過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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ボストン奇譚抄 - 女性経営者

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エスカレーター
Boston, Massachusetts USA

ボストンのダウンタウンに地下鉄で乗り入れて "Government Center" で降りる。 それから地上に出るとそこら一帯は官庁街になっていて連邦や州や市のビルが並んでいる。 地下鉄の駅を出てすぐ目の前の長いエスカレーターを登りつめたところが市庁舎で、僕は今朝ここで人と会う事になっていた。 
その頃の僕はもう結婚をして二人目の子供が生まれたばかりだった。 ふだんはフォトラボの暗室技師として働きながら、今日のように時々入ってくる写真のフリーランスの仕事をやったりしていた。 その日会う事になっていたのは、日本全国に有名な私塾を持つという経営者と、そこの重役兼通訳として同行する人の二人だった。 この二人といっしょにケンブリッジ市にあるハーバード大学で、英才教育の権威だという教授との会見をスライドに撮る事と、そのあと見学することになっている研究所の内部を撮影するのがその日の僕の仕事だった。 それらの写真は、彼らが帰国後にスライドショーとして見せたり、出版される業界紙に掲載されることになっていた。

やがて現れた二人を近くのコーヒーショップに案内して、顔合わせを兼ねた打ち合わせとなった。 経営者という人は年齢のわりには派手な花柄のワンピースのドレスを着た五十代の小柄な女性で、強い関西弁で思ったことを遠慮なくポンポンと口にするところが、教育者というよりはちょっと高級なクラブのマダムのような感じがした。 この女性と僕とは会った瞬間から何となく意気投合してしまって、話題がともすると仕事を離れた個人的な分野に発展していく。 そのたびに同席する重役兼通訳氏が苦い顔をして話を元に戻した。 この重役兼通訳氏は年齢が四十代の半ば、濃いグレーのストライプのスーツ姿に鏡のようにピカピカに磨かれた靴、金のタイピンにそれとお揃いの金のカフリンクスをして現れた。 彼は最初に対面した時にじろりと僕の全身を眺め廻して、彼の顔に不満そうな表情が浮かんだのを僕は見逃さなかった。 その日の僕は細身のジーンズに黒いとっくりのセーターでその上にツイードの上着を着ていた。 まあビジネスの会合にはふさわしくないと思われたのかも知れない。

その彼が上司のミセス経営者のために紅茶を注文しようとして、ウェイトレスが何種類もある紅茶の種類を説明した時に、彼の英語の受け答えがかなりとんちんかんになってしまった。 恥をかかせるのも悪いと思って、僕はしばらく黙って聞いていたが、とうとう我慢ができなくなって彼に日本語で一言二言助けを出した。 それが間違いだったようだ。 むっとした彼の顔を見て、(嫌われたな) と僕は直感していた。 ミセス経営者はそのやりとりを見ながら子供のようにけらけらと笑っている。

コーヒーショップを出てタクシーを捕まえた。 僕が開けたドアからミセス経営者が車内に滑り込んだあと、彼女が自分の横の座席をぽんぽんと叩いて、僕にそこへ座れと合図した。 僕は仕方なくというか遠慮なく重役兼通訳氏を無視してそこへ乗り込んでしまう。 重役兼通訳氏がいやいやながら前の助手席に乗り込む。 乗り込んだあと 「私が前座席ですか」 というよなことをぶつぶつと言っているのを、ミセス経営者は横目で見ながら完全に無視した。

ハーバード大学の教授(これも女性だった) との会見は大体のところうまくいったようだ。 しかし重役兼通訳氏が両女性の間に入ってやる通訳はかなりいいかげんなものだった、と言わなければならない。 ある時点で質疑応答の最中に、ミセス経営者がふと相手の女性に歳を尋ねた。 重役兼通訳氏が顔色を変えて、日本語で彼の上司をきつく叱る。 その慌てようはまるで彼女が 「あなたは不倫をしたことがありますか?」 と尋ねたかのようなオーバーな反応だった。
「外国では女性に歳をきいてはならないと、あれほど言ったでしょう」
かんじんの叱られた本人はにやにやしながら聞き流している。 事情を察した教授が笑いながら彼をたしなめた。
「ちっともかまいません。 こういう非公式の場だし、それに第一私たちは女性同士だから」 と言って自分の歳を告げた。 納得のいかない浮かぬ顔の重役兼通訳氏。 さらに親しく打ち解ける二人の女性。 そしてその場面を写真に撮りながら、カメラの陰でにやりと笑っている僕がいた。

仕事が終わったあと、ミセス経営者が彼らの泊まっているリッツ・カールトンでの夕食に僕を誘ってくれた。 しかしその招待は、今夜は仕事の話があると主張する重役兼通訳氏の静かなしかし強硬な異議に遭って、僕は辞退せざるを得なかった。 ミセス経営者はやれやれという表情を隠そうとしないで、この有能な部下の顔を立てる事に決めたようだった。
別れ際に彼女が、来年の春もう一度ここに来る事になっているのでその時はぜひまたお願いね、と僕の耳元で言った。 しかしその仕事は二度と僕に来る事はなかった。



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コメント:

*

私小説的本文の方を面白く楽しく読ませて頂きました。昔の事を鮮明に憶えておられる、感心しました。
日記を書く行為と同じく、写真を撮る行為も記憶を強くするのでしょうか?

「珍しいことや沢山のことを経験するよりも、ある事を深く経験する方が大切だと思う」、
あの志賀直哉の言葉ですが、深い経験が鮮明な記憶に成るのでしょう。

Septmber30氏の場合は、愛飲されるアプサンやウオッカやテキーラ等の強い酒が脳を刺激して、
より鮮明に引き出されるのかもしれませんね。
2011/11/23 [henri8] URL #av6ed.vY [編集] 

* Re: No title

henri8さん、たしかに私にとって(あるいは誰にとっても) 自分の撮った写真は日記のようなものでしょうね。
最近は物忘れがひどくなって今朝やった事をボッカリと忘れたりしているくせに、昔の事は細かなところまで鮮明に思い出す事ができるのは、人間の脳とは実に不思議なものだと思います。それも志賀直哉が言ったような大切な事などほとんど無くて、どうでもいいようなしょうもない事がほとんどです。
2011/11/24 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

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