過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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新宿駅東口二幸裏 (3/3)

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誘惑
東京 銀座



このアカシア交響曲も第三楽章となり、これは最終楽章である。

僕はアメリカに渡ったあと、訳があって24年のあいだ、一度も日本に帰らなかった。 帰らなかったばかりではなく、日本の親類(両親はすでに亡くなっていた)とも友人たちとも、ただの一度も交信をしなかった。
なぜそんな事になったのか、よりも、なぜその僕が24年後に日本に帰って来たのか,の方が僕にとってはずっと意味が深いのだがそのどちらもここでは触れないでおこう。
とにかく僕は24年ぶりに、東京と山陰の郷里の町との両方へひとりで帰って行ったのだった。

帰るに当たって、僕はまず 「やりたいこと」 と 「やらなければならないこと」 の2つのリストを作成した。 24年ぶりの帰国である。 僕は 「やりたいこと」 を極力少なくして 「やらなければならないこと」 を優先したが、それでもその両方のリストを合わせると、わずか2週間の滞在では全部をこなすことがとうてい不可能な数になり、今度は丹念にひとつづつ削れるものを削っていった。
その中で 「アカシアを訪ねる」 のは 「どうしてもやらなければならないこと」 のひとつだったのである。

昔と同じ重い木のドアを引いて中に入ると、すぐに、昔と同じ24年前のジャズが耳に飛び込んできた。 昔と同じ桜のカウンターがあり、太った三毛猫はもういなかったが、そこに、昔と同じ粋な着物をきりりと着こなした婆さんがいた。
婆さんは今では本当の婆さんになっていた。 僕の顔を見ると一瞬驚きで顔をこわばらせたあと、彼女としては珍しい大きな笑顔を見せて、
「あらあ、 ◯◯さん!」 と即座に僕の名を呼んだのである。
実を言うと今夜ここに来る途中ずっと考えていたのは、婆さんも高山さんも僕のことをもう覚えていないだろうということだった。 20年以上も昔にうろうろと出入りをしていた多勢の青年たちのなかの一人を、忙しい客商売の人たちがいちいち覚えているはずがない。 それでも会って話をしているうちには何とか彼らの記憶をぼんやりとでも思い起こせることができるかもしれない、という希望を抱いていた。

「あなた長いあいだ何してたのよ。 みんなが心配してるのに手紙ぐらい出さなきゃ駄目じゃない。 でも元気そうね」
彼女の背後には、むかし壁一面にあったLPのアルバムが今はCDのケースに変わっていたが、僕は自分の名前が婆さんの口から一瞬の戸惑(とまど)いもなく出てきたときに、ここに最後に来たのは24年前ではなくて2ヵ月前だったような錯覚に陥っていた。
僕はそこに立ったまましばらく婆さんと言葉を交わしていたがやがて彼女がちょっと声をひそめて、「奥に高山がいるから、行って驚かしてやんなさい」 とバーの奥に目を向けた。
僕はそのまま奥に向かって歩いていくと、そこに客の相手をしている白髪のマルチェロ・マストロヤンニがいた。
マストロヤンニは僕の顔を見ると、おや、というような表情を一瞬見せて、さりげなく 「やあ。◯◯さん。 いらっしゃい」 と昔いつもそうしたように、かすかな東北訛りのある低い声で挨拶をする。 だが彼の表情はゆるんで懐かしさに溢れていた。 一流のバーテンダーは感情を声や身体には絶対に出さず、顔だけに表すものなのだ。
僕も 「こんばんは。 遅くなりました」 とこれも昔ここに入ってくるたびにいつも言っていた常套の挨拶をするとスツールに腰を下ろした。
先ほどの婆さんといいこの彼といい、自分の名前が即座に彼らの口から出て来たことで、僕はすでにドギモを抜かれていたが、そのあとに高山さんが発した言葉は、まるでボクサーの激烈なボディ・ブロウのように僕を打ちのめした。
「◯◯さん、今夜はアブサン? それともスコッチのお湯わりにしますか?」

********

その時からまた15年の年月をリモートで早送りして、時は現在となる。
僕は最近どうもこのアカシアの事を何度も思い出して頭から離れないので、東京にいる数人の友人たちに、昔は無かったメールという便利なものを使って、アカシアの消息を尋ねてみた。
みんなが知らない、と言ってきた中でひとりだけ、今もプロでトランペットを吹いている大学の同級生のKからこんな返事が来た。

《最近は盛り場に足をふみいれてないので判らないが、3年くらい前(あるいはもっと前か) にはレストランとバーが昔と同じに並んであったよ。
それでその時、ほんとに久しぶりに中に入ってみた。
婆さん (オレ達が学生の頃からずっと婆さんだったように思うが) の姿はなくて、高山さん(あまり印象は変わってなかった。 頭は白くなってたけど) が一人で切り盛りしているようだった。
高山さんにお前さんの話をしたらよく覚えていたよ。
40年以上前の人間を覚えているとは、お前さんもよほど強力な印象をここに残していたに違いないね。
近々また寄って様子を見てくるよ。 そういえば、あそこのロールキャベツが急に食べたくなった。 ・・・・・K  》

彼の返事ではアカシアの現況はわからない。 そこで今度は僕の郷里の友で、幼稚園以来の幼馴染みであるNが、学生時代にアカシアの仲間でもあったので、時々今でも上京しているという彼に調査を頼んでみた。
2週間ほどして彼からメールが届いた。

《アカシアの件
お前にそういわれて今回上京した折に行ってみた。
結果から言うと 『アカシア』 はもう無くなってた。
しかし隣のレストランはそのままあったので中に入って食事をしながらいろいろ訊いてみた。

婆さんは8年前に亡くなられたそうだ。
そのあとを高山さんがひとりでやっていたが1年前に彼が脳梗塞で倒れたときに店を閉めたらしい。
60年近く続いた 『アカシア』 がそこで終わりを迎えたわけだね。
高山さんはそのあと回復されたようで現在は77歳になられるという。

それで 『アカシア』 はレストランだけになったわけだけど、こちらはすごく繁盛しているようだった。
昔のバーの方の入り口は締め切りとなって右側のレストランの入り口のみとなっており、内部はレストランのスペースが倍になっていたよ。
レストランの入り口から入って突き当たりに、2メートルほどのカウンターがあり、それが忘れもしないあの桜の木のカウンターの一部だった。
当時のLP のレコードやCDはまだ全部そのまま残っているそうだ。

われわれの青春の思い出も消えて無くなっていた。 残念だけどこれもまた現実です。・・・・・N   》

(終)

人生とは出会いであり、その招待は二度と繰り返されることはない。
Hans Carossa


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コメント:

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2010/11/03 []  # 

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とても深みのあるお話です。情景が浮かんでは消えてカウンターがほの暗くそうしてそこに変わらない湿った空気と曲が紫煙とともに流れている。そんな情景をノスタルジックに感じました。人は悲しいときに昔を思い出すのではなく今の自分が躊躇しているときに過去の場面が脳裏を駆けめぐるのではないでしょうか?そんなことを考えました。素敵な思い出話しですね。ありがとうございます。
2010/11/03 [kaori] URL #- 

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2010/11/03 []  # 

*

アカシア、行ってみたいですね。
しかも一人で。

ワタシの地元に脱サラして始めた天ぷら屋がありました。カウンターだけの小さい店でしたが格安だったので若造でも天ぷら肴に一杯やれる気軽な店でした。
そのオヤジさんは笑顔の優しい人で、いつも天ぷらへの愛情を言葉控え目ながら熱く語っていました。
ある一時期から暖簾がだされなくなりました。
しばらくして開店していたので入ってみると、その息子さんがカウンターに立って、オヤジさんの奥さんに聞くところによると癌で亡くなったと。
息子さんはどこかの料亭で修業しているので変わらぬご愛顧を、と言われましたが、あのオヤジさんの笑顔と天ぷらに対する愛情に勝るものなく、それ以来行かなくなりました。
2010/11/03 [上海狂人] URL #wuZV7DPc [編集] 

* Re: No title

かおりさん、コメントをありがとう。
たしかに嬉しくて有頂天のときには思い出の余地はないようです。
私は悲しいときや、何かに直面して心が沈静しているときに古い思い出がよみがえります。
嬉しい思い出はその時の嬉しさがそのままに、悲しい思い出はいつの間にか角が取れて懐かしい思い出に変わっているようです。
2010/11/03 [September30URL #MAyMKToE [編集] 

* Re: No title

私にも似た思い出があります。
大学のときの下宿の近くの屋台のおでん屋でした。
田舎からぽっと出てきた私にはその老人がクラスの友達よりも誰よりも良い話相手になってくれて、安いコップ酒を飲みながら話を聞いてもらったものです。
大雪の夜でも休んだことのなかったこの屋台が、ある日そこになくて、それ以後二度とその老人を見ることはありませんでした。
今でも道端の屋台をを見るたびに必ずその事を思い出します。
2010/11/03 [September30URL #MAyMKToE [編集] 

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