過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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September30

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植物園にて

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フィップス植物園
Phipps Conservatory and Botanical Gardens, Pittsburgh, Pennsylvania, USA

久しぶりにピッツバーグへやって来た。
車で5時間の距離である。 娘のマヤが住むこの町へはもう10回以上訪れていて、以前はアウディのS4で4時間で来たものが、今回はホンダのSRVでオタオタと走っていたら5時間かかってしまった。 途中で通過するオハイオ州もウェストバージニア州もペンシルバニア州でも、いつの間にかハイウェイの制限速度が65マイルから70マイルのに変わっていた。 アウディなら3時間で走破したに違いなかった。

ところで、ピッツバーグに来るたびに必ず訪れるのがこの植物園だった。
フィップス植物園は1893年に建てられた巨大なガラスの館である。 それにさらに幾つかのグリーンハウスが付随している。 植物園といっても戸外には小さな日本庭園などが申し訳程度にあるだけで、あまり見るべきものはない。目を奪うすばらしい展示はすべて屋内のガラスの中に収められているから、ここが Botanical Garden (植物園) ではなくて Conservatory (温室) と普段は呼ばれるのはそのせいだった。




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水の反映

LEED (エネルギーと環境デザインの先導団体) と呼ばれる、グリーン化を促進する世界的な運動がある。 その団体から最高とされるプラチナ賞の認定を受けているのは、世界中の植物園ではフィップスが最初でしかも現在のところ唯一なのだそうだ。 館内の電気はすべて太陽熱で補充されるだけではなく、温室のガラスは日光の入射をコンピューターで自動的に調節するようにできている。
ガラスとスチールの幾何学的なデザインとその中に息づく植物群との対比が不思議な美しさを見せていた。




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室内庭園

フィップスはその建物全体がビクトリア朝の温室を模したとされているが、この屋内庭園もその典型だった。 蘭の香りにむせそうになりながら、ひっそりと横たわるこの庭園に立つと時の流れが止まってしまう。




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サボテン

このグリーンハウスへ入ると、ムッと室温がさらに高いのを肌に感じる。
ここでバスケットボールよりも大きな丸いサボテンを見た。 Golden Barrel Cactus と名の付いたこのメキシコ産のサボテンは、日本では金鯱(キンシャチ)と呼ばれるそうだ。 縞模様の葉が丸い球にしなだれかかる風情に、僕はなぜか古い日本画を思い出していた。




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蝶の部屋

部屋中に蝶が舞っている。 そして手の届くような近くで草花にとまる。
子供の頃に、蝶の採集で夏休みを過ごした僕には、この蝶など馴染みが深くて懐かしかったが、どうしても名前が思い出せなかった。 英名を Zebra Longwing というこの蝶。
信州にお住まいの蝶の撮影家、ふみえさん。
どうぞこの蝶の名を教えて下さいな。




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チフーリの花

フィップスの歴史の中でも画期的なものの一つが、ここで2007年に催されたチフーリのガラス工芸の展示だった。 これは文字通り世界的な評判となったらしかった。 展示会のあとで、チフーリの作品の幾つかがそのままパーマネントコレクションとしてここに残されていて、これもその一つである。
実はあの時、僕は偶然にピッツバーグに来ていて、幸運にもこの催しを見ていた。 その記事は以前 『無限の世界へ』 で書いているが、あの写真はぜひぜひ見て欲しいと思う。





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墓地にて (2/2)

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ラウ夫妻の墓

このだだっ広い墓地に眠る数千人の死者の中に、僕がその生前をよく知っていた人が3人だけいた。
一人は数年前に亡くなった妻のオヤジさんである。 あとの二人はこのラウ家の奥さんであったアイリーンとアイリーンの娘のジェーンだった。 アイリーンはご主人のフレッドよりも24年長く生きて101歳で亡くなった。 そして彼らの8人の子供たちの最後に生まれたのが僕の妻のお母さんだから、アイリーンは僕にとっては義理のお祖母さんということになる。
ラウ夫妻は両方とも生まれはアメリカとはいえ生粋のドイツ人だったから、あのドイツ人特有の頑固な性格が孫である僕の妻までちゃんと受け継がれている。

お祖母さんのアイリーンのことは今でも一族の間でよく話題にのぼる。 孫達の子供時代にこのお祖母さんは忘れられないさまざまな思い出を刻んだようだ。 小さな孫達に最初にワインをすすらせたのも彼女なら、自家製の石鹸の作り方を教えたり、裏庭に飼っていた蜜蜂から蜜の取り方を教えてくれたのも彼女だった。 彼女の100歳の誕生日に地元の新聞にインタビューされて、長寿の秘訣は何ですか、と訊かれた時に、肉を食べないで魚を食べなさい、と答えたそうだ。




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アイリーン・ラウ (1987)


僕が撮った数枚のアイリーンの写真の中で、これは最後のものだった。 亡くなる前年だったから100歳のアイリーンである。
そして、アイリーンがこの家で亡くなるまでいっしょに住んだのが娘のジェーンだった。 つまりジェーンは僕の妻にとっては伯母ということになるが、92歳まで生きたこのジェーンのことはこれも以前に書いたことがあった。

伯母ジェーン



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墓地にて (1/2)

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Calvary Cemetery
Dayton, Ohio, USA


「墓地というものに特別な興味をお持ちのようですね」 と書いてくれた人がいた。
ブログに墓地の写真や記事を度々載せているのを見てそう思ったらしいが、実は僕にはそういう特別な興味というようなものがある訳ではない。 我が家から車で10分の距離にあるこの広大な墓地へは、犬の散歩で3日に1度は行っている。 その度に無意識にカメラを掴んで出かける、というのが理由になっているだけだ。 公園と違って中まで車を乗り入れるのを許されているのも便利だった。 ここは祝祭日でもない限りふだんはほとんど訪れる人もなく、所々で芝刈りや剪伐(せんばつ)をする作業者を見るだけだった。




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夥しい数の墓石を見ながら、そこに彫られた死者の名前、生年、没年を読むのが習慣になってしまった。
今までのところ、このジョン・コステロさんが103歳で亡くなって最年長の記録を持つが、もっと長生きした人がこの広大な墓地のどこかで眠っているかもしれない。




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小さな2つの墓石は子供のものだった。
1907年にチャールズという名の男の子が5歳で死んでしまったのは何の病気だったのか? それとも事故かも知れない。
そしてその同じ年に母親はドロシーちゃんを出産している。 そしてその子は年を越えること無く数ヶ月で亡くなっている。 その年のマクブライド夫人の悲嘆と心痛を想像するのは難しいことではない。
ドロシーは兄のチャールズが亡くなる前にすでに生まれていたのか、それともマクブライド夫人は大きなお腹をかかえてチャールズをここに埋葬したのか、ひょっとしたら、生まれたばかりのドロシーは兄より先に他界したのかもしれない、とさまざまなシナリオが頭に浮かぶ。

2つの墓石の周りには両親の墓も一族の墓も何もなかった。




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哀れな家族はここにも居た。
相次いで生まれた二人の姉妹、ヴェロニカとクララは相次いで死んでいる・・・




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マート家のご主人ジェームズさんは55歳の若さで亡くなった。 もう30年も前のことである。 奥さんのシャーリーさんはご主人より2つ歳下で、84歳の現在でもまだ健在のようだ。 今では自分の息子や娘が亡くなった夫の年代になってしまった。 彼女の中で、55歳の夫と子供たちが重なっているに違いなかった。 彼女はいつか自分の墓石に没年を刻んで、長いあいだ寂しかっただろう夫の傍へ行くのを楽しみにしているのだろうか?


(続く)


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六月のクイズの結果は・・・

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Rover 416 Si
Paris, France


パリのサンジェルマンデプレの裏道に何気なく停められたこのローバーがまず僕の目を引いたのは、その車体の色だった。 アメリカで僕が乗っているアウディのS4と同じ赤だ。 チェリーレッドとでも呼ぶのだろうか? 明るく薄っぺらな赤や、消防車のようなけばけばしい赤はよく見かけるが、この落ち着いた深みのある、そしてセクシーな赤は稀だった。 光線の具合によってそこに含まれたブルーの濃淡が微妙に変化する。 アウディを購買した時はこの色がどうしても欲しくて、さんざん探した結果、隣州のインディアナポリスまでわざわざ出かけて行って手に入れた。

そうだ余談はさておき、クイズの結果。
正解は①のパリ。

ご存知のようにローバーはイギリスの車、その下に記された Longchamp (ロンシャン)はフランスの有名な高級革製品のメーカーである。 それで読者をちょっと混乱させようとした僕の意図が成功したかどうか?
しかし何よりの決め手となるのはそのプレートナンバーだ。 フランスではその末尾の2桁の数字が居住地域を表す。 そう、75はパリなのだ。

7人の正解者の中から抽選で最終に残った二人は日本の川越さんとドイツののほほんさんだった。
ダイスの3回振りで半と出たので、1の番号を持つのほほんさんに決定した。

のほほんさん、おめでとう。
住所氏名を非公開コメントにして送ってください。
お好きな写真を指定することを忘れないように。
数日経ってもご返事のない場合は棄権とみなして次の方を選びます。



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あいつはもう死んじゃってるよ

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Me and My Shadow (1973)
Beacon Hill, Boston, USA


「あいつはもうどこかで死んじゃってるよ」 と言ったのは佐藤だった。
その声の調子には、昔の彼が大学でクラブの部長をしていた時のあの断定的な響きが、25年経った今でもそのまま残っていた。
「そうかなあ・・・」 とテーブルの向こうから異議を唱えたのは中山だったが、その声には何とはなしに自信がなかった。
「そうだよ、あいつは死んじゃってるよ」 と佐藤が続ける。 「だってさ、あいつが世界中どこに居てどんな状況に居たとしても、手を伸ばせばそこに電話があるわけだから、俺達の誰かに20年も連絡を取らないなんて、まるであいつらしくないじゃないか? 20年だぜ?」
その時、それまで黙ってビールを飲んでいた川村が顔を上げると、「あいつは死んでるとは限らんよ」 と言った。
「あいつは日本を捨てたんだ、と俺は思ってる。 アメリカで菜々子さんとあんな結果になって、彼女を含む日本人に嫌気がさしたんじゃないか? 俺だってサンフランシスコに居た時、命がけで惚れた日本人の女に振られた時は日本になんか二度と帰るか、と思った。 もし自分の両親が日本に居なかったら俺はたぶん帰らなかった。 たしかあいつは日本にはもう家族は無かったろう?」 そういう川村はこの歳になってまだ独身を通していた。
「あいつはそのうちひょっこり帰ってくるよ」 と彼は笑いながらビールの瓶を取り上げると自分のグラスに注(つ)いだ。
周りの数人から 「うーん」 というような声があがる。

十人もの男たちが集まっているのはどこかの温泉宿の一部屋らしく、浴衣を着てテーブルを囲んでいる者もいれば、Tシャツのまま縁側の籐椅子に腰掛けている者もいる。それぞれが五十歳に近い年齢という共通点を持ちながら、それまで背負ってきた生活が、薄くなった頭髪や膨らんだ腹に現れていた。 しかし、彼らの声と顔つきだけは昔と間違えようがなかった。



「あいつ」 とは僕のことである

ビデオテープに撮影されたこのシーンを、僕はアメリカの中西部のある都市の、自宅のリビングルームで眺めていた。
当時ビデオカメラに凝っていた二宮が、僕が一度も出席したことのない何回目かの同期会をつぶさに録画して、アメリカの僕へ送ってくれたのは、その同期会から数年経ったあとだった。 その直前に、彼らと僕の音信が復活していたからである。
僕は自分が話題の中心になっているそのビデオを見ながら 「佐藤のやつ、人を勝手に殺しやがって」 と苦笑したり、それほど親しかったとはいえない川村が誰よりも的確に僕のことをわかってくれていた、と驚いたりした。 それはまるで、死んだ自分の通夜に集まってくれた仲間たちを、亡霊となった自分がその場に居て眺めているような、奇妙で不思議な錯覚を僕に与えた。

そしてビデオの中で川村が予言したように、それからしばらくして僕は24年ぶりの日本へ帰って行ったのだった。
(今日のこの文章は、偶然だけど4年前に書いた 『新宿駅東口二幸裏』 のイントロのようなものと言えるかも知れない)。




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六月のクイズ

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日本で走る車の、あの素っ気ない白のナンバープレートほど味気ないものはない。
色だけではなくて形もそうだ。
アメリカの場合は州によって違うけれど、白というのが圧倒的に多いようだ。 僕の住むオハイオ州もそう。 時々見る青いプレートに惹かれてよく見ると他州から来ている車である。 それにしても野暮ったいという感じは同じだ。

だからヨーロッパへやって来てこの写真のようなカラフルで横に細長いプレートを見ると、実にカッコイイと思ってしまう。 自動車という一つの完成されたアートに、デザインとして色も形もちゃんと溶け込んでいる。 それに比べると日本やアメリカのナンバープレートはいかにもハイ取って付けました、という感じがする。

それで今月のクイズ。

路上に駐車されたこの車の写真を僕が撮ったのはどこの都市だったろうか?
(国名と都市名の表示は消してあるけど、他国からの訪問車ではありません)。

① パリ
② ロンドン
③ バルセロナ
④ ローザンヌ
⑤ ローマ

正解の中から抽選で1名を選んで、僕のブログ上のどれでもお好きな写真を差しあげます。 
締め切りは今日から1週間。
答えは非公開コメントにして下さい



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ブラームスはお好き?

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エミリー
Boston, USA


フェイスブックを持っているけど僕はあまり活発なユーザーとはいえない。
自分の日常の詳細を他人とシェアしたいという欲望が僕には薄いから、積極的に参加することはまずない。 知人友人親族間に飛び交う夥しい数の写真と記事を、僕は完全な傍観者として時々ざっと眺めるだけだった。そういう自分が、まるで滔々と流れる大河の岸に孤立する寂しい1本の樹のように感じられることがある。
人生の傍観者・・・
そんな言葉が浮かぶ。


それでも時々、あっと思うようなことがフェイスブックでは起こる。

先日のこと、「◯◯さんがあなたにフレンドの要請をしていますが承認しますか?」 という通知を受けた。その名前にも、そこに付けられた初老の女性の綺麗な笑顔にもまったく記憶がなかった。 NO とクリックをしかけてその手が一瞬止まったのは、そのエミリーというファーストネームに何やら記憶の底で引っかかるものがあったからだ。 まさか? と彼女のフェイスブックを覗いてみた時、思わず自分の目を疑った。 やはりそうだった。 結婚して姓は変わっていたけれど、あのエミリーに違いなかった。


あれはアメリカ中がバイセンテニアル(200年祭)で沸きあがっていた時だから、1976年のことだった。
ボストンのチャールズリバー河畔の野外コンサートで、芝生に寝転んでボストンシンフォニーの演奏を聴きながら、僕はぐうぐう眠ってしまったらしい。初夏の午後の陽ざしは温かいし、川風が顔に気持ち良く、耳に聞こえるシンフォニーは最高の子守唄だった。 先ほどランチで飲んだビールもそれにひと役買っていた。
はっと目が覚めると上から僕を覗きこんでいる美しい女の笑顔があった。 吸い込まれそうな碧(あお)い眼だった。
「あなたの鼾(いびき)とブラームスが絶妙のハーモニーだったわ」
その口調には皮肉の響きが無く、本当にそうだったのかと思わせるほどだった。
慌てた僕の口から苦し紛れに無意識に出た言葉は 「ブラームスはお好き?」
彼女は笑いながら 「それってフランソワーズ・サガンの小説のことかしら? それとも只の質問?」 と逆に質問をする。
「あっ、いや、只の質問」

それがエミリーとの出会いだった。

エミリーとはどのくらい続いたのかは、はっきりと思い出せないが、そんなに長くはなかったはずだ。 ただ、別れる時に泣いたのは彼女の方だった、ということは忘れることはない。
人に捨てられるよりも人を捨てる方が何倍も辛い、と以前にどこかで書いたが、エミリーはそういうふうにして僕が傷つけてしまった人たちの一人だと長い間思っていた。 そのエミリーとの軌跡が40年を経た今になって再び交わるということの不思議さ、そしてそれを可能にしてくれたのが彼女の方からだったということに、僕は改めて運命を感じ、女の慈愛を感じた。

幸せな結婚をしてボストン郊外に住み二人の子供と生まれたばかりの初孫を持つ、とメールをくれたエミリーは40年前の僕らにも触れていたが、苦しかっただろうその結末のことは何も書かれず、僕らが分けあった日々への懐かしさだけがそこにあった。
そんなエミリーに返信を書く僕は、あの時彼女を傷つけた事への許しを乞いたい気持ちと最後まで闘いながら、結局それには何も触れずにメールを終えた。 それでよかったのだ。 彼女はもう許してくれているからこそこうして僕に接近して来たのだ、ということに気がついたからである。 『過ぎたこと』 と 『過ぎて行くこと』 がこうしてぴったりと重なる、という奇跡が起きた。
僕は手紙の最後に追伸として一行だけ書いた。
「今でもブラームスは好きですか?」



* 本文中の女性の名は実名ではありません。



ブラームス ハンガリア舞曲 第1番
西本智美 指揮
Budapest Philharmonic Orchestra





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帰らざる河

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帝の嘆き



       絶句

人逝き雪溶けて鳥歌う
春風爽やかにして緑樹に憂いあり
如何んぞ桜花帰らざるは妃の変心ならむ
帝暗然としていたずらに佇む
              ― September30




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歌を忘れたカナリヤは・・・

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冬の桜
Oakwood, Ohio, USA


今年は隣家のしだれ桜がとうとう花を咲かせること無く夏を迎えてしまった。
「そんな、馬鹿な・・・」 と僕は絶句した。
花や植物のことを何も知らない僕は、春になれば花は咲くものと信じて疑わなかったからだ。昨年の記事 『しだれ桜』 に載せた満開の桜は4月の19日に撮影していた。それが今年はもう6月となって、しだれ桜は青々とした豊かな葉を茂らせている。それなのについに花は咲かなかった。この2ヶ月の間、僕は桜が咲くのをじっと待っていたのに、いったい何が起きたのか?
毎朝ベッドから起きるとまずサンルームへ行って窓のすぐそばの桜の木を見るのが習慣になってしまっていた。ある朝、2つ3つの小さな蕾を見た時は、喜びの余りまだ眠っている妻を大声で呼び起こした。ところがその蕾は翌日にはもう消えていた。

樹に花が咲くのをこれほど気にかけたことが、今までの自分の人生であったろうか、と思う。
それはまるで、浮気者の愛人が自分の元へ戻るのを今日か明日かと心待ちにする気持ちに似ていた。この単調な繰り返しに過ぎない日常の生活の中で、それは一つの生きる目的でさえあった、と言えば笑われるかも知れない。しかしそれほど僕はこの花がいつか爛漫と青空に咲きほこるのを待ち焦がれていたのだ。

そしてある日、一通のメールが届く。
差出人は日本に住むB子さんである。 桜が咲かないのを僕と同じくらい心配していたB子さんが、あれこれネットを漁った結果わかったのは、今年はオハイオやミシガンなどの州では異常な寒さのために桜が咲かなかったそうだ。たしかに今年の冬の寒さは厳しかったが、それで自然の摂理が曲げられるなどと思ってもみなかった僕は、いつまでも帰ってこぬ愛人をいじらしく待ち続けていたことになる。そんな無知で純真な僕を哀れに思ったB子さんが、優しい、そして残酷な宣告をくれたのだ。
「あの女(ひと)は今年はもう戻っては来ないのよ...」


桜は繊細な花に違いない。日本人のように・・・
隣家のしだれ桜は、その傍でふてぶてしく白い花を満開しているマグノリアを見ながら、どんな想いでいるのだろうか?

そんな桜の木に僕は声に出さないで語りかける。
お前も僕も、歌を忘れたカナリヤだけど
それでも
こうやってちゃんと生きているんだよ。




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