過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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4月になれば

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群衆の中の一つの顔
Boston, Massachusetts USA


4月といえばボストンマラソン、とボストンの住民なら即座に答えるだろう。 彼らにとって、この長い歴史を持つマラソンのレースは、長い冬が終わってようやく明るい春が来ることを告げる大きな春祭りのようなものだった。 現在では2万人以上の出走者に50万人の観客というからすごい数である。 しかし、上の写真の70年代には出走者はせいぜい2千人程度だったと覚えている。 マラソンのフィニッシュ ラインが、現在はボストン図書館のあるコプリー スクェアに移ってしまっているが、その頃はまだプラデンシャル センターで、僕が仲良くしていた友人のアパートからはほんの一ブロックの距離だった。
フィニッシュ ラインの近くは当然ながら大混雑になるけど、そこに立っていると、ゴールに入って来るランナーを迎える家族の一団に囲まれる事になるので、居ながらにして世界中の言語を聞くことができた。 走り終えて出迎えの家族の抱擁で迎えられるランナーがほとんどだったが、中には、誰も待っている人も無く、独りで雑踏の中に消え行く寂しいランナーもいたりした。 ある年には、1着でゴールに入って来た女性ランナーが、実はコースの途中で電車に乗っていた、というのがバレて失格になった事件もあった。

ボストンマラソンでは思いだすことが幾つかある。
そのひとつは、あるとき日本の写真雑誌に投稿した僕の組写真が当選して、掲載された時のことだった。 それがちょうどボストンマラソンの直前だったのだろう。 その雑誌の担当編集者だったひとが、ボストンマラソンにランナーとして参加するというのでボストンにやって来た。 コプリー・ホテルのロビーでその人とふたりで直立して向かいあい、儀式めいた仕草で賞状と賞金を渡された記憶がある。

もうひとつの思い出は、ある年のマラソンの前日にダウンタウンを歩いていた僕に、道を聞いてきた日本人の若い女性がいた。 日本で高校の体育の先生だというその人もマラソンに出走するためにやって来たのだった。 明日は応援しますよと約束してその日は別れ、翌日のマラソンではゴール間際でカメラを持って彼女の姿が現れるのを待っていた。 驚いたことに予期していたよりずっと早く、百何十位かで元気にゴールに駆け込んで来た彼女を写真に撮ったのは言うまでもない。
たまたまその夜は僕の大学のジャズコンサートがあって、僕も演奏することになっていたそのコンサートに彼女を招待した。 そのあと、あれほどの長距離を走りながらちっとも疲れを見せない彼女を誘って、夕食に行ったりクラブを何軒かはしごしたりして、楽しく忘れられない一夜となった。 そのころ理由があって日本人恐怖症にかかっていた僕にとっては珍しい出来事だったと言わなければならない。

今年のボストンマラソンにも多数の日本人が走るにちがいない。 その数は年々増加していっている一方で、この大震災があった日本はそれどころではないのかも知れないとも思う。 しかしこういう時だからこそ、人々は明るいニュースを切望するのだ。 日本という国自体が、ゴールの見えない過酷で長いマラソンのスタートラインに立っているわけだから。

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