハグはアメリカよりもヨーロッパの方がはるかに日常化している。 といって、男同士がハグをして両頬にキスをするのはイタリア映画ではよく見たけど、アメリカではゲイ同士の挨拶でもない限りまず見られないし、ヨーロッパでも街で見たことはほとんどなかった。 たぶん、家族の集まりなどでよく見られるんじゃないか、と想像するけど。
それでアメリカの場合は、ということになるけれど、
親しい者同士のハグは両腕をお互いの背中に回したり肩に手をかけて軽く抱きあう。 その時に男女間なら頬にキスをしたり、キスをしないでもお互いの頬をくっつけあったりする。 ヨーロッパだとそれを両頬にするのは周知のとおりだがアメリカでは片頬だけ。 それに男同士ではキスは省かれて、握手をしながらもう一方の腕でのハグということになる。
そして男女間のキスは、頬にするか唇にするかは双方の関係によって決まるようだ。 恋人や夫婦間なら当然唇と唇が合うわけだけど、そうでない場合はほとんどが頬と頬を合わせたり頬に唇を当てたりする。 ところが普通の家族でもたとえば我が Green Eyes の一族のように非常に親密な家族同士だと、男女間のキスはいまだに 唇をチュっと軽く合わせる。 だから僕の場合、相手が義母であろうと義妹であろうと姪であろうと自分の娘であろうと、次から次へ唇へキスをすることになる。 そういう家族は僕の周りではむしろ少ないようだ。

上の写真のような愛人同士の熱い抱擁はパリの公園や空港のゲートで数回目撃したことがあった。 愛する男の胸へ、すべてを忘れて飛び込んで行く女の姿は美しい。
それにしても(ちょっと脱線するけど)、外来語で日本語に定着した言葉は恋愛に関する限り圧倒的にフランス語が多いのはなぜだろう? アンブラッセ、ベーゼ、ランデブー、アバンチュール、コキュ、 とかいくらでも出てくる。 フランス人は恋愛のエキスパートということなのだろうか?
それじゃあ英語に定着した日本語は、というと、これもあるある! スシ、サシミ、ワサビ、ナッパ、ダイコン、トーフ、ワギュー、テリヤキ、となぜかすべて食べ物ばかりである。



あの人が握手をしてくれる時
その手に
生き生きと輝く彼の瞳が
私には感じるられるのよ。
ヘレン・ケラー




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人は見かけによらないもの

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ストリート アーティスト
Boston USA


「そんな人だとは思わなかった・・・」 と失望させられることが時々ある。
相手が男でも女でも、あるいは親しい人でもそれほどでもない人でもそれは起きる。 つきあいが浅い人の場合は、たとえ失望してもその人の本性を見たような気がして安心するようなところもあるが、それが長年親しくして、お互いに深い所でつながってると信じていた人の場合は、これはちょっときびしい。 失望するどころか、裏切られたと感じてしまうことさえあるようだ。

ところがその逆もあって、ふだんそれほど好意をもっていなかった人に、何かがあって 「あれ? あの人って、いいとこあるじゃん!」 と見直してしまうこともある。 これは嬉しいことだ。

以前に僕がいた会社の同僚のティムという男もその中の一人だった。
若いながら社員千人ほどの会社の営業部長としてバリバリと仕事をしているこのティムに、僕は最初あまり良い感じを持っていなかった。 外国のクライエントを扱う僕とは部も違っていたが、仕事の上で彼の部と重なる部分が多かったから、毎日のように話をする機会があった。 彼は年上である僕に最初からそれなりの敬意を払ってくれていたようだ。 にもかかわらず、彼の、周りの同僚を一段上から見下ろすような傲慢な態度がまず僕の気に障った。 頭脳は抜群に優秀なのだろう。 しかし彼の口から発せられる冗談や皮肉は鋭い刺があって、かなり図太い神経の持ち主でないと、平静な気持ちで受け取るのが難しかった。 それで涙を流した女の子を何人か見た。 ある時など、若い部下を同僚たちの前でコテンコテンに苛める場面を目撃したりしてからは、僕の中でのティムに対する評価はすでにかなりの所まで落ちていた。

ある時、そのティムと僕がいっしょにニューヨークへ出張したことがあった。 わずか三日だけの旅行だったが、飛行機の中や夜のホテルのレストランなどで彼と二人だけのプライベートな会話をする時間が十分にあって、そのときに僕は (おや、自分の思っていた男とちょっと雰囲気が違うな) と感じ始めていた。
彼がいつもいじめている部下の話が出た。 ティムはその若くて経験もない新入の部下のなかに、将来優秀な営業マンになれる素質を認めていて、最初から特にしごいたらしい。 ところが入社して一年経つのにどうも成績が上がらない。 営業の成果を数字だけで見る上層部からは 「切れ」 という指令がかなり前からティムに出ていた。 それをティムは自分の一存で抑えて、もう少し様子を見たいと上部に主張し続けてその部下を指導してきたらしい。 ティム流のユニークな指導が、いじめという形で僕の目にうつったに違いなかった。 その成果あって、この数ヶ月その部下の成績が急上昇してきていると云った。

そのニューヨーク滞在中のある日、ティムと僕は通りすがりのグリークのサンドイッチ屋でランチを食べていた。 ひとりの黒人の老人がよろよろと危ない足取りで入ってくる。 一見してホームレスとわかるだけではなく、僕らのテーブルのそばを通る時に、強い異臭に混じってアルコールの臭いがした。 その老人はふらふらとカウンターへ寄ってポケットからあるだけの小銭をカウンターに音をたてて置く。 店のオーナーに向かってぼそぼそとなにか呟いているが、オーナーは迷惑そうな表情をあからさまに顔に出して、首を横に振っている。 老人の持ち金ではこの店で食べられるものは何も無いのだろう。
それを見たティムがウェイトレスを呼んだ。
「彼の好きなものを何でも食べさせてやってくれ。 飲み物はアルコール以外だよ。 勘定はここに持ってきてくれればいい」

(あれ? こいつって、いいとこあるじゃん!) と僕は思っただけではなく、実際に口に出して
"That was so nice of you, Tim."
と云わずにはいられなかったほど温かいものを見たような気がしていた。

***

そのテイムは数年前の大不況の時に人員整理に会って会社を追われた。 給料が高すぎたのだろう。 あれこれと職を探したがうまくいかず、結局彼は自分の趣味でやっていた家具作りの技術を生かして大工をやっていると聞いた。 その彼に先日ばったりと出会ってしまった。 あいかわらずの元気いっぱいの毒舌めいた挨拶や質問が僕に向かって飛んできた。 そして、景気が回復した今、企業の仕事は見つかりそうだけど、気楽な大工の仕事を当分続ける、と云っていた。 




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6月のクイズの結果は・・・

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《エドワード・ダーレー・ボイトの娘たち》
by John Singer Sargent
Museum of Fine Arts, Boston


正解はジョン・シンガー・サージェント。
アメリカ人でありながら生涯の大半をヨーロッパで過ごした。 フィレンツェからはじまってヴェネツィア、パリ、そしてロンドンと移り、後年ニューヨークに住んだ後は結局はロンドンに帰ってその生涯を閉じている。
生涯を通して結婚をせず、若いころは相当のプレイボーイだったらしく、パリやヴェネツィアでは常にスキャンダルの的(まと)になった。 自他共に最高傑作と認める 「マダムXの肖像」 の事件をはじめ、当時の彼の作品は常に賛否両方の世間の議論の中心になったようだ。



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マダムX の肖像 



正解者は11人で、抽選の結果 「Mika さん」 が当選です。
「ryo-n」 さんが鼻の差で2着という結果になりました。

Mika さん、おめでとう。
住所氏名を非公開コメントにして送ってください。
お好きな写真を指定することを忘れないように。
数日経ってもご返事のないばあいは棄権とみなして次の方を選びます。


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わたくし的なポートレート・・・写真のレシピ (14)

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優しい時間
Franklin, Ohio USA


「はい! 撮りますよ、いいですか?」 ---‐ パシャリ!
というポートレートは撮るのも撮られるのもどうも苦手だ。
昔から写真を撮られるのが嫌いな僕は、面と向かってカメラを向けられるとつい緊張して顔も身体もこわばってしまう。 じっとこちらを凝視して冷たく光るレンズが、まるで処刑される自分に向けられた銃口のように見えて恐怖に襲われる。 自分がそうならたぶん他の人たちも同じだと思うと、逆に自分がポートレートを撮る側にいる時は、ファインダーの中に見えている被写体に強い同情を覚えることになる。
そんな時、僕はふだん二つの方法を取ることにしている。

① 何気ない会話を始めて被写体になる人をリラックスさせるようにする。

相手に何かを尋ねられると、大抵の人ならその答えを探す時に無意識に緊張を解いてしまうものだ。
「出身はどちら?」、「兄弟とかはいるの?」、「ここにはもう長く住んでるの?」、とかなんでもいい。 大事なのはファインダーを覗きながらもその会話を続けること。 そして会話のあいだにシャッターを切リ続ける。 相手の笑顔が欲しければそれを引き出すような軽い冗談を言ってみたり、真面目な顔を撮りたければ少し堅い話をすればいい。 ただ、どんな場合でも、「はい! 撮りますよ、いいですか?」 の状況をできるだけ避けるようにすることだ。

② その人がふだんから慣れ親しんでいる環境の中に被写体を置いてやる。

単色の背景の前で、完璧に調整された照明を浴びながらまっすぐカメラを見つめているようなポートレートは、スタジオ写真家に任せておけばいい。
それより、自宅だとか仕事場だとか戸外だとか、その人のふだんの生活が垣間見えるような状況の中での自然光撮影は被写体自身がリラックスできるものだ。 しかも、周りの背景からその人の生活や仕事や趣味の一端が伺えて、意味の深いポートレートになるだけではなくて、本人にとっても貴重な記録になるだろう。
僕はこの手法をカルティエ・ブレッソンを始めとするマグナムの写真家たちから学んだ。 英語で "Environmental Portrait" (環境的肖像画)と呼ばれるこの手法は、1枚の写真で可能な限りの情報を伝えたい報道写真家にとっては当然の手段なのだ。

***

今日の冒頭の写真は、義妹のジェーンが姪のキャサリンの子守をしながら、森の中で静かな夏の午後を過ごしている愛らしい風景だ。 犬を含めたそれぞれ三様の目線と自然なポーズに、17,8世紀に描かれた古典絵画を連想していしまうのは僕だけだろうか?



そして下の写真。 世界中でもっとも僕が愛する人たちのひとり、詩人のパチクリさんが自宅の書斎で仕事中の記録である。 酒に酔うと子供のような素晴らしい笑顔を見せてくれる彼が、酒無しで詩を書くときにはこんな厳しさが表れる。


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書斎の渡部兼直氏
米子市旗ヶ崎


このテーマの参考になるかもしれないと思い、過去の記事から幾つかを拾って見ました。

サムとパイプ
タイムマシーンに乗って
スウィングがなけりゃ意味がない
陽気なジル
ヴェネツィアのマヤ


過去のレシピ

写真のレシピ(1) 「カラーかモノクロか」     
写真のレシピ(2) 「ポイントを決めよう」
写真のレシピ(3) 「陰影礼賛」    
写真のレシピ(4) 「クロップの勧め」
写真のレシピ(5) 「続・クロップの勧め」
写真のレシピ(6) 「群集劇のおもしろさ」
写真のレシピ(7) 「ミニマリズム」
写真のレシピ(8) 「警告!」
写真のレシピ(9) 「芸術写真?」
写真のレシピ(10) 「ユーモア」
写真のレシピ(11) 「被写体はどこにでも」
写真のレシピ (12) 「フレームの中のフレーム」
写真のレシピ (13) 「パターン」





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6月のクイズ

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美術館にて
Museum of Fine Arts, Boston


この絵の、わりと大きな複製が僕の家のリビングルームに飾ってある。
昔から好きな絵の一つだったというだけではなく、それを見ていると30年以上前にボロボロに傷ついた心を抱えてボストンの美術館に通った頃の自分を思い出す。 時代を超越して語りかけてくる古典の名画たちが、あの頃の自分をどれだけ慰めてくれたことか。

ところでこの絵の作者は?


正解者の中から抽選で1名の方に、僕のブログ上のどれでもお好きな写真を差しあげます。 
締め切りは今日から1週間。
答えは非公開コメントにして下さい。


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動物好きの絵描きさん 16 サル

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By Green Eyes
Calligraphy by Kuniko R


猿といえば思い出すのは、動物ではなくてサルというあだなの少年だった。
小学校の時の同級生である。 別に顔が猿に似ていたわけではなくて、むしろ可愛い顔をしていた。 サルと誰かが付けたのはたぶん、彼の名前がマサルであったうえに、色白の彼が興奮したり怒ったりすると顔が真っ赤になるところからだったのだろう。 成績は中くらいで暴れん坊だった。 子分と呼ばれるような数人の子どもたちにいつも取り巻かれていて彼はそのボスだった、 僕が彼とは最初から相容れなかったのは、このサルのグループが弱いものいじめをするからだった。 彼らの犠牲になるのは貧しい母子家庭の子だとか、ひどいビッコをひくおとなしい子だとか、成績が悪すぎていつも先生に叱られる子だとかだったから、仲間も子分も持たない一匹狼だった僕は、いじめの現場へ棒切れを持って飛び込んでいって彼らを蹴散らしたことが何度かあった。
当然ながら猿グループの僕への報復は執拗だったが、正面から挑戦してきたことは一度もなくやり方が陰険だった。 どうでもいいようなことを先生に告げ口したり、廊下ですれ違う時にわざと身体をぶつけてきたり、僕の運動靴を隠したり、講堂で朝礼の時に後ろから僕の腰を押して列を乱させて先生に叱られるように仕向けたりした。 僕はすべて完全に無視した。

ある時、国語の宿題で自由作文を書かされたことがあった。 僕が提出したのは題名を忘れてしまったけど、猿の童話だった。 ある森に住む猿たちの中に、生まれつき片目で鼻の潰れた醜いけどとても気の優しい猿がいて、ボスをはじめ周りのサルたちからいつも意地悪をされていた。 ある時そのボス猿が漁師の仕掛けたイノシシの罠にかかって片足をもぎ取られてしまう。 もう木に登ることもできなくなったボスに愛想を尽かした猿たちは、ボスを捨てて隣の森へと移って行った中で、醜い猿だけは彼のそばを離れず、怪我の介抱をしたり食べ物を集めてきたりしてやる。 そしてボス猿の怪我が良くなったあと、誰もいない森の中で二匹の猿はお互いを助けあいながら仲良く暮らす。 というような他愛ない物語だったと覚えている。

クラスの子供達の前で先生がこの作文を読み上げた時、何人の子供がこの寓話に気がついたのかはわからないが、先生にはたしかに解っていたに違いない。 その童話は学校文集に載せられて全校の児童たちが読むことになったのだけれど、それ以後、猿グループの弱い者いじめがピッタリと止んだのである。 サルと僕はそのあと仲良しになるということもなくて、廊下ですれ違うと彼はいつも眼をそらせた。
あの、サルと呼ばれた少年はどうしているのだろう?
中学まではいっしょだったのに、高校が違ってからはもう顔を見たこともなかったような気がする。

***
 
申年の特徴

●甲申 (きのえさる) 昭和19年 平成16年

この生れの人は、王猿または智恵猿といいます。 非常に才能に富んだ猿です。 統制力と権威に富み、一方において感情が鋭敏で、警戒心が強く用心深い。 そのため正しい者まで疑いをかけ、そしりを受けやすい。 理性を忘れず、感情的にならないように注意しないと、運勢の弱いとき部下や目下の者に倒されることがあります。 怒りっぽくて人に頭を下げることをきらいます。 子供については苦労が多いようです。

●丙申(ひのえさる) 昭和31年

この生れの人は、赤猿または火猿といいます。 外見も内心も赤く火のように燃えている人です。 ときにはその燃え方があまりにも強いため位負けします。 欲が深く、我が強く、おしゃべりな人が多い。 感情にもろく、安請け合いをして後で後悔することが多い。 何事も上調子になりやすく、心底からの交際が出来ないため、人に好かれにくい。 大望を夢見るが、実現する勇気と度胸に欠けます。 男女ともに縁談、家庭的なことには苦労が多い。

●戊申(つちのえさる) 明治41年 昭和43年

この生れの人は、山猿または荒猿といいます。 気の荒い人で、人に迷惑をかけることが多い。 一面で茶目っ気を持ち、人気者で、交際家で、だれ彼の隔てなく交際します。 趣味に富み向上心旺盛です。 勉強家で常識もあります。 行動は粗野で、理屈家で、短気で、飽き性です。 縁談は最初遊びのようでいて、結果は良縁に恵まれます。 多少なまけ癖があるので、細密なことを嫌い、万事おおざっぱな人です。

●庚申(かのえさる) 大正9年 昭和55年

この生れの人は、芸猿または芝居猿といいます。 人まねが上手で、利口で記憶力がよく、一芸一能に秀でています。 たえず無理をすることが多く、食事なども不規則になりやすく健康に注意が必要です。 名声を揚げて人気者になり、一世を風びするような人も多いが、溺れやすく心を引締めなければなりません。 縁談は外見に惑わされやすいタイプなので、注意が必要です。

●壬申( みずのえさる) 昭和7年 平成4年

この生れの人は、親猿または大猿といいます。 身体が大きく、力持の猿です。 壮健ですが、敏感さはありません。 なにごとも大雑束で、正直で、グズつくのがきらいで、性急にことを為すほうです。 政治家とか鉱山師のような仕事で才能を発揮します。 大空想家で、余りコセコセせず、お人好しでかつがれやすく、締めくくりの悪さがあります。 その為に成功する場合と、そうでない場合の落差が激しい人です。
-陰陽道の世界-


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犬の餌を食べるアメリカ人

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El Meson
Dayton, Ohio USA


アメリカでは、どんな高級なレストランで食べてもあまった料理を容器に入れて持たせてくれる。
だから多めに料理を注文しても食べきれなくて無駄をしたという感じがな い。 アメリカ人はそれをドギーバッグ(Doggie Bag)と呼んで 「うちの犬にあげるから持って帰りたいんだけど」 という事にしてるのだけれど、何のことはない、食べるのは自分たちなのだ。
それにくらべると日本やヨーロッパではそんな習慣 はないようだった。 たぶん保健衛生の観点から禁じられているのだろうと思う。

だから僕らは数人で中華料理を食べに行くと皆がそれぞれ食べたいも のをどんどん注文する、そしてさんざん食べたあと、別々に容器に入れてくれる余り物をそれぞれの好みによって分けて持って帰る。 それはそのまま明くる日のランチとか酒のつまみになるわけである。 また、料理のボリュームがうんざりするほど多いアメリカのレストランでは、出てきたものを全部きれいに平らげるなんてことは僕には不可能なので、これもドギーバッグにしてもらって後日温めて食べる。 アメリカでは誰でもやっていることだ。 だからレストランへ食べに行くということは、僕にとっては二食分の食事を確保できるわけだ。 これをみみっちいとか意地汚いと考えるのは、世界中が羨む豊かな生活を営む日本人的な感覚かもしれない。 その日の食事さえ口にできない人たちがいるのに、余り物を惜しげも無く廃棄してしまう方がよっぽど道義に反していると思う。
最近の日本映画で、料理屋の店員がその日売れなかった食品を、深夜に裏口へこっそり訪ねてくるホームレスの人たちに与えていたのが見つかって、クビになってしまうというシーンを見た。 彼こそ現代の救世主なのに。

***

この極彩色の外観を持つ建物はメキシコでもスペインでも中南米でもなく、実は僕の住む町の、家からすぐの所にある地中海料理を食べさせるレストランである。 僕の大好物であるタパスを食べられるのは、この町ではここだけなのだ。 昔のような大食漢ではなくなって、今では美味しいものを少し食べるだけで満足する僕にとっては、スペイン料理のタパスや中華のディムサムなど、無数の小皿で料理が出てくるのは理想的な食事だった。 ヴェネツィアではたしかチッケッティと呼ばれていたが、これはどうもイタリアというよりはヴェネツィアだけの呼称のようである。 日本料理屋に行ってもメインの料理の代わりに幾つものアペタイザーを取れば、いろいろなものが賞味できるしそれだけで十分ディナーになってしまう。

このレストランはメキシコ人の家族で経営しているのだけど、予告もなしにしょっちゅう店を閉めるのは困ったものだった。
親類中の誰かが亡くなった時など、一週間も店を閉めてメキシコに帰ったり、そうでなくても 「本日閉店」 の張り紙を今まで何度見たことだろう。 だからここへ行くときには前もって必ず電話を入れる、という習慣がついてしまっている。


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ユニークな学校は数多くあるけれど・・・

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蠍(さそり)
Yellow Springs, Ohio USA


僕の住む町デイトンから車で30分も行ったところに、イエロー・スプリングズ(Yellow Springs) という小さな町がある。
むかし僕が渡米してデイトンの名前もまだ知らなかった頃から、Yellow Springs の名は聞いていたのは、そこにあるアンティオク カレッジ(Antioch College) という小さな大学が、アメリカの教育史上では男女共学を実施した最初の大学だったからである。
1852年に創設されたこの学校は、当時のハーバード大学を筆頭として米国のすべての学校が、権威とか人種とか性別とかに大きく偏っていたのに対抗して、最初から完全な自由主義を掲げていた。 開設された時の9人の教授のうち二人は女性だったが、アメリカの歴史上、女性の教授を男性とまったく同じ資格で採用したのはここが最初であった。 当然ながら学生の選別も人種とか性別には左右されないことを、最初からはっきりと謳っていた。
そんなユニークが大学だったから全米に多数の賛同者があって、やがて、バーモント、シアトル、ロサンジェルス、南カルフォニア、テキサスの各地に、Antioch College の名で分校ができていた。 そして1978年には College(単科大学) から  University(総合大学) に昇格している。

鄙びて美しい自然に囲まれたこの小さな町は、19世紀の始めにもともと100世帯かそこらの家族が寄り合って 「理想郷」 を作ろうとして始まった集落で、人種差別がまったく存在しない、当時としては珍しい地域だったそうだ。 理想郷というのはたぶん、70年代のヒッピーのコミューンみたいなものだったのではなかったのか、と想像する。 これほどの急進的なリベラルな学校が創立されるのにはうってつけの場所だったのだろう。 その名残りは現在でもはっきりと存在していて、けばけばしい商店街とか新築の豪邸とかはいっさい見られず、質素で小さな家々の集落である。 そんな町で大学の近代的な建物も森の中にひっそりと隠されていて、うっかりするとそのまま通り越して町を出てしまう。 ここに住む人達の中にはアーチストや知識人たちが多いというのもうなずける。

このユニークな町のユニークな大学も、財政困難となって2008年に休校となってしまった。 閉校ではなくて休校ということは、いつの日かまた開くということに望みがあるのだろうと思っていたら、2011年に再び復活して、わずか35人の学生しか取らないこの大学に2500人の志願者があったそうだ。 そして米国でもっとも競争率の高い大学の一つになった。 学生たちは全員が学費免除という恩恵を受けるので、必要な出費は寄宿舎の滞在費だけということが大きな理由なのは間違いないと思う。 こんな方法で、最優秀な人材だけを集めているのである。

この町で年に何度か催されるお祭りやアートのショーには、周りの地域から沢山の人がここを訪れる。 その時だけは、この歴史を超越したような静かで小さな町が少しだけ活気を取り戻す。 隠れていたさそりがノソノソと出てきて街を闊歩するのもそんな時である。




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心の中の風ぐるま



トーマス・クラウン アフェアー
"Windmills of your mind"
Vassilikos



          心の中の風ぐるま(抄) 

くるくると登りゆく螺旋階段のように
回り回る車輪のように
終わりもなく始まりもなく
写し続ける映画のリールのように
山から転がる雪の玉のように
カーニバルの風船や
回転木馬のように
お月様を取り巻くコロナのように
分を刻む時計の針のように
静かに自転する地球のように
いつもいつも
円を描いて回り続けるもの……
それは
心の中の風ぐるま

ポケットの鍵束が小さな音をたてるように
頭のなかで言葉が鳴っている
なぜ夏はこんなに早く逝ってしまったの? 
わたしが言ってしまったことのせい?
ふたりで歩いて砂浜に残した足跡は
もう消えてしまったかしら?
遠くに聞こえたドラムの音は
あなたの指が鳴らした私の鼓動だったのかしら?

どこかで見た古い写真のように
ふと思い出した昔の歌の一節のように
よく覚えていない人たちの顔や名前のように
あやふやなもの......
だけど
終わりがあったということだけはわかる
秋が来てわたしの髪が木の葉色に染まる時

ああ
くるくると登りゆく螺旋階段のように
回り回る車輪のように
終わりなく始まりもなく
写し続ける映画のリールのように
いつもいつも
円を描いて回り続けるもの……
それは
心の中の風ぐるま
         
                             ------------- September30 訳




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