過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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叔父のライカ

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煙草のけむり
鳥取県米子市


僕の父は戦争前の北京で裕福な暮らしをしていたころに写真の趣味があって、高価なカメラを所有したり自分の暗室を持っていたらしいが、幼児の僕にはその記憶はまったく無い。僕が覚えているのは1個の大口径の古いレンズだけだった。そのレンズは、家族が中国から引き揚げて日本へ帰って来たあと、もう写真どころではなかった父から、5歳の僕におもちゃとして与えられたもので、僕はそれを虫眼鏡代わりに使ったり、内蔵された絞りを大きくしたり小さくしたりして遊んでいた記憶がある。それを見て「これは子供のおもちゃじゃない」といって僕から取り上げたのは、やはり写真に凝っていた僕の叔父だった。

この叔父は写真を撮ることが好きだっただけではなくカメラの蒐集にも凝っていた。僕が10歳の時に最初のカメラを買ってくれたのも、その使い方を手をとって教えてくれたのも叔父だった。だからといって僕が写真やカメラにとくに引き込まれてしまうこともなく十代を過ごしたのは、スポーツや文学に大半の時間と情熱を注いでいたからにちがいない。
それが大学に入ったころから再び写真に興味を持ちはじめて、どこへ行くにもこれも叔父が買ってくれたハーフフレームのオリンパスペンを持ち歩くようになっていた。

後年、僕がアメリカに渡ることになった時に、その叔父が彼のコレクションの中から選んで持たせてくれたのがニコンFで、それ以後長いあいだ僕はニコン以外のカメラを使ったことがなかった。
アメリカで僕は自分が撮った写真を8X10インチにプリントして、それが溜まってくるたびに叔父に送っていた。全部で200枚にもなるだろうか。それは叔父が当時の日本の写真雑誌「朝日カメラ」「カメラ毎日」「日本カメラ」の三冊を毎月きちんと送り続けてくれたことに対するお礼の意味もあった。写真を送っても叔父はありがとうとも何とも言わない性格の人だったけれど、いつもアメリカからの外国郵便を心待ちにしていることを、僕は叔母から聞いて知っていた。
「写真はまだまだだけど、プリントは俺よりも確かに上手い」というのがその頃の僕の作品に対する叔父の評価だった。
あるとき日本の写真雑誌に僕の一連の作品が載った時も「おまえの写真の中でも感心しないものだけを選んで載せてある」とわざわざ手紙に書いてきたのもいかにも偏屈(へんくつ) な叔父らしい批評だった。

その叔父が76歳で亡くなった時、帰国した僕は久しぶりに叔父の集めていたカメラに対面した。書斎のガラスケースにはライカ、ローライ、ハッセル、ニコン、コンタックス、と選び抜かれた歴代の名機が20数台、ぎっしりと並んでいていわゆるガラクタは1台もない。長いあいだ蒐集と売買を繰り返した結果、最後に選びぬかれた極上品だけがそこに残されていた。そのどれもまるで昨日届けられた新品のように手入れが行き届いていた。叔母が言うには亡くなる前日まで毎日1台ずつ取り出してはシャッターをきったりレンズを磨いたりしていたらしい。
僕にとっては短い日本滞在の期間だったけれど、ある日ガラスケースからライカを1台取り出すと、それにフィルムをつめてぶらっと外に出た。子供のころ住んだ懐かしい街の一画を歩き回ってみたかったのだ。


最後にこのあたりを歩いたのはもう50年も前である。予想していたように周りの景色はすっかり変わっていた。路地にそって流れていた小川で子供の僕は鮒やザリガニを捕ったものだが、それは埋められて路が広がり、花や果実を摘みに行った広い菜園があった場所には小さなアパートが幾つも建てられていた。そんな中で、僕の家族が住んだ家や若かった叔父叔母が愛の巣を構えた借家や、子供のころよく遊んだ神社、川端の地蔵などはそのまま残っていた。僕は見覚えのあるものを見つけるたびに立ち止まると、それを記憶の底から呼び起こしながら使い慣れない叔父のライカに収(おさ) めた。
そうするうちに、僕は一軒の喫茶店の前に来ていた。そこは昔、舎園と呼ばれる小さな荒れ庭があった場所にちがいなかい。三方を建物に囲まれて昼間でもほとんど日が射さず、厚い羊歯の葉が地面も見えないほど茂った陰気なその庭には、さまざまの昆虫や小動物が棲息していた。まわりの世界から切り離されて、真夏でも何となくひんやりとしているその薄暗い空間へ、子供だった僕はいつも好奇心と恐怖をとり混ぜて入り込んでいったものだ。

コーヒーが飲みたくなった僕はドアを引いて店に入ってみる。 低くクラシックが流れていて落ち着いた、感じの良い店だった。 久しぶりに吸う両切りのピースに咳き込みながら挽きたてのコーヒーを飲み、そこでもまた写真を撮る。そのとき突然、強い悔悟にも似た感情が突き上げてきた。
自分にとってこの50年はいったい何だったのだろうか?

***

撮ったフィルムを現像に出して、返ってきたプリントを見たとき、僕は息を呑んだ。ライカのズミクロンの柔らかで深みのある描写は何ともいえない味があった。セクシーと言えるかもしれない。しかも色調が渋く抑えられているところにあの日の僕の心象がそのままに再現されている。長年使ってきたニコンのレンズではこんな描写はできない。もっとドライで硬い写真になってしまっただろう。

「カメラはどうせ全部あなたのものになるんだから、好きなのを持っていきなさい」と叔母が言ってくれた。僕はライカのM5とM4-2の2台に90ミリ、50ミリと35ミリの3本のレンズを持ってアメリカに帰ってきた。
今ではほとんど完全にデジタルに移行してしまった僕だけれど、ときどきこのライカを取り出して、そのずっしりと重く黒光りのする機体を掌に乗せて指で触っていると「写真は機材じゃないよ」と言いながらあんなにカメラを愛した叔父の心情がよく解るような気がする。

今年はその叔父の十回忌になる。




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コメント:

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この話を伺うと、いつも親戚回りをしたくなります。どこかにライカだの持っているおじさんはいないかなあと。

かみさんの実家に行ったときに義母が中学生時代使っていたというアイレスをくれましたが、ヘリコイドが固まって使い物になりませんでした。
今度父が使っていたペンタックスをもらってこようと思います。
2010/10/26 [上海狂人] URL #wuZV7DPc [編集] 

*

いつも、銀座のライカのショップの前を通ると、
つい中を覗いてしまいます。
古いライカのカメラ・・・、憧れちゃいます。。

カメラは、持ち主の愛情や想いがこめられているのでしょうね、
大切に手入れしてあげないと(笑)
それと同じように、写真にも、そのときのカメラマンの
気持ちや想いが表現されるのでしょうね。
2010/10/26 [bluemillefeuilleURL #Xlf.8pIU [編集] 

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上海狂人さん。
この記事を書き直しているときに、上海狂人さんなら狂喜するだろうな、と思い出していました。私には宝の持ち腐れですから。
叔父のコレクションはまだそのままですが、八ッセルブラッドとローライは叔父が生前親しくしていた写真仲間のふたりに差し上げました。
私はライカのM5はときどき使っています。
2010/10/26 [September30URL #MAyMKToE [編集] 

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Hanaさん、半年や一年ごとに改良機種や新機種の出てくるデジタルの世界(カメラだけではなくすべてのものが)とくらべると、一台の古い銀塩カメラに対する愛着の度合いはずいぶん違うと思います。ふだんはデジタルしか使わない私でさえ、M5をたまに持ち出すのですが、両手にしっとりとなじむ重量感だとか、メカニカルシャッターをきるときに感じる「歓び」のようなものはデジタルのカメラにはないものですね。
2010/10/26 [September30URL #MAyMKToE [編集] 

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