過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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September30

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2016年04月

2016/04/28  夢一夜
2016/04/25  自分の中の日本 (3)
2016/04/23  
2016/04/22  自分の中の日本 (2)
2016/04/20  自分の中の日本
2016/04/14  人嫌い
2016/04/08  ある日…
2016/04/03  帰ってきた楊貴妃

夢一夜

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 アーチ、噴水、石畳
Seguret, France



このところ毎晩のように夢を見る。
以前よく見た夢のように刹那的で筋の通らない夢とちがって、近頃の夢は一つの話に定着してちゃんと物語になっている。 目が覚めたあとでも実際にその物語を経験したような生々しい現実感があり、あらためてその話を最初から克明に反芻することができた。 まるで自分が違う世界へ行って違う人生の一部を生きたあと、またこの現実へ呼び戻されたような奇妙な気分である。
おかげで最近は眠りにつくたびに、今夜はどんな世界へ連れて行かれるのだろうと楽しみにするようにさえなった。 こんなことは今までになかったことだ。
それというのはたぶん、掛かりつけの医者に最近なかなか寝つかれないとこぼしたら、処方してくれた軽い睡眠薬を服用し始めたせいのようだ。


ゆうべはこんな夢を見た。
僕はあの南フランスの山の上の小さな村、セギュレの石畳の路を歩いていた。
ひとりではない。
ふたりの連れがいてそのふたりはもう何年も連れ添った夫婦のようだった。 その見知らぬふたりを、この村へはもう2度も来たことのある僕が案内しているというわけでもなく、むしろふたりの後について曲がりくねった細い路を登っていた。





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村の夕暮



このふたりと僕は友人でも知り合いでもないのに、どうも奇妙な関係にあるようだった。 男はがっしりとした大きな体をしていてほとんど口をきかない。 細身の女の方は時々男に話しかけたり振り返って僕がちゃんとそこにいるのを確かめたりするのだが、そんな時、僕を見る女の眼が何かを訴えるかのように妙に熱っぽい。 おや、この女、俺に惚れてるのかなと思わせるような色っぽい微笑を見せたりする。
女は自分の好みのタイプではないし、そばにいる亭主らしい男はなかなか恐そうだ。 にもかかわらず、この触れなば落ちん風情の女にこれ以上誘われたら拒むことができるだろうか。 と思いながら僕は女のくびれた腰から視線を外して遠くの山脈にかかる雲を見ている。





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教会


山上の小さな教会に辿り着く。
何百年とそこに建っている教会のドアは重く、男と僕とが二人がかりで押してようやく中へ入ることができた。 うしろから入って来る女が僕の背中へそっと手のひらを当てるのを感じた。
燭台が幾つか灯されただけの薄暗い教会の中で、やがて男と女が抱き合ってダンスを始める。 音楽はない。
そのすぐ傍にぼんやりと立っている僕を、がっしりとした男の肩越しに女がじっと見つめている。 そしてこちらへまっすぐ手を延べてきた。 僕はその手を握りながら、ああこの女とは寝ることになるな、とはっきりした予感に襲われる。 それは嬉しいというよりはどちらかと言うと 「困った…」 という気持ちに近かったようだ。
僕は女の汗ばった手の平を離すとそのまま教会の外に出た。 石だらけのゆるい坂道をひとりで下りて行った。




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石の坂道



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自分の中の日本 (3)

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祈祷








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* 2011年に東京国立博物館で撮影した絵だが作者の名前を書いたメモを失くしてしまった。 インターネットでさんざん時間をかけて検索したけれど何も出てこない。
ご存じの方がいればどうか教えて欲しい。








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城下町








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煙草の煙








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庭下駄








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洞窟








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夜明け








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ロビー



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Dayton, Ohio, USA



右眼を手術してちょうどひと月が経った。
きのう診察してもらったらすべて順調で腫れも完全に引いている、あとは1週間のあいだ目薬を日に2度入れ続けろ、と言われた。 そして新しい眼鏡を作るための視力検査をしてもらう。 その結果、今の状態なら眼鏡無しで立派に運転免許証の試験をパスできると保証してくれたのは嬉しいが、このひと月すでに眼鏡無しで車を運転している僕は、はるか遠くの看板が見えにくいことを知っているので、そのためにも新しい眼鏡を作るのが待ちきれなかったのだ。 ところが医者が言うには左眼はまったく度が進んでいないからレンズの入れ替えは必要無い、今のままのフレームの右眼に新しいレンズを入れればいいじゃない、安上がりで良かったねと人の懐を見透かしたようなことを言った。 新しいフレームを買うことを予想していた僕はちょっとばかり失望したとはいえ、まあ余分なことに金を使うことはないか、と医者の言うことに従うことにした。

書いてくれたレンズの処方箋を手にしてその足で眼鏡屋へ行った。 1週間でできるという。
このひと月、眼鏡無しで不自由なく動き回れるのは嬉しいことだったが、なにしろ不便だったのは本を読んだりPCのモニターを見る時にはリーディンググラス、つまり老眼鏡をかけないとまったく何もできないことだった。 バイフォーカルの眼鏡に馴れた僕は一々かけたりはずしたりするのが面倒でしょうがない。 外に出る時も老眼鏡を持っていないと、店屋で値段表も見れずレストランでメニューも読めない。 そうか、細い老眼鏡を鼻の先までずらして掛けっぱなしにしている人をよく見かけるのはこれだったんだと納得する。 あれは高齢者の勲章のようにいつも思っていた自分も、今はその勲章をもらってしまったのか、とこれもまた寂しく納得した。 しかし何よりも腹が立つのは、写真を撮る時にファインダーを眼鏡無しで覗けるのは嬉しいとして、カメラの設定をあちこち変える時に機体の字や数字がまったく読めないからそこでまた老眼鏡を掛けなければならない。 そのあとファインダーを覗く時にはまた眼鏡をはずす、というバカバカしくて滑稽な動作を繰り返さなければならないことだった。
ああ、早く眼鏡ができて欲しい。



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自分の中の日本 (2)

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砂丘








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水車








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モミジ








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疎水








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古本屋








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蕎麦屋








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自分の中の日本

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ちまき








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吊し柿








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石楠花








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和食






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人嫌い

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誰もいない駐車場


最近よく感じるのは、以前からの 「人嫌い」 の兆候がだんだん激しくなってきたのじゃないか、ということ。
引退する前の会社では、それこそ毎日人に囲まれて人と取引をするのが仕事だったから、実は自分は人嫌いなんですなんて言っても誰にも信じてもらえなかった。 僕に言わせればあれは仕事だから仕方なくやっていただけで、できればひとりで部屋に閉じこもってひっそりと、それでいて金になるような仕事がもしあれば、と夢見ながらその機会はついにやってこなかった。

仕事を退いたあと、ひとりで過ごせる時間がいやというほど持てる身分になったわけで、それ自体はまったく苦にならない。
世間との交渉を絶つということが、こんなに楽しいものか、と自分でも驚いた。 交渉を絶つといっても山中の一軒家に独りで暮らすわけじゃないから、家族親族、近所、店屋など、周りとの接触は当然出てくる。 そういう接触を最小限にとどめるということを、べつに努力しないで自然とやっているようだ。 パーティなどに誘われてもそれがごく親しい人ばかりの小さな集まりでない限り、出席することはまずなくなった。 そして親しく気心の知れた人ならたまに自分から呼び出して会ったりさえする。 そういう時、自分でもびっくりするほどよく喋る。 だから僕は人嫌いというんじゃなくて世間嫌い、あるいは社交嫌いと言うべきかもしれない。

写真を撮るというのは、それが誰もいない駐車場であろうと、人で溢れるマーケットであろうと、孤独な行為だという点では変わりがない。 その撮った写真をPCに向かって時間をかけてあれこれ手を加えて編集するのは、さらに孤独な作業である。
そんな孤独な過程が僕にとっては実に楽しく、最後に1枚の写真が仕上がった時に、しみじみと幸せを感じる。
こんなんじゃ変人と呼ばれてもしょうがないね。




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ある日…

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インターナショナル フェスティバル 1
Wright State University, Dayton, Ohio


数年前に僕の個展を主催してくれたライト・ステート大学国際部門のディレクター、キャロルさんからメールが来て、学生たちがインターナショナル フェスティバルをやるのでよかったらいらっしゃい、と言ってくれた。 隣接のナッターセンターで半日だけのこじんまりとした集まりらしく、行ってみるとデイトン市が毎年やっている同名のフェスティバルとはその規模も観客数も比べものにならないほど小さい。 市民の娯楽というより外国人学生同士の親睦会という感じだった。

それでもステージではきちんと衣装を着けて民族舞踊を見せたり、幾つかの屋台ではエスニックの料理が売られたりしていた。 この会場になっているナッターセンターは市では最大のスポーツ施設で、バスケットボールやアイスホッケーの試合を見に何度も来たけれど、いつも観客席から見下ろしているだけでこうして中央のコートに立ったのは初めてである。 なるほどスポーツ施設もこういう使い方があるんだ、と感心した。





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2

パーティなどで群衆の写真を取る時は、その時は何も考えずにただシャッターを切るだけで、撮った直後にモニターでチェックすることさえしないのに、あとで家に帰ってからよく見るといつもきまってふーんと思うことがある。
人間とはなんと孤独な生きものだろう。 ということ。
そこに写されている一人一人の頭の中には、この瞬間何が去来しているのだろう?
お互いにこんなに近くに存在しながら、実際にはそれぞれの間に星と星ほどの距離を感じる。




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帰ってきた楊貴妃

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きのうのこと、朝から降っていた雨が止んで、遅れてすみませんみたいな感じで申し訳なさそうな陽が射してきたとき、何気なく窓から外を見てはっとした。
隣家の枝垂れ桜に幾つかの白い蕾がついている。
あっ、楊貴妃が帰ってきたのだ。 まったく予想していなかったので驚いて去年のブログを見ると、4月の14日の記事にその前日初めて蕾を見たと書いている。 今年はそれより半月も早い僕の楊貴妃の帰宅である。 よしよし、よく帰ってきた。 さあ何も言わずに俺の腕の中へおいで。 うんと可愛がってあげよう。 とそんな優しい気持ちになった。

そして明くる日の今日。
あっという間にもうこれだけの花をつけている。 外でさんざん浮気をしてきた女が忘れずにちゃんと帰って来てくれて、長いあいだ放っておいた男を喜ばせようと懸命に花を咲かせているのは、実にいじらしい姿だった。 怒ってなんかいないよ。 浮気女であろうと悪女であろうと構わない。 俺はあるがままのお前を愛している。 そして、お前が真実愛しているのはこの俺だけだ、とちゃんとわかっているんだ。
今年もまた春は短いけれど、その短い春を激しく燃えながらいっしょに謳歌しようじゃないか。
とにかく酒だ。 乾杯だ。







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