過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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September30

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動物好きの絵描きさん 17 トリ

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By Green Eyes
Calligraphy by Kuniko R



アメリカで食用とされる肉類をもっともポピュラーな三種類に絞ってみると、①鶏肉47%、②牛肉29%、③豚肉24%、の順位になるそうだ。
つまり、アメリカ人は肉を食べる時その半数がチキンを食べる、ということになるのだろう。 特に最近は健康管理の意識が一般的に高まってきて、赤肉を避ける人々がどんどん増えているらしいから、この割合は将来もっと変わっていってそのうちに人口の4分の3はチキンしか食べない、なんてことになるかもしれない。 そして同時に魚肉とか野菜の売れ行きがもっと伸びていくのだろう。

僕自身のことを言えば、ふだんの食事で食べている肉類に感覚的に順位をつけると、①魚(魚貝類)50%、②豚肉25%、牛肉15%、鶏肉10%、となってチキンは最下位にきてしまう。 外で食べる時などチキンの料理を選択することはほとんどない。 (時々、無性に鶏のから揚げが食べたくなることはある) 
自宅での食事も、僕が料理する時に鶏肉を使うことはまずないので、あとは我が Green Eyes の料理に姿を現すだけである。彼女のつくる鶏料理で僕が一番好きなのは日本風の竜田揚げだ。 これは酒のつまみにもなるのでいつももりもりと食べてしまう。

僕もこれからはもっと鶏を食べるようにすべきなのか。
でもなんとなく味が薄くておいしいと思えないんだよなあ・・・・

 


酉年の特徴

●乙酉(きのととり) 昭和20年 平成17年

この生れの人は、水鶏といいます。 田畑や山に住む美しい鶏の一種です。 比較的弱いため自分の身体を隠したり、保護色によって自分の存在を隠しています。 声は明朗で、情緒的な美声の持ち主です。 異性に執着しやすい。 消極的ですが、慾が強く、ワナにかかりやすい。 表立ったことをきらいます。 配偶者で苦労が多く、子供との縁も薄い。 職業、住所ともに定まりにくい方です。

●丁酉(ひのととり) 昭和32年

この生れの人は、闘鶏または喧嘩鳥といいます。 勝負することが好きで、それによって利益を得る鶏です。常に勝ことのみを考え、先天的に闘争心に富んでいます。 負け嫌いで横車を押しても平気で、それで本人は正気のつもりで一歩も譲りません。 稚気もあります。商略の才能が少ないにもかかわらず、地道な生活がまどろかしく、一攫千金の望を持ちます。利己的になりやすい。

●己酉(つちのととり) 明治42年 昭和44年

この生れの人は、野鶏といいます。 自然のままに育つ鶏で、種類は家で飼われる鶏と同じでですが自由です。 したがって食には不自由が多い。 人に養われても、すぐに飛出してしまいます。 外出好きで、遊び廻る癖があり、家におちついていられません。 華美を好み、演芸など陽気なことが好きで、寂しがり屋です。 物忘れが多く、経済的観念に乏しい人です。

●辛酉(かのととり) 大正10年 昭和56年

この生れの人は、軍鶏といいます。 闘鶏ほどには喧嘩好きでありませんが、正義の場合には闘士となります。 また生産的です。 家鶏と闘鶏の中間的存在です。 平時にはまじめに働きますが、いったん事があると猛然として立つ勇者です。 正直で実直で努力家です。 親兄弟の縁は薄く、力になる者が少ない。 わりと孤独です。 名声をあげ一代で誉を得る者が多い。

●癸酉( みずのととり) 昭和8年 平成5年

この生れの人は、家鶏といいます。 家に飼われている鶏です。 鶏肉と鶏卵の供給を主とする役目です。 子孫の繁栄と与えられた使命を真面目に努めます。 性質もきわめて温厚で、生活も安定しています。 多くの人や世の中の為になり、人から喜ばれる地位にあります。 コツコツと自分に与えられた仕事をよくこなす為、人から認められ世間からも持てはやされ大切にされます。
-陰陽道の世界-



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夫婦げんか

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海辺の休暇
St.Petersburg, Florida USA



つい最近、といってももう3週間以上前になるけれど、フロリダに住む義弟のところへ遊びに行ったきた。
フロリダといえば、冬という季節を嫌う人種が避寒地としてアメリカ中から集まるところだから、この異常な暑さの中でさらに暑い場所へ遊びに行くというのは一般的に見れば狂気の沙汰ということになる。 冬は嫌いではないくせに寒さに弱い僕なんか、本来なら真冬にここへ来るべきなのだ。 毎年のようにそう思いながら、いつもうかうかして、そろそろ休暇を取りたいなあと思い始める頃にはもう夏になっている。 それに、なんといっても休暇は夏だよ、と決め込んでいるようなところもある。 バカンスという語自体にすでに灼熱の太陽の輝きが含まれていると感じるのは僕だけかもしれない。

義弟のマークと嫁さんのローラはいつものように大歓迎してくれた。
彼らはなかなか気持ちのよい夫婦で、巨大な一族の中で僕と気が合うという点では数少ないカップルと言えるかもしれない。 だからここに来ると気を使わないで我儘も言えるし、お客様扱いにされてあれこれと勝手にプランを立てられたりすることもなく、適当に放って置いてくれるのも嬉しい。 僕が一人でうろうろしたいという奇癖の持ち主だということを、彼らはよく承知しているのだ。
三人の娘があって、上の二人は大学、下の子は高校生である。 学校はもう夏休みに入っているのに上の二人は帰省しないで、離れた大学の町でアルバイトをしているので、家にいるのは高校生の子だけだった。 そのせいで、以前来た時は元気良い三人の女の子たちの声で華やかだったこの家は、いまはひっそりと静かだった。

マークとローラはふだんは仲が良いのに時々喧嘩をする。 原因はいつも些細なことである。 車で目的地へ着くまでの道順だとか、レストランの選択だとか、待ち合わせの時間や場所を決める手順だとか、買い入れる酒の銘柄だとか、テレビで見る映画の決定だとか、他愛もないことだ。
男同士だからということでマークの側に立つつもりはさらさらなくて、ごく中立的立場から僕が見る限り、大体いつも旦那の言い分の方が筋が通っていると思われることが多い。 といってもちろん僕がそばから口を出すことはなくて、黙って終わるまで放っておく。
思うに、ローラにはコントロール癖のようなものがあるようだ。 旦那が一生懸命にやっていることを、任せておけばいいと思うのについあれこれと口を出さないではいられないらしい。 決して批判的な発言というのではなくて、親切心からヘルプをしようとしているのはよくわかる。 ただそのために、すんなりいくべき簡単なことが不必要な迷路に入り込んでしまうことがある。 大抵の場合はマークは黙って聴いているだけなので喧嘩になることはないが、それがある一線を超えるとマークの反撃が開始される。 そして二人のやり取りが徐々にエスカレートして行って口論はますます佳境に入っていく。 旦那の浮気だとか嫁さんの金の使い過ぎだとかの深刻な争いではないので、観戦しているこちらも気が楽といえば楽である。

今回の滞在でもハイウェイを移動中の車の中でそれが起こった。
いつもなら知らん顔をして放っておく僕だったが、ハンドルを握って時速120キロで疾走中のマークの激昂ぶりが、これは我々全員の生死に関わるかもしれないと思われる状態に達した時に、僕はつい口を出してしまった。
「おいおい、お前さんたちの睦言を聴いていたらやたらと喉が渇いて腹が減ってきたよ。 どこかで下りて飯にしようぜ」
それで二人が笑い出して停戦にしてくれたのでホッとした。

そこで我々は次の出口で下りてランチにしたのだが、 レストランの選択は、また戦争が再開しては大変なので僕が勝手に取り仕切ることにした。
ランチは僕がご馳走するから、という条件付きで。


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倒錯の世界へ

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男たちと男たち
Paris, France


パリに2週間ほど滞在したホテルの近くで、トランスベスタイト(transvestite)、つまり服装倒錯者たちのパレードに出くわしたことがある。
人気のあるコミックの役柄を模した奇抜な衣装もあれば、ムーラン・ルージュの舞台から抜け出てきたようなエレガントなダンサーや、あるいは普段着でちょっとそこまでショッピングに、というふうなパリジェンヌまで、なにしろわんさと100人くらいの美女熟女が通りを練り歩いていた。 そして彼らはその全員が男性なのだ。
中にはどこから見ても絶対に女性にしか見えないという完璧な人もいれば、化けそこねて男性丸出し、という人もいた。 
いや、化けそこねて、というのは正確ではない。 彼らには女に化けるという意識は最初からなくて、単純に女性の衣服を身につけることを楽しんでいる、という印象を受けた。
パレード終了後には一般の観客が混じって、衣装を称賛したり雑談を交わす場面があちこちで見られた。 あの、今は古典になったフランスのコメディ、"La Cage aux Folles" (邦題、Mr..レディ、Mr.マダム) に見るようなゲイの世界は、この町では舞台や映画の中だけではなくて、現実の生活の中に存在しているようだった。

それについて思い出したこと。
昔、30代だった頃の僕はボストンから毎週のようにグレイハウンドバスに乗ってニューヨークまで遊びに出かけていた。 知り合いの日本人シェフたちが3人でシェアしていたアパートがマンハッタンのど真ん中にあって、僕はいつでも好きなだけそこへ滞在することができたのだ。 そしてその高層ビルの同じ階の住人で、エレベーターの前でいつも顔を合わせたのが、スピッツを胸に抱いた美少女だった。 自然と会話が始まって、彼女といっしょに犬の散歩をしたり、道端のカフェでランチをしたり、色んな話をするようになった。
ある時、シェフたちが出かけたあとのアパートへ彼女がやってきて、部屋へ入るなり 「まあ、男クサーい」 と笑いながら顔をしかめると窓を開け放して、そのあと半日をかけてテキパキと動きまわり、アパート中をきれいに掃除してくれた。

そんなことがあったあと、ごく自然の流れで、ある夜、彼女の部屋のベッドの中で衣服を剥ぎ取った二人が肌を合わせた時に、突然アッと思ってしまった。 (皆さんもう気がついている思うけど) その美しい少女は男の子だった。

不思議だったのはそのあと、気持ちも身体も萎えてしまったにもかかわらず、違和感とか嫌悪感がまったく湧いて来なかった。
「驚いた? ごめんなさい。 いつもここまでは同じなの。 蹴飛ばされたこともあるわ。 でもあなたのこと好きよ。 しばらくこのまま抱いてて」
と、哀しそうに云った彼女に、僕はすごく優しい気持ちになっていて、そのままの姿勢で彼女を抱いて長いあいだ話をした。
男とも女とも判別できない身体で生まれてきたこと、最初は両親に男の子として育てられながら、小学校にあがる頃女の子に変身したこと、口のうるさい小さな町にいたたまれなくなって、高校を出たあとニューヨークへ出てきたこと、そしてニューヨークで仲間を見つけて 「その世界」 へと入っていったこと、夜のクラブでダンサーをしながらお金をためて、いつか本当の女になるための手術を受けるのが夢だということ。

ポツリポツリとそんな話を耳元で囁く彼女が僕は無性に愛しくなって、ちょっぴりと膨らんだその胸に唇をあてる。 細く喘いでいた彼女が上半身を起こすと、身体を下にずらせて僕の身体にキスをしてくれた。
優しくて柔らかくて、深いキスだった。

その夜は外は雨が降っていた。


あのこが話してくれたこと
t.A.T.u







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これほど悲しい歌を聴いたことがあるかい?



セントジェームス病院
Louis Armstrong


あの娘(こ)に会いに
セントジェームス病院へ行った
長くて白いテーブルに横たわったあの娘の顔は
指で触るとひんやりとして
優しくてとても綺麗だった

ああ、神様
どうか逝かせてやってくれ
もういい
この娘を逝かせてやってくれ

そうすれば
きっと高いところから
広い世界を見下ろして
しあわせを探すことができるだろう
そして
きっとわかってくれるだろう
おれほど愛した男はいなかったと。

------ September30 (訳)



***



歌の最後に入るルイ・アームストロングの短い笑いが実にいい。
「彼女が世界中を探しても、おれほどの男はきっといないよ」 と歌ったあとで、「えへへ、ちょっと自惚れかな」 と照れ隠しのように笑っているのだが、悲しいメロディとじめじめした歌詞の雰囲気が、この笑いで救われる。 悲しい思い出は泣きながら話すよりも、笑いながら話すほうがずっと切実に響くものだ。
彼の温かい人間味と、聴衆を楽しませるエンターテイナーのプロ根性が笑いに表れている。


恋の算術
1+1= ∞ (無限大)
2-1=0
Mignon McLaughlin




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戦争をする国に暮らして

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アメリカ、戦争に突入 2003年
Somewhere in Ohio USA



僕の住む町のローカルテレビ局が朝からショッキングなニュースを伝えている。
28歳の男性の自殺だった。
彼は1年ほど前にイラクから帰還した兵隊の一人だった。 奥さんと2歳の幼児を残してイラクに送られたのだが、爆弾に片脚を吹き飛ばされて本国に送り返されてきた。 2年間留守にして毎夜夢を見ていた家族のもとへ帰ってみると、若い奥さんには愛人がいたらしい。
その報道が人ごとのように思えなかったのは、実はその彼は、僕が長くいた会社で一緒に働いていたある女性の従兄弟にあたる人だったからだ。 それで彼の話は前に彼女から聞いていた。

以前からアメリカが抱える大きな問題になっているのは、戦地から帰った人たちの行状だった。 体験してきた地獄がそのまま心に住みついてしまうらしく、精神的に危険で不安定な状態に追い込められるそうだ。 その結果、自殺をしたり事件を起こしたり、そうでなくても社会復帰ができないままに半分廃人のような生活を送っている若い人たちの数は凄い数になるという。
五体無事で帰ることができたラッキーな兵隊たちでさえそうなのに、まして彼のように身体の一部を失い危うく命拾いをして、家族のもとへ還ってきた時にそこに自分の居場所が無い、とわかった時の彼の苦しみは僕には想像もつかない。 国から頂いた勲章なんか彼にとっては何の意味もなかったに違いないだろうと思う。 それでも彼は1年のあいだ、政府が提供した精神科医にかかったりして、必死で努力をしたそうだ。 そして回復が不可能だと悟った時に、彼は拳銃を口にくわえて引き金を引いた。



それで思い出したのは、今から10年前の2003年3月19日、アメリカと連合軍の軍隊がイラクへ最初の侵略をした時のことだった。
僕がこの日を忘れないのには理由があった。
ペンシルバニア州のピッツバーグで大学に行っていた娘の卒業式に出席するために、妻と妻の母と僕の三人は車の旅をしていたのだ。 車がオハイオ州を離れてウェストバージニア州に入る直前、僕らはハイウェイを下りてランチを取ることにした。 その時、レストランの入口に置いてあった新聞販売機に 『アメリカ、戦争に突入』 と書かれた文字を見て、(ああ、とうとう始まったか) という感が強かった。 新聞を買おうとしたら、販売機は空っぽだった。 レストランのテーブルに着いてわれわれ三人が最初に話題にしたのは、息子の太郎を徴兵に取られるかもしれない、ということだった。 そんなことはないだろう、と僕は云ったが、ブッシュ大統領を頭から毛嫌いしていた妻は、クルミぐらいのサイズの脳みそしかもたないあの男ならやりかねないと云ってゆずらなかった。 そういう僕だって、そんなことはないだろうというはっきりとした理由はなにもなかったのだ。 そのつい1か月ほど前には、アメリカの600都市で1千万人の市民がイラク戦争反対の大々的なデモと決起集会をやっていた。 その多くは青年を子供に持つ両親だったという。

パンケーキを食べてコーヒーをすすりながら僕は思っていた。 戦争をしたがる政治屋はどこの国にも必ずいるものだ、と。
これがもし日本だったらどうなるだろう?

『日本、戦争へ突入』

と、ある朝の新聞の巨大な見出しを、日本人はどんな気持ちで見るだろうか?
あってはならないことだ。 絶対に。




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7月のクイズの結果は・・・

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遅いランチ
Ravenna, Italy



イタリアはボローニャの北、小さな町ラヴェンナ。 そこのレストランで食べたカラマリの味は忘れられない。 つい先日、アメリカ国内のある有名なイタリアンレストラン(チェーン店)でカラマリを注文したら、出てきたものはカラカラに揚がりすぎて、中身のイカはまるで太いゴム輪を噛んでるようだった。 それで大好物のカラマリに対する期待が完全にカラマワリしてしまった。 その悔しさが起因となって今月のクイズとなったわけです。

このラヴェンナのレストランでは、ナプキンとおしぼりのセットを小さな籠に差してテーブルに置いてくれた。 戸外に席を取ったわれわれのすぐそばに、ウェイターのステーションがあって、料理が出てくるのを待っている間に、この 「静物写真」 をものにした。

ところでかんじんのクイズだけど、① が正解。 14人の応募者の中で正解がたったの1人。 「わに」 さんだけだった。
解答者のうちわけは次のとおり。

① レストラン  1
② 農場     0
③ 美術館    2
④ 街角     4
⑤ 森の中    1
⑥ 動物園    1
⑦ ワインの醸造所 5


わにさん、おめでとう。 住所氏名を非公開コメントにして送ってください。
お好きな写真を指定することを忘れないように。
数日経ってもご返事のないばあいは棄権とみなして次の方を選びます。



そこで、またカラマリの話に帰るけど(かなりしつこい) このとき食べたカラマリの写真を以前に載せているので、ぜひ見てくださいね。 『イタリアの旅 ラヴェンナ』


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いつかする旅

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地下鉄
Boston USA



その昔、初めて東京の地下鉄に乗った時のことは忘れない。
17歳の少年が山陰の田舎から、世界一のマンモス都市へ出た時のことだ。
長い長い階段を降りて地下へ深く潜ると、そこにシュールリアルなSFの世界があった。 昼間よりも明るい人工照明の下で、塵ひとつ落ちていない床はツルツルと輝き、人影はまばらだった。 そこへ鋭い悲鳴のように車輪を軋ませて入ってきた電車がまた、何万光年も彼方から旅をしてきた宇宙船のような、メタルとガラスの芸術品だった。 それにくらべると、ようやく乗り慣れた地上の山手線はまるで古い荷馬車のように思えた。 そして乗客の人種もたしかに違う。 大きな荷物を抱えた普段着のおばさんや、うなだれて居眠りをする年寄りはここでは見当たらず、ビジネススーツやハイファッションの衣服で仮装して、まっすぐに背中を伸ばした異星人たちがそこにいた。
僕はそんな中でおずおずと座席の片隅に身を置いて、パックリと口を開けたトンネルの闇の中へ、凄い速度でタイムトリップして行きながら、いったいどこへ運ばれていくのか? このまま二度と帰って来れない黄泉(よみ)の世界へ行ってしまうのか? と言い知れない恐怖感を味わっていた。

***


その時から約10年後には、僕はアメリカにわたってボストンに住んでいたが、この町の地下鉄は東京やパリのメトロと違って地下に潜りっぱなしではなく、ダウンタウンを抜けると電車は地上に現れた。 住民たちはサブウェイと呼んでいたが実際は後年ヨーロッパでよく見たトラムと同じものだった。

そしてつい最近のこと、
異星人として京都に姿を現した僕は、完成してからまだ間もない地下鉄に乗った。 (以前の記事、地下鉄烏丸御池駅
そしてこれはまちがいなく世界一のメトロだと確信した。 といっても僕は世界中へ旅をしたわけではない。
いつかするんだ。



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7月のクイズ

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今月のクイズはかなり難しいと思うよ。 それで選択制にしてみた。

この写真が撮られたのはどんな場所だろう?
下の中から番号で選んでください。

① レストラン
② 農場
③ 美術館
④ 街角
⑤ 森の中
⑥ 動物園
⑦ ワインの醸造所

正解者の中から抽選で1名の方に、僕のブログ上のどれでもお好きな写真を差しあげます。 
締め切りは今日から1週間。
答えは非公開コメントにして下さい。


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二葉の写真のあいだには…

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Community Festival  2013
Columbus, Ohio USA



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Cambridge Park 1972
Cambridge, Massachusetts USA


先週の土曜日、オハイオ州コロンバスのコミュフェスタに初めて行ってみた。
40年も続いているこのお祭りがユニークなのは、主催者が市や営利団体ではなくて完全なボランティアによるお祭りだということ。 40年前といえばアメリカはヒッピーの全盛期で、当時の名残や雰囲気が失われないままここまで運び込まれてきたような、カジュアルで楽しい大パーティだった。 それにしても、これだけ大きな催しを入場料を取らないで、ボランティアの奉仕や無料出演のバンドでやり繰りしたり、何十と並ぶ食べ物や飲み物の出店からのショバ代などで立派に成功させているのに感心した。
広大な公園内に七つのステージが作られてあらゆる種類の音楽やショーが同時に進行している中で、喫煙自由どころかあちこちからマリワナの匂いが漂ってくるところまで、40年前と同じに違いない。 驚いたのはこれだけ膨大な群衆の中に、ただ一人として制服の警官を見なかったこと。
ただ、ビールを買うのに長い行列に30分も並ぶのには参ったけど、おかげで酔っ払わないですんだのは、そのあと家まで1時間半のドライブが待っている僕にとっては悪いことではなかった。 そして、自分のビールを簡単に持ち込めるこの会場に、そうする人がほとんどいなかったというのもすごい。 ドリンクの売上がフェスタに貢献することを誰もが知っているのだ。
残念だったのは、宴もたけなわの頃に降りだした雨がたちまち土砂降りになって、今夜のお祭り(3日間のフェスタ)は事実上中止の状態になってしまったことだった。

***


この、上下に並んだ二葉の写真のあいだには、実に41年の月日の流れがあったなんて信じられるだろうか?
驚くほど類似した写真だけど、それを撮っている自分も、その自分を取り巻く世界もすっかり変わってしまった。
青年の僕が毎週のように行ったこのパーティのことは、以前に 『ヒッピーのころ』 にも書いている。




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人間の図太さを感じた日

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海辺の家
Marblehead, Massachusetts USA


陸(おか)に住む人間が、これ以上に水に近く生きる生活があるだろうかと思う。
マサチューセッツ州北部の小さな町、マーブルヘッドで見かけたこの古い家は漁師の棲み家としか考えられなかった。 茫茫とした大西洋の脅威から大きな入江が守ってくれているとはいえ、ハリケーンは容赦なく訪れるに違いない。 毎日の満潮時には、家の土台となっている岩が黒く変色したところまで海の水位が上がってくるのだろう。 そして木製の浮遊桟橋がプカプカと海面に浮かぶのだろう。

朝ベッドで目を覚ますと、まぶしい朝日が部屋いっぱいに射している家。 潮が満ちている時に窓を開ければ、その窓のすぐ下から海が始まっている家。 時々は開けた窓の外から魚が飛び込んでくるかもしれない。 嵐の時など波のしぶきがそのまま窓ガラスを打つに違いない。
大自然と静かに対峙しているこの家を写真に撮りながら、『老人と海』 のヘミングウェイの言葉を思い出していた。


人間は
滅ぼされることはあっても
負けることはない。




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