過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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2016年06月05日

歳をとったのかなあ (その2)

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自画像



この骨董屋はふだん余り足を向けることのない地域にあるので、たまに他の用事で近くまで来た時には時間さえあればのぞいて見るようにしている。
先日そこで目にしたのがこの置物だった。 6x9cm の木の台座に、見れば見るほど精巧に作られたミニチュアが乗っていて、ブルー系の色も綺麗だし、何よりも、自画像と題しながら本人とはまったく別の顔がキャンバスに描かれているのがおもしろい。 それをただのユーモアと取るか、もっと深く人間の潜在意識の描写が芸術だ、などと小難しく解釈するかは人しだいだろうが、僕はいっぺんで気に入ってしまった。 よく見るとキャンバスにピカソやレンブラントの自画像が貼り付けてあるのもいい。
そして $15 の札が下がるその置物を持ってレジスターへ立った時、僕はポケットに財布が無いことに気がついた。 家に置いてきたのだ。 ということは免許証も持たないで車を運転してきたことになる。 この骨董屋の女主人は50代のハッとするほど凄い色気のあるいい女で、僕がここへ来るのは売り物を見るためなのか彼女の顔(と身体)を拝むためなのか、自分でもわからない。 その彼女に訳を話して品物をリザーブしてもらい、急いでうちへ帰り、またいそいそと彼女のところへ取って返してようやく自分のものにしたのがこの置物というわけだった。

財布を持たないで外出するなど、以前ならまずなかったことが最近は時々起こるようになった。 それ以外にも 「ボケてきたのかなあ」 と思うことがいくつかあるのに気がついた。
そう言えば 『歳をとったのかなあ』 というタイトルでブログ記事を書いたことがある。
あれを書いたのはかなり以前のことで、今読み返してみて気がついたのはあれからもう5年以上たった今でも、そのほとんどは現在の僕にあいかわらず当てはまる。 ところが当てはまらない部分も出てきているしさらに新しく付け加えなきゃならない事実もある。 それはそうだろう。 なにしろあの時よりさらに5年分だけ墓場に近づいているわけだから。
つまり、『歳をとったのかなあ』 には改訂版が必要なのだ。 いや改訂版ではなくて増補版と呼ぶべきか。

まずあの時の記事をここにもう1度挙げてみると…


歳をとったのかなあ、とこのごろ思うのは、

・ マテニーが昔のように超ドライで飲めなくなったとき
・ 立ったままで靴下をはくときに片足でバランスがとれずよろめくとき
・ 運転中に大胆な追い越しや割り込みをしなくなったとき
・ 心の優しい醜女に魅力を感じたとき
・ 自分ほどテニスのうまくない30代の男性にシングルスで負けたとき (悔しくて夜眠れなかった)
・ 30年前に絶交した友の顔を懐かしく思い出すとき
・ 女性のヌードを見て純粋に芸術的に美しいと思うとき
・ しょうもないメロドラマを見て涙が溢れそうになるとき
・ 起ち上がるときに思わず 「よいしょ」 と声をかけているとき
・ 自分の容貌や服装が以前ほど気にならなくなったとき
・ 雲の流れや月の満ち欠けを時間をかけて眺めているとき
・ 自分の子供たちと電話で話しているときの声が以前よりも優しくなっているのに気がついたとき
・ 英語でファックとかシットとか汚い言葉を発言する回数が減ってきたとき
・ はらわたがちぎれるように怒っているのにニッコリと笑えるとき
・ 医者が次回の健康診断の予約を1年先に取ってくれたときに、それまで生きていたら、と冗談で答えたとき
・ パーティですご~く魅力的な女性が自分に強く関心を示しているのを軽く受け流せたとき
・ 老成した作家の名作が自分の歳より若いときに書かれたことを発見したとき



この中で1つだけ変わったのは、「自分の容貌や服装が以前ほど気にならなくなったとき」 という項だった。
5年後の現在、なぜなのか自分の容貌や服装が急に気になり始めたのである。 髭だって毎日ちゃんと剃る。 別に外出するわけでもないのに。 そして汚れたものを以前ほど平気で着ることができないようになった。 鏡なんてまず覗いたことのなかった僕が、今では1日に1度は鏡で自分の顔を見つめたり、外出前に等身大の鏡で全身をチェックするようになった。 この歳になって人の目を気にするようになったのは進歩なのか退歩なのか自分にもわからない。

というわけで上記のリストにさらに加えなきゃならないものの幾つかは…

・ 買い物をしていて、金を払う時になって財布を持っていないことに気がついたとき (これが今日の記事のこと)
・ 日常の会話やメールの文中で、「…だと思う」 とか 「…かもしれない」 という婉曲な表現が消えて断定的に言い切っている自分に気がついたとき
・ 急に思い出したことがあって急いで階下へ駆け降りたあと、何しに降りてきたのかわからないとき
・ 信号無しの横断歩道で犬を連れて立っている僕を見て、通りがかりの車が止まってくれたとき (サングラスをかけていたのでもしかしたらメクラと盲導犬に見えたのかも)   
・ 店屋の入り口で前にいる若い女性がドアを支えてにっこりと僕を優先してくれたとき
・ 風呂上がりに体重計に乗って体重が減っていないのを見てほっとするとき (増えているともっと嬉しい)。
・ 昔懐かしい映画俳優や有名人をテレビで見て、その加齢ぶりに息を呑んでしまうとき




歳をとったからといって人を愛せなくなるということはないわ。
でも、愛することで歳をとらないということはありえるわね。
ジャンヌ・モロー (1928 -)





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