過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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時には母のない子のように

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追悼
Oakwood, Ohio USA


母の最後をいつか書いておかなくては、と思いながら、いざとなるとなかなか決心がつかなかった。 その理由はたぶん、母のことは自分の胸にだけそっとしまっておこう、と長いあいだ思っていたからにちがいない。
それが最近になってすこし考えが変わってきたのは、僕自身が人生の秋を迎えている今、もし自分がいつかいなくなってしまえばこのことも永久にそのままになってしまう、との思いに耐えられなくなってきたからだ。 ひとは日記を残したり写真を残したりする。 今の僕にはブログの記事という形でしかあとに残すことはできない。


母が亡くなったとき僕は東京の大学の二年生で、学期の途中だったがたまたま郷里に帰省していた。 いや正確に言うと、母の様態が悪いから帰って来い、という父の連絡が来たとき、僕は大学に届けを出すと特急出雲で一晩かけて山陰の郷里に帰って来たのだった。 駅から、家には寄らずに直接母の寝ている病院へタクシーで向かうのが、ここ数年来の習慣になっていた。 乳癌に冒(おか)された母はそんなにも長くこの大学病院で寝ていたのだ。
母の病室に着いてみると、そこに父がいて、母の様態は一時的に持ち直していて意識もあった。 もう顔も身体も動かすことのできない母が、眼だけを動かして僕の顔を見ると、かすかに微笑した。 そして最初につぶやくように口にした言葉が 「まあ、そんなに髪が伸びて、床屋に行かなきゃだめよ」  だった。

母の様態が持ち直してみると僕はとりあえず何もやることが無く、昼間は母のそばでラジオを聴きながら本を読んだり、フランス語の勉強をしたりして、夕方に父が仕事から帰って来るのを待った。 母は僕に学校のことや東京のことをポツリポツリと尋ねる以外は、いつも疲れてかすかな寝息を立てて眠っていた。 父はここ数年の間、ほとんどの夜を母のベッドの横の床に毛布を敷いて泊まっていて、朝になるとまず家に寄って、母が病気になる前から飼っていた何十羽ものインコやカナリヤに餌をやってから、仕事に出ていた。
僕は夕方に仕事から帰って来る父を待って、病院の食堂や近所の父の行きつけの小料理屋でいっしょに言葉少ない夕食をとった。 そのあと父は母の病室へと帰って行き、僕はそれから、郷里の友達と喫茶店で会ったり、『キリマンジャロ』 で酒を飲みながらレスビアンの二人のママさんと話しをしたり、ひとりで映画を見に行ったりした。 それから真っ暗な無人の我が家に帰ってひとりで眠った。 もう長いあいだ人の住んでいない我が家はうっすらと黴(かび)の臭いが漂い、子供のころは気にならなかった小鳥たちの鳴き声や羽音が耳について、よく眠れない夜が多かった。
また時々は、父が病室に持ち込んだコンロの上ですき焼きなどを作って、母のベッドのそばの床にあぐらをかいて一升瓶から酒を飲みながら、親子三人で食事をした。 母はもちろん何も食べられなかったが、父と僕の会話を耳をそばだてて聞いていて、ときおり僕らの質問に短く答えることで会話に参加をした。
病室内で煮炊きをすることはもちろん禁じられていたが、この病棟で一番古い患者である母が、家族を相手に最後になるだろうささやかな団欒を持っているのを、医者も看護婦も、まわりの患者たちも、誰も咎(とが)めるものはいなかった。

ある日の昼間、たぶんその時間に父が母の病室にいたということは週末だったに違いない。 行きつけの小料理屋で僕がひとりで昼食をとっていた時、病院の父から電話がかかってきた。 母が、たった今駄目だったから(それが父がその時に使った言葉だった)すぐに病院へ帰って来い、と言う。
外に出て歩きながら、僕の気持ちは不思議なほど静かだった。 あまりにも静かなので、僕と言う人間は母の死に何の感情も持つことのできないほど冷酷な心の持ち主だったのかと、むしろそのことに驚いていた。 そして、つい先刻病室を出て来たときの母を思い出していた。 喉が渇いたと言うので、母が大好きだった大粒の種無し葡萄の紫色の皮をプチッと破って口に含ませてやった。 母はそれをチュウチュウと音を立てて吸いながら、目だけは僕をジッと見ていた。 その目を見返しながら、僕は微笑をしていたと思う。 目だけを見ていればとても病人とは思えない、黒い大きな目であった。 それから母は再び目を閉じると、軽い寝息をたてながら眠ってしまった。
そこへ父が入って来て、入れかわりに僕は病室を出て行ったのだった。

もう寝息も聞こえない母をあいだにはさんで、父と僕は長いあいだ黙ってそこに腰掛けていた。 僕は母の寝息がもしかして聞こえるような気がして、顔を近づけて懸命に耳をすませていたが、聞こえるのは病室の窓に吊るされた南部鉄の風鈴の鳴る音だけだった。 母の耳を楽しませるために父が吊るしたその風鈴の音は、今は死者を弔う 「りん」 のように響いた。
僕は声をださないで泣いた。
向かいにいる父の胸中は僕には読むすべもなかったが、そのとき僕が泣いていたのは、逝った母のために泣いたのか、それともその母にここまで尽くした父のために泣いたのか、自分でも分からなかった。


それからの数日は母の葬儀のために何かと忙しかったはずなのに、その記憶がなぜか完全に僕から抜けている。 ただ、ひとつだけ鮮明に記憶に残っていることがあった。 葬式の途中で多勢の参列者に囲まれて母の骨壷が地中に埋められようとした時だった。 父が地面に膝をついて骨壷のふたを開けると、ポケットから取り出した小さな紙片を、そっとその中に入れた。 そして 「ゆきこ、埋まれ」 と骨壷に低く語りかけた。
骨壷の中の紙片には何が書かれていたのか、僕は長いあいだその事を考えていたが、ついにその事を父に訊いてみる勇気がなかった。
なぜかそれは、訊いてはならないことのような気がしたからだった。

母がいっしょに泣いてくれなかった最初の悲しみ
それは母の死だった

 作者不詳



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コメント:

* 私もだいぶ前に父も母もない子になってしまいました

私も父の死に直面したときに、こんな時に父さえいてくれればと思ったのを思い出しました。でも、いつか、お母様も父もSeptemberさんも私も元の場所に帰るんですよね。悠久の時間の中で。
2010/11/13 [みん] URL #6moyDOY6 [編集] 

*

しんみり読ませて頂きました。コメントし辛いのは自分の母が最近病んでいた事を思い出したからです。私の父母は現在お陰様でまだ健在です。でも私には血を分けた子供はおりません。私が明日事故で命を落とすようなことがあれば残されたワンコにゃんことこの住まいは誰がどうするのでしょうかね?そんなことも気がつかなかったここ数年でした。愛情を知らずに育てられた子。愛を充分与えられて取り去られた子。どちらがつらいのでしょうか?
2010/11/14 [KAORI] URL #- 

* Re: 私もだいぶ前に父も母もない子になってしまいました

みんさん、おひさしぶり。お元気でしたか?
ある時ハッと気がついたのは、私の父母が亡くなったその年齢よりも今の自分の方が歳が上になったしまったことです。
それなのに父母を思い浮かべるときはちゃんと自分よりもずっと年上の父母になっています。
父も母も兄も、自分の心のなかでちゃんとそれ相応に歳月を重ねているのですね。
2010/11/14 [September30URL #MAyMKToE [編集] 

* Re: No title

KAORIさん、あまりしんみりとならないで欲しいのです。
自分が二十代に経験したことをこの歳になってやっと書けるようになったのだから、お若いKAORIさんなどまだまだ先のことです。
感傷的な懐古は年寄りのわれわれにまかせて、今日と明日のことを考えましょうね。
2010/11/14 [September30URL #MAyMKToE [編集] 

*

私の人生を四季にたとえるならいったいどの辺りなのだろう。
明日死ぬかもしれないし、あと40年生きるかもしれない…などと考えてしまいました。
今のところ父母は健在ではありますが、社会の第一線からはリタイアしているので、
心の中では「死」というものをどう迎えるべきかは考えているものと思います。
「どう生きるか?」から「どう死んでいくのか?」にかわる時期っていつからなのでしょう。

それにしても相変わらずseptemberさんの綴られる言葉は適切で、無駄がなく、それでいて温かいですね。
私はボキャブラリが貧弱なのでとても羨ましいです。
ずっと読んでいたくなります。。。
2010/11/14 [kentilfordURL #- 

* Re: No title

kentilfordさん、
《「どう生きるか?」から「どう死んでいくのか?」にかわる時期っていつからなのでしょう。》
いつからなのでしょうね?
当然ながらひとそれぞれに答えはちがうと思います。
私はと言えば
「どう生きるか」 なんて若いころからほとんど考えなかったような気がします。ただがむしゃらに生きてきた、という気がしています。
「どう死んで行くのか」 もこれも考えたことがありません。なにしろやりたいことがまだまだいっぱい残っているような気がして。
ただし、それをやるための時間がどんどん減ってきているという実感はとても強いです。
若いときには死にたいと思ったことがあるくせに、今は逆に生きたいと思っているなんて、どういうことなんでしょうね。(笑)

それからお褒めの言葉、とても嬉しいです。 ありがとう。 

2010/11/15 [September30URL #MAyMKToE [編集] 

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