過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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2016年10月05日

トシオとコータロー

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米子市 渡部邸にて 2002年 
撮影 古門吉郎



コータローが死んでしまった。
これには参った。

僕の引っ越しで住所や電話番号が変わったり、インターネットの接続がオフになったりしたために、しばらく彼との交信が途絶えたあと、ようやく連絡が取れるようになったのは9月に入ってからだった。
つい2週間前の彼からのこのメールはふだんより饒舌で、そこには忍び寄る死の影などまったく見られない。


トシオの近況がわかってホッとしてる。

我が家は父も母も妹も癌で亡くなっており、「わしも死ぬ時は癌だ!」 とカバチをたれていたら
案の定、癌に取り付かれてしまった。
3月の始めに、ホームドクターの紹介で労災病院に不整脈の検査に行ったら
「あなた不整脈どころでありませんよ」 と即刻入院させられた。
自覚症状全く無し。 その後検査するうちに内臓障害も見つかり色々治療を受けているが
一番参ったのは最初の1ヶ月半続いた水耕栽培 (24時間の点滴)で
その結果全身の贅肉、筋肉が落ちガリガリになってしまった。 70キロあったのが 55キロまで落ちた。

病気の話を書くと延々と続くのでこのくらいにして今日は引っ越しの話をしよう。
トシオの引っ越しが大変だったのはブログで読んで知っていた。
それに前回のメールで、コータローなんかこんな大きな引越はやったことがないだろう、とトシオが書いていたけど
実は大きな引越は所帯を持ってから2回経験している。
最初のは大阪から東京。 2度目は東京からUターンして米子だったが、この2度目の引っ越しが大変だったんだ。
夕方荷物を送り出したあと、家族は新幹線で京都へ、そこから夜行で米子に朝着いて荷物を受け入れる、という予定でいたのが
台風の接近でJRのダイヤはズタズタ、東名、名神の高速道路も海岸に近い所は波をかぶっていた。
そこで予定を変えて明け方に岡山まで汽車で行き、岡山駅でタクシー運転手とさんざん交渉して
切符の払い戻し金でやっと米子にたどり着いたと思ったら、トラックはまだ着いて無いし、やっと着いたと思ったら
荷物がビショビショに濡れていたり、と大変だったよ。

トシオの引っ越し話でこんな事を何十年振りに思いだしている。
何はともあれまず病気を治します。

9月16日
コータロー

このメールが届く前に僕はコータローの奥さんと電話で話しをしている。
久しぶりに聞く彼女の声が、思ったよりずっと明るいのにほっとする。
コータローは身体の痛みがまったく無く (それを聞いて嬉しくなる) 食欲もあって、なんでも好きなものを食べて良いと医者が言っているそうだ。 あまりにも痩せすぎたので人に会うのを嫌って面会はしないけれど、電話と携帯メールはやっているという。 そういえば同じ郷里仲間のY子さんの話では、コータローは電話の声も元気でひょっとしたら治るかも、と言っていたくらいだったのに。
上記のコータローのメールに僕は返事を書いたが、何日経ってもコータローからは何も言ってこなかった。



この数年間に僕は大学時代の仲間を二人失っている。
長い人生の中のもっとも華やかだった青春時代を共有した連中が、相次いで消えてしまった時、僕は身体中が寒々とするような寂しさを感じた。
しかし、コータローと僕が共有したのは青春だけではない。
物心ついた子供の時以来、事実上の全人生を分け合ってきた。 70年にわたるつき合いだった。



9月30日の未明に僕は、まるで墓場から蘇った死者のようにポッカリと目を覚ます。 こんなことは珍しい。 時計を見ると午前4時半である。
どうしても眠りに戻ることができないままに、僕は起きだしてキッチンへ入るとコーヒーの豆を挽く。 フレンチプレスのコーヒーができるあいだに仕事部屋の PC のスイッチをオンにする。
メールが1通入っている。 郷里のY子さんからだ。

            トシオ、さっき、午後5時半にコータローが死んでしまった。 悲しい…


その文字を凝視しながら、深いため息をつく。
あいつ、俺の誕生日に死にやがった。
そうか、日本時間の午後5時半といえばこちらの午前4時半だ。
コータローは俺を呼んだんだ。
「トシオ、起きれや。 わしゃ先に行くで」。


***





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