過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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2016年08月

2016/08/25  雲を見ていたら
2016/08/16  朝の散歩
2016/08/08  やれやれやっと…

雲を見ていたら

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おうい雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきそうじゃないか
どこまでゆくんだ
ずっと磐城平(いわきたいら)の方までゆくんか
                                                      ――― 山村暮鳥





裏の川に出てみると、秋を感じさせる涼しい空気の中、空いっぱいに素晴らしい雲が広がっていた。
いや素晴らしいという表現では物足りなくて、英語の 'spectacular' という言葉がピッタリとくるような雲の群れだった。
驚いて思わず 'What a sky' とこれもまた英語が口から出てしまった。 出してしまってから気がついたのは、そういえば昔々、60年代の初めに同じ名の歌が流行ったことがある。 あれは 『太陽の誘惑』 という邦題で、クラウディア・カルディナーレが主演したイタリア映画の主題歌が "What a sky" だったのを思い出していた。 あの時はたしか映画よりも主題歌の方が世界中で大ヒットして、これを歌ったニコ・フィデンコの名があっという間にポピュラーになった。
あの映画で僕が忘れないのは、主演のカルディナーレじゃなくて助演のアントネラ・ルアルディというちょっと年増の女優に僕はひと目でイカれてしまい、イタリアにはあんな壮絶な美女がうようよいるんだ。 よし、いつか必ずイタリアへ行こう、とまだ二十歳(はたち)前の僕は心に誓ったのだった。


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Antonella Lualdi






ニコ・フィデンコの歌は今聴いてみるとわりと平凡なメロディで、昔の新鮮さはなくなっていたにしても、聴いていてついあの頃の自分を取り巻いていた世界を思い出してしんみりしてしまった。 懐かしのメロディーというのはみんなそんなものなのだろう。









雲ではもう一つ思い出す歌がある。
これもまた大昔のことだ。 僕が1970年にアメリカに逃げ出した前年、芸能界のまっただ中でピアノを弾いていた頃のこと。 いっしょに仕事をしたことのある黛ジュンが歌っていた 『雲にのりたい』 という歌だった。
黛ジュンはあの頃、ブルーコメッツのベース弾きと婚約をしたか結婚をしたかでまるで花が咲いたように急に色気が出て綺麗になってしまった。 リズミックでパンチの効いた歌が得意だった彼女が珍しく静かに歌ったこの曲が僕は好きで、あれから50年近くたった今でもその歌詞をちゃんと覚えていた。 ただ面白いのは、なぜか 『雲にのりたい』 じゃなくて 『雲になりたい』 と覚えていたことだ。

ところがYou Tube で 『雲にのりたい』 の動画を探してもなぜかどうしても見つからない。 1つだけ出てきたのはつい数年前に、すっかりお歳を召した彼女がステージで歌っているビデオだけで、熟女になってしまった彼女がどうしても僕の記憶にある昔の黛ジュンとは重ならない。 ステージの楽屋や放送局の控室で皆でワイワイ言いながら楽しく仕事をした時の彼女のイメージを探した結果、ようやく見つけたのがこれだった。 これなら歌は違うとはいえ、僕が覚えている黛ジュンそのものだった。









雲を見ながらいろんなことを考えていると、同じビルに住む若い女性が通りかかる。
彼女が言うには、ここにもう4年住んでるけどこんな凄い雲が見れるのは1年に何度もないそうだ。
What a sky!








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朝の散歩

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川辺りの並木道




朝の散歩
なんて洒落たことを、生まれてこのかたやったことがあったろうか?
絶対になかったと自信を持って言い切れる。
それが新居に移ってから、ほとんど毎日やるようになった。
とはいっても僕が一夜にして粋な風流人に変身したわけではなくて、それにはちゃんと2つの理由があった。

一つは犬の散歩。
以前の家なら柵に囲まれた裏庭に出してやれば、犬が勝手に自分で用を足していたのが今度はそうはいかない。 1階のアパートだから簡単に外に出れるとはいっても、それでもパジャマのまま外に出るわけにはいかずちゃんと着替えてから犬を連れ出す。 前の家なら下手をすると昼すぎまでパジャマのままで机に向かっていたのにくらべると、着替えることで生活に区切りがついて、さあ1日の始まりだといやでも自覚するということを発見した。 そしてそれはまんざら悪い気分ではない。 いかにだらだらと区切りのない生活を長年続けてきたかを、殊勝にも反省している自分に気がつく。

朝の散歩をやるようになったもう一つの理由は、喫煙だった。
前の家では2階の角に小さなサンルームがあって、両側の窓を開け放したその場所が僕の喫煙室になっていた。 何度もブログの記事にした隣家のしだれ桜をすぐ目の前に眺めたあの部屋だ。 (今回の引っ越しでこの部屋の窓ガラスを掃除したら、なんともまあゲエっとするほど汚れていた)。

今度越してきたアパートはビル全体が禁煙というわけではないにしろ、部屋の中で煙草を吸わないとすると一々外に出なければならない。 中庭なら簡単に出れるけれど、残念ながらここは禁煙となっている。 それで仕方なくビルの横手のドアから駐車場に出ると、そこから川べりまではほんの30メートルほどの距離だから、ついそちらへ足が向いてしまう。 鉄柵にもたれて川を眺めながらゆっくりと煙草を吸っていると、昼間ならいろんな人がそこを通る。 犬を連れて散歩する人、ジョギングの若いカップル、バイクに乗った老人、子供連れの家族、そしてカートに家財道具を詰め込んで押しているホームレスらしい人もいた。 その誰もが僕を見て例外なくハイとかハローとか声を掛ける。 フレンドリーという点では前に住んでいた住宅街とは比べものにならない。

というわけで、喫煙は一々外に出なければならないから、座りっぱなしの状態が中断されて立ち上がって歩くという運動を強いられることになり、これも悪いことではなかった。 それと当然ながら煙草の数が減った。
でもこれじゃあ、冬は大変だなあ。 それまでにきっぱりと煙草を止められるかしら。
たとえ煙草を止めたとしても、パイ公の朝の散歩は止める訳にはいかない。 雪が積もった冬の朝の散歩には、今まで履いたことのなかったブーツも必要になりそうだ。





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やれやれやっと…

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窓の外には



引っ越しをした日からあっという間に10日が経った。
山と積まれたボール箱に囲まれてまず最初にしたのは、極端に限られたスペースの中でベッドを組み立てて、寝る場所を確保したことと、それから鍋釜を取り出してキッチンを何とか使えるようにしたあと、大統領選挙のニュースとリオのオリンピックを見るためにテレビを設定した。
それをやってしまえばあとは何も急ぐことは無し。 今のところ不便この上もない生活だけど引越し前と比べると精神的にはずっとリラックスしている。 あとは時間をかけて一つ一つ箱を開けていけばいい。

この3週間いやというほど肉体を酷使したせいか体重が3キロ減った。
なにしろそれまではろくに運動もせず、毎日たっぷり8時間の睡眠を取っていた僕が、この数週間は毎日5時間とか6時間の睡眠でやってきたので、その結果蓄積した疲労が完全に取れるまで、引っ越しを終えたあと数日を必要とした。 萎えていた両脚に筋肉が付いたのは気のせいではないようだった。


でも僕はこの新しい生活の場所がとても気に入っている。

朝目を覚まして寝室のベネチアンブラインドを開けると、そこには以前とはまったく違う世界があった。
再び、異邦人に戻ったような気がする。
新しい生活の始まりだ。





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