過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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September30

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宴のあと

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Oakwood, Ohio USA


クリスマスが行ってしまうと町中が’ひっそりとする。
ほとんどの会社は正月明けまでは休むところが多く、我が家の前の街道を通る車の数もずっと少ない。 アメリカ人にとって正月はほとんど意味を持たないから、せいぜい大晦日の晩にニューイヤーズイブのパーティで大騒ぎをするくらいだ。
以前は、パーティの嫌いな僕が自分の家で大々的に催す唯一のパーティが、この大晦日の集まりだった。 この夜は親類家族は呼ばないで親しい知人や友人を何十人と招いてどんちゃん騒ぎをしたものだ。 毎年誰もが期待してくれていたその年越しパーティを今ではやらなくなってしまったのは、ある年に常連客の日本人の家族が酔っ払ったあげくに車の事故を起こしてからだった。

クリスマスのイルミネーションは年が明けるまでそのままに灯されている。 屋内のクリスマスツリーも正月を過ぎると照明や装飾品が取り払われた裸のツリーが、どの家の前にも無残に打ち捨てられて、市のトラックが取りに来るのを待っている。

この写真の家はうちの近所にあって毎日その前を犬の散歩で通るのだが、毎年感謝祭が終わるとこのイルミネーションを見せてくれる。 庭の左端に見える白いかたまりは針金で作った熊の彫刻に細かなライトがびっしりと付けられたもので、なかなか見事だ。 それにしてもあの高い屋根の上に登ってライトを付けるのは、年に一度のこととはいえ、面倒なことの嫌いな僕のような人間にはとてもできないと思った。



クリスマスが過ぎて年が明けるまでの数日間ほど、世間もなんとなく静まって自分の内にあるものが密やかに落ち着く時期は、一年中を通して他にはないようだ。 そんな気分の深夜にいつも決まって聴くのは、レッド・ガーランドだった。


あなたのそばにいたい、それだけ
The Nearness of you




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12月のクイズの結果

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亭主のしきたり
横浜市


今月はなんともまあ予期せぬ結果になってしまった。 こんな易しいのはクイズとは言えないよ、と皆さんに笑われるのを覚悟で出題したのに、解答よりコメントの方が多いという異例な結果になった。

このうなぎ屋の老亭主が右手に持つのは生の山葵(ワサビ)というのは問題なかったとして、左手に持っているのはこれは、「エイの皮」 なのだ。
「鮫(サメ)の皮」 と答えた人はダメ。

鮫とエイは生物学的には親類同士のようなものらしいから、両者の皮は似たようにザラザラしていて、昔は日本刀の柄に巻かれたり、現在も装飾品として使われているようだ。 日常の生活では大根おろしや山葵おろしに使われることが多く、「鮫皮おろし」 として売られていて、和食店や家庭で使われているのは小さく方形に切ったものが板に貼られている。 その中には鮫皮とうたいながら実はエイの皮を貼ったものもあるそうだ。 というといかにもエイが鮫の代用品か模造品のように取られるかもしれないが、そうでもないようだ。 あるブログでは本職の板前さんが、山葵は鮫皮よりもエイ皮のほうが美味しく擦れる、と書いていたように、あくまでもこれは微妙な好みの問題のようである。

エイはご存知のように巨大な魚で、ふつうは1メートル以上、なかには数メートルもあるが、日本の海岸などで釣れるエイは、このご亭主の使っているような50センチ内外のものが多いらしい。 写真には見えないが逆の側には大きな丸い二つのエラ孔がぽっかりと開いていた。 このうなぎ屋のご亭主はたぶん厨房を若いものに任せるようになって、暇にあかしてこうやって座敷へ顔を出しては客の応対を兼ねて山葵を摺っているのだろう。 それが今では店の呼び物になっているようだった。

という訳で、「ワサビとエイの皮」 と解答したのは ogui さんと micio さんの二人だけ。
ドキドキしながら丁半の賽を振ると、運命の目は半と出て、micio さんに決定した。

micio さん、おめでとう。
住所氏名を非公開コメントにして送ってください。
お好きな写真を指定することを忘れないように。
数日経ってもご返事のないばあいは棄権とみなして次の方を選びます。





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クリスマスのころ

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フェッラーラの大聖堂
Ferrara, Iraly


お盆のころの日本へ帰ってみたい、ということと、ヨーロッパのクリスマスを訪ねたい、というのが長年の二つの願いなのに未だに果たせないままでいる。 そのどちらも何百年と続いた古い慣習を人々が再現する行事だから、そんないつもとは違う雰囲気の中で、ふだんは見られないものがいろいろ経験できるだろうと思うわけだ。

お盆で忘れられないのは、20歳の頃、学生のジャズバンドの演奏旅行で高知市へ行った時のことだった。 ちょうどお盆の頃だったのだろう。 その演奏会はイベントとしてなかなか凝ったもので、夜の市営プールにステージを組み立てての演奏というのもユニークだった。 聴衆の中にはお祭りにでも行くように浴衣姿でうちわを持った若い人たちが多く、演奏の合間にはこれも浴衣姿の十数人の美しい女の子たちが、プールの脇に屈んで四方から灯篭流しをした。 暗い水面に浮かぶ小さな船の灯りがゆらゆらと映えて、なんともいえずロマンチックだったことをまるで夢の中の光景のように思い出す。

そしてクリスマスといえば、、ボストン時代はほとんど何も記憶が無い。 その頃はクリスマスどころではなかったのだ。 それが結婚して自分の子供ができてから我が家でもクリスマスを取り入れるようになった。
そして今住む町へ移ってきてからは、クリスマスイブには妻の実家の大家族の集まりに出るのが習慣になって、晩餐のあと教会の深夜のミサについて行ったものだ。 街中がクリスマス一色に塗られている中で、雪の降る深夜に教会で聖歌隊の歌を聴きながら、自分の来し方行く末をしみじみと考えるのは悪いものじゃないと思った。 もし日本にいれば、大晦日に除夜の鐘を聴きながらさまざまな思いが胸をよぎるのと同じである。
クリスマスの家族の晩餐は今でも毎年あるけれど、深夜のミサについて行くことはいつのまにかしなくなっていた。

最近のクリスマスと言えば、イブの夜はすでに家長を亡くした妻の実家で、近辺に住む家族だけの小さなディナーがまるで予行演習のようにあって、あくる日のクリスマスの日には今度は義弟の家に昔ながらに一族全員が集まるというのが慣習になっている。
今年もそうだ。

***

このフェッラーラの大聖堂は、イタリア、フランス、スペイで数知れず訪れたカデドラルの中でもとくに印象に残っているものの一つだった。 小さな町の小さな広場には不釣り合いなほどの巨大さでこの大聖堂は建っていた。 ヨーロッパの町でクリスマスを過ごしてみたいと僕が思うのはこのフェッラーラの町筋や大聖堂が頭にあったようだ。 外観はこういう感じです。

イタリアの旅 フェッラーラ (1)



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12月のクイズ

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しきたり


前回の帰国で友人が連れて行ってくれたのが、横浜でも老舗のこの◯◯屋さん。
しゃきしゃきと元気の良い女将さんが座敷へ通してくれて、やがて酒が運ばれてきた。 そして料理が出る前に座敷に現れたのは、女将さんとは可笑しいくらいに対照的におっとりとしたご亭主だった。 激しい気性の女と何十年も一緒に、波風の荒い世界で商売をしてきたなんて、お互いに惚れ合っているからこそできたのだろう。 いい顔だ。

あ、そこで今月の質問は、
これは何をやっている?
ご亭主が両手に持つものは何?

アメリカ人になってしまった僕は初めて目にしたけど、日本に住む人から見れば、なーんだというくらいにやさしいクイズかもしれない。
たまにいはいいよね。
クリスマスだもん。

正解の中から抽選で1名を選んで、僕のブログ上のどれでもお好きな写真を差しあげます。 
締め切りは今日から1週間。
答えは非公開コメントにして下さい。


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叔母との対話

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冬の兎


日本に住む叔母とのいつもの国際電話。

「あなたその後、声はどうなの? 良くなってる?」
「うん、医者は一ヶ月はかかると云ってたのに、二ヶ月たっても良くならないからもう一度診てもらおうと思っていたら、二、三日前から急に楽になって話しても疲れない。 だから久しぶりに電話したんだ」
「それは良かったあ。 安心した。 どうしてまた急に喉なんか悪くなったんだろうねえ。 もう煙草はずっと前にやめてたんでしょ?」
「うん・・・・・ (嘘)。 ところでそちらは何も変わりない?」 (と急いで話を変える)
「変わったことといえば・・ あ、そうそう。 私とうとう車の運転をあきらめた。 もうこの歳だからねえ。 奥田のさっちゃんの甥っ子が大学生なんだけど、車が欲しいそうなんで引き取ってもらうことにしたのよ。 私も今までだってもうほんのたまにしか運転してなかったし、冬になって雪でも降れば誰かに雪掻きしてもらわないと車庫から出せないからまず乗ることはないし・・・ あ、雪といえばどう? そちらは寒い?」
「寒いなんてもんじゃ無いよ。 今朝起きた時なんか7度だよ。 今年の記録だってニュースで云ってた」
「あらあ、7度ならそんなにひどくないじゃない。 こちらだってきのうはそのくらいあったんだから」
「何云ってんの。 華氏7度だよ。 そちらの摂氏で云えば零下14度だ」
「ひゃあああ、そうかあ・・ 聞いただけでゾクゾクしてきた」
「だけど雪はまだ積もったままなのに、今日なんか真っ青な空に陽がカンカン照ってるのにすごく寒いんだ」
「あなたは子供の時からすごい寒がり屋さんだったよ。 母さんに似たんだね。 妹の私はぜんぜん逆で、冬が大好だったわ。 毎週みたいに生徒を連れて大山へスキーに行ってたよ」 (叔母は高校の体育教師を40年勤めた)。

というぐあいに叔母との電話はいつも1時間以上続く。
今では僕の唯一の係累となってしまった叔母は86歳で、脚がちょっと悪くなったほかは至極健康なんだけど、最近では電話の度に同じ話が何度か繰り返して出てくるのがちょっと寂しかった。 ひとりっ子の僕にとってこの叔母は子供の頃から憧れの女性で、うんと甘えさせてくれた。 だから今でも時々甘えることにしているのは、そうすることで生涯子供を持つことのなかった叔母が喜んでくれるのがわかっているからである。



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この頃は・・・

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窓の外



この頃は気ままな生活にすっかり慣れてしまって、すごく自由な暮らし方をしている。
眠りたい時に好きなだけ眠って、起きたい時間に起き、腹が減ったら何かを食べて、減らなければ何も食べない。 不規則な事この上もないんだけどそれが楽しい。 何しろほとんど一生のあいだ、時間や人や規制にしばられて生きてきたようなものだから、誰にもなんの気兼ねもなくその場の自分の気分でやりたいことがやれるのは、ほんとうに嬉しい。

とはいってもやらなければならない事が無いわけではなくて、翻訳の仕事はちゃんとやっているけど、それさえも興味のないものは断ることができるところが気に入っている。 といって暇を持て余しているかというとそんなことは全然なくて、やりたいことはあとからあとから山ほど出てくるから、毎日がけっこう忙しい。 暇なのに忙しい、ということはあり得るんだと最近になって悟った。

きのうもそうだった。
午後から夜にかけて机に向かっていたのはフェラーリの公式サイトの日本語翻訳で、これは車の好きな僕にはなかなかおもしろくて、歴代の名車のテクニカルな説明にも飽きることがなかった。 それを終わって送り出してしまうと急に空腹感を覚えて、ご飯を炊くと一昨日作った麻婆豆腐の残りをそれにかけて丼にする。 玉子スープを作りグラスにワインを注ぐと一式を二階に持って上がってPCモニターの前に置いた。 そしてブログ仲間のサイトを次々に訪問しながらご飯を食べた。 ご飯の途中でそれまで飲んでいた赤ワインがマテニーに変わる。 つまみが無いので階下からキムチを持ってきてむしゃむしゃ食べた。 日本の飲み屋がたまらなく懐かしくなるのはそんな時だ。
なんとも侘しく簡素な夕餉だったけれど、僕なりの満足感があった。そのあと9時頃になると猛烈に眠気に襲われて、かろうじて歯を磨くとそのままベッドへ行って寝てしまったのだ。

そして夜中の2時にいきなり目が覚めた。
ごそごそと起きだしたら、凄く寒い。 外の気温を見ると零下7度だった。 階下に降りて暖房を上げると、まずフレンチドリップのコーヒーをいれる。 その時だった。 急に写真を撮りたいというい衝動が湧いたのは。   

僕はその衝動をよしよしと子供をあやすような気分で、二階の窓際に三脚を据えた。 窓の外には街灯の頼りなさそうな弱い光がぼんやりと、その下の樹をまるで花盛りのように照らしているだけで、あとは暗闇の世界である。 露出をうんと長くしてやればあの弱い光が暗闇のなかの風景を浮かび上がらせてくれるだろうか?  何度か失敗して露出をどんどんと長くした結果、ようやく映像が現れてきた。 露出時間は3分、絞りはF11で ISO100だった。
そして知ったのは、太陽の無い夜中でも空は青いということだった。


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笑顔の効用について

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笑い
ボストン マラソン(197?年)


日本へ行っていつも感じるのは、日本は笑顔が少ない国だということだ。
なにか可笑しいことがあれば顔を崩して笑うのは世界共通だけど、僕がここでいうのは日常生活の中でのさりげない笑顔ということだ。 それも家族や友人などの親しい人達に対してだけではなくて、他人に対しての笑顔、ということである。 日本人は古来、感情を顔に表さないように躾けられてきたから、ニヤニヤするのは下品だと決めつける傾向があるような気がする。 しかし、男性でも女性でも謹厳そうで恐い顔をした人が、時たま見せる優しい笑いはすごく魅力的だと僕は思う。

東京の街の雑踏を歩いていていつも経験するのは、あやうく人とぶつかりそうになった時など、お互いに顔も見ないで、というより意識的に眼をそらせながら無言ですれ違うのがほとんどだった。 ごくほんのたまに 「失礼」 と挨拶する人は決まって年配の人達だ。 そんな時アメリカ人なら、必ず相手の顔を見ながら 「エクスキューズミー」 と言って双方が微笑を見せるのが普通である。

アメリカで暮らし始めた頃、笑顔が至るところで見られるのに気がついたが、それに慣れていない日本人の僕はつい戸惑ってしまうことがあったようだ。 そしてしばらくするうちに、その笑顔はアメリカ人が誰とでもうまくやっていこうという処世術なのだと気がついた。 つまりメルティングポッドと呼ばれる雑多な人種のるつぼの中で、笑顔はお互いの摩擦を少なくするための潤滑油のようなものなのだ。
買い物をしたり食事をする時も、勘定を払う時に店員が 「ありがとうございます」 というのは当たり前だけど、客もそれに対して 「ありがとう」 と答えてにっと笑うことで、僕たちはお互いに助けあって共存していくんだよ、という気持ちを表しているように僕には思えた。

ずっと昔ボストンに住んでいた頃のことだけれど、僕は笑顔に救われた経験がある。
1970年代の半ば頃、レストランのウェイターとして働いていた時のことだった。 その頃の僕はいろんな事が起こったあとで失意のどん底に生きていた日々だったから、レストランで働く僕はいかにも不機嫌で無愛想なウエィターだったろうと思う。 それがある日、 二人連れの若い女性の客が入ってきて僕が受け持っていたテーブルの一つに席を取った。 最初から何となく感じの良い二人だなと思っていたが、わけてもその中の一人はウェイターの僕と言葉を交わす時にいつも笑顔を絶やさない。 ドリンクを持っていった時も料理をテーブルに置いた時も、グラスに水を注いで回るときにも、必ず話を中断すると下から僕の顔を見上げて笑顔で 「ありがとう」 と言った。 
体も心も疲れきっていた僕にはその笑顔がどんな優しい慰めになったことか。 そして笑顔というものは相手の心に反射するのにちがいない。 それまでトゲトゲしかった僕の態度が、急にまるく優しくなっていって、他のテーブルの客達にも同じように優しく接している自分に気がついた。 そしてその日は一日中何となくしあわせだった。

あの時の彼女の美しい笑顔がその後の僕の生活を変えてしまった、といっても言い過ぎではない。
それ以来のことだ。 どこにいても人に何かをしてもらった時には必ずその人の目を見て、微笑しながら 「ありがとう」 と言えるようになったのは。
僕は40年経った今でもそれは続けている。

***


この話には後日談がある。
レストランでその女性の笑顔に魅了された数日後に、ボストン美術館を訪れていた僕は、ギフトショップで彼女にばったりと出会ってしまったのである。 そこでパートで働いているという彼女は僕のことを覚えてくれていて、ちょうど休憩の時間だったのでいっしょに館内のカフェに行ってコーヒーを飲んだ。 ビバリーという名だった。 駆け出しの女優でシンガーだというビバリーの話を聞いたり、僕も自分のことを話しているうちに短い休憩時間はあっという間に終わってしまった。 
別れ際に思い切って、「今度改めてゆっくり会いたいんだけど?」 と勇気を出して言ったら、彼女はにっこりと笑って 「うん、会いたい」 と答えてくれたのだった。

ところがその後、ビバリーと僕のつながりはデートを二度しただけで終わりになってしまった。
ビバリーはすでに初めてのニューヨークのブロードウェイでミュージカルの稽古が始まることになっていたうえに、その公演のあとはボストンに一度帰ると、すぐにそのままハリウッドでデビューをするために西海岸へ越して行ってしまったからだ。

一年ほど経ってからいきなりウディ・アレンの映画 「アニー・ホール」 に端役で出ていた彼女を見たと思ったら、そのあとはテレビドラマや映画 「ヘアー」 の主役など次から次に絶えず彼女の顔を見ることになる。 そしてそれからイタリア人の貴族と結婚したと聞いた時は、イタリアの血を引く彼女ならなるほどと頷いた。 ところがその結婚のさなかに外に恋人をつくってその一人が自殺をしてしまったり、イタリア貴族との離婚後は俳優のアル・パチーノとのあいだに双子の子供を作ったり、僕なんかには想像もできないようなまったく別世界の人になってしまっていた。 それにもかかわらず、僕の覚えている24歳のビバリーは、あのレストランで笑顔を見せてくれた一人の優しい女の子として僕の心から消えることはなかった。
彼女の名は Beverly D'Angelo という。



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自分の直感を信じよう・・・写真のレシピ (16) 

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オクトーバーフェスト
横浜市 赤煉瓦倉庫


またやってしまった。
「そいつ」 の言うことなどに耳を貸さないで、自分の直感を信じろ、などと人には言っておきながら今回もまた、撮ってから2年以上も放っておいた写真を見ていて気がついた。
この写真を撮った時のことはよく覚えている。 普通なら何かを見て 「これはおもしろい」 とか 「うん、これはいい!」 とか 「これは撮っておかなくちゃ」 とかの理由があってカメラを取り出すのだが、時々そうではなくて何の理由もなく、ただ反射的に撮ってしまうという事がある。 自分の中の何かがそうさせるようで、それが直感とても呼べるものかもしれない。 この時もそうだった。

この写真は、いつもオリジナルのカラーで見ていたから気が付かなかったのだ。 モノクロに変えてみた時にいきなり、アッと思った。 鮮やかな色彩に惑わされて見落としていた世界がそこに出現していた。
「パターン」 の海がそこにあった。
正面の壁のチェッカーやその前の横木だけではなく、地面のレンガもそうだし、右手前の女性の水玉模様や左端の男性のストライプもそう。そしてカウンター上に並ぶビールのタップも、頭上の看板のグラスもパターンを作っている。それだけではなくて、看板の最上部の波型の電線もそうだし前景のテーブルやベンチもそうだといえる。 地面中央の2本のコーンや看板の雲さえパターンと言えなくはない。

そんなパターンの存在を僕の直感が意識下に認知したのかどうかの自信は全くないけど、「なにか」 に惹かれてシャッターを切ったのは確かなことだから、その 「なにか」 をもっと追求するべきだっのだ。 ふだんなら、そしてモノクロならシンプルでインパクトの強い写真を好む僕も、このいろんなものが詰まって眼の回りそうにゴチャゴチャしたシーンがかなり気に入ってしまった。

自分が 「思う」 ことでも 「考える」 ことでもなく、「感じる」 ことがどれだけ貴重なことなのか改めてわかったような気がした。
「そいつ」 と僕との格闘は今でも続いているようだが、とにかく今日はこれで酒が旨く飲める!

そいつと僕

また、パターンについては 写真のレシピ(13)』 で前に取り上げた。



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