過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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September30

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ボローニャで会ったひと

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落書き
Bologna, Italy


ヨーロッパを旅行していて大きな都市へ行くと、街なかで壁に描かれた落書きをあちこちでよく目にした。
中でもイタリアのボローニャではその数が圧倒的に多かったようだ。
同行のM夫人は見るなり眉をひそめて 「まあ汚い!」 と一言のもとに嫌悪感を露(あら)わにした落書きだったが、僕はそうは思わなかった。よく見るとなかなか味のあるものがある。

英語の Graffiti(落書き)はもともとイタリア語だから、落書きに関してはイタリアは本家本元としての誇りを示しているようだった。この写真の落書きなど、もしそれがなかったら、朽ちて塗りの剥げたままに放置された古い壁はそれこそ 「まあ汚い!」 と言ってしまうだろう。この落書きのおかげで薄汚れた路地裏が明るく楽しく、そして芸術にさえなっていた。
市の規制か何かでこれがある日、味気ない一色のペンキで塗られてしまったりしたら、がっかりするのは僕だけではないだろう。



実は僕にとってこの写真が忘れられない理由は楽書きだけではなかった。

ブログで知り合って、と言うよりこちらから一方的に押しかけた結果、ボローニャに長く住むU子さんと初めてお会いすることになっていたあの日、待ち合わせ場所だった旧市街のアゴスト広場へ胸をわくわくさせて出向いた。憧れのU子さんにとうとう会えるということで興奮していたせいか、アゴスト広場には約束の時間より30分も早く着いてしまった。そこで、時間を潰すのに辺りの裏道をうろうろとしていた時に出くわしたのがこの落書きだったのだ。

後日、U子さんのブログにこの同じ場所が写真に撮られて載っているのを見た時に、アーチスト同士が目をつける所はやはり同じだなんて嬉しくなったのを覚えている。そこは観光者などはまず行くことのないだろう場所だった。

あの時、初めてお会いするU子さんは僕のためにわざわざ時間を取ってくれたにもかかわらず、僕の方の予定が詰まっていて思う存分話すだけの時間がなかったのを今でも後悔している。もっと一緒にいたかった。彼女は僕が思った通りの素敵な人だったが、会う前にすでに彼女のブログからどんな人かは察しがついていたから、初めて会う人のような気がまったくしなかった。
あの年のイタリア旅行の最後は、僕と同行者との間にちょっとした感情の食い違いがあったりして、もしU子さんに会えていなかったらあれほど明るい気分でイタリアを離れることはなかっただろう。

U子さん(ハンドル名、yspringmind さん) の 『ボローニャに暮らす』 は素敵な写真と深い内省的なすばらしい文章に満ちた稀有なブログだ。もう8年も続いているそうだから、彼女は僕なんかよりずっと若い人だけどブログでは僕の先輩になる。
そしてこれは今初めて公表することだけど、僕がブログなるものを始めようという気になったのは、実はU子さんに責任があるのです。




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風の中の母

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海からの風
Revere, Massachusetts, USA


子供の頃のはなし。
一週間に一度か二度、母は小学生の僕を連れてバスに乗ると海辺の町までやって来て、そこに湧く温泉につかることを習慣にしていたころがあった。それは肌のあちこちに不思議な発疹が出る僕のための湯治だった。そしてあの温(ぬる)くて少し嫌な臭いのするお湯にたっぷり浸ったあと、母とふたりで海岸まで歩いて海を見ていたことを、きのうのようにはっきりと思い出すことができる。砂浜にあお向けに寝そべると、となりに座る母の膝に頭を乗せて、温泉で火照(ほて)った体に海からの風を気持ちよく感じながら、僕はしばらくの間ついうとうとしてしまう。
それから母と僕は靴を脱いで裸足になると、波打ち際をゆっくりと歩く。母のうしろから、濡れた砂の上に残る母の足跡に自分の足を重ねるゲームを続けながら、眼の前で潮風にひらひらと舞う母のスカートが眩(まぶ)し過ぎて、僕は目をそらさずにはいられない。それは午後の陽ざしの強さのせいではなかった。


***


幾時代かが過ぎて・・・・

先日、古いネガを整理していたらこんな写真が出てきた。自分の子供と子供の母親。
見ているうちに僕はいつのまにか写真の中の子供になって、あの砂浜に母といっしょに佇(たたず)んでいた。
どうも歴史は繰り返すらしい。

この子が眺めているのは大西洋で、僕が見ていたのは日本海だったという違いに、長い旅をして来たことを今さらに感じる。




浜辺の歌
由紀さおり 安田祥子



安田祥子の声が昔の母の声に驚くほど似ている。
夕暮れのひと時、母はピアノを弾きながらこの歌をよく歌った。この歌や 『出船』 や 『早春賦』 などの懐かしい歌を歌う時の母を、僕は子供心に美しいと思った。
声楽家になりたかった母の夢が、戦争、結婚、出産、そして中国からの引き揚げ、で破れてしまったあと、歌いながら母の胸を過(よぎ)っていたものは何だったのだろうか?




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新しいもの古いもの

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古着屋
Dayton, Ohio, USA


アンティークとか骨董品と呼ばれるにはどのくらい古くなければならないか?
100年以上経っているもの、というのが世界的な基準になっているようだ。それを最初に規定したのが世界で最も歴史の浅いアメリカだったというのが面白い。ヨーロッパでもアジアでも200年、300年を経た建築や物品が至る所にごろごろしている国にとっては、100年などまるで子供だましのようなものだ。それがあえてアメリカの基準に従ったのは、「まあいいか、新顔のくせにボスづらをしてるから、好きなようにやらせておけば」 というような雰囲気があったのかもしれない。

建築物について言えば、僕らの住むレンガ造りの家は1900年代の始めに建てられたそうだから、これはもう立派なアンティークということになる。だいたい僕は機能だけを考えて作られたモダンな家が好きではなくて、廊下や縁側があったり、何のために使われたのか首をかしげるような小さな部屋があったりするような無駄の多い家が好きだ。無駄とは贅沢の別名だからである。

日本人はあれだけ古い文化を持ちながら、住む所となると新しい機能的な家を好むのは、狭い国土に人がひしめいている事実だけではなく、他人の手垢のついたものを嫌うという持ち前の潔癖感から来ているのかもしれないと思う。

もう10年以上も前の話だけど、日本からアメリカへ赴任して来たある大会社の社長さんと親しくなって、家族5人の住む家を探すのを手伝ってあげたことがあった。知り合いの不動産屋とか業界紙でいろいろと見たあと、これはと思う家を見つけたので彼に知らせる前に自分で下見に行ってみた。
それは白壁に黒い木の梁がアクセントを付けた、チューダー様式の美しい家だった。ベッドルームが5室あるから客用の寝室もとれるし、彼の好きなゴルフの練習もできそうな広い庭は、人を雇えば手入れには問題がない。花壇や小さな菜園もあって庭いじりの好きな人なら狂喜するだろう。車が3台入る車庫が付いていたが、それは昔の馬車小屋をそのまま改造したもので、その一部は物置として立派に使える。かんじんの本館は建物は古いけど内部は完全に新しく改造されて快適に暮らせるような設備が整っていた。にもかかわらず家中いたるところに、前世紀を偲ばせるデテールがセンス良く保存されている。僕はその場で魅了されてしまったが、住むのは自分ではないからこればかりはかんじんの彼らが何と言うか分からない。 僕は自分の興奮を隠すのに苦労しながら彼に電話をした。

数日経って彼から電話があった。家族連れでその家を見に行ったそうだ。彼自身はとても気に入ったが、かんじんの奥さんと子供達が嫌だと言ったらしい。彼等が言うのはまず家が古すぎる。内部は何となく薄暗くて、広いリビングルームの天井が高いのはまるで昔の小学校の講堂のようだし、部屋と部屋が完全に孤立してそれが迷路のようなホールウェイ(廊下)でつながっていて、あれでは家族の誰がどこにいるのかわからない。夜になるとお化けでも出そうだ、と子供達が言い、奥さんはキッチンが広すぎて動くのが大変、家中の掃除も大変、というようなことを言ったらしい。
その社長さんは若いころロンドンに留学したこともあって、こんな家に1度は住みたかったと言ってくれたが、どうやら家族の反対でその夢はかなわなかったようだった。僕は僕で、あの美しい家を化物屋敷と呼ぶなら僕の家など狐狸の住む廃屋と見られるのかな、と思った。
その後この家族は無事に家を見つけて、ほとんど新築のモダンで華奢(きゃしゃ) な家へ引っ越していった。



家に帰れば僕は絶対的なボスだよ。
女房なんて物事の単なる決定者にしかすぎない。
ウディ・アレン



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繊細であるということ

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骨董屋
Apopka, Florida, USA


"You are too sensitive."
(あなたは繊細過ぎるのよ) とよく言われる。 それを言うのは実は長年いっしょに暮らしてきた妻である。
僕に言わせれば
"You are too insensitive."
(君こそ無神経過ぎるんだよ)
と反撥したい時が日常生活の中で時々あって、その違いが原因でちょっとしたぶつかり合いになることがある。

sensitive の語を辞書で見てみると
敏感な。 繊細な。鋭敏な。 気にしやすい。 神経質な。 感受性の鋭い。 微妙な。 デリケートな..... と確かにそのどれを取ってみても自分に当てはまるような気がする。そしてさら上記の定義に 「傷つきやすい」 を加えればこれはもうまったく自分のことだと思えた。

大体、僕という人間はガタイも大きいうえに顔も強面(こわおもて)のせいか、初めて会う人や長年の知り合いでそれほど親しくない人から見ると、細かなことをまったく気にしない大まかで豪胆な性格に見えるらしい。ところが実際はその逆で、僕ほど気が小さくて臆病な人間はあまりないのじゃないか、と思っている。たとえばその場の誰かが何気なく洩らした一言(ひとこと)が鋭い棘(とげ)のように僕の心に突き刺さることがある。最近では僕も歳を経て少し賢明になったせいか、それを面(おもて)に表すようなことはもうないが、そのあと何食わぬ顔をして続く会話のなかで、一度刺さった棘は溶けることも抜けることもなく心のどこかに残ってしまう。そしてその痛みを何日も経ったあとでまた感じることがよくある。

日常の生活で、もうちょっと無神経に生きることが僕にできれば、この世はどんなに過ごしやすいだろうと思う。
また一方では、もし自分が繊細さのない鈍感な人間として一生を過ごしてきていたら、気が付かないままに自分を通り過ぎて行ったさまざまな事があったに違いないとも思ったりする。今までそれを (良いことでも悪いことでも) 逃さないで掴んで来たとしたら、それはそれで悪いことではなかったんじゃないか? それだけ人よりも多くの経験をしたわけだから。

気が付かないままに逃してしまった愛を、「なんてうっかり屋さんだったわたし」 と自分の無神経さを後悔して歌うアストラッド・ジルベルトを聴きながら僕が思ったのは、いや待てよ、これだけ繊細なはずの自分でもうっかり逃した愛があったんじゃないのか、いや、あったに違いないということだった。



How Insensitive
Astrud Gilberto



余談になるけれど、アストラッドの動画を探していてこれを見つけた時に、思わずあっと思ってしまった。
40年も昔のボストンのナイトクラブで、僕はアストラッドの伴奏をしたことがあるが、その時の彼女の印象がこのモノクロの映像とピッタリ重なってしまったからだった。もしあの時僕がカメラを持っていたら、あの夜のアストラッドはこんな写真に撮れていたに違いなかった。
この動画はアストラッドとの出会いを書いた以前の記事 『リオから来た女』 に掲載すべきだった。


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五月のクイズの結果は・・・

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虚と実のあいだで
Detroit Airport


正解は①のラップトップの青年。

20名の応募者に正解が7名というのは予想したよりも多い正解だった。
実は ①+④ (ラップトップとバーテン)の解答がほとんどじゃないか、と予想していたからだ。
男女のカップルは、そのサイズがすぐ前に座る青年と比較すると明らかに釣り合わなくて不自然だが、後ろに立つバーテンはサイズといいブレたシェーカーといい、いかにも本物っぽいからである。

オリジナルの写真では前面の青年と机、イス、右端のスナックがカラーで、あとは壁に貼られたモノクロのミューラルだった。

抽選の結果は、最後に残った 「のさ」 さんと 「ryo-n」 さんの対決で、「ryo-n」 さんに軍配が上がることになる。


ryo-n さん、おめでとう。
住所氏名を非公開コメントにして送ってください。
お好きな写真を指定することを忘れないように。
数日経ってもご返事のない場合は棄権とみなして次の方を選びます。


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夏祭り、サーカス、昆虫採集

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カウンティフェアの見世物小屋
Hagerstown, Maryland, USA


夏祭り、、サーカス、昆虫採集、と並べるとそれだけで子供の頃の夏に帰ることができる。
今はまだ5月の半ばというのに夏のことを書いているのは、このところ気温が急上昇して今日など31度にもなったせいだった。

学校が夏休みに入ると毎年僕らの町へ巡回して来るのが木下サーカスだった。錦公園に建てられた巨大なテントの中で、空中ブランコや象、ライオンなどの曲芸を見た。金ピカの衣装に肌を露わにした女性たちの中には自分たちと年が変わらないような可愛い少女もいて、少年たちはうっとりとその少女に恋をした。
しかしなんといっても僕らにとっての圧巻はオートバイの曲芸だった。スチールで編まれた巨大の地球儀のような円球が置いてある。明かりを消した暗闇の中で、オートバイは耳が潰れるような轟音をたてて上へ下へ横へと走り回る。オートバイのヘッドライトが暗闇に描く縦横無尽の軌跡はこの世のものとは思われないほどの迫力があった。そして美しかった。


サーカスの興行が続くあいだは、その周りにはいろいろな店屋が立ち並んだが、その一つが見世物小屋だった。
入り口には、下半身が大蛇で上半身は乳房を露わにした女性の俗悪な絵が掲げてあって、老人がしゃがれた大声で 「親の因果が子に報い、見るも哀れなこの少女・・・」 などと叫んでいる。少年たちは怖物見たさになけなしの小遣いをはたいて中に入ってしまうのだが、そこでどんな奇形の少女を見たのか、まったく記憶に残っていない。覚えているのはそこに並べられた瓶の中のアルコール漬けの胎児などのグロテスクな陳列だった。
出口から外へ出た僕らは、何となく騙されたような気になって、それ以後二度と蛇女を見に行くことはなかった。

こうしてサーカスが町を去って行ってしまったあとの夏休みを、僕が夢中になったのは昆虫採集だった。

死せる蝶たちへのレクイエム




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五月のクイズ

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虚と実のあいだで


この写真の中の4人の男女。
面白いのは4人の目線がそれぞれ違う方向へ向いているということだ。

ラップトップを見つめてニヤニヤしているのは友人のメールに何か愉快なことでも書いてあったのだろうか。 ・・・・①
カップルの女性の方はデートの相手に嬉しいことを告げられてつい微笑がこぼれていまったようだ。 ・・・・②
メガネのハンサムな男性はカメラを向ける僕に一瞬咎めるような視線を送る。 ・・・・③
うしろのバーテンダーはドリンクをシェークするのに集中してその目は何も見ていない。 ・・・・④

この4人の中で、僕が写真を撮った時点で生身の人間としてそこに実在したのは誰と誰だろう?
答えは番号で答えてください。
断っておくけど、これは合成写真じゃないよ。


正解の中から抽選で1名を選んで、僕のブログ上のどれでもお好きな写真を差しあげます。 
締め切りは今日から1週間。
答えは非公開コメントにして下さい。




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動物好きの絵描きさん 20 キリン

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麒麟
By Green Eyes


子供の頃、両親に連れられて動物園へ行ったという經驗が僕には一度もない。僕の住んだ町にも近くの都市にも、動物園なんていうものは無かったから。
だから僕が最初に動物園へ行ったのは、ずっとあとになって東京の大学へ入った時だった。上野動物園のサルの電車に乗りながら、何が不幸といって幼い時に動物園へ行ったことの無い子供ほど可哀想な者はない、などと思ったのを覚えている。絵本や写真でしか見たことのない様々の動物を前にして大学生の僕が受けた感動は、もしこれが子供の僕だったらその感動は何十倍も大きかったに違いなかった。

キリンを初めて見た時にその巨大さにビックリしたことを忘れない。あとでわかったのは、キリンはすべての動物の中でその体高がもっとも高いのだそうだ。そしてキリンは植物の葉から水分を摂るという秘術を備えているので、他の動物と違って水を飲む必要がない。だから水源を求めて移動することもないし、あれだけ背が高くて首が長ければ、どんな樹にでも楽々と届くから、なんとラッキーな生き物だろう、と思う。

日本へキリンが最初にやって来たのは1907年(明治40年)だった。
アフリカからはるばる運ばれてきた2頭のキリンが横浜港に着いて、そこから無蓋の貨物列車に乗せられて上野動物園へ運ばれることになっていたのに、途中の陸橋の下を通過するのが不可能という事実を日本人はまったく予想していなかった。それで2頭のキリンは今度は船で日本橋河岸まで乗せられて行き、そこから大八車に乗せられて上野まで運ばれたという。明治40年というと日本で最初の自動車が試作された年だから輸送トラックなんてものはまだ無かったとしても、馬車はあったろうになぜ大八車? という疑問が残る。

ともかくそうやって無事に上野動物園へ到着した2頭のキリンだったが、翌年には2頭ともあっけなく死んでしまう。熱帯動物だからということでやみくもに暖かくし過ぎてしまったのが原因らしい。アフリカの草原で悠々と草を食(は)んでいたら幸せな生涯をすごせたのだろうに、日本などという野蛮な国へ連れて来られたばっかりに可哀想な結果になってしまった。
その後キリンが再び日本に上陸したのはそれから26年後の1933年(昭和8年)だった。前回の失敗に凝りて檻の温度を15度に保ったことで、このキリンは無事に生き延びることができた。
良かったね!



神というのはそのへんのアーチストと同じだよ。
キリンも象も猫も神の創作だけど
彼は自分の芸術スタイルなんてまるで持ってなかったから
次から次へと試作をしていくしかなかったんだ。
- ピカソ -




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海を恋う

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僕の心は貝の殻
海の響きを懐かしむ

Hilton Head, South Carolina, USA


サウスキャロライナのヒルトンヘッド島に住むカークとMJの夫妻が、今年の夏はまた遊びに来ないかと言ってきてくれた。
昨年は行かなかったから、前回行ったのがもう2年前になるなと思ってアルバムを見たら、最後に行ったのは3年前だったと分かって、時の経つ速さに今更ながらに愕然とする。いつでも何度でも遊びに来てくれていいと彼等は言ってくれるのは嬉しいけど、なにしろ車で12時間かかる距離だから気軽にじゃあ行くよという訳にはいかない。飛行機で飛べば簡単だけどそれができないのは、犬の面倒を数日ならともかく1週間以上も見てもらうのは、近所に住む息子にも知人にも頼みにくい、というのが理由だった。

アメリカ大陸の真っ只中で海も山もなく、あるのは川と湖だけの平らな土地に住みついてからもう25年も経ってしまった。
それで時々、海を見たいという衝動が訳もなく湧いて来ることがある。それなのに山を見たいとはあまり思わないのはなぜだろうか。日本で子供の頃から海にも山にもあんなに近く暮らしていたのに。
たぶん、山というものが自分の中へ中へと沈静していく世界なのに比べて、海を見ているとその先に広がる茫々と果てしない世界が、過去だけではなく強く未来に向かって僕を惹きつけるのかも知れない。



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風に吹かれて
Hilton Head, South Carolina, USA


ボストン時代には大西洋を見晴かす海岸沿いの町にアパートを借りていたこともあって、朝な夕なに海を見ていたというのに、今では海までの最短距離が1000キロ以上というそんな殺風景な場所で生きているのが、最近いよいよ嫌になってきている。
南の島から』のような世界がどこかに存在するというのに。




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