過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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ショパンの遺産

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美しいもの

Somerville, Massachusetts USA 


さまざまな出会いがあった。
長いようで短いようで、実際にはあまりにも短すぎる人生だったが、ほとんどの出会いはそのまま僕を通り抜けてどこかへ行ってしまったようだ。 まるで、街の雑踏の中で何気なくすれ違う知らない人たちのように。

現実の世界での出会いだけではない。 本や写真や音楽を媒体にして、実際に会うこともなければすでにこの世に存在しない人たちとの出会いもあった。
そんな現実非現実のさまざまな出会いの中で、僕を通り抜けてしまうことなく、現在もしっかりと自分の内部に棲みついてしまっているものが、数は多くないが確実に存在するようだ。 そしてそれ無くして、現在の自分はありえない。 
そのひとつは、10才のときに初めてショパンに出会ったことだった。

僕は5才の頃から母親に厳しくピアノをたたき込まれていて、数年たって母の手に負えなくなると、町で一番権威のあったF先生のもとへレッスンに通わされていた。 F先生の門下生には誰でもなれるというわけではなかったからその数は多くはなくて、彼らのほとんどが高校を卒業すると音楽学校へ進んだ。 そして僕はその生徒たちのなかでただ一人の男の子だったのである。
F先生のもとへ毎週レッスンに通っていた小学生の僕は熱心な生徒だったとはいえない。 遊びたい盛りだったから毎日の稽古もいい加減だったし、F先生のレッスンでもあまり進歩がなくてよく叱られたものだ。 それでも止めてしまうこともなく続いたのは厳しかった母のお陰だった。 (そして後年、その母の厳しさに感謝することになる)。
F先生の生徒として初めての発表リサイタルで、僕はベートーベンのソナタを弾かされた記憶がある。 曲の途中でちょっとつまずいてしまったりして実にさんざんな結果に終わった僕のあとへ、ステージに出てきたのは僕がふだん遠くから淡い慕情を抱いていたU子ちゃんである。 U子ちゃんは近所のガキ友達のお姉さんでもう高校生であったから、僕よりも歳はうんと上だったが、その友達の家へしょっちゅう遊びに行っていたのは彼女の顔を見たいというのが目的だった。  そのU子ちゃんがその日、水色のドレスに長いリボンを後ろに垂らして、うっとりとするような優雅な仕草で弾いたのがショパンのバラードの1番だったのだ。

それまで、ベートーベンとかモーツアルトしか弾かせてもらったことのなかった僕は、 U子ちゃんの弾くショパンを聞いた瞬間に呆然として身じろぎひとつできない状態になってしまった。 ピアノの音が耳を通して入って来るというのではなかった。 かつて聴いたこともない華麗な音の連続を、身体中の皮膚が吸い取って、その音が稲妻のような速度で全身を駆け巡ると、背骨の中枢神経を丸ごと揺さぶっているような、激しい激しい感動を子供心に経験していた。 美しいU子ちゃんがピアノでもって、僕に向かって甘く哀しいお伽話をしてくれているような幻想の中に僕は閉じ込められて、ほとんど息がつけなかった。

その物語は、最初は甘く優しい恋人同士の対話で始まり、それが少しずつ熱い情熱へと高まってゆく。 そしてある時点でとたんに激しい怒涛のようなフォルテ・フォルティシィモへと変わる。 やがてそれが静まって、再び甘い想い出の対話に返っていって、そのまま慰めのうちに物語が終わるかと思っていると、そうではなくて、突然、激しく叩きつけるような悲劇的なパッセージでもって、物語はぶっちぎられるように終わってしまう。 それはあたかも、僕のまだ見ぬヨーロッパの古城を舞台にした、王子とお姫様の悲しい恋物語であった。

それがショパンとの出会いだった。 それは僕がそれまでに聴いたどんな音楽とも違う、妖しく、麻薬のような危険な匂いのする不思議な魔力を持っていた。 そしてその音楽は10才の僕に、やがて来るべき青春の喜びと悲しみをはっきりと予告してくれていたと思う。

それから長い長い月日が過ぎた。
僕は今ではすっかり汚れてしまったかもしれないが、それでも心の片隅にあの10歳の日の感動はちゃんと生きている。
美しいものに憧れて、美しいものを求めて、美しいものに失望して、それでもまだ、僕は美しいものを探している。



映画 『戦場のピアニスト』 から。 ショパン バラード第1番(抄)


極寒のワルシャワの廃墟に、調律の狂ったピアノから流れるショパンのバラード1番・・・・ 
「美しいもの」 に命をかけた病んだユダヤ人のピアニストと、「美しいもの」 を理解するナチの将校とのあいだの言葉のないシーンは忘れることができない。


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コメント:

* 映画のタイトル

クイズは何度か応募しておりますが、お便りするのは初めてです。今は日本におりますがアメリカに住んでいたことがあるせいか、どこにいても平気な一方どこにいても少し異邦人な感覚を持ち続けているという事情もあり、お写真やエッセーをいつも楽しみにさせていただいています。2,30年まえのアメリカの光景は本当に懐かしいですし、自分では言葉にしきれなかったことがらや感覚がお見事な文章のなかに光っているのを発見したときは、膝をたたきそうになったりしています。

そのような身の上で初コメントがこんな用事になってしまって、居心地がわるいのですが、映画のタイトルは「戦場のピアニスト」です。(原題はThe Pianistなのですね)

早めに訂正なさるとほかの読者の方のお役に立つこともあるかと思い、老婆心よりおたよりする次第です。

それではまたお便りします。ずいぶんとお寒いようですが、お障りがありませんように。
2012/12/10 [中村うらら堂] URL #6facQlv. [編集] 

* Re: 映画のタイトル

中村うらら堂さん、

映画の邦題はさっそく訂正しました。
ありがとうございました。

そうなんです。ブログに映画のことを書く時に邦題は普通調べるのですが、
今回はまさか『ピアニスト』以外はありえないだろう、と思って怠けてしまったのです。
そういえば昔 "Shadow of your smile" という映画が
日本では『イソシギ』
これには参りました。

以前アメリカにお住まいだったのですね。
私のブログに現れるアメリカ経験に、共感の点とか異論をお持ちだとか、
コメントをしていただけたら嬉しいです。
他の読者の人達もきっと喜ぶでしょう。

2012/12/10 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

*

幼稚園児のときから10年ほどバイオリンを習っていましたが、挫折したのは素敵なバイオリニストに巡り会わなかったからだと、今気がつきました。
聴いていたのもハイフェッツとか、頑固おやじみたいなのばっかりだったし。
2012/12/10 [micio] URL #O/XG6wUc [編集] 

*

20番のノクターンもせつないです。
小品なのに胸にせまります。

September30さんに弾いてもらいたいな~。





2012/12/10 [ムー] URL #qiVfkayw [編集] 

*

ショパンの曲はどの曲も美しい調べですね。
『戦場のピアニスト』のそのシーンは私も今でも
脳裏に焼き付いています。感動的で好きな映画のひとつ。
この時のナチ将校の寛大さにあっぱれですね!
原題=邦題と考えてはいけませんよ(笑)
日本人受けするには、ちょっとひねらないといけないようですので。。
2012/12/11 [bluemillefeuilleURL #Xlf.8pIU [編集] 

* Re: No title

micio さん、

過去の巨匠たちに対していかにもmicioさんらしい反応ですが、
頑固おやじである私自身から見ても同じ気持です。(笑)
前にどこかで書きましたが、ショパンのように若くして夭折した芸術家こそ
若いピアニストの新しい解釈があってもいいと思います。

2012/12/11 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* Re: No title

ムーさん、

ああー、いいですよね、この20番は。
少しセンチメンタルに過ぎるかなあ、と思うのは上のmicioさんが云う頑固おやじの発想で、
これはこれでいいんです。
だって、若い青春というものは思いきりセンチメンタルなものだから。

私の弾く20番なんて、聴かないほうがムーさんの身のためです。
2012/12/11 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* Re: No title

ハナさん、

あの映画は監督のロマン・ポランスキー自身が若い時に
ナチの手から奇跡的に逃れたという経験が強く反映してますね。

映画の邦題は日本人受けするようにひねる、というのは分かるんですが
そうすることで世界中の人達との対話に支障をきたすのは考えものです。
日本人の島国根性のあらわれか?
2012/12/11 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* Re: 映画のタイトル

洋画の邦題のつけかたについての議論はおもしろいですね。そういえば、アメリカにおける外国語映画のタイトルのつけかたの是非も、アメリカの新聞の映画評論にたまに出てきます。

洋画のタイトルが固有名詞だと無難に原題のままでいく例が多いようですね。定冠詞と単語だけの簡潔なタイトルはカタカナか直訳。そうじゃない場合は、原題をひとひねりもふたひねりもして文化背景の違う国の人々を映画館まで足を運ばさせる、配給会社の腕の見せ所。邦題があまりに原題からかけ離れ、なおかつセンスがひどかったりすると、原題をそのままカタカナ読みさせた方がよかったのではと思ったり。

The Pianistの場合は、2001年のLa Pianiste(フランス、オーストリア、ドイツ)の邦題で「ピアニスト」で使ってしまっているので、違う邦題にする必要があったのでしょう。ちなみにアメリカでは、La PianisteはThe Piano Teacherというタイトルで公開されました。

さらに僕が勝手に混同するのは、1993年のThe Piano(ニュージーランド、オーストラリア、フランス)。邦題は、「ピアノ・レッスン」。

タイトルはともかく、なんかどの映画もテーマが深く、映画館を出ても長く余韻が残ったことを思い出します。September 30さんが無言でピアノをひいて締めくくったホームパーティがごとく。
2012/12/12 [November 17] URL #- 

*

septemberさん

もちろん私も、原題を見て、全然違う!?とか、
この邦題、センス悪い!?と思うことはよくあります。
「戦場のピアニスト」の場合は、おそらく上の方のコメントの
ような理由によるものなのでしょうね。

英語の映画であれば、カタカナ表示でもわかる人は多いでしょうが、
では、フランス映画、イタリア映画、etc.,のときはどうでしょう?
単に、カタカナ表示しただけではわからない人が多いでしょう。

また、日本語にしかない微妙なニュアンスの言葉、
「慕情」とか、「旅愁」とか、「めぐりあい」とか
(古い映画しか今浮かびませんが、
原題と比較して、いいと思いませんか?
そんなに日本人をいじめないで...^^;

翻訳で、日本人に対して魅力的な文章に訳すとき、
つくづく、日本語って難しい、独特であると実感しています。

話はそれましたが、いつか、septemberさんのピアノ、聴きたいです♪
私も同じく、「美しいもの」探し求めています。。
2012/12/13 [bluemillefeuilleURL #Xlf.8pIU [編集] 

* Re: Re: 映画のタイトル

November 17 さん

なるほど「ピアノ」シリーズにはそういう経過があったわけですね。
そのどれもがそれぞれに違う意味でショッキングな作品でした。
映画マニアのNovemberさんならではの情報です。

「ピアノレッスン」は音楽を書いたMichael Nymanのピアノ曲が私はとても気に入って、
楽譜を取り寄せて弾いたりしていました。
私がピアノを弾いた、といえば
あのパーティもずいぶん前の事になりました。
あれ以来、人の前で弾くということはいっさいなかったと思います。
Novemberさんたちが最後になるのかもしれない。(笑)
2012/12/13 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* Re: No title

ハナさん、

映画にかぎらず文学などの分野でもそうですが
日本語への翻訳の場合、内容はともかく、表題はある程度原語との共通性を残したほうが良いと思います。
ただ、映画の場合は観客を呼ぶための営利的な部分が加わるので
そうは簡単にいかないのでしょうね。

ところで
邦画に英語のサブタイトルがついた映画をよく見るのですが、
なかなかよく訳されていると感心するのに、
逆に、洋画に付いている日本語のサブタイトルは
もうちょっとどうにかならないのか、と思うことが多いです。
細かな表現を気にしないでだいたいの意味が通ればよい、という立場でなされているのかな?
2012/12/13 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* Re: 映画のタイトル

まだまだ、僕らをSeptember30さんの生演奏を鑑賞できた最後の世代とするのは早いですよ。September30さんの街の方角(ここから西)に足を向けては寝れなくなります。でも、四年近く前には写真の展覧会にも行けたし、あとは手作りうどんをごちそうしていただければ、September30さんマニアの僕としてはいつ消されても成仏できます。
2012/12/15 [November 17] URL #- 

* Re: Re: 映画のタイトル

November さん、

そうですか、あの骨まで凍るような寒い雪の夜の個展のオープニングに、
遠くから奥さんと来てもらってからもう4年になりますか。
写真集に2度サインをさせられたのを覚えています。(笑)

うどんなどお安いご用です。いつでもご馳走しますよ。
2012/12/15 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

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