過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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September30

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日本の味を求めて

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銀座 『天龍』 の餃子


日本に帰るたびにいつも 「何が食べたい?」 と聞いてくれる友人たち。
僕の答えはだいたいいつも決まっていた。
寿司とか刺し身ではない。 豚カツとかうな丼とか天ぷらでもない。 焼き肉でもなければラーメンでもない。
餃子だった。

アメリカでも和食の料理屋へ行けばほとんどのものが食べられるし、日本の食材も豊富に手に入るようになった最近だが、それでも、これはやっぱり日本じゃなくちゃ、というものが幾つかある。 その筆頭が僕には餃子ということになる。 アメリカのチャイニーズ・レストランなら Potsticker (ポットスティッカー) という名でメニューには必ず載っているものなのに、アメリカに何十年暮らしながら美味しい餃子を食べたという記憶がまったく無い。

数年前に、といってももう7年も前になるが、友人のSが連れて行ってくれた銀座の 『天龍』 の餃子は、食道楽の彼が自信を持って薦めるだけあって、一度食べたら病みつきになってしまった。 それ以後は東京に行くたびにここに来る。 ニンニクのまったく入らないユニークな餃子だから、食べた後の口臭を気にしないですむ、ということでランチの時間など周囲のオフィスから人がどっとやって来る。 以前はそんなことはなかったのに、すっかり有名になってしまった天龍へ行く時は、開店の11時よりも前に到着しないと、長い長い行列に並ぶことになる。 (僕は生まれつき何が嫌いといって、行列に並ぶことほど嫌いなことはない。 それがレストランであれ、空港の入国審査であれ、美術館の入場であれ)。

最後に天龍へ行った時に同行した女性が、先日メールをくれて、今日は久しぶりに天龍へ行きました、と書いてきた。
そしてその時に携帯電話で撮った写真まで添えてある。 これは僕にとっては残酷な仕打ちといえた。
「早く日本へ帰っていらっしゃい。」 と書く代わりに、1枚の写真に彼女の気持ちを込めたわけだろうが、その効果は十分以上にあったようだった。

そんなことがあって急に餃子が食べたくなった。 といってもそのへんのレストランに行く気はしない。 行っても失望させられることはわかっているからだ。
仕方がないから自分で作っちゃおうと、餃子の皮や合い挽きのひき肉やキャベツなどを買ってきた。
餃子を作るのはもちろん今回が初めてではない。 前に何度もやっている。
それがどうしてもうまくいかないのである。

どうしてもうまくいかないのは、その焼き方なのだった。
調べてみると焼き方に関しては2つの説があるようだ。
まず最初に餃子を焼き、そのあと少量の水を加えて蒸すという方法と、最初から水を入れて火にかけ、水が無くなったあとそのままさらに焼く、というのと。 僕はその両方を試してみたけれどやっぱりうまくいかない。 皮が水っぽくブヨブヨになってしまい、どうしてもパリっと仕上がらないのである。 水の量や火力を変えてみたけどだめだった。

どなたかコツを伝授してくれないかなあ。




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日曜日のブランチ

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1

姪のルーシーの結婚式も終り、一夜明ければ日曜日だった。 (そういえばアメリカの結婚式は土曜日と決まっている。)
この日は義弟のマークの自宅で午前11時にブランチということになっていた。
少し遅れて到着すると、マークの家はもう客がいっぱいに詰まっていて、そのまま昨夜の披露宴の続きの観があった。 とはいえ、今朝ここに招かれたのは身近な家族や友人だけに限られていたようだ。






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2

まずはドリンクとなるのはいつものパーティと同じだ。
今朝はマークの嫁さんのローラが作ったという特製のブラディマリー。
昼間のパーティだから少量の酒が混じっているだけで、そのそばにデンと置いてあるアブソルートの大瓶から僕はウォッカを注ぎ足してうんと濃くする。






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3

新婚の二人は就職活動中のダスティンの仕事が決まるまでこの家に滞在ということになっている。 面接も幾つか終えて結果待ちという状態らしいが、その仕事次第で住む都市を決め、引っ越しをしてアパートを借り、それからルーシーの就職を考えるという段取りらしい。 それにしても彼の就職が決まるまでなぜ結婚式が待てなかったのか、と思ったのは僕だけではないようだ。






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4

リビングルームはルーシーの友達や従兄妹など若い連中で占められていた。






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5

それが午後になると招待客は次々と帰り始め、最後には少数のごく身近な親類だけになっていった。






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6

この家族は犬を2匹飼っていて、古顔のゼリーは15歳になるテリアで僕にも仔犬の時からの馴染みだ。
心臓が悪いということで薬でどうにか命を永らえているというのに、幸せそうな顔からはそれは察しられない。






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7

リビングルームに続く日当たりの良い小部屋があって、2方の壁に僕の撮った写真が10枚ほどと、我が Green Eyes の絵が数枚かかっている。
家族はこの部屋をふだん 「○○ルーム」 と呼んでいる。 ○○とは実は僕の苗字である。






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8

サンルームにたまたま集まった義弟ジョージの家族。 嫁さんのキティは我が Green Eyes の妹にあたる。
子供のレアとマットは両方とも韓国生まれで、子供のなかったジョージ夫妻が数年をおいて養子とした。 だから姉弟といっても血の繋がりはない。

これに関しては面白い話がある。
一族の長老となるマーサにとっては、僕の二人の子供が最初の孫となり、そのあとこのレアとマットが加わった。 つまり最初の4人の孫が全員アジア人の血を引いていた。 そこで今は亡いマーサの夫、つまり僕の義父がうろたえてしまった。 義父はジョン・ウェインタイプの典型的なヤンキーだったから
「おいおい、どうなってるんだ。 俺の血筋は東洋人に乗っ取られるのか?」 と。
人種差別とかアメリカ主義を持たなかった義父でも、一種の寂しさのようなものはあったに違いない。

しかしそのあと次々とできた13人の孫達は、全員が真っ白だったのでようやく安心したという話。






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9


広大な庭を見て最初に思ったのは、手入れが大変だな、ということだった。
案の定、主人のマークが言うには、四輪の芝刈り機に乗って芝を刈るだけでまる1日かかるそうだ。 庭いじりが嫌いでないマークでさえいい加減に嫌になっているという。 もっと小さな家へ越したいと言ったのは半分は本音だとみた。

写真の後方、森の入口に一人だけポツンと立っているのは息子の太郎。
これを見て 「何をしてるんだ?」 などと思うものはこの家族には誰もいない。 幼い頃から Frog Boy のニックネームを付けられた太郎は、どこへ行っても、成人した今でも、まずカエルやトカゲを探索するのは皆がよく知っているからだ。






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10

サンルームでルーシーが抱いているのは、彼女にとって従姉妹にあたるキャサリンの、生後4か月の赤ん坊。 この大家族でマーサにとっては最初のひ孫ということになる。
このキャサリンとハインリッヒの若夫婦が最近買った家が、オハイオのオークウッドのわが家から数ブロックのところにあり、歩いて簡単に行ける距離だ。 これからはこのレオという名の男の子をしょっちゅう見ることになるのは間違いないようだ。

このレオを初めて見た時のことを思い出す。
赤ん坊を見るなり僕が思わず 「あー、良かったあ。」 とうっかり口に出して言ってしまったのを、母親のキャサリンが聞きつけて
「えっ? どうしてどうして? 叔父さん、何が良かったの?」 としつこく訊いた。 それで僕は仕方なく答えた。
「だって、よくあるんだけど生まれたばかりの赤ん坊を見て、みんなで、あらまーなんて可愛いんでしょうとか、エンジェルみたいじゃない? とかとにかく絶賛するんだよね、僕から見るとエンジェルどころかまるで猿の子供みたいに皺くちゃで醜くて、お世辞にも可愛いなんて言えたものじゃない。 それでも黙ってちゃ悪い、何か言わなくちゃと思うから、体重は? とか、生後何日目? とかどうでもいいようなことしか口から出てこない。 1度なんて慌てすぎて、何種? (犬じゃあるまいし) なんて訊いてしまったこともある。
その点、うん、この子はほんとに可愛い!」

そこに居た全員が吹き出したのはもちろんである。





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ルーシーの結婚式 2/2

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式のあと、そのまま引き続いて参列者は二階へと移り、バフェ式のディナーが始まった。
ルーシーがあちこちのテーブルを回って幸せな笑顔を振りまく。 高校生の頃は少しぽっちゃり気味だった彼女は今はスタイルが抜群に良くなって、美しい花嫁だった。






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義母のマーサはふだん写真写りがあまり良い方ではなくて、いつも気難しそうな表情になってしまうのに、このショットは悪くない。 過去に撮った写真のどれよりも真実の彼女に近いかもしれない。
相手をするのは義妹のキティ。






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両端がこれも双子のミーガンとマリー、真ん中で艶然と微笑んでいるのが今年大学を終えたばかりのジュリーだ。
みんな僕の姪にあたる。






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息子の太郎がおばあちゃんとの会話中。
後ろでこちら向きになっている眼鏡の男は義弟のジョンで、代々エンジニアの家系に育ちながら、そして本人も大学の工科を出ていながら洋服の仕立屋になったという変わり種だ。






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何気なく背中に手を当てているルーシーの指に光る結婚指輪と、それを見つめる新郎のダスティン。 ダスティンはこのあとシャンペンを飲み過ぎて酔っ払ってしまい、ウェディングケーキを切る時に姿を現さないので探したら、洗面所でゲエゲエやっていた、というハプニングがあった。

真ん中の黒いドレスは言わずと知れた我が Green Eyes である。
首に垂らすマベ真珠のネックレスは、彼女を初めて日本へ連れて行った時、僕の叔母が自分の持ち物の中から幾つか贈ってくれた物の中の一つだ。






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マーサの相手をしているのは、甥のクリスの婚約者のカザイアで、東京出張から帰って来たばかりの彼女は、初めての日本の印象をいろいろと僕に話してくれた。 その後ろでは息子の太郎と、彼にとって従妹となるシカゴから来たレアとの間で話が弾んでいる。






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僕は年長者の強みで、バーの長い行列に並ぶこと無しに、若い連中が気を利かせて次々とドリンクを運んでくれた。 おかげで1杯を飲み干す前にもう次のマテニーがそこに来ている。   






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花嫁のルーシー側の従兄妹たちを全員揃えて写真撮影が行われた。 一人だけ抜けているのは仕事の都合で出席がかなわなかった僕の娘のマヤだけである。






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この刺青のオーナーは双子のミーガンかマリーのどちらかなのだが、すでに6杯のマテニーを飲み干していた僕は、その判断も曖昧になっていた。 いや、酔っ払ってなくともこの双子の姉妹を見分けるのは難しい。 着ているドレスで判断できるといっても、どちらがどれということを忘れてしまえば、同じことだ。

このあと座はますます乱れ、ダンスが始まり、笑声が響き、ようやく花嫁を捕まえた僕が3分も踊らないうちに横から誰かが花嫁を攫(さら)っていった。 僕は急に煙草が吸いたくなって外に出る。 風もなく生暖かく湿っぽい外気の中で美味しく煙草をふかしていると、ポリスのクルーザーが寄って来て中から3人の警官が降りてきた。
「これは何のパーティですか?」 と警官の一人がていねいに訊いた。
「ウェディングだよ」 と答える。
「悪い奴らがいっぱいいるから、どうかしょっ引いていって欲しい。 僕の女房もその中に入れることを忘れないでね。」
3人の警官は声を立てて笑うと、そのまま車に乗り込んで去っていった。

(終)



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ルーシーの結婚式 1/2

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1

今回のフロリダ旅行は、実は姪のルーシーの結婚式がメインイベントだった。
ルーシーは僕の妻の弟、マークの長女である。
招待状を受け取ったあと、それならいっそこちらの休暇も兼ねてしばらく滞在しよう、ということになった。 そうでなければ飛行機で飛んでしまえば向こうに1泊するだけで、楽に往復ができた。 そう考えたのは僕の家族だけではなく、オハイオ州にそのほとんどが住む一族郎党も同じで、全員が飛行機と車で結婚式の前日に続々とマウント・ドーラに到着した。






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2

結婚式場になるタヴァーレス・パビリオンは、巨大なドーラ湖の畔(ほとり)にある。 というより、文字通り湖の上に建っていた。
当日はあいにく天候に恵まれず、ハリケーンの到来で朝から雷が鳴って雨が降っていたのが、式の始まる午後4時には雨だけは止んでくれた。






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3

今日の結婚式は教会での儀式を省く代わりに司祭をここへ呼んで、説教もできるだけ短くしてほしいと頼んだり、そのあとの披露宴も堅苦しさを排しカジュアルなパーティに企画したのは、義弟夫婦のマークとローラの性格がよく表れていた。
なにしろ気温33度という暑さだったから、参列者の男性など上着無しでの出席が多かった。






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4

僕の姪にあたるキャサリンとドイツ人の夫ハインリッヒ、そして生後4か月のレオ。
レオは僕の義母にとっては最初の曾孫となる。
左端のカップルは婚約中のクリスとカザイアで、 仕事で日本に出張中だったガールフレンドのカザイアは、この日の前日に東京からの直行便でオーランド空港に着いた。
因みにクリスとキャサリンは双子である。






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5

式が始まるのを待ちながら改めて思い出したのは、今日の結婚式の企画の段階で、僕にオフィシャルのフォトグラファーとして式全般の写真をとってほしいと、義弟のマークから要請があったことだ。
僕はそれを断っている。 生まれた時からよく知っている姪のルーシーの結婚式なら、最初から終りまで思う存分に楽しみたい。 仕事として取ってしまえばそれができない、という理由からだった。 マークはもちろん理解してくれて、本職のフォトグラファーを雇ったようだ。






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参列者の3分の1はオハイオから来た我が一族郎党で占められていたが、あとは新郎であるダスティンの家族や、地元のマーク夫婦とルーシーの友人たちだった。






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赤いドレスの長い黒髪の女の子を見て、僕は今回出席できなかった娘のマヤのことを思っていた。
マヤが結婚することなんてあるのだろうか…






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6人のフラワーガールの中の2人は、ルーシーの妹のヘレン(前)とタミーが務めた。
大学に行くヘレンは美術専攻で写真を選んだのは、叔父である僕のせいだという。 赤ん坊の時から家のあちこちに飾られた僕の写真を見て育ったせいかもしれなかった。 ふだんでもよく僕に電話をしてきて写真のことであれこれと質問をする。 15人いる甥姪の中では、僕には一番近い存在といえた。






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この、たぶん兄妹だろう可愛いカップルは誰の子供だろうか、見当がつかなかった。
この子達の今日の役目はリング・ベアラー、つまり結婚の儀式で2個の結婚指輪を司祭に届けるという役目だった。






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やがて花嫁の父であるマークが、ルーシーをエスコートして登場する。
妻の一族には僕が義弟と呼ぶのが7人いるが、その中で僕と気が合うという点ではこの男が文句なしに一番だった。






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儀式の途中、指輪を交換したあとで新郎のダスティンが泣きだした。
数多い困難を乗り越えてやっとルーシーを獲得した、というわけでもないのに感情の起伏の激しい男なのかもしれない。
ルーシーはそれを見ながらニコニコとしているのは、こういう場面では女の方が肝が据わるのに違いない。
このダスティンには僕らは数年前のフロリダ旅行ですでに会っている。 二人が交際し始めってからまだ間もない頃で、こうやって結婚にまで漕ぎ着けることになるとは思ってもみなかった。






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晴れて夫婦となったダスティンとルーシー。
荘厳な結婚行進曲などなく、満場の拍手に包まれてあっさりと退場するのは異例かもしれないが、明るくさっぱりとして気持ちのよい結婚式だった。
ルーシーはこの写真をとても気に入ってくれて、フェイスブックのアバターをさっそくこれと入れ替えた。






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二人の孫、マイケルとスティーブの兄弟にエスコートされて退場するのは僕の義母のマーサ。 もちろんルーシーの祖母で、今日の結婚式では最年長である。
今回のフロリダ旅行も、飛行機に乗らないほうが良いと医者に言われていたのを、孫の結婚式に出れないなら何で生きているのか意味が無いと言って押し切って出席した。 一族に流れる頑固なドイツ人気質は彼女が源なのだ。






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退場する花嫁の両親、マークとローラのずっと後ろで振り返っている女性がダスティンの母親で、僕はついに話をするチャンスがなかったが、聞けばダスティンを産んだあと離婚をして、さらに結婚と離婚を2度繰り返したという。 ダスティンの父親は出席せず、その父親も3度めの結婚をしたばかりだそうだ。 ダスティンにとっては両親と呼べるものが何と6人もいることになる! しかもそれぞれの子供たちがすべて兄弟姉妹となるわけだから、その家系の複雑さは想像もできない。






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15

花嫁ルーシーの両親、マークとローラ。
しょっちゅう喧嘩をするくせに、今日は心から幸せそうな二人だった。
この二人のことは前に 『夫婦げんか』 に書いている。


(続く)



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950マイルの旅

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車の旅


今回の車の旅は片道950マイル(1500キロ)、日本で言えば横浜 ↔ 稚内がその距離にあたる。
長距離旅行なら以前に、ケンタッキー州のバーズタウンから西海岸のラスベガスまでの1900マイルを大陸横断したことがあるが、その時は途中で2泊しているし、ボストン時代にデイトンまで何度も車で往復した時は、800マイルの距離をこれも途中で1泊することの方が多かった。
また、サウスカロライナ州のヒルトンヘッドまでは2度行っていて、その距離は750マイル。 これは1日で走破した。 そういえばニューオーリンズまで一人で850マイルをノンストップで走ったことがあるが、あの時はモタモタ走るホンダではなくて、ハイウェイ・パトロールも追いつけないアウディのS4だったから速かった。 僕もまだ若かったし…

どちらにしても、 今回のフロリダ行きはノンストップで走る距離としては新記録ということになる。
ただ、今までとの大きな違いは、息子と運転をシェアできるということだった。 市街地での息子の運転にはヒヤヒヤさせられることがあったが、ハイウェイに乗ったあとは安心して任せることができた。 それで今回は行程の3分の1を息子に運転させた。
彼がハンドルを握るあいだ、僕は後部座席でヘッドホーンのレッド・ガーランドを聴きながらぼんやりしていればよかったが、目をつむることがついにできなかったのは、人の運転する車に同乗する時はいつものことだった。



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A = Oakwood, Ohio
B = Mt.Dora, Florida


地図を見ればすぐわかるように、今回の旅は国道75号線を真っすぐ南下するだけの、子供でも迷いようのない簡単なルートで、オハイオ → ケンタッキー → テネシー → ジョージア、の各州を抜けてフロリダへ入る。 最終目的地の義弟のマーク一家が住む家は、75号線がマウント・ドーラの町に入るやいなやそこでハイウェイを降りれば、15分で着いてしまう。 つまり、わが家とマークの家とは只の一本道に過ぎない。 長い長い一本道である。



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警告: 毒蛇に注意


アメリカのハイウェイに沿って、数十マイルごとに現れるレストストップは、日本と違ってガソリンスタンドも無ければ食堂もない。
あるのはトイレと、スナック、キャンデー、ドリンクの自動販売機だけだ。 そしてその施設の周りが必ず広大な芝生になっていて、幾つかののピクニックテーブルがあったり、犬の散歩地域が指定されていたりする。
しかし毒蛇の警告標識を見たのは初めてだった。

予定した行程をできるだけ短時間に縮めるには、レストストップをどれだけ減らすかにかかっている。
1回のストップに10分掛かるとして、6回で1時間の損失だ。 とはいえ、女性の同行者がいる限りこれは諦めるしかないことだった。 日本で売れているという携帯トイレの話をして、皆で笑った。 これはアメリカで売れるとは思えない。 レストストップが間に合わなければ、ハイウェイのどの出口で降りても、すぐそこにガソリンスタンドやレストランが必ずあるから。



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ワッフルハウス


ハイウェイの出口に必ず見る幾つかのレストラン。
マクドナルド、バーガーキング、KFC、ピザハット、それと懐かしいワッフルハウス。
3人の合意のもとに10年ぶりぐらいでワッフルハウスに寄ってみた。
ファーストフードよりはもう少しましなファミリーレストランで、もともとジョージア州で1950年代に最初の店を開けたあと、現在は1700以上の店舗を持つチェーン店だが、日本にはまだ上陸してないのかしらん、と思う。

昔とちっとも変わっていない、かなり毒々しい絵入りのメニューは、値段だけ少し高くなっていたがそれにしても安い。 昔は量の少ないのが不満であれこれ追加したものだが、大食のできなくなった今の僕のランチにはちょうど良かった。 ただ一つの問題はビールもワインも置いてないことだったが、僕は車の中で紙コップに注いだワインを持ち込んで、周りのテーブルやウェイトレスに隠しながら飲むことでその不満を解消した。 僕がオーダーしたのは好物のBLT(ベーコン、レタス、トマト)のサンドイッチ。 それにここの名物のハッシュブラウンが付いてくるのも昔と変わらない。

店を出たあとで、「あ~美味しかった」 と言える食事とは程遠いとしても、ファーストフードのようにただ空腹を満たすだけのものよりはずっと良かった。
アメリカのレストランはハイウェイを離れない限り、いや少し離れた町へ立ち寄っても、日本のように所変われば品変わるということが絶対にない。 「だから、どこへ行っても安心して食べられるんだよ」 とアメリカ人は言う。 彼らはローマへ行っても東京へ行ってもマクドナルドやKFCを探すのはそういう理由があるわけである。




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