過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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2016年11月

アメリカのいびつなデモクラシー

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マリリンのブロンズ像
Downtown Dayton, Ohio



大統領選挙の結果に世界中が衝撃を受けている中で、どうしても納得がいかないという気持ちが僕の内部でくすぶり始めて、それが次第に怒りへと変わっている。
その怒りは、僕が毛嫌いしていた男が大統領になってしまったことへではなくて、その男を選んだアメリカのいびつなデモクラシーへ対して向けられている。 アメリカの国民が選んだ男ならいかに嫌な奴でもしかたが無い。それに従うのが民主主義の原理だとは僕にもよくわかっている。 それなら諦めがつく。 ところがこのトランプという男、アメリカ国民が選んだ男ではないからである。 下の数字を見て欲しい。

ヒラリー・クリントンの投票獲得数 60,339,165
ドナルド・トランプの投票獲得数  59,988,438

圧倒的な大差ではないとはいえクリントンに投票した国民の方が多かったのは歴然とした事実なのだ。
僕らが子供の頃から叩きこまれてきた素朴単純な民主主義の原理に習うなら、クリントンが大統領になるべきだったのだ。 それがそうはいかず、世界中の人々をショックに打ちのめしたのは、アメリカの選挙制度で決められたエレクトラル・カレッジ (electoral college) と呼ばれるバカげた選挙法以外の何物でもない。
エレクトラル・カレッジとは簡単に言うと、各州ごとに一定のポイントが設定されていて、その州で最多数の投票を得た候補者がポイントを全部獲得する。 両候補への投票数が大差であれ小差であれ関係ない。 勝ちは勝ち、負けは負け。 というわけだ。 その結果今回の選挙ではこんな数字が出てしまった。

トランプ  290
クリントン 228
 
ところが僕にまったく納得がいかないのはこの各州のポイントの設定であった。
たとえば例を挙げれば

ワイオミング州(人口 580,000) エレクトラル・カレッジ → 3点
ノースダコタ州 (757,000)   エレクトラル・カレッジ → 3点
サウスダコタ州 (858,000)   エレクトラル・カレッジ → 3点
カリフォルニア州 (39,000,000) エレクトラル・カレッジ → 55点

州人口に比例してポイント数が設定されたとなっているが実はそうでもないところが実に杜撰(ずさん)と言わなければならない。 なぜならもしワイオミングに3点を与えるなら、その67倍の人口を有するカリフォルニアのエレクトラル・カレッジの点数は55点どころか200点以上になってもよいはずだ。 (そしてこのカリフォルニア州ではクリントンが60%対30%で大勝している)

だいたいこのエレクトラル・カレッジそのものが大昔の遺物で、1700年代にマディスンとハミルトンの二人の政治家によって設立された。 黒人の奴隷はもちろん白人女性にも選挙権がなく、地所を所有する裕福な白人男性だけが参政していた時代の話である。 このエレクトラル・カレッジの制度はその後たびたび改定されたとはいえ、全国民が平等に選挙権を持つ現代、こんな旧弊な不完全なシステムにいまだに固執するアメリカという国が理解できないのは僕だけではなく、国民の直接投票で代表を決めるヨーロッパの国々からも大きな疑問が投げかけられている。 もちろんアメリカ国内でも同じで、今回の大統領選挙後にあらためて論争の的(まと)になりそうだ。 いやすでになっている。
なぜ国民の直接投票で決めないのか?
そうであるべきだと僕は信じている。 国民にしてみても自分の1票が直接そのまま結果にひびくと思えば、今よりもっと積極的に投票に参加するのはまちがいなく、選挙に関心の薄い貧困層をはじめ全体の投票率もずっと上がるはずだ。

そういえば、かつて2000年のアル・ゴア(民主党)対ジョージ・ブッシュ(共和党)の大統領戦でも同じことが起こったのを思い出す。
エレクトラル・カレッジの点数でブッシュが小差で勝って大統領となったが、国民の投票数ではゴア候補がブッシュを上回っていた。
今回の選挙とまったく同じだ。


世界でも民主義国家の代表と自他共に認めているアメリカが、こんなわけのわからない反民主主義的なやり方で大統領を選ぶのは、実に不思議で不可解なことだと僕は思っている。 このことをアメリカは世界に恥ずべきである。

それにしても
あーあ、これからの4年間が思いやられる。 
むしゃくしゃするから酒だ酒だ!






 
   

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焼き芋


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Painting by Jack Rau



このところブログ仲間のサイトへの訪問をつい怠けてしまって、2週間ぶりであちこち開いてみた。
その中で、新潟の山奥に引っ越して美しい奥方と二人で仙人仙女のようなクールな生活を営むあの川越さんのブログを見ていたら、自分の畑から採れるサツマイモをストーブで焼き芋にしたという記事があった。

焼き芋かあ。懐かしい…
昔東京に住んでいた頃は、屋台を引いて売りに来るホカホカの石焼き芋を時々食べたことなどを思い出していたが、最後に食べたのはいつだろう? アメリカに来てから食べたことなんて無いんじゃないか、と考えてみたら、そうでもない。 最近でもレストランでたまに食べていたことに気がつく。
つまり、昔からレストランでステーキを食べると定番でそれについてくるのが馬鹿でかい皮付きのジャガイモの丸焼きで、それをナイフで切った中にバターをたっぷりと入れて塩を降って食べるのがアメリカなんだけど、いつの頃からかサツマイモが姿を現すようになって、料理を注文する時にウェイトレスが、どちらにするかと訊いてくる。 僕は必ずと言っていいほどサツマイモの方を選ぶ。 あの新鮮な赤い色はジャガイモの無粋な無色とは段違いに美しいし、そのまま何も付けないで食べても口の中でとろけるように甘くて美味しい。 それにたぶん、日本で食べた焼き芋のへの郷愁のようなものが無意識のうちに湧いているにちがいなかった。 


焼き芋のことを考えていてふっと思い出したことがある。
あれは小学校の2年生か3年生の時だった。
学校の学芸会で劇をやった。 それは農家に住む子供の兄弟の話で、もう筋もはっきりとは覚えていないが、その兄の少年の役を僕がやらされた。 なんでも兄弟喧嘩をしてこっぴどく弟をやっつけた結果、その弟が外に飛び出したまま長い時間戻って来ない。 夕方になってあたりがそろそろ暗くなるのに家に帰って来ない。 心配になった兄が近所をあれこれと探しに行くと、森の中の岩陰で膝を抱えてむくれている弟を見つける。 兄はその日母親がおやつにと作ってくれたふかし芋を包にして持っていて、腹が減っただろうとその包を差し出すと、それを見た弟は 「なんだ、ふかし芋か」 と昼間の怒りがまだ残っている声で言うとそっぽを向いたが、そのうち空腹には勝てずそっと手を伸ばして芋を食べ始める。 そのうちに少しづつ機嫌が直ってきた弟と黙って肩を並べて帰路につくところで幕。 というような筋であったように思う。

ところが劇の進行中に予期しないことが起こった。
「なんだ、ふかし芋か」 という台詞を言うはずの弟が
「なんだ、焼き芋か」 と言ったのである。
それを聞いた僕は急に可笑しくなってしまいそのあとに続く 「いいから食べろ」 という台詞がどうしても出てこない。 言おうとするとククククククと胸の中に笑いが沸き起こり、あげくの果てに声に出して笑ってしまった。 自分の失敗に気づいた弟もプッと吹き出したあとはもうだめで、二人してゲラゲラと笑い始めてしまったのである。
観客は何が起こったのかまったくわからずぽかんとしているは、あとで先生には叱られるは、で散々の劇となった。

この弟の役をやったのがつい先日いなくなってしまったコータローだった。
こんど墓参りの時に焼き芋を供えてやろう。
 

***





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