過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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September30

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深夜に銃声が聞こえる

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冬の鹿
Oakwood, Ohio, USA


そうだ、鹿の写真を撮ったことを忘れていた。
あれは3週間前の夜中の2時頃だったろうか。机に向かって仕事をする僕の足元に寝そべっていたパイ公がやおら頭を持ち上げて、両耳をピンと立てた。家の外に何かの気配を感じたのだ。これはつい3週間前のことなのに、僕の仕事部屋の裏窓から見下ろす風景はまだ冬だった。表面が薄く凍った雪に街灯の光が反射して、散りばめられた宝石のようにキラキラと光る中を、母子連れの2頭の鹿がゆっくりと歩いている。餌を探しているのだ。仔鹿は母親が食べ物を見つけるうしろでじっと辛抱強く待っている。

窓際に立てた三脚にすでにカメラがセットされているので、すぐに写真を撮った。
ずっと前、あれは1月頃のこと。何気なくこの窓際に立った時に3頭の幼い仔鹿と両親の5頭の家族がそこにいるのを見て、あわててカメラを取りに行って帰ってきたら、鹿たちはもういなかった。それに凝りて以来、三脚に取り付けたカメラを冬の間中窓際に設置していたのに、これまで1度もチャンスに恵まれなかった。

昼間なら玄関前の雪の上に餌を撒いてあったのに、この時間ではその餌はすでに小鳥やリスに食べられてしまっているに違いなかった。一瞬、もう一度外に出て餌をやろうという衝動に駆られたけど、それまでには彼等はもうそこにはいない、ということを僕は經驗から知っていた。
急に降りだした雪のあと、今夜は近くの森から多数の鹿たちが餌を求めて人里に出て来ているに違いない。と思っていると、遠くで銃声が1発鳴るのが聞こえた。誰かが鹿を撃ったのではないことを祈りながら、僕は机へ戻った。



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復活祭

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イースターエッグとうさぎ


今年の復活祭の日曜日は、朝から気持よく晴れ上がって気温も20渡を超えるすばらしい日となった。
午後過ぎから20人ばかりの親族が義母の家へそれぞれ料理を持ち込んで、例年のごとく飲んだり食べたりの宴会となった。今年の料理は肉類が多様で、ターキー、ハム、魚(鮭)、の他に珍しくラム(仔羊)が並んでいたので、僕も久しぶりにラムを食べてみたら、どうも臭味が鼻について一切れ食べただけでやめてしまった。もっと美味しいラムを何度も前に食べたことがあるので、これは料理の仕方が僕に合わなかったのだろう。この柔らかい肉をたっぷりの赤ワインで煮込んでやれば美味しくなるのに、と思いながらラムを諦めるとターキーを完全無視してハムと鮭へ手を出していた。

一方では若い甥たちの間で賭けが行われていた。
ゆで卵が大好物で15個は食べられるとうっかり豪語した15歳のスティーブに、彼の4人の従兄弟たちが挑戦したらしい。スティーブは全員が見守る中でゆっくりと時間を掛けて黙々と15個を食べて4人から20ドルをせしめた。





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仔羊
By Green Eyes


我が Grreen Eyes はこの日のために手描きのタマゴを持参していたが、それは以前から彼女の描いたタマゴを欲しがっていた妹のジュリーへのプレゼントにするつもりだったらしい。ところが、今日のラムを料理したのがジュリーだとわかったとたんに、可愛い仔羊を料理するような残酷な人間に仔羊を上げるわけにはいかない、とタマゴは急きょ義母へのプレゼントに変わってしまった。二人の姉妹のあいだで大声の口論が続いた結果、結局ジュリーは我が Green Eyes のこの傑作を諦めなければならなかった。口論といってももちろん笑いながらのアトラクションのようなものであるが、思いかけないギフトを手に入れた彼女たちの母親はホクホク顔でこのタマゴをジュリーの鼻先に 「ほれ! ほれ!」 と見せつけていた。


そういえば、昨年のイースターでは義妹のキャサリン宅に皆が集まった。イースターは移動祝祭日だからその会場も毎年移動する、というわけではないのだが。
その時の写真はつい最近のクイズとして出題している。



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四月のクイズの結果は?

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美術館にて
Musée d'Orsay, Paris, Framce


今月のクイズは予想したように全員が正解だった
抽選の結果はドイツから inei-reisan さんで、ランナーアップが tony さん。


inei-reisan さん、おめでとう。
住所氏名を非公開コメントにして送ってください。
お好きな写真を指定することを忘れないように。
数日経ってもご返事のない場合は棄権とみなして次の方を選びます。



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Shall we ダンス?

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女だけの舞踏会
Vaison la Romaine, France


かなり以前のことだけど Ballroom Dancing (社交ダンス)をちゃんと習ってみたいと思っていた時期があった。
たしか映画 『Shall we ダンス?』 が作られるより数年前の話しである。
僕の住む町のエデュケイションボード、つまり市の教育委員会みたいな組織があって、そこが主催する成人教室のプログラムに、料理だとか音楽鑑賞だとかフランス語などと一緒に、社交ダンスのクラスがあった。それを見て僕は何を思ったか我が Green Eyes を説き伏せると二人でクラスを申し込んだのだった。ところがこの4ヶ月のクラスは希望者が多すぎて、順番待ちのリストに名前を載せただけですぐには楽しみにしていたタンゴやワルツやを習うことにはならなかった。
半年ほど経ってクラスに空きができたと連絡あった時に、今度は僕の方の仕事がむちゃくちゃに忙しくなっていた時期で、毎週2日の出席は無理という状態だった。それ以来社交ダンスと僕の接点はそのまま再び交わることなく年月が経ってしまった。

あの、背筋を素晴らしく真っすぐに伸ばして羽毛のように軽々とステップをふむ舞踏を、身体が硬くて少し猫背気味の僕が踊ったら、たとえ運動神経は人並みにあるとしてもどんな様(さま)になっただろう、とちょっぴり自虐的な興味は今でも持っている。
社交ダンスといえば、昔東京でビッグバンドにいた時に、プロの全日本ダンス選手権大会の伴奏をやらされたことが数回あった。その時クイックステップを踊っていた女性のペチコートがフロアまでずり落ちてしまったことがあった。哀れなその女性が恥ずかしさで顔を真赤にして楽屋に走り去った事件と同じことが、『Shall we ダンス?』 でも起こるのを見ながらあの時のことを思い出していた。
『Shall we ダンス?』 はアメリカでも大ヒットして、その後リチャード・ギアの主演する米国バージョンが作成されたけど、これは日本版の原作にははるかに及ばない。


先日2度目にまた見ていた映画 『セント オブ ウーマン』 で初老で盲目のアル・パチーノが、隣のテープルの見知らぬ若い女性を抱いて思い切り優雅にセクシーに踊るタンゴのシーンを見ながら、ああ、やっぱりやっておけば良かったと後悔したけれど、もう遅い。
この映画の中で悪役の高校生を演じたフィリップ・ホフマンがこのあとどんどん売れてきて、2005年の 『カポーテ』 の主役で素晴らしい演技を見せてくれたが、今年の2月に薬物混用で急死を遂げてしまったのは惜しかった。


女の匂い





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異変の朝

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四月の雪


きのうは気温が26度と信じられないくらい暖かかった。
仕事の切れ目に冬の間ベースメントに引退していた自転車を引っ張りだすと、近くのマーケットまで切れかかっているエスプレッソのコーヒーを買いに行った。今年になってから自転車に乗ったのも初めてなら、コート無しのシャツだけで、靴を履かずに素足にサンダルで外に出たのも初めてだった。ようやく春がやってきてくれたのだ。
と思ったのに....

一夜明けて今朝のこと、起きだして外を見たら思わず唖然としてそのまま身体の動きが止まった。
雪が降っている!
そして気温は0度。

このところ日本の桜便りをあちこちのブログで見ていて、満開の桜を追って沖縄からゆっくりと北へ向かって北海道まで日本縦断の旅、なんてやったらなかなか洒落ている、というようなことをコメントに書いたばかりだった。窓のすぐ外に見える隣家のしだれ桜も、それまでの汚い灰色の枝々がようやく緑を帯びてきていた。蕾をつけるのはそんなに先じゃないだろうなどと思っていた矢先なのに....
それなのに雪だなんて信じられない。僕はさっそく写真に撮らないわけにはいかなかった。

去年の4月19日にはこんなに咲き乱れる楊貴妃を見たのに.....
しだれ桜

そして1昨年は何と3月28日に爛漫と開いた楊貴妃と会っていた。
何かが狂っているような・・



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四月のクイズ

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美術館にて


『終着駅』 という言葉が好きだ。
この言葉に何となく哀愁のこもったドラマを感じるのは僕だけだろうか。
もともとはヴィットリオ・デ・シーカの映画 "Stazione Termini" (テルミニ駅)に誰かが邦題を 『終着駅』 と付けたのが、日本語として定着してしまったそうだ。 デ・シーカの終着駅はもちろんローマのテルミニ駅が舞台になっていたが、僕が行ったことのある数多くない駅の中で一番印象に残っているのは、ミラノのセントラル駅だった。 「旅」 という言葉に一番ピッタリくるのは自動車でも飛行機でもなく、汽車の旅だと僕は昔から思っている。 人間味の薄い素っ気ないエアポートでは感じることのない何かが、汽車の駅にはあるようだ。 そういえば東京駅が新しくなったそうで、この次の帰国ではぜひ行ってみたいものだ。

ところでこの美術館は昔は汽車の駅だった。見上げるように高いかまぼこ型の天井や大きな窓は、1986年に美術館として生まれ変わった時に昔の駅がそのまま残されたのに違いなかった。 もともと最初の駅自体が完成されたのが1900年というから、世界中にある何百年も経た美術館や博物館の中ではまだほんの子供である。

そこで、これは何と呼ばれる美術館ですか、というのが今月のクイズだ。


正解の中から抽選で1名を選んで、僕のブログ上のどれでもお好きな写真を差しあげます。 
締め切りは今日から1週間。
答えは非公開コメントにして下さい。


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ああついにボケてきたか?

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Better with Age
Apopka, Florida USA



最近自分の中でボケがどんどん進んで行っているような気がしている。

ブログを持っていることさえすっかり忘れてしまっていた。
というのは冗談で、これは忙しすぎて時間がないという立派な理由がある。 書く時間が無いというより、ブログのことを考える余裕が無いと言うべきかもしれない。 若い頃なら一つのことからパッとスイッチを他のことに切り替えることができて、同時に幾つもの仕事ができたような気がする。それができなくなったというのはやはり年齢のせいなのだろうが、これは必ずしも悪いことではないんじゃないか、と思っている。 少なくとも僕にとっては。
もともと僕は一つのことに腰を落ち着けてじっくりと取り組むというタイプではなくて、何でもパッパッと手際よく片付けてしまう方だったから、それに掛ける時間は誰よりも速い代わりにどこか仕事が雑で、あちこち細部が抜け落ちた部分があったようだ。 だから、現在のように一つのことに掛かりきりになれるのはむしろ良いことだ、と自分で自分を慰めているようなところもある。

それにしても、ボケが進んでいるという紛れも無い事実は、物忘れが多くなったという形で現れてきた。
マーケットへ買い物へ行っても、買う品目を前もってメモにしておかないと必ず幾つかを買い忘れるとか、昨日見たばかりの映画のタイトルが思い出せないとか、去年買った同じ本をまたアマゾンに注文してしまったとか、クリスマスに人から頂いた素敵なセーターのことを完全に忘れてしまって、気がついたら冬はもう終わっているとか、さっき辞書で調べたばかりの英語のスペルが10分後にはもうわからないとか、酷い時には何かを取りに階下に降りた途端に何を取りに来たのかを忘れてしまっていることもある。 もっともこの最後の場合はただ忘れたというより、何か他のことが頭にぎゅうぎゅう詰まっている時に自分の行動を意識していないところから起るようだった。


Better with age......

モルトウィスキーやワインや、この写真のようなアンティークの家具なら年月を経れば経るほど円熟して値打ちが出てくるのだろうけど、人の場合は、歳を取っている方が若い時より良いなんてことがあるのだろうかと思う。 最近は昔より落ち着いてきたとか、他人の哀しみがわかるようになったとか、角(カド)がとれてきたとか、若い時より金があるから生活に余裕が出てきたとか、まあ無理に探せば無くはないとは思うけど、もし神様がある日、それと引き換えに若さをやろうか、と言ってくれたら、僕は喜んで全部ひっくるめて二束三文で若さと交換してしまいたい。 車もカメラも家も全部おまけとして付けます。 よければ女房も犬もいっしょに引き取ってください。 と言えば神様はあのキラキラと輝かしい若さを僕にくれるだろうか?

そう言えば、三年ほど前にこんなことをブログに書いていた。
もし同じテーマで今書いたとしたら、この3倍の長さのリストになっているのは間違いないなあ。

歳をとったのかなあ




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日本語に飢えていた日々

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ストリート アーティスト (1980年代)
Harvard Square, Cambridge, Massachusetts, USA



ボストンの頃、新しく知り合いになった日本女性がいて、「ボストンで何をしてるんですか?」 と訊いたら、
「ハーバードへ行っています」 と何気ない調子で答えてくれたことがあった。 僕は、へえーそれはすごいなあと一瞬尊敬してしまったのだけれど、あとでわかったのはハーバード大学の構内で夜間の成人教室の英語のクラスに通っているのだと知って、なるほどと思ってしまったことがあった。
その辺の町の塾と変わらない誰でも入れる成人教室と言わないでハーバードと言うところに、彼女の無邪気な顕示欲が表れているけれど、それを聞いて無条件に尊敬してしまう僕自身も、それに劣らない俗物だと、反省した。 日本なら、東大の学生食堂で働く人が 「東大へ通っています」 というのと同じようなものかもしれない。 しかしハーバード大学というだけでそれが人に与える印象が強烈なのは、アメリカだけではなくて世界中でそのようだから、東大の比ではないのかも知れない。

その彼女と同じような言い方をすると、実は僕もそのハーバード大学へ通っていた時期があった。

ハーバード大学は確か6つか7つの図書館を持っていて、そのメインの大図書館はアメリカで最古であるだけでなく、私立大学としては世界で最大の蔵書とシステムを持っているそうだ。
僕が頻繁に通ったのはそのメインの図書館ではなくて、ヤンチェンライブラリーと呼ばれる、中国と日本の書物だけを集めたユニークな図書館だった。 ある中国人の篤志家が設立したその図書館は、建物もずっと近代的で古い巨大な石の建物が並ぶこの大学の構内で、見る者に何となく不釣り合いな感じさえ与えた。
ヤンチェンライブラリーの一階はガラス張りの壁を持つ明るくて大きな閲覧室になっていたが、階段を登って二階へ行くと、そこはずっと薄暗く照明を落とした書庫になっていた。 書庫は真ん中の仕切りで二つに分けられていてその両側に中国と日本の文献がそれぞれ隙間なく棚に並んでいた。 嬉しかったのはその大部分が文学書で、科学関係や経済書はずっと数が少なかったことだった。 数種類の文学全集や個人全集が揃っているだけではなく、明治大正昭和を通して出版された個々の小説や詩集が並んでいた。 古い 『アララギ』 や 『文學界』 などの雑誌類もキチンと年代順に整理されている。 そのほとんどが出版社や著者からの謹呈なのは明らかで、コレクターがヨダレを垂らしそうな初版本が無造作に並べられているのには息を呑んでしまった。 これらの貴重な本がハーバード大学には黙っていてもどんどん送られてきたのだろう。 中には、萩原朔太郎の 『青猫』 や夏目漱石の 『草枕』 などの、布で装丁され桐の箱に収められた豪華本などもあったりして、すべての本が新品同様の状態で、誰か手にとった人がかつていたのかしらん、と思われるほどだった。

この図書館はハーバードの学生や関係者だけではなくて、一般にも公開されていて誰でも気軽に入ることができた。 貸出の冊数はたしか一度に5冊までと決められていたが、中国人か日本人であることを証明すれば他の面倒な手続きは一切なかった。
長い間日本語の活字に飢えていた僕にとって、この薄暗くていつ行ってもほとんど人気の無い書庫は、おびただしい宝物に溢れる秘密の洞窟だったのである。

十代の頃文学に溺れてあれほど本を読み漁りながら、二十代では完全に本から離れていた僕が、三十代前に異国の地へ永住して、長い間日本とも日本語とも離れていたあと、再びまたあの美しい日本の言葉に触れることができたのは、実に幸運なことであった、と思っている。



良い本だった、とわかるのは
最後のページを終えた時に
まるで友を失くしたような気がちょっぴりする
そんな時だよ。
Paul Sweeney





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