過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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羽毛のように

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美しいもの
Museum of Fine Arts, Boston, USA


僕はもう、ピアノを弾くことも作曲をすることも止めてしまっていて、牡蠣の殻がぴったりと閉じるように周りとの接触を絶っていた。友人達が心配してアパートのドアをノックするのを、息をひそめて聞いていても僕はドアを開けようともしなかった。居なくなってしまった妻が拾ってきた仔猫のムチャチャだけに僕の心は通じていて、この小さな生き物と毎日時間を掛けて遊んだ。
生活費を稼がなくてはならないのにピアノのギグはほとんど来なくなったので、近所の日本料理屋でそれまでパートで働いていたのを、フルタイムに変えてもらう。レストランで働くかぎり食うことの心配が無かったし、毎日忙しく立ち働くことで自分に起こっているいろいろな事をしばらくは忘れることができたからだった。そして夜中過ぎにくたくたに疲れて自分の巣へ帰ってくると、安物のワインを喉に流し込みながら、最近出たばかりのチック・コリアの "Return to Forever" をくり返しくり返し聴きながら、いつかスペインに行こうと決心した。そのアルバムジャケットの写真のような1枚の羽毛となって、まだ見ぬアンダルシアへと心は翔(と)んだ。 (僕がスペインに実際に行ったのは26年後になる)。





レストランで働かない日は決まって長い散歩に出かけた。行く先は大体決まっていて、チャールズリバーの河畔か、ボストン公園か、ハーバード広場の雑踏だったりしたが、なかでも僕が一番好きだったのは美術館だった。あの巨大な美術館を僕は隅から隅まで知っていた。好きな絵の前のベンチに腰を下ろして、その絵を長いあいだぼんやりと眺めていた。眺めているうちにいつのまにか僕はその絵の風景の中に身体ごと入って行くことができて、オランダの農夫と酒を飲んだり、スペインの貴族と狩りをしたり、パリの娼婦と踊ったりした。

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コメント:

* 日本食レストラン

日本食レストランはある意味日本人の一時的避難場所でいつでもどこでも影のある人がキッチンに潜んでいたのを思い出しました。この写真いいですね。
2011/02/20 [inei-reisan] URL #rayiHRxo [編集] 

* Re: 日本食レストラン

inei-reisan さん、大都市の日本食レストランは今でもそうでしょう。
この、私のいにしえの女友達も今は三人の孫を持つおばあちゃんになっています。
2011/02/21 [September30URL #MAyMKToE [編集] 

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