過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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September30

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マーサが逝く

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90歳の誕生日に孫のマットと談笑するマーサ (2017)


今日1月21日(土)、午後10時半。 義母のマーサが逝った。
彼女の最後の誕生日に家族が集って午後のひと時を過ごしたのはつい今週の日曜日で、それから6日しか経っていなかった。 マーサに乞われて珍しく僕がそこにあったピアノで数曲を弾いたら、彼女は目に涙を浮かべて喜んだ。 ピアノから立ち上がる僕に手を差し伸べて引き寄せると僕の唇にキスをした。 それは母親が息子にするキスだった。

3人の息子と5人の娘婿を持つマーサだったが、その娘婿の中でも彼女が誰よりも僕を気にかけてくれたのは、日本人の僕が遠い異国から来てずっと昔に両親を亡くしていたことを、ことさら憐れと思ってくれたからだった。 「自分の息子だと思ってるからね」 と言っていた。 初めて会ってからこの35年間、僕の誕生日には毎年必ず送ってくれたバースデーカードには、「マーサより」 ではなくていつも 「母より」 と書かれていたのを思い出す。



マーサの様態が悪くなったこの数日間に、フロリダの三男を始め家族が続々と彼女のアパートへ詰めかけていた。 僕の息子の太郎も昨日から帰省している。 僕らも今日の午後までそこに居て、夕方にいったん帰宅したばかりだった。 そして夜になって義妹からの携帯メッセージでマーサがたった今逝ったことを知った。
マーサがこの数年住んだアシスタントリビングの施設はうちからは車でほんの10分の距離だったが、女房は今はそこへは行きたくないと言い張る。 妹達からの誘いを頑なに拒むと電話を切り、それからしばらくのあいだ声を上げて激しく泣いた。 自分だけの悲しみに浸りたい、今は誰ともこの悲しみをシェアしたくない、という女房の気持が僕には痛いほどよくわかった。 僕自身も同じだったから…


お母さん、さようなら。



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マーサと太郎 (1984)





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寒くない日は街を歩こう 3

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ネッド・ペッパー


ダウンタウンにオフィスがあった頃はこのバーによく来たものだった。 古い大きなバーである。
中には木製のテーブルと椅子が乱雑に並んでいるだけで、洒落た内装だとか品の良いデコレーションなどどこを探しても見当たらない。 意図的にそんなハイクラスの雰囲気を抹殺することで独特のスタイルを狙ったのではないかと思わせるほど大衆的でそっけない。 ここでは気取ったワインやカクテールなど注文する者はまずいなくて、例外なく全員がビールを注文する。 それ以外のドリンクが飲みたければ他の店へ行け、というわけだ。 そして他の店とはこの周りに10軒以上もある。 そのかわりビールの種類はやたらと多く、世界中のビールが壁にズラリと並んでいたものだ。 最後にここで飲んだのはもう10年ほど前のことで、今でも内部はまったく変わっていないだろうことは中に入らなくてもわかる。

ただ、今日僕の目を引いたのは表の窓に貼られたモノクロ写真だった。(これは以前にはなかった。) 写されているのはおそらく1900年代の初め頃のこの町の町並みで、よく見るとついさっき通ってきたメインストリートの建物などがそこにあった。





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ハッピー・パレス


これは何かのファーストフードの店に違いないが、いったい何を食べさせるのかはまったくわからない。 というのはすっと以前に店が閉められたまま窓もドアも釘付けにされている。 ハッピー・パレスとはアメリカの中華料理店ではもっともポピュラーな店名の1つだが、念入りに描かれた絵のデザインだとか、レンガの1枚1枚が違う色で塗られたところなど、チャイニーズの仕業とは思えない。 たぶん、メキシカンかトロピカルの料理を出していたのかもしれない。 数少ないメニューを年老いた夫婦がゆっくりとやっているようなこんな店は、意外と美味しくて常連客を持っているものだ。 メインストリート沿いの店はレントの高騰に悲鳴を上げて軒並みに廃業してしまった。


(続)




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寒くない日は街を歩こう 2

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彫刻?


これはたぶんストリート スカルプチャと呼ぶべきものだろう。
鮮やかな黄色と背後のアービーズの赤い屋根との対比が、くすんだ風景の中でおもしろい効果をあげている。

アービーズといえばローストビーフのサンドイッチを食べさせるファーストフードの老舗なのは誰でも知っているが、ローストビーフを美味しいと思わない僕はついぞ入ったことがない。 だいたい僕はジャンクフードを断固として拒否する健康オタクでもなんでもないから、バーガーキングの分厚いハンバーガーなど時々無性に食べたくなると、女房の軽蔑のまなざしを背に受けながらつい食べに入ってしまう。 時々食べるとあれは美味しい。

ところでこのアービーズの発祥地はオハイオ州だと知る人は少ない。
1980年ごろ、日本へ進出したアービーズは全国主要都市に店舗を構えたにもかかわらず、その後なぜかすべてを撤退している。 ローストビーフという料理は日本人の舌には合わないのだろうか?
発祥地がオハイオと言えばコンビニのローソンがそうで、小さな牛乳屋から始まったこの店は現在では日本中を制覇しているらしい。 それなのに何故なのか? アメリカではあの懐かしい Lawson の店舗は町から完全に姿を消してしまった。





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ひと夏の情事


あてどなく歩いていてこのバーの前を通りかかる。 そしてハッとする。
ひと昔もふた昔も前、人妻との短い情事。 人目を逃れた逢引の場所がここだったのを思い出した。
裏の駐車場に停めた車の中での窮屈でぎこちない、そして激しい性の交わり。
あの時はお互いを必要としたと思っていたのに、あれは何だったのだろう…


(続)






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寒くない日は街を歩こう 1

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路地裏


この数日気温が上がって、今日など 17℃ と嘘みたいに暖かい。
人一倍寒がり屋の僕でさえこれは外に出なければ、という気になった。 それで珍しくセーターもスパッツも着けずにシャツとジーンズの上にそのままコートを羽織って外に出る。 ただし靴だけは寒い時と同じく最近買ったばかりのブーツを履いたのは、これが非常に具合がよろしくて気に入ったからだった。 足元をしっかりとサポートしてくれるという感があり、それでいて重くなく、長く歩いても足がぜんぜん疲れないということをすでに雪の中で経験していた。 この調子だと春が来ても夏になっても履き続けそうな予感がする。

商店街を抜けて裏の路地へ廻ったところでこの壁画に出会った。
落書き(グラフィッテ)にしては秀逸でアーチストの作品と呼ぶべきだろう。 マリファナやハシシを吸った時のあのサイケデリックな感覚を表現したものだと思われる。





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ヴィクトリア劇場


この劇場でつい先月のクリスマス前に、バレーの 『ドラキュラ』 を観たばかりだった。
デイトンのバレーなんてとあまり期待しないで行ってみたら、これがなかなか良かったのだ。 良かったというのは、ワールドプレミアと謳った演し物の 『ドラキュラ』 ではなくて(これは完全な失敗作)、それを踊ったプリマのダンサーのことである。 地方の中都市の小さなバレー団でも若くて才能のあるダンサーはやはりいるものだ、と感心した。 こういう場所でキャリアを積んでどんどん才能を伸ばしてから、やがてはチャンスを掴んで中央のバレー界へとデビューしていくのだろう。

このヴィクトリア劇場は1900年頃の古い建物を、ほとんどそのままに残して内部を新しく改装している。 筋向かいの巨大なシュースター劇場よりずっと小さいが、建物自体に味があり内部の雰囲気もずっといい。 僕の好きな劇場である。

(続)





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眠りについて

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零下15度の朝



この数年眠りが浅くなった。
ももともと寝付きが悪い方で、夜ベッドに入っても眠りに落ちるまで時間がかかったが、それでも一度眠ってしまうと朝までぐっすりという習慣だったのが、最近は夜中に何度か目が覚める。 それで仕方なくお手洗いに立ったりしたあとはそのまま又いつのまにか眠ってしまう。 そして数時間後にまた目が覚める。 それを毎晩何度も繰り返すのだけれど、不思議にも朝起きて寝が足らなかったという感覚がないのは、眠りそのものはけっこう深いのだろうかと思う。

夜中に何度か目を覚ますのはあまり気にならないが、ベッドに入ってからなかなか寝に落ちないというのは困りもので、定期健診の時に医者に相談した。 それで薬を処方してくれた。
その薬は、就寝前に飲んでからベッドに入って本を読んでいるうちに、10分か15分ですぐ眠気がやって来る。 それまでは1時間も2時間も眠りに落ちなかったことがしょっちゅうだったから、これは嬉しかった。 そしていったん眠ってしまうと朝までそのまま、ということはないにしても目の覚める度数が1度とか2度に減ったが、これは年齢からくる放尿要求だからしかたがないのだろう。

ただしこの薬には、朝起きたあとしばらくの間は頭がぼんやりしている、という短所がある。
起き抜けにコーヒーを飲んでもそのぼんやりには効き目がないようだし、屈伸とかストレッチなどの軽いエクササイズをしてもだめだ。 そのままもう1度ベッドに帰りたいというかなり強い欲望が身体に残っている。 その欲望を振り切るようにして着替えをし、厚いコートを着込んで外に出ると早朝の川べりを散歩する。 冷たい川風を顔に受けて煙草に火を点ける。 朝日の射す遠くの風景を見回しながらゆっくりと歩くうちに、頭の中がしだいにスッキリとしていくのを感じる。
それが日課になってしまった。



昨夜のこと。
東京の友人とスカイプで会話をした時に、どう、そちらは寒いでしょう? と彼女が訊いた。
「寒いよおー、今朝なんて川べりを散歩した時の気温が4度だったよ。」 と答えたら
「あら、そんなものなの。 とっくに氷点下になってると思ってた。」
それで気がついたのは、ついこちらの習慣で華氏で温度を言ってしまったようだ。 華氏4度といえば摂氏では零下15度以下なんだよと訂正する。
「うわっ 聞いただけで寒くなった。」 とスカイプの中で彼女が身震いをするのが画面に写っている。 その背後の白い障子には綺麗な花柄のちゃんちゃんこが架かっているのが見えた。


そういえばきのうは零下15度の冷気の中を裏の川へ出てみると、川面に薄氷がびっしりと張っていた。
ずっと川下の何処かで凍ったところへ、ゆっくりと流れる水が薄氷を運んで来て次々と積み重ねていた。 重なって静止した氷の領土と緩く流れる川水の境界線がその時ちょうどわれわれの住居の裏側まで来ていた。 そしてその境界線は見ているうちにどんどんと川上へと動いている。
薄氷はまるで上空から俯瞰する大地の地図のような模様を作って、朝日の中で輝いていた。









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新年おめでとう

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年明け前のわが家のコートヤードで





                           何となく 
                           今年はよい事 あるごとし 
                           元日の朝 晴れて風無し


2017年の元旦の朝
川べりの小道を新年の最初の煙草に火をつけて散歩しながら、この啄木の歌が自然と口に出てくる。 歌そのままの穏やかで平和な新年の始まりだった。

今朝起きて珍しく軽い二日酔いで頭がぼんやりしているのは、大晦日に友人家族を招いて大人4人でシャンペンを3本空にしたせいだろう。
テレビでニューヨークのタイムズスクエアの乱痴気騒ぎを見ながら、年が変わる直前に最初のボトルを開けたのだが、もちろんその前にワインやビールですでに誰もが十分にできあがっている。 夕方から窓の外のコートヤードにキャンドルを置いていたので、それぞれコートを着込んでグラスを抱えて外に出た。 友人夫妻が連れてきた二人の小学生姉妹は、年に1度だけ親から夜更かしを公認されるこの夜に興奮気味だった。

この子供達の父親のトムは空軍基地に勤めるエンジニアで、昨年の秋にパリの企業での仕事に応募して多数の候補者の中から最後の二人にまで残りながら落とされてしまい、ヨーロッパで暮らしたいというこの夫妻の念願がかなわなかった。 パリでのインタビューには細君同伴で招待されて、初めてのパリを1週間満喫してきたばかりなので、ヨーロッパそのままのこのコートヤードに出た時にまたそれが思い出されたのだろう。 今はベルギーの会社での選考が進んでいるというが、パリの仕事ほど惚れ込んではいない、あれは一生に1度あるかないかの理想的なチャンスだった、とトムは悔しそうに語った。 パリでもベルギーでもベルリンでもフィレンツェでもどこでもかまわない、僕らが気軽に遊びに行ける場所をヨーロッパに確保してくれよ。そう言って僕はトムのグラスにシャンペンを満たした。

僕はといえばヨーロッパに行きたいのは無論だけどけど、今年はまず日本に帰るのが先決だ。
昨年はどうしても帰りたいと思いながら引っ越しとか周りの家族の事情とかでついに果たせなかった。
今年は絶対に帰るぜえ。




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