過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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浮気な女だと、人は云うけれど

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フランス人形
Paris, France


1960年代の半ばに僕は日本のシャンソン界に1年ほど関係していたことがある。
あの頃はシャンソン歌手として戸川昌子、丸山明宏、岸洋子などが活躍していて、彼等はいずれも銀座の 『銀巴里』 や御茶ノ水の 『ジロー』 あたりから巣立ってきた人たちだったと思う。 そんな時、銀座の電通通りの日航ビルの地下に、新しく開店したシャンソン喫茶が 『日航ミュージックサロン』 だった。

僕がピアノを弾いていたのは正確に言うとその銀座ののミュージックサロンではなくて川崎の日航ホテルだったから、いわば銀座のミュージックサロンの支店のようなもので、アルトサックスの高橋さんという人のクインテットの一員としてそこへ入っていた。 (高橋さんはそのあと交通事故で亡くなった)。 支店といっても、本店に出演する十何人かのシンガーたちは支店にも出ることを義務付けられていたから、そんなわけで数多くのシャンソン歌手たちと知り合うことになったのである。 そのうえ、僕は時々は銀座の本店でピアニストの三好さんの代わりも務めたので、この洒落たシャンソンカフェにいつでも好きな時に顔を出して、裏の楽屋まで自由に出入りをすることができた。 

今あの頃の記憶をたどってみると、もう数人のシンガーたちしか思い出すことができない。 
工藤勉、仲まさこ、田代美代子、佐良直美、花井チズコ、平野レミ、仲代圭吾 (仲代達矢の弟) などだ。 そしてその中の数人の人たちとは個人的にも親しくなって仕事を離れた場所で会ったりしたものだった。 

平野レミさん
僕が大学でフランス文学を専攻したのを知ったレミさんが、フランス文学者であった彼女のお父さん、平野威馬雄さんを紹介してくれて松戸のお宅までお邪魔したことがある。 それがきっかけになってレミさんとはステージのあとで時々いっしょにお茶を飲んだりするようになった。 日本人離れした可愛い顔立ちに似合わず、底抜けに明るい天真爛漫な彼女の性格に僕はそれとなく惹かれていたのは確かだった。 ジャズを勉強したいというレミさんをマーサ三宅さんに紹介してあげたりしたが、それからしばらくして僕は日本を離れてしまった。
あれから40年以上が過ぎて、つい最近、日本の友人と話をしていたら彼女の名前が偶然に出てきて、今ではレミさんは料理家として大いに売れていると知った。 Youtube で彼女の料理番組を見ると、昔とちっとも変わっていない彼女がそこにいて、昔よりさらに早口で喋るのを聞いて僕は思わず笑ってしまった。

花井チズコさん
花井さんが日航ミュージックサロンで異色だったのは、彼女はジャズシンガーだったということだ。 当然ながら僕とはすごく気が合って、彼女と僕はあちこちのコンサートやライブのクラブに出没した。 当時すでにベテランだった彼女はある日何を思ったのか、アメリカに渡ることを決心して僕よりも一足先に日本を離れてサンフランシスコへ行ってしまった。
僕の方は数年後にはボストンに住んでバークリー音楽院に在籍していたが、これも僕より先にサンフランシスコに渡っていた大学の友人の一人がボストンに移住して来た。 その彼が言うには、サンフランシスコのジャズクラブで歌っていた花井さんを見たそうだ。 1972年頃の話である。
それきりになってしまった。 彼女の名をあれこれと検索してみたが結果は空しく、何も出て来なかった。 

佐良直美さん
僕が1年足らずしかいなかった日航ミュージックサロンに、数多いベテランに混じって新人の佐良直美という名の女の子が登場した。 いつも付き人としてそばを離れなかったのが、確か彼女の叔母さんに当たったと思うけど豊満な身体をした中年の女性だった。 楽屋でこの叔母さんの、周りに対する気の使いようは尋常ではなくて、いつもチョコレートやキャンディのふんだんな差し入れがあったり、時々は関係者を直美さんの豪勢な屋敷に呼んでパーティをやったりした。 
この子はいい声をしているだけではなく歌が抜群にうまかったから、そのうち名前が出るだろうと思っているうちに僕はシャンソンの世界を離れて次の仕事へ移っていった。 そしてしばらくして、彼女が 「世界は二人のために」 でレコード大賞の新人賞をとったことを知ったのだ。

その次に彼女と会って話をしたのは、ずっと後になって僕が日本テレビの深夜番組 『11PM』 でミュジックメーカーズの一員としてレギュラーで出ていた時で、彼女がこの 「いいじゃないの幸せならば」 でまたまたレコード大賞をとった直後だったと思う。 
一人の男を切々と思いつめる女心しか歌にならなかった日本の歌謡界で、刹那的で頽廃的な匂いのする岩谷時子の歌詞は若者たちに新鮮な風を吹き込んだ、という記憶がある。 







現し世は夢 夜の夢こそまこと
江戸川乱歩



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コメント:

* 懐かしい話

これらの話はみんな懐かしい。
平野レミさんがシャンソン歌手だったとは知りませんでした。
有名な料理愛好家&エッセイストで、TVでの人気は勿論、本も良く売れていました。
品のある顔立ちで別嬪さん、September氏の気持ちは当然でしょう、
祖父にあたる米国人の方の経歴は至極いですね。

話は全く違いますが、元ジャズ・ミュージシャンで在米40年、
最適の日本語訳を期待して、お願いがあります。ジャズ・ミュージシャン(黒人)が、
We are to eat sour food music 、と観客に言いました。

どういう意味になりますか?
2012/10/14 [henri8] URL #av6ed.vY [編集] 

* シャンソン

前回に継いで、再度お邪魔します。
マンボ先生の影響を受けた私が聞いたシャンソン歌手は、一時代前の芦野宏や中原美紗緒でした。その前の石井好子、高英夫等は日仏学院に通っていた耳には、仏語らしく思えず、聴きませんでしたが。
サンテックス好きの私は、イタリアおたくになっても、コロムビアが出した『星の王子さま』のジェラール・フィリップ朗読のレコードを現在はテープに吹き込んで、今でも聞いています。王子様役は『禁じられた遊び』のミシェルを演じたジョルジュ・プージュリーです。
フランス・ウィキペディアを読むと、36歳で亡くなったこの名優を記念した通りがブーローニュの森近くにあるそうです。
2012/10/15 [ペッシェクルードURL #j9tLw1Y2 [編集] 

*

「いいじゃないのの幸せならば」を聞いた頃、
投げやりな気分で生きていたのですごくフィットして、
この虚無感は私だな。と思ったものです。
月日は流れ、その後の私が今の私なんだなー感慨無量。

佐良さんは今那須高原で沢山の犬や猫と暮らしています。
友人がそこで働いていたんですが、
ものすごい存在感の「ようこ様」というのがその方かもしれない。
2012/10/15 [ムー] URL #qiVfkayw [編集] 

* Re: 懐かしい話

henri8 さん

We are to eat sour food music.

この意味は私にはよくわかりません。

ただし、sour というのが soul の聞き違い(書き違い)だと仮定すると
それなら意味は説明するまでもないでしょう。
Soul Food はアメリカ南部の黒人の伝統的な食事です。
60年代には黒人を Soul Man と呼んでいて、私も沖縄でこの言葉を使っていましたが
彼等はそう呼ばれることを喜んでいたようです。

ですから
Soul food music = Jazz
ということですね。

それから御存知だとは思うけど
現在のアメリカでは黒人(Black)という言葉は正式にはもう許されません。
日常ではまだまだ使っていますが正式には
African American と呼びます。
アメリカインディアンを Native American と今は呼ぶのと同じです。


2012/10/15 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* Re: シャンソン

ペさん、

早稲田で国文を専攻して卒業して国語の教師になったマンボさんが
われわれに与えた大きな影響は、なぜすべてがフランスやフランス文学に関係していたのか?
これは謎です。

現在のマンボさんは詩作を続ける一方、相変わらずフランスの詩の翻訳などしながら
人と集まって優雅に連歌を詠んだりしているようで
彼の中の日本文学サイドに目を向けようとしなかったのは
もしかしたらわれわれの損失だったのかもしれませんね。
2012/10/15 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* Re: No title

ムーさん

過ぎたことを悔やまないで先のことを心配しないで
今現在が大事
と考えるのは若い世代の特権だと思っていましたが、
この年令になって自分がそうなるとは考えていませんでした。

佐良さんの叔母さんのものすごい存在感の「ようこ様」は
もしそのひとだとしたら、かなりの年配のはずなんですが?
2012/10/16 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

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このコメントは管理人のみ閲覧できます
2012/10/21 []  # 

* Re: 平野レミさん

鍵コメさん

その対談はぜひ見たいですね。
2012/10/21 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* 亀レス:佐良直美さん情報です

September30様

 昨年10月に掲載された記事に今頃の返信ですから、亀レスも良い処ですが、「投稿出来る今の裡に投稿しておかないと----」と思い、時期遅れの情報提供です。例によって、公開出来る情報は表メールで、公開を控えたい情報は別メールにて送信します。こちらは、表の情報です。

 先ず佐良直美さんの近況ですが、今年3月ごろに様々な情報媒体で「自己資産の増加と富豪ぶり」が大々的に報道されていました。代表的なものは次の記事で、

「大株主となっている会社の上場株価が上昇して富豪となった」

と云う主旨です。ご関心あれば、貴方の自己責任に於いて打鍵して下さい。

【歌手・佐良直美、4億円超の大儲け】
http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20130328/enn1303281536013-n1.htm

 現在は栃木県那須塩原市に居を構え、犬の繁殖や躾け学校の経営で成功なさっている模様です。
 実は、この地方都市が、最近危ないのです。2013年08月中旬に入り、例の「収束しない東京電力福島第一原発事故」が更に悪化し、福島県各地の空間放射線量率が目立って増加しています。
 そして、この栃木県北部に位置する那須塩原市は、福島県外ではその影響を真っ先に被る場所なのです。早い話が「危険な場所」なのです。それで、御報せしようと思ったのです。

 それと、佐良直美さん自身が新聞記者に語った「芸能界から去っていった事情」がスポーツ新聞社のサイトに掲載されています。御関心あれば、自己責任に於いて打鍵して下さい。
 それと、公開された番組等から得た私自身の僅かな情報でも、そのころから佐良さんは、「歌手と云うよりも社交能力に恵まれたタレント」と云った印象が強いですね。歌謡番組の司会者やテレビドラマの役者と云った方面に才能を発揮していた記憶があります。

【佐良直美が30年前のレズ騒動を語る】
http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/2238/

 こちらも、日本から遠去かって久しい9月氏には参考になろうかと思います。で、裏情報は、別便にて送信します。
2013/08/21 [Yozakura] URL #Y2lB8pKc [編集] 

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このコメントは管理人のみ閲覧できます
2013/08/21 []  # 

* Re: 亀レス:佐良直美さん情報です

Yozakura さん、

いつも貴重な情報をありがとうございます。
ゆっくりと時間をかけて拝見させていただきます。
2013/08/21 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

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2013/08/22 []  # 

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