過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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動物好きの絵描きさん 25 カーディナル

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雪の中のカーディナル 2015
By Green Eyes


カーディナルは、日本でフィンチと呼ばれる小鳥のことだ、と長いあいだ思っていたんだけど、調べてみるとどうもそうじゃないらしい。
英語では cardinal と finch の両方の名があって鳥類としてもそれぞれ別の科に属してるみたいだ。
ウィキペディアを見ると、カーディナルは北米と南米にしか見られず、フィンチは世界中に分布している、と書かれているので、
日本にはフィンチはあってもカーディナルと呼ばれる小鳥が見つからないのはそれが理由なんだ、とようやく分かった。 英和辞典で cardinal を引くとフィンチと出てくるのはあれは正しくないんだな。

フィンチならわが家でも以前に飼っていたのを思い出した。 あれは一昔前のボストンで、日本人の製図家のY君がフィンチを何十羽と飼っていて、その中の数羽をうちの子供達にプレゼントしてくれたことがあった。 そのあとボストンからデイトンへと引っ越した時には、鳥籠に入ったフィンチは車の後部座席で子供の膝に乗せられて一緒にやってきたんだけど、そのうちになにか悪い病気にかかって、1羽づつ死なせてしまい結局ぜんぶ死んでしまった。

フィンチは雀よりも小さくて可愛い小鳥なのにくらべると、カーディナルはずっと大きい。 それに色もずっと華やか。 とくにオスのカーディナルはその鮮やかな赤で、遠くからでも判別できる。 というのは、わが家の前庭の楓(かえで)の木に下がっている餌箱に毎朝やってくるからだ。 何十羽もの雀やシジュウカラ、キツツキ、などの一群に混じって、いつもペアのカーディナルが、起き抜けのパジャマ姿のわが Green Eyes がエサを与えに玄関から出てくるのを待っている。
ところが、彼女がエサを箱に入れた途端にまずやってくるのはリスだった。 そのとたん、小鳥たちはパッと空に散って周りの樹の枝に留まり、恨めしそうにこの無礼な侵入者を眺めている。 わが Green Eyes が手を叩いでリス達を追い払っても、彼女が家に入ってしまうとまたすぐに戻って来て忙(せわ)しなくエサを漁る。
その無法者達を、樹の下から上を見上げて大きく吠えて追い払うのは、うちの犬のパイシーの役目となっている。 小鳥達にとってのパイシーは無力な弱者の味方、正義の番犬の役割を果たしている。

この楓の下には、冬になって雪が積もると近所の森から出てくる鹿が、地面に落ちた鳥の餌のおこぼれにありつこうと、毎夜のようにやってくるんだけど、その雪も今年はまだない。
今夜のテレビでは、コロラド・スプリングの町の婦人科診療所 (Planned Parenthood) に押し入って数人の人質を射殺した中絶反対者が、警察に逮捕されて、降りしきる雪の中を連行されていく映像がニュースに映しだされていた。






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パリは燃えているか

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モンパルナスの秋
Montparnasse, Paris


秋がどんどん深まっていく。
その鎮静な空気の中で、僕の心は嫌でも内へ内へと向かっているようだった。
庭の芝生にぎっしりと堆積した乾いた落ち葉が、冷たい風に吹かれてつむじを巻きながら空に舞うのを眺めながら、「生きる」 ことの無意味さをつい思ってしまう。
こんなんじゃだめだ。 何とかしなければ…

そんな中でパリのテロ事件が起こった。
これは良くなかった。
そうでなくても、濁った沼にはまり込んでしまったような厭世的な気分になっていたのが、さらに深みへと引っ張り込まれたようだった。
このところ、無気力に毎日を過ごしている僕だった。 友人へのメールの返事は書かれることはなく、ブログの更新は忘れられ、締め切りを過ぎた仕事はそのまま放って置かれた。 そして1日中テレビの前でパリからの実況を見ているうちに時が過ぎていく。
こんなんじゃだめだ。 何とかしなければ…


テロ集団 ISIS がアメリカに送りつけてきたビデオを見ると、彼らが次の標的としているのはワシントンDC かニューヨークのタイムズ・スクエアだと明確に予告している。 それがただのハッタリかどうかはもちろん誰にもわからないが、これまでは比較的小規模の集団と見られて、9/11の時のアルカイダほどの高度にシステム化された戦闘力は無いと思われてきた ISIS が、実はそれほど幼稚な集団ではないということが、前回のロシア航空機の爆破で証明されてしまった。
ISIS が発行する英語版のプロパガンダ雑誌には、あのロシア航空機の爆破に使われたものと同じだと自称する爆弾が写真入りで紹介されていた。 ただの小さなソーダ缶である。 旅客機の機内には持ち込めないとしてもラゲッジの中にこっそり忍ばせるのは、これほど簡単なことはないだろう。
ソーダ缶に穴を開けて中の飲料を捨てたあとに、高性能の爆薬を注入して、それに電池式の小さな起爆装置を着けたものと思われる。 時限装置を着けるほどのハイテックなものではない、とアメリカ当局は見ているようだ。 自爆を覚悟で旅行者に紛れ込んだ ISIS のテロ分子が、時を見て乗客席でリモートコントロールのスイッチをオンにするだけ。 それだけで224人の命が一瞬にして空中に散った。

そしてパリの多発テロの数日後、フランスの捜索団がパリ郊外のアパートに ISIS のアジトを突きとめて乗り込んだ。
数人を検挙したが、爆弾チョッキを着た女性の要員はそばにいた一人を巻き添えにして自爆している。 もしこの検挙がなければパリ市内のどこかで次の爆破計画が遂行されたのは間違いない。


こんなふうに次から次へと起こる一連の事件に、ISIS の次のターゲットになっているアメリカ国民の危機感はいやでも高まっているようだ。 彼らにとって幸いなのはアメリカは巨大国とはいえ一応は島国であることだろう。 陸続きのヨーロッパと違って簡単に入国は難しい。 だからこそ、シリアからの何十万人という難民を受け入れるかどうかで、アメリカの議会は大騒ぎになっている。 もともと難民の寄せ集めだったと言っていいアメリカだから、他国からの犠牲者に対しては十分な同情を持つ彼らだけど、そのためにアメリカ自体が危機に晒されるとなると話は違ってくる。 そう、難民にまぎれ込んだ ISIS の侵入を恐れているのだ。


これを書いている今も、パリからのニュースは刻一刻と入って来る。
パリ郊外のアジトで自爆した女性のそばで死んだ男は、ヨーロッパ中の国が捜索していた、今回のパリ多発テロのリーダーだったことが、たった今判明した。 そしてフランス当局が公表した録音には、自爆直前にその女性が 「彼は私のボーイフレンドじゃない」 と叫んだ悲壮な声が鮮明に残されていた。


世界戦争が始まろうとしている。
そんな気がしてならない。





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性に目覚める頃 4

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裸身
Cincinnati Art Museum 2007




若い叔母

『性に目覚める頃』 なるタイトルで僕の少年時代を語る時に、どうしてもこの叔母のことを抜かすわけにはいかない。

僕の父方の一族には数人の叔母がいて、農家を実家とするこの叔母たちはそれぞれ近在の農家へと嫁いでいたが、いつもモンペ姿で田畑で働く陽に焼けた肌のこの叔母たちは、歳もずっと上で子供の僕から見ると 「お百姓のオバサン」 という感じしかなかった。
それに比べると、少家族の母方には僕が叔母と呼ぶ人は一人しかいなかった。
20代半ばの若い叔母だった。
東京の学校を出たあと郷里に帰って来て高校の体育の教師をしていたこの叔母は、僕が覚えている限り髪をボーイッシュに断髪にして、動作はいつもシャキシャキとしたひとだった。 すぐ近くに住んでいたので、しょっちゅうわが家にやって来た。 ひとりっ子の僕はいつも2階の自分の部屋で一人で遊んでいたが、叔母の声が階下に聞こえると何をやっていてもおっぽり出して階段を駆け下りた。 細い身体に背筋を真っすぐに伸ばしたこの叔母が、若々しく華やかなワンピースを着て元気よく姿を現すと、薄暗い陰気なわが家がとたんに明るくなる。 僕は嬉しさのあまりウキウキとして叔母にまつわりついたのは、いつもお土産に持ってきてくれるキャンデーだけが理由ではなかった。 叔母と一緒にいることでとにかく有頂天になってしまう自分だった。

子供の僕にとってこの叔母は憧憬と賞賛の的だったが、叔母にとっても僕はたった一人の甥っ子だったから、ことさら可愛がってくれた。 ある一線でピシャリと甘えを拒絶する母と違って、叔母は僕が甘えれば甘えるほど喜んでくれたのは、子供に厳しい母を見ていて叔母なりに可哀想に思ったのかもしれない。
体育の教師だった叔母は、畳の上でいろいろな体操を教えてくれたものだ。 スカートを思い切りたくしあげて白い脚を腿の上まで露わにする度に、僕はドキッとして見ない振りをしたが、そんな子供の好奇心など全く気にしないかのように、その柔らかい体を折り曲げていろいろな多角的な格好をして見せてくれた。
その頃の叔母はうちのすぐ近所に小さな台所付きの6畳一間のアパートを借りていて一人暮らしだったから、小学生の僕は母に勧められて週末の夜などよく泊まりに行ったものだった。 叔母と僕は6畳の間に布団を2枚並べて寝た。 寝間着に着替えた僕がいつも叔母より先に布団に潜り込んで、台所の後片付けなどを済ませた叔母が寝床へ来る時には、もうぐっすりと眠り込んでしまうのが常だった。

ある夜、ふと目が覚めたことがあった。
薄 暗く灯りを落とした電灯の下で叔母が着替えをしている。 僕のすぐ目の前で着ていたものをくるくると脱ぎとって白い下着1枚になった叔母の裸身がそこにあった。 向こう向きのままで何か溶液のようなものを丹念に全身に塗っている。 それはいつか美術図鑑で見たことのあるギリシャの彫像を思い出させる美しい光景だった。 腕を上に伸ばしたり脚を広 げたりするたびに、淡い光の中の素晴らしい肢体が次々と形を変えていく。 僕がいつものようにすでに眠っていることを疑わずに、叔母は前かがみになるとあっと息を呑むような大胆なポーズをとった。 僕は身体が震えて喉がからからに乾いていた。 見てはならないものを見てしまったという罪悪感よりも、あれほど好きで憧れているひとの裸を見てしまった興奮の方がはるかに大きかった。

そのことがあってから、叔母の家へ泊まりに行く楽しみがさらに大きく膨らんだ。 しかしその度に毎回叔母の裸身を見ることができたわけではなかった。 大抵の場合、僕は叔母が床へ来るのを待っている間に、襲ってくる眠気に勝てずいつの間にか眠ってしまったからだった。 今日こそは、と必死にがんばっていてもだめだった。

忘れられないことが起こったのはその頃である。
あれは秋か冬か、ちょうど今のような寒い季節だったに違いない。 いつものように叔母と布団を並べて寝ていた僕は、朝になって目を覚ました時に寒くてごそごそと身体を動かしていたらしい。 それを聞きつけた叔母が 「どうしたの?」 と声をかけてきた。
「うー、寒いー」 と言って身体を縮める僕に、「こっちにおいで」 と叔母が誘った。
その時とっさに、 「ううん、いい」 と答えてしまったのは、恥ずかしさからだけではなく、何となくいけないことをしようとしているような危険な誘惑の匂いを子供心に感じ取ったからに違いない。 そして断ってしまったことに、僕は後悔をした。 2度と手に入らないものを逃してしまったような大きな失望だった。 しばらくしてから僕は勇気を出して言った。 「やっぱり寒い…  行っていい?」
「うん、おいで。 暖かくしてあげる」

僕は自分の布団を抜け出すと、叔母のそばへもぐりこんでいった。


(続)








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