
朝靄の窓
Oakwood, Ohio USA
クロップという言葉はもともと「農作物を収穫する」という意味でもわかるように、長い忍耐と努力の結果が実るとても楽しい、と同時に大切な行事なんだ。 それでもう少し例をあげておけば、前回から僕の言ってる意味がわかっていただけるんじゃないかと思う。
小さい画像はいずれもrawのオリジナルでまったく編集していないもの。 それぞれのペアをよく較べてみてください。
クロップというのはもとの画面から、よりインパクトを持つ画面にするために不必要なものを切り取ることだから、当然ながらクロップの結果は改良になっていなければ意味がない。 僕のクロップを見て改良になったか、改悪になったかは人それぞれの意見があるわけで、僕とは違うクロップをする人ももちろんいるだろうね。

彫像のある家
Dayton, Ohio USA
下の写真は実はあまり自信のあるクロップじゃない。
原画のままの構図でも良かったような気がする。 前景の広い地面は必ずしも無駄な空間ではないし、手前左に見えている植物も僕は気に入っている。 それに右手に1本だけ立っている木も面白い形をしていて捨て難い。 それなのにあえてこのような切り取り方をしたのは、2つの理由があった。
画面の右に見えている街角の一部がごちゃごちゃしすぎてるということがひとつ。 それとこれは街角の風景というよりも壁に描かれた絵を主体に持ってきたかったことがひとつ。 その結果がこんな極端なクロップになってしまった。 原画の構図でよかったんじゃないか、と今でも迷っている。 (考えが変わればいつでも編集以前の原画に帰って行けるのがrawのすばらしいところだ。)
このペアに関して皆さんはどう思いますか?

髭のある貴婦人
Stes Maries de la Mer, France

『
写真のレシピ(1)』 『
写真のレシピ(2)』 『
写真のレシピ(3)』 『
写真のレシピ(4)』
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ふた昔も前のこと、その当時、すがすがしく気持ちのよいレイアウトで人気を集めていた
Kというグラフィックデザイナーがいました。 たまたま身近にKと同業のYという知人がいたので、
「どうしてKさんのデザインはあんなにキモチイイのかねぇ?」と聞いてみたのです。
Yは少し考えて、「Kさんの作品をよく見ると、文字も写真も空白も、そこでなければならない位置に
常に置かれているんだ、まるで自然がそうであるかのように1ミリの狂いもなく・・・」と独言のように
答えました。 それはとても技術的なニュアンスの話だったけれど、感覚的、生理的な話のようでもあり、
僕はしっかり理解せぬまま、話は才能というやっかいな話柄に移っていきました・・・。
今回のレシピも噛みしめるように読ませていただきましたが、「クロップ」は主題をきわだたせる
ためだけの処理ではなく、その写真を写真たらしめる(曖昧ないい方でごめんなさい)デザイン作業と
理解してもいいのでしょうか?
ちなみに、『髭のある貴婦人』はオリジナルのほうが好きです。
このコメントは管理人のみ閲覧できます
centerfieldさん、
クロップを含めて写真の編集は、デザイン作業以外の何ものでもない、
と私は考えます。
あまりにも技巧的に響くかもしれませんが、
技術などまったく意識しないですばらいい作品を生み出せる少数の人たちとちがって
私たち凡人は技術で持ってカバーしなければなりません。
技術と言うか技巧というかテックニックということで思い出したことがあるのですが、
昔音楽の世界に私がいた時に確信したことがあります。
ある曲がたとえば10のテクニックを要求するとしたら
10のテクニックをもつ音楽家が弾けば、ただ演奏した、というだけで終わってしまう。
(8しか持たない演奏家は話になりませんが)
同じ曲を12のテクニックを持った人が演奏した場合、
その差の2から、音楽性というか独創性のようなものが生まれるのじゃないか。
ですから
10の力しかない演奏家は7とか8のレベルの曲を選ぶべきだ、と。
今日の写真の話と関係があるようなないような、
やっぱりないですか。 (笑)
2012/07/07 [
September30] URL #MAyMKToE
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鍵コメさん、
見るのを楽しみにしています。
ありがとう。
2012/07/07 [
September30] URL #MAyMKToE
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まったく私的体験ですが。
ホロヴィッツのピアノから、美空ひばりの歌唱から、ムターのバイオリンから、
同じ種類の音楽的エクスタシーを感じたことがあります。 そう感じるようになったころから、
僕にとって音楽のジャンルはあまり意味をもたなくなり、さまざまな世界に存在する名人たちの
「陶酔の瞬間」を味わうことが無上の喜びとなりました。
その陶酔がマエストロたちの「その差の2から」生まれてきたものなのかどうかはわかりませんが、
確かにいえることはその瞬間、僕はテクニックに酔っていたのではないということです。
若いころはテクニック至上主義でうまい人しか聴く気がしなかった人間だから、そのように音楽を
聴けるようになったことがとても嬉しく少しだけ大人になれた気がしました(苦笑)。
その差の2から生まれるもの・・・何なのでしょう? 音楽的感動としかいいようがないのですが。
ただし、これはリスナー側からの見解で、プレイヤーにはまた違った現場の「その差の2」論が
あるはずです。「写真」論から離れてしまいました(苦笑)。
centerfieldさん、
私はテクニックと音楽性とをよく考えもしないで数字で表してしまったのですが
これはプレーヤーとしての私見です。
昔ジャズを教えていた時に生徒によくさせたのは
自分の好きな曲をを和音も何もつけないでメロディだけを
できるだけ感情を込めて弾いてみろ、ということでした。
メロディだけならテクニックとしてはまったく問題ないわけだから、
生徒たちは自分の好きなように、自分なりの感情と解釈で自由に弾けるのですね。
音楽性、芸術性というようなものは
その辺から生まれるのではないか
というのはちょっと極論かもしれないけど、
少なくとも生徒たちに理解させることはできたようです。
2012/07/08 [
September30] URL #MAyMKToE
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このコメントは管理人のみ閲覧できます
鍵コメさん、
コメントをありがとう。
あなたがクロップを選んだ理由は
私自身の理由とまさに一致します。
この写真はしょせん2枚の別個の作品になる運命なのかもしれません。
生意気だなんて
ちっとも思いません。
これからも意見を聞かせてください。
2012/07/08 [
September30] URL #MAyMKToE
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9月様
既に、5/30付けブログ「5月のクイズの結果は」の投稿欄に、7月7日付けで鍵コメ3本を送信済みです。未だ開封されていな様子なので、茲に連絡します。
で引き続き、9月さん、更に鍵コメ続編の送信を準備中です。楽しみに、お待ち下さい。
2012/07/09 [
Yozakura] URL #Y2lB8pKc
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Yozakuraさん、
わざわざありがとうございます。
お送りいただいた鍵コメは全部開封しています。
中の動画も全部拝見しました。
2012/07/09 [
September30] URL #MAyMKToE
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