過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

Profile

September30

Author:September30

Visitors Counter

Search form

僕が死んだら・・・

T06pro396-blognew.jpg

1870-1972
Sète, France


僕が死んだら、と時々考えることがあるけど、それは最近になって自分が歳を経てきたからということではなくて、ずっと昔からそうだった。 自分自身の葬式なんて我が目で見ることはできないから、妄想の世界で確かめるしかない。 葬列に誰の顔が見えるか、誰が来なかったか、誰が泣くだろうか、俺のことをなんと噂するだろうか、なんて考えることには一種の楽しさがあった。

僕が死んだら・・・
まず遺体を焼いたあとの灰を2等分する。 それから半分の灰を水色の袋に、あとの半分はあずき色の袋に入れる。 そして水色の袋はふるさとの日本海に、あずき色のは、僕が愛したはるかかなたの地中海に、撒(ま) いてもらいたいと思う。
望みはそれだけではない。
僕の通夜(vigil) にはみんなで陽気なパーティをやってほしい。 酒を飲みながら旨いものを食べながら、古い話をすることだ。 その時に流れる音楽は、シューベルトの弦楽四重奏 《死と少女》 で始めてもらいたい。

シューベルトが不治の病を宣言されたあとにこの作品が作られたという話は、どこまでが本当なのか分からないが、全楽章を通して漠然とした不吉な予感のようなものが重い霞のように満ちていて、若い作曲家にまちがいなく 「死」 が影を落としていたように感じられる。 とくに第2楽章のバリエーションは病的で、陰鬱で、そして美しい。