過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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September30

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200年後のために

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橋の上の異邦人
Dayton, Ohio 2014


一つのことに熱中してしまうと狂ったようにのめり込んでしまうのは子供の頃からだった。
それ以外は何も手につかず、現実の日常生活から完全に自分を切り離すと、文字通り寝食を忘れて没頭してしまう。 ただ、そんなことが起きるのには大きな周期のようなものがあって、その周期が何か月ごとに来る時もあれば、何年ものあいだ何も起こらないこともあった。歳をとってからはもうそんなことはないだろうと思っていたら、現在そんな周期のまっただ中に溺れている自分を見出してびっくりした。

事の起こりは…
この数年間、撮り貯めた写真はあれこれ手を加えたあと、その幾つかをせいぜいブログやフェイスブックに載せるだけで、ほとんどの画像はフォトショップのファイルに入ったままになっていて、ついぞ実際にプリントしたことがなかったことに気がついたことに始まる。試しに、これはと思う1枚をプリントにしてみて愕然としてしまった。PCのモニターには出てこない微妙な明暗や、深みのある色調が何と忠実に紙の上に現れていることか ! モニターで見る映像はあれはこの世に実在しない 「まやかし」 の電子の世界に過ぎない、といまさらながら納得をした。
写真はやはりプリントで鑑賞すべき芸術なのだ、

それでこの1週間は仕事もせず外にも出ず、そのことにかかりきりになっていた。 飯を食う時間ももったいないくらいだから、まして飯を作る時間なぞあるわけがなかった。ここのところちゃんと食卓で食事をしたことがなく、妻が作ってくれるサンドイッチを仕事部屋でかじりながらプリントの作業を続けた。食欲というものがほとんどない代わりに、何かを産みだす時のあの得体の知れない興奮と欲望に取り憑かれていたようだ。飯を食べないで酒を飲み続け、煙草をやたらと吸うからこれは確実に自分の命を縮めているのには間違いない。それなのに僕はそれを止めることができない。

夜眠っていても夢の中にプリント中の画像が出て来た。夢の中でああでもないこうでもない、といろいろ暗中模索している自分がいて、それが暗闇の中でひょいとトンネルの向こうに出口が現れ、試行錯誤が不意に解決したりするとそこで目が覚める。そこで僕はベッドから抜けると、夢で起こったことを忘れないうちに仕事部屋へ行ってPCとプリンターのスイッチを入れる。このところそんな繰り返しだった。

僕が今プリントをしているこの紙とインクは、製造会社の謳い文句によると、印刷された写真は200年は褪(あ)せること無く完全に保存が効くそうだ。 (ほんとかなあ?)
200年という数字がどこから出て来たのだろうと思ってしまう。ほんとにその通りなのかどうか、それを確認をした人間は世界中にまだ誰もいないわけだから。
ひょっとして僕の孫のそのまた孫あたりが (僕に孫ができればの話だけど) 僕の写真を見て、「あ、これは話に聞いていたうちの先祖で、鼻の大きな日本人が撮った写真だ。撮影日時が2014年となってる。へ~、あれから200年は経ってらあ」 と感心するかもしれない。
それとも、地球はそれまでにはとっくに崩壊して、跡形もなく宇宙に散っているかもしれない。

どちらにしても
僕はコツコツとプリントをし続ける。




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9月のクイズの結果

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京都駅ビル


長いあいだ日本を離れていたうちにいつの間にか国鉄がJRに変わってしまった。 (1987年)
JRという呼び名がどうしても肌になじまないというか、脳にインプットされてないというか、いまだに日本へ帰った時につい国鉄と言ってしまう。 それを聞いた人が同年輩の人ならともかく、若い世代の人なら (このオヤジ一体どの時代からの生き残りだろう?) と不思議に思うに違いない。

日本へ帰っても、いつも行く先が東京と郷里しかなかった僕が2011年の帰国で京都へ行った。 新しい京都駅ビルは(といっても完成したのがもう14年も前だから新しくはないんだけど)、建築の粋を尽くした驚異的に複雑な建築物でその中にいると、まるでタイムマシンから異次元の世界へ降り立ったような錯覚を覚えた。 ただ、優雅な古都の玄関口としてはちょっとふさわしいかどうか、という気がしないでもない。 京都らしく、古寺を象徴するようなデザインなら良かったのじゃないかな、と勝手に思っていた。

そういえば、同じ年にコータローが連れて行ってくれた出雲大社の国鉄駅を思い出す。


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旧大社駅



余談はさておいて今月のクイズだよね。
正解は8人。
抽選の結果、最終の当選者は Ogui さんで、ランナーアップは水田博之さんでした。
京都駅に降り立ったことのある人にとっては何でもないクイズだけれど、そうでない人には難しかったようだ。 Ogui さんの、例によってシャーロック・ホームズやエルキュール・ポワロも顔負けの鋭い(そして忍耐強い)推理の過程を紹介しておこう。


【 難し!!

いきなりの 「何処だ」 問題!!
ヒントなし。
最初に・・・ 写真右下の掲示はアルファベットではない。日本語?・・日本で考えよう。
山がガラス張りの壁面に写り込んでいる。
こんな大規模な空間的冒険ができる建造物は公共施設しかない、だろう。
駅か飛行場・・港なら神戸かな

大阪駅がこんな感じの空間になっていたなあ。でも、近くに山はない。
山・・・ 瀬戸内海沿いの新幹線駅、飛行場・・・ 神戸港・・・。
google してみた。 みんな小さくて平凡。

あ、山=京都盆地かな。京都駅ならこの規模の投資もありうるだろう。

google してみた。 ヒット! 】

僕がもし FBI か MI3 の長官なら Ogui さんはぜひ採用して自分の傘下に置いておきたい。 こういう人を敵に回したら機密も何もあったものじゃなく全部読まれてしまうからね。


Ogui さん、おめでとう。
住所氏名を非公開コメントにして送ってください。
お好きな写真を指定することを忘れないように。
数日経ってもご返事のない場合は棄権とみなして次の方を選びます。



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別にどうでもいいことだけど・・・

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考える人
国立西洋美術館 2011


今日は言葉の話・・・

日本語の 「知性的な」 にあたる英語として当然すぐに浮かぶのに intelligent (インテリジェント)という語がある。 ところが英語にはもう一つ intellectual (インテレクチュアル) という同義語があって、この2語にはその意味に微妙な違いがあるというのは、アメリカに住んでみて初めてわかった。 もっとも当のアメリカ人がこの言葉を日常生活でハッキリ使い分けているかいうと、そんなわけではないようだけど、そこに微妙な違いがあるのは確かのようだ。
「インテリジェントとインテレクチュアルの違いは?」 というテーマはアメリカ人が好む議論の一つのようで、ネットで見るとまあいろんな意見が飛び交っている。 だいたいが似たりよったりだけれど中にはまったく逆の解釈をしている人もいた。
ここではそんな諸説を要約するというのではなくて、アメリカでの実生活から得た僕自身の印象を書いてみよう。


「あの人はインテレクチュアルな人だ」 という時に意味するのは、身に付いた豊富な知識を持った人、学識のある人、という場合が多いようだ。 日本語だと 「教養」 とか 「知識人」 とかの言葉が浮かんでくる。 物事を感情的に捉(とら)えるよりもきちんと論理立てて説明が出来る人もこの中に入れられるような気がする。 「あの人は頭が良い」 とか 「理知的な人だ」 というのもインテレクチュアルと言えるようだ。
日本の社会に当てはめれば、何か事件が起きるとすぐにテレビに引っ張りだされて、あれこれと説明をする学者とか専門家というのがその代表と言ってもいいのじゃないか。 一般人が持ち合わせない知識や情報や経験を豊富に所有しているので自然と周りから尊敬されるし、そういう偉い人達はこぞって 「先生」 と呼ばれる。
(先生といえば、たしかに学者は学生から見れば先生には違いないけど、日本ではなぜか政治家や有名人が先生と呼ばれる。 テレビのインタビューや座談会などでその言葉を聞くたびに、へそ曲がりの僕がついつぶやいてしまうのは 「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」 という川柳だった)。


それに比べると、インテリジェントな人、というのはつまり 「考える人」 だと僕は思っている。
これは学歴とか社会的なステータスとは関係なくて、自分の目を内側に向けることのできる人なら、市井(しせい)の片隅に生きる人でも有名人でも同じようにインテリジェントと呼べる。 そういう人達はものごとの表面だけを見てそのままやり過ごすことをせず、その裏にあるものやそのことが起こった意味をいろいろと考えたりする。 その逆の 「考えない人」 というのは意外と多いようで、 テレビや新聞のニュースをそのまま頭から信じたり、他人の意見を自分の意見として代用したりする。

というのが僕のかなり独断的な解釈なんだけど、まあ賛成しない人もいるんじゃないかな。
ところで思ったのは、インテレクチュアルということで言えば、日本の一般人の知性は平均的アメリカ人のそれより格段に上だと思える。 日本人はなんとまあ幅広く何でも知っているものだといつも舌を巻いて感心してしまう。
それじゃあ、インテリジェントという点ではどうか?
これは皆さんそれぞれの判断に任せよう。



フランス人とイギリス人のもっとも大きな違いは
イギリス人はインテリジェントで
フランス人はインテレクチュアルだと
昔からよく言われてきた。

Kenneth Baker




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9月のクイズ

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ここはどこでしょう?




正解の中から抽選で1名を選んで、僕のブログ上のどれでもお好きな写真を差しあげます。 
締め切りは今日から1週間。
答えは非公開コメントにして下さい。



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古い写真を見ながら

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夕やけ小やけで日が暮れて
Somerville, Massachusetts 1988


僕らの家族がボストンでの最後の数年を過ごしたサマ-ヴィルの家の話は前に書いた。
ニューイングランド地方によく見られる、トリプル・デッカーと呼ばれる3階建ての古いアパートで、その1階を僕らは借りて住んでいた。 1階だから裏には小さいながら庭がついていて、まだそのころは幼かった二人の子供たちのために、滑り台や砂場を置くこともできた。
その庭から金網をはさんで隣家の大きな菜園があり、そこにはチューリさんというイタリア人の老夫婦が住んでいた。 老夫婦は自分たちの菜園で採れる見事な野菜類を籠に摘んではわが家に届けてくれた。 それはトマト、バジル、ペッパー、スイスチャート、ズキニ、などで、どこの八百屋で買うものよりもずっと新鮮で美味しかった。 そして、必要な時にはいつでも菜園に入って行って勝手に摘んでいいんだよ、と言ってくれた。 このチューリ夫妻は子供さんが成人して家を出たあとの二人だけの暮らしだったから、僕らの子供をまるで自分たちの孫のように可愛がってくれた。 家の中に子供たちの姿が見えないと思う時は、決まって隣家の菜園で夫妻に遊んでもっらているのが我が家の寝室の窓から見えた。

このチューリさん夫妻と初めて話をしたのは、僕らが引っ越してきたその日に隣の菜園で何かを植えていたチューリ夫妻が近寄ってきて、跨(また)げばすぐ越えられる低い金網の向こうから、イタリア訛りの強い英語で初対面の挨拶をしてきた時である。 老夫婦の眼が妻の眼と合った時に、双方であっと言って立ちすくんだまま言葉が出てこなかった。 次の瞬間に双方でお互いの名を呼びあうと、金網越しにしっかり抱き合っていた。 そばにいた僕は何が起っているのかまったく訳が分からず、ポカンとしてそこに立っていた


話はその時から10年前にさかのぼる。
妻がまだ20代の半ばで、僕と出会う数年前にスカンディナビア半島に旅行をしたことがある。 グループツアーでデンマーク、フィンランド、スェーデン、ノルウェイを廻る二週間の旅だった。 そのグループでたまたま一緒になったのがチューリさん夫妻と娘さんのマリアンの3人連れだったのである。 彼らは たぶんひとりぼっちでツアーに参加していつもまごまごしている妻を見て可哀相だと思ったのだろう、声をかけてくれてそのあとの旅程を4人は文字通り朝から晩までまるで家族のようにいっしょに過ごしたらしい。
その頃の妻はあまり金に余裕のない生活をしていて、その時の旅行もギリギリ最低限の予算で来ていたから 最終地のノルウェイに着くころには資金が尽きてしまい、自由行動になってもツアーに組み込まれている食事以外にはレストランに入る金も、美術館などに行く金も無くなっていたそうだ。 (そのころからすでに、予定とか予算にはまったく気を使わない人だったという証拠がここにもある)。 そしてそれを知ったチューリさん一家が親切にもそのあとの面倒をすべて見てくれた、という話は僕ももう何度か聞かされていた。

アメリカに帰って来たあと、ニューヨークに住むマリアンと妻との間で手紙のやり取りがずっと続いていたそうだ。 それにもかかわらず、サマーヴィルに住む彼女の両親の住所などは、妻はもちろん知らされていなかったのである。

トニーと呼ばれていた御主人は、むかしイタリアのどこかの小都市で長いあいだ警官をしていたそうだ。 痩せ型で背が高く若い頃はさぞ女性に騒がれただろうと思わせるような美男子だった。 僕はよくトニーさんに、何でもいいからイタリア語を喋って欲しい、とお願いして、意味も分からないままにその音楽のような響きを、うっとりとしながら聴いていたものである。
奥さんの方は生涯を教師として終えた人で、御主人よりも英語がずっと達者で料理の好きな人だった。彼女のイタリア料理を、僕らの一家はどれだけご馳走になったことか。

あれだけ長い年月を過ごして、僕らの子供たちにとっては生誕地であるボストンなのに、最後に訪れてからもう15年も経ってしまっている。 その時は、大きく成長した子供たちを見せに、懐かしいサマーヴィルのチューリさん宅へ行った。 トニーさんはその数年前に亡くなり、奥さんがひとりでひっそりと暮らしていた。
荒れた菜園には作物はもう無く、その向こうに、僕らの一家が住んだアパートの裏庭が見えていて、そこには幼児と遊ぶ若い母親の姿があった。 ぼんやりとそれを眺める僕の眼に、その若い母親とあの頃の妻の姿が重なった。
そして見事に手入れの行き届いたチューリ夫妻の菜園でトニーさんがホースで水を撒く、あの水音が耳に響いているような気がした。
そういえば、トニーさんが呉れた赤唐辛子は涙が出るほど辛かったなあ。


関連記事: 『サマーヴィルのころ



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心に秋風が吹くころ

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名も知らぬ花のように


9月に入って最初の月曜日が Labor Day (労働祭)と呼ばれる祝祭日なんだけど、毎年この日が来るたびに何となく心が沈むのは僕だけなのだろうか。
華やかな夏の名残りがそこここに残っているとはいえ、あの肌を焦がす熱い陽光はすでに衰えて、吹く風には、離れていく恋人のようなよそよそしい冷(ひ)ややかさを感じる。 あたりに響いているのは命が尽きる前の数日を必死で謳歌する蝉の声と、それを慰めるような秋の虫たちの混声合唱だった。 それは、死んでいく者と生まれてきた者の世代の移りを、自然の摂理として歌うレクイエムのように僕には聞こえる。

夏が来ればあれをしよう、これもやるんだと思ったことが何一つできないままに夏が終わってしまった、という後悔の念が強い。 書かれることのなかった長い手紙。 実現しなかった引っ越し。 止めることのできなかった煙草。 撮ることのなかった写真。 行くことのなかった旅。 会えなかった人。 果たせなかった約束。 言えなかった言葉。 そして・・・
9月になればまた一つ歳をとる。
無為に生きていると感じるのは良くないことだとわかっていながら、心は内へ内へと向いて行く。

そんなある日、裏庭の片隅に咲いている可憐な花を見つけた。 小さな小さな花が、いかにも懸命に咲いているという健気(けな)げな風情に胸を打たれた。
何の花だろうと妻に聞いたら、毎年咲く花だけど名を知らない、と云う。

誰か知っていたらぜひ教えて下さい。


Petite Fleur (小さな花)





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汽車の旅

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こんな汽車に乗って旅に出たい・・・
Carillon Historical Park, Dayton, Ohio


いつか長い汽車の旅をしてみたいと思いながらいまだに果たせないでいる。
南部のフロリダあたりから始まり、まっすぐ北上して険(けわ)しいアパラチア山脈の山並みに沿って走り続け、中西部の五大湖を見ながらカナダとの国境を超える。 そして終着駅(この言葉が大好き!)はモントリオールかケベックがいいだろう。 それが極寒の真冬の旅ならさらに理想的だ。 汽車の中で何日も過ごすことになるから、ひとりではちょっと寂しすぎるかもしれない。 といって数人でわいわいと騒ぐ旅もいやだ。 汽車の旅はやっぱりふたり旅がいい。 ふたり旅ならその相手は、ふだんから親しくて気心の知れたひとも良いけど、それより出会ってからまだ間もなく何となくお互いが好意を感じ始めたようなひととなら長い汽車旅にはうってつjけの相棒だ。 話すことは山ほどあるし、二人のあいだに何が起こるか、どんな結末が待っているかとワクワクするようなスリルもある。 長い汽車の旅も長いと感じる前に終わってしまうに違いない。
そんなひとと、白いテーブルクロスにカーネーションの一輪ざしが窓際に置かれた洒落た食堂車のテーブルで向かいあって、ワインと魚の料理を食べていたい。 窓の外を通過する白銀の世界を飽きることなく眺めながら。。


考えてみると長い間アメリカに暮らしながら汽車の旅をというものをしたことがない。 一刻も早く目的地に着かなければならないような、そんな慌ただしい生活をもう何十年も送ってきたのだ、と気がつく。
それでもヨーロッパでは過去に汽車の旅を何度かしたことがあった。 なかでも忘れられないのは家族4人でやったヴェネチアからバルセロまで、地中海を延々と見ながらの長い汽車の旅だった。 もっとも、イタリアからフランスを抜けてスペインまで汽車に乗りっぱなしだったわけじゃなくて、中間地点のニースで降りて2泊している。
そしてこの旅の前半、つまりヴェネチアからニースまでの行程は、僕にとっても家族にとっても過去の旅行の中では最悪の経験となった。 というのは、ヴェネチアのサンタ・ルチア駅で不親切な駅員に応対されてしまって、指定席のチケットを買うことができなかったのだ。 乗り込んだ普通席の車両が最初からもう席がない上に、途中のボローニャでもフィレンツェでもどんどん人が乗り込んできて、フィレンツェを出た時の車内の状態はまるで東京の電車の通勤ラッシュと同じだった。 いや通勤ラッシュよりもずっと悪かったのは、乗客のほとんどが大きな荷物を抱えた旅行者だから身動きがまったく取れず、僕らの家族はいつの間にか離れ離れにされてしまってその生死も定かではない。 僕自身もぎゅうぎゅう詰めのデッキにスーツケースを立ててそれに腰掛けているうちはまだよかったけれど、フィレンツェで乗り込んできた中年のアメリカ女性がかなり辛そうだったので彼女にその席を譲ってあげたあとは、まるで円盤投げ選手が円盤を投げ終わった瞬間のような恰好のままで、何時間もかけてようやくニースに到着したのだった。 やれやれ。


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ニース駅


ニースでゆっくりと3日を過ごしたあとは、またとことこと汽車に乗って終着駅であるスペインのバルセロナへ向かった。 前回の失敗にこりて指定席をとることを忘れずに。
ところが、スペインに入る直前に線路事故があってわれわれの乗る汽車はモンペリエという小さな町に不時着しなければならなかった。 でもこの事故のお陰で3時間のあいだ、南仏の美しい大学の町モンペリエを歩きまわったり、駅前のマクドナルドで久々のジャンクフードにありついたりの予期しなかった経験ができた。


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モンペリエのマクドナルド
Montpelier, France


そのあとは順調にバルセロナに到着することができて、そこで3日間を過ごしたあとは飛行機で、今回の旅行の振り出しであったパリまで帰ることになっていた。 そうすればパリ-スイス-イタリア-スペイン-パリ、と3週間をかけて一周したわれわれのヨーロッパの旅は終わることになる。
その最後のバルセロナでまたまた災難に会うことを誰が予想できただろう?

ニースからバルセロナへ








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