過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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十月のクイズの結果・・・ 「正しい日本語を使おう」

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たそがれの天使
Dayton, Ohio USA


うわあ、今回のクイズ、凄い楽しかった。
と書いてしまってこれも正しい日本語じゃない、と気づく。 凄く 楽しかった、と書くべきなのだ。 僕が今までに書いた記事の中から間違った日本語を探してください、というのはクイズになりそうだけど、これ以上恥をかきたくないからやめておこう。

今回は最初に当選者発表から。
「Via Valdossola」 さんに、たそがれの天使がニッコリと微笑んだようです。 最後まで残りながら惜しくも敗れたのは 「henri8」 さんだった。



それでは読者が寄せてくださったものを列記してみよう。

☓ 「・・の風下にも置けない」 → ◯ 「・・の風上にも置けない」
☓ 「半端ない」 → ◯ 「半端じゃない」
☓ 「取り付く暇がない」 → ◯ 「取り付く島がない」
☓ 「布団をひく」 → ◯ 「布団を敷く」
☓ 「こんにちわ」 → ◯ 「こんにちは」
☓ 「櫛の歯が抜けたように」 → ◯ 「櫛の歯が欠けたように」
☓ 「未曾有(みぞうゆう)」 → ◯ 「みぞう」
☓ 「黒白(くろしろ)をつける」 → ◯ 「こくびゃくをつける」
☓ 「間髪(かんぱつ)をいれず」 → ◯ 「かんはつをいれず」
☓ 「団塊(だんこん) → ◯ 「だんかい」
☓ 「生殺与奪(せっしょうよだつ)」 → ◯ 「せいさつよだつ」
☓ 「世論(よろん)」 → ◯ 「せろん」 「せいろん」    「輿論(よろん)」 は少し意味が違うし、当用漢字にはない。

以上はわりと簡単な言葉の間違いだけど、今度は表現の仕方が正しくないものを挙げてみよう。

・ 「浮き足立つ」
この意味は、「不安や恐れで落ち着きを失う。逃げ腰になる」 (大辞泉)、とあるように浮き浮きと浮かれることではない。
「今度 September さんとデートなんだけどもう浮足立っちゃって・・」 などと言ってはならない。 正しくは、「September さんとのデートが旦那にバレたみたいで、私このところ何となく浮足立ってるの」 と使って欲しい。

・ 「確信犯」
「道徳的、宗教的または政治的信念に基づき、本人が悪いことでないと確信してなされる犯罪」 (大辞泉) 
ところが現代では、悪いことだと知りながら犯してしまう、という意味に使われることが多い。 意味がまったく逆なのだ。 かつて幾多の人妻が 「あなたとの恋は私には確信犯だったのよ」 と僕に告白してくれたけど、それは上記のどちらだったのだろう?

・ 「おっとり刀で・・」
「急な出来事で、刀を腰に差す暇もなく、手に持ったままであること。急いで駆けつけること」 (大辞泉) というわけで別におっとりと構えることじゃない。 そういえば、「今宵は旦那は帰りが遅いよって、うちら、おっとり刀でいきまほ」 と彼女が言ったにもかかわらず、気配を察したその旦那がおっとり刀で帰宅したあの時は慌てたなあ。 靴を持って裏口から逃げ出した。

・ 「Hエッチ」
普段は謹厳なこの読者がいみじくも言ってくださった。
『元々は、キャバレーやクラブの女性が、体を触ってくる客の男性に対し、”いやらしい” や ”助べえ” 等に代えて、「変態」(Hentai)の ”Hエッチ” と言ったのが始まりと聞いています。今や性行為の言葉として定着、立派な?日本語になってしまいました。こんな軽い、いい加減な言葉が、人間の大事(おおごと)を表すなんて、このグローバルな時代、日本人として恥ずかしいと思います。 せめて、Sexの 「エス」 とか Love の 「エル」 とかにしたい』

言わせてもらうと、Hは好きじゃないけどSやLも違和感を感じる。 なぜなら日本語ではないから。 アメリカでは "フxxク" という赤裸々で直裁的な言葉を別にすれば make love という古典的な言葉があるけど、こんなの使う人は今時いない。 やはり sleep が最も一般的のようだ。 日本語でも一番無難なのは 「寝る」 だと僕は思っているけど、もっと適切な言葉があってもよさそうだ。September 氏ならきっとさらに日本語特有の言い方をするだろう。 「抱きたい」 とか 「肌を合わせたい」 とか 「あなたと一緒に濡れてみたい」 とか 「ひとつになっていたい」、 あるいはもっと無邪気で動物的で天真爛漫で端的な表現 ・・ 「したい」 とか。
つい興奮してしまったけど、なにしろこれは 人間の大事 だから仕方がない。

・ 「姑息」
もともとは 「とりあえず」、「一時的」 という意味でネガティブな感じは無かったのが、昨今では 「姑息な手段」 などといって 「卑怯な」 という悪い意味に使われるのが圧倒的に多い。 団塊世代に属するこの読者が、仕事の上でクライエントに対してこの言葉を(元々の意味で)使ったら、上司に徹底的に叱られたそうだ。

・ あと、数人の読者が指摘されたのは、「全然・・・ではない」 という否定的表現のルールが今は無視されているということ。
これは実は僕も耳が痛い。 さすがに文章を書く上ではそれをやらないとしても普段の生活で、「うん、全然だいじょうぶだよ」 と言っってしまって、はっと気がつくだけまだ良心が残っているのかもしれないけど。 気をつけなくちゃ。

・ 「・・・的には」
これは僕もいつも眉をひそめていた。 「私は」 あるいは 「私としては」 というところを 「私的には」 と奇妙な言い方をしてしまっている。

あと多数の読者が触れていたのが、予想したように敬語と謙譲語の問題。 これは僕にとっては苦手な分野だ。 英語の世界に慣れた僕にとっては戸惑うことが実に多い。 この数年、日本語を書いたり話したりする機会が圧倒的に増えた僕が目指すのは、敬語も謙譲語も最小限に抑えて、相手に失礼にならないように、といって必要以上に丁寧にならないように、ということかな。 たとえば、
☓ 「電話を掛けさせていただきます」 → ◯ 「電話をお掛けします」
☓ 「ご出席なさいますか?」 → ◯ 「出席なさいますか?」
☓ 「お召し上がりになられますか?」 → ◯ 「召し上がりますか?」
☓ 「とんでもございません」 → ◯ 「とんでもないです」



最後に、
ある読者が送ってくださったリンクはNHK 放送文化研究室のサイトで、これがすごくおもしろい。 NHKは日本文化において日本語のお目付け役だと考えても良いので、いろいろな日本語の歴史を混じえた考察は、僕にとってはとても楽しくそしてためになった。 膨大な資料が詰まっているサイトなので、時間と情熱を持て余している方はぜひぜひ見てください。

ことば(放送用語)

***

Via Valdossola さん、おめでとう。
住所氏名を非公開コメントにして送ってください。
お好きな写真を指定することを忘れないように。
数日経ってもご返事のないばあいは棄権とみなして次の方を選びます。




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初雪の朝

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濡れた朝
Oakwood, Ohio USA


今朝は6時に起き出して翻訳の仕事をしていて、いつの間にか外が明るくなっているの気がつき窓のシェードを引いて外を見て、あっと思った。
雪が降っている・・・
初雪だ。

申し訳なさそうな頼りない降り方だったが確かに雪だった。 道理で寒いわけだ。 自動に設定したヒーターが昨夜から入ったり止まったりを繰り返したのはそのせいだった。 外の気温を見ると摂氏2度を示している。 僕はシャツの上にカーディガンを羽織って首にスカーフを巻く。 そして普段は家では履かない靴下を履いた。 僕にとってはそれが冬装備だった。 
十年ほど前のハロウィーンに大雪が降ったが、それ以後、十月に雪が降ったことはないと覚えている。

初雪の写真を撮ろうとカメラを持ちだしたら、何のことはないもう雪は止んでいて、仕事部屋の窓から見る戸外はうすら寒くしっとりと濡れていた。 それで雪の写っていない初雪の朝の風景となった。





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十月のクイズ 「日本語って難しい」

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干し柿、荒れ庭、小春日和
米子市 旗ヶ崎、渡辺邸



僕の大好きな人のウェブサイトを読んでいたら、とても興味をひくことが書いてあったので、まずそこから少し引用さしてもらおう。
その人は、昨今の日本語がいかに間違って使われているかを沢山の例を上げて訂正している。 古い世代に属する僕はそのほとんどは正しく使っているのがわかったけど、その中で一つだけ、あっと思って恥ずかしくなっってしまったのがあった。 彼女はこう説明する。

・ 役不足 (やくぶそく)
「彼ほどの良い俳優に、あんな小さい役じゃあ、役不足だよ」 というのが正しい意味です。
自分にはとてもそんな能力は無いと言いたくて 「私では役不足です」 と使う人がいますが、これだと、こんな仕事やってられっかよ、の意味になるとてつもなく恐ろしい言い間違いです。

僕は実に彼女の言うような 間違った使い方を、うっかりとやっていたのだ。 自分のことではなかったが、ひとを仕事に紹介する時にその人があまりその分野の經驗がない場合などに、「あなたではちょっと役不足かもしれません。 だから最初はかなりきついですよ」 などと平気で言っていたのである。 ああ、恥ずかしい。

それ以外の例では

・ 小春日和 (こはるびより)
北風も止んだ初冬のひだまりで、「今日は小春日和だねえ」 と使うのが正しい用法。 そよ風の吹く早春のひだまりで、「今日は小春日和ねえ」 と言うと赤っ恥をかきます。

・ 寸暇を惜しまず働く
言いたい意味は、わずかな時間さえもったいないと思って働くということです。 が、この場合の曲者は 「惜しまず」 です。 惜しまずは、もったいないと 「思わない」 ということですから、「わずかな時間さえもったいないと思わずに、働く」 ・・・??? 意味不明です。
正解は 「寸暇を惜しんで働く」

・ 押しも押されぬ大人物
言いたい意味は、人を押しのける必要も、押しのけられる恐れもない、完璧な実力者。
押しもは、「押すことも」 という意味。押されぬは、「押せない」 という否定の意味です。ということは、押すことも押せない、大人物?日本語として成り立っていません。否定が片方の単語にしか掛かっていないことが問題です。
正解は 「押しも押されもしない大人物」


***


そこで今月はクイズというより事実収集のために読者の方にヘルプをお願いしようという訳で、上の例のように、日本語独特の言い回しが長い間に混乱してきている例を探してください。
あるいは言い回しでなくても簡単な言葉だけでも構わない。 例えば、「うろ覚え」 → 「うる覚え」、「雰囲気(ふんいき)」 → 「ふいんき」、「居心地(いごこち)」 → 「いこごち」、という具合に。 また、一人で一つと限らず、いくらでも列記してください。 多ければ多いほどいい。
日本を長く離れて母国との接触がほとんどなかった僕にとって、いかに言葉が変わるものなのか、凄く興味しんしんなのです。


投稿して頂いた全員の中から一人を抽選で選んで、僕のブログ上のどれでもお好きな写真を差しあげます。 
締め切りは今日から1週間。
答えは非公開コメントにして下さい。


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レッド・ガーランドに惚れちまった



柳よ、僕のために泣いてくれ
Red Garland


一つの夢がある。 長いあいだ持ち続けてきた夢だ。
それはどこかの場末(ばすえ)の小さなクラブのシーンだった。
僕は片隅に置かれたスタインウェイのベビーグランドに向かってドラムとベースを相手にピアノを弾いている。
照明を落とした場内は静かでもなく騒々しくもない。 人々は音楽に耳を傾けるというより、それをバックグラウンドに自分だけの世界に浸っているようだ。 グラスの触れる音、低い話し声、時折り聞こえる女の笑い声・・・ 
僕は聴衆のためでも報酬のためでもなく、自分の身体を通り抜けていった、さまざまの過去の思い出のために弾いているのだ。 一曲が終わって次の曲を弾き始める合間に、僕はピアノの上に置いたグラスに手を伸ばす。 

そんな時、僕はこのレッド・ガーランドのように弾いていたい。

重厚な和音の積み重ねはオーケストラのそれと同じだ。 メロディをオクターブで弾きながらそのあいだにコード(和音)の音が2音か3音、常に入っている。 しかしそこにコードのルート(根音)が入ることはない。 それは左手の仕事でもありベース奏者の義務でもあるからだ。 これはほかのどんな楽器にもできないピアノだけに許された天の恵みの音楽だ、といっていい。
そして、そんな複雑な音の積み重ねが途切れたあとに入ってくるのが、あの透明で鋭いシングルノート(単音)のソロだった。 交互に現れるこの二つの奏法は実に絶妙なコントラスを創り出していて、まるで人と人との会話のように僕には聞こえる。 このスタイルをガーランドほど極めたピアニストをほかに知らない。

しかし、そう、しかしだ。
僕に絶対に真似のできないもの、いや日本人にはおそらく会得することの不可能なもの。 いや、もっとハッキリ言えば、白人にさえも学ぶことができないもの。
それは彼のノリだと思う。
ドラムとベースが刻む外面のリズムに対して、彼のピアノが作り出す ゆっくりとしたノリ の感覚は、いわば内面のリズム、あるいは本能的なスィング感とでも言うのだろうか、黒人たちが生まれながらにして持っているものだと、僕は確信している。 学ぼうとして学べるものじゃない。 ジャズをもう一度やり直そう、とボストンに渡った僕がピアノを諦めてしまう結果になって、作曲編曲に専念するようになったのも、それが理由の一つだった・・・


もう一曲だけ聴いてみる?
これはゆっくりとした、軽いスィングのリズム。 ガーランドが演奏したものの中ではそのユニークさがもっとも表れた秀逸な演奏だと思う。
彼のシングルノートのソロの時の、左手のシンコペーションのリズムの入れ方に注意して欲しい。 これも彼に独特なものでこんな弾き方をするピアニストは他にはいない。 理論やコンセプトに縛られてメカニカルな演奏しかできない昨今のピアニストを聴いたあとでは、ガーランドのような、切実な感情の吐露に接するとほっとする。
それにしても何と抒情に溢れたピアノであることか!





セントジェームズ病院



「セントジェームズ病院」 は僕の好きなナンバーで、同じ曲をルイ・アームストロングが歌うバージョンを以前の記事、『これほど悲しい歌を聴いたことがあるかい?』 に載せている。





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失われた家族

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天津の頃



僕の父は地方の豪農の長男として生まれながら、百姓は自分が一生の仕事とするものではないと決心して若い時に東京に出た。 そして昔の師範学校を苦学をして出たあと貿易会社に入社した。 それから東京で最初の結婚をしたあと僕の兄になるべき男の子が生まれる。 妻であったひとは病気か何かで亡くなってしまったらしいが、父がその人のことを僕に話してくれたことは一度もなかった。 我が家の仏壇に小さな位牌が立っていたのを子供の僕が見た記憶があるだけだ。
父は仕事の上では優秀な社員だったに違いない。 やがて北京の支店長として中国に赴任した時に、父はまだ少年である兄を一緒に連れて行った。 そしてあいだに入る人がいて僕の母との再婚の話が決まった。 一度帰国した父は郷里のY市で結婚式を挙げると、新しい妻を連れてまた中国に戻った。

だから僕は北京で生まれた。 戦争の終わる直前である。
生まれてから数ヶ月して一家は天津(てんしん)に引越している。 僕にとっては北京の家はもちろん、幼児として数年を過ごした天津の家のことも記憶にはほとんど残っていない。 ただ、古い数枚の写真から推測するだけである。
中国での父の事業は非常にうまくいっていたらしい。 天津では大きな屋敷に中国人の女中や料理をする女性がいて、赤ん坊の僕にも乳母が付ききりで世話をするような裕福な暮らしだった。 その頃の中国大陸での輸出入業という商売は、かなり豪奢で華やかなものだったようだ。 遠く蒙古やロシアの南部辺りまで出掛けて行き、行く先々でまるで殿様のように歓待されたという話を僕にしてくれたのは、もっとずっとあとになってからである。

そして終戦。
財産のすべてを没収されて抑留されることになった父を残して、母と兄と僕の三人はもう最後の頃の引揚げ船に乗って舞鶴港に到着する。
そして一年後にようやく帰国を許されて、山陰の郷里に住む家族のもとへ帰ってきた父には仕事がなかった。 戦後の米軍の占領下で混乱した時期である。 ようやく地元の公立学校の教師と事務官を兼ねた職に就くことができて、そのまま後年になって退職をするまで続けることになるのだが、その仕事は父の本意からは遠く離れたものだったに違いない。 広大な中国大陸で若い事業家として奔放に活躍していた時代のスリルと冒険に満ちた生活は、父にとってはどうしても忘れることのできないものだったのは容易に想像できる。
毎夜、狭い借家の居間にあぐらを組んで、じっと黙ってひとりで酒を飲む父の姿は、子供の僕の心に古い写真のように焼きついている。 薄暗い電灯の下で酒を煽りながら、「辛いなあ・・」 とぽつんとつぶやいた父の言葉をはっきりと思い出す。
父は日本へ還って来た時に自分の舞台には幕が下りたのだ、と思ったとしたら、そのあとの父の生涯は何だったのだろう?
留まるところを知らなかった男の野心が戦争によって無残に砕かれてしまったあとは、家族のためにその後の一生を捧げた父を思う時、僕の胸は痛んだ。 それは親子としてではなく、死んだ父よりもすでに歳を経てしてしまっている自分が、初めて持つことのできた男同士の感慨だった。

若くして兄が逝き、母が逝き、父も今はない。
家族の最後のひとりになっってしまった僕に、中国での記録として残されたのはよれよれになって色褪せた数枚の写真だった。 僕はそれをフォトショップに取り込んで修正をしていた。 目の前の画面に大きく拡大された母の顔と向き合って無数のゴミや傷を消している時、いきなりハッと胸をつかれた。 その時僕は、まるで母の顔に死に化粧をしてあげているような錯覚に襲われたからだった。

***

僕が生まれた北京の家とは、後年、再会することになった。
原点を見つけた




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日本春画考

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歌まくら
喜多川歌麿



ロンドンの大英博物館で日本の春画の特別展 「日本美術における性と喜び」 が開催中だ。
同館の所蔵品の他、日本、英国、オランダ、デンマーク、米国から借り出したものを合わせて300点以上の作品の展示は、春画の展覧会としては世界でも今までで最大のものだそうだ。
そして世界各都市でその巡回展が予定されているが、日本ではそれをやるかやらないか、やるとしたらどこでやるか、で揉めているというニュースを聞いて苦笑してしまった。 世界中で賞賛される日本美術の一般公開を、その御本家である日本が難色を示しているというのはどう考えてもまったくおかしな話だと思った。 開催が難航している理由は 「子供への悪影響を考えて」 とニュースでは伝えているようだが、それは嘘だと思っている。 未成年への影響を心配するなら入場に年齢制限をつければ済むことだ。 大英博物館も子供への影響は気にしているようで、16歳未満は成人同伴であることという、この大博物館がその260年の歴史のなかで初めての規制を設定している。 入場禁止としないで大人といっしょなら入場できる、というのはさすがだと思った。 日本ではありえないことだろう。 もっとも両親が子どもたちを連れて家族連れで春画を見に行く、なんて図はどこの国でも想像できないから、実際には16歳未満の若者の入場はまずないと思う。 それでいいじゃないか。 だから日本での開催が難航している理由は子供のことではないだろう。 彼らの頭の中に何があるのか、僕は推測してみたかった。

それは日本人が持つ 「猥褻 (わいせつ)」 の意識ではないか、と僕は考える。
いやらしいことは隠れてこっそりするもので、人前ですべきじゃない、という発想は慎ましやかな日本人としては当然なことだ。
爛熟した日本文化の中で、男女は昔から薄暗い行燈(あんどん)の妖しげな光りのもとで交わったり、人目の無いところでこっそり春本や春画を楽しんだ。 谷崎潤一郎が書いた 「陰影礼賛」 の世界がそこにはあったに違いない。 それは源氏物語の昔から綿々と日本人に伝わってきたものだろう。 その密(ひそ)やかな性の喜びが白日のもとで人目にに晒(さら)されてしまうと、日本人はそれに卑猥というレッテルを貼って眉をひそめる。

それで思い出したのはあの昭和の昔の 「チャタレー裁判」 だった。 判決が下されて、翻訳者の伊藤整と出版元の小山書店社長が有罪になった時(1952年)に僕はまだ小学生だったと思う。 ずっと後になって僕はその判決文を読んだことがある。 そこには、
「猥褻とは、いたずらに性欲を興奮または刺激させ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的同義観念に反するものをいう」
と定義されていた。 そしてさらに驚いたのは、その五年後に最高裁が被告側の上告を却下した時の判決だった。 つまり、
「猥褻かどうかの判断には、作品の芸術性は関係ない」 とはっきり言い切っている。 現在の日本で春画展が難航している裏には、上記の二点がそのまま適用されているような気がする。 要するに春画のような猥褻なものを公然と人前に晒すのは日本人としては大いに抵抗があるのだ。 国としてはそんなものを格式のある博物館や美術館で大々的に一般人に見せるわけにはいかないのである。

(ところで小説 「チャタレー夫人の恋人」 は本国のイギリスでもやはり起訴されたが(1960年)、作者の D・H・ローレンスは12人の陪審員たちの全員一致で無罪になっている)。


***


その昔、春画は店頭で他の浮世絵と並べられることなく、裏でこっそりと売られたに違いないと思う。 春本も同じだ。 普通の人の目に触れることのないものを密かに手に入れて見たり読んだりすることで、その楽しみは倍加する。 それを本などにして国中に見せてしまったから、「チャタレー夫人」 (訳者、伊藤整) も永井荷風の 「四畳半襖の下張」 (編集長、野坂昭如) も犯罪人のレッテルを張られることになった。 (チャタレーはもちろん春本ではないが、裁判長はそう判断した)
ところが春画の場合は、描いた作者がもういなくなっているからそうはならなかった代わりに、外国の芸術家たちに賞賛されてあまりにも有名になってしまったあげく、稀有な美術作品として日本に帰還して来た。 日本の良識者たちはそれを誇りに思いながらも、見られたくなかったものを見られてしまった時の恥ずかしさのようなものを感じているのではないのだろうか。
どうすべきか当惑して頭を抱えている彼らの姿が僕には見える。



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蛸と海女
葛飾北斎



ヌードは、それがいかに抽象的なものであっても
見る者にある種のエロティックな感情を呼び起こすものでなければならない。
たとえそれがまるで影のようにうっすらと淡い感情であったとしても、である。
それが無いものは芸術として失敗作品であるばかりでなく
偽りの道徳を表現しているに過ぎない。

ケネス・クラーク
(イギリスの著述家、美術館長、ブロードキャスター、同世代で最も著名な美術史学者の一人)





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あまり好きじゃないもの、から大嫌いなものまで

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ナチス - 殺人の魅惑 
Marseille, France



あまり好きじゃないもの、我慢ができないもの、あるいは大嫌いなもの、そして憎むもの・・・


まずは食べ物から

・ 納豆 
村上春樹さんが随筆に書いていたけど、関西出身の村上さんはやはり長いあいだ納豆がだめだったそうだ。 それがずっと歳を経たある日突然食べることができて、しかもこれは美味しいということでそれ以来は好物の一つになったという。 そんな奇跡は僕にはまだ起こってくれていない。

・ サラダ
とくに嫌いな野菜というものが無いくせに、生野菜にどうも食欲がわかない。 煮たり和えたりしたものは何でも喜んで食べるのに。 思うにサラダに必ずてんこ盛りに乗っているあの味のないレタスがあまり好きではないのだろう。

・ ターキー
これを美味しいと言って食べているアメリカ人が信じられない。 深い雪の中の山小屋かどこかで食料が尽きて、他に何も食物が無くなったっら、さらに3日ほど絶食をしたあとなら、最後に残されたターキーを嫌々ながら食べるかもしれない。

・ポップコーン
アメリカの劇場では子供から老人まで映画を見ながらポップコーンを食べるのは一種の儀式のような感がある。 僕はポップコーンを焼くあの強い匂いが好きではないが、食べられないほど嫌いというわけでもない。 ただ、どうしても我慢ができないのは、あれを口に入れて噛んだ時に、歯の間でたてるあのキシキシという神経を逆なでするような音なのだ。 あれを聞くとつい身を捩(よじ)ってブルっと震えてしまう。

次は人間に関して

・ 偏見
人種、性、年齢、など、何に対しても偏見を持つ人を憎む。 (ただし食物に関する偏見は許そう。 自分もそうだから)

・ 慇懃無礼 (いんぎんぶれい)
これは僕がどうしても我慢ができない人間の一種類。 最初から傍若無人に振る舞う人のほうが、まだ正直だと思う。

・ 遠慮
日本人には遠慮しすぎる人が多いのでこれは困る。 遠慮をしないことを信条としている僕は相手の本音を引き出すゲームにいつも疲れてしまう。 遠慮することと謙虚であることは、これはまったく別のこと。 謙虚はまちがいなく日本人の美徳だけれど、遠慮は日本人の悪徳だと思っている。


そのほか

・ 病院
僕が20歳前後のころ、母は何年も病院に入ったきりだったから、東京から帰省する僕は文字通り母の病室で暮らした。 その病室で母が息を引きとって以来、人の見舞いでも自分の検診でも病院はできたら行きたくない場所になってしまった。

・ 蜂
僕は完全な蜂フォビアだ。 実に恐い。 僕を殺そうと思ったら部屋に何十匹かの蜂を放せば、僕は心臓麻痺で確実に死ぬ。 これは完全犯罪である。 XX子さんがこの記事からアイデアを得ないことを願う。 (笑)



こうしていろいろ考えてみると、嫌いなものというのは思ったほど多くはないのに自分でも驚いた。 好きなものの方がずっと多いような気がする。
しかし好きとか嫌いとか、そのどちらでもないというのが圧倒的に多数を占めるのは確かのようだ。 要するにどちらでもかまわないし別に関心がない、ということなのだろう。 そしてこれは良いことじゃないと思った。 僕は自分の周りの世界にあまりにも無関心過ぎる。 もっといろいろなことを子供の眼のような無邪気と好奇心でじっくりと見ることができたら、この世はずっと面白くなるのではないだろうか? 関心を持った結果、それが嫌いだとわかっても別に構わないじゃないか。 もし好きだという結果が出れば、それだけ自分の世界が広くなる。 なんでも見てやろう、だ。   だって短い人生だもんなあ。


 
愛することの逆は憎むことではなくて
無関心だ。
美しいものの逆は醜いものではなくて
無関心だ。
そして、「生きる」 の逆は 「死ぬ」 ではなくて
無関心に生きることだ。
エリー・ウィーゼル
 



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健康のこと

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秋の日のヴィオロンの・・・
Dayton Art Institute, Ohio USA
 


また一つ歳を取ってしまった。
周りの人たちがそろって 「おめでとう」 と言ってくれるけど何がおめでたいのか、本人の僕にはちっともわかっていないようだ。 誕生日というものに対しては僕は昔からそうだった。 自分の誕生日だけではなくて人の誕生日に対してもそうだったから、ある時など恋人の誕生日をうっかり忘れたために大変なことになってしまったこともある。

また一つ歳を取ってしまったわけだけど、それで世界は何も変わらなかった。
この年齢では身体のあちこちに支障が出てくるのが普通らしいけど、僕の場合は幸運なことに最近まではそれもなかった。 血圧が少々高いのは十年以上前からでずっと薬を飲み続けているし、皮膚に出てくる不思議な発疹はこれはもう若い頃からで何十年もいっしょに生きてきたから、いまさら病気という気がしない。 だから概して言えば僕はごく健康体で今までやって来たと言える。

不思議な発疹というのは訳の分からない皮膚病の一種で、夏になるとまるで悪魔のように身体のあちこちに出現して僕を悩ませ、冬にはきれいに消えてしまう。 ここ数十年間にもう覚えていないほどいろいろな医者に見てもらっていろいろな診断を下されていろいろな治療を試したり、いろいろな薬を飲んだり塗ったりしたけど、なんの効果もなかった。 だからこれはもう死ぬまでこの悪魔とつきあうことになるだろうと諦めている。 ただ困るのはこの発疹は痒くなると居ても立ってもいられなくなることだった。 自分の手が届くところは良いが問題は背中だった。 日本の友人が送ってくれたあの懐かしい 「孫の手」 はあまりにも優しすぎて役に立たなかった。 僕に必要なのは人間の爪なのである。
それで最後の手段として妻に頼むことになるのだけどこれは失敗だった。 第一、アメリカ人の妻にとって夫の背中を掻くという行為は夫婦間の愛情の表現には入っていないようで、その都度あまり気の乗らない表情を隠さないし、たとえ僕の哀願を受け入れて掻いてくれても、皮膚に爪を立てるのを怖がるうえにいかにもお座なりの感がありありで、気持ちを込めてやってくれない。 僕の方では何の満足も得られないばかりか、むしろ欲求不満がつのるだけだった。 それでいつのまにかまた孫の手のお世話になるようになった。

前回日本に帰った時に、ある日本女性に背中を掻いてもらうチャンスがあってそれは実に感動的な經驗だった。 「痒いところに手が届くような」 という日本語の表現があるがまさにそれだった。 強すぎず弱すぎず、しかも的確に場所を探り当てて愛情を込めて掻いてくれるその気持の良さといったら、その快感はまるでオーガズムに匹敵すると言ってもよかった。 「こらあ、あまり妙な声を出さないで」 と彼女に背中を叩いてたしなめられた。 ああこんな人といっしょに残された人生を過ごしたい、と感激しながらふと現実に帰ってみると彼女は親友の奥さんであり、その彼はにやにやしながらそばで僕らの不倫を眺めているのであった。


ところで、最近までは身体の支障が無かった、と最初に書いたのは、実は二ヶ月ほど前から声が出難くなった。
電話で人と話をする度に、「風邪でも引いたのですか?」 と訊かれるほど声がかすれて、しばらく話しているうちに早く電話を終わりにしたいと思うほど疲れてくる。 喉がつまるとか痛みとかはまったく無くてただ声が出難くなっているだけなので、スプレーをしたりドロップを舐めたりして放っておいた。 ところが数週間たっても良くならないばかりか、酷い日にはほとんど声が出なくなってしまうこともあった。 医者が嫌いな僕もこれはまずいと思って医者に行くことにした。 (僕は医学は信じるけどそれを商売とする医者を信用しないという癖が長い間の經驗からついている)

ENT(Ear, Nose, Throat)、つまり耳鼻咽喉科の専門医が  鼻の穴からカメラを差し込んで撮った写真を見せてくれた。 初めて見る自分の声帯の驚くほど鮮明な写真は、鮮やかなピンク色で何となくエロチックな感じさえした。 その声帯の右側に小さな白い破片のようなものっがくっついているのがはっきりと見えている。 実際には数ミリの大きさしかないその白い 「もの」 のために声が出難くなっているのだという。 それを取り除くのは20分もかからない簡単な手術で、取ったあとは声が出るようになるだろう、と言われた。 そしてその取った破片を検査することで癌かそうでないかが分かるらしい。 たとえ癌であったとしてもごく初期なので、喉を切らないで放射線など幾つかの治療方法がある、とその医者は言った。 

そこで手術の日が10月の14日と決められたのだが、なぜそれが4週間も先なのか、そんな簡単な手術なら明日にでもして欲しいと思った。 しかし同時に、そんなに先に予定をすること自体、医者が僕の疾患をそれほど緊急視してないのだろう、と安心もしたわけだ。

鬼が出るか蛇が出るか
心配をしていない、といえば嘘になる。



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