過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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ちょっとそこの市場まで

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水曜日のマーケット
Vaison la Romaine, France


ヨーロッパなら、どんな国のどんな町や村に行っても必ずあって、われわれ外来者にとっても大きな楽しみの一つは、野外のマーケットである。 時には衣料品や日常品、アンティークの家具などのマーケットもあるけれど、ふつうは何といっても日常の食料品が圧倒的に多い。 イタリアのモデナのように大きな屋根の下にあって毎日営業しているところもあるけれど、大体一週間に1度か2度、近在から出てくる農民たちが通りの両側に何十というテント並べる。 早朝に立つ市場は正午にはもう終わってしまう。 八百屋あり、肉屋あり、魚屋あり、ケーキ屋あり、ワイン屋あり、スパイス屋あり、乾物屋あり、チーズ屋あり、食べるものならここで手に入らないものは無い、といっていいだろう。
僕らの滞在したフランスのプロヴァンスの Vaison la Romaine という小さな町では、このマーケットが毎週水曜日に町のど真ん中の広場で開かれる。 これがなんと17世紀からそのまま続いていると知ってびっくりした。 当然ながら同じような食料品があちらの店でもこちらの店でも売られているわけだけど、売り物は決して同じではない。 違う地域の違う農家で生産されたものは、それぞれが独特の風味を持っていて、味にうるさいフランス人にとっては決して同じものではないようだ。 たとえば、セギュレのアンドレ爺さんの作るワインは安いうえに味も自分の好みにぴったりだとか、わが家ではお祖父さんの代から、ブソンのアンリさん一家が売るチーズしか食べていない、とかである。 買出しに来る人たちはそれぞれが自分の好みの店に直行する。 だからこそ、これだけたくさんの同業の商売が、何百年もの間つぶれる事も無く共存しているのである。

そういえば思い出すのは、僕が子供のころ、母が毎日のように夕方になると買物かごを下げて近所の市場へ行っていた。 肉でも魚でも野菜でも、その夜の夕餉になるものだけを買ってくる。 仕事を持っていた母が忙しくて時間が無い時には、コロッケでもてんぷらでも揚げたてのものを買ってきて、それがそのまま食卓にのぼった。 米でも何升という量り売りだった。 僕は父の酒を買いによく行かされたが、これも一升壜をぶらぶらと下げて行って何合とかの量り売りだった。 冷蔵庫の無い時代だからそんな生活になっていた、と言ってしまえばそれまでだけど、それだけが理由ではないと思う。

今のアメリカでの生活は、2週間に1度カートに山盛りの食料品をクルマで買い込んで来て、冷蔵庫やパントリーの棚にびっちりと詰め込む。 そのためどこの家庭に行っても、巨大な冷蔵庫が2台(1台はキッチンにもう1台はベースメントに)と冷凍庫1台は必ずある。 それが時々、嵐などの被害で二日も三日も停電になると、冷蔵庫や冷凍庫の中身は全滅してしまう。

ちょっとそこの市場まで、と言っていた時代が懐かしい。

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コメント:

*

東欧ではあまり町の市場というのは見かけませんでしたが、最近は西欧化して、週末などにいろんな市場がでるようになりました。
2011/05/02 [上海狂人] URL #wuZV7DPc [編集] 

* Re: No title

上海狂人さん、そうなんですか。東欧には市場が無かったのですか。驚きです。
たぶん国の政体とかに関係があるのかもしれませんね。
2011/05/03 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

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