過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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September30

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2016年02月

2016/02/26  この頃のこと…
2016/02/18  ミッドナイト・ラン
2016/02/13  アルルにて

この頃のこと…

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ヴェネツィアの朝


最近どうも眼鏡が合わなくなったようだ。
見るものすべてにうっすらと紗がかかったような感があって、外の風景を見ても机上のモニターを見てもなんとなく不鮮明で、車の運転をしても道路標識の文字が読みづらくなった。 数年前までは近眼と老眼がうまく中和されたらしく、日常のたいていのことは眼鏡なしでできるようになっていた。 眼鏡なしで車の運転ができるなど、生涯を通じて初めての経験である。 さらに嬉しかったのはカメラのファインダーにピッタリと眼をつけられるので写真がずっと撮りやすくなったり、夏にはクールなサングラスをかけられるようになったことだった。

ところがそのあと視力がさらに悪くなって、2年前に新しい眼鏡を作った時に僕の眼鏡なしの生活は終りになった。 それが最近になってまたまたその眼鏡が合わなくなってしまったのである。 まあ2年も経てば視力が変わるのもしょうがないだろう、とそこでしかたなく眼医者へ行って検査をしてもらうと…

視力そのものはそれほど変わっていない。 しかし白内障が右の目に見られる、と言われた。
まだそれほど進んではいないけど、日常生活で不便を感じるなら手術をするべきだという。 手術と聞いて僕は一瞬ギョッとしてしまった。 つい今まで考えても見なかったことだったから。 眼鏡のレンズを変えれば済むことだと簡単に考えていた僕は、手術と聞いて眼球に針を突き刺したりメスで切ったりするのを想像して身震いしてしまう。 (僕は生まれつき医者とか病院が大嫌い、というより常に激しい恐怖感を抱いていた)。
医者の説明によれば、眼球内のレンズを人造のレンズと取り替えるわけだけど、15分ほどで終わってしまうわりと簡単な手術で、今では誰でもやっている。 麻酔をかけるからなにも感じなく知らないうちに終わってるよ。 失敗の危険度はほとんど無い。 それに両眼じゃなくて悪い方の右眼だけだし、まあ、考えておいてください。 などと気軽に言っていた。

家に帰ってからあれこれ考え続けたけど、どうも踏ん切りがつかなかった。 危険度はほとんど無い、ということはいくらかはあるということじゃないか。 もし失敗して眼が潰れてしまったら、そのあとの一生を黒い海賊眼帯をかけて生きることになるのか。 あの今は亡くなった女房のおやじさんみたいに。
でも片目が潰れてもまだもう一つの眼があるからいいか? とも考えたりする。 でも片目じゃ車の運転もしにくいだろうし、テニスだってもうできなくなるだろう。 などといくら考えてもどうしても踏ん切りがつかなかった。

そんなある日、郊外に住むある知人を訪ねた。
この夫婦は数年前に新築の家を建てて市内のアパートから引っ越して行った。 その時、新築祝いとして僕の写真を額装して贈ったことがある。 ヨーロッパに何度も旅行しているこの夫婦は、僕のヴェネツィアの運河の写真をことさら喜んでくれて、新築の家の玄関の壁に架けていた。
今回の訪問でその写真を改めて見た時に僕は思わずギョッとしてしまう。
そこにはピンボケでなんともあやふやなヴェネツィアの運河が写っていたからである。(上の写真)
もちろん、ボケているのは写真じゃなくて自分の眼だとは十分に承知しながら、その瞬間、僕は決心をしていた。 こりゃあもう眼を手術するしかない、と。
そうすればこの知人の家にも元の鮮明なヴェネツィアが戻ってくるにちがいない。

誰だ?
ボケている写真の方がいい、なんていうやつは?




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3月23日が手術日となっている。





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ミッドナイト・ラン

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雪の兎
By Green Eyes


雪が降っている。
さかんに降っている。
昼過ぎから降り始めて夜になってもそのまま振りつづけ、窓を通して見る外の世界は完全に白一色となってしまった。 大きな雪片がひらひらと舞い落ちるという種類の雪ではなくて、粉雪と呼ぶほど小さくはない雪が、お互いの間隔をうんと縮めたまま真っすぐに地面へ落ちている。 これはいきなり積もってしまう雪ではなくて、時間をかけてゆっくりと積もっていく雪である。

夜の雪を見ているといつも頭に浮かぶ絵がある。 江戸時代の絵師、葛蛇玉(かつ じゃぎょく 1735-1780) の屏風絵なんだけど、頭に浮かぶのはそのご本人の絵ではなくて、その兎の部分だけを模写した、わが Green Eyes のこの絵だった。 白い兎や雪もいいけど僕の好きなのはその背後の、真っ暗に潰れないでかすかに景色を示唆しているようなあの暗闇なんだよなあ、などと思いながら振り続ける雪を眺めているうちに、僕の中でむくむくと動き出したある感情があった。 そうだあの場所へ行ってみよう。

僕は忘れていた大切なものを急に思い出したかのようにいきなり椅子から立ち上がると、あたふたと準備をして階下に降りる。 それを見たわが Green Eyes が 「こんな夜中にどこへ行くの?」 と訝るのに、ドアを開けながら 「ちょっと出る。 久しぶりのミッドナイト・ランだ。」 と答えて降りしきる雪の中をカラージへと歩く。 背後の彼女は 「んまあ…」 と言葉も無い。
このミッドナイト・ラン (Midnight Run) には少し説明の必要がありそうだ。

アウディに乗り始めてしばらくしたころ、このコースを見つけた。 (というより勝手に自分でコースを決めただけなんだけど) 自分の家から東に向かい市街地を抜けた所にベルブルックという村があって、20年前までは果てしないトウモロコシ畑やヒマワリ畑や広大な農場しかない、実にのどかな田園地帯だったのが、その後どんどんと住宅が建ったりして一変してしまった。 でも一変したのはこの地域のごく一部で、大部分はまだ以前の面影がそのまま残っている。 そこを1本の田舎道が通っていて、その道は幾つもの森や畑を抜け今もポツンとあちこちに残る農家を見たりして、くねくねとゆるい蛇行を続けながら鋭いヘアピンカーブが1か所、90度に曲がるコーナーが3か所、それに適当な坂まであって、車のドライブには実におもしろい道なのである。 しかもその道は自然のループになっているから、どんどん走り続けているとちゃんともとの出発地点へ帰ってくるようにできている。

このループは1周が22マイル(35キロ)あって、ふだんの昼間の交通が多い時間に1周すると約45分かかる。
それが、交通の絶えた夜中に思いきりアクセルを踏んだまま疾走するとだいたい15分で一周りできる。 そのかわり50マイル(80キロ)制限の場所を70マイル(110キロ)、カーブの多い35マイル(56キロ)制限の地点でも50マイル(80キロ) 以上のスピードで回らないと新記録は出にくい。 コースの全行程を通して6速のギアのうち使うのは4速まででほとんどが2速と3速だから、タコメーターの針は思いきり跳ね上がって常に3000から6000のあいだを行き来する。
このコースを人の寝静まった深夜にすっ飛ばすことを僕はミッドナイト・ラン (真夜中の疾走) と名づけて、ストップウォッチ(むかし暗室でフィルムの現像に使っていた) を首から下げて毎回、新記録更新に挑戦した。

1度だけポリスに追跡されて捕まったことがある。
人の良さそうな年配の警官が懐中電灯の光をまともに僕の顔に浴びせて、免許証の提示を求める。
「いかんなあ。 むちゃくちゃな運転をするのを見て、てっきりイカれたティーンエージャーだろうと思って止めてみたら、あんた立派なオトナじゃないですか? しかもわたしよりも年上の。」 (免許証から僕の年齢を知ったらしい)
僕は罪人らしくうなだれて 「すみません。 きつい仕事の残業で遅くなった帰りなんですけど、一刻も早く家族の待っている自宅へ帰りたくてつい…」 などと殊勝な言い訳をする。
「酒は飲んでないでしょうね?」
「いや。 飲んでません。 早く帰宅して1杯やりたいと思っていたところです。」 これも嘘である。 実はすでにマテニーを3杯飲んでいる。 彼はしばらく考えたあと 「まあ今回は見逃すことにしましょう。 しかし次回はそうはいかないからね。 オーケー?」
「はい。 気をつけます。 遅くまでお役目ご苦労さんです。」 と僕は急に元気になる。
もちろんこのできごとのあとも僕のミッドナイト・ランが終りになることはなかった。

話が横道にそれてしまった。
そんなわけで僕は今夜、久しぶりにベルブルックの村へと乗り入れると、 スノータイヤを履かせてあるアウディを雪の積もる田舎道に沿ってをゆっくりと走らせる。 今夜はストップウォッチもギアシフトもなし、ラジオのジャズを聴きながらの思索的なミッドナイト・ランとなった。

何気なくラジオのチャンネルをジャズからオールディーズ(めったに聴いたことがない) へと変えてやると、なんとまあ、あとからあとから懐かしい曲が出てくる。 どれも僕の10代から20代にかけて流行った曲で、聴いている僕はいつのまにかあの頃の自分と、その自分を取り巻いていた人たちや出来事を思い出している。 「バケーション」(コニー・フランシス)、「悲しき街角」(ザ・カスケイズ)、「ウォーク ドントラン」(ベンチャーズ)、「ロコモーション」(リトル・エヴァ)、「ダイアナ」(ポール・アンカ)、「オンリー・ユー」(ザ・プラターズ) …

そして出てきたのが、アダモの 「雪が降る」。
これほど今夜のミッドナイト・ランにふさわしい歌があるかい? と嬉しくなってしまう。
1963年に大ヒットしたこの曲には僕はいろんな思い出が詰まってるんだけど、あの頃のことを書き始めると1冊の本になるくらい長くなるので、今はそのビデオを載せるだけにしよう。 数多い動画の中からとくにこれを選んだ理由は、その雪道や夜景の映像が僕のミッドナイト・ランにピッタリと重なったからだった。
歌詞の中の "Blanche Solitude" (白い孤独) の1語がいつまでも心に残る。






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アルルにて

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《1》

アルルに行く予定は最初はなかったんだけど、アヴィニョンからまっすぐ南下して広大なカマルグ平野ヘ車を走らせている途中で、アルルの標識を見たとたん、ちょっとだけ寄ってみようよと、車内の誰もが言い出す。
「有名なカフェ・バン・ゴッホでランチはどう?」 と同行のM夫人なんかすでにその気になってウキウキしている。 アルルといえばゴッホ、という観光者的先入観が誰もの頭に沁みついているらしく、「そうしよう、そうしよう」 とその場で全員が賛同する。
ところがその 「カフェ・バン・ゴッホ」 での昼食が、今回のフランス旅行を通して最悪の経験になるとは…





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《2》

カフェ・バン・ゴッホに到着してみると、表のテラスにも店内にもひっそりとして客が一人もいない。 もう昼前だから時間が早すぎるはずはない。 なぜだろうと訝しんでいると、出てきた冴えない顔の若いウェイターはつい今までキッチンで下水修理をやっておりました、というかのように汚れた白シャツによれよれのズボン、ゼーゼーと息を弾ませている。 そのウェイターがニコリともせず、いらっしゃいもなく、怒ったように 「何人?」 と訊いてくるのに 「8人」 とこちらも怒ったように答える。





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《3》

2階の席へ付かされてから改めて店内をみわたすと、なんともお粗末なカフェである。
木の床はゴミなど落ちてないとはいえ、何日も拭かれたことがないらしく靴の底にベタベタとくっ付くし、安っぽいパネルが貼られた壁にはゴッホの絵のポスターが3枚だけポツンと架けられていて(そのフレームもまちまち)、しかもライトの一つは切れている。
われわれはお互いに顔を見合わせながら、ウェイターがなかなか出てこないのをさいわい 「どうする? ほかを探す?」 とひそひそと討議をしているところへ、さっきのよれよれズボンがメニューを抱えて現れる。 しかたなく諦めて腰を落ち着けたわれわれは、まるでアメリカの片田舎のパンケーキハウスみたいに100近い品目の並んだメニューに目を通しはじめる。





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《4》

そのあいだに頼んだワインがテーブルに来てそれを飲んでみると、うん、これはなかなかいいじゃない? とそこで初めて全員がほっとする。 気を取り直したわれわれは、このあと半日を過ごすアルルでの訪問地に話が移り、古代ローマ人が建てた巨大な円形競技場はぜひ見なくちゃねとか、開催中のピカソ展を覗いてみようか、などといろんな提案が出るのはいつものように楽しい。 8人の興味が全員一致しなくてもかまわない。 それぞれ別行動にすればいいだけのことだから。





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《5》

「カフェ・バン・ゴッホ」 で何の料理を食べたのかまったく覚えていないけど、はっきりと覚えているのは全員が半分以上を皿に食べ残したことである。 Y子さん以外は。
不味くて食べられないというほどじゃないにしてもお世辞にも美味とも言えないその料理は、なにしろ日本の大衆食堂の超大盛くらいのすごい量なのだ。 Y子さんはそれをきれいに平らげただけではなく隣の僕の皿にまで手を伸ばしてきて 「わたし粗食に強いのよ。 それにお腹ペコペコだし」 と恥ずかしそうに言い訳をする。 それにしても、われわれみたいに日本やアメリカから遠路はるばるやって来た旅行者が、わざわざ立ち寄るほどの料理とはとても思えない。





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《6》

「カフェ・バン・ゴッホ」 といえばどんな旅行案内書にも紹介されているほどの有名な観光地点の一つだから、店の内装にこだわったり料理の質を向上したりしなくても、きちんとしたサービスを提供しなくても、それに1度やってきた客が2度と絶対にくることはなくても、客がなくなるということは無いのだろう。
ここに来ることを主張したM夫人がごめんなさい、と何度も謝るのをなだめながらカフェを出る。 その時でさえ店内にははわれわれ以外には誰もいず、表のテラスで若い旅行者風のカップルがポツンとコーヒーを飲んでいるだけだった。





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《7》

アルルの町を歩き回っているうちに、いきなりM夫人の具合が悪くなる。
何かさっき食べたものが悪かったのだろう。 行きずりの洗面所へ籠もったまま長い時間出てこず、出てきた時にはもう歩けないほどひょろひょろとしている。 僕は急いで車を停めた地点へ戻ると一行が待っている場所まで車を動かし、その中で彼女を休ませる。 そのあとはM夫妻を車に残したまま、残りの6人でアルルの町の探索を続けることになるのだけれど、あれほどたくさん食べたY子さんは何ともないのには全員があらためて感心してしまう。

そしてこのあと、われわれは本来の目的地でありそこで2日間を過ごすことになっているカマルグ平野へとアルルの町をあとにする。不幸なるM夫人にとってもわれわれにとっても、とんでもないゴッホの思い出が残る町となってしまった。
その彼女もカマルグではすっかり元気を取り戻してくれて、全員にとって忘れらない良い旅となったのは、以前 『カマルグの白い馬』 に書いたとおりである。



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