過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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亭主失格、父親失格、人間失格

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ちょっとふしあわせな日のマヤ
Hagerstown, Maryland USA 1985


あれは娘のマヤがこの写真よりももう少し幼くて、まだ息子が生まれる前だったから、たぶん3歳のころに違いない。 そのころの僕らの生活はあまり楽ではなかった。 僕は昼間は(あまり儲からない)写真の仕事をする一方、夜は近くの日本レストランで週に数日働き、女房は女房でそれ以外の夜を、市の準高校教育のアシスタントとして勤めていた。 つまり、ふだんの日の夜は我が家は片親だけの家庭になっていたのである。 だから親子3人が揃ってゆっくりと過ごせるのは日曜日ぐらいのものであった。

そういうある日曜日の夕方。
僕はリビングルームのソファにくつろいで、うんとドライに作ったウォッカマテニーを啜(すす)りながらテレビジョンのアイスホッケー (当時の僕が観る唯一のスポーツ) の試合を見ていた。 女房はキッチンで夕食の支度に忙しいし、マヤは僕のすぐそばのテーブルに、以前に海岸から集めてきた様々な色をした綺麗なシーグラスを並べて一人でおとなしく遊んでいる。 テレビでは地元のボストン・ブルーインズと宿敵のモントリオール・カナディアンズがプレイオフの第3戦を賭けて、凄惨な肉弾戦をくり広げていた。 僕の崇拝するブルーインズのリック・ミドルトンが、神業のようなスティックさばきでパックをゴール間際に運ぶと、いきなり自分の真後ろに来ているブラッド・パークにパスをした。 それはスピードを殺して、まるで女性的ともいえるような繊細で、惚れ惚れするような美しいパスだった。 太っちょのパークがスティックを空(くう)に高々と上げた次の瞬間、満身の力を込めてそれを叩き込む。 パックは電光のようなすばらしい速度でゴーリーの股の下を抜けてネットを打っていた。
スコア!!

その時、そばにいたマヤがいきなり泣き出した。 ふだんでもあまり泣くことのない子なのに普通の泣き方ではなかった。 驚いて女房がキッチンから現れる。 なだめすかしながら推測するところでは、どうもシーグラスを鼻の中に押し込んでしまい、それが出てこなくなってしまったらしかった。 僕は立ち上がるといきなり狼狽してしまい、どうしたらいいのか完全に自分を失ってしまう。 マヤの体を揺すぶって 「だいじょうぶか?」 を繰り返してもマヤは激しく泣くばかり。 ああ困った。 どうしたらいいのだ。 窒息? 救急車? 切開手術? 僕は部屋の中をオロオロ歩き回りながら911に電話をすることを考える。
ところが女房は信じられないくらいに冷静だった。 ちり紙をマヤの鼻に当てて、「鼻をかむのよ。 さあ鼻をかみなさい」 と辛抱強く何度も鼻をかませようとしている。 僕は僕で今度は女房の肩を揺さぶって、早くなんとかしなければ、とうしろからせっつく。
そうしているうちに、いきなりポロリとシーグラスが床に落ちた。 僕は安堵のあまりへなへなとソファに座り込んでしまう。

***


この出来事を境にして、僕の中にあった男としての自信というか、家族の長としての自負心のようなものが完全に失われてしまうことになる。
だいたい僕は昔から自分はどちらかというと冷静で沈着な人間だと思っていた。 この歳(30歳後半)になるまで人並か人並以上の苦労をしてきたし、幸せなことよりもそうでないことの方がずっと多かったのに、それなりにちゃんと対処してきたつもりだった。 海で溺れたこともあったし交通事故に遭って死にそうな危ない目にあったことも2度ばかしある。 でもどんなせっぱつまった局面でも自分を失ったことはなかった、という密かな自信を持っていたようだ。 実際周りの人達からは頼りにされることがけっこうあって、よくいろいろな相談を持ちかけられたものだ。

それが...
このマヤの親指の先より小さなシーグラスのおかげで、僕の中にあった 「自信」 なんてものは自分で勝手にそう思っていただけで、ほんとうはただの 「うぬぼれ」 にしか過ぎなかったことがはっきりと曝け出されてしまった。
このことがあってから30年経つ現在、仕事でも芸術でも日常生活でも、真実に自信なんて存在するものなのだろうか、と思っている。 確固とした自信があると自分で思うのは、いつかそれが試される日を待っているだけなのである。


「自信」 と 「うぬぼれ」 は一卵性双生児のようなものだ。
似ていない部分より、同じである部分のほうがはるかに多い。

September30




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コメント:

*

そういえば以前、マヤさんというエキゾチックな美人に熱烈なラブレターを書いていましたよね。

私の上司だったスウェーデン人の男性は、プライベートな写真を私によく見せてくれたのですが、いつも写っているのは娘さんだけ。奥さんと息子さんの写真はほとんどなし。

世の中のお父さんたちの娘に対する気持ちというのは、特別なものがあるのだろうなとつくづく思います。(除:私の父親)
2011/12/05 [micio] URL #O/XG6wUc [編集] 

* Re: No title

micioさん、父親と娘、母親と息子、は確かに親子としてひとつのパターンがあるのは否定できないようです。 しかしそれと同時に母親と娘、父親と息子は良いフレンドになれることも多いようです。

2011/12/05 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* 動揺が嬉しいことも

常に冷静沈着、論理的で合理的。感情よりも理屈を優先し、強い感情を表出することが滅多にない完璧な母親に育てられた私からすると、それは決して「無様な父親」「頼れない家長」とは映らなかっただろうと思います。
私の父は、理不尽の塊でまるで大きな子どものような暴君です。それでも私になにかあるとひどく取り乱して心配を体中で表現してくれます。
眉毛をちょいと動かすだけで冷静にテキパキ対処する母よりも、そういう父の様子の方が嬉しいものでした。普段は仲が悪い父娘なんですけれど。
人間味がある、というのはそういうことだろうと思います。しっかり者は一家にひとりかふたりでいいのです^^
でも、結局私は母に似てしまいました。トホホ…
2011/12/05 [nicoURL #KqigePfw [編集] 

* あはははは

数多の女性を手玉にとってこられた(失礼!)september30様も、愛娘には陥落!
いえいえ、失格どころか、それこそ愛すべき人間らしさだと思います。
2011/12/06 [どくとるくまURL #m.2.LkcQ [編集] 

* Re: 動揺が嬉しいことも

nicoさん、女が男よりも強いということは残念ながら認めないわけにはいかないようです。 とくに女にとっての子供は文字通り自分の分身ですから、われわれ父親など出る幕ではありません。 その母と子をうしろから護ってやるのがせめてもの男としての役目なのでしょう。
完璧なお母様に似てしまったというnicoさんとその子供さんとのあいだで、ご主人がどんなroleを演じていらっしゃるのか、
とても興味があるのですが・・・
2011/12/07 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* Re: あはははは

くまさん、弱みを晒すのが人間らしさだとしても、それは男らしさではない!
と現在でも思っているのですが・・・
マッチョになりきれない私の悲哀です。

ところで、手玉にとったのではなくて、手玉にとられてきた、というのが真実です。

2011/12/07 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* あらま。

あらら。紛らわしい書き方で誤解を招いてしまってごめんなさい。うちは子どもいないんです(^^;猫が子どものようなものです。
私は自分の感情よりも合理的、効果的な手法を優先させる癖がついてしまっているのと、激しい感情があるのにそれを表出させる術をしらないようで、つい感情を押し殺したり溜め込んでしまいがちです。強い感情が渦巻いているのに表現できない人生は、半分ぐらい檻にはいっているようなものだな~と40歳すぎてしみじみ思います。
2011/12/07 [nico] URL #KqigePfw [編集] 

* Re: あらま。

nicoさん、失礼しました。
渦巻く強い感情を外に出さないで内に秘めておくのは非常に危険です。活火山を抱えているようなものですから。(笑)
それが何かのひょうしに一度に噴出すと身を滅ぼしてしまうかもしれない。スポーツとか趣味とか、自分がやりたい事を何でもよいからやればいいのになあ、と思ってしまいます。その若さでもったいないと思いませんか?
2011/12/08 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

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