過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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500分の1秒

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横顔
Boston, Massachusetts USA


写真というものは、というよりカメラというものは不思議なオジュジェクトだと思う。たとえばこの写真だ。テクニカルに述べれば、フィルムはISO400のトライX、レンズは135ミリの望遠を5.6に絞って、500分の1秒でシャッターを切っている。そして (当たり前の事だけど) レンズを通して映像がフィルムに焼き付けられ、その結果をこうしてプリントやモニターで見ている。それだけの事だ。

70年とか80年とか生きる人間の一生の中で、500分の1秒が科学的にどれだけの意味を持つのか僕には分らないが、それは人が瞬きするよりもはるかに短い時間である。次から次へと止まることなく流れて行く「時間」という目に見えないものを、カメラは完璧に、そして正確に500分の1秒に切り取る事が可能なのだ。これは凄いことだと思う。
たとえば、この写真の中の5人の人達、お互いに全く無関係の5人が、たまたまボストンのダウンタウンで、同じ日の同じ時間に同じ方向に向かって歩いているところを、横から見ていた僕のカメラがそれぞれの人生の500分の1秒を切り取って、写真という形でこうして永久に残してしまった。お互いに無関係の人生を生きていながらこの5人は、この写真にたまたまいっしょに収まっているというだけで、すでにお互いに深い関わりを持ってしまった。なぜなら、5人それぞれの位置関係、バランス、遠近、色調、などがお互いに不可欠の要素となって、この写真の中で幾何学的なひとつの独自な (世界) を創り上げてしまったからだ。好むと好まざるとにかかわらず、写真家という魔術師の虜(とりこ) となったこの人たちは、平たい長方形の中に閉じ込められて永久にそこから抜け出すことはできない。魔術師がこの世から消えてしまったあとでさえ、その呪いは解けることがないのだ。

肩からカメラを提げて歩いていると、自分が黒いオールマイティの魔法の小箱を誰にも知られないで、密かに持ち運んでいるような気がする時がある。


写真家は、ある瞬間を捕らえるために何年も何年も、いや生涯さえついやす。
それなのに
その捕らえた瞬間を全部加算しても幾時間にもならないのは不可思議なことだ。

James Lalropui Keivom



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UserTag: 500分の1秒 

コメント:

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はじめまして、nineといいます。
写真に撮られることで無関係の人生が関わりあいを持つことになる・・・・・・
今まであまり気にしたことがありませんでした。何気ない一瞬を永久に残すということについて、私もそこにどのような魅力を感じているのか考えてみたいと思います。
2010/10/01 [nineURL #- 

* Nine さん

こんにちは、初めまして。コメントをありがとう。
PCのモニターで見る映像はいつ消えてしまうだろうけど、プリントは半永久的に残ります。私が今使っているぺ-パーは製造元によれば120年のアーカイブが可能だと言うことです。もっともそれがほんとうかどうかは誰にも分からない!
拝見しましたが、すてきなブログをお持ちですね。これからも拝見させていただきます。
2010/10/02 [September30] URL #- 

*

こちらこそコメントありがとうございます。
先月からはじめたばかりのブログですが、またよろしければお越しください。
September30さんのブログ楽しみにしています。また来ますね。
2010/10/02 [nineURL #- 

* Nine さん

こちらこそこれからもよろしくお願いします。
2010/10/04 [September30] URL #- 

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