過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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ジェームズの話

101008

Air Force Museum, Dayton, Ohio USA


僕は、1960年代の半ばから終わりにかけて、大小のジャズバンドを転々としてピアノを弾いていた。
中でも忘れられないのは、ある年の春から夏にかけて、四ヶ月の間、沖縄に仕事で行ったことがあった。 この仕事のために新しいバンドを組んでみないか、という話が僕の属する音楽事務所から来ていた。 ジャズ、ロック、ラテン、カントリーウェスタン、それにクラシックなど幅の広い音楽を、モダンジャズ風な解釈で演奏するようなユニークなバンドを5,6人で編成したら、沖縄の米軍キャンプでアメリカ人たちに受けるのではないか、と彼らは考えていた。
僕はあれこれと考えた結果、カントリーウェスタンだけを勘弁してもらえるのなら、5人編成に専属の女性シンガーを一人つけて、やってみてもよい、という事で承諾をしたのだった。 条件の一つとして、僕が弾くためのハモンドのB-3 を提供してもらうことも承諾を取っていた。
人員の選択と曲のアレンジに数週間を費やしたあと、リハーサルを兼ねて赤坂や六本木のナイトクラブで演奏をしてみたら、予想以上に評判が良かった。 中でも、バッハやモーツアルトをアート・ブレーキーのジャズメッセンジャーズ風にアレンジしたものが受けたのは、それまでにそんな事をやったバンドが無かったからである。
そして僕らの一行は、まだ日本に返還される以前の沖縄へ、パスポートとドル紙幣を手にして渡って行った。

その年は、長く続いていたベトナム戦争もまだ終わりが見えてない頃で、極東司令部のあった沖縄では、おびただしい数の兵隊が昼となく夜となく発着していた。 そんな殺伐とした状況を少しでも緩和しようとするかのように、この、丘の上に立つ立派な将校クラブでは、毎夜、華やかなショウやパーティが催された。
肩章に星をいくつも付けた将校たちがワイフたちを同伴してクラブに集まる。 彼女たちは一様に白い肩や背中を大きく露出したイブニングドレスで現れた。 週末の夜には、地元のビッグバンドのほかに、僕らを含めた内地 (そう、そのころは日本本土はそう呼ばれていた) からのゲストバンドが二つ、フィリッピン人のロックバンド、韓国人の女性だけからなるダンスバンド、などが入れ替わり立ち替わりステージに現れて、さながらバンドのコンテストのような観があった。
そんな中で僕らは地元のミュジシャン達とすぐ仲が良くなり、ステージが終わると彼らに連れられて民間のナイトクラブに出かけて、酒を飲んで気軽にジャムセッションをやったりした。 そういう民間のクラブには、キャンプ内の将校クラブには入れない若い兵隊たちがわんさと詰めかけていた。
これから戦地に向かう兵隊たちは、初めての実戦へ出る前の不安と緊張を、酒と音楽に紛らわそうとする様子がはっきりと読み取れた。 また一方、前線から帰還したばかりの兵隊たちは、はるかにもっと荒(すさ)んでいて、メチャクチャに酒を煽りつづけたり殴り合いの喧嘩になったりして、彼らが前線で目の当り経験してきた殺戮(さつりく) の凄惨さを思わせた。
僕らが毎夜演奏している将校クラブの上品で落ち着いた雰囲気にくらべると、これはまた何という違いだろう。

ある晩、その民間のクラブの片隅で、譜面を前にしてアレンジの手直しをしている僕のテーブルに、痩せてひょろりと背の高い、たぶん2メートル以上はあるだろうと思われる若い黒人がビールを手にして近づいて来て、
「ねえ、アメリカのピアニストでは誰が好きですか」 と訊いて来た。 しばらく考えたあと僕は
「うーん、エロール・ガーナーかなあ」 と答えると、恐らく彼は、ビル・エヴァンスとかマル・ウァルドロンとか、マッコイ・タイナーだとか、もっとナウな名前が僕の口から出てくるのを予想していたのだろう。 困ったような顔をして僕をジッと見ていたが、その顔がゆっくりと少しづつ弛んで笑顔に変わってきたと思ったら、いきなり大声で笑い出して、
「Me too!」
と叫ぶと黒い八手(やつで)みたいに大きな手で握手を求めて来たのである。
この、子供のような顔をした大男が、僕はいっぺんに好きになってしまった。 お互いに自己紹介をすると、彼の名前はジェームズだと言った。 子供のような顔をしていても、年を聞くと25才だと答えた。
「ねえジェームス、君はピアノ弾くの?」
「うん」
酔っていた僕はそこで彼を連れてピアノまで歩いて行くと、ふたりで半分ふざけてエロ-ル・ガーナーの弾きっこを始めたのだった。 ところが彼の弾くピアノを聴いて、僕は目を剥(む)いてしまった。 僕なんかの出る幕ではない。 日本人である僕の小さな手ではほとんど不可能といえる、エロール・ガーナーのあの左手の10度の進行をこの大男は易々とこなして、その左手のベースの上に、あの独特の遅乗りをする雄弁な右手のメロディーはまさに僕の好きなエロール・ガーナーそのものだった。
「ジェームズはどこから来たんだい?」
「ニューヨークシティ」
「ニューヨークシティで何をしてたの?」
「同じだよ。クラブでピアノを弾いてた。」





それから毎晩のように、ジェームズはこのクラブにやって来てビールを飲んでピアノを弾いたり、喧騒を逃れて外に出るとタバコを吸いながらニューヨークの話をしてくれた。 とりわけ僕の気に入った話は、ある時ジェームズがピアノを弾いているナイトクラブにエロール・ガーナーがぶらりと遊びに来たことがあった。 そこでジェームズがガーナーの十八番だった "Lover, come back to me” を弾いたそうだ。 するとじっと聴いていた本物のガーナーがジェームズと握手をしながら 「自分よりもエロール・ガーナーにずっと近いよ」 と言って聴衆を爆笑させたという話。
もし日本ででも仕事をしていれば、それこそ引く手あまたのスタープレーヤーになれるだけの才能を持ちながら、数日で戦地へ発ってしまうジェームズに、僕はなんと言ってよいか途方にくれていた。
「アメリカって国は、ノースダコタの百姓だろうが、ハーバードの学生だろうが、ニューヨークのアーチストだろうが、皆同じように徴兵するから、公平な国なんだな」
などと、つまらない冗談を吐くしか僕にはできなかった。
ある時、黒人の兵隊たちは誰よりも真っ先に危険な前線に送られる、という噂の真偽を尋ねたら、ジェームズは眼を伏せて何も言わず、ゆっくりと頭を横に振った。僕にはそれが 「わからない。でも仕方が無いよ。」 と言っているように取れた。

数日後の未明に彼の部隊はベトナムへ向けて飛んで行った。

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UserTag: ジェームズ 

コメント:

* このお話は

こんにちは。

このお話は以前にも読ませて頂きましたが、何度読んでも切ないお話しですね。
2010/10/12 [川越URL #uvrEXygI [編集] 

*

いつかグラスを傾けながらSeptemberさんの昔話をまどろみながら聞いてみたいですね。翌朝なにを聞いたのかよく覚えていないけど、なにか大切な時間だった、というような。
2010/10/12 [上海狂人] URL #wuZV7DPc [編集] 

* 川越さん

当分の間は前のブログからの再掲載が続くと思いますが、自分でも気に入った記事だけを、写真を入れ替えたり文章を手直ししたりして載せています。
ご辛抱ください。
2010/10/13 [September30] URL #- 

* 上海狂人さん

そんな時間がいつか持てるといいですね。逆に私のほうも中国の話し、チェコの話し、と秋の夜長をゆっくりと飲みながら食べながら聞かせていただきたいです。
2010/10/13 [September30] URL #- 

*

こんにちは。
数日前に読ませていただいたこのお話が頭から離れず、またお邪魔しました。

ご健在ならジェームズ氏は70代ぐらいでしょうか。
今もどこかで弾いてらっしゃるといいですね。
消息が不明ならなおのこと、そう思っていたいです・・・。

エロール・ガーナー、面白い演奏をされる方ですね。
ダイナミックさがなんだかかえって切ないです。

またいろいろなお話聞かせてください。
2010/10/18 [MikaURL #- 

* Mikaさん

Mikaさん、こんんちは。
ジェームスは(もし生きていれば)70歳になっているでしょうね。
彼のラストネームを聞いたはずなのに完全に私の記憶から落ちてしまっているので、調べようもありません。
今まで何度もジャズミュジシャンでジェームズという名のピアニストを見るたびにハッとしてしまうのですが、彼ではありませんでした。
私の記憶に生きているジェームズは今でも子供のような顔をした25歳の青年です。
2010/10/18 [September30URL #- 

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