過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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September30

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2016年01月

2016/01/18  自殺の季節
2016/01/13  太郎の手袋
2016/01/04  申年の女

自殺の季節

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わが家の兵馬俑(へいばよう)


僕のまわりでつい最近、二人の男が相次いで自殺するというショッキングな事件が起きた。
この二人はもちろんお互いにはまったく無関係で、その一人など息子の親友の父親というだけで、僕にはつい会う機会さえなかった人だ。 しかし息子にとってみればその人はただの知り合い以上の人だったようで、彼の家庭でいっしょにテレビのスポーツ観戦をしたり、親友と3人で何度か釣りに行ったりしたそうだから、その衝撃度は僕とは比べものにならなかったに違いない。
退役した警察官だという60代のその人は、家族が外出したあとの自宅の地下室で拳銃で頭を撃ち抜いた。

自殺したもう一人はスティーブだった。
スティーブは妻の弟がまだ大学生だった若い頃からの仲間の一人だったから、僕は彼をもう30年以上も知っているということになる。 僕が初めて妻の実家を訪れた時に、僕らはまだ結婚前で妻の実家には泊めてもらえず、当時スティーブと義弟がシェアしていたアパートに2週間ほど世話になったのが始まりだった。 電子機器の製作所に勤める彼は結婚して子供もあり、50代になった今では部長に昇進していた。 彼の顔をしょっちゅう見るというわけではなかったけれど、僕らの一族の集まりにはよく出席する常連の一人だった。
そういえば、つい数か月前のマイケル(僕の甥)の大学卒業のパーティでたまたま彼と隣り合わせの席に座り、久しぶりにあの頃の昔話をして懐かしんだばかりだったのに。
そのスティーブは先日、自宅のガラージで首を吊って死んでしまった。

話を聞くとこの二人とも鬱病気味で、医者に薬を処方してもらっていたそうだけど、それほど強度の病状ではなく、家族の人達にさえその深刻な苦悩は伝わっていなかったらしい。
現に、数か月前にスティーブと親しく話した時にも、そんな危険な気配などまったく感じられす、飲んで笑って一晩をいっしょに過ごした。 その彼の、誰にも見せない心の奥深くは大きく病んでいたのかもしれない。


世界保険機関(WHO) の資料によると世界中で1年間に約80万人が自殺している。 40秒ごとにどこかで誰かが自殺するそうだ。
自殺の理由は 「精神病」 というのが圧倒的にダントツで多く、その下に 「愛情問題」 「最近の危機感」 「健康問題」 の順で続き、それからずっと低いところに 「仕事上の問題」 「財政困難」 があるようだ。 自殺は男性が圧倒的に多く、女性の3 ‐ 4倍にもなるという。

理由が何であるにしろ、自分の命を絶つほど切羽詰った状態になったことが無い自分のような人間は、ラッキーだと言えるだろう。 僕の人生はもちろん順風満帆というようなものではなく、むしろそれからはずっと程遠く、山あり谷ありの繰り返しだったから、時にはギリギリまで追いつめられたことも数知れずあった。 それでも本気で自殺を思ったことはなかったような気がする。 もっとも、 「もう死んでもいいや」 と絶望の状態に陥ったことはあったけれど、その時でさえ自殺を考えたことはなかった。
「何とかなるさ」 という楽観というか諦観というか、そんな気持ちが常に自分の中にあって、そのおかげで周りの人たちに迷惑をかけながらも、いつのまにか難局を切り抜けていた。

精神的に病んでいない限り、自分で自分の命を絶つには恐ろしいほどの勇気と決断力が必要なのだと思う。
根が怠け者の僕はその勇気も決断力も持ちあわせなかったことを、ありがたいと感謝している。 第一、自分が突然いなくなってしまったら、それを悲しむ人がいると思えばそれだけでも自殺を思いとどまる理由になる。 いつか必ずまちがいなく死はやって来るのだから、それをことさら早めるのはもったいなさすぎる。 どんなことがあっても生きてさえいれば、「いつか良いことあるさ」 と思いたい。



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太郎の手袋

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雪の森へ


雪になるという予報が当たった。
今朝起き抜けに外を見るとそこには白の世界があった。 ふだん見慣れている風景が驚くほど新鮮に目に映る。 今年の冬に初めて雪らしい雪が降ったのだ。 よし、となんとなく浮き浮きして出かける準備をする。 雪の森へ。
アウディにはしばらく前にスノータイヤを履かせたばかりだし、自分もジーンズの下にスパッツを履いて(これは日本からM子さんが送ってくれたもの) 上はフラノのシャツにセーターの重ね着、その上にさらにスウェードのコートを着て長いマフラーを首に巻きつける。 何しろ外は零下15度の寒さなのだ。 ただし、靴だけはふだんのスリッポン。 というのは足を窮屈に締めつけるあのブーツというやつに僕は先天的な拒否感があって、昔から雪の中でもブーツを履いたことがない。 あとはボルサリーノの帽子をかぶり最後に手袋をすれば、雪の森へ入る準備は整ってしまう。

手袋といえば僕は何組かもっている。 厚手の革製のものや太い毛糸で編まれたやつ、それにエスキモーが着用するようなごついミトンなどを長年使ってきたけれど、そのどれにもいつも不便を感じたのは、カメラを操作するたびにいちいち脱がなければならなかったからだ。 1度など、ラップシンガーが着用するような指先だけ外にでるようなやつを試してみたことがあるが、これはたしかにカメラの操作には便利とはいえ、氷点下の寒さの中では指先が凍ってしまい使い物にならなかった。
それが、2年ほど前から愛用しているこの手袋はすごく気に入って、今ではもうこれ以外をまったく使わなくなってしまっていた。 それは濃い茶色の、薄くて驚くほどしなやかな上質の皮でできていて、内側はウールのライニングが付いている。 手にはめると5本の指先にピッタリと密着するので、そのままでカメラ操作だけではなく大抵のことはなんでもできるのは。便利この上もない。

この手袋は息子の太郎のものだったのを、ある時、家に忘れて行ったので試しに手にはめてみたら、びっくりするくらい具合が良いのですっかり惚れ込んでしまい、そのまま略奪してしまった。 代わりに僕のものを使えと言ってみたのに、もともと手袋を好きではないらしい太郎はそれもしなかった。 それでも僕がかなりの罪悪感を感じたのは、実はその高価な手袋は太郎のガールフレンドからの贈り物だったからである。
その女の子と太郎は、2年ぐらいつき合ったあと別れてしまった。
心を込めた贈り物を父親に譲ってしまうような無神経な男だから、というのが原因というわけでもなさそうだけれど、一方的に息子から手袋を取り上げてしまった父親の僕としては、なんとなく後味の悪い話だった。 だから今でもこの手袋を手に取る時によく彼女のことを思い出す。
かんじんの息子の方は過去の恋人のことなんかもう忘れてしまったかのように、最近になって新しく知り合った女の子とのデートに忙しい。



手套を脱ぐ手ふと 休(や)む 何やらむ こころかすめし思ひ出のあり
石川啄木



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申年の女

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2016年 元旦のマヤ



クリスマスから正月にかけてマヤが帰って来た。
こうして家に帰って来たのは2012年のクリスマスが最後だったのを思い出すと、3年ぶりの帰省ということになる。
それなのに、すごく久しぶりという気があまりしないのは、去年の6月にマヤの住むピッツバーグまで家族全員、といっても女房と息子の3人で押しかけて数日を過ごしたから、顔を見るのは半年ぶりというわけだし、ふだん電話やメール、フェイスブックなどでしょっちゅう家族間の交信があるせいだろう。

そのマヤが、申年の今年は年女だと気がついた。
9月には36歳だと? なんとまあ年増になったものだと驚く。
世間並みに言えば結婚して子供があっても不思議ではない歳なのに、いまだに独身なのである。 まわりに男友達を多数に持ちながら、そしてその中にはマヤを本気で好きな男性が幾人かいるらしいのに、恋愛や結婚の気配がまったく無いようだった。 その理由を本人に訊ねたことはない。 彼女が過去に経験した2つの恋愛がそれぞれ別の理由で悲劇的な結果に終り、それで彼女が大きく傷ついたことは、父親の僕にはよくわかっていたから。
今ではマヤは、多忙な仕事に没頭しながら、多くの友達に囲まれた私生活を楽しんでいるらしく、その幸せそうな顔を見るのは、父親としては嬉しいことだった。



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4歳の誕生日のマヤ





ところでそのマヤは酒に強い。
元旦の夜、家族で食卓を囲みながら話が酒のことになった。
お父さんが酒が好きなのは理由があるんだよ。 と僕が昔話を持ちだす。
あれは確か僕が10歳のころ、一族郎党がそろって団体を組んで汽車に乗り、隣町の松江市で催されていた大きな博覧会を見物に行ったことがあった。 その時どこかのレストランで昼食をとった時に大人たちが酒を飲み始めた。 僕の臨席にいた父が、飲んでいた生ビールのジョッキを僕の前に押しやると、「一口だけ飲んでみるか?」 と言った。 うん、と答えて僕は重いジョッキを両手で持ち上げて、ゴクリと喉を鳴らして飲み込んでみた。 そして、世の中にこれほど美味なものが存在するものなのか、と子供心に驚嘆してしまったのである。

この話を聞いたマヤが
「そういえば、お父さんは私が6つの時にスコッチを私に飲ませたのよ」 ととんでもない事を言い出した。
母親が外出して僕とマヤとが2人きりでいた時に、僕が飲んでいたスコッチのオンザロックを、アップルジュースだよ、と言ってマヤに少しだけ飲ませたという。 それがあまりにも美味しかったのでもっと飲みたかったのに、僕はダメダメと言って飲ませなかったそうだ。 その代わり、それ以後は同じことが数回起こったという。
僕にはまったく記憶に残っていない話だったが、そばで聴いていた女房が 「あなたまあ、なんて事を…」 と非難の眼でこちらを睨んで絶句している。
僕は僕で30年ぶりに明るみに出た秘密に、なんという父親だったのだろうと我ながら呆れていた。
そうか、自分の父親が僕にしたことを、知らないでそのまま自分の子供にやっってたんだ。 僕はそのままアルコール依存症になってしまったのに、マヤはそうはならなかったのはありがたい。 どうか酒にも男にも強い女になってくれよ、とこれは言葉に出さない心のなかで父親の僕が念じた2016年元旦の祈願だった。


マヤに起こったいくつかの不幸せなことは、ずっと以前、『娘への手紙』 に書かれている。



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